「日本の大学病院内科医」
大学病院では検査に異常が出ない患者を何でも「ストレス・パニック・気のせい・脳のせい」にし、しっかり診断・診療ができない
患者を「ストレス・パニック・気のせい」にするということは医師達自身が「そうである」という証明である (精神的に「逃げる」「弱い」)
「僕は外科医であり内科医だからパニックに”なれない”」。当たり前のことを口にした米国時代の主治医の言葉を思い出す。
それに比べ、日本の内科医の殆どは、何故これほど、「感情的」「逃げる」「パニックになる」のか。
日本の医師教育はどうなっているのか。「医者」としてどうあるべきか「哲学」の部分をしっかり教育をしているのであろうか?
(昨今は「医者たるもの」の覚悟さえ教えないのであろうか?一般社会と比べて重要な職業だけにワケが解らない)
*おかしいのは「大学病院内科医の精神」である。
(外科は「あとに引けない」「逃げられない」「専門性が非常に高い」のでここに当てはまらないことが多い)
一般社会の”一般社会”では「目の前の現実をナントカしなければならない」(一般社会は極めて外科的である)
「大企業の一部社員を除き」、決して、相手を責めたり「相手の気のせい」にして「組織に逃げこめない」
”命がかかっていながら”、大多数の日本の大学病院医師(内科)は一部の大企業社員以下である。
非常に希少になっているが立派な内科医も存在しており申し訳けないが、あきれて言葉がない。
病気とは「物理的なもの」である。
なぜ多くの大学病院の”内科医”達は「精神的」「神経のせい」でコトをややこしくするのか?
「病気・不調対策」とは、「悪化させないために”物理的に”何をしたらよいか」である。(物理的にナントカしなければならない)
気の持ち方は最も大切であるが、患者が「気」のコントロールがうまい場合、(自分の世界を持っている・よく笑うなど)、
医師として、たとえ方法が限られていても、「物理的な策」を出さなければならない。
なんでもかんでも「脳・神経・気のせい」ではないことは「”本当に”優秀な開業内科医」はよく知っている。
何に対してもパニックになっているのは大学病院の内科医達の方である。(「教科書以外の対応は出来ない」「技術がない」)
日本の希少疾患の分野における、「医師の努力不足」、「患者の言葉を信じない」医療者として馬鹿げた”あってはならない”行為、
「患者の容体を察する医師としての能力さえ備わっていない」呆れた人材を教育・輩出し続け、患者と家族をとことん追い込んでいる
「現実」に対し、平気でいられる無神経な大学病院の教育者達(内科医)、日本医学界の責任と「恥」は筆舌に尽くせない。
(全員死に絶えろといいたい。これほど「仕事に対して」ふざけた奴らに税金を使っているのか?)
※「患者の言葉を信じられない医療」は、希少疾患だけの問題ではない。
(「患者の言葉を信じない」臨床現場での犠牲者は数えきれないほど存在する)
医師たちが”現実”を「知ろうとしない」だけで、「一般社会に生きる人間」は、皆、同じような目にあっている
日本の医学界は何を見ているのか、何をしているのか、何をしようとしているのか、何をしたいのか。
くどいが「日本の大学病院」とは、一体、何を教えているところなのか。
患者の言葉を信じず医療はできない。一般社会を知らずに「一般社会に暮らす人間」を相手にできない。
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