以下、自らは医者に(血液検査に以上が出ないから)「死んでもよい」「死体が出たら信じる」と言われ続け、

医者のせいで、おびただしい数の友人を失った人間が知る”実態”である。

 

医者が「エビデントベースト医療」をかかげ「検査」ばかり信じ「患者の訴え」(言葉)を聞かないことにより、

日本のみならず、世界中で同じことが延々と起きている。(医療は誰のものなのか)

 

-----特に、日本は医者に「さま」をつけるほど特別扱いする社会風習があり、「検査に異常がありません」「ストレス」

「気のせい」と医者から言われたことのない人はいないほどで、日本(特に東京)の”内科医”の臨床技術低下は目に余る。

また、既に世界が経験したことのない超少子高齢化社会に突入しており、その弊害は、他の先進国のものとはレベルが違う---

 

 

 

 

 ・「CRP(炎症反応)」については、未だに医者は「感染症や全身性炎症があれば”絶対に”上昇する」と頼りきっているが、

 2004年、結核予防会(結核に特化した感染症の専門家)は「信頼性に欠く」と指摘している--- 肺結核における炎症反応の意義 --。

 慢性疲労症候群のような自己免疫疾患の患者では「実際に全身性炎症があるにも関わらず”CRP陰性”」は多い。

 (「炎症反応との食い違い」は医者が考えているよりはるかに頻繁に起きている)

 「CRP(炎症反応)」は自治体の検診にも使われている「ごく一般的な血液検査」で、検査結果で「CRP」(炎症反応)が

 上昇していなければ、医者は「何でもありませんね」という。

 「信頼性に欠く血液検査」で病気を見落とされては、患者はたまったものではない。

 ”今この瞬間”にも「炎症反応(CRP)が上昇していないので何もありません」「気のせいです」の犠牲者が出ている。

 

 

 ・「慢性疲労症候群」に関しては、日本では”自己免疫疾患”に分類されているが、患者数の多い「誰でもかかりうる病気」であり、

   決して人ごとではなく、医者・患者に関わらず、このページを読んでいる「あなた」の問題であることを留意してほしい。

   日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

・ 子供の慢性疲労症候群は、医者の理解がない限り学校や周囲の理解を得られず、非常に難しい人生となる。

  (小児発症の場合、「早期発見・早期治療」で、健常者と同じ人生を送ることができる確率が高くなる)

 

 


 

 

行きがかり上、同業者にも通知する必要性が起き(最下述・黒背景)、専門分野の内容が入るが、

1)「”慢性疲労症候群”という病名を持つ」、2)「”炎症反応(CRP)が上昇しない”」ために起きる『現実』、

および、3)「慢性疲労症候群に関わる疾患の症状」であり、「何が起きるのか」よく読んでほしい。

 

  論理の飛躍を避けるため、出来るだけ詳細にわたり記して説明したつもりであるが、不十分な部分はご容赦下さい

  「患者と家族が東京に戻ってから起きたことは、医者として正しい対応だったのか」「正しくないとすれば、どうすれば良いのか」

 「”CRP”は殺人までして信じなければならない血液検査なのか」「”慢性疲労症候群”は本当に正しく扱われているのか」

 「”CRP"や”慢性疲労症候群”を患者に対して“正しく”扱うにはどうすればよいのか」

 

 

「CRP」や「慢性疲労症候群」の犠牲者は日本のみならず世界中に驚くほど沢山存在する。

教科書や既存の考え方にとらわれず、専門家には、自分でよく考え、気づき、実行により、現場を変えていってほしい。

 

「慢性疲労症候群」というと、医療関係者からは「笑い話」や「大したことない」とされるが、その深刻な「実態」に

一刻も早く気づいてほしい。「全ては慢性疲労症候群」から始まった(全身性炎症があるのにCRP陰性)

 

 


 

  Co-Cure-Japanは、「慢性疲労症候群」と「その関連疾患」に特化したウェブサイトであり

「内科」の医者が論点となっている

 

