「ほか」

1. 欧米なら医療ボランティア活動は医療関係者から高く評価され、医療側からも「同僚」として扱われるが、

   日本では全く評価されず、「素人」とみなされる。日本の医者はずいぶん「失礼」な人間が多い。

   本来、患者本人の本職が「聞く」ことを専門とするもので、加えて「海外の患者サポート」を30年近く行っている。

   診察室で「医師(人)の話」を何時間でも聞いて差し上げることは得意分野であり、

   「その人(各医師)」は"本当に"とても素敵なので ・・・困ったことに「本当に」素晴らしい人たちで・・・

   その時は心の底から楽しいが、「あと」体調がどうなるかプロならわかるであろう。

   診察質では「診察」が行われるところで、雑談をする場所ではない。

   (・・・これも、「これまで医師誰も生検を行わなかったから」、どーせ「気のせい」「体調が悪いハズない」のであろう・・・)
 
 

 

2. 東京では、”ほとんどの”大学病院・膠原病内科では、初診・次回のとき、診察室で「診察」をすれば、”すぐ”解ることを、「何もしない」。

 

   --東京でも「臨床力のある大学病院」では初回で「診察」が行われている。患者は「初診で診察をする・しない」を観察する--

     ・・・病院に行って「初診で診察する・しない」を観察しなければならないというのは、変な話である・・・

   (・・・診察しない大学は、「これまでどの医師も生検を行わなかった」という理由で、全てが「気のせい」であり、全く信用できないため、
   現状の上から診察は出来ないということであろうが。つまり「生検」が出来るまでの間、何十年、最悪死ぬまで、診察しないのだろう)
 
   

 

3. 大学病院に巻き込まれたくないのは、実は、患者の方である。

   (証拠、証拠といって待っている間に命を落とす。大学病院の医者は「気のせい証明」しか興味がない)

 

 

4. 欧米の稀少疾患患者の間では、「日本の大学病院は観察ばかりして治療をしない。怖い」と非常に悪評高い。

   多くの膠原病患者・患者会が「膠原病内科は大学病院に行っても絶対治らない」と助言を続けている意味がよくわかる。

 

 

 

5. その大学病院の”見方”に沿った症状が出ている患者しか診察せず、自分たちの「ポリシー」に合わないケースは「除外」(診察もせず)。

     ”自分たちに合ったケース”しか臨床が「出来ない」、”東京の”大学病院/診療所のあり方は、それでいいのか。

 

        最高学府の大先輩・膠原病内科医いわく、最高学府の膠原病内科教授は「臨床が下手」だそうである。

        その最高学府が力を持っている土地柄だけに臨床力が低下して「証拠主義」になるのかもしれない。

        (東京全体に「最高学府の影響力」があまりにも大きすぎて東京膠原病内科全体が臨床下手になってしまった)

        --しかし、いくら臨床下手の最高学府でも、入院診察では、「痛み」について、「どういう種類のものか」”研修医でも”確認した

        先輩から「臨床下手」と呼ばれている教授も「見ただけで」、機械など使わずとも、僅かな色の変化で「炎症」と断定できた(指)。 

        気もち良いほど見事な集中力をフルに使い、生検をせずとも、「再発性多発性軟骨炎+ベーチェット一部合併」まで追いつめ診断をつけた

        それ以外(記録から消した「大腸びらん」、患者に対して「作り話をしている」等々)は”あまりにも”お粗末で、本当に残念であった。

 

 

 


 

 

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