以下、自らは医者に(血液検査に以上が出ないから)「死んでもよい」「死体が出たら信じる」と言われ続け、

医者のせいで、おびただしい数の友人を失った人間が知る”実態”である。

 

医者が「エビデントベースト医療」をかかげ「検査」ばかり信じ「患者の訴え」(言葉)を聞かないことにより、

日本のみならず、世界中で同じことが延々と起きている。(医療は誰のものなのか)

 

-----特に、日本は医者に「さま」をつけるほど特別扱いする社会風習があり、「検査に異常がありません」「ストレス」

「気のせい」と医者から言われたことのない人はいないほどで、日本(特に東京)の”内科医”の臨床技術低下は目に余る。

また、既に世界が経験したことのない超少子高齢化社会に突入しており、その弊害は、他の先進国のものとはレベルが違う---

 

行きがかり上、同業者にも通知する必要性が起き(最下述・黒背景)、専門分野の内容が入るが、

1)「”慢性疲労症候群”という病名を持つ」、2)「”炎症反応(CRP)が上昇しない”」ために起きる『現実』、

および、3)「慢性疲労症候群に関わる疾患の症状」であり、「何が起きるのか」よく読んでほしい。

 

 

 

 ・「CRP(炎症反応)」については、未だに医者は「感染症や全身性炎症があれば”絶対に”上昇する」と頼りきっているが、

 2004年、結核予防会(結核に特化した感染症の専門家)は「信頼性に欠く」と指摘している--- 肺結核における炎症反応の意義 --。

 慢性疲労症候群のような自己免疫疾患の患者では「実際に全身性炎症があるにも関わらず”CRP陰性”」は多い。

 (「炎症反応との食い違い」は医者が考えているよりはるかに頻繁に起きている)

 「CRP(炎症反応)」は自治体の検診にも使われている「ごく一般的な血液検査」で、検査結果で「CRP」(炎症反応)が

 上昇していなければ、医者は「何でもありませんね」という。

 「信頼性に欠く血液検査」で病気を見落とされては、患者はたまったものではない。

 ”今この瞬間”にも「炎症反応(CRP)が上昇していないので何もありません」「気のせいです」の犠牲者が出ている。

 

 

 ・「慢性疲労症候群」に関しては、日本では”自己免疫疾患”に分類されているが、患者数の多い「誰でもかかりうる病気」であり、

   決して人ごとではなく、医者・患者に関わらず、このページを読んでいる「あなた」の問題であることを留意してほしい。

   日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

・ 子供の慢性疲労症候群は、医者の理解がない限り学校や周囲の理解を得られず、非常に難しい人生となる。

  (小児発症の場合、「早期発見・早期治療」で、健常者と同じ人生を送ることができる確率が高くなる)

 

 

 

 


 

  Co-Cure-Japanは、「慢性疲労症候群」と「その関連疾患」に特化したウェブサイトであり

「内科」の医者が論点となっている。

 

 

  慢性疲労症候群は

「筋痛性脳脊髄炎」という病名に改名しようとする患者活動があるほど脳神経症状が知られているが

「脳脊髄炎」(神原性疾患)としては受け入れられていない。

----慢性疲労症候群と同じ「膠原病類縁疾患」(自己免疫疾患)であるベーチェット病など、

他の「血管炎」に属する「画像に映らない」神経症状は”血管の炎症”が起因となる----

 

倉常らの「脳脊髄炎説」(神原性説)は「全身性炎症があるのにCRPが陰性だから」(全身性炎症があれば

「CRP」が陽性になるハズなのに、陽性にならないから「脳」に原因がある)という考えに基づいており、

「全身性炎症があってもCRPは上昇しないことが多々ある」という”事実”に基づいたものではない

 

 

一般的に脳神経の症状は「一度発症すると戻らない」と言われているが

  Co-Cure-Japanは、(軽度)高次機能障害の症状が「15歳」から出ていたにも関わらず、

病気と知らず 「小児発症」が幸いし(死に物狂いでナントカしようと必死で工夫する習慣--コツ---)、

 米・日の著名な物理学者達から「物理へ転科」を熱心に進められたほど「使い方」に長け、

(一緒に薬の副作用の「ダブルブラインドスタディ」の実験をした州立ワシントン大教授・東大客員教授Prof. Celoupka,

 京大物理卒(湯川弟子)・千葉工大教授・故重光胖先生(亡くなる昨年まで親交が深かった)、および故糸川英夫先生

糸川先生には「僕のピアノをあげるから是非手伝って」と名刺まで作って頂いた。数々の頂いた手紙を提出できる)

----いずれの先生方も「物理みたいなもんは自習で出来る」とユークリッド原論、ファインマン物理全巻(英語)や数々の教科書を頂いた----

 

ステロイド筋炎で手足ブラブラになってからも、

継続服用による新たな筋炎や次々に起きる原疾患による症状・障害に悪戦苦闘しつつ

10年かけて以前より高レベルに戻した人間によって管理されている。

 

----------医者から「頭がおかしい」の「精神力がどうこう」言われる筋合いはない------------

(東大膠原病内科出身者とその取り巻きが言いふらすような高次脳機能障害のレベルであれば東京芸大は入学出来ない)

何度も伝えるが「税金で成り立っている学校」である。

たとえ附属の生徒であっても同校入試はエスカレーター式「ではない」

(センター試験・実技ともに「一般受験生と全く同じ条件」)

 

 

私立であれ国立であれ音楽(演奏)の道へ進むには幼少時から長時間にわたる厳しい技術習得訓練の継続から始まり

一般に想像しうる努力では出来ない。

架空(漫画)やふざけた医学部と一緒にしないでほしい。

なお、上記国立大学・楽理科には東大を含め国内の大学から留学生が多いことを記しておく。

(音楽家だからという理由で東大の一学部ごときから馬鹿扱いされる筋合いもない)

 

 

 

 

『病気の症状』は、基本、”努力””工夫”「みたいなもん」でどうこうなるものではない。

(変わらない部分は変わらない。壊れたものは二度と戻らない。進行は止められない。人間みな死ぬ)

それでも「工夫次第」で”ナントカなる部分”も大きいを覚えていてほしい。

----------医者に「一生xx出来ない」といわれたら、まず”内心”「あほか」と言ってみることである---------

首をかしげながらでよい。

「生まれた時から出来ていた人間はいない」と切り替え、あれこれ頭で考えず、とにかく「やってみる」「続けてみる」

 

さっさと過去の自分は捨て・諦め・抹殺して、「新しく創る」

(「馬鹿のススメ」・・・賢い人には気の毒にも”馬鹿の壁”とやらがあるらしい) 

15歳から重度の症状を抱えながら約40年間も医者に「病気」と認められず「治療」もしてもらえず嘘つき扱いされ「死んでもいい」と言われ続けた人生は

「馬鹿」になるのが簡単・当たり前、”便利”でよい。

 

 



 

「医者」にぶち壊された人生ほど馬鹿げたものはない。戦争に翻弄されるより馬鹿げているかもしれない。

馬鹿げた「医者・医学」に殆どの人生を振り回された患者は「まだ生きているほうが不自然」であることくらい、

一般社会の人間なら誰でも見当がつく。

「何十年も前」「とっくの昔に」死んでいた人間であることくらい、一般社会の人間なら誰でも見当がつく。

(何のために「まだ」生きているのか)

日本では、「医者にはわからない」。

殆どの日本の医者は「生物」は知っていても「人間」を知らない。

いろんな人間がいろんな決意を持って生きている。どれが正解ということはない。

昨今の医者は、人間を「知っている”つもり”」が非常に多いように感じる。

 

 

 

米国時代、世界的著名な医師・看護師夫妻(ドイツで8代続く医師の家柄(8代目)・「著名な小児科医・血清学者」で

世界的に有名な"Kirby-Bauer Method"のDr. Bauer(故)。夫人はアメリカから招聘され同国で「ホスピス」の概念を教えた

著名なホスピス専門の看護師でオランダ貴族・前ユリアナ女王の依頼により王室で一緒に暮らし3人の王子(現王を含む)

を育てた経験の持ち主)、を「両親」に持ち、同夫妻と一緒に暮らす中、日々、空気のように「医療」(ヨーロッパ精神)を

”呼吸”していた人間にとって、「日本の医者の精神」は、ただただ呆れることがばかりである。

 

 

「 日本の医療」には、ヨーロッパ社会に空気のように存在する「目にはみえないが、目に見えるものの”土台”となる”精神”」

が全く存在しない。 (西洋の場合)医療者の背後にはくっきりと「宗教」が見えるが日本には「ない」。

(診察室で医者が「死体が出たら信じる」と患者に言うなど西洋では「ありえない」)

西洋医療にとって最も大切な”土台”となる『患者の尊厳』はかけらも存在せず、『尊厳死』など現実的に存在しない。

「野球とベースボールは違う」といわれるが、医療も同じで、”土台”のない「上っ面の真似ごと」では、同じ”西洋医療”

といえども 「似て非なるもの」としか表現しようがない。”こんなもん”は「医療」とは言えない。

(訴訟が増えたといってもアメリカほどの規模ではなく、比較した場合、日本では「雀の涙」であるにもかかわらず、

自分の目と感覚で しっかり相手の人間性を見抜く力はなく周囲の言いなり。沢山の人間を見ている医者とは思えない)

 

 

■関東には専門外であるにも関わらず、血管炎研究班班長の手紙を持参しても「信じない」内科医が「まだ」存在する。

  予想してはいたが「生きる気をなくした」。  患者を信じられない医者は、同僚は守れても、患者は守れない

 

 

 

小児科時代から発病して治療方法がない以上「生きている限り(どこに行っても)医者と接することが避けられない人生」。

「出来るとき、出来ることを、出来るだけ」のボランティアと同じく、(自分にとって)「必要なとき、必要なことを、必要なだけ」

生きる。 それ以上のものはない。

(15歳で発症して約40年経過し、「未だにその患者を疑う医者だらけ」の世の中に長居したい人間がいるだろうか?

「元気そうな病人」に対して文句ばかり言う「人間の集まり」(社会)の中で長居したい馬鹿がいるだろうか?)

 

 

 

”間接的”に計っている「自分の期限」は、医者の言葉を聴く限り近くなっているようである(二言目には「トシ」「体力」etc)。

「未だに」患者を疑う医者により、自分の人生が”想像を超えて遥かに”「馬鹿げたもの」であることは明白となった。よくわかった。

日本は、炎症反応が上昇しないまま激しい全身性炎症を起こすことについて「死体が出れば信じる」「東大病院に長く入院

していたいから作り話をしている」と患者に言い切る内科医達が大学病院で「教授」(教育者)としてまかり通る国である。

これ以上、あらゆる職種の中で「最も」幼稚で馬鹿げた職種の人間とは、可能な限り接点を持ちたくない。

約40年我慢した。 その間、日本風に「良いように」解釈し「感謝」し続けた。結局、何も変わらず今後も変わろうともしない。

いつまでも同じことを繰り返す、この世で最も下らない連中と自分のために「患者として出来る限りの努力」は尽くしたことを

特記しておく。40年間である。(短いとは言わせない)

 

 

 

どの患者にも「なすべきこと」がある。

「自分にとって必要な現実」が存在する期間は自分に集中したい。自分の体調がもつ間はこれまでどおり精一杯の工夫・

努力を続け、 とっくの昔に死んだ人間としてのプライドをかけ「自分しか出来ないこと」として「恩師との約束」に専念したい。

 

 

 

「二度」の延期はない:今の体調は、もはや延期を決意した1991年(米国)当時のものとは全く異なり、些細なストレスでも

大きく再燃する。 事前の無理もたたり呼吸器症状が出てPSL増量中であったにも関わらず、「たった1週間、本人に多少

手伝って貰える程度の介護サポート」で、帰宅翌日から歩けなくなるほど体調激変。(腸管症状:強い回盲部痛と狭窄、

全身の紫斑と繰り返す粘膜下広範囲にわたる血腫とその後の潰瘍、および「全身」の粘膜の荒れ。寝込むほどの異様な疲れ)

普段PSLの増量で改善されるが、今回は、増量しても歩けるようになったのみで、症状はなかなか治まらない。

経験したことのないほどの悪化により寝込むだけではなく立っているだけで冷や汗がでるほど「しんどい」。

外来でほぼギリギリの免疫抑制をしているにも関わらずである。

医者が考えるような親子の愛情みたいなものではない。自分の寿命は親の健康寿命にかかっている(心身ストレス)。

点検程度の来客で、2〜3週間寝込むほどの体力しかない人間にとって、同居者の介護は、たとえ手伝い程度であっても、

自分の命にかかわる。国指定難病を2つ抱えるというのはそう簡単なものではない。

 

 

 

 親の病気の「再発」は「あってはならない」 (通常のように「トシだから仕方ない」では”済まされない”)

 自らの病気の急激な悪化と共に、全く気の休まらない日々の「気遣い」「ストレスの積み重ね」は限界に達している。

 誰もが驚くほど元気だった自分の介護者を発病させた東京の内科医に対する怒りは水に流せるものではない。

 これは過去の出来事ではない。「現在の生活」を著しく困難にせしめた、患者と家族の寿命に関わる 

 最近(2年前)の出来事である。

 

 

  -----「医者」であれば「長患いの病人と介護者に過剰なストレスを与えたらどうなるか」予測できる。

  ”15歳発症からの詳細”は、紹介者である順天堂大学医学部名誉教授から送られており「詳細は読んでいた」。

  (北里大学名誉教授・膠原病内科・廣畑、診察日の朝には順天堂名誉教授(膠原病内科)から廣畑に電話まで入って

  いたが「診察室では九州の主治医からの紹介状は読まない、患者の話も家族の話も聞かない、検査もしない。

  自分の”趣味の”音楽の話を1時間30分」)

   医者なら順天堂名誉教授から送付された資料で患者が「病気であること」(健康体ではない)ことくらい見当がつく。 

  医者であるからこそ「殺人行為」とも言える----

 

 

  論点は、廣畑(東大膠原病内科卒)が、患者の東大病院入院中の担当医および教授(--東大病院”入院中一貫して

  CRP(炎症反応)陰性”を確認した上「再発性多発性軟骨炎」の診断を下した同校同科出身者:山本・駒形・川畑・藤尾--)

  と密に連絡をとっていたにも関わらず「その事実を信じられなかった」。東大病院入院中の担当医達は「なぜ廣畑に

  ”知っている事実”を伝えなかったのか」。

  東大は患者を入院させて再発性多発性軟骨炎の診断を下した大学病院の一つであり、患者にストレスをかけることで

  「何が起きるか」誰よりも知っていたのは「東大病院入院中の主治医達」である。

  山本・駒形・川畑および藤尾に尋ねる。「どういうことなのか」。

  ----2006年当時、入院中は「多角的に診るため”月一回担当が変わる”」システムを持っていた東大病院入院中、

  患者に「作り話をしている」と言ったのは現・聖マリアンナ膠原病内科教授の「川畑」である。この問題発言、および、

  患者の許可なく勝手に消化器内科の予約を取り消した事実etc.に対し、患者が看護師長立会でミーティング(事実確認)

  を要求(川畑が指導医時代の医者を含め東大側4人、合計5人)。

  まったく話にならない川畑に患者が「即刻退院要求」を出したのは当時の関係者は知っており、誰でも説明できる。

  ましてや、山本(当時教授・東大膠原病内科責任者)は廣畑の「先輩」である。廣畑に、患者の「CRP陰性」について

  説明する機会はいくらでもあった。(東大医学部の上下関係は誰もがよく知るところである)----

 

  山本自身、東京の大学病院に宛てた紹介状の内容には正直に書き”地方に宛てた紹介状には不正確な内容を書く。

  上述以外の弟子には「どうせ私立は大したことが出来ないのだから」というのがいた。

  山本以下その弟子達に問う。「東大だから何でも通用する」というのか。それが「最高峰」の考え方か。

 

  ・・鹿児島では自分たちのことより親戚の世話、東京に戻ることとなり遠距離引越で無理をした結果、「先祖の永代供養

  より自分の戒名がほしい」と連呼していたほど悪調で東京に戻ってからは「東京」の内科医達によるストレス、その

  ストレスが原因となった親の発症後の自分の体調(乱不調)はこれまで経験したことのないものばかりでどうしようもなく

  本当に困り果てている。日々の生活で精いっぱい。込み入ったことを医者に相談する体力がない。

  いくら「子供のころから病気慣れしている」といっても限度がある。

  ----東京に戻ってから「相が一変した」(非常に強い頭痛が出るとき上下肢に加えて胴に点状出血、ほか)

  眼の症状など外科系の医師たちの奮闘でもどうにもならない。時計を巻き戻してほしい----

  慢性疲労症候群の友人達も医者や行政・社会(人間)の強烈な嫌がらせにより沢山死んだことを覚えていてほしい。

 

  患者だけでなく元気な人間まで病気を発症させた間、東大・膠原病内科出身者達は”ベーチェット”の「診断基準」に

  「CRPが上昇しない場合はベーチェットではない」とか、検査に異常が出ない(既存の検査では異常が出ない)

  病気の一つとして世界的に有名な「再発性多発性軟骨炎」に対して「生検が必要」(生検を伴わない診断は怪しい)とか、

  自分達に都合の良いよう「勝手な一文」を付け加えるなど全国の患者・医師に迷惑をかけることばかり。

  医者として何をやっているのか。

 

 

    (世界中どこにも”再発性多発性軟骨炎の診断基準”に「生検が必要」という文言は存在”しない”。「再発性多発性軟骨炎」

    の総患者数は白人が圧倒的に多く、患者数の少ない日本が、何を根拠に、いきなり”診断基準”に「生検」を持ち出して

    きたのか尋ねる--再発性多発性軟骨炎の生検は「タイミング」が必要(炎症のなれの果て(変形)をいくら生検しても意味がない)

    医科学者でありながら「病理」を”絶対視”しているのであろうが、「どの病気の病理検査も100%はない」---

    また、再三指摘しているように「CRP」は「信頼に欠く検査」である。

 

 

  東大・同科卒先輩たちの指摘どおり、「臨床が苦手な教授」が教えていた為(前任・山本)、日本の「膠原病内科のルールを

  作っている東大膠原病内科卒」たちは”臨床”を学んでいない(知らない)。

  そのため、自分達で下した診断でさえ自信を持てないのであろうが、日本のルールを作る立場にあるなら、実態をみよう

  ともせず、いつまでも「自分たちの都合のよいよう診断基準を書きかえて辻褄合わせを繰り返すこと」で、「全国の患者に

  迷惑をかける行為」は即刻やめ、最高学府”に関わる「臨床家」として、外科系医師達同様、「患者の役に立つこと」を

  死に物狂いで考えてほしい。

 

 

  ---現在”地位”のある東大膠原病内科卒の医者達は何のために医者をしているのか。

    「医者に都合のよいことをでっちあげるため」に医者をしているのか。これは氷山の一角である。

     「東大傘下」にある関東の膠原病内科医達は馬鹿げた事に振り回されないでほしい---

 

 

 


 

 

    <地方の医師たちへ:東大病院・膠原病内科の診断について>

    都内の有名大学病院膠原病内科で東大膠原病内科に振り回されているのは日大板橋だけである

    (東京に戻って親の発症中順天堂に入院したが診断は変わらず(2017)。東京女子医大(現・血管炎班長)でも診断は変わらず(2018))

    東大など「全く影響力のない」西日本・九州でも変わらず---

 

 


 

 

 

今後、あらゆる面で「延期する理由もない」

(2016年東京に戻った途端、内科医達による激しいストレスを受け急激に病状悪化。もはや「寿命」の域に達している)。

”医者”と付き合わざるをえないことが解っていて「その気もない」。

約40年”待った”。人間には体力的限界とともに「尊厳死」というものがある。

だらだら生きていればよいというものではない。ひたすら恩師との「約束」を果たす時間のあることを心より願う。

 

 

  全ては「終わった」

  ------手術は成功しても、些細な変化ではあるが、今後は、最も負担をかけてはいけない壊れっぷりの激しいところへの

  負担が増え、ますます自分の病気治療の時間は削らなければならない。日ごろの「無理」も避けられなくなり、自分の持ち

  時間を短縮させることになる。病人にとっては「些細な変化」が圧倒的に重くのしかかる。

  ひっきりなしに「声掛け」を必要とする散歩では(自分が骨折するほど)一切気が抜けない。「健康体」にとって何ということ

  のない負担であってもそれほど原疾患の具合が悪い。気の持ちよう云々の問題ではなく「現実」である----

 

 

  ひときわ元気そうに見えるであろう。子供の頃から千人規模の舞台で演奏し続けてきた人間は、医者を含め、会う人々

  すべてが「客」にしか見えておらず(少しでも楽しんで頂かないと)、病院で一人の時でもない限り、疲れた姿は見せない。

  3歳から叩き込まれた「職業病」で医者から非難されたくない。

 

 

    ・・・入院時はもっと元気そうに見える:上記「職業病」に加え、「検査に異常が出ない」という理由で患者を疑う医者に

    囲まれることとなり、「無事」退院するまでの恐怖とストレスたるや尋常ではない---慢性疲労症候群サポート・ボランティア

    仲間の友人達の中には、「入院中、医者が患者の訴えを無視した為に死亡した」患者達が多い。

    (「軽い検査入院」でも同様のことが起きて死亡した)

 

 

 


 

※覚えていてほしい。シドニー・モーニング・ヘラルド紙に掲載された「アリソン・ハンターさん もかつてそうであったように

慢性疲労症候群の「小児発症」は、「検査に異常が出ないから”気のせい”」「精神的なもの」と医者から言われ続ける。

慢性疲労症候群の子供は医者から非難されたくないので必死で「元気」を装う。(医者から「精神的云々」と言われるとき

医者は必ず「親」まで「育て方が悪い」と非難するので、子供は文字通り「必死」)

小児の段階から医者(大人)の目の前で「必死で元気に装う」習慣がある人間に対して、今になって(数十年後)

「病人らしくふるまえ」と言われても「無理な話」である。(医者・他人に対する警戒心は一生解けない)

「元気そうに”見せる”」ことを含め、すべては「医者」が土台になっていることを忘れないでほしい。

(検査結果に異常がないから)「熱があるなら南極へ行け」と言っていたではないか。覚えがないとは言わせない。

慢性疲労症候群の場合、特に子供は、どれだけ医者の無知・無理解のせいで犠牲になっているか

どの医者も”慢性疲労症候群”は「検査に異常がないから”気のせい”」と言い張る為、学校へ「具合が悪い」と伝えたら

「罰則」を課せられる、など。40年経過した”今”も「慢性疲労症候群は心療内科領域」だとか。全く同じことが続いている。

 

 

       ・慢性疲労症候群は、患者数も多く「誰でもかかりうる疾患」である。

       ・日本では「自己免疫疾患」(膠原病類縁疾患)に分類されている。

       ・多くの自己免疫疾患と同じく通常の血液検査では異常が出ない。

        日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

      小児発症の場合、「早期発見・早期治療」で、多くは、健常者と変わらぬ人生を送ることが出来る。

      手遅れの患者の多くは、ほかの自己免疫疾患をはじめとする「免疫性疾患」を多発することが多い。

      患者数が多く、誰でもかかるる病気であるため、大人も子供も「早期発見・早期治療」が必要である。

      「40年待った」。一日も早く「診療体制」を整えてほしい

 

 

 

 


 

 

 

