慢性疲労症候群と
その関連疾患に関する
情報提供

The name "Co-Cure" stands for "Cooperate and
Communicate for a Cure."

Co-Cureとは、完治に向けた協力と交流を表しています。

〜今は亡き友人達に捧ぐ〜

 

 

このページは、医師・患者の協力によりまとめられた「患者の為の情報」である。


 

[病院に関わる時]

慢性疲労症候群では、検査値に異常が出ないため、入院中、医師が患者の訴えを信じてくれず、患者が命を落とすことがある。

 

内科、外科にかかわらず、「慢性疲労症候群」や、一部の「再発性多発性軟骨炎」「ベーチェット」のように

「血液検査に異常の出ない病気」を信じてくれる医師・病院であれば良いが、そうではない場合

 

 

 

 


 

 「患者側」「医療側」にとって、一見安全に見える「入院」ほど、社会の中で最も命がけの真剣勝負の場である。(命の攻防)

両者、覚悟して、「慎重さには念には念を入れて」「確認しまくって」臨む以外にない。

入院中の「お任せ」や気のゆるみは絶対に禁物・危険である。

「命」は代々繋がっていくが「人生」はその人一代限りのもので「代わりはきかない」。(取り返しがつかない)

医師には、この点を肝に銘じてほしい(その患者の代わりはいない)。

 

 ※ 自己免疾患患者なら当たり前ではあるが、唾液分泌が少ない患者が多く、

診察室であれどこであれ必死でガムを噛んでいる事がある。

「ベテラン専門医」は患者の事情を熟知しているのでどうこう言う事はなく、

患者は「態度について」心配する必要は全くない。

(態度がどうの、行儀がどうの、という医師は、自分のことを顧みない、腕のない小物が多い

あまりウルサイ医師は「治療にさし障る」ので「行かないこと」である)

 


 

 

<入院時の注意点>


良い医師の見分け方


日本の膠原病内科について--若い(中年層を含む)専門医達の実態  

〜見た目元気そうな患者に対する、医師として恥ずべき行為〜


病院対応について


訴訟を考える前に


日本医療の実態


地方医療について (1)


地方医療について (2)


 

<慢性疲労症候群を診る医師について>

未だに、慢性疲労症候群に懐疑的な医師や、まだCFSについて具体的な対策が見つからないため逃げ腰の医師の存在が目立つ。

慢性疲労症候群の「専門医」と称する医師の診察を受けたところで具体的な治療法はない。

まず現段階で『既存の病気』(特に自己免疫疾患)を発症していない事を確認したら適切なステロイド使用を含め、一緒に治療法を考えてくれる”開業医”」を探す。

(現・大病院/大学病院の医師は、いつまで「国策の邪魔」を続けるつもりであろうか、慢性疲労症候群の患者にとっては未だにカネと時間の大いなる無駄である)

・・・・ステロイドが体に悪いことは明白であり、漢方で治癒する場合もあると聞くが、「即社会復帰」を要求される身では難しいことが多い。

「日本」が感染症の蔓延で滅亡する前に、一刻も早く、慢性疲労症候群の治療薬・治療方法が開発される事を心の底から祈るばかりである・・・・

 

<慢性疲労症候群の治療について>

 


 

<患者とは>

通常、「基礎疾患を持つ患者はストレスがかからない生活を送るよう」主治医から指示があり、患者とその家族は命がけで工夫している。

人間関係(医師との関係)しかりで、患者は、普段行っている「普通の人間関係」より遥かに丁寧に接し、懸命に対応している。

それにもかかわらず、受診の度、医師・病院の不適切な対応が原因で、患者と家族に与えられる「はかり知れない大きさのストレス」。

「医師・病院の不可解な対応によるストレス」が原因で発症する病気と持病悪化の対応に振り回される患者、及び、その家族の現実。

患者は「医者・病院が”家族に与える強いストレス”」を心配し、家族にさえ自分の本当の体調を伝えられくなっている現実。

医師に対する恐怖で、医師には病気の症状のことを伝えられない患者の現実を、”内科医達”は考えたことがあるのだろうか?