---外科医においては、科学者と思えないほど「炎症反応(CRP)」を盲信する内科医に振り回されず、

検査(CRP)に依存することなく、五感およびあらゆる技術を動員し、しっかり自分で「患者の容体」を診てほしい---

「炎症反応(CRP)が上昇しない痛みは繊維筋痛症」とする膠原病内科医や、

「ポリシーが違うからほかに行け」と”事実上”「診療拒否」をした内科医のいる地域(東京)では気を付けてほしい

 

 


 

 

  ”慢性疲労症候群”は

「筋痛性脳脊髄炎」という病名に改名しようとする患者活動があるほど脳神経症状が知られているが

「脳脊髄炎」(神原性疾患)としては受け入れられていない。

----慢性疲労症候群と同じ「膠原病類縁疾患」(自己免疫疾患)であるベーチェット病など、

他の「血管炎」に属する「画像に映らない」神経症状は”血管の炎症”が起因となる----

 

倉常らの「脳脊髄炎説」(神原性説)は「全身性炎症があるのにCRPが陰性だから」(全身性炎症があれば

「CRP」が陽性になるハズなのに、陽性にならないから「脳」に原因がある)という考えに基づいており、

「全身性炎症があってもCRPは上昇しないことが多々ある」という”事実”に基づいたものではない

 

 

一般的に脳神経の症状は「一度発症すると戻らない」と言われているが

  Co-Cure-Japanは、(軽度)高次機能障害の症状が「15歳」から出ていたにも関わらず、

病気と知らず 「小児発症」が幸いし(死に物狂いでナントカしようと必死で工夫する習慣--コツ---)、

 米・日の著名な物理学者達から「物理へ転科」を熱心に進められたほど「使い方」に長け、

(一緒に薬の副作用の「ダブルブラインドスタディ」の実験をした州立ワシントン大教授・東大客員教授Prof. Celoupka,

 京大物理卒(湯川弟子)・千葉工大教授・故重光胖先生(亡くなる昨年まで親交が深かった)、および故糸川英夫先生

糸川先生には「僕のピアノをあげるから是非手伝って」と名刺まで作って頂いた。数々の頂いた手紙を提出できる)

----いずれの先生方も「物理みたいなもんは自習で出来る」とユークリッド原論、ファインマン物理全巻(英語)や数々の教科書を頂いた----

 

ステロイド筋炎で手足ブラブラになってからも、

継続服用による新たな筋炎や次々に起きる原疾患による症状・障害に悪戦苦闘しつつ

10年かけて以前より高レベルに戻した人間によって管理されている。

 

----------医者から「頭がおかしい」の「精神力がどうこう」言われる筋合いはない------------

(東大膠原病内科出身者とその取り巻きが言いふらすような高次脳機能障害のレベルであれば東京芸大は入学出来ない)

何度も伝えるが「税金で成り立っている学校」である。

たとえ附属の生徒であっても同校入試はエスカレーター式「ではない」

(センター試験・実技ともに「一般受験生と全く同じ条件」)

 

 

私立であれ国立であれ音楽(演奏)の道へ進むには幼少時から長時間にわたる厳しい技術習得訓練の継続から始まり

一般に想像しうる努力では出来ない。

架空(漫画)やふざけた医学部と一緒にしないでほしい。

なお、上記国立大学・楽理科には東大を含め国内の大学から留学生が多いことを記しておく。

(音楽家だからという理由で東大の一学部ごときから馬鹿扱いされる筋合いもない)

 

 

 

 

『病気の症状』は、基本、”努力””工夫”「みたいなもん」でどうこうなるものではない。

(変わらない部分は変わらない。壊れたものは二度と戻らない。進行は止められない。人間みな死ぬ)

それでも「工夫次第」で”ナントカなる部分”も大きいを覚えていてほしい。

----------医者に「一生xx出来ない」といわれたら、まず”内心”「あほか」と言ってみることである---------

首をかしげながらでよい。

「生まれた時から出来ていた人間はいない」と切り替え、あれこれ頭で考えず、とにかく「やってみる」「続けてみる」

 