  内耳出血を起こし飛行機が使えない以上、来日時、狭い拙宅に泊まって頂いた上述ご夫妻(未だ親交のある夫人・

  現在オランダ在住)や帰国後10年間「誰のために日本に来ていると思っているのか」と日本に教えにきてくださった

  米国時代の恩師・恩師夫人(いずれもヨーロッパ出身。今でも毎日連絡)、当時の共演者(バイオリニスト、バルトーク

  と同じ船で渡米した生粋のウィーンっ子。若い頃何度も「ソリスト」として来日したヨーロッパの古き良き時代の名人。

  年齢による身体の衰えなど平然と乗り切るタフな演奏家であったが数年前に”引退”)にも二度とお目にかかることはできない。

 

  ・・・演奏家には「身体的限界」がある。東大膠原病内科卒を中心とする関東の膠原病内科医達が「炎症反応(CRP)が

  上昇しないから認めない」といつまでも堂々巡りしている間に、あっという間に「時間切れ」となった。

 

 

  人間には「寿命」がある。時間が限られている。関東の膠原病内科医達の中には「まだ」同じことをやっている内科医達がいる。

  医者でありながら人間に”寿命”があることさえ知らないのか。米国から帰国後約30年間「炎症反応(CRP)が上昇しないから」

  という理由で「治療しなかった」だけではなく、西日本から東京に戻った”2年前〜”も同じことが起きた。炎症反応が上昇しない

  現象は膠原病内科疾患のような「免疫疾患」にはよくある。ましてや「炎症反応(CRP)」については2004年、結核予防会が

  「信頼性に欠く」と発表している(誰にでも起きている--- 肺結核における炎症反応の意義 --)。

  「炎症反応(CRP)が”上昇しなければならない根拠”」と「炎症反応(CRP)が”絶対でなければならない根拠”」を示してほしい

 

 

 個々驚くほど多彩な色彩で輝いていた沢山の友人達は皆亡くなり、あまりにも偉大な先生方亡きあとは「つまらなくなった」。

 ----恩師との約束は果たすが----、社会と共有したいものなども「ない」。もう一度会いたい人間など誰一人もいない。

 

 


 

 

   医学界でも、帰国後20年以上にわたり、普段は電報のような短い電話で報告・何もかも相談し、時には「先生の教育が

   悪いから医学界がおかしくなった」など”今”の医療現場に対するいら立ちを伝え喧嘩しながらも、(僕一所懸命育て

   たつもりやがなあ・・・)、「誰もあんたの言うことを本気にしとらんがな」と懸命に「東京の医者探し」のため御尽力

   下さった濱島義弘先生 (京大名誉教授・病理・免疫)も亡くなっている。

   (京都に戻られた後、亡くなる2013年までお世話になった。濱島先生ほど好奇心旺盛、かつ、真実探究に対して”気迫”を

   持った医科学者にはお目にかかったことはない。2000年前半には「トリガー」(個々患者によって異なる)まで正確に御指摘

   のあと亡くなられたが、「患者思い」で「真相を突き止めるまで絶対に緩まぬ好奇心」をもつ凄い先生であった)

   「軍医」も務められており立派な「臨床医」でもあった。御専門の医学だけではなく、日本の医学界には大変珍しい

   規模の大きな御存在であった。濱島先生と一緒に「真実」に迫った緊張感のある20数年は本当に面白かった。

   ※1990年代前半(帰国直後)、東京で「15歳からの長い病歴詳細について」、まるで尋問のような?、濱島先生の厳しい

   聴取が受けたことを特記しておく(母子から聴取。1.5時間)。普段、腰の低い大人しいお人柄が「医学に関わる話題」と

   なった途端「豹変」。その"迫力"に、母子、そしてその場にいた人と共に大変驚いたことをよく覚えている。

   聴取内容は、一切無駄のない見事なもので、非常に感激したことも、覚えている。

   (その時1回聴取で「何が起きたか」ほぼ把握しておられた)・・・・東京の内科医は40年間「堂々巡り」している

   専門分野の故・恩師がお元気な頃、話を聞いた恩師から頼まれ濱島先生を御紹介したこともを思い出される。

 

 

 

  救急を要する症状(呼吸器)を抱えるため、緊急時を考え、わざわざ「濱島先生がかつて教えていた日大板橋」の近くを選んで鹿児島から

  引越したが、(科は違うが前任の膠原病内科教授は濱島先生を大変尊敬する弟子)、現・膠原病内科教授・武井が「ガリウムシンチなど

  ”検査”で異常が出なければ炎症と”認めない”」「”臨床の先生”の言うことは全く”信じられない”」と診察室で言い切る医者とは考えもしなかった。

   また、2006年当時、東大膠原病内科が「どうせ私立は大したことができないから」と言って書いた”日大板橋・呼吸器内科宛の「情報提供」

  (入院中の詳細)に対し、前任の呼吸器内科・赤柴教授は「東大の言っていることは正しいですか」と一言一句、読み合わせを入れたほど

  しっかりした頼りになる病院だったが、膠原病内科・呼吸器内科ともに「今の日大板橋」からは全く考えられない。

   日大板橋の立地する板橋区医師会が「北里大学で全身のデータをとってからでないと”開業医を紹介してやらない”」と患者に伝えるなど

   呆れてものも言えないどころか、ただただ「非常にくだらない」。このストレスで自らは悪化・親は発病。なんだこれは。

  人の命より「炎症反応(CRP))」なのか。何が「炎症反応(CRP)]だ。  

 

 

 

 



 

   ・・・一緒に演奏したい人間もいない。「古き良き時代のヨーロッパの名人」と同じ演奏ができる演奏家などこの世にいない。

   まだ人並み以上に弾けるが、「アンサンブル」に関しては、(ごく簡単なもの以外)、治療の遅れと病気の進行、および、

   薬の副作用(手足ブラブラ後)で初見など大切な能力を失い、優秀な外科医同様、引く手あまた、いくらでも稼げた人間が

   「出来なくなった」・・・これを医者は「些細なこと」と呼ぶのか。

   友人たちは皆「検査に異常が出ないから」「病気と認めない」という”医者の都合”で亡くなった。

   医者仲間に同じことが起きたらどう感じるのか、答えろ。

 

 

 「楽しい」とか「楽しくない」など表面上の問題ではない。

 (楽しみなら持っている。一生到達しえない”有史以来”の先人達と比較し訓練する毎日は幼少からの習癖であり、

 「修行」という意味でとても”面白い”)

 


 なんでも「水に流す」日本ではどうだか知らないが、自分の専門分野だけでなく「医療(命)」という面からも

 ヨーロッパ精神を吸収してきた人間は、”命に関わる重要なこと”まで水に流すような「だらしない」ことは絶対にしない、

 と同時に、(患者の)「尊厳」というものを何より大切にする。人間には自分の命に対する「権利」がある。

 

 

 


 

 

 

世界中の”医者”が、患者の言葉を信じず「検査」ばかり振り回したことが原因で、おびただしい数の「犠牲者(死亡)」が出た

”慢性疲労症候群”の患者の一人として、このような馬鹿げた社会を二度と作らないでほしいと、ひたすら願うばかりである。

 

 

”医者の勝手”、「検査が正常だから」「信じない」という理由により、必要な治療も受けられず亡くなった彼・彼女らは、

生前と同じ輝きと死後の静けさをもって、世界中の「あなた」(医者)を見ていることを忘れないでほしい。

その後も犠牲者は増えている。静かに彼・彼女らの声に耳を傾けてほしい。 死亡者リスト(2003年) 

 

 

もう一度伝える。

「CRP(炎症反応)過信」最大の犠牲になっている「慢性疲労症候群」は深刻な免疫疾患である。

「誰でもかかる病気」で、非常にすそ野が広く、”社会として”無視できる疾患ではない。

---感染症ではない。多くは「他の自己免疫疾患と同じく」インフルエンザを含め何らかの感染症後発症することが多い--

"慢性疲労症候群"は、日本では「膠原病類似疾患=自己免疫疾患」に分類されており病名と裏腹に大変深刻な病態である

*日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

 

※"日本では"「慢性疲労症候群」だけではなく「ベーチェット病」や「再発性多発性軟骨炎」といった”国指定難病”

 でも「検査結果最優先」「患者無視」が臨床医療現場で起きており、全国の患者達が大変な迷惑を被っている。

 

 

 

※「CRP(炎症反応)」は、自治体の健診でも使われている「ごく一般的な血液検査の一つ」。

 ---CRPの値が上昇するか否か”だけ”で、「感染症」など「炎症性疾患の有無」を判断されてしまう---

 「全身性炎症疾患に罹っているにも関わらず"CRP(炎症反応)陰性"」は、上記「自己免疫疾患」だけの現象でなく、

 2004年、結核予防会が「CRP(炎症反応)は信頼性に欠く」と指摘している。-- 肺結核における炎症反応の意義 --

  「CRPが上昇しなければ全身性炎症疾患は存在しない」とする”医学界の常識”は、人類における極めて深刻な問題であり

 数えきれないほどの犠牲者を出している。

 

 

※海外は議論している時間があるのかもしれないが、日本では、医者が「CRP(炎症反応)」だけに頼って、

 患者を無視し、病気の見落としを続けている余裕はない(炎症物質はCRPだけではない)

 

 

 

医師・患者に関わらず「炎症反応」および「慢性疲労症候群」は、今このページを読んでいる「あなた」の問題である。

 


 

 

 

「外科手術を受ける患者・家族」と同じくらい、医者が患者を信用してくれれば、「慢性疲労症候群の犠牲者(死亡者)」は

出なかった。 患者の言葉を信じる”力”のない医者達はいつまでも患者を信じることが「出来ない」

(いつまでも検査結果と数値ばかり信じる)

 

 

 

「西日本医療はいい加減だから」と東大出の膠原病内科医(北里大名誉教授)は言った。

約40年関東内科医療に深く関わってきたが、「検査結果絶対」は、東京だけではなく”関東全域”の問題である。

西日本では、昨今の「患者を無視した極端なエビデントベースト医療」に対して疑問を持つ医師が非常に多いが、

関東は相変わらず 変わる気配もない。 日本のために「出来るところから」進めてほしい。

患者は「検査絶対」の医者に付き合っている暇はない。

 

 

 

  外科手術の場合、患者と家族は、”数値”より「執刀医の勘」を”命がけで”信じる。

  患者本人だけでなく「家族の命」”も”かかっている場合でさえ、家族は「自分の命を捨てて」執刀医の「勘」を信じる。

  「命」のかかった場面で、執刀医の”確率”を使った説明に多少疑問があっても、「数値より執刀医の勘」を、なお、

  「信じる」のは、とてつもない「精神力」を要する。

  患者と家族に「とてつもない精神力」を強いるのが「外科医」である。(だからこそ、患者・家族は「外科医を選ぶ」)

 

 

   内科医とて同じである。

   専門分野で経験豊かな医師が「検査の数値がどうであれ」、患者の訴えと所見(検査参考・診断基準は満たす)で診断を

  下した場合、 「その医師」しか解らない部分がある。検査結果がそろわなくとも「複数の”ベテラン専門医”」が診て

  (場所が変わっても) どうしても「同じ結論」が出るときは「それ」と考えなければならない。

  ---物理分野でいう「再現性あり」の逆さ版である---

   昨今では、外科に対しては「執刀医が現場で判断するときは、その先生しか解らないことがあるから」という理由で、

   2000例の経験を持つ外科医の判断に反対する内科医は、---たとえ脳神経内科医でも---「いない」。

  一方、内科では、日本を代表するベテラン専門医の診断に対して、いつまでも「生検が必要」とか「検査結果が全て

  揃わなければ”認めない”」云々。

   ”ベテランの内科医”の「経験と勘」は、外科医のものとは違うというのか。外科と内科の差別は一体何なのか。

   同じ「医者」のやっていることである。患者には全く理解出来ないほど矛盾している。

 

 

  また、「病気を経験している」のは「患者」であり医者ではない。(その病気を「経験」している”専門家”は「患者」)。

  手術経験の豊かな外科医の言うことは信じて、病気経験豊かな患者の言うことは信じられないというのは、まったく解せない

  特に希少疾患の場合、「医者にとって」”その病気を患う患者に当たる確率が低い”というだけの話で(単なる医者の問題)、

  その病気を患う患者にとっては「100%」である。「作り話をしている」などと言って「患者の報告を無視する行為」は、

  「臨床医として」、まったく危険極まりないものであることくらい、一般社会に生きる人間ならすぐ気付く。

  (どの病気の患者も、医者に「作り話」を伝えるために、交通費を払い貴重な時間(命)まで削って、通院や入院は「しない」)

   「臨床医の”患者無視”・”検査絶対主義”」は、医者の傲慢以外の何物でもない「大変危険な行為」である。

  「患者無視・検査絶対主義」は膠原病内科に限られた現象ではない。

  司法はいつまで「医者の危険行為」を放置するつもりなのか

 

 

  難しい病気の場合、たとえ内科でも「経験と勘」の働く医者を求めて、患者は医者を選ぶ。

  それを内科医(東京の膠原病内科医)は「患者があちこち行く」と非難する。

   患者を非難する「東京の膠原病内科医」に尋ねる。自分や家族に外科手術が必要なとき外科医を探さないのか。誰でもいいのか。

  膠原病内科系疾患のように「免疫抑制」が主となる専門医の治療は、患者にとって外科手術を受けると同じ位のものであることも

  解らないのか。(主治医のさじ加減。「免疫抑制」である限り、患者の「些細な報告」の聞き逃し・見落としにより、感染症や

  副作用で 患者は簡単に命を落とす。実際、原疾患より「治療薬による感染症合併での死亡数」が増加している。)  

  東京の膠原病内科医の中には「日本全国どこに行っても治療法は同じだから患者が医者を選ぶ必要はない」という医者までいる。

  「臨床」が得意な一部の医師以外、東京の膠原病内科がいかに「患者無視」で「検査」ばかりに頼って診察しているかよく解る。

  (注:「検査結果重視のあまり患者無視」は膠原病内科に限ったことではない)

 

 

 

   医療行為が「技術」である限り、ベテランとそうでない医者の違いは患者の目にも歴然としている。

   「技術的に下手」「才能なし」には、”一生見えない世界”が、厳然と「存在する」。

   学内でも「臨床下手」で有名な東大・膠原病内科(名誉)教授とその弟子たちが「理解」出来る世界では「ない」。

 

 

  ・・・・「膠原病内科医」を探すとき、その医者の患者に「追っかけ」がいるか調べてみるとよい。

  ”希少疾患”を持つ膠原病内科患者は、(世界中どこでも)、「ベテラン医の治療」を受けるため引越をすることが多い。

  あるいは遠距離(国を超えて)でも通う。それほど「難しい」。”既存の検査だけ”で「専門医の資格があれば、たとえ

  臨床下手や 誰にでも理解・治療できる」ような単純、かつ、なまやさしい病気「ではない」。

  (医者探しのための患者・家族の負担たるや想像を絶する。「世界共通」)

 

 

 

   そもそも「病気」とは、人間が永遠に解明出来ない複雑な自然界の出来事であり、人間ごときの作った限界ある機械

   「だけ」で全て解るもの「ではない」。医者の「勘違い」もいい加減にしてもらいたい。何十年繰り返すのか。

 

 

 

 

もう一度言う。「患者を信じられない医者に振り回された人生ほど、馬鹿げた人生はない」

(難しい内科の病気を抱えて、内科医のサポートなしの人生は「成立しない」)

全国の患者の皆様には、どうか、このような馬鹿げた人生を送ることのないよう『自分達の社会の医療』を死守してほしい。

「検査が全てではない」「医療は医者のものではない(患者のもの)」「狭い日本の医療に”西”も”東”もない」

 

 

最期に、医者のせいで「生きること」に馬鹿馬鹿しさを感じている患者さんへ。

「生きる」というのは、生きている間は「病院で名前を連呼され」、死んだら「その瞬間から誰も呼ばなくなる」。

それだけのことである。

頼んでこの世に生まれてきた人間など誰一人いないことを覚えていてほしい。

残念ながら、昨今の日本では、一部を除き、このように感じさせるのが「医者」である。

 

 

頼んだわけではないが一番必要としている人の役に立ったのなら大変幸せな人生であった。

 

 

 

余談であるが、ピアノ科に一言。

15歳から「人並みに練習したい」という気持ちばかりの人生であっただけに、芸高(東京芸大付属)ピアノ科同窓生達のように

学生時代は、実際に10時間も練習していながら「練習していない」と言い続け、今になって、結婚などの事情により

「練習時間がない」など”文句ばかり”言っている人間に対しては「最初からピアノをする資格はない」と言い切る。

そもそもピアノは、あらゆる楽器の中でもっとも練習時間を要するものであり、(通常3歳からスタート。一生のうちで

ほとんどの時間を「練習」に割かなければならず、その時間は他の楽器とはまったく「桁」が違う)、体力的にも

「他の楽器の面倒をみなければならない」など、楽器の中では最も過酷な職業であり、十分練習出来ないままの

人間にとっては「何をふざけているのか」「死ね」ともいいたくなる。

人生の中で「練習出来る時間」は「微妙なバランスを保つことができる奇跡的な”瞬間”」に限られている

・・・・自分の病気だけならナントカ続けられることもあるが、同居者の発病などで家族のサポートを失った途端に

「出来なくなる」。(もともと「介護者」を必要する病気を抱え乍ら、同居者の介助をして、練習をする、というのは、

健康体であっても、時間的・体力的に難しい)。それでもナントカしようと四苦八苦するが「現実」は非常に厳しい。

学生時代はそう感じないだろうが、「練習が出来る時は”奇跡”」と信じ、出来る時に、とにかく練習してほしい。

「長い練習時間を要するから能力がない」の”ではなく”「練習する能力と環境に恵まれていること」に気付いてほしい。

ピアノを離れて社会で働いている人たち(元ピアノ科)も、自分たちは「一にも二にも努力(練習)する種族」

(ピアノ科)であることにプライドを持ち、「最も気難しい」ピアノ科らしく、何ごとにも堂々と努力して突き進んでほしい。

----幼少時から「終始一人」で初めて成り立つピアノに対し、群れて成り立つ他の楽器奏者や"日本の医者"(「音楽が

「癒し」としか見えない)からは全く理解されない職業「それがどうした」。我々は客に対し「横」向きで許される

唯一の楽器である。ハタなどナンボモノモンか----

時間は限られている。「遅すぎる」は”ある”。医者の「検査に異常が出ないから気のせい」はまだ続いている。

時間は能力「以前」の問題。「誰にでも」”その時”は必ず来る。その「前に」死に物狂いで練習してほしい。

理由あってピアノから離れた人たちは、あの退屈な長時間練習に耐えられたことに自信を持って生きてほしい。

(誰もがピアノの練習に耐えられるものではない---キツイ時には「副科ピアノ」を思い出してニヤッとしていればよい)

 

 



”現在”は、どういうものであれ「現実」である以上ナントカしなければならない。

「次」の一歩のために回復しなければならない。まず、付き添い散歩後も寝込む状態をナントカしなければならない。

過去の経験(盗汗、髪の毛の状態など)から推測するに、これ以上PSLの増量で対応するのは避けたい(免疫力が低すぎる)。

病気をコントロールする策がない以上、一日も早く、足の散歩だけでなく「指の散歩」を再開し自分で体調を整えるしかない。

「人生とは、酸素ボンベなしで潜水し続けるようなもの」。15歳の発病で感じたことは約40年経過した今も全く変わらない。

・・・ますます厳しくなっている。体力的な疲労困憊により、ニュースなど見ても「自分が今生きている現実」とは思えないほど

大きな「乖離」を感じるようになっている。その”乖離”はますます大きくなるばかりである。

精神的なものではない。「体力」だけは「どうしようもない」。

骨格系の破壊が主の病気を持つだけに、遅かれ早かれ、いきなり「終わり」を覚悟しつつ、

(一旦悪化すると、自分で知りうるあらゆる手段を講じつつ、待つしかない。運が良ければ「次のゼロから立て直し」がある)

 

 

 ・・・・体調は立ち直るどころか「ますます崩れる」。腸管狭窄を抱えて非常に難しいが食餌療法は手を尽くしている。

 良策がないため見切り発車で”練習”してみるしかない。なんとかバランスを取り戻してくれることを祈る。

 この場を借りて、これまで色々な方法を教えて下さった方々に感謝を伝える。

 

 (ピアノは楽器の中でパイプオルガンに次ぎ最も酸素を消費する「有酸素運動」。「姿勢維持」(背筋・握力強化)にも役立つ。

 「音階」など基礎だけでよい。かつて本格的に訓練したことある人は健康な人も「体調維持」の為に”使う”ことをお勧めする)

  ---治療法がない病気の場合「ナンデモ」使う。(骨格系の病気の場合”楽器リハビリ”は「壊す」。上手く使ってほしい)

 「自分のための」有酸素運動が難しい場合(付き添い外出・通院で精いっぱい)、医者から見て「常識ハズレ」のリハビリであっても

 自分で工夫してナンデモ総動員して駆使する。(日常の何もかもが「リハビリ」以外の何ものでもない)。

 ただし何をやっても病気の進行は止まらない。「病気」を「羨ましい」と言った同僚がいたが病気とはそういうものである--

 

 

医者が変わらない限り患者の人生は変わりようがない。”今更”変わってもらっても「遅すぎる」ケースは数限りなく存在する。

「医者」なら、自分たちの都合「ではなく」、“患者のために”、いつまでも「根拠なく」ひとつのことに固執することはやめ、

さっさと変わってほしい。物理でも「変わる」。生物のような複雑な分野で何をやっているのか。

何故「患者の症状・訴え」より”検査結果”なのか (「検査に異常がないから何でもないですよ」とはどういうことだ)

医者は「検査会社の僕」か。いったい”何”(誰)のための医療なのか。

 

 

手術を受けた患者とその家族は、「転倒などで、執刀医の”芸術作品”を壊したら、揃って腹切りをすることになるぞ」

と 声をかけながら「血流改善」を第一に心がけ、どんな体調であっても日々欠かすことなく歩いている。

執刀医は「患者と家族の”覚悟”」と、何より「感謝」を知ってほしい。

物心ついたときから一生かけて鍛練してもなお完成することのありえない分野に生きる人間は「他人の”作品”」

を大切にする。「ちょっとしたこと」であっても、命がけで真剣に生きている患者や家族がいることも覚えていてほしい。

「手術後は一つ一つ”経過”と考えはどうか」とアドヴァイスをくれた薬剤師さんがいた。

(最悪のことが起きても)「仕方ない」という考えは現実的に許容できないものではあるが(2人分の命、これ以上

一歩も下がることは許されない)、この助言は有難かった。

 

今後、前述の「最もかけてはいけない部分への決定的な負担」(介護者の”病気の特質上”致命的となる負担)

を上回る「良いこと」が起きるかもしれない。「始まった」ことを祈る。

 

 

 

・・・・このように「終わった」のか「始まった」のかわからない複雑怪奇なものが「医療の最前線」である。

何が「”検査”絶対」か。医療現場に”絶対”(〜でなければならない)は「あり得ない」。

単純馬鹿も休み休みにしてほしい。

 

 

 

 

*「患者無視・検査重視の過ち」、「信頼性に欠く炎症反応(CRP)」、そして「慢性疲労症候群」については、

今すぐ、医者がしっかり認めて変えていかなければならない問題である。

子供の頃から医者の迷惑ばかり被り続け大変具合の悪い患者は、命を削って「伝えた」(“患者の責任”は果たしている)

