ある地方の医療 (一にも二にも患者、患者の意識)

 

 

「ある地方の医療実態について」

 

・・・どの地方よりも異常な「地位・権力」を持つ医師達を”当たり前”と考え、

黙々とそれに耐えている、どこよりも「真面目で真剣」な人々が暮らす地方・・・

親が出身者である場合その地方の「過去」を伝え聞いて育っている

「戦前」「戦中」「戦後」・・・特に戦中では本土唯一の「地上戦」(戦場)を想定された土地であり

全国的に知られている基地以外に、かつておびただしい数の特攻基地が存在し、

空襲では市内の93%が焼き払われ、(戦時中はどこも同じであるが他府県の応援も求められず

芋の葉どころかごく僅かしかない茎まで食べて餓えをしのぎ

首都圏から遠い立地のため何もかも自力で、どれだけの辛苦を乗り越え復興を遂げたか。

今も変わらぬ「年がら年中大規模自然災害」と、

毎日毎日、水にも溶けない大量の降灰(火山灰はガラス質)。

その地方に暮らす人々は明るく冗談を言いながら自然の驚異に黙々と真剣に対峙している

 

それだけ真剣に必死で生きている住民相手に

その地方の”医療業界”は「脳神経内科」と「一般内科」の区別さえついていない。

「内科」とつけば一般内科も対応できると”医療業界そのものが”信じている。

地方」では首都圏や大都市圏からは全く信じられない現象が「当たり前の事」として起きている

一部の隅っこに追いやられている「まっとうな医師達」を除き

患者に情報が入りにくいこと、患者が医者・病院を選べないことをいいことに、

その地方の医療業界のやっていることは、怒りを超越している

住民の「命」がかかっている

「60代の死亡率が結構高い」 「自殺率が高い」 「子供は助けるが俺らは助けない」

このような医療は”オカシイ”

(そこに暮らす人々が「なんとなくおかしい」と感じている感覚は「正しい」)

派手なドクターヘリなどの活動「以前」の問題である

 

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医療では大切な点が2つ存在する

1.医療技術

2.患者の意識

大都市部と地方の”医療技術の格差”は「医学界」がナントカしなければならない問題であるが

「患者の意識」がなければ医学界は変わりようがない

『まず意識ありき』

 

政治家が変わっても医療の実態は変わらないことが多い

基本、健康である政治家達は医療の実態をよく知らず

(あるいは、自分だけは最高の医療を受けられるため実態を知ることなく)

医師たちに言いくるめられてしまう

政治を変えるのは民衆の意識であると同じく、

医療を変えることができるのは「患者の意識」だけである。

一にも二にも「まず患者ありき」

 

※上記は大都市圏にも共通する

 

 

『命もいらず名もいらず』

南洲翁の”精神”を軸に

近代日本国家を創り上げた(旧)藩民の誇りにかけ

(一部のまっとうな医師たちを除き)

”どこの誰がどう見てもオカシイ”「今の現地の医療、医者天国」を許すことなく

一丸となって住民の「命」を守り

首都圏が手本とするような医療を創り上げられんことを祈念する

 

 

-the last message from 陰山理香 to Kagoshima-

(鹿児島 in 6/29, 2011 - 7/2, 2016)

 


 

鹿児島で医者に困ったら、まず「かかりつけ認定医」に相談するのがベストである

鹿児島では日本医師会の設定より1年早くこの制度を導入しており、認定された医師は「医師らしい医師」がそろっている。

鹿児島の"かかりつけ認定医"には首都圏でもお目にかかれないレベルの凄腕の医師もいる

--「かかりつけ認定医」とは--

「総合診療医」「家庭医」に近い位置づけで広範囲にわたる知識と連携能力を備えている

たとえXX専門医であっても「かかりつけ認定医」の場合「抱え込み」はしない(必ず連携してくれる)

・・・昔の開業医は「全体」を診るのが当たり前で

患者は一人の医師に一生診て貰える環境にあったが、

今は「専門化」し過ぎ「全体を診ることができる医者」が殆ど皆無となり、「連携」がとれないと命とりになる・・・

--昨今の日本医学教育では、”離島経験者”でない限り、「全体を診る医者」を育てておらず

「出来るつもり」の抱え込みが最も怖ろしい結果を招く--

 

・・・

他の地方でも全く同じことが起きている

(医療技術・意識の格差、医療関係者の「異様な」地位の高さ)

これだけ地方と中央に医療技術・医療意識に差がありながら、

具体的にどうやって一億総活躍させるつもりなのか、さっぱりワカラナイ

 

 


 

・・・

地方であれ、大都市であれ、

”認知症”のように、患者数が多く、医師から理解されている疾患は「社会と共有」できるが、

医者が理解しようとしない病気や患者数の極端に少ない病気を持つ患者と家族は、

「社会」から延々と疑われるばかりで個々本当に厳しい人生を送っている

「慢性疲労症候群 [] [] 」もその一つである

 

患者数が多いにも関わらず

「病気の実態がわからない」

「患者のおかれた立場・医者・社会・学校の不理解」

何より「医師が実態を知ろうとしない

”慢性疲労症候群”の患者たちは、

一体どうやって生活していけばよいのか。

 

 


 

”Co-Cure-Japan”は、

「日本の慢性疲労症候群および関連疾患」の”情報提供”(無料・患者向け)に特化したホームページとして、

沢山のボランティアに支えられた日本最古のもので、

国内だけではなく、グーグルの翻訳サイトなどを使った海外からの読者も多い

 

Co-Cure (親サイト・米国)について

主な対象は「専門家」(患者・医師)であり、一般の読者から「わかりずらい」という苦情もあるが

『炎症反応(CRP, ESR)が陰性であっても炎症性疾患は存在する』という事実は

医療現場における最も深刻かつ最重要問題でありスピードを要する。

欧米に比べ「"全く"患者教育が行き届いていない日本」では専門用語ばかりで解りずらいが、御容赦願いたい

 

注:特定の慢性疲労症候群研究者・研究機関との癒着関係はない。

--患者数の多い疾患では特定の研究者・研究機関との癒着は研究の発展を妨げることが多い--

 


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