さっさと過去の自分は捨て・諦め・抹殺して、「新しく創る」

(「馬鹿のススメ」・・・賢い人には気の毒にも”馬鹿の壁”とやらがあるらしい) 

15歳から重度の症状を抱えながら約40年間も医者に「病気」と認められず「治療」もしてもらえず嘘つき扱いされ「死んでもいい」と言われ続けた人生は

「馬鹿」になるのが簡単・当たり前、”便利”でよい。

 

 



 

「医者」にぶち壊された人生ほど馬鹿げたものはない。戦争に翻弄されるより馬鹿げているかもしれない。

馬鹿げた「医者・医学」に殆どの人生を振り回された患者は「まだ生きているほうが不自然」であることくらい、

一般社会の人間なら誰でも見当がつく。

「何十年も前」「とっくの昔に」死んでいた人間であることくらい、一般社会の人間なら誰でも見当がつく。

(何のために「まだ」生きているのか)

日本では、「医者にはわからない」。

殆どの日本の医者は「生物」は知っていても「人間」を知らない。

いろんな人間がいろんな決意を持って生きている。どれが正解ということはない。

昨今の医者は、人間を「知っている”つもり”」が非常に多いように感じる。

 

 

 

米国時代、世界的著名な医師・看護師夫妻(ドイツで8代続く医師の家柄(8代目)・「著名な小児科医・血清学者」で

世界的に有名な"Kirby-Bauer Method"のDr. Bauer(故)。夫人はアメリカから招聘され同国で「ホスピス」の概念を教えた

著名なホスピス専門の看護師でオランダ貴族・前ユリアナ女王の依頼により王室で一緒に暮らし3人の王子(現王を含む)

を育てた経験の持ち主)、を「両親」に持ち、同夫妻と一緒に暮らす中、日々、空気のように「医療」(ヨーロッパ精神)を

”呼吸”していた人間にとって、「日本の医者の精神」は、ただただ呆れることがばかりである。

 

 

「 日本の医療」には、ヨーロッパ社会に空気のように存在する「目にはみえないが、目に見えるものの”土台”となる”精神”」

が全く存在しない。 (西洋の場合)医療者の背後にはくっきりと「宗教」が見えるが日本には「ない」。

(診察室で医者が「死体が出たら信じる」と患者に言うなど西洋では「ありえない」)

西洋医療にとって最も大切な”土台”となる『患者の尊厳』はかけらも存在せず、『尊厳死』など現実的に存在しない。

「野球とベースボールは違う」といわれるが、医療も同じで、”土台”のない「上っ面の真似ごと」では、同じ”西洋医療”

といえども 「似て非なるもの」としか表現しようがない。”こんなもん”は「医療」とは言えない。

(訴訟が増えたといってもアメリカほどの規模ではなく、比較した場合、日本では「雀の涙」であるにもかかわらず、

自分の目と感覚で しっかり相手の人間性を見抜く力はなく周囲の言いなり。沢山の人間を見ている医者とは思えない)

 

 

■関東には専門外であるにも関わらず、血管炎研究班班長の手紙を持参しても「信じない」内科医が「まだ」存在する。

  予想してはいたが「生きる気をなくした」。  患者を信じられない医者は、同僚は守れても、患者は守れない

 

 

 

小児科時代から発病して治療方法がない以上「生きている限り(どこに行っても)医者と接することが避けられない人生」。

「出来るとき、出来ることを、出来るだけ」のボランティアと同じく、(自分にとって)「必要なとき、必要なことを、必要なだけ」

生きる。 それ以上のものはない。

(15歳で発症して約40年経過し、「未だにその患者を疑う医者だらけ」の世の中に長居したい人間がいるだろうか?

「元気そうな病人」に対して文句ばかり言う「人間の集まり」(社会)の中で長居したい馬鹿がいるだろうか?)

