--医者対策--
◆「医者対策」=「考え方」・・・延々と続く「検査に異常が出ないから気のせい」(エビデントベースト医療)の「対策」
「まず”強度”ありき」
*主治医が見つかるまでの”何十年”もの間、”何十回・何百回”と続く医師の「気のせい」を聞き、病院を出た途端に感じる「強い衝動」
(どこからからか飛び降りたい)を撥ね退けるだけの”強度”が「絶対に必要」
*「繰り返すゼロ以下からのやり直し」のため、一瞬にして「その前はなかったこと」に出来るだけの”強度”が「絶対に必要」
*「気のせい」である限り、親や兄弟姉妹、学校・社会・友人と関わらず「一人で」対処出来る”強度”が「絶対に必要」 (本当は生きていない)
*「自信家」に解釈されることが多い。極めれば「ネガティブ」も「ポジティブ」も同じところに行きつく。(どちらでもいい)
◆「前進するための”片付け方”」
----自分の生命」を守るため、上記「強度」を大前提に徹底して自分に「考え方」叩き込む(下記一例)----
1.「人間のクズ・社会のクズである」 (この世で最低の人間)
2.「死んでもいい人間」「死んでほしい人間」「生きていてほしくない人間」
・・・命に関わるような症状で受診・相談して「検査結果に異常がないから気のせい」「死体が出たら信じる」という医者”ばかり”で「そのもズバリ」
そのまま受け止められるようになると、せいぜい医院・病院を出たとき「カネかえせ」の一言で”片付く”。
3.「本当は生きていない」
---上記3つは医者の”あらゆる”「検査に出ないから気のせい」に対して非常に有効に働く。
何をどう伝えても「気のせい」「信じない」医者相手に自分を納得させる手段としてベストな方法。(悩んでいる暇がない。「次」に行く手段)
4.「人間みな死ぬ」「こいつもあいつも、”みな死ぬ”」
---医者の対応にあまりにも腹を立てたとき、ニコニコしながら内心唱えると良い
5.「無人島・無医村に暮らしている」
---元気そうに見え、一般の検査に異常が出ない病気を持つ患者はうかつに受診できない。「覚悟」が必要。
6.「過去は”なかったこと”にする」(「年表のリスト」のように「一行」・「他人ごと」にする)
「生まれつき何に対しても・何をやらせても無能極まりない人類史上最低の人間」
----どちらも「ゼロからやり直し」にとてつもない威力を発揮する
注:「記憶」というのは「不愉快な記憶」だけに圧縮をかけるわけにいかない。「楽しかったこと」も含め「その時期まるごと”単なる出来事リスト”」
にする。副作用としては「人生に楽しいこと」は”一切”なくなる」が、そこは「前進する」「立ち止まらない」が優先されるので割り切る。
(楽しいか楽しくないかなど”ふざけるな”というほど「二の次」の話。「命」がかかっている。腹膜炎であろうが腸閉塞であろうが、医者の
「検査に出ないから気のせい」に耐えて生きなければいけない。
すべてが何百回の反復により「一瞬で」出来るようになる。「それしか手がない」場合”感情”が入り込む余地がない。ゲラゲラ笑いながら
出来るようになる。(自分の後ろにも前にも道はなし。「点々人生」。「その時」の積み重ねだけでも「前進」出来る)----
何万回と訓練を積むうちに「人生は、楽しいものでも、面白いものでも、やりがいのあるものでも何でもない」「ただ死ぬまで時間をひたすら凌ぐだけ」
という、「あたり前の”軸”」が出来上がる。(何事も「訓練」。考え方のコツは「”強度”最優先」)
----”自然”は、面白い/面白くないとか、勝手なことを一切言わずに「ただ生きることに」没頭して死ぬ。人間だけ恥ずかしい話である----
ネガティブとかポジティブとか”不自然”なことを考えている暇があったら「工夫」に集中する。医者の「検査に出ないから気のせい」の頻度は半端
ではなく、時間を割いてカネを払って医者に会いに行けば”毎回”聞くことになる。いちいち飛び降り自殺しているわけにはいかない。
ニコニコしながら「お前らに言われるまでもなく自分で”早く失せろ”と願っている」と内心言えるようなれば役に立つ。そこまで徹底的に叩き込む。
”
自分の解釈”は「上記以外出来ない」ほど子供のころから自然と訓練している「小児発症」のほうが有利となるが、一にも二にも「訓練」コツは「自信家」と解釈されるほど「徹底する」
目的は、常に「前進」「立ち止まらないこと」、「次」(move)