「慢性疲労症候群の権威」とか言われている”倉常”は、かつて「具合が悪ければやめればいい」と言ったが、

生きている人間すべての「命」がかかっている問題を黙って見ているわけにいかず、見かねて伝えた。

いい加減「患者任せ」はやめてほしい。

(東京は「CRP一辺倒」「聞く耳持たぬ」を貫き"一切認めなかった"が、京大関係では10年以上前から「CRP」などアテにしていなかった)

----すべては「医者」の問題ではないか。いつまで患者に過剰な負担と迷惑を与え続けるつもりなのか。患者に頼らずナントカしろ----

 

 

 

   注:実態を知らない医師達は「慢性疲労症候群」のことを「ゴミ溜め」表現する医者も”沢山”存在するが(なんでもかんでも慢性疲労症候群)

   患者が実際に「慢性疲労症候群」の診断基準を満たすことは難しい。

   (以下、亡くなった「アリソン・ハンターさん」の記事より抜粋・・・シドニー・モーニング・ヘラルド紙)

 

 

   ・アメリカとイギリスの推定値によれば、慢性疲労症候群は200〜500人に1人の割合で、罹患する可能性がある。

    オーストラリアには10万人の患者がいる可能性がある。

   ・疲労という言葉が病名に含まれているので、慢性疲労症候群(CFS)が大したことのない病気に聞こえるかもしれないが、
    一方、診断基準は、実際には非常に厳しいものである。少なくとも6ケ月以上、説明不可能 な疲労が認められ、記憶力低下、
    集中力の欠如、のどの痛み、頸部リンパ腺の痛み、筋肉痛 と関節痛、頭痛、運動の不調が長引くなどの症状を伴わなくてはならない

  ・アリソンさんが亡くなる6週間前、新らたに関わった専門家は、彼女が複雑な免疫症候群であるベーチェット病にかかっている可能性を疑った。
   正当な病名とともに、権威ある医者たちもアリソンさんを受け入れ、親切に対応するようにすらなった。「彼女がこれまでずっと受けるべきだった

   対応を今になって受けるのを見るのは全く耐えがたいものだった」とアリソンさんの母親は述べた。
   しかし、アリソンさんはベーチェット病(※)と正式に認定されず、そのころにはすでに非常に衰弱していた。
   最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった。
 

  ・ローヤル・ノースショア・ホスピタルの血液学のトップであるジェームス・イスビスター医師は・・・・、「正直なところ、最期は、手の施しようがなかった。
   彼女に対する医療機関の対応には、非常に困惑してしまうことが多かった。彼女が体験した多くのとんでもないことは、医師自身の恐怖感と
   能力不足を投影したものである。なぜ、彼女が医学的に重病であると、いずれの医師も考えなかったのか私には分からない」と言い、
   彼女は、侮辱と残酷な扱いを受け、尋常でない身体的な苦痛を味わい、まるで、「強制収容所に入れられた人のようであった」と述べた。

  ・イスビスター医師は、理解できないことを認めることができない医療システムを嘆いた。
   一人の教育者でもある彼は、医学生に対し、「偏見を持たないことの重要性と、症状よりも患者に注意を傾ける必要性」を強調した。
   「病気の存在を信じなければ、決して診断できないのだから」と、彼は学生たちに教えた。

 


 

 

(※)「ベーチェット病」も特異的な検査は存在しないが”診断基準”を満たすことは非常に難しい病気。

日本ではベーチェット病の診断を持つからといって殆どの医者が親切に対応することはない。

----日本の医者の興味は「検査に異常が出るか出ないか」(検査)のみ----

従って、ベーチェット病や再発性多発性軟骨炎を始め、”難病”のカテゴリーに入っている”あらゆる病気”で、

「炎症反応(CRP)」を筆頭に「医師が望む血液検査結果」揃わない限り(”教科書通り”でなければ)、

患者は「慢性疲労症候群」と全く扱い受け続けることになる。

(東京の大学病院では「死体が出たら信じる」と言い切る医師さえ出ており世界を見渡しても”医師”として「最低」レベルにある)

 

最大の問題は、”難病”だけ「ではない」点にある。

医者から「検査に異常が出てないから何もありません」と言われた経験を持たない人が「いない」ほど、日本では、

あまりにも医者が極端な「検査絶対主義」に傾いている。(臨床技術の低下。医師教育の悪さ)

声高に「臨床の先生達のいうことは解らない」と言い切る大学病院内科教授までおりそれが当たり前のようにまかり通っている。

 

 

 


 

 

Co-Cure-Japan, Administrator

・慢性疲労症候群:[どの診断基準であっても”すべて”満たす・重症]・・・(発症1979、診断1989・米国)

・再発性多発性軟骨炎:[重症]・・・(発症1995、診断2005)

・ベーチェット病:[Stage 4]・・・(発症2001、診断2011)

 

-----生命科学に関わる人たちのことがよくわからない。「量子の時代」になって「0か1か」で”生命”を説明しようとしていたり。理解に苦しむ。

・・・「検査絶対主義の内科医達」は、自分の所持する家電に異常が出てメーカーに修理に出したとき「(会社側の)検査で異常がありません」

「何もないです」「あなたの使い方が悪いから」と言われて黙っているのだろうか?(内科医達のやっていることは、まさに、そういうことである。

最近のメーカーは「技術者の技術力が落ちて原因探求や修理が出来なくなっている」という理由から、原因が見つからない場合「とりあえず

”部分”の全とっかえ」で対応している。人間の場合、--今のところ--、「全とっかえ」が出来ないのであるから、「検査に異常がありません」

「何でもないです」「気のせいです」ではなく「たとえ検査に異常がでなくとも”原因探求の技術を磨く”」のが「医者」の役割なのではないか。

(患者は言葉を尽くす。何のための「言葉」なのか。獣医達は「言葉」を使えない動物相手に「症状から治療法を導き出す技術」を持っている)

”診察室”(臨床の場)で「死体が出たら信じる」という言葉を医者から聞くことは「あり得ない」。(警察でも使えない)

昨今の”内科医”の「検査絶対信奉」は一般社会から完全にかけ離れており、まったく理解出来ない。

一体どうしたら「人間ごときが作った機械」を”絶対視”する人間になれるのか、知りたいものである。

単なる「科学」の一つである”生命科学”や”医科学”だけ「過剰に特別視」する日本社会の風潮が、このような医者を育てたのかもしれない。

何でも「平場」にしない、「現場無視の日本」にとって、単なる自業自得なのかもしれない。「日本の問題」といえば、それまでなのかもしれない。

「命にかかわる」という意味で伝えてきたが、日本社会では結局「現状が大好き」ということに。「いつまでもやってれば」でいいのでろう。

「日本の趣味」は別として、一患者として気になることがある。「手術のとき、どうしてくれるのか」

自己免疫疾患の患者だけではなく、結核予防会によると、結核でも「罹患しているにも関わらず炎症反応(CRP)陰性」はよくあることのこと。

(--肺結核における炎症反応の意義--「全身性炎症があるにもかかわらず炎症反応(CRP)陰性」は、医師が考えているより頻繁に起きている)

・・・患者が手術に臨むとき、内科医から「炎症反応(CRP)が陰性だから炎症性疾患はないです」と言われれば、手術に突入することになる。

くりかえすが、「全身性炎症があるにもかかわらず炎症反応(CRP)陰性」は頻繁に起きている。

”炎症反応との食い違い”(信頼性に欠くCRP)について。「手術のとき、どうしてくれるのか」

 

      「安全性」に関わる問題は、一般社会では些細な報告でも無視できない(検討しなければならない) 

      結核予防会による”炎症反応”(CRP)の指摘は「安全性」に関わる問題ではないのか。

      なぜ医学だけが「安全性」に関わる問題が指摘されていながら十数年も放置されているのか理解に苦しむ。

      「医療分野だから」「医者のやることだから」絶対に間違いはないというのか。

 

 

15歳から、直接日本社会に役立たない「よその文化の音楽の専門家」として税金で育てて頂いた社会還元の意味で伝えた。

東京の内科医には約40年近く我慢してきたが、相変わらずの堂々巡り。

あまりもの馬鹿馬鹿しさに、社会にも人間にも愛想が尽きた者の「置き土産」である。

医者・患者問わず、よく考えてほしい。

 

 

 


 

 

--「脳神経科」--

 

 

 

 

・「脳血管攣縮」・・・慢性疲労症候群やベーチェットにも共通する症状

(「脳血管攣縮」は「膠原病」--”自己免疫疾患”--に多い症状である。西日本ではよく知られている

 

 

*可逆性脳血管攣縮症候群

 

*可逆性全身性血管攣縮症候群 Reversible Systemic Vasoconstriction Syndrome 

 

 

*Reversible cerebral vasoconstriction syndrome(RCVS)による脳梗塞を
きたした全身性エリテマトーデス・抗リン脂質抗体陽性患者の 1 例

 

 

 

 

◆【慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)について】

  慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)では、脳神経内科の医師から「脳炎でも起こした

  ことがあるのか?」と尋ねられるほど強い症状が散発し、後遺症が残る。

  硝子体出血など「よく出血を起こす患者」の場合、脳炎というより「脳内出血」(血管の炎症)を指摘されるが、CRPはもとより、画像での変化は

  捉えられない。

  いつもと違う異変が起きたとき、小児発症で「気のせい」「”出来ない”だけは絶対許されない」環境で育った人間は、医者に行くよりも

  「症状を悪化させないこと」、および、「外見(健全な状態)に合わせられるように」と、「代替回路づくり・体の使い方の工夫」に、死に物狂いで

  集中する。一回一回、どれ一つとして同じことが起きないことから、「方法」(どうしたらよいか)は試行錯誤を続けるしかなくゼロから・ゼロ以下

  から訓練を日々繰り返すしかない。「代替回路づくり・体の使い方の工夫」、共に「”外見”に見合った回復」まで通常5年〜10年以上かかるが、

  いくら努力・工夫しても回復しないものは「たくさん」残る。自分で自分の「前」と比較せず「前はなかったこと」として「前に進む技術」を獲得して

  いる小児発症は現実に強いが、医師からも理解を得られないことは避けられず受け入れなければならない。(無医村に暮らしていると思え)

  日記をつけること等(できれば「3年日記」など)、「記録」が、体調管理・後遺症対策のカギとなる。

 

   
 
   
 

<慢性疲労症候群、及び、慢性疲労症候群関連疾患の脳神経症状とは(一例)> 

 

「可逆性に限らない脳血管攣縮」、あるいは、「血管の炎症」の可能性が原因の”症状”について

 

軽い症状では「道に迷う」(見慣れた近所の景色が見知らぬ土地に見える・わからなくなる)、ほか、もっと大きな記憶障害(子供の細胞

ですら発症前と比べ専門(得意)分野の記憶に「6倍時間がかかるようになる」、脳内の書庫が一瞬で(気づいたら)ほぼ壊滅)など、

多種多様の症状が出るが、殆どの場合「せっかくやり直しなら前の状態より良くしてやろう」とゴールを高く設定する習慣により(文字通り

ゼロから何百回・何万回の繰り返しにより)、「訓練」で「最低でも標準」に戻すことが出来る。

「やり直し」で前よりよくなることもあるが”年月日”や”消滅”など「後遺症が残る症状も多い」

 

※脳血管攣縮の症状に対してバイアスピリンは効果がなかったが「ミグシス」が効く(症状が緩和される、が、吐気の副作用が出る)。

夕方〜夜(モニターなど)「目が見えない・見えにくい」という症状は、「微小血管障害」に属する可能性がある。

 

 

     ※再発性多発性軟骨炎に伴う「可逆性脳血管攣縮」に最も良く効く薬は「免疫抑制剤」

     (脳血管攣縮に伴う”頭痛”の発症は抑えられないが、「近所の景色がわからなくなる」「道に迷う」などの症状は出なくなる)

     (一般に使われる「ミグシス」より効く。機序が違うのか?)

     自己免疫疾患に伴う可逆性脳血管攣縮の患者が「ホルモン剤」などを処方され、症状頻発・悪化させているのではないか・・・

 

 

   「年月日がわからなくなる」など「後遺症が残る」問題に関しては、脳血管攣縮ではないという意見がある。

    血管攣縮なら「元に戻る」とのことであるが、元に戻る病態は「可逆性」という名称がついている血管攣縮に限るのではないのか。

   (「見慣れた景色解らなくなる」「迷う」などの症状)

   1.恩師紹介でプロに教えていた”専門家”が「できなくなった」ほどの「後遺症の残る症状」(画像では全く異常がない)についてどう説明するのか。

   全国の「膠原病内科医」および、「画像に出ないから信じない」と言い切った「脳神経内科医」に尋ねる。

   ・・・あまりにも「出来なくなったこと」が多すぎる(全滅・壊滅)。「血液検査や画像に出なければ信じない」というなら、専門的な内容につき、

   国内外の第一線で活躍する同窓生や当時数年前後した学年、まだ生きている当時の教官に証明して貰えば「血液検査・画像に出なくとも」納得して

   くれるのか ・・・・”ソルフェージュ”(3歳から書いている”楽譜の書き方・初見「ほか」”完全消滅” (「楽譜」は「5年かけて元レベル(オケ譜)

   までやり直し」、”初見”----初見移調を含めほぼ何でも初見で演奏した。(移調はショパンエチュードでも遊べた:昼食時「レッスン前”最後の練習”」に

   必死になっている専門学生のop.10-1に”半音あげて”同時・同スピードで合わせクラス全員から苦情が来たこともある)。この手の技術は「教わるもの

   ではない」が明らかに「日本の学校で磨いた技術」であり、学生時代から教授依頼が多く「人」と「社会」に最も貢献でき「もっとも食える技術」が

   「回復不可能」となった。----”音楽書庫ほぼ壊滅”(演奏したソロや”一部を除き”有名どころのオケなどは生き残ったようであるが--アイネクライネは

   1楽章以外「聞いたこともない曲」となりショスタコのボルト(荷馬車)が生き残った(性格か?)etc---、ほか「全く聞いたことも弾いたこともない曲」と信

   じ込んでいたら楽譜が出てきて「書き込みだらけだった」など。全回復不可能)。”固有音”を正確に使ってスケールが弾けるようになるまで「10年」

   かかった、等々々。

   何が起きたのか知りたいほど、ただただ壊滅状態だった・・・ステロイド筋炎の「手足首ブラブラ(紙一枚もてない、3センチの段差が上がれない)から

   やり直し」(10年かけてもまだ難しい:(まだ属七がつかめない)、萎縮した筋肉を広げる訓練および複数の免疫抑制剤に加えて中量以上のステロイ

   ド継続服用で新たな”筋炎”を繰り返し「漸減すれば炎症悪化、増量すれば筋炎発症」、”筋炎”とは非常にやっかいな病気である)とは全く別な、

   「再発性多発性軟骨炎を発症した1995年以降」、”専門分野”に「壊滅的な」脳神経症状が加わり、”総合的に”「全て」を失った。

 

 

   医者には意味がわからないだろうが、専門家には神経症状の「深刻度」「精神的ではないこと」はよくわかる                                        

   何でも疑う「画像に出ないと信じない医者」は、上記が「1学年に1クラスしかない学校」につき「同学年の”全員”が知る”レベル」                  

   については、全校学生および、直接実技指導をする大学側の教授・教官全員が知っていることを念頭に置いてほしい                 

   ---税金使用につき、1学年の学生数40名”以下”(年度により「入学者該当なし」の科がある)、総学生数120名”以下”---               

   医者に問う、「一体何が起きたのか」。「検査に異常がないから大したことない」とは「言わせ」                                

                                                                                   

 

     ”5〜10年かけて”「再訓練」が利いた破壊(楽譜の書き方や音階)に関しては、あまりにも突飛なことで(半信半疑も手伝い)大笑いしたが、

     その後、回復不可能な破壊があまりにも増加(いずれも上述)。

     まだ「”MRIに映らないから”症状はなかった」という医者がいる。最近の話である。

     これでも「検査」が正しく「患者が間違っている」のか。いくら何でも笑えない。

 

     内耳出血を起こすために飛行機に乗れなくなっている。

     「CRP≪炎症反応≫が正常だから」という理由でここまで放置するとは一体どういうことなのか(発症から36年)

     ”患者の言葉”より、”内科医”にとってそれほど「検査」が大切なのか。検査は補助的なものではなのか。

     一人の患者に起きていることではない。世界中で起きている。沢山の人間が命を落としている。慢性疲労症候群の死亡者リスト

     医療・医学とは何なんだ。何のためのものなのか。

 

 

<慢性疲労症候群とは>・・・これでも「心因性」というのか

 

    中学3年(15歳)で発病以降、突然「本を読むこと」が不可能となり、”目的”を「税金」を使わせてもらっている特異性に絞り(演奏)、教科書は

    すべてロッカーに入れっぱなしで一切持ち帰らない決心をしたことも同クラス(同学年全員)が知っている------自分では理解できず混乱したが

    すぐに「生まれつき」「(発病より前は)”生きていなかったこと”」と片付けて前に進んだが、後年、同症状は(一部は回復不可能ではあるが)「ステ

    ロイド服用」によりかなり回復することがわかった。ステロイド開始までの何十年の苦労、実際に亡くなった多くの友人達のことを考えると言葉がない。

    ※「慢性疲労症候群」の脳神経症状は、「不可逆的な症状以外」、ステロイドだけではなく、「メトトレキセート単剤(十分量)」や、自己免疫

     疾患の治療薬に反応する症状が多い。

     中学が当時屈指の進学校だったこと、発病前の成績、勉強も面白く高校も最終的に当時屈指の進学校を狙っていたこと(-----当時の教諭や高校

    入試合格直後「十中八九白血病」とのことで長い病欠の間、授業のノートを届けてくれた中学3年の同級生、ご存命であれば”校長”が証言できる:

    上記付属は入学許可を得られる確率があまりにも低く入試は「1月」、落ちても「一般高校受験」に間に合うよう設定されている。入試期間は「1週間」

    日程はある程度まとめているが実質5次試験まであり、その間ほぼ毎日試験/貼り出し発表形式で受験者は落ちていく。最初の体調悪化が「10月」、

    11月には脳神経症状の症状一部が出た。不可解に感じたが一時的な症状で「単なる疲れだろう」と考えた。入試では熱っぽく「発熱」は解っていたが

    (大阪から受験のため)「体温をわざと測らず」真っ赤な顔で審査員に「元気そう」と言われた。合格後は大きく体調を崩し(十中八九白血病)「頚部

    リンパ節生検」(白血病は陰性)などで中学の卒業式も出席できず長期欠席となり校長にも心配をかけた----)、中学時代に担当教師を追い掛け

    回して質問・常に逃げられていた「理科」で後に著名な物理学者たちに強烈に誘われたことから、ようやく「ロッカーに教科書を入れっぱなし決意を

    した時点では既に”異常な健康状態”に陥っていた」「異変はそれ以前に起きていた」、「”極限状態”での自分の判断」(片方を捨てたこと・理由は

    解らないが両立は命に関わる)が正しかったこと」を、自分でもようやく理解できるようになった。

    自己免疫疾患特有の「筋肉・関節痛、微熱、リンパ節の腫れ、激しい疲労・倦怠感」など身体的な症状を伴い、「毎日嘔吐」をはじめ枚挙にいとまが

    ないほどの脳神経症状が中学3年(15歳)で出た。(全ては15歳、「慢性疲労症候群」から始まった。「人生とは酸素ボンベなしで潜水し続ける

    ようなもの」と感じていた)。

 

    その後の学校生活は激しい体調不良のため長期病欠が続き「出席日数との戦い」、長期欠席のため「ゼロからやり直しの繰り返し」となった。

    (高校ではギリギリ。エスカレーター式ではなく「大学受験」は一般と全く同じで心配された。大学でも体調が非常に悪く欠席が続き教授陣全員が真剣

    に心配するほど卒業が危ぶまれた。3年次に偶然若干体調が向上した時期があり、1年でほとんど全ての単位をとり卒業)。実技の成績が抜群だった

    ため「馬鹿にして学校に来ない」といわれた。

    同大学保健センター教授(東大医学部卒・解剖学「故・三木成夫氏」(名著「胎児の世界」の著者)の試験での小論文が好評でよく話しを聞いて下さった

    ことがきっかけとなり、同医師のみが大学時代唯一の理解者であった。

    脳神経症状も大変だったが、突然始まった「異様な疲労・倦怠感」(「朝目が覚めなければよかった」と思うほどのだるさ。慢性疲労症候群の疲労感は

    「重症筋無力症」の同症状との類似点が指摘され長年議論されてきた)、「筋肉痛や関節痛」「筋肉のコントロール」の対応が至難の業となり、すべて

    「自分の技術の問題」として必死で対応策を考え編み出し続けた。中学3年(15歳)から突然始まった激変であったが「気のせい」とのことで死に物狂

    いで現実対応をし続けた。原因不明で操縦不能に陥り、機体が乱高下するの飛行機を操縦するような感覚だった。

    子供のころの異変は本人が「どこがどう」という説明が出来ない。医者が気のせいと言う限り「発病前はなかったことにする」「自分が間違っている」と

    信じる以外に対応策がなく、健康時の記憶が全くないため”比較が出来ない”。医者の「気のせい」を前に「発病前は生きてていなかったことにしなけ

    れば生きていけなかった」という”現実”が「桁ハズレの異常さ」を示すのかもしれない----「3(6?)ヶ月間、毎日嘔吐」ひとつとっても「尋常ではない」。

    それを医者から「気のせい」といわれたら子供は「自分を殺すしかない」(”健康時の記憶”を殺す・自分の全人格を否定して生きる(自分が生きている

    こと全て間違っているとする)か、”命”を殺す(自殺)か)。

    結果、「病識のない大人」に育ち、また医者から非難されることになるが、「”慢性疲労症候群”の段階で医者が対応してくれれば、人並みに自分を大切

    に出来る人間に育つ」と確信をもって言う ------大人も子供も、沢山の慢性疲労症候群患者が医療関係者・福祉関係者・社会・家族から追い詰められ

    自殺している。医者が「慢性疲労症候群」をしっかり受け入れ「治療」してくれれば、「病気の悪化により」死亡したおびただしい数の友人達も死なずに

    済んだ(彼らは全員「生きていた」)。

    発病以降、何も言わずとも心配や負担ばかりかけた親には、「医者が気のせい」とする病気の症状について一切相談したことはないが、親である限り

    子供の異変には気づいていた。(親が付き添い通院で相談すると「親が神経質だから」「育て方が悪い」と医者から激しく非難されていた。あまりにも

    気の毒で、その後二度と付き添いや体調のことで親を煩わすことはなかった)

