”CRP”について、「一般社会からの見え方」

 

  これまでずっと使われてきた「CRP」について。

  結核予防会が、2004年、肺結核における炎症反応の意義』の中で

  「CRPは信頼性に欠く」と発表している 

 

 

  ・・・医学界では、一般に、「CRP」は「ウィルスには陰性になることがあっても細菌に対しては信頼できる」

  とも、「ウィルスには信頼できるが、細菌には陰性になることがある」とも言われており、

  --------この段階で、”一般社会では”「絶対視できない」「信用できない検査」と判断する--------

  要するに、CRPは「信頼性についてハッキリしないままずるずる使われている検査」である。

  「結核菌」における”専門機関”からの発表は、非常に深刻な状況を示唆する。

  つまり、大学病院を含め、特に東京では、一般の医療機関が「CRP」に依存するあまり

  「結核」まで見落としているという事になる

 

 

※ なお、日本の大学病院では、「結核撲滅」と考えられていた頃、結核を教えてこなかった

「空白期」あり、大学病院の主張「結核を発症している場合CRPが上昇しなければならない」

に対する信頼性は、”全く”「ない」

  結核は「培養」が”非常に難しい”ことでよく知られた分野でもあり、

 「CRPが陰性なら培養すればよい」という”安易な”発想では解決しない。

 (そういうことを言う医者は結核について全く無知であることを露呈している)

 

 

一般社会では、安全に関わるとき、ちょっとした不具合報告にも対応しなければならない。

ちょっとしたことで、宇宙ロケットは自動的に打ち上げを中止した。

新幹線は、異常発生から3時間も走らせて大きな問題となった (大きな問題である)

日本では、なぜいつまでも医学界の”検査”だけが「絶対信頼おけるもの」なのか。

   CRPは自治体の検診で使われており「非常に大切な検査の一つ」とされている。

   2004年、結核予防会から「信頼性に欠く」と報告が出た時点で、一般社会の感覚なら、

   「その検査を検証する」「結論が出るまでCRPを使った評価はしない」

”西日本以西”のまっとうな医者達は、すでに、CRPだけにかじりつくようなことをしない。

その様子を見て、東京の医者達は「西日本はいい加減」という。

真剣に尋ねている。東京では、”なぜ”、いつまでも「CRP」にかじりついているのか。

”なぜ”、「CRP」でなければならないのか。

人の命がかかっている。「東京の医者」は”人の命”を何と考えているのか。

 

 

 

「CRPについて」。

これまで医者が信じていた通りに「炎症があれば上昇する人」も存在する。

ただ、結核予防会の報告が示すように「CRP陰性のまま全身性炎症をおこしている人」は、

医者が考えるより「多い」。結核が絡む限り「”CRP”に頼り切って見落とした時のリスク」は非常に怖い。

   一般社会では、命がかかわらない分野でさえ、確率が低くとも「万一」を考える

   どの病気も、教科書にあるような典型的な症状を呈さないまま発症することが多い

 

 

 

”東京”では、「CRP」やら「生検」など、やたらと内科医が「検査」(モノ)に頼る (臨床医の「臨床技術の低さ」を示す)。

    「検査(モノ)とは」

    MRIで映る”虚血性”と呼ばれる白い「脳のしみ」ひとつとっても、

    「MRIでは映るが”病理(生検)では見えない”」 (生検でもアテにならない)

 

 

 

東大病院では、”診察もせず”(自分の目で見ず)、

すぐ「xx(機械)にかけてみれば?」という言葉を聞く(完全なる検査だのみ)

その「機械頼みの検査」がアテにならないとき、どこが「エビデンス・ベースト」なのか。

そんなもんで生死を判断されたら、患者はたまったものではない。

 

 

 


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