昨今の「エビデントベースト医療」が続く限り、医者の「検査に異常が出ないから気のせい」は永遠に続く。
気を緩めず、ますます「強化」に全力を注ぐ以外に生き抜く方法はない。
安心することである。「人間みな死ぬ」「あいつもこいつも自分もみな死ぬ」。ゴールはすぐそこ、確実に見えている。期限付きならどうにでも出来る。
病気は災害と違い、他人と分かち合えるものは殆ど「ない」(病気の種類・病態・生活・人生、何より「医者」が個々あまりにも違う)。
うっかり本音を語ると「患者の態度が悪いから」などと「”医者”を知らない一般人」からも非難されることになる。
患者は、「生き残り」のためにそれぞれ自分を鍛えあげるしかない。(いつもニコニコしながら「人間のツラなど見たくもない」を徹底する)
※医者相手の場合「他人の(良い)評価」みたいなものは一切関係ない。「医者の言うことに対して矛盾がない考え方」でなければ「生きていけない」。
特に子供の場合、
医者が全否定する限り、自分も徹底して自己否定するしか生き残る方法は「ない」。
医者が全員「気のせい」という限り「そこ」を軸に考え方を組み立てないと、(他人の評価と食い違いがある場合)余計に混乱する。
成人になっても何ら変わりはない。(他人の評価など良くても「それがどうした」)。「生き残り」(命)がかかっている。
一から十まで”医者対策”に徹する。
「最低のクズ」して生きて死ぬ。これが最も「ストレスのない」(ぶれない)生き方である。
医者の「気のせい」「死ね」etc.に対して生き残る唯一の方法であり、何百回、何千回繰り返す「ゼロやゼロ以下からのやり直し」も、
体力が続く限り、平気・当たり前で出来る・笑っていられる(理由=「医者から死ねと言われるほど無能だから」で笑える)
多少の訓練が必要ではあるが、子供のころからであれば、(決して愉快な人生ではないが)、「当たり前」(誰もが同じ)と考えて生きていける。
※ 医者の言葉「あなた死んでもいいじゃない」を軸に、「死んでもいい人間として」、この世に未練を残すような生き方をしない。
日常を凌ぐ「コツ」は常に「考え方」にある(15歳から突然始まった激しい体調不良と「医者の”気のせい”」に必死でたどり着き自分を納得させた上記考え方)
「生きていては困るほど社会のクズ」「世界で最低の人間のクズ」を常に徹底し、「前進する」「立ち止まらない」。
人生にネガティブもポジティブもない。軸がぶれるからストレスになる。「人間のクズにしか出来ないことがある」。「軸」は”ぶれなければ”何でもいい。
---中学3年(15歳)で発病後、過酷な試験を経てものすごい競争社会に突入(実技試験・コンクールなど)、特攻志願だった教授の弟子7年間や、
旧ソ連・ナチ「死の粛清」を知る教授の弟子10数年以上で学んだことは、病気であれ何であれ人生で感傷的になっている時間は「一瞬たりともない」、
および、”人生の目的”は「何がなんでも”前進する”しかない」、ということ。(ただただ「前進する」のみ)。そのための「ぶれない軸」作りに徹する。
医者の「気のせい」・繰り返す「ゼロ以下からのやり直し」に耐え得る”強度”があれば「動かさない」
(無理やり”医学的によい”とされている「ポジティブな考え方や方向性」などに合わせる必要性はない。医者相手の対策は「まず”強度”」ありき)----
・・・こんな馬鹿げた話があるか。「医療は誰のものなのか」(医者のものではない)。本末転倒ではないか。
「検査に異常が出ないから気のせい」に対して「将来の患者」である”医者”はどう考えているのか。
医者自身が”科学者”として疑問を持ち、変えていかない限り、犠牲者は後を絶たない。
15歳で「慢性疲労症候群」を発症して以降、上記の「医者対策」(獲得技術)を必死で駆使して生きてきた。
その慢性疲労症候群が16年続いた後に「再発性多発性軟骨炎」、22年後に「腸管ベーチェット」を発症。(一貫して「CRPが正常」だったためそれぞれの”診断”は
「26年後」および「32年後」)。”診断後”も延々と「CRPが正常だから」という理由で治療をして貰えず、36年後に西日本(北九州産業医大)でようやく治療開始とな
ったが治療薬に副作用が出て「治療が出来なかった」。東京に戻り大学病院・膠原病内科でもっとも経験のある専門医の一人(名誉教授)が「これだけ全身に広が
った患者は診たことない」というほどの重症患者である。(重症化の原因は「早い段階で治療をしなかったこと」。西日本が驚いて治療を試みようとしたのは当たり前
