膠原病内科「東京の診断について」

 

1. ”東京の”、大学病院・現役・膠原病リウマチ医は、「XXしていないからわからない」など「出来ない言い訳」が多すぎる。

 

  治療の際、「安全を期するため」というのは理解できる。しかし、いくら何でも

  「XXでなければならない」の「XX」が”くるくる変わり”、

  その度に「外れているから」という理由で何十年も放置されては、患者はたまったものではない。

 

     「炎症反応が出なければならない」の次は「生検」。次は何だ?

    結局「信じたくない」「死体が出ないと信じない」ではないか。

    診察室は「信じる・信じない」”医師の持論”と”雑談”を、2時間も3時間も患者に伝える場ではない。

    これが「医療」なのか?

    信じる、信じないより「医師として目の前の患者に反応(対応)する」のが医者ではないのか?

  

 

2. 日本全体から見ても、世界基準から見ても、”東京の”大学病院・現役・膠原病内科の臨床の考え方は、オカシイ。

(「XXでなければならない」の「XX(軸)」が、世界的に「必要とされないもの」かつ「ぶれる」ところが、最も腑に落ちない・オカシイ)

・・・何の目的なのか。”東京の”膠原病内科医は腕が悪いから逃げまくるのか。「鬼ごっこ」か。人の命相手に遊んでいるのか。

 

   この調子では、医師が現実を受け入れられないため「xx(現在は生検)は、”医師の都合で”、また変わる」。

   ”東京の”大学病院の膠原病内科医は永遠に逃げまくり、「現場にしっかり対応出来る”臨床医”を非難し続ける」。

   もはや「医者」とは呼べず、患者は大学病院・膠原病内科には「行けない」。

 

 

 


 

 

   ★「生検をしないと先の方針が立てられない」という医者のいうことは理解できるが

 

   1.診断には、生検は必須ではない (だから、どの医師も生検を行なわなかった)

    

   2.臨床では、「診断がついたら、速やかに“治療”について検討する」。

 

 

上記に従った医師たちは、今、なぜ、非難されているのか。

たとえ、「自己免疫疾患ド素人にひっかきまわされた結果」としても、そうなること自体が、全く腑に落ちない話である。

日本の医学界に尋ねる。「どういうことか」「東京の膠原病内科はどうなっているのか」。

 

 

 

◆ 今のような「生検絶対信奉」の場合、検査室から「デタラメな検査報告」が来ても「通る」ということである。(盲信)

生検をしないで判断する方が怖いであろう。しかし、冷静に「外」から何十年医学界を観察していて、”これだけの”

「生検絶対信奉」は、「炎症反応絶対信奉」の「形の変わった現れ」であり、(いずれも参考程度ならば結構だが)、

「xxでなければならない」ステレオタイプの発想に変わりない。

 

◆ 「ステレオタイプ」そのものが、「科学者の発想」として非常に恐ろしいことである。

(検査結果が出た段階で「それ以上考えようとしない」。”不完全な検査”でオシマイ。思考停止)

 

   ”東京の”ほとんどの大学病院・膠原病内科では、そういう医者を「育成している」

   ”東京”は「科学」が出来る場所ではなくなっているようである。それでは「患者が」困る。

 

 

 


 

 

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