本当に、医師の言う事だけが100%正しく、『なんでもかんでも患者が悪い』のであろうか

 

<医師に問う>

たとえ医師がよく知らない病気であっても、「医師が全て正しい」と言い張るのであれば、患者は協力「しない」

・・・医師だけが集まって勝手に医学とやらをやっていれば良い・・・

ただ、それを「科学的」と呼ぶのであろうか?

「病院・医師の予約」というだけで、患者と家族に大変不愉快なストレスがかかる状態は「医師として正しい対応の結果」なのであろうか?

同じ事を「心臓病、脳卒中、糖尿病、高血圧、癌」などでやった場合どうなるか、考えたことがあるのだろうか?

 

患者は医者のことを一人一人、一生覚えている。

「医者の姿勢」一つで、その印象は一瞬にして180度変わる。

”病気”は、患者を「24時間、一秒の休みもなく非常に忙しくさせる」厳しい現実であり、医者相手にかまけている時間はない。

患者は病院と診察室で相手を探り、深々と礼を伝えて、さっさと「医者を見限る」のが常である。

 

未だに医者は大昔の「お医者様時代」と比較しているが、「社会システム」が大きく変わり、”医者業”は特別ではなくなり、

「一般社会の中の職業の一種」にあたる。

自分達(医者)だけは変わらず、患者(客)ばかりを非難し、患者にばかり変化を求めるプロ意識のない企業の発展は、

一般社会では聞いたことはない。

 

ここに挙げた数々の問題の論点は「医師として」一般社会の中で「どうあるべきか」であり、個々の医師が考えるべきレベルの問題である。

患者の目は肥えている。

限られた制度の中で理想を追求する医師・病院はどんどん増えている。

いつまでも「医者の言い訳」は効かない。

あなた(医師・病院)の行っている行為は、必ず「あなた」(医師・病院)に返ってくる。   

 

<患者と医師の関係・患者の権利> 

・患者は「患者”その人”」しかない「貴重な人生」をまっとうする権利”がある。

・”医師と患者”は「対等の立場」にある。

・医者は自分の「仕事」をし、患者は医者の専門分野について相談に行っている。

エライ学校の関係者は、自分達が患者に対してやっている行為が「差別」と「人権問題」である事にすら気づいていない。

医学部の教育者側までもが、患者と医者は「対等の関係」であるべき事を「知らない」。

これでは患者はアホくさくて医師に報告しなくなり、研究には結び付かない。

(ここまで患者を尊重出来ない「医師」は”日本だけの特徴”ではないだろうか?)

 

<医療は「まず患者ありき」>

「本末転倒」のおかしな日本医療は延々と続いている。

患者は、「よく観察し、よく報告をあげる事」である。

患者は、自分の人生・家族の人生を守り通さなければならない義務がある。

医学は「まず患者の人生ありき」である。(お医者様ありき「ではない」)

 

<臨床の上手い医師を探す>

ノーベル医学賞を受賞した研究者は尊敬に値するが、他人のふんどしで相撲をとって「偉くなったつもり」の医師はタチが悪い。

患者の人生を「医学より下等」と見下すような非常識な医師・研究者達には一切関わらず『臨床の上手い医師』を探すこと。

臨床とは「今、なんとかしなければならない現場」である。未来は「現在」なくして存在しえない。

 

以上、慢性疲労症候群のように「元気そうに見える」「検査に異常が出ない病気」を持つ患者に限らず、上記を参考にして頂ければ有り難い。

 

*「入院中の転院」について、大変的確なご指摘を頂きましたこと、厚く御礼申し上げます

*また、多くの貴重なご意見を寄せて頂いた事に、心より感謝申し上げます。

〜 Co-Cure-Japan, 2014年(改定2015年) 〜

 


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