・・・くどいが、東京では「CRPが正常だから」という理由で治療をしてくれなかった)
相変わらず、殆どの東京の医者は延々と同じこと(検査に異常が出ないから気のせい。CRPが上昇しないから炎症はない・軽症)を繰り返している。
「検査に異常がないから”気のせい”・”更年期障害”・”トシのせい”」に関しては、経験のない人がいないほどで、多くの人たちが苦しんでいる。
上記おすそ分けした「医者対策」が、少しでも”参考”になればと願う
(ほか、「”自分には”何がおきても驚かない」「心底面白がって笑う」は検査を振り回す医者相手に大切な対策である--”本当は生きていない”が役立つ--)
*何でも「ひとごと」にする習慣が出来あがると「笑っていられる」「問題が大きいほど”滑稽”で大笑いしてしまう」(心理的なダメージは一切受けない)
・・・心理、心理と煩い昨今であるが「自分のこと・予測できる出来事であれば”心理的なダメージ”」などいくらでも回避方法があることを覚えていてほしい。
注1:”心理”に「人間の言葉」など”大雑把”なものを使っている”心理学”関係者にはどうこう言われそうだが、「医者に全てを否定されて生きる」のは
そういうレベルではない。腹膜炎を起こしていても「CRPが正常だから気のせい」という世界で生き残るためには”心理操作”程度なら、何をしてもよい。
・・・心理操作で記憶を圧縮しても「脳」は覚えているので、----決して愉快な作業ではないが----、さほど案ずることはない。
とにかく「生き残ること」「前進すること」「立ち止まらないこと」。そのためならネガティブでもポジティブでも、コツは「どちらかに決め”徹底的に”」
(医者の馬鹿げた「検査に出ないから気のせい」に対して「あらゆる面で強度」を持つ考え方は、ポジティブより「”徹底した”ネガティブ」)
中途半端な心理操作ではなく、その考え方が「自分」となるほど徹底しなければ「効果」はない。「一生貫く」(貫かざるをえない)
<患者側に下らない心理操作を真剣に必要とすること”そのもの”が「医者の対応がいかに馬鹿げているか」を証明している>
注2:「一生貫かざるをえない現実」に気づいてほしい。「検査に異常が出ないから気のせい」は決して過去のことではなく、「CRP」に関しては現在でも
続いており、「画像系」の検査では、具体的には2000年前半に起きた「腹膜炎」、現在でも「狭心症」で起きている(検査に異常がないから気のせい)。
一人の問題ではなく驚くほど多くの人たちが同じ目に遭っている。世界中の医者に問う。一体どれだけの患者を「検査に異常が出ないから気のせい」で
殺したら気が済むのか。人口減少問題を抱える日本では、海外の動向を待っている時間はない。
*「腹膜炎」に関しては、ベテランの消化器内科医であれば「X線」だけでわかる。
(立位・仰臥位、X線を2枚とって左右を確認。「ガスが動いていなければ」”そこ”--ガスが動いていない側の”その場所”--に”癒着”がある)。
患者の話を聞いて(発症時期、症状など)「いつ」腹膜炎があったかくらい簡単にわかる。
「狭心症」については「核医学」の専門家が「映らない」。
要は「臨床技術」がないから「いつまでたってもわからない」
◆医療者側も患者も「こんな医療でいいのか」
日本の医療は「税金」が支えている。「医療は誰のものなのか」。(医者のものではない)
いつまで「医者の都合、医者の勝手」(”検査”に異常が出ないから気のせい)を通用させるのか
税金で保険を支えている国の人たち(西洋)は「医者によく診させる」と表現する(診ていただくではない)
参考にしてほしい
上記は「誰でも罹りうる”慢性疲労症候群”の実態」とその「関連疾患」の「ごく一部」である。
不幸にも、慢性疲労症候群発症以後、他の自己免疫疾患や免疫疾患を発症せず、「慢性疲労症候群」そのものを悪化させた患者は、死ぬまで上記が続く。
病態は「慢性疲労症候群」という病名から想像できない深刻なもので、進行し、死に至った友人だらけ。
医者はそこまでして「検査に出ないから気のせい」で患者を殺したいのか。
「慢性疲労症候群」(免疫不全)の診察開始、および、「信頼性に欠くCRP(炎症反応)、早急に検討・実施を求める。(日本には時間がない)
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