【慢性疲労症候群と学校】
学校の体育合宿で、生徒が「具合が悪い」と教師に訴えたところ、全校教師、誰もが信じてくれず、
全校生徒の前で「うそつき・仮病」呼ばわりされ、罰則として「山登り」を課され、その後、その生徒は
体調を崩し長期欠席を余儀なくされた、というケースもある
---当時の必修科目の中に、春・秋は「テニス」、冬は「スキー」、夏は「遠泳」合宿があった---
小児慢性疲労症候群の場合、「親の育て方が悪い」という医者まで現れる。
自分のせいで親まで批難されると子供は非常につらい。
教育現場までが、生徒(子供)の言葉を信用せず、「気のせい」と言い張る医者達と同じ態度をとり続けると、
その子は「自分は社会のクズ」と考えて生きるようになり、一生「人間」に対する恐怖心を持ち続け、たとえ、
どういう体調であっても、無意識に「人前では絶対に元気にふるまうこと」に必死となり、結果、命を縮めることに繋がる。
(三つ子の魂)
また、学校側がその子を信じないと、”全校生徒”も、その子を”一生” 信じなくなる。
(教育現場・学校側も「殺人」に加担していることになる、最悪、その子供の自殺にもつながる)
医者だけでなく、”教育現場”にも、「自分達のやっていること」をよく考えてほしい。
小児発症の場合、
1) 医者から「気のせい」「気の持ちよう」「ストレス」「知恵熱」「死んでもいいじゃないか」と言われ続け、
2) 学校でも”教師”に全く信じて貰えず、
3) 親でさえ「子供の体調が悪いことは”本能的に”よくわかるが、”充分休ませる以外”、具体的にどうしていいかわからない」
(親には「医者が間違っていること」だけは「よーく」わかっているが、医者の「気のせい」が邪魔をして「ストレス発散」など
精神的な方向性”も”、当然、模索する。本人は、本当は「ストレス発散をする体力的余裕」はないところ、”医者を信じて”
「片っぱしからやってみる」。ますます具合が悪くなる)
患者本人は、ただでさえ一人で体調を安定させることに四苦八苦しているところ、「医者・学校・”教師”」にひっかき回され
大変苦しむ。本人は必死で体調管理をしている。「精神的に弱い」など、ああだこうだ、ゴチャゴチャ言われると、心理的に
邪魔されることになり、激怒する。(ストレスは体調管理に響く)
結果、
1. 「どうせ人間のクズである。それがどうした。クズとしてクズらしく生きて死にゃいいんだろう?
人間皆死ぬ。あいつもこいつも死ぬ。太陽にも寿命がある。地球もそのうちなくなる」
2. 「動植物でゴチャゴチャ考えて生きているのがいるか?人間も地球上の生き物の一つ。死ぬまでの”時間凌ぎ”」
3. 「出来ることを出来るだけ出来る時に精一杯やればそれでいい。文句あるか?あっても知るか!」となる。
これら”激怒”を軸に、子供時代に獲得した「体調管理方法」を大人になってからも貫き通して生きて死ぬか、
”自殺”となるか。二つに一つである。 (”怒り”が出ればよいが、”後者”--自殺--が圧倒的に多い)
医師だけでなく、学校・教師も、もっと真摯に「生徒の言葉」を信じてほしい
(東京にある、どこのコクリツ大学付属高校とは言わないが、子供が必死で「体調が悪い」と伝えているのに「見かけ元気そう
だから」という理由だけで教師が全員「薄ら笑っている」などトンデモナイ話である。「教育者」である限り、あとになって「病気と
知っていたら」という問題ではない。彼らには「百万回死ね」と言いたい)
「再発性多発性軟骨炎」に関しても、
上記のような教師達による教育を受けた”生徒たち”は、まだ「気のせいの延長」程度にしか受け止められず
今や立派に家族を養いコクリツ大学で働いている身にありながら「オレの方が大変」とか、かつて厚労省へ
“難病指定”のために働きかけていた「再発性多発性軟骨炎・難病指定嘆願書・署名活動」についても、
「みんなのキモチを考えて伝えないことにする」とかで、この国立の学校関係者からは「一人も」署名が集まらず。
2,500名を遙かに超え個人的に戴いた署名は、この馬鹿げた教育をする学校とは全く関係のない一般の人たち
ばかりであった---(心から厚く厚く感謝を申し上げます)
税金を遣って、”難病指定”のような「多くの方々の人生・生活・命に関わる”社会問題”」と「みんなのキモチ」
の”違い”が解らないような教育をするならコクリツの看板を降ろしてもらいたい。大変な”社会迷惑”である。
特に「国立」の教育機関としては許される問題ではないが、
ただ、一にも二にも「医者」である。
医者が延々と「気のせい」をやらなければ、いくら桁違いに常識はずれな学校でも、こういうことは起きなかった。
・ 慢性疲労症候群には「自殺者」が多い。
「自殺する方が悪い」(性格が弱いから。オレ・ワタシの方がよほど大変)と、同業者の友人達は非難するが、
慢性疲労症候群は「非常に深刻な”病気”」(自己免疫疾患)であり、”重度”の場合はどうしようもない。
病気対策の場合、まず「医者」ありき。
特に子供の場合「学校」の理解なしに 生き延びることは難しい。
大人子供関係なく、慢性疲労症候群に対する「医師の理解」は必須である。
以下参照(自殺=色分け「黄色」)
死亡者リスト(〜2003)
自ら望んで生まれてきた者など一人も存在しない。
この不愉快極まりない人生を、”皆”、工夫と努力で何とか気を紛らわせながら個々必死で生きている、
この世からいなくなってほしいのは本人が最もよく解っている。人間”絶対に”死ぬ。
”必ず”望み通り死んでやるから、医者や教師は”最善を尽くして”心待ちに大人しく待ってろ。
医者が「死んでもいい」「死体が出たら信じる」などと繰り返してきた限り、今更キレイごとなど聞きたくもない。
「死んでもいい人間としての」確固たる”自信”を築き上げて生きている。
(子供の頃から医師に信じて貰えない患者が、命がけで造り上げた「哲学」であり、鬱でも抑鬱状態でも何でもない)
「患者の言葉を信じることなく」、”科学的・科学的”と呪文のように唱え、「臨床の場」に”炎症反応”など、
「検査結果ばかり」振り回す行為は、迷信であり科学ではない。
「自然現象」(症状)を信じられなくてどこが”科学者”なのか。自然現象は人間に合わせるような簡単なものではない。
「”医者”の言葉」しか信じられないのであれば、既に、その時点で”科学者”「ではない」
医学部では一体どういう教育をしているのか。
医者が、”自然現象”を体験している”患者”ではなく、「医者の言葉」ばかり信じるあまりに、老いも若きも日本の人口を
減らし一体どうするのか。
※ 「患者の言葉(自然現象経験者の報告)をしっかり聞くから”こそ”検査をする」(調べる)という”科学的な”臨床医は、
東京でも存在するのであろうが、ほぼお目にかからない。
東京では、「国立(コクリツ)大学」の付属高校が、このページの冒頭にあるような教育をしており
(生徒の言葉を真剣に聞かない)
「東京の教育」という視点から、医学部でも、まともな感覚を持つような教育をしているとは考えにくい。
「医療は患者・社会のもの」。患者が怒り狂わない限り、医療も政治も変わらないようである。
これからは、日本の患者も、”医者”を妙に特別視することなく「社会の一員」としてとらえ、
「医者の無知から自殺する子供達」をなくしてほしい。
Co-Cure-Japan, Administrator, 陰山理香, (revised in May, 2018)
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