<訴訟を考える前に>
全ては「病院・医師の対応」にかかっている。
「良い医師」は多く存在するが、「良い病院」(特に大学病院)は、残念ながら日本には殆どない。
患者・家族は疑問を溜め込まず「小さいうちに解消するよう」、些細な事でも勇気を振り絞って根気よく確認する努力を怠ってはいけない。
医師・病院側は、「一般社会からいかにかけ離れた存在になってしまっているか」、今一度、しっかり考え直して頂きたい。
欧米では「訴訟」が多いから「大事な事は隠して患者には言わない」などという医師がいるが大変な間違いである。
欧米の裁判は「聖書に手を置き”神への宣誓”」から始まり、「”知っていることを言わない”ことは罪になる」
日本のインフォームドコンセントは「インフォームドコンセント”もどき”」であることを日本の医師はよく理解しておくべきである。
しかし、日本の保険診療体制の限られた”時間内”で、どこまで完璧に近く医師が説明し、患者・家族から理解を得られるか。
これからも、もっともっと、日本に適した独自の方法を医療側が考えていかなければならない。
欧米の医療と日本の医療の一番の違いは、欧米では「患者参加型」である。
殆どの先進国では「患者・医師・看護師・薬剤師・スタッフ」”同等の立場で”一体となって解決策を探るのが普通になっており
日本のように「医療関係者の院内カースト制度」や「患者おいてけぼりの医療」はない。
(患者参加型で医師・スタッフと一緒になり「患者にとってベストの解決策を探る」のがすぐれた西洋先進国の医療であり、
『病気の事は医師が一番知っている』などという言葉は、優れた先進国医療現場では聞いたこともなく、ただただ呆れる)
猫でも犬でも「それぞれ」性格も体質も違う。人間とて動物である。副作用についても「普通・教科書」発想からは離れ、
たとえ現在教科書に載っていなくても「製薬会社に報告する」くらいの義務感を医師には持って頂きたい。
論文作成にしても、欧米のしっかりした医学部では決して「患者不在」ではなく、ドラフトから患者に読んで貰い、
患者から、医師側の解釈や勘違いの指摘を貰い、それから最終段階に仕上げる。
(論文内容の事実関係について、医者が患者のチェックもいれず、医師の不確かな憶測を頼りにでっちあげるようなことはしない)。
それでも、「訴訟を考える(起こす)前に」、外部や専門家と相談しながら、 必ず、「患者自ら出来ることを”辛抱強く全て”」やり尽くす。(避けられるものなら是非とも「避ける」)
訴訟を起こしたくて起こす患者は存在しない 病気と闘う患者・家族の「身体的・肉体的ストレス、金銭的負担の軽減」の為の努力も立派な医療行為である。 医療者としてのプライドと責任ある対応を切望する。
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---下記は医療側だけでなく”患者にも”「訴訟とは」を教えてくれる--- 『過ちから学ぶ医療を求めて』:http://www.naxnet.or.jp/~takaoka1/saiban/main.htm
同じ医療訴訟でも「集団訴訟」では何も言わず「個人」の場合にはバッシングが起きるのは理解出来ない 原告の負担を考えれば解ることである
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「”患者・家族の言葉”を信用して頂きたい」
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