    「戦中派の親」(命を知る・「理不尽」を生き抜いた人間)を身近に見て育ったからこそ、「CRP(炎症反応)」という”宗教”にしがみつく”医者”に振り回

    され続けた見事に馬鹿馬鹿しい人生を生き抜いてきた。言葉で「何」ということを学んだわけではないが、恩師達を含め「戦争」という”最悪の理不尽”を

    生き抜いた人達は全く「違う」。(単なる年寄りではない)。子供の「慢性疲労症候群」や「CRP(炎症反応)が上昇しなければ炎症性疾患とは認めない」

    とする馬鹿げた医学に巻き込まれた親は「医者の被害者」の最たるもの(親の人生まで狂った)。医者は多少でも自責の念がわかないものなのか。

    「孫がいてもおかしくない年齢」になった”子供の人生”をなんとかすればよいというものではない(遅い)。「親本人の人生」も何とかしないと、という気に

    ならないのか。”親だから”「トシをとったら”死んだらよい”」のか。それが当たり前なのか。「その人の人生」を何だと考えているのか。何をしたと思って

    いるのか。「慢性疲労症候群」と「CRP」の問題・被害は本人だけに留まらないことを自覚してほしい(まず「家族の大きな犠牲」ありき)。

    もう一度言う。「一体何をしたと思っているのか」

    「高齢者医療」について。内科医達の執拗な「全ては”トシのせい”」は、どういうことなのか。「炎症反応が上昇しなければ炎症疾患ではない」と

    全くおなじではないか。「内科教育」は何をやっているのか。”CRP"などの「検査」や「トシ」の「当てはめ医療」のどこが「科学的医療」なのか。

    内科医の言葉の中でも「あなた死んでもいいじゃない」(当時聖路加・副院長、「慢性疲労症候群?信じないね。あなた、死んでもいいじゃない。あなたが

    死んでも何が変わるわけなし、誰が気にするわけなし」)は、明らかな誤り「気にするのは親くらい」以外の部分を、医者の「気のせい」と同じく”真”とし

    受け入れ、その後の人生における「軸」となり、ある条件以外全く興味のない”残り時間”を稼ぐために大変役立っている。(よくわかった。残り時間は

    自分で決め「そこまでは精一杯工夫して生きる」)。笑ってりゃ過ぎる」。「三つ子の魂百まで」。

    東大病院では「再発性多発性軟骨炎でなぜ笑っていられるのか不思議」だと言われたが、「笑っていないと生きていられない」

    「慢性疲労症候群」の”小児発症”は、医者の(検査に異常が出ないから)「気のせい」を信じ、”自責”の念から、異様に激しい倦怠感と深刻な症状が続く中、

    「対応力」を振り絞って必死で「現実」に対応し続けた。医者に問いたい。「3(6?)ヶ月間毎日嘔吐」のどこが「気のせい」なのか。以前と比較して暗譜に

    ”6倍”も時間がかかるようになってどこが「気のせい」なのか(発病以前は「半月に一回」大きなソナタを人前で発表した。発病後は「3ヶ月」かかるように

    なり「運動記憶」に頼るしか方法がなくなった)。「筋肉・関節痛・微熱・リンパ節の腫れ」のどこが「気のせい」なのか 。「十中八九白血病」で始まり

    「頚部リンパ節生検」を要とした病態のどこが「気のせい」なのか。これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか。

 

 

   ----能力ではなく「職業」の話をしている。「自分が食っていく手段」「家族を食わせる手段」の話をしている。「ソロ」の場合、いくら一級の

   国際コンクール要員として海外から招聘されても「国際コンクールを受けに行く体力」がない限りどうしようもない(当時の関係者は「どの

   レベルにあったか」全員知っている)。「ソロ」「室内楽」同等レベルを併せ持つ人材は世界でも非常に少なく一級の演奏家から大変重宝された。

   特に「後者」は「どこでも何があっても食っていける技術」であり「他科」(医者のように他の楽器)を助け「業界」(社会の一種)や、「一般社会

   そのもの」に最も貢献できる技術。”日本の”「国費」で築き上げた技術。「CRPが正常だから気のせい」という”医者”を信じて「50年+」の

   結果であり、決して笑える話ではない。”医者”というのは「食えなくなる手助け」をする職種か。----

   なぜ税金を使った本人の死に物狂いの訓練成果である「技術」が、医者の「検査」ごときに潰されなければならないのか。何度考えても解せない。

   東大病院では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)という言葉も聞いたが、「医者」が”職業”を差別していいのか。

 

   <15歳から税金で勉強してきた同級生達へ(1)>

   親の家が芸術筋で「厳しさ」をよく知るが故、「遠隔受験」も控えた最も忙しい・体力的にギリギリの受験生を「7時間待たせて平気」という一般

   では考えられない”感覚”を持つだけではなく、当時「自分の出世」(国立大学教授職獲得)に生徒をパイプ役として奔走していたことも露知らず

   (あとで「生徒に責任転嫁して自分が”逃げる”」くだりなど想像すら出来ず)、親子ともその専門家(担当)の強い薦めと紹介(自分が連れていく)

   を何の疑いもなくまっすぐ受け止め、その「専門家」にすべてを任せ、年に1〜2人しか生徒をとらない・学内でも非常に厳しいことで有名な担当

   教授から「是非欲しい人材」といわれ付属高校受験を決意。同科で入学許可を得られるのは「全国から15人」のところ断トツトップで合格。

   「税金を使って勉強する重み」を親から叩き込まれ、それをしっかり背負い、付属高校・大学担当教授(恩師)も「税金の重さ」を誰よりも熟知、

   戦争に行った「命がけ」そのままの勢いと責任で生徒を教育した。  

   ・・・人生の中でも最も体力的に厳しく忙しい受験期(中学3年生)に対して「自分の都合で」(隣の部屋にいるにも関わらずテレビを見て)何度も

   「7時間」待たせた人間(3〜5時間待たせるのは”当たり前”。「全く同じ時間で”数人”予約をとるのが常習。”7人”という日もあった」)に関して、

   「発病」の「トリガー」になったことは明白で、生きていれば、当然、問題になったが”東京の有名コクリツ大学の教授として”「物故者」。

   ------サポート役として隣の部屋で手伝っていた自分や他の生徒の親、同じように待たされていた”他の犠牲者”(生徒達)が証言できる

   この人物は、死ぬ前、病態悪化のため長期間(年単位?)学校に行くことができず授業が出来ないことがわかりきっている状態にありながら、

   「親」が金を使って「コクリツの教授職」を(欠席のまま死ぬまで)保持していたことで、東京のコクリツ大学教授陣から大顰蹙をかった------

   (「あってはならないこと」を「起こした」専門家親子であったことを覚えていてほしい)

 

   ※古いことを、いつまでもチャゴチャ言うのは結構であるが、これ以上「同業界の恥」を公開させないでほしい。元同級生達へ

   ”知識”の面ではいくら優秀でも「真偽を見抜く能力だけは”完全に欠落”している」ことで”同業者間”では有名な人物である限り、「最高額」の

   年金を支給される人間に見合った「社会奉仕」に余生を捧げたらどうか。

   下記は、当時の関係者はすぐ理解できる内容であり、当時の審査員が一部まだご存命のうちに伝える。

   --------受験したコクリツ附属入試の審査員の一人(当時最も権力を持っていた教授)から、全入試期間中を通して、「毎夜中」、審査員”全員”に

   「落とせ」と電話があり困った、と合格発表後に恩師から聞いて仰天、意味がわからずポカンしたした(恩師はすぐ全く無関係であることを見抜いた)

   幸い「断トツトップを落とすわけにいかない」と言い切るだけの「判断力」を持つ当時の教授たちを筆頭に(おかしなことをした退官間際の教授は論外)

   まっとうな審査員が合格させたので不問に付したが、迷惑を被ったのは「生徒」であったことを忘れないでほしい。

   (この学校は私費で成り立っているのではない。附属の入試妨害といい、奏楽堂演奏会の妨害といい、恥ずかしい限りである。 何をやっているのか)

   もし(入試)、いまだに生徒を疑い続ける「真偽を見抜く能力に欠く判断力のない人物」が当時教授として仕切っていたら、と考えるとぞっとする。

   「地位があって判断能力欠如」は非常に影響が大きい。人がよい悪いの問題ではない。誤った判断による犠牲者は沢山いる。

   ・「逆さ」に見えていることにまだ気づかないのか。受験期の生徒を7時間待たせて平気な感覚を持つ”専門家親子”(当時私立大教授とお茶の水

    女子大教授選真っ最中)が「自分達の保身のため3歳から通っていた生徒を売った」(自分達が強烈に薦めて生徒を連れて行きながら「生徒が

    勝手に行った」と主張。その後、これが生徒にとってどれだけの「迷惑」に発展したか)。

        子飼の生徒に責任転嫁してコクリツ大学教授の座を得た人物の恩恵を被る「地位のある生徒達」は結託して報復を企らみたいだろうが、

        この門下には激怒している元・生徒が「非常に」多いことを覚えていてほしい(同様の被害にあった生徒が一人ではない)

 

 

   1.「勉強の優秀な学校」を狙っていた生徒は「習い事”ごとき”」で自分勝手に指導者を探さない(子供の頃からの先生を信頼しきっている)。

   中学は受験校で猛烈に忙しくただでさえ時間がなかった。”習い事での受験”が「邪魔になる・・・」と案じていた。(演奏は些細なミスが命取りになる。

   本番は何が起きるかわからない。落ちる確率は高いと踏んでいた。勉強なら「消しゴムが使える」。勉強一本に絞ったほうが有利。「浪人と滑り止め

   受験」は許されなかったが、東京での入試で遅れた分を取り返す”ペース配分”は見当がついていたので受験した)

   ----そもそも大阪-東京の新幹線往復だけで何時間かかると思っているのか。誰が交通費を出すのか。不要不急で学校は休めない。「一日休むと二度と

   ついていけなくなる」といわれていた詰め込み教育時代の”追い込み授業”はどうするのか。同級生に確認したところ殆どの生徒が塾に通っておりその

   多くが「弁当を二つ持って」登校(学校の昼と塾用。帰りは皆ぞろぞろと夜の「11時頃」。1学年12クラスのマンモス校)。決して多くはないが一日4−5時間

   の練習時間で塾に行く時間はなく、勉強時間も最低限に限られ、自力でナントカしなければならない状況下、出来ることは、無心で、一つ一つ、目の前の

   ことををクリアするのみ。その”充実感”が大変爽快で楽しかった。自分で習い事の先生を探す、など余計なことを考える時間も余裕もない。

   生徒に責任転嫁した”専門家親子”は「母親が探して勝手に行った」とも主張したが、母親は専門職を持ち(京都の人間国宝の下で修行した染色作家

   ----後に東京で、全く違う分野で数年前まで活躍)、仕事には納期があり”非常に”忙しく、親の興味もない分野かつ学校に入れるだけで医者の3倍カネの

   かかる子供の習い事には迷惑千万。「早くやめて貰うために」子供の頃のコンクールやコクリツ付属受験を許可した(実力を知ればさっさとやめるだろう)。

   芸術畑の厳しさをよく知るだけに「やめさせることに全力をを尽くしても」自ら子供の習い事の先生を探しまくるなど考えられないどころか想像も出来ない

   「ありえない」話。(芸術畑に素人の親バカじゃあるまい馬鹿にするなと怒鳴りたい。「我慢ならない作り話」のためにどれだけ迷惑を被り不愉快な目に遭ったか)

 

 

   2.受験前年にはすでに体調を崩していた---- ”決定的な出来事”は受験直後(頚部リンパ節腫脹で生検に至った「十中八九白血病」と、その後カルテ

   がまわされ内容を読むなり小児科医が「何が起きてもおかしくない!」と激怒したほどのステロイド過剰投与・・近医から紹介された外科処方・・1970年

   当時の日本製のプレドニンは非常に質が悪かった・・・であったが、受験前年から症状が出ており、----ステロイド過剰投与後のように日常生活が出来

   なくなる程度ではなかったが----「症状」はそのとき疑われた病気(白血病)や後に発展した病気が語るよう尋常なものではなかった)

   偶然、入試の順番(全実技日程)が「午後」だったため、午前中はゆっくり休み(ギリギリまで睡眠をとり)試験では普段どおり演奏できたが、

   もし演奏順番が午前中だった場合は絶対に落ちていた(自信がある)。それほど体調を崩していた。

   その後、本来1年間かけて漸減するステロイドを、高校の入学式にあわせ「1ヶ月」(”記録”確認)で「漸減」(-->「ゼロmg/day」)のため入学式前日まで同小児科

   に通った。小児科医は必死だった。最後の診察で(腹部)「ここは痛くないか」と問われ(痛かったが)「痛くない」と答えた。(「痛い」というと上京できなくなるのでは

   と恐れた。「医者なら東京にもいる」と考えた----まさか東京の内科医療が日本で最も”遅れている”など最近まで知らなかった。超多忙な親は一足先に入学準備

   のために上京していた(親に迷惑をかけている)。小児科最後の診察後(入学式前日)その足で上京、翌日の入学式に間に合わせた。

   入学後の激しい体調不良は養護室の教諭が証明できる。

 

 

 

1)・・・・上述の、「頚部リンパ節腫脹で生検に至った”十中八九白血病”」(結果はネガティブ)、および、

     「ステロイド過剰投与」から始まった症状・病態が「慢性疲労症候群」である。

     発症の仕方は人それぞれだが、「慢性疲労症候群」がどういう病気であるか、見当をつけるために役立つことを願う。

     ------これでも「気のせい」というのか、「心療内科領域」というのか、「慢性疲労症候群は大したことない病気」というのか。答えろ----- 

 

 

2)・・・・故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しかったことになる。

     故・内田教授は「慢性疲労症候群研究班」の発足以来、亡くなるまで同研究班員で、当時(1991年〜1996年没)、海外の患者・医師や研究者達

     からも一目置かれていた。(次ページ「京大」参照:日本の研究

     内田教授が亡くなってからの「慢性疲労症候群研究班」は、倉常の研究に沿ったものばかりとなり、患者に多大なる迷惑をかけ続けたとともに、

     未だその悪影響と混乱を医学界・社会に与え続けている。「手遅れ」になった患者をどうしてくれるのか。

 

 

3)・・・・1994年当時から東京の膠原病内科では「京大の内田さん、人体実験やってるんだって」と患者に”勝手な憶測(噂)”を伝えていたが、

     現主治医のことではない。東京の膠原病内科医達は現在(2018年)も「東大を中心に」同じ事を続け(”地方の医師”を否定し「作り話(憶測・噂)」を

     広めて「潰す」)、体質を自らを是正する気配もない。日本の膠原病内科は、いい加減「患者第一医療」になれないものか。

     日本中の膠原病内科患者にとって、怒りどころのさわぎではない。

     膠原病内科から見えてくるものが他免疫疾患に与える影響は大きい。(”免疫不全”は、上記が示すよう、決して「少数派”ではない”」)

     学会は「社交界や仲良しクラブ”ではない”」。

     ”結核”や”癌”などと同じように「真剣に」議論し、各自現場に戻っても議論を続けるような「命に対して真剣な科」になってほしい。

 

     ただでさえ、日本の膠原病内科は欧米先進国に比べ「30年遅れている」といわれている。40年近く「東京の内科」に接してきたが、

     「東京の膠原病内科」に関しては我慢にも限界がある。下らない「東京体質」で全国の患者に迷惑をかけるのはいい加減やめてほしい。

     膠原病内科に関わらず、東京の医師達の”姿勢”は、地方の若い医師達に対して大きな影響力を持つ。

     地方にせっかく若い医師の手本となる立派な教官が存在しても、幼稚な「東京スタイル」(下らない「噂」で「世の中何とでもなる」と信じている)

     を真似る若い医師達が増え、地方の患者達はどれだけ迷惑を被っているか。

     膠原病学会に参加する他科の医師達も、呆れて見ているだけではなく、患者のために協力してほしい(「自分の科ならどうなるか」教えてほしい。

     膠原病内科は非常に狭い世界で「外」を見ない・見ようともしない。希少疾患だか何だか知らないが、患者も「外」の世界を全く知らず「医者擁護」

     ばかりに走る。専門医は、女性や高齢の患者が多いからか、ちやほやされることしか知らない。担当患者に対する対応は見事でも「科全体として」

     ”最低の医療”をしていることに気づかない。)

 

     他科の医師達から「膠原病内科の先生は変わった先生が多い」と呼ばれていることを知ってほしい。(2008年、慶応・患者相談室の医師(元教官))

 

      このHPで紹介したような、患者が不利益になる発言は同業者が内部告発すればよい。一体何のための医療をやっているのか。

     膠原病内科が扱う疾患は一般社会から理解されにくい「見かけ非常に元気な重症患者」が多く、患者達は社会的に非常に厳しい立場にいる。

     「大変難しい立場に置かれている患者を支える医師」であることを片時も忘れてほしくない。

     眼の不調でモニターを見るのが難しくなっている患者に、これ以上負担をかけないでほしい。

 

 

 

   ・”何もかも”逆さに見えている「本人」と「取り巻き」に伝える。”ここ”が「命」をかけた場であることさえわからないのか。

    判断力もないのに権威を振り回さないでほしい。(わからないやつは黙ってろ、ということである。沢山の人の命がかかっている) 

 

 

    ---------日本では15歳から8年間「気のせい」、米国大学院に留学するなり「病気発覚」、実力を試す間もなく「日本に研究班が出来た」ということで

    帰国した1991年以降は、医者が「慢性疲労症候群の実態」を全く見ようとしないため、まさか進行する大きな病気とは知らなかった日本側の故・恩師

    の方針「君ならいつでも復帰できる。まず体。十分休んで」に従い、「一患者」として生きてきた。

    日本の「慢性疲労症候群」およびそれを取り巻く日本の「内科」がこれほど馬鹿げたものとは露知らず、帰国してからの”日本の慢性疲労症候群”は、

    (研究班に関わる一部の医師以外)「気のせい」扱い。

    その後、1995年に再発性多発性軟骨炎、2001年に腸管ベーチェット発症、「炎症反応が上昇しない」という理由で、診断は、いずれも発症から

    「10年」かかった。治療も「炎症反応(CRP)が上昇しないから」という理由で「大したことない」とされ更に数年かかり、2011年、西日本(九州)に

    転居するまで治療をして貰えなかった。結局、治療の遅れからくる手遅れで「治療薬」(生物製剤)は使えなかった(1%未満の副作用続出)

    進行する病気であることから、「古い治療方法」を求めて東京に戻ったが、東京で、最も経験のある専門医の一人から「これだけ全身に広がった

    患者は診たことない」といわれたほど、東京の内科医達が「CRP陰性だから」と治療をせずに放置した(15歳発症から)36年間に重症化した。 

    東京では、1991年・米国から戻った時「アメリカはいい加減だから」と言い、2016年・西日本(九州)から東京に戻った時「西日本はいい加減だか

    ら」とのことで、(2006年、患者を入院させ)「再発性多発性軟骨炎」の診断をつけた”東大病院の担当医たち”までもが、西日本での「同じ診断」

    (再発性多発性軟骨炎)を「信じない」と言った。《どういうことだ》

 

 

    「東京の偉い先生方の診断を信じただけだろう」とも言った。(「西日本の医者は経験がなく無知だから自分で診断出来ない」という理由だった)

 

 

        ・・・・西日本で「再発性多発性軟骨炎」の診断を下したのは、1.「京大医学部・膠原病内科卒」(当時・鹿児島日赤院長・鹿児島大学医学部

        膠原病内科「前」臨床教授)、2.転居前、東京(日大板橋・前任教授)から紹介されていた「北九州産業医大・膠原病内科教授」(再発性多発

        性軟骨炎を日本で最も良く知る医師:この病気は白人に多く、年間を通じて海外が多い同教授は日本の誰よりよく知っている。

       「典型的な再発性多発性軟骨炎」とのことだった)、3.「鹿児島大学膠原病内科臨床教授」(クリニック・ほぼ毎年EURA出席)。

        ----主病院は「北九州産業医大」(新幹線通院および入院治療)、鹿児島の2人の医師は居住地での主治医・産業医大治療の引継病院----

        「ベーチェット」に関しては、上記3名の医師に加え、京大・消化器内科教授のコンサルが入った。

        いずれの医師も「東京の偉い先生方のおっしゃるとおり診断する」など天地がひっくりかえっても考えられない。

 

 

    西日本での2つの診断は、現・血管炎班長(東京女子医大)と全くたがわず。”東大・膠原病内科”を中心とした東京の「地方蔑視」を露呈した形となった。

    (たとえ診断が違ったとしても「遠方から、元主治医の紹介状を持参し(東京の大学医学部名誉教授の紹介。診察日の朝には紹介元の名誉教授から

    紹介された医者へ電話も入っていた)、藁をもすがる思いでわざわざ医者のために遠距離引越・相談に来た”具合の悪い患者とその付き添い家族”へ

    の対応」は「医者として」正しかったのか。どの患者も医者と遊ぶ暇のある患者はただの一人も存在しない。”医者”としての神経を疑う。)

 

 

 

     <15歳から税金で強してきた同級生達へ(2)>

 

     全く違う世界に生きて27年になる。顔を合わすことがあっても、もはや仲間ではないことを認識してほしい。

     世界中旅をする演奏畑は強靭な体を要求される。共通の話題がないからか、あまりにも体調が悪すぎたうえ、「ゼロ・ゼロ以下からのやりなおし」の

     ため「過去はなかったこと」をやりすぎたのか、同級・同期生たちの「自分が一番苦労している」「自分も子供の頃から体が弱い」を聞き過ぎたのか、

     馬鹿げた「入試」から始まり、不愉快な思い出しかない。それでも実力のある何人かの当時教授たち・同級・同期生は印象に残っている。

     幸い仲間を一切要求しない楽器柄。「断捨離」と考えてほしい。

 

 

 

    ”慢性疲労症候群”について。検査結果を振り回す前に「患者の言葉」を信じ、医者が病態を理解しようとし、その段階で医者が治療を試みていれば、

    このような人生にはならなかったのは誰が見ても明白である。子供の頃から病気と知っていれば「一にも二にも体力勝負」の演奏畑には絶対に足を

    踏み入れない(無駄。原則「先の予約」「代理は利かない」「些細なミスで次はない」。本人と家族の尋常ならざる努力により障害者には可能な場合も

    稀にあるが、「病人」には最も不向き・無理)。早い時期ならいくらでも方向転換がきいた(一つのことしか出来ない人間ではなかった)

 

 

    介護にしても、「病病介護」の中でも「介護側の”病気の実態”を知る医師が殆どいない希少疾患」、かつ「とても元気そうに見える」、かつ「介護を

    要求する人間は”生まれて初めての大きな病気”」(病人には当たり前の「独特の忍耐力」など全く持ち合わせていない。食欲のない、あるいは、

    全く食べられない状況下の介護者による「メニュー探し〜調理」(介護者の病状が絡み宅配外食は頼めない。かすんで見えない目で毎晩メニューと

    睨めっこ、食べられそうなものを選び、壊れた頭ではプリントアウトは調理時混乱するので毎日ノートに手書きで書き写すまでに「1時間」。

    翌日、「マニュアル」を見ながらの”実験”。包丁を持つ肩関節が痛み力が入らない。ものすごい「ふらつき」で立っていられない。それでも「やると

    決めたらやる」。「軍隊にいると思えばよい」)

    外出先で具合が悪くなることもあり付き添いは不可欠。介護側は15歳から39年間の病気人生でよく理解できることから常に「その場で休息をとるよう」

    アドヴァイスするが「絶対に」聞き入れてくれない(自分が元気なときの方法を強引に押し通す。親は子供のアドバイスは「絶対に」聞かない)。

    結果、介護側の病気が必ず悪化するほど介護側にものすごいストレスがかかる。本人はアドバイスも聞かず外出先での強行により後日も体調不良が

    続く。介護側は悪化した病態と更なる大きな負担を抱える。(介護経験者は全員知るとおり「親は子のいうことはきかない」)

    介護側は飲まず食わずでトイレに頻繁に出入りするような”病態”であっても相手に合わせて相手の予定・希望どおりに動かざるを得ない。

    (相手の通院の為の空路移動では「16時間飲まずのまず食わず」の対策をとってこなした。内耳出血を起こし介護側の病態はさらに「進行」した)

