日本の再生医療研究所について

再生医療研究所は、「研究所、兼、工場」であり、

一般社会の「研究所、兼、工場」(技術開発部門)と特別な違いはない。

*「生命科学」である限り、責任と役割は一般に比べて「桁違いに重い

 

再生医療研究所の「機密」については、あたかも特別のように紹介されるが、

一般社会における企業や宇宙開発機構のような組織では「技術開発部門」の機密は

非常に厳重で、バイオハザードなどの問題に関しては、一般社会に既存の国立感染

症研究所などと同じ扱いであり再生医療研究所の機密が、一般社会において、

ことさら特別というものではない。

 

ある企業にノーベル受賞者がいるように、同研究所にもノーベル賞受賞者がいるという

だけのことであり、この点も特別ではない。

 

日本社会特有の「生命科学を扱う」という点だけが「特別視」する所以であるが、

実際には、「再生医療」という新業種が、日本社会に一つ増えただけのことである。

 

一般社会と”決定的に”違う点は、幹部が全員「最高額の年金受給者」である。

(自分と自分の家族の生活は安定しており確実に守られている)

たとえ、商品開発が約束の期日に間に合わなくとも、激怒した国民から罵倒されることもなく、

工場が焼き討ちにあうこともなく、雇用者として従業員の生活を守るため自らの財産を売り

さばき、家族は露頭に迷い、果ては自ら首を吊るということも、総会屋問題や夜討ち朝駆け、

翌朝出社したら自分のデスクも何もなかったということも「何も」なさそうである。

平和である。冗談ではなく真面目な話である。

  --この部分がわかる医師がいるのだろうか?医者が勝手に自分達だけが特別と考えている

 だけで、一般社会には医者が知らない過酷なことばかり。医者の過酷さは「わかりやすい」

 ”誰からも”理解を得やすいが、一般社会の過酷さは"目に見えない病気"と同じく、

 どうしようもない。非常に厳しい。「尊い人命のため」も何も一切通用しないーー

 

同じ記者会見でも、一般の会社のものとは「迫力」と「必死さ」が違う。

かつては存在していたが”年月”と”環境”は人を変えてしまうようである。

国内に競争相手がないというのは、こういうことである。

 

一般に、現行の「(国内)一業種・一社独占」の形では、今後の飛躍的な発展は見込めない。

(競争原理が働いていない)

国内に同レベルの研究所が立ち並ぶようにならなければ、国際競争を勝ち抜くのは厳しい。

 

「臨床レベルの高さ」は”研究の発展”に直接つながる(人口の多い臨床力の高い地域は有利である)。

しかし、一人の才能ある研究者には太刀打ちできない。

その研究者に本業である研究をさせず「カネ集め」をさせて平気な日本の医学界の神経は、

一般の理解を超えている。ある企業に所属するノーベル賞受賞者を、その企業が「カネ集めに

使っている」という話は聞いたことない。医学界のやっていることは日本国として「恥」である。

 

臨床の世界、厳しい病院では、白衣は「診察室を出る時は、たとえ短時間席を外すだけでも、

必ずとるよう」指導が徹底されるほど一般に馴染まないものであるが、研究者達にとって

「作業服」と考えれば、解せる。

同じ一社独占でも「国の威信」がかかっている機構のように何年何月何時何分」打ち上げが

成功しなければ、研究開発打ち切り、殺されるほど非難される、ということもない。

(現在の再生医療研究所は"国の名誉"も"社運"を何も背負っていない。それでどこが経営か

ただでさえ社会から隔離された「医者別格」の日本社会において、あまりにも「特別扱い」の

日本唯一再生医療研究機関の幹部達は、「最高額の年金を貰う人間である」という現実だけは

片時も忘れず肝に銘じ、"日本社会の一員として"、死ぬまでその重責を果たしてほしい。

 


国内に競争力が全く存在しない上、かつての「迫力「必死さ」すら薄らいでしまった

劣悪な環境にいる日本の再生医療関係者に送る言葉は、ほかに見当たらない。

すべては一般からとても理解できない”日本の医学界”がやったことである。

 

一般社会では、いくら本人が望んでも、ノーベル賞受賞者にカネ集めをさせない

ノーベル賞受賞者にカネ集めをさせてはいけない

 

Co-Cure-Japan, 2016年5月

 


 

”西日本の臨床”に対して「信じない」「認めない」をするエネルギーがあったら

もっと政府に働きかけができなかったのだろうか。

もし最高学府の職員がノーベル賞を受賞していたら、その職員に「カネ集め」をさせただろうか。

京都大学のノーベル賞受賞者に対し、最高学府が「カネのことは東京でなんとかするから全力で

研究に専念して下さい」と自ら率先して旗を振り、バックアップ(自分たちができること)

に専念してくれていたら、こういうことにはならなかった。

 

「西日本臨床に対して”信じない””認めない”」

ノーベル医学賞受賞者に対する協力も中途半端」。

最高学府は、常日頃、「国」「全国の患者」のことが頭に入っているのだろうか?

少なくとも「医学」を見ていると、東京の医学部を持つ大学職員たちは、

”日本全国の患者”のことを考えず、自分たちのことばかり考えているように見える

(各大学で行われている研究は別として)

そう言うと東京の大学医学部の医師達は怒るだろうが「ノーベル賞受賞者にカネ集めをさせて平気」

という、”日本医学界(中央)の感覚”は、一般社会の人間には一切理解できない。

 

今からでも遅くない。(これからますますカネが必要になる)

全国の患者は「ノーベル賞を受賞するほどの技術力と能力を持つ研究者」に研究を続けてほしい。

(一般社会の人間は、ノーベル賞受賞者にカネ集めさせたい者など一人も存在しない)

研究も大切だが「最高学府しかできないバックアップ」で、全国の患者のために貢献してほしい。

何がなんでもナントカして貰わないと、困る、どころか日本は潰れる。

 

--- Co-Cure-Japan, Administrator, 陰山理香, 8/21, 2016

 


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