 

 

 

”間接的”に計っている「自分の期限」は、医者の言葉を聴く限り近くなっているようである(二言目には「トシ」「体力」etc)。

「未だに」患者を疑う医者により、自分の人生が”想像を超えて遥かに”「馬鹿げたもの」であることは明白となった。よくわかった。

日本は、炎症反応が上昇しないまま激しい全身性炎症を起こすことについて「死体が出れば信じる」「東大病院に長く入院

していたいから作り話をしている」と患者に言い切る内科医達が大学病院で「教授」(教育者)としてまかり通る国である。

これ以上、あらゆる職種の中で「最も」幼稚で馬鹿げた職種の人間とは、可能な限り接点を持ちたくない。

約40年我慢した。 その間、日本風に「良いように」解釈し「感謝」し続けた。結局、何も変わらず今後も変わろうともしない。

いつまでも同じことを繰り返す、この世で最も下らない連中と自分のために「患者として出来る限りの努力」は尽くしたことを

特記しておく。40年間である。(短いとは言わせない)

 

 

 

どの患者にも「なすべきこと」がある。

「自分にとって必要な現実」が存在する期間は自分に集中したい。自分の体調がもつ間はこれまでどおり精一杯の工夫・

努力を続け、 とっくの昔に死んだ人間としてのプライドをかけ「自分しか出来ないこと」として「恩師との約束」に専念したい。

 

 

 

「二度」の延期はない:今の体調は、もはや延期を決意した1991年(米国)当時のものとは全く異なり、些細なストレスでも

大きく再燃する。 事前の無理もたたり呼吸器症状が出てPSL増量中であったにも関わらず、「たった1週間、本人に多少

手伝って貰える程度の介護サポート」で、帰宅翌日から歩けなくなるほど体調激変。(腸管症状:強い回盲部痛と狭窄、

全身の紫斑と繰り返す粘膜下広範囲にわたる血腫とその後の潰瘍、および「全身」の粘膜の荒れ。寝込むほどの異様な疲れ)

普段PSLの増量で改善されるが、今回は、増量しても歩けるようになったのみで、症状はなかなか治まらない。

経験したことのないほどの悪化により寝込むだけではなく立っているだけで冷や汗がでるほど「しんどい」。

外来でほぼギリギリの免疫抑制をしているにも関わらずである。

医者が考えるような親子の愛情みたいなものではない。自分の寿命は親の健康寿命にかかっている(心身ストレス)。

点検程度の来客で、2〜3週間寝込むほどの体力しかない人間にとって、同居者の介護は、たとえ手伝い程度であっても、

自分の命にかかわる。国指定難病を2つ抱えるというのはそう簡単なものではない。

 

 

 

 親の病気の「再発」は「あってはならない」 (通常のように「トシだから仕方ない」では”済まされない”)

 自らの病気の急激な悪化と共に、全く気の休まらない日々の「気遣い」「ストレスの積み重ね」は限界に達している。

 誰もが驚くほど元気だった自分の介護者を発病させた東京の内科医に対する怒りは水に流せるものではない。

 これは過去の出来事ではない。「現在の生活」を著しく困難にせしめた、患者と家族の寿命に関わる 

 最近(2年前)の出来事である。

 

 

  -----「医者」であれば「長患いの病人と介護者に過剰なストレスを与えたらどうなるか」予測できる。

  ”15歳発症からの詳細”は、紹介者である順天堂大学医学部名誉教授から送られており「詳細は読んでいた」。

  (北里大学名誉教授・膠原病内科・廣畑、診察日の朝には順天堂名誉教授(膠原病内科)から廣畑に電話まで入って

  いたが「診察室では九州の主治医からの紹介状は読まない、患者の話も家族の話も聞かない、検査もしない。

  自分の”趣味の”音楽の話を1時間30分」)

   医者なら順天堂名誉教授から送付された資料で患者が「病気であること」(健康体ではない)ことくらい見当がつく。 

  医者であるからこそ「殺人行為」とも言える----

 