    外からも相手からも一切”見えない”限り、どれだけ具合が悪くとも「出来るだけ相手に良いよう」、苦情・文句が出ないよう「義務」と片付け一つ一つ

    「こなす」。それでも文句ばかり。苦情は尽きない。初めて大病をする「親」は病気の子供(成人)にとって凶器と化す。

    (親は子に甘える。逆は真に「ならない」=子供は常に気を使う)。

    相手に何かあった場合「もたない」のは自分がよく知っているが「死んでもいい人間」、文字通り「単なる死ぬための準備」として出来ることをする。

    (全力を尽くすには「ゴール」が決まっていた方がよい。ゴールを決めなければ「体力的に」難しい・・・ただの無理ではない、「命がけの無理」。

    人の世話が出来る体調ではない。)

 

 

 

       ・・・一日のうち夕食準備、ほか出来ることは全て自分でして貰う、というレベルは「元気」であれば「大したことない介護」であるが、手遅れのため

       副作用で治療薬がほぼ「ない」(症状・進行が抑えられない)”病人”が”介護者”になれば、ちょっとした行動一つ一つが「命がけ」となる。

       使える薬(3種)だけでも免疫力は落ちており(IgG400台)更に落ちてくる。(400をきったら入院・血液製剤治療が必要。暢気に入院などしていら

       れないのが多くの患者の「現実」-----”入院”というのは同居者が「元気」で始めて成り立つ。明らかに医者がかけたストレスで発病させられた場合

       「患者」はどうしようもない。「日本で最も経験豊かな専門医(複数)」から何度も入院を勧められるということは「外来での治療に限界がある」(重い)

       ということではあるが、医者が考えるほど(入院中どこかに預けろ)「現実」は簡単なものではない(施設・病院は少しでも歩行困難があると車椅子

       を使わせる、お遊戯やぬり絵けなど刺激のない生活など)。トシ相応の病気があっても、まだまだ”社会貢献的伸びしろ”豊かな「前途有望な高齢者」

       と「患者」の”その後”の不利益しか見えない。-------「家族(患者の介護者)を発病させた医者達」は「同僚の医師(担当医)」にも多大なる迷惑を与えて

       いることに自覚があるのか。2006年当時、東大病院「内科」には「躾」という張り紙があったが”遊び感覚”もいい加減にしろ)

       この免疫力で頻繁に外出・通院付き添いは、それこそ「命がけ」。昨年は運よく乗り切れたがインフルエンザの時期など「やけくそ」。

       どんなに暑くてもマスクは外せず、それも「気休め」(免疫抑制状態)。ゲラゲラ笑って凌ぐ。もはや”現実”は「笑える問題ではなくなっている」。

 

 

 

       自分が具合が悪いとき、それを自然に出す場がこの世に一箇所もなくなったことも、大病を抱える介護側にとっては、日々「非常事態」である。

       お世話になった主治医たちのことではないが、あまりにも多くの呆れ果てた内科医経験で、ほかに(場が)欲しいとは全く思わない

       (たかが自分の人生。クズはクズとして、死んでもよい人間としての人生がある。どーでもいい)。

       医者は「トシ寄りは先に死んで自然」と言いたいのかもしれないが、壊れっぷりの見事な脳神経症状を有する患者は、「自分より頼りに出来る脳」

       がないと生活が成り立たない。(「元・介護者」にとって不満はあるらしいが「トシ相応」「機能として介護者より遥かにマシ」どころか仰ぎ見るレベル)

       あたかも人の人生を知っているかのように勘違いしている医者が多いが、医者が安易に考えるような「年功序列」では成立しない人生もある。

       医者がかけたストレス原因による「同居人の発病」は明らかに患者(介護側)の寿命を縮めた。

       15歳から続けている「前進対策」で片付けた(「自分はこの世で最低の”不要な人間”」と解釈した)。この世の名残はキレイになくなった。

       今後も、これまでと同じように、余計なストレスなく前進出来ることは大変幸運で良いことである。

       ・・・発症(15歳)以来このように「上手く片付けて」生きてきた。。他の生き方は知らない。《出来るときに出来ることを出来るだけ》

       ------「片づけ方(コツ)」-----

 

 

 

    一般の”病病介護”とは全く違い、介護者側が希少難病を抱えている場合、想像を遙かに超えて非常に難しい。上辺だけ見てどうこう言うのが”人間”。

    「無医村・無人島に生きる」「人間一人で生きて一人で死ぬ」覚悟を要求され、「自分で”自分に”お前みたいなクズ早く死ね」と真剣に言い聞かせ続ける

    ことが出来、「”何もかも”一般的なものとは違う”現実”」と一生対峙するだけの「精神力」(脳天気さ)を必要とされるのが「希少疾患」を生きる人間である。

    (これが「当たり前」。出来なければ「死ねば」というのが希少疾患の世界。・・・・「人と違った生き方」のどこが悪い)

 

 

         附属の同級生達は(病気であることが)「うらやましい」「暇でいい」と言っていたが、病人というのは「生きていく」だけで健常者の想像を絶する

         ほどの努力と工夫を強いられ「もっとも時間のない」人種である。(1日がかりの通院を考えてもわかる。それに伴う体力消耗からの回復にも

         日数がかかる。一日の中でやりたいことはいっぱいあるが休養しないと死ぬ。ラクしているのではない。「時間がない」)

         医者・医療関係者との関わりも、マスコミが無責任に流す「お涙頂戴」を信じているのかもしれないが、「実態」はそういう甘いものではない。

         「病人の世界」というものは”こういうもの”。それでも病人の誰もが自分が一番苦労しているなどとは思わない。各患者「もっと大変な人たち

         だらけ」と信じており、それが「現実」である。”長患い”ほど「現実」を良く知っている。

         「トシをとる」と同じく「病気をする」というのはそういうことである。同僚達の「自己憐憫」と「自分が一番苦労している」感覚には”全く”ついていけない。

         「命のやりとり」である。医療現場は”戦場”と同じと考えてほしい。

 

 

 

    ----親が生まれて初めて緊急入院した東京都健康長寿医療センターでは退院後の患者社会生活に支障がでるほど、「まだ現役」の感覚を持っていた

    高齢患者を「施設並みの接し方」で甘やかせ、介護者は、退院後、頻繁に出る”長寿センター病”に本当に迷惑している。「やさしい」のは結構だが、

    あまりにも過剰に特別扱いされたら若い患者でも勘違いする。入院中の生活は社会生活ではない。社会復帰させるのが病院の役割だろう。高齢者が

    何故特別なのか。「あなたも私も誰でも」年をとり高齢化する。「普通」にできないのか。研究機関だからか「薬の変更は金曜しか出来ない」、循環器

    内科の医師は「薬の中和」を知らないなど不可解だらけで同区内(板橋)の医師達にはきわめて評判が悪い

    ※東京都健康長寿医療センターは「都立”ではない”」・・・かつては都立だったが、今は単なる民間病院である

    −−「東京」には高齢者を「普通に」扱える病院はないのか。大学病院は高齢者オンチ。地方では考えられない。何が「国民総活躍」か----

 

 

 

    親の発病も「医者」から始まった:子供の病気に対する全くの無知と「CRP(炎症反応)絶対」で筆舌に尽くせぬ対応をした北里・膠原病内科の廣畑、

    日大板橋・膠原病内科の武井、および板橋医師会対応「北里大学で全身のデータをとってからでないと開業医を紹介してやらない」による「ストレス」

    原因。これを黙ってみていた(煽った)のが、東大病院入院中、患者の報告「CRPが上昇しない」に対し、「一貫してCRP正常」に気づき指摘した担当医

    3人と当時の東大膠原病内科教授(上から山本・駒形・川畑・藤尾。北里の廣畑は東大膠原病内科卒の同僚で頻繁に会っていた。患者の「命に関わる

    深刻な不利益」が起きることを最もよく知りながら何故黙っていた。そのうち望みどおり揃って死んでやるから待ってろ。我々の寿命を縮めたのは

    お前達だ。忘れるな)

    ----順天堂大学名誉教授の紹介でもあり「わざわざ鹿児島からの遠距離引越直後」(鹿児島からの”転居”)、「疲れで腸管狭窄を起こし全く食べられ

    ない体調であること」を上記2人の医者と医師会には伝えた。医者なら「医者と医師会の対応」に「親」がどれだけショックを受け心配するか簡単に

    想像出来る。親は「医者とは残酷なものだな・・・」、毎日「どうしよう」(2011年以前の気骨のある日大板橋をを想定し、「呼吸器症状が出たときの非常

    時のため」”近く”を選んで転居したアト)。「15歳から知る医者は全員そんなもの。慣れろ」に対して「死のうか」「死ねということか」という言葉もあった。

    親は東京の医者の対応に慣れることはできなかった。外出先で発症(一人で元気に近所のスーパーへ買い物に行き、帰りが命がけになった)。

    2011年、鹿児島転居京前は10年間板橋区に暮らしており、開業医は、個々素晴らしい人柄の医者が多い地域であることは知っているが、今回の

    一件は殺人行為に等しい。脳梗塞にしてもあと5ミリずれていたら右全麻痺だった。

 

 

 

    ”諸悪の根源”は「患者の言葉」より「検査を絶対」とする昨今の医療・医者にある。

    いずれの医師たち・医師会も「激しい炎症があればCRPは上昇するはず」とする”宗教的”ともいえる”根拠のない思い込み”の持ち主。

    「エビデントベースト」か何か知らないが、そんなものが、医者が殺人をしても良い言い訳にはならない。

    ”東京”を中心に「今」も同じこと(炎症があればCRPは上昇するはず)が延々と続いている。

    「炎症反応」(CRP)については、2004年、結核予防会が「CRPは信頼に欠く」と発表している。

    「東京を中心とした医者は、いつまで信頼性に欠く検査を盲目的に信じるのか」。

    (京大関連の病院では2008年の段階で、CRP陰性の患者に対して「SAA」(Serum Amyloid A protein)を測定していた。

    炎症物質は”CRP”や”SAA”「だけではない」) 

 

 

 

    このページが論じている内容は「あなたの問題」であることに気付いてほしい。

    「CRP」(炎症の有無を知る検査)は「自治体の健康診断」でも使わている。

    医者がCRPに頼り過ぎるあまり「見落とし」は沢山起きている 

    「全身性炎症があるにも関わらずCRP陰性」は自己免疫疾患患者にのみ起きる現象「ではない」ことに注目してほしい(下記)

     肺結核における炎症反応の意義 

 

 

 

 

※なんでもかんでも「大学病院」の日本であるが、今の日本の大学医学部には、結核を熟知する医師は「いない」 

日本では”結核撲滅”と考えられていた時期、医学部で結核を「教えてこなかった」”空白期”がある。

「結核予防会」は、大学病院のように「個人的なレベル」ではなく「人類の存亡に関わる病気」を専門に扱う世界規模の機関であることに気付いてほしい。

(そこから出た「CRPの評価」)

 

 

 

 

    <15歳から税金で勉強してきた同級生達へ(3)>

    病気の性格上「ゼロ、ゼロ以下からのやり直し」ばかり要求され、「前進」するには一瞬一瞬「過去はなかったこと」にする以外有効な手段はない人生に

    とって、学生時代の「先生」など”よほど印象に残る人物以外”は、記憶にあっても全く共通点のない「違う世界の単なるおっさん・おばはん」。

    その世界でいくら偉くとも「役立たず」であり「いつまでも先生面」など厚かましい。

    「社会問題として」”再発性多発性軟骨炎”の難病指定署名活動を相談したところ「皆の”気持ち”を考えて伝えないことにする」と判断するような同級生

    など「それ以下」 (・・・この一件では「一般社会」に生きる人たちから迅速な対応を頂き2500通以上集まった。本当に心から御礼を申し上げる) 

    税金で食っていながら君が代も歌えないような感覚を持つ(学生時代)「習ったこともない実技の先生」や、一般社会とかけ離れた感覚を持つ同僚(全科)

    など、(兵役で社会に貢献を果たした一般社会と感覚を共有できる故・恩師や同世代の先生方以外)、「邪魔はされても食わして貰った覚えはない存在

    であること」くらいよく覚えていてほしい。(学生時代あれだけ体調が悪いにも関わらず精一杯手伝った。伴奏依頼では通常の4倍担当した。ピアノ伴奏

    なしで演奏は成り立たないことが多く、伴奏・アンサンブル”も”得意なピアニストは、音楽界において「生かすも殺すも」という立場にある。医者のせいで

    「プロになってから」最も稼げる分野で稼げなくなったのは「怒り」どころのレベルではないが、そちらの世界には”既に”十分貢献している)

    目の不調が先にくるとは考えもしなかったが、「初見能力壊滅」云々より、楽譜が読めなくなってきているので悪しからず。「出来る時に出来る事を出来るだけ」

 

 

    「有史以来」という芸術家でもない限り、社会感覚の欠落した人間が仕事内容で社会に貢献することは難しい。自然災害の被災地に行って「音楽の力」

    とやらをやたら自画自賛しているが(一流オーケストラに属する同級生・同期生)、「本当の”力”」は「その気がなくとも人の心に割り込んで入ってくる」もの

    で、子供がおならをしても感激してくれそうな状況下で感激して貰っても、それは本来持つ「力」とはほど遠い。(歩けなくなっている兵隊をも死ぬまで歩か

    せるとか-----調子の良い音楽が鳴っていれば人間はいくらでも歩ける(盆踊りで音楽がなければスグばてる)----、戦意高揚で全国民を扇動した、など、

    「音楽の力」(怖さ)については、命に関わる状況下で、有史以来、既に世界中で証明されている)。

    金持ちや医者の”お趣味”ではあるまい。いくら芸術畑でも、「税金」で育った”本業”なら、派手なことは私費組に任せ、自画自賛以前に「勘違い」(過大

    評価)について少しは考えてはどうか。

 

 

       -----そろそろ「日本の医者」が一方的に社会に押し付けた「クラシック(西洋伝統音楽)の印象」(癒し)を返上してはどうか。

       日本(自国)の伝統音楽を考えてもクラシック(西洋の伝統音楽)が「癒し」だけであるはずがない(いやらしい)。カネが入るなら何でもいいが、

       「感情を素手で扱う」ような職業にいて腹が立たないのか。時に命より輝く「命の影のようなもの」は「癒し」なのか。

       ”命”はそれほど薄っぺらいものなのか-----

 

 

    ・・・簡単に感激して貰える場の演奏で「音楽の力」などと言っていると「下手になる」。過去の経験上、”力試し”をしたいのなら「酔っ払い相手」をお薦め

    する。(彼らは理性ではなく本能で聞く。必要ないと判断すると遠慮なく「いらね〜」と怒鳴る。ナンダカシランガ喜んでくれれば相当なものである) 

    弦楽器など音量の小さなものには不向きであるが、そのほか(ピアノ・管・打・歌)であれば、ある意味、どの国際コンクールより厳しい「力試し」になる・・・

    ※かつての旧友達(一流オケ・トップ)に送った言葉であり一般的なものではない。(酔っ払いは「音量」に反応するので常識的には”勧めない”)

    ちなみに「手足ブラブラ」「鍵盤幅に指を広げるだけで激痛・全身冷や汗」から10年リハビリでも「属七がつかめない」ようでは酔払と力比べは出来ない。

 

 

    個々「有史以来」に届くか否か、いなくてよいほど最低の才能しか持ちあわせていないか否かなど、マスコミの力など借りずとも本人が一番良く解る筈

   ----正確な自己評価が出来ないようなら必要ない。他人の評価など微塵も必要としない世界。「逆さ」に見えていることに気づかないのも「能力」(現実) 

       この世界は出世が全てのサラリーマンではない。気の毒だが自分の能力(現実)を受け止められないような精神的虚弱な人間は「邪魔」である。

       最高額の年金で食ってくなら”現実”を受け止めるだけの「力」をもって社会に接してほしい。遅すぎるは「ある」。方法は自分で考えろ----- 

 

 

 


 

現・聖マリアンナ「大学病院リウマチ・膠原病・アレルギー内科部長」「リウマチ・膠原病生涯治療センター長」----2006年当時東大病院アレルギー・

リウマチ科にいた「川畑 仁人」(患者に「”東大病院に入院していたから”作り話をしている」と言った張本人)-----に伝える。

「作り話」で被害にあった経験のある人間は作り話をしない。(「作り話」がどれだけ迷惑なものか、誰よりもよく知っている)。

ましてや、”CRP”の問題は自己免疫疾患だけではなく、結核でもおきており(CRPは信頼に欠く検査)、日本国民全員のみならず全人類に影響する問題。

愉快犯ではあるまい。よほどでなければと声をあげない。医者のくせに調査もせず「作り話をしている」などよく言えたものである。

「東大病院に入院していたいから」という憶測理由をあげていたが、ロケット工学の故・糸川英夫先生ほど面白い先生が東大病院にいるとでもいうのか?

結核予防会、2004年、「肺結核における炎症反応の意義」

 


 

 

 

   15年ほど前、母校・同科の別な名誉教授から「学生当時から学校が期待しており、(今も)期待している」と聞いた。その10年前に再発性多発性

   軟骨炎を発症していたが当時はまだ「慢性疲労症候群」しか診断がない時期だった。その2年後、再発性多発性軟骨炎で入・通院した東大病院

   では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)。 

   「医者」は「税金を使った早期教育許可」を与えた学校・専門家の評価ではなく、「マスコミ」をモノサシに「治療する・しない」を決めている。

   (「マスコミに出ていないから」(素人同然だろうという理由から)、診察室で自分や子供の”趣味”の話を1.5時間〜2時間も平気でする)-----

   京都では自分達の税金を使って育てている芸術畑の人材をとても大切にする。海外でも自分達の税金を使って育てた人間は社会が楽しみに

   育てる。どこの国でも”税金”と「その用途」には非常に敏感で真剣。日本の医者の「マスコミ志向」は「社会」に対してふざけているのか。

   体調は異様に悪く、医者の「気のせい」のおかげで体調の影響は免れなかったが(対処方法がわからない)、医者の言葉を信じ、国費を背負って

   必死で工夫・努力・勉強してきた人間のどこが「治療に値しない」のか。

   日本では「税金」を使ってタレント養成は「しない」。医者は「ナニサマ」なのか。

   

   「再発性多発性軟骨炎の患者がCRP陰性のまま激しい炎症を起こす」ことは海外では膠原病専門医ならよく知っている。実際に海外患者団体

   からも忠告を受けており、国内外恩師と連絡を取りながら、東京で「CRPが正常でも治療してくれる医者」を必死で探し、常に「前医の紹介状を

   得て」探したところ、東京の大学病院膠原病内科医たちは「くるくる病院を変える”患者が悪い”」と、つい最近まで患者非難を続けた。

   患者が治療・コントロール方法を求めてどこが悪いのか。癌患者なら当たり前のことではないか。

   東京の大学病院・膠原病内科では「他院の予約日時・時間まで他院の膠原病内科医が知っている」という「守秘義務違反」まで起き、「希少疾患

   だから」という理由で患者狩りのようなことも発生した。「慢性疲労症候群」のような世界的に巨大な組織に属する患者とは知らなかったのだろうが

   一体何をやっているのか、ほかの重大な問題に関しては警察に相談した(聴取)。         

   「生活がかかっている」と何度伝えても通じない。東京の膠原病内科医は馬鹿なのか。

   (通常、”寿命を縮めるほどの”深刻なしわ寄せが「どこ」にきたか一瞬で理解できるが、”内科医”や何でも自分のポッケに入れる人種には全く理解できない)

 

   

   その間、大きな脳神経症状が再燃(音楽書庫ほぼ壊滅)。

   指も、右小指「石灰沈着型関節炎」を起こし、同指の”全ての軟骨”が激しい炎症を起こして使えなくなり、「手の外科」(演奏家専門・Dr.中尾)から

   「手術」と言われたが、「連携する内科医がいない」という理由で手術できず。

   再発性多発性軟骨炎は大変破壊的な病気で再燃のスピードも”非常に”早い。(夜寝る時は何もなかったのに、朝起きたら激しい炎症が起きている

   ・・・6時間以内。インフルエンザより早い・・・・症状がコントロールできず「くすぶっている」からそうなる)。呼吸器にも大きな症状が何度も

   出ている。「もう本業復帰は無理」。2011年、自宅が震災の被害を受けたこともあり、音楽関係者には誰一人黙って東京を離れ親の郷里鹿児島へ移住。

   東京を出る直前、挨拶に行った日大板橋・膠原病内科・前任教授から紹介された北九州産業医大へ新幹線通院。胸鎖関節陥没や肋軟骨融解

   (リブバンド着用)など次々に症状が出て入院。もう一つの病気「腸管ベーチェット」も悪化。「生物製剤」(ヒュミラ、レミケード)の治療を受けたが

   どちらも1%未満の強い副作用のため中止(ギランバレー様脱力、腸管浮腫、狭心症。レミケードでは「事前にカロナール服用にも関わらず点滴中に

   インフュージョンリアクションで中止したが3つの副作用出現)。治療に行き詰まり阪大にも相談したところ阪大開発の「アクテムラ」では

   (ヒュミラ・レミケードでこれだけ副作用が出るのであれば)腸に穴をあける」「希少疾患なら人口比で東京」とのこと。

 

   ”生物製剤”など「最新の治療」が副作用で使えないことから「古い治療でなんとかならないか」期待をこめて東京に戻り、順天堂大学・膠原病内科・

   名誉教授から紹介された膠原病内科医(北里大・膠原病内科・廣畑)を受診したところ、九州の担当医の情報提供(患者の資料なし)を読みも

   せず「西日本医療はいい加減」だからと言い放ち、診察も検査もなく、患者の話も聞かず、自分の「趣味の音楽の話」を診察室で(親の目前で)

   「1.5時間」。近隣の日大板橋・武井も全く同じ(大学病院で2回とも診察せず「自分の子供の趣味のバイオリンの話」や「自分の話」ばかり2時間・

   3時間。東京の大学病院膠原病内科では「診察時間」に自分の話や趣味を2時間・3時間するのが流行っているのか・・・少なくとも順天堂、

   東京女子医大の膠原病内科では見たことがない)。板橋医師会は「北里大で”全身の”検査をしないと開業医は紹介してやらない」

 

   とうとう、ストレスから東京に戻った年の正月に親が脳梗塞発症。幸い軽度で後遺症は殆ど残らなかったが、その後、別な病気を発症。

   (別な病気に関して。大きな異変が出ているも関わらず”東京では”1年以上「トシのせい」。見かねて、ぶどう膜炎発症以降、眼症状悪化で読み書き

   が難しくなっているところ無理を押して必死で調べたところ、内科医は患者・家族の言葉を「聞かない」)

   -----プロなら、患者・家族から話を聞いて、見て、「おかしい」か「おかしくないか」くらい見当がつかないものか-----

   ただでさえ困難な家事負担増加に加え、人に頼めない「通院付き添い」、付き添い通院時の(親)転倒を支えた”その瞬間”(過度の心身的「ストレス」

   がかかった途端)、「軟骨炎」「ベーチェット」どちらの症状も激しく再燃。(どちらも”一瞬で”再燃する)、2017年10月、それまで出たことがなかっ

   た「ぶどう膜炎」発症。(腸管)ベーチェットは「完全型」となり、以降、眼の症状に日常は困難を極めている。親の歩行困難に気を取られ「踵腓靭

   帯損傷(引きちぎりの「骨折」を伴う)」。なんだこれは。ただでさえ疲労困憊の患者は何が起きてもおかしくない治療法のない病気を持つ患者の

   環境を悪化させてそんなに面白いのか。東京の大学病院・膠原病内科医たちは、真剣に生きている患者相手に遊んでいるのか。

   (現主治医に対するものではない。治療を求めて東京に戻ってからの上記2校でも、各前任教授の懸命な力添えなしでは、浮かれて「CRPが上昇しな

   ければならない」と永遠に騒いでいたかもしれない)。

 

全ては「炎症があれば必ずCRPが上昇しなければならない」とする東大を中心とした膠原病内科医達(”臨床下手”の東京のコクリツ)から始まった。

(東京だけ「文化が違う。”医学”(臨床)も”鉄道”も、「現実」に対してはコクリツなどより「私立」が圧倒的に強いことを地方はよく覚えていてほしい)

 

◆全ては、「炎症があれば必ずCRPが上昇する」という世界中の医者の”根拠のない”「信心」(迷信)から始まった---(誰も理由は説明できない)

・・・日本では2004年に結核予防会から「CRPは信頼に欠く」と発表があったにも関わらずいつまで盲信しているのか肺結核における炎症反応の意義

 

 

◆全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

 

 

     

 

   東大病院や東京医歯科大(東京のコクリツ)、および主な東京の私立大学病院、(当時の日本の主たる膠原病内科医全て)が「CRPが正常

   だから」という理由だけで治療をしてくれず30年以上放置され、手遅れ・症状悪化のため殆ど全てを失った。(ほぼ”全て”、「リハビリとして」、

   ”ゼロ以下からやり直し”をしている。病人の足を引っ張り、「保身」のため同僚を陥れる(守れない)下らない名誉教授や、具合の悪い子供に

   「山登り罰則」を与える付属高校を持つ看板ばかりの「コクリツ」母校など「全く」関係はない。「リハビリ道具」としての独自の世界を持っている

   (治療法がない。自分の病状コントロール道具)

   医者に邪魔され続けて40年弱。日本側、故・恩師の方針「君ならいつでも復帰できる」「健康第一」「まず十分休養」では”十分に待った”。

   (帰国後27年の「休養・待ち」では短いのか・・・その間「医療ボランティア」)

   この病気は全身の軟骨が崩壊するほどの激しい炎症起こし患者の多くは完全失聴する(耳は軟骨の塊、時間の問題)。右胸鎖関節陥没・持続

   炎症の右肩鎖関節・右肋軟骨融解もあり右手の不自由は既に半端ではない。病気の進行のほうが早い。もう待てない。海外の恩師の心配と

   助言は「病人は弾けるときに弾かせないと」「病気みたいなもの完璧に弾けない言い訳にならない」。”法科出身”の巨匠(恩師)が正しい。

   このHPと同じで、病気の特質上「リハビリ」でも、いつ出来なくなってもおかしくない。(医者による)「親の発病」もある・・・介護が始まっている)

   ・・・日本では「のだめ」だか何だか漫画(架空)の影響ばかり強く実態が全く知られていないが、音楽とて「一般社会の一部」(一般社会と全く

   同じ)。政治・経済中心に成り立っており「一つの職業」(職人)である。医者のように「直接世の中に役立つことのない分野」だけにあらゆる

   面で非常に厳しい。(食っていけるのはほんの一握り。上述にあるよう「音楽界」も人間社会の一部、政治から何から”いろいろ”あり難しい)

   誰もが「食いっぱぐれは”ありえない”」と(未だに)信じて疑わないレベルに早期からあり、国費(日米の税金)を使って鍛え上げた人間が「医者

   の検査」ごときに潰されたら、その怒りは尋常ではない。戦中戦後を経験している親(親の家は芸術畑:邦楽・日本画)ともども「長い人生、沢山

   選択肢のある中、一つのことに固執するのはもったいない」と「人間万事塞翁馬」を座右の銘として笑い飛ばして生きてきたが、演奏の場合「訓

   練期間」「費やした時間と金」は尋常ではなく「もの心ついたときから死ぬまで」(一生そのもの)。現実問題としてつぶしが利くものではない。

   ましてや強い脳神経症状がある限り一般職は勤まらない。自分の寿命はしっかり自分で決め、(条件付きで)、引き続き笑い飛ばし乍ら「日常生

   活のためのリハビリ」を続けるが、馬鹿馬鹿しい「お医者様絶対」の日本社会には心底辟易した。

 

 

    「リハビリ」について。「ゼロからやり直し」は慢性疲労症候群を発症した15歳から慣れているが(今に始まったことではないが)、1995年、

   再発性多発性軟骨炎発症以降の「ゼロ以下からのやり直し」は、それ以前とはあまりにも桁が違い「失ったものが多すぎる」「戻らない後遺症

   が殆ど・増える」、おまけに「画像検査に映らない」。なんだこれは。

   東大の膠原病内科なら、2006年、自ら「再発性多発性軟骨炎」を診断した病院でもあり、東大には不忍池を挟んだ向かい側に位置する学校

   のトップクラスが当時どういう教育と訓練を受けてきたか聞き知っている関係者や医者も多い。

   この神経症状について尋ねる。「一体どういうことなのか」「何が起きたのか」

 

   1)”再発性多発性軟骨炎”の延長線上にある「慢性疲労症候群」、および、血管炎の一種、2)「再発性多発性軟骨炎」、3)「ベーチェット病」。

   3つの病気がもたらす”画像に映らない壊滅的な脳神経症状”、「もの心ついたときから訓練に訓練を積み重ねた、職業に直結する、失った

   多くの技術」について説明してほしい。「精神的なもの」と馬鹿げたことを言う神経内科医がいたが、では、「年月日」の問題をどう説明するのか。

   「画像に出なければ信じない」とする神経内科医の見解は聞き飽きた。再発性多発性軟骨炎の脳神経症状は「血管炎」が原因で起きる---

   「CRP」(炎症反応)といい「画像」といい、医者は「見えなければ」わからないのか。話を聞いて「何が起きているか」察する能力もないのか

 

 

   ------2006年、東大膠原病内科では、慢性疲労症候群発症から”16年後”に「再発性多発性軟骨炎」を発症した患者の”慢性疲労症候群”

   (中学3年生・15歳発症)に対し「再発性多発性軟骨炎の前駆症状」と解釈した。”再発性多発性軟骨炎の神経症状”は下記阪大HPや海外の

   再発性多発性軟骨炎情報にあるよう「中枢神経や末梢神経の”血管炎”と関連したもの」である。

 

 

     再発性多発性軟骨炎もベーチェットも「血管炎」に属し、「神経ベーチェット」でも画像検査に映らないものが多い。

     少なくとも「再発性多発性軟骨炎」の「前駆症状」と解釈できる「慢性疲労症候群」の神経症状はどう説明するのか?

     2006年、”慢性疲労症候群”は「再発性多発性軟骨炎」(血管炎)の延長線上にあるとした東大に尋ねる。

     ”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎」の”前駆症状”であるなら、この場合、「血管炎の一種」ということになり、

     ”慢性疲労症候群”の一部には「血管炎」の患者がいるということになる。「”慢性疲労症候群”は(CRPが上昇しないから)

     炎症性疾患ではないので診ない」とする膠原病内科(自治医大)もあるが、それは間違っているということになる。

 

 

 

 

 




1>
なぜ「慢性疲労症候群」を診察しないのか。「CRP」は関係ない

     ・・・1)”慢性疲労症候群”しか該当しない症状が「発症から16年間」続いた。(慢性疲労症候群という病気は「存在する」)

 

※「入院の有無に関わらず」、患者と一緒に作成する習慣のない日本の医者の情報提供書には事実ではないことが記載されていることが多い:最近(2018

年10月10日)クリニックで開封したものには「(2002年)、東京医療センターでPSL60mg/dayを3日間投与後、一週間で減量中止されている(本人のメモ

による)」とあったが、東京医療センターでの主治医は西海医師(元・慢性疲労症候群研究班員)で、「慢性疲労症候群患者」にPSLは投与しない。「本人の

メモ」もありえない。混乱を招くミスの原因は主に医師の多忙によるものであり、日本の医師も、「病歴は患者が一番よく知っている」という前提で患者の目通

しを習慣づけてほしい(今回の場合、明らかに医師の超多忙による米国時代の混同と思われる) 

注:まれに医師の悪意の場合もある:東大病院膠原病内科(当時)教授の「地方の医師」に宛てた紹介状には、明らかに「患者を陥れる不正確な記述」

があった(コピー入手)。東京の医師に宛てた紹介状には「なかった」出来事で、(東大膠原病内科の)「地方の医師」に対する態度を知ることとなり、

非常に驚いた。

 

 

◆「医者の情報提供内容」について。

患者は「紹介先の医師と一緒に読むこと」で確認することになるが(あるいは紹介元の医師と一緒に原文を読むか、お金を払って原文のコピーを入手する)

最も確かな方法は、日大板橋・呼吸器内科・赤柴(前任)教授の方法である−−2016年、東大病院を退院した足で、帰宅途中、呼吸器症状が出た時の

ために伺った際、「東大の情報提供に書かれている内容は本当に正しいですか」と、一言一句、患者と読み合わせが入った。

 

     ・・・2)その間CRPの上昇はない。(CRP上昇があれば「慢性疲労症候群」と診断されない)

 

     *下記死亡者リストの中にも「血管炎に該当する症状を持つ患者」がいるのではないか(素人目には「沢山」該当するように見える)

     慢性疲労症候群の死亡者リスト

 

 

 

<2> もう一つ尋ねる。”慢性疲労症候群の専門家”と称する”倉常”らは「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを

統計的に数値化した比較」の中で「慢性疲労症候群患者の脳神経に炎症が見つかったから神経の炎症が原因”」と、大々的に

宣伝していたが、(慢性疲労症候の一部には”神経炎症”が原因の患者も存在するのであろうが)、 「慢性疲労症候群の

脳神経症状」は本当に「神経の炎症」が原因なのか。”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎の前駆症状のような病態」

であれば「血管炎の一種」ということになり「中枢神経や抹消神経の血管炎と関連した脳神経症状」ではないのか。 

   

 

     「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを統計的に数値化した比較」

     http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140404_1/

      http://news.mynavi.jp/news/2014/04/07/382/

     http://www.genki-dou.net/fatigue_resilience/脳の炎症で起こる慢性疲労症候群!/

 

     ・・・・”患者を診ず”、なんでもかんでも「研究班・ガイドライン絶対」の日本では、「慢性疲労症候群は脳神経に炎症が見つからなければ

     ならない」など更に「患者」に迷惑をかけることにもなる。

     「画像」「血液検査」ともに「検査絶対信奉」はやめてほしい。「やめなければならない

 

 


 

 

医学界は、「検査に異常が出ない」だけで、いつまで「”慢性疲労症候群”の見てみぬふり」を続けるのか

医学界は、いつまで慢性疲労症候群の「差別」を続けるつもりなのか。   

                                                       

「検査」に限度がある以上、今の「エビデントベースト医療」には限界がある                    

 

このページに記したように「慢性疲労症候群」という病名を持つおかげで被る被害は医学界だけにとどまらない

一般に与える影響も考えるのが「医学界」の責務である。

患者救済」が医者の役割ではないのか。一体、何十年迷惑をかけ続けるつもりか。

 

 


 

もう一度伝える

 

◆「全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある)」

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

 

◆「慢性疲労症候群」は倉常らが扱える病態ではない。

 

◆オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

アリソン・ハンターさん・・・「シドニー・モーニング・ヘラルド紙、5月4−5日週末版」(ニュースレビュー37、医学ジャーナリスト、ジュリーロボサム氏)

 

 

 

    *「慢性疲労症候群」の中には”自己免疫疾患”としての「治療」が必要な患者が多数存在する。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     ・日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

----これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか---- 

 

 


 

 

<医療関係者の無理解について>

 

多くの医療関係者には誤解しているようだが「免疫抑制剤次々に使ったから症状が悪化した」ということは「ありえない」。

 

   1979慢性疲労症候群発症

   1989慢性疲労症候群「診断」(米国州立ワシントン大学) 

   1995再発性多発性軟骨炎発症

   2001腸管ベーチェット発症

   2005再発性多発性軟骨炎「診断」 ・・・2005年までの診断は「慢性疲労症候群のみ」で「いかなる治療も受けられない」  

   2011腸管ベーチェット「診断」 

 

 

1.「慢性疲労症候群」の発症から診断まで10年かかっている(この間治療は受けられない)

 

 

2.「慢性疲労症候群」から「再発性多発性軟骨炎”発症”」まで16年、再発性多発性軟骨炎の「診断」まで「さらに10年」(この間も治療は受けられない)

・・・再発性多発性軟骨炎診断の「前」の”診断”は「慢性疲労症候群のみ」。慢性疲労症候群発症からの26年間は「治療を受けることが不可能」

 

 

3.”その間に”「ベーチェット病(腸管型)」も”発症” (これも診断までには「10年」かかっている)

・・・「慢性疲労症候群発症」から「ベーチェットの診断」までは32年かかっている・・・

 

 

*”再発性多発性軟骨炎の診断後”「CRP陰性だから」という理由で十分な治療を受けられなかった期間が「さらに5年」(計32年間)

・・・せいぜいプレドニン単剤(20mg)。速やかに漸減して「4mgで維持」・・・

 

*一時的にステロイドを20mg/day から増量し100mg/日服用の時期があったが「2ヶ月以内」

・・・(低IgG(200)などの重篤な副作用で京都にて5ヶ月入院、自然回復を待ち東京に戻って4mg/dayまで漸減)・・・

 

 

*「慢性疲労症候群発症」から「免疫抑制剤治療」(MTX単剤のみ)まで32年かかっている。

*「MTX単剤」では最高量(18mg/week)でも再発性多発性軟骨炎の再燃を押さえ込めず、

 入院して生物製剤2種に踏み切ったのが「慢性疲労症候群発症から”36年後”」 

*どの医師もステロイドを含め「単剤」から開始して慎重に効果を判断しており、誰も「次々」などという使い方はしていない。 

 

 

”全く治療を受けられない期間”(診断は慢性疲労症候群のみで免疫に関わる薬は一切使用していない期間)

「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症した。

・・・これでも「免疫抑制剤を次々使用したから症状が悪化した」というのか・・・

しっかり状況把握もせず勝手な憶測をするのはやめてほしい。

 

 

 

◆「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症させる『”慢性疲労症候群”とは一体何か』、と問うている。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

   *オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

 

 

発症から16年も経過して「再発性多発性軟骨炎」「ベーチェット病」を発症させた”ことの発端”「慢性疲労症候群」の正体は何なのか。

慢性疲労症候群だけの16年間は、慢性疲労症候群以外の診断基準には全く当てはまらず、また、多くの患者は「慢性疲労症候群のまま」(他の自己免疫

疾患を発症せず)亡くなっており、「慢性疲労症候群はxx病の前駆症状」とは言わせない。

(オーストラリアのアリソンハンターさんは「ベーチェット病に酷似した病態」で死亡した) 

アリソン・ハンターさん(シドニーモーニングヘラルドの記事、医療ジャーナリスト・ジュリーロボサム氏著)

誰でも罹患する、患者数の多いこの病気は、日本では2008年、日本内科学会により正式に「膠原病類縁疾患」に分類されている。

日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf 

 



 

 

 

以上、「慢性疲労症候群の成れの果て」の報告である。

「慢性疲労症候群の”実態”」について。上記おすそ分けにより、多少は医療関係者にも伝わっていることを祈る。

故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しいようである。

(次ページ「京大」参照:日本の研究

著者ような「馬鹿げた」人生を送る子供達を二度と出さないよう、「早期治療」のため、一刻も早く「正しい病名」と「診療体制」を整えてほしい。

同時に結核予防会の報告{CRP(炎症反応)は信頼性に欠く」について、深刻な問題につき、本当に「”東京の内科医達が盲信ほど”価値のある

検査なのか」、「免疫」に関わる科で真剣に検討してほしい。

患者はあなた方の「検査に異常はありません」に振り回され、人生を棒に振り、命を落としていることを忘れないで貰いたい。

 

 


 


 

   1.「血管攣縮」と「血管の炎症」の関連はどうなのか?(心臓の場合、攣縮は「血管内皮の炎症」という説が有力)

 

   2.ミグシスより、「免疫抑制剤」(アラバ)の方が遥かに、確実に、よく効く。

     ・・・心臓・脳の血管攣縮ともに一般的な「血管攣縮」とは機序が違う。自己免疫疾患の場合「生物製剤」使用に伴う「冠攣縮性狭心症」を

    考えて貰えればよくわかる:基本、古典的な冠攣粛性狭心症発作のように朝方発作が多いが、生物製剤に伴うものは発作が起きる時間帯

    も持続時間も「一日中」(いつでも。夜中に頻発もある)。心臓も脳も「攣縮症状」が出るとき点状出血を含め内出血の突然増加を伴うことが

    多い。”カルシウム・チャネル・ブロッカー”一つとっても「シルニジピン(アテレック)20mg/day服用」では血圧は変わらない(下がらない)。

    免疫調整剤などの「副作用」で出る攣縮症状はアラバでも防ぎようがない。(経験がないほど強い症状が出る)

    ”冠攣縮性狭心症”の診断が「地方の医者だから」(異常初見がない)という理由で信じないのは東京・関東の循環器内科医の勝手だが

    「ハートセンター」のベテラン医。(核医学・女性医学専門・・・更年期障害に関しても専門である。「核医学」の専門家が「映らない」と断言

    する症状は、いくら循環器内科医が「映るハズ」と主張しても「映らない」。「医者の検査絶対主義」はあまりにも現実を逸脱している。)

 

 

     ・・・微少血管攣縮性の狭心症は、東京では、東大卒の医師が中心になって「性差医療」とか言われ、地方にまで出かけて

       ”教育”しているようだが、「自己免疫疾患」に伴う「微少血管攣縮」の患者が沢山犠牲になっているのではないか。

       (「免疫抑制剤」でコントロール出来るところ、「自己免疫疾患患者の血管攣縮」まで「ホルモン剤」など処方され、

       治らないまま発症頻度も増し、困っている患者が多いのではないか)

 

 

 

  

      「再発性多発性軟骨炎」の脳神経症状について・・・阪大HPより(「神経症状」参照)   
      E神経障害
      神経症状は中枢神経や末梢神経の血管炎と関連し、頭痛、脳神経障害、痙攣、片麻痺、器質脳症候群、無菌性髄膜炎、
      髄膜脳炎、脳動脈瘤などが生じる(50、51)。視神経症は脳神経障害の中で最も多い。

                                 

                                                   

※1.「眼の症状」(硝子体出血、ブドウ膜炎)、内耳出血、紫斑が示すよう「よく出血する」。

(眼の場合「微少血管出血」のせいか体質か「”短時間で”跡形もなくなる」・・・・本当に微細な血管の出血の場合「跡」は本当に残る・映るだろうか・・・・

・・・2015年の”中耳炎を伴わない”内耳出血発症は「脱水・飛行機」という条件が入ったが、(以下、東京では信じなかったが)、当時受診した耳鼻科医から

「あなたの耳は中耳炎を起こす耳ではない。もし飛行機などの要因なく内耳出血を起こしたら”余命1年”ということだから原疾患をよくコントロールするよう」

との忠告があった(北野病院・Dr. 金丸、京大・耳鼻科臨床教授)。いずれにせよ頻繁に出血するようになっているのは良い傾向とは思えない 

 

     上記の”内出血”(紫斑)がやたら増加している中、胸部、および肋軟骨に、息を吸うだけで激痛が出るように(再発性多発性軟骨炎の強い再燃)。

     病状に関わらず、重い荷物は一手に引き受けなければならない身としては、親の発病(脳梗塞)「前」に、「入院精査・治療法検討」の時間が

     なかったことが本当に残念である。東京に戻った途端、言葉にするのも恥ずかしい、幼稚でふざけた東京の膠原病内科たちの対応には、

     はらわたが煮えくり返る。(医者が寄ってたかって一体何をしてくれたのか。まあまあでは「済まない」)

      親の「入院中」(東京に戻った6ヶ月後)には、あわただしかったが順天堂・膠原病内科に入院した(精査の結果いずれの診断も変わらず)

 

 

     胸鎖関節の軟骨が炎症のために陥没して以来、(テコの原理で)、右指の操作が至難の業になっており、骨格系の障害が多い多発性軟骨炎の

     強い炎症で更にあちこち壊されるとどうしようもない。

     2年前(2016)、はるばる鹿児島から、当時も「全身に」モノスゴイ紫斑が出ていた中(現在の主治医(血管炎研究班班長)が写真で確認-->”紫斑”)、

     「(親族の永代供養より)自分の戒名が欲しい」言っていたほど最悪の体調で「治療の為」東京に戻ってから2年経過(戻って6ヵ月目に東京の膠原

     病内科医達が与えた非常に強いストレス原因で親が発症)。

     未だに引越荷物を仕分ける時間・体力なく、ダンボール山積の中での生活に、いい加減にしろ、と本当に怒鳴りたい。

     ミスのないよう、一つ一つ片付けることに集中しているが、原疾患をコントロールする方法がない中、全く休養出来ない生活では、再燃は防ぎようが

     ない(15歳からの獲得技術を駆使して「これ以上対処方法はない」と言い切れるほどよくやってはいるが、患者として「本当にどうしようもない」)

     「紫斑(内出血)の急激な増加」が原疾患と関わりがあることだけはハッキリしてきた。

     「膠原病内科」という科に属する医者達は、「慢性疲労症候群の成れの果て」から「慢性疲労症候群の実態」を割り出す能力もないのか。

 

 

 

 

※2.脳神経の症状は「後遺症」が残る症状が多い

 

 

※3.過去「硝子体出血」や「細動脈瘤」が確認されている。(後者に関しては眼科医から「全身にあると思って下さい」と忠告があった)

----そもそも、引越しで無理をした昨年(2016)から急にひどくなった「突然、体中に起きる皮下出血(点状出血など)」

「非常に強い頭痛を伴うことが多い」「モノスゴイ”ふらつき”」は何だ?・・・「激しいふらつきや頭痛に伴って”増加する”皮下出血」であり、

プレドニンのせいではない。また、同居人の「転倒」などのストレスでは必ず胸部痛でニトロが必要となるが、これも一体何なのだ?

ハッキリ言って「制御不能」ではないか---- 

 

 

 

上記は「検査に異常が出ないから」「炎症反応が上がらないから」など”検査一辺倒医療”が招いた”事実”である。

これら全ては「慢性疲労症候群」から始まった。服用中止にいたる副作用続発のため原疾患をコントロールする手段はない。

「慢性疲労症候群を発症した時点で治療をしないから」、医者が「検査ばかりに頼るから」こういうことになった。

(37歳でいきなり薬の副作用を多発するようになった。それ以前なら治療が出来た。親しい重症の親しい友人達は全員死んだ。

これ以上、手遅れの患者を出さないでほしい) 

 

◆「検査結果」は「治療をしない言い訳にはならない」

繰り返しになるが、「慢性疲労症候群」(免疫不全)の全国規模での診察開始、および「信頼性に欠くCRP(炎症反応)について」、

早急に検討・実施を求める。(日本には時間がない)

 

                    


 

1.「後遺症との付き合い方」

 

「欠損部分」にピンポイントではっきり自覚があるため、全体の「記憶」はむしろ健常者より「細かく」「正確」である。

(もともとの性格によるのだろうが、「思考」は感情など一切絡めず、物理学者たちが熱心に誘ったように「論理だのみ」となるため、

----既に発症していても若い時(細胞が若い時)のように薬の名前を「薬品名」「商品名」どちらも覚えていてスラスラ出てくるという

わけにはいかないが---、”記録”なしでも、「記憶」は年表のように「細かく正確」で驚かれることが多い)。

・・・論理というのは一つ抜けると成り立たないため「年表のように正確であること」は、記憶する上で、どうしても必要となる。

 

 

 

2.それぞれが「非常に」狭い範囲ではあるが、いくら訓練を重ねても「出来ない部分」(後遺症)は残り日常生活に大きな支障をきたす。

---あちこちに非常に「深く鋭い穴」があいているようなものなのか、「う回路・代替路」でうまくカバーしているが、その部分の機能だけ見れば

他と比べて極端に劣る、あるいは、ピンポイントにそこだけ機能しない。本格的な認知テストでは、余程うまく代替回路を創っているのか

大きな欠損結果は出てこず「全て標準」の結果となる。(中学3年(15歳)から「症状対策」に長けていると「穴埋め」がよほど上手いらしい。

大人で発症した患者の方がテストでは「欠損部分」が見えやすい・解りやすいかもしれない)

”脳全体”としては「欠損部分の”再訓練”」に引きずられ、「働き」「使い方」はむしろ向上する。得意分野はより得意になる。

・・・この部分だけみて脳神経内科症状を「大したことない」と言った(認めない)東大の膠原病内科は何を考えていたのか。

・・・脳神経症状は「慢性疲労症候群」から始まったもので慢性疲労症候群を「大したことない病気」という医者達にも同じ言葉を伝える。

 

                                                                                                                                                                                         

3.「脳神経症状について」…・”脳血管攣縮”だけではなく、”血管の炎症”も一因となりうる。

(・・・再発性多発性軟骨炎は「血管の炎症」が原因で聴覚神経などの神経ダメージが起きる)

「頭痛」(軽度から重度)、「ひどいふらつき」、「嘔吐・吐き気」などを伴うことが多いが、「それらを伴わないこともある」。

   ・・・「慢性疲労症候群発症後」1〜2年以内は実際に頻回嘔吐、学校に行くのに「一駅毎」に降りてトイレで嘔吐:各駅、何両目、何番目の

   ドアが最も近いか把握しており、絶対迷惑をかけないよう必死だった・迷惑はかけなかった。3か月ほど”毎日”続いた

 

 

   東大膠原病内科では”慢性疲労症候群”を「再発性多発性軟骨炎の前兆」と解釈した。京大消化器内科でも同じ解釈だった。

   ただし「16年」(人により一生)「慢性疲労症候群」としか分類できない症状である限り、”慢性疲労症候群”を「単なる前兆」

       「存在しない病気」には出来ない。「治療」が必要

 

   【症状】:子供の細胞でさえ発病前と比較すると得意(専門)分野での記憶は「6倍」かかるようになった。前述の嘔吐や脳神経症状の

   後遺症ほか、ものすごい倦怠感は言うまでもない。膠原病・自己免疫疾患特有の「関節痛、筋肉痛、筋力低下、ほか」を伴う

   ・・・「慢性疲労症候群」診断基準参照。

   ------「”認められている既存の”膠原病・自己免疫疾患から各疾患特異的な症状を差っ引き、脳神経の症状が大変強いもの」が

      ”慢性疲労症候群”である。「慢性疲労症候群」は日本では既に「膠原病類縁疾患」に分類されている(2008年)------

 

 

これでも「慢性疲労症候群」を「大したことない」「気のせい」「心療内科領域」というのか。

これでも「倉恒弘彦率いる、偏った、”慢性疲労症候群の研究”」が「全て」だというのか。

 

 

   ・倉恒弘彦の”兄”は「疲労研究所」という会社まで立ち上げている。

    いくら「慢性疲労症候群研究の資金繰り(患者の為)」が動機でも、「偏ったままの研究」を推し進めたところで実態は永遠に見えてこない。

    (倉恒弘彦:https://medical.jiji.com/doctor/1874

    http://www.fatigue.co.jp/  http://www.fatigue.co.jp/intro.htm https://jgoodtech.jp/ja/web/jc0000000002557

          https://www.weeklybcn.com/journal/news/detail/20130221_19223.html

    https://twitter.com/murataseisakush/status/369141390195712000 

    http://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/column/15/317534/120800003/?ST=tomict&P=2 

     https://www.nikkei.com/article/DGXNZO58625240X10C13A8TJE000/

 

 

   ・「慢性疲労」と、Co-Cure-Japanで紹介している「慢性疲労症候群の実態」とはまったく異なるものである。

    このまま放置していれば、慢性疲労症候群の患者はますます「食い物」にされてしまう。

    「本当に」困っている「慢性疲労症候群」の”患者の為”に、膠原病内科はしっかり「実態」を直視してほしい。

    ------「慢性疲労症候群」は、誰でもかかりうる疾患である。

 

 

 

4.「症状」は攣縮を起こす、あるいは、炎症を起こす「血管の大きさ」と「場所」による

 

 

5.「年月日が解らない」という後遺症があっても「画像」では異常は全く映らない

  〜Admnistrato, Co-Cure-Japan (2018年、7月2日)

 

  

   

  


 

「脳神経は一旦破壊されると回復しない」とのことだが、上記が示すよう、”ダメージだらけ”でも、代替回路により「誰もがダメージを認めない状態」

「著名な物理学者複数から声がかかるほど人並み以上に出来てしまう状態」を創る・保つことが出来る(身体と同じく「工夫・使い方一つ」)。

頻回の「再燃」と後遺症があり、家族がいなければ日常生活・人生は成立しないが、「脳の使い方の工夫」は、”虫唾が走る”としか表現しようのない

”馬鹿げた人間社会”に興味のある人にとっては、試す価値があるかもしれない。

”工夫”の方法は百人百様(自力)。コツの一つは「瞬時に過去を”なかったこと”にする技術」(圧縮記憶技術:瞬時に「過去と比較せず代替回路作り」

に集中できる技術)。命がかかれば誰にでも出来る

※ ”副作用”は「自分が何をすべき人間かわからなくなってしまうこと」であるが、”現実対策”に追われて「どころの騒ぎではない」 

 

 

「脳神経細胞は一度壊れると回復しない」とか、「毛細血管は一度潰れると二度と生えてこない」とか、根拠があるようなないような

ワケのわかったようなことを言う「ワケのわからない医者」の言うことをあまり真に受けず、「自分で」、命がけで「工夫」することである。

・・・・毛細血管は、たとえ潰れて減っても何歳からでも増やす(残りをモリモリ、モサモサ元気する)ことは出来るではないか(下記)。

今の段階でこういう状態であれば、血流だけではなく微小環境を整えたら、とか言い出し、いつ何時また「新常識」。

この手の”医者の説明”は「飽きた」。「できない」「不可能」の”根拠”も完全でないときに「できない」「不可能」は患者にとって迷惑。

「くるくる変わる医学界の常識」にはいちいち付き合っていられない。とにかく人間の環境と同じく「細胞の環境をよくする」「よく使う」・・・・

https://www.amazon.co.jp/ハーバード・パリ大学・根来教授の特別授業・毛細血管は増やすが勝ち・根来/dp/4083331496  

・・・著者とは全く関係ない

 

 

脳神経の場合出来ないものは出来ないが−−−後遺症として戻らないものは戻らないが−−−「工夫しないよりマシ」という状態には自力で戻せる。

「代替回路」を発達させ「全体の機能」「働き」を少しでも向上させる。この手段は制限があるにせよ「出来る」「可能」。

そのうち「医学界の常識」は変わる。

・・・医者の言うことはいかにいい加減なものか。「寿命がある」以外は「ななめに聞く」程度で十分である。寿命は医者に言われなくてもわかってる・・・

 

「リハビリ」の部分は自分しか解らない。”ゼロから復帰”は、(壊れたなりに)、「せっかくだから前よりよくしてやろう精神」を軸にする。

自分でも仰天する症状が次々に出るが、「それがどうした」、いちいち驚かないで、まず笑う (ナンジャこれは)。対策は”そこから”始まっている)

---あまり度の過ぎる壊れようと馬鹿馬鹿しさに笑えなくなった。日本社会が、そこまで「お医者様絶対」でいてほしいなら、医者と心中すればいい。

 

 

 

※ 「薬の副作用」「感染症」と「恐怖心があがる症状」には気を付ける。

 

 

 


 

 

何度も伝えていることであるが・・・

「本人の病状を”全く”知らない」にも関わらず、学生時代の担当教授が亡くなっているのを良いことに、(どこからも文句は来ないと計算し)、鹿児島から関西・北海道まで

”地方”で巾をきかせる同業者(同科、当時助教授・現名誉教授)が、ナイコト・憶測を撒き散らしてることは知っているが、「命」に関わることだけは、「知らない人間」は

黙っていることである。あなたや、あなたの息子さんの「命」にも関わる(血液検査絶対信奉)。 

コクリツに勤めて税金でメシを食ってきた人間が「個人的な理由で国家斉唱が出来ない」までは許容するが、最高額の年金を貰いながら、日本に暮らす人々の「命」に

関わる問題を邪魔することだけは許せない。ましてや「慢性疲労症候群」は「誰にでもかかる病気」である。

(日本にとって迷惑な存在。「税金泥棒」「税金返せ」)

人の命より「自分」「学校」を守りたいなら、後述する「やり直し」が出来るのか(ぶれない軸をもっているか)自問してみることである。(5年10年単位)。

「保身」のために軸がぶれるにも関わらず税金を使ってきた人間は何も言う資格はない。

社会の役に立っている「つもり」(勘違い)で、「役にたないこと」を一生やって税金で食わせて貰ったからには、少しは「具体的に」社会に役立つことを考えてはどうか。

「自分の病気進行」「リハビリ」「親の介護」で多忙な中、「元学生」は医療ボランティアとして26年+。社会に少しでも還元できるよう命がけで生きてきた。

東京の医者に病気にさせられた親は入学のとき、「税金を使って役に立たないことを勉強させて貰うことに覚悟しろ」と叱咤した「まともな感覚」の持ち主。

画策やら根回しばかりに興ぜず、テニス合宿」の責任の取り方を、覚悟して真剣に考えてはどうか。

「もっとも”理屈”が通用しない学校」で「頭がよい」と称えられていても社会では通用しないことを覚えていることである。「頭」が自慢なら不忍池の向こうに行け。

こちらの担当教授(日本側の恩師)が亡くなった”途端”、この人物から直接「恩師を疑う言葉」を聞き耳を疑ったことが「異様な弱さ」を証明している

・・・・・この”弱さ”は「困っている同業者の殆ど全てが”精神病・精神的なもの”に見える」弱さではないのか。それでは苦しいのではないか。

  差し出がましいことだが少しでも役にたてばと願う・・・・・

亡き恩師は「全く理論・理屈の通用しない世界」の中で唯一100%信頼していた。生徒が東大医学部に行くほどズバ抜けた頭脳の持ち主であったが、裏切りや小細工が

嫌いで、まっすぐな性格の師であった。(信じると言ったら「信じる」。言葉どおり)。

教授会「全科満場一致」で日時まで決まっていた奏楽堂リサイタルも、「慢性疲労症候群」についての”余計な一言”を信用した(お陰で”流れた”)。

当時はこれだけ体が壊れてはいなかった。 

---その教授会には「故・姉弟子」(当時教授)がいた。最近まで副学長をしていた兄弟子がいる門下では耳を澄ませばいろいろ聞こえる。

後述の「決定的な症状」以来「教えることも出来なくなった」といっても「地元」には深い「情報網」がある----

いくら専門のことをよく知っていても「命」に関わることに口出し出来る人物ではないことを自らよく知ってほしい。”命”と”音楽”は「違う」。

(「命」は「ある」か「ない」かの”二択”。「生きている」か「死んでいるか」二つに一つ。人間ごときが介入できない非常に厳しいもの)

母校出身者(専門家)としての土台は、ほぼすべて「回復不可能な後遺症」となった。

今後「リハビリ部分」で、たとえ弾けるようになったとしても「専門家」としては通用するものではない。

帰国した1991年から27年間「やってきたこと」(専門)が違う。(「患者」という”専門家”として医者と闘ってきた)。

母校関係者は驚くことも多いだろうが、誰一人として「仲間ではない」ことも覚えていてほしい。(甘えないでほしい容赦できる立場にはない

なお、故・恩師は「第二次世界大戦」に召集されしっかり「社会奉仕」をしたことを明記しておく。「特攻志願だったが”乗る飛行機がなかった”」。

専門馬鹿ではなく、ご自宅には美智子妃殿下が遊びにいらした。

「ナチ・旧ソ連の死の粛清」を知る海外の恩師とともに「社会」(人間)を知る素晴らしい師を持ったことが何より幸運であった。

 

 

 

 

文章と同じく、

“自然の一種”である人間の営みの一つ「音楽」は

どう解釈しようが個人の勝手ではあるが、

(「xxでなければならない」は「ありえない」)

”日本の”医者が押し付けている「癒し」(みたいなもん)だけ”ではない”ことは

戦時下、日本に限らず世界中で「戦意高揚」に悪用された”歴史”が証明している

CRPや検査の押し付けではないが「医者の押し付け」を鵜呑みにする前によく考えてほしい

(日本の医者のいうことが全てではない)

「生命」(自然)に対して「xxでなければならない」は「ありえない」

“教科書”に患者”(現場/自然現象)をあてはめないでほしい

(一般社会では「現場」を無視する会社はつぶれる)

 

 

昨10月(2017年)、付き添い通院時に起きた再燃に伴う「ぶどう膜炎」発症後、モニターの文字が殆ど見えず、読みにくさなどご容赦ください。

<乱視でもなく、白内障・後発白内障でもない、突然発症の「単眼複視」(両目)>

「波」はあるが、縦横のブレで五線紙が十線紙となり(何の音だか読めない)、月も2つ、足元もブレて危険、よく包丁で指を怪我する etc.etc. 

--通常の所見は一切出ない。まず「見よう」とする医師ありき+技術。教科書的な検査が全てではない--

 

 

 


 

再発性多発性軟骨炎

「ベーチェット病」を合併することが多い。多くの難病と同様この病気を診断する血液検査は存在しない。

骨格系や軟部組織だけでなく、血管の炎症により神経・感覚器官を含め「次々と体が物理的に壊れていく病気」と伝えても

「炎症反応(CRP)」しか信じない殆どの日本の内科医達は「患者が死体になるまで」信じない、という。

この病気を良く知る・理解を示してくれる(元・現)主治医には申し訳ないが「日本の医学・医療」には心底、辟易した。

---「再発性多発性軟骨炎」には完全失聴が多い。「耳鼻科」での難聴発覚が診断につながることが多い。

この病気の難聴は「感音性・伝音性」どちらもダメージを受けるため、骨伝導などの対策も含め、対応策はない---

 

 

誰もが知るよう、「介助」「介護」は介護される側より遥かに体力がいる。

病気知らずの人間ならまだしも「病気をよく知る人間にとって」気の遣いようは尋常ではない

自分に「介助・介護が必要な、難病を抱える”病人”」が、介助・介護を行うとき、確実に命を縮める

 

”日常の負担増加”

 

”ぶどう膜炎発症後の「単眼複視」”(両目・突然発症)

・・・血管炎に属する自己免疫疾患(ベーチェットや軟骨炎など)の患者さんで「診断つかない眼の不可解な症状」はありませんか?

単眼複視は所見が一切存在しない特殊な検査と問診が必要で、詳しい専門医しか診断出来ない

(縦でも横でもダブる。乱視ではない。対策方法は「ない」。片目でも両目でもダブルのは不便で疲れるどころか「危ない」)

--年月とともに進行する=「ぼける」から「ダブる巾」が大きくなり、比較的調子の良い午前中もダブるようになる--

文字(対象)が小さくても大きくても「読めない」、月でも人でもダブる。楽譜が読めなくなる(五線紙が「十線紙」に、何の音だかさっぱりわからない)

足元が非常に危ない。調理中、手指によく怪我をする、など

 

アンサンブル(伴奏・室内楽)程度の技巧であれば練習せずとも初見で何でも演奏出来たものであるが (所見移調では歌科に重宝がられ)

もしソルフェージュ能力を再訓練で戻せたとしても、たとえ練習して準備したとしても、アンサンブルはできなくなった。

--アンサンブル(伴奏・室内楽)ではピアノだけが総譜(時によりオケ譜)を読み、全音域カバーしており、

メンバーの誰かが演奏中に事故を起こした時とっさにカバーしなければならないため暗譜というわけにはいかない--

(単眼複視は日(体調)により急激に悪化する。たとえ調子がよい日でも鍵盤に集中してふと楽譜を見えると「見えない」)

 「CRPが正常だから」という医者の勝手な理由で、よくもこれだけ片っぱしから人の職業をぶち壊してくれたものである

(実技に関しては他科にもいくらでも証人がいる)

 

・・・このアンサンブル技術に関しては、日本のために命を捨てる覚悟で戦争に行き(召集・大2次世界大戦・特攻志願)、

運良く生きて帰ってからは命がけで教育に専念した恩師、

および「日本の税金で」雇ったヨーロッパ一級の専門家らにより鍛えられた技術であり、

”支える側”(納税者)にとって「首都で医者に潰された」という結果は欧米先進諸国ではとうてい理解出来るものではない

(一人ひとりが税金の使い道にもっと厳しい)

--”医者でありながら「CRP]や「検査」しか勘な得られない東京の内科医の感覚は論外--

ここから先(技術)は海外の税金(米国:州立+奨学金)で育っている。「出来ない」では済まされない

 

自分ひとりで成り立っている人生ではない。「教えるのは大変なのよ」と奥様

恩師はヨーロッパ巨匠(ナチ・旧ソ連、死の粛清の生き残り)、

恩師の恩師は、誰も到達しえない「完璧」に若くして達し34歳で亡くなったヨーロッパの至宝 

凡人に近づけるところではないが「出来る間に」近づく努力を続ける”義務”がある

”手足ブラブラ”の報告をして恩師から「やめないでほしい」と言われたら「なんとかしなければいけない」 

「病気の性質」と「コントロール法がない」以上あまり時間がない。

 

全ては医者が「実態を知ろうともせず」”慢性疲労症候群”を受け入れない(認めない)ことから始まった

「慢性疲労症候群」を発症した15歳で早期診断・早期治療を開始していれば上述のような事態は避けられた

 

東京の”内科医”教育に関わる人間に問う。

命がけで七転八倒してきた人生を通じて聞きたいことがある

「あそんでいるのか」

日大板橋・膠原病内科・武井に問う。

これでも「自分の子供と同じ”音楽”をやっているから”神経質”」なのか

これでも「慢性疲労症候群」は「心療内科の領域」なのか

医者だから何でも知ってるなど、思い上がりもはなはだしい

 

 

「本人の気持ち」を心配していくれる人が多いが、そんなものは「ない」

小児発症で「健康な状態を覚えていない」上40年間も「CRPが正常だから気のせい」とする医者の「対応策」を”徹底して”生きていると、

全ては「自分にふさわしい状態」であり「つじつまがあう」ため「気にならない」 

(本人は自分の感情や気持ちに邪魔されることなく「納得して」”対応策”に集中出来る=生き残るための獲得技術)

ただ、「周囲の労力」を考えたとき”だけ”「それはあまりにもおかしいのではないか」と考え至ることが出来る

 

実際に激しい全身性炎症(重症の病気)があるにもかかわらず、

医者から「炎症反応(CRP)に異常がないから”気のせい”」とされ、その中で「人並みに」生きようとすると

そこまで”対応策”を徹底しなければ「生き残れない」ことをよく覚えていてほしい

--この方法は、中途半端は精神衛生上「悪い」ので気をつけてほしい--

 

自分の気持ちは本当に「ない」が(あるとすれば”義務感”と”集中”)、

最近、「自分の専門に専念させてほしい(時間がない)という記述をした」

ということは、余程「病状と日常が厳しくなっている」ということであろうと、自分で”正確に解釈”出来ている

「おおげさ」とか「怖がり」、「本当の気持ちはxx」など、”自分”を反映した「勝手な解釈」をする内科医が殆どであるが、

患者は「あんたではない」

医療的には、”医者の勝手な解釈を挟まず”「患者本人や家族の言葉をどれだけ真剣に聞くことが出来るか」。

そこ(医療者の真剣さ)に尽きるのではないか 

患者の言葉を「真剣」に聞くことが出来れば「検査」がどうであれ「おかしい」と感じることが出来るのではないか 

わざわざ医者をからかいに行く患者はいない 

 

ノーベル賞を目指すのも結構であるが「基礎研究」と「臨床」は”違う”。

もう一度「臨床とは」についてよく考えてほしい

”臨床”にとって非常に迷惑な「検査絶対主義」は即刻やめてほしい 

医療は「まず患者ありき」と同様「まず臨床ありき」であることを肝に銘じてほしい 

社会の中で医学だけ特別ということは「ありえない」

どの分野でも「新しい発見」は「現場から始まる」ことを覚えていてほしい

 

 

 

 

”普段でも荷物は持ってはいけない(更に壊れる)ところ「2人分」”

・・・リュックも背負えなくなっている

(「胸鎖関節陥没」や「定期的なステロイド関節腔注射で治らない肩関節炎症」、肋軟骨融解)

・・・2輪・4輪ともキャリーも引いてはいけない、が他に手段がない

(体がねじれる=壊れる。強い炎症が止まらず軟骨の強度が落ちている)

(「踵、足首、足指・足関節の腱・筋膜・軟骨炎症」(むくみ腫れを伴う)のため吐き気がするほど痛い--歩行中「歌」を歌って誤魔化す)

 

その上”重い荷物”

(一旦症状が出ると食べられるようになるまで4カ月かかる腸管閉塞や、激しい炎症が起きた部分が破壊される多発性軟骨炎の症状を簡単に再燃させる) 

 

”外出頻度の増加”

(「2〜4週間に一回が限度」のところ、自分の通院は最小限(2か月に一回)でも”付き添い受診”が「連日」や「週3日以上」)

 

”ほか”

・疲労困憊で薬の服用指示を間違っていることに気づかず、薬剤師の確認があって初めて気付く

・ 歩行困難に付き添う必要上、常にエレベーターばかり探して乗り、歩くスピードも超遅く、

付き添い外出で時間・体力がなく、外出が多い割に超・超運動不足となり、血圧など問題が起きている

(代わりがいないのでどうしようもない)

--「心電図に異常が出たことがないから」と東京の循環器内科は”まだ”診ようとしないが「エルゴ負荷テスト」では”狭心症の波形”が出る(必要時ニトロ使用)

その状態で「血圧上昇・パターン変化」-- 

 

・・・等々等々、主治医から「避けるよう」指示のある「やってはいけないこと」ばかりでは、悪化しない方が不思議 

(主治医には「病識がない」と叱られるがどうしようもない。東京の内科医によるストレス以降どう考えても「環境」が良い方向に向かっていない) 

 

たとえ健康体であっても、体に悪い生活を続けて長生きできるとは思えない、が、どうしようもない。

(東京に戻ったら「そうせざるを得なくなった)

 

 

*何万回でも言う。2016年、東京に戻った途端、東京の内科医が異様なストレスをかけるまでは、親は「医者が驚くほど」元気だった

(鹿児島の主治医達が証言出来る)

---トシのせいではない。次々と異変が起きる前に会った東京の某大学病院・ベテラン教授から「美しくトシを重ねられた」と言われていた---

(家族でなくとも”歩行困難”は「誰にでも」わかる。患者の「前」を知らない医者にはどうこう言えない。家族からよく話を聞けばよい)

 

 

「火事場の馬鹿力」は長期間もたない

---通院付き添いで基礎トレの時間・体力もなくなっている。自分の為の大事な検査でさえ「さらに」延期せざるをえない状態にある---

経験のない規模の大きな再燃、怪我(靭帯断裂、骨折)はすべて「通院付き添い」で起きている。

自分の事とは気の遣い方が違う) 

 

怪我で手術になっても、”ベーチェットを持病にもつ患者の手術は非常に難しい”

(縫ったところ縫ったところ片っぱしから化膿する、糸が外れる)

 

 

・・・これが、「患者を信じず」、(CRP陰性に関して)「死体が出たら信じる」という考え方を「未だに」貫き

いつまでも「CRP」を振り回している殆どの「東京の内科医」の「実態」であり

上記は大多数の東京の膠原病内科医・内科医の「狙い通りの現実」である(死体になれ)

---その現実は着実に近づいている---

※ 医者である限り、治療法のない重病人に「医者が」異様に強いストレスをかけたらどうなるか解りきったことで、

東京の内科医達は「患者を殺す方向性」にいたとしか考えられない

(どうなるかわかりませんでした、患者の被害妄想、とは言わせない) 

自分たちを守るためには「東大傘下・関東一丸となって」犯罪まで犯すのが大部分の「東京の内科医」だと覚えていてほしい 

 

 

・「治療法のない病気」は「取り返しがつかない」ことを肝に銘じてほしい

(眼、耳、脳、軟骨、「体中」どこであっても、壊れたら壊れたまま二度と元に戻らない。治す手段はない)

 

「再発性多発性軟骨炎の診断」について

--日大板橋膠原病内科教授・武井のように--

1)いつまでも”疑う東京の内科医は「難聴の進行」を「大したことない」というのか 

2)いつまでも「生検が必要」という医者は「耳介軟骨の変形」では不十分というのか 

3)利き手側の右「胸鎖骨関節陥没」では、どれだけ腕・手・指の操作に難儀していると思っているのか

 

武井が誤診した”繊維筋痛症”は

「難聴」や「耳介軟骨の変形」「胸鎖骨関節陥没」「全身の紫斑」(盛上る・あがらない両タイプの皮下出血)などを伴う疾患ではない

(1989年から繊維筋痛症の情報をフォローしているが「聞いたことない」)

・・・Co-Cure-Japan では、日本にまだ繊維筋痛症の概念がなく情報が少ない時代に翻訳情報を提供している 

繊維筋痛症(FMS)に関する情報

 

 

 

・・・”教育”と同じで、患者は「医療者側の願い」(方向性)に自然と沿うことになる

---医療側が「死体になってほしい」と願えば、「環境」が整わず、その患者は死ぬ--- 

おびただしい数の慢性疲労症候群の友人たちは「医者」に無視され、「医者」を信じた行政・社会(環境)によって命を落とした)

医療者が「ナントカなってほしい」「治ってほしい」と心底思い・願えない限り、患者は快癒に向かわない・・・ 

(医療の最後は、”技術”を超え、患者/家族・医療者、双方の「祈り」になる)

 

 


 

本当に患者のことを考えていれば

いつまでもCRP「だけ」にとらわれ

西日本では既に開業医でも使っている「SAA」(Serum Amyloid A蛋白、炎症物質。CRPの一種)を使わないどころか

医学部教授達(名誉を含む)が「知らない」(情報が入らない)という現象は「起きない」「起こさない」

(関東・東京の場合、どこが情報コントロールしているのか”誰もが”見当がつく。「炎症物質はCRPだけではない」)

命・医療は遊びではない

 

※SAA(血清アミロイド蛋白A)も「単なる検査の一つ」であるが、医師にとって「道具」は多い方がよい。

SAAは保険適応の検査で、測定に特別なキットは必要ない。

ただし「CRP」と同時に測定は出来ない。結果が出るまで1週間ほどかかる 

(当組織と検査会社とは全く関係ない。CRPと同じく、SAAが陰性でも全身性炎症が存在しないという証明には「ならない」)

 

 

「激しい全身性炎症があっても炎症反応(CRP)が上昇しない」について 

(自己免疫疾患だけではなく、感染症(細菌・ウィルスを問わず)、癌など)

”板橋医師会”は「大学病院で全身の検査をしないと開業医を紹介してやらない」と言ったが、

(「ポリシーが違うからほかに行け」と患者を追い出した開業医もいたが)

たとえ東京でも、「開業医」は、自分で考える能力を持つ、まっとうな医師が多い。

よく考えてほしい。

臨床において、この本末転倒がいつまでも続いてよいものかどうか

(患者の症状・訴え、医師の所見よりも、「検査重視」) 

 

 

※昨今の大学病院(紹介)は、「誰」というのがわからない限り、開業医の先生方のほうが臨床技術が高いことが多い

(すでに地方では顕著な現象だが、--現実は「玉石混交」ではあるが--、「腕に自信のある人材」が開業する時代になっている)

「誰」という具体的な目的なく大学病院を紹介されると患者は余計な混乱を経験することが多い・・・その程度の診立てなら開業医の先生は紹介しない・・・

--もはや、かつての「大学病院」ではないことを知ってほしい。難しいことを相談しても”検査結果に頼る”大学病院では「わからない」「勘が働くほどの経験もない」--

 

日本では、医者情報を収集出来ない人が殆どである。

たとえ、これまで人の為に情報収集をしていた人間であっても高齢や病気で出来なくなる

開業医の先生方には積極的な「情報収集」をお願いしたい

「この先生ならば」という医師がいれば面識がなくとも紹介して頂きたい

 

 

 


 

「社会」というのは医者が考えるほどやさしいものではない 

一人一人が苦境を抱えて余裕がないため、

慢性疲労症候群やその関連疾患患者のような「元気にみえる病人」など「死ね」と念じている場所だと思ってほしい 

(もし人間社会がなまやさしい場であれば、慢性疲労症候群に限らず「弱者に理解を求める運動」など有史以来世界中どこにも存在しない)

 

 

「今更」では”遅すぎる”

”現実”は「介助のため休養できない」「治療法がない」、結果「進行が止められない」

楽しそうに見える簡単な会話、気の抜けないちょっとした外出だけでも「体力」「気力」を振り絞っている。体力がない

次から次へ同居者が難しい健康上の問題を起こす度、経験したことのない再燃を起こし、「一気に悪化」を繰り返し始めた

同居者の健康上の異変が続いたら”もたない”

(病態がただごとではない介護者の方が先に命を落とす---主治医が知っている

---2016年、東京に戻ってから内科医達がかけた強烈なストレスにより、かろうじて保っていたバランスが崩れ「順番」が狂った---

(東京の内科医達が順番を狂わせたことが決定的となった。大変残念であった。残り時間が少ない) 

※生物的な本能から「順番が狂わない限り」(余程のことでない限り)、親子間の生死で危機感を持つことは「ない」

 

 

1) 医者には解らないが、3歳から同じことをほぼ毎日50年以上続けている人間には発病後の経年による「変化」が非常にハッキリ解る

 

2) 東京に戻ってからの体調の”激変”は「最近の”再燃の症状”」から「長患い」にはわかる 

「外出翌日からの体調悪化」も以前と全く違う」)

 

3) また「骨格系の病気」と「ステロイド筋炎」が重なった状態は、短期でも、「基礎指トレ」ブランクによるダメージも桁違いに大きい

(2〜3日でモノを取り落とすようになる) 

 

 

慢性疲労症候群時代(15歳から)培った「対応策・獲得技術」をフル活用して「日常生活の為に」工夫を続けているが

医療ボランティアとしてではなく

専門分野の為に税金を使って勉強することを許可された人間であり

演奏したい曲は数えきれないほどあった 

時間を返してほしい 

 

どの患者でも、真剣に生きていない患者は存在しない

赤ん坊の頃から知る親の友人は知っている。

親も子も真剣に生きてきた

”戦中派”の親からは「命がけで生きること」を学んできた 

同業者ばかり擁護し「患者を嘘つき呼ばわり・非難ばかりする」不真面目でふざけた医者とは違う 

 

理解できない医者は永遠に”炎症反応”(CRP)や”抗体”と遊んでろ

 

 

・・・・・・・・

 

「膠原病の抗体」について

「陽性になるタイプの人(低確率)の中」で精度を追及した結果「病種まで解るようになるほど精度が上がった」

と、昨今、急に膠原病内科医が振り回し始めた検査で、患者が大変迷惑している。

CRPと同じく一般社会にもってくると信じられないほど「偏った」検査である。

---「xx病であれば絶対陽性にならなければならい発想」ありき

「病気を発症しているにも関わらず陰性」は最初からカウントされず永遠に無視される---

炎症反応(CRP)も抗体も高齢者では上昇しないことが多々あることは「よく」知られている

(どこまでいっても「参考程度」の検査であって「絶対ではない」)  

 

・・・・・・・・・

 

「抗体」について

一般では「ピロリ菌の抗体」の”抗体”が身近に知られている。

ピロリ菌検査のとき、「抗原」(検査)にしますか「抗体」(検査)にしますか?と聞かれることが多く、

違いを尋ねると「抗体は、人により、”体”が産生しない場合がある」と答えが返ってくる。

どういう場合でも「“抗原”と”抗体”の関係」は同じである。

つまり、同じ”抗体”でも、

「ピロリ菌の抗体」は、ピロリ菌に感染していても人により産生しない場合があり、

「膠原病の抗体」は、病気に罹患している人が「絶対全員が産生する」

と、医者が主張している、ということに。

(”感染症”よりも「遥かに免疫的に複雑でメカニズムも解明されていない膠原病”」発症に対する抗体産生を「絶対」と言い張る)

一体どういうことなのか? 

 

・・・・・・・・

 

※膠原病内科が関わると”検査”が「絶対」になるのはどういうことなのか? 

東京の内科の「偉い人たち」は、同僚の矛盾を指摘するどころか「気付かない」

怒る、ムキになって患者を非難する、カルテにありもしないことを書く、等々

アホ臭くて、誰も「日本の医学」なんぞに協力しようという気はなくなる (勝手にやってろ)

「命」にかかわる分野で”自浄作用”のない組織は社会に必要ない

 

医学は「まず患者ありき」

患者の報告・協力なしに医学は成り立たない

 

 


 

 

役に立たない職種に属する人間であり、見事に馬鹿げた人生であったが

Co-Cure-Japan の内容が少しでも社会の役に立ったならば幸せであった。

今後は、日本でこれまで延々と続いた「医学界の医療」ではなく「社会の医療」を創りあげられんことを心より祈り上げる。

---何があっても決して忘れないでほしい。「医療は一体誰のものなのか」---

 

 

40年も変わらなかった医療は「変わらない」。患者が賢くなって「検査」を振り回さない医者を探すしかない。

「”検査だけ”で判断する医者」が「間違っている」。

どんなに偉い医者でも「検査絶対」の医者に当たったら、そいつの言葉に振り回されず、

さっさと愛想をつかせ、”内心”「アホか」と唱えて「堂々と」医者を探す。

 

医者が理系の中の特別な存在「ではない」よう、一般社会における理系は特別な存在ではない

「理系の感覚」は、プログラミングみたいなものを習得せずとも、生き物であれば「ごく普通に持ち合わせている」 

---理系も文系も体育会系も「生き残る」為には”論理的思考”が不可欠---

(コレは食えるか食えないか。言語(音楽は典型)も論理。生きることすべての根底に「論理」がある) 

(上述の「抗体」で”平気”な日本の内科の偉い人達や膠原病内科医を理系と考える方がアタマがおかしくなる)

「医者だから正しいハズ」と「医者」を特別視し”考えることを放棄”する前に、「自信を持って」よく考えてほしい

(理にかなっているかどうか)

「日本」の場合、”あまりにも極端に”、社会が「医学」を特別視してきたことにも問題がある (お医者さま文化)

 

 

医療は「まず患者ありき」であることを覚えていてほしい。

ワケのわからない医者につきあうほど人生は長くない。

(検査を振り回さない”まともな”医者は必ずいる。本能的に「お願いします」と伝えている自分に気づく) 

「慢性疲労症候群」の段階で「早期発見・早期治療をしていれば、国の内外に関わらず、このHPに書かれている問題は起きなかった、

「次の犠牲者はあなた」であることも覚えていてほしい。(検査に異常がないから何もありません・気のせいです)

 

 


 

 

「慢性疲労症候群」について

 

◆ 実態を知らない医師達は「慢性疲労症候群」のことを「ゴミ溜め」(なんでもかんでも慢性疲労症候群)、と表現する医者も”沢山”存在するが

  患者が実際に「慢性疲労症候群」の診断基準を満たすことは難しい。

 

以下、もう一度、慢性疲労症候群で亡くなった「アリソン・ハンターさん」の記事より抜粋を紹介する(・・・シドニー・モーニング・ヘラルド紙)

 

 

 

   ・アメリカとイギリスの推定値によれば、慢性疲労症候群は200〜500人に1人の割合で、罹患する可能性がある。

    オーストラリアには10万人の患者がいる可能性がある。

 

   ・疲労という言葉が病名に含まれているので、慢性疲労症候群(CFS)が大したことのない病気に聞こえるかもしれないが、
    一方、診断基準は、実際には非常に厳しいものである。少なくとも6ケ月以上、説明不可能 な疲労が認められ、記憶力低下、
    集中力の欠如、のどの痛み、頸部リンパ腺の痛み、筋肉痛 と関節痛、頭痛、運動の不調が長引くなどの症状を伴わなくてはならない

 

  ・アリソンさんが亡くなる6週間前、新らたに関わった専門家は、彼女が複雑な免疫症候群であるベーチェット病にかかっている可能性を疑った。
   正当な病名とともに、権威ある医者たちもアリソンさんを受け入れ、親切に対応するようにすらなった。「彼女がこれまでずっと受けるべきだった

   対応を今になって受けるのを見るのは全く耐えがたいものだった」とアリソンさんの母親は述べた。
   しかし、アリソンさんはベーチェット病(※)と正式に認定されず、そのころにはすでに非常に衰弱していた。
   最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった。

  ・ローヤル・ノースショア・ホスピタルの血液学のトップであるジェームス・イスビスター医師は・・・・、「正直なところ、最期は、手の施しようがなかった。
   彼女に対する医療機関の対応には、非常に困惑してしまうことが多かった。彼女が体験した多くのとんでもないことは、医師自身の恐怖感と
   能力不足を投影したものである。なぜ、彼女が医学的に重病であると、いずれの医師も考えなかったのか私には分からない」と言い、
   彼女は、侮辱と残酷な扱いを受け、尋常でない身体的な苦痛を味わい、まるで、「強制収容所に入れられた人のようであった」と述べた。

 

  ・イスビスター医師は、理解できないことを認めることができない医療システムを嘆いた。
   一人の教育者でもある彼は、医学生に対し、「偏見を持たないことの重要性と、症状よりも患者に注意を傾ける必要性」を強調した。
   「病気の存在を信じなければ、決して診断できないのだから」と、彼は学生たちに教えた。

 

>原文:http://www.ahmf.org/smh040502.html 

 

Co-Cure-Japan, Administrator

 

・慢性疲労症候群:[どの診断基準であっても”すべて”満たす・重症]・・・(発症1979、診断1989・米国:州立ワシントン大大学院)

  ほか、1994慈恵医大、2001年東京女子医大、2004年東京医療センター

・再発性多発性軟骨炎:[重症]・・・(発症1995、診断2005・東京医科歯科大)

 ほか、2005広尾日赤、2006東大(入院)、2008埼玉医大(入院)、2009京都宇多野病院(ステロイド事故の後始末のため5カ月入院−関東に信頼出来る病院が見つからず)

 2011鹿児島日赤&北九州産業医大(入院)、2017順天堂(入院)、2018東京女子医大(再三入院を勧められているが家族介助のため不可能となる)

・ベーチェット病:[Stage 4]・・・(発症2001、診断2011・鹿児島日赤 & 2013・北九州産業医大(入院)

  ほか、2017順天堂(入院)、2018東京女子医大(再三入院を勧められているが家族介助のため不可能となる)

 

※1.いずれも”発症から診断”まで「10年」かかっている(炎症反応(CRP)が正常のため)

※2.「再発性多発性軟骨炎とベーチェット病」の症状悪化のため治療を求めて、親および親の職場の上司ともども親しく最も信頼のおける医師(故)に逐一詳細報告・相談の上

『指示通り』東京で転院を繰り返すが(前院の紹介状を必ず持参)炎症反応(CRP)陰性」のため関東ではどこも治療をしてくれず結局、治療は、九州転居の2011年以降

(治療は「診断から更に6年」かかった---再発性多発性軟骨炎症から治療まで「16年」・・・珍しい病気で難しかったから”ではなく”「炎症反応(CRP) が陰性だから」)

 

  --日本で比較的患者数の多い「ベーチェット病」について。

  ”東京”では(一般に)「CRP上昇」がないと診断もつけなければ治療もしない

  「慢性疲労症候群」(ベーチェット病と酷似した症状)で亡くなった「アリソン・ハンターさん」と同じことが、東京(日本)では「ベーチェットの患者」でも起きる 

  全身性炎症があってもCRPが上昇しない患者は自己免疫疾患にとって珍しくないにも関わらず「ベーチェット病だけ」は「CRP陽性でなければならない」とする

  CRPが陰性のベーチェット病で”Stage4”の重症患者と家族が「どうしたらよいのですか」の尋ねたところ、”前”血管炎研究班長(廣畑)は「さぁ」

  (炎症反応(CRP)の数値”だけ”」で重症度を判定するのが「東京内科医療」。白血球が一万を超えても炎症反応(CRP)が上昇しない限り「扁桃炎」さえ見落とす) 

---2010年、東京医科歯科大で、「その日の血液検査では白血球が1万を超えており」「患者が風邪症状を懸命に訴えた」にも関わらず、担当の膠原病内科医が

「炎症反応(CRP)が陰性だから」という理由から「白血球増加はプレドニンのせい」と患者の訴えに全くとりあわず、患者が執念で同病院「耳鼻科」を受診したところ

「扁桃炎だった」ということが、実際に起きている--

 

※3.試した生物製剤は2種とも(ヒュミラとレミケード)「1%未満の副作用」(狭心症、ギランバレー様脱力、腸管浮腫)出現のため継続できず

   「手遅れ」のため最新治療法が重篤な副作用で使用出来ず、「希少疾患は人口比で東京」(阪大)とのことで、古い治療法を求めて東京へ戻る(2016)

 

 

*「炎症反応(CRP)は正常です」「検査に異常はありません」「何もありません」が、”患者”に何をもたらすのかよく知ってほしい  

 

『CRPは決して絶対ではない』 (自己免疫疾患だけではなく、結核でも「炎症反応(CRP)陰性」は起きている

 「結核予防会」のように「人類の存亡に関わる感染症の研究」という重責を担う専門家集団の報告が「東京の学校の先生たちに無視される」というのが

 理解できない。(嫌味や侮辱でも何でもなく、一般社会に出れば医学部の教授と言えども単なる「学校の先生」) 肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 日本の結核罹患率は先進国の中で最悪と聞く。「炎症反応(CRP)絶対」をふりかざす医学部に属する学校の先生たちは日本人を殲滅させる気なのか。

 ”先進欧米諸国に比較すれば30年程度の遅れがあり、日本において結核が公衆衛生上の問題でなくなるまでには、まだ半世紀以上かかると考えられます”

 ----結核予防会HPより http://www.jatahq.org/whats_jata/index3.html 上部タブより[結核予防会とは]->[基本方針]--- 

 

    ★何度も伝えているが、日本では「結核撲滅」と考えられていた時期に医学部で「結核を教えなかった空白期」が長く、「学校の先生たち」は結核の実態を「知らない」

    (習っていない。90歳を超える医学部名誉教授(免疫)は「教えなかった」)。医者も患者も「大学病院が全てではない」ことを肝に銘じてほしい。

 

*政府も知ってか知らずか中央の医者の言いなり。「東京内科医療」は”一億層活躍”と「真逆」の方向性を持つことに気づいてほしい

 

 

 

 

 

 

 

『病気”みたいなもん”、完璧に弾けない言い訳にならない』

 

「恩師の言葉」が示すよう、芸術畑は「常識外」のところに存在する

 

 

第一線で活躍する母校(附属)の同級生たちは彼らが信じる一級レベルに戻らない限り「許せない」 

病気をして、「羨ましい」とか「許せない」とか、難病指定の署名活動では「みんなの気持ちを考えて伝えないことにする」とか、

唖然とするばかりだが、そういう世界もある。

”病人”と見ればナンデモ「お涙ちょうだい」へ逃げる発想しかない医者から

厳しいプロの世界を理解されなくてもいい 

「税金で勉強せてもらったのはどの分野なのか」「試行錯誤すべきはどの分野か」

 

 

「昨日出来たのに今日出来ない」。毎日の「変化」でさえ困難極まりないが

「ベーチェット病」も「再発性多発性軟骨炎」も”一瞬”で破壊的な再燃を起こす病気 

(完全失聴や呼吸器炎症による窒息も含む) 

恩師や、恩師の恩師のような演奏は一生ありえないが

「決定的な事」が起きる前に

留学中・帰国後「続行不可能」を告げるまで10年間日本に教えに来て下さった

(誰のために日本に来ていると思っているのか)

恩師との約束を果たす為の「試行錯誤」と、”介助”に専念する。 

---廃止ではないので御安心下さい---

 

 


 

肩および全手指関節・腱に激痛を起こす過酷なタイピング作業に加え

「単眼複視」出現後はモニターがよく見えず文字通り難儀したが、出来る限りのことは伝えた 

重度の「病人」が伝えたことである。

重く受けとめ即実行してほしい。命に関わることである

 

1)慢性疲労症候群の「正当な診療」(早期発見・早期治療)

2)「CRP陰性」は全身性炎症疾患の否定「ではない」

3)極端な「検査重視の医療」(エビデント・ベースト・医療)は医療そのものの”安全性”を脅かしているだけではなく「被害が出ている

 


 


---15歳から医者のいうことを黙って聞いて必死で生きていたら、もはや、上手い下手の問題ではなく、「時間の問題」となっている---

(何が「希少疾患」か、迷惑な。患者は自分の病気に「興味」が失せると医者の相手はしなくなる/出来なくなる)

「最も難しい職種」に属する人間を相手に、治療法も知らない・解らない上「検査絶対」を貫いていた「医者の自業自得」と考えてほしい

演奏は「先の予約」でしか動けない。先の見えない病気を40年近く放置して、どうしてくれるのか 

 

 

 
何万回でも言う。15歳で発症した「慢性疲労症候群」で治療を開始していれば、こうはならなかった

 

---全ては「慢性疲労症候群」から始まった---

(「慢性疲労症候群」は誰にでもかかりうる病気。医者がこの病気の存在を認めない限り救済は出来ない)

 

 

 

*何万回でも言う。東京の内科医達が「炎症反応(CRP)」を”絶対視”する医療を延々と続けなかったら、ここまで悪化しなかった 

 

---よく覚えていてほしい---

「炎症反応(CRP)」は「自治体の検診」に使われている一般的な検査であり

「あなたの問題である」ことを

(検査に異常がないから何もないです。気のせいです)

 

 

 

 


 Co-Cure-Japanホームへ

Copyright © 2002 Co-Cure-Japan, All right reserved.
ご意見/ご感想はこちらまで。
Please report any problems with this page to the Webmaster.

 


慢性疲労症候群と
その関連疾患に関する
--「情報提供」--

The name "Co-Cure" stands for "Cooperate and
Communicate for a Cure."

Co-Cureとは、完治に向けた協力と交流を表しています。

 

    inserted by FC2 system