 

  論点は、廣畑(東大膠原病内科卒)が、患者の東大病院入院中の担当医および教授(--東大病院”入院中一貫して

  CRP(炎症反応)陰性”を確認した上「再発性多発性軟骨炎」の診断を下した同校同科出身者:山本・駒形・川畑・藤尾--)

  と密に連絡をとっていたにも関わらず「その事実を信じられなかった」。東大病院入院中の担当医達は「なぜ廣畑に

  ”知っている事実”を伝えなかったのか」。

  東大は患者を入院させて再発性多発性軟骨炎の診断を下した大学病院の一つであり、患者にストレスをかけることで

  「何が起きるか」誰よりも知っていたのは「東大病院入院中の主治医達」である。

  山本・駒形・川畑および藤尾に尋ねる。「どういうことなのか」。

  ----2006年当時、入院中は「多角的に診るため”月一回担当が変わる”」システムを持っていた東大病院入院中、

  患者に「作り話をしている」と言ったのは現・聖マリアンナ膠原病内科教授の「川畑」である。この問題発言、および、

  患者の許可なく勝手に消化器内科の予約を取り消した事実etc.に対し、患者が看護師長立会でミーティング(事実確認)

  を要求(川畑が指導医時代の医者を含め東大側4人、合計5人)。

  まったく話にならない川畑に患者が「即刻退院要求」を出したのは当時の関係者は知っており、誰でも説明できる。

  ましてや、山本(当時教授・東大膠原病内科責任者)は廣畑の「先輩」である。廣畑に、患者の「CRP陰性」について

  説明する機会はいくらでもあった。(東大医学部の上下関係は誰もがよく知るところである)----

 

  山本自身、東京の大学病院に宛てた紹介状の内容には正直に書き”地方に宛てた紹介状には不正確な内容を書く。

  上述以外の弟子には「どうせ私立は大したことが出来ないのだから」というのがいた。

  山本以下その弟子達に問う。「東大だから何でも通用する」というのか。それが「最高峰」の考え方か。

 

  ・・鹿児島では自分たちのことより親戚の世話、東京に戻ることとなり遠距離引越で無理をした結果、「先祖の永代供養

  より自分の戒名がほしい」と連呼していたほど悪調で東京に戻ってからは「東京」の内科医達によるストレス(西日本医療は
  いい加減だから信じない等)、そのストレスが原因となった親の発症後の自分の体調(乱不調)はこれまで経験したことの
  ないものばかりでどうしようもなく本当に困り果てている。日々の生活で精いっぱい。込み入ったことを医者に相談する体力がない。

  いくら「子供のころから病気慣れしている」といっても限度がある。

  ----東京に戻ってから「相が一変した」(非常に強い頭痛が出るとき「上下肢」に加えて「胴に点状出血」出現、ほか)

  眼症状などに対する外科系の医師たちの奮闘を得てもどうにもならない。時計を巻き戻してほしい----

  慢性疲労症候群の友人達も医者や行政・社会(人間)の強烈な嫌がらせにより沢山死んだことを覚えていてほしい。

 

  患者だけでなく元気な人間まで病気を発症させた間、東大・膠原病内科出身者達は”ベーチェット”の「診断基準」に

  「CRPが上昇しない場合はベーチェットではない」とか、検査に異常が出ない(既存の検査では異常が出ない)

  病気の一つとして世界的に有名な「再発性多発性軟骨炎」に対して「生検が必要」(生検を伴わない診断は怪しい)とか、

  自分達に都合の良いよう「勝手な一文」を付け加えるなど全国の患者・医師に迷惑をかけることばかり。

  医者として何をやっているのか。

 

 

    (世界中どこにも”再発性多発性軟骨炎の診断基準”に「生検が必要」という文言は存在”しない”。「再発性多発性軟骨炎」

    の総患者数は白人が圧倒的に多く、患者数の少ない日本が、何を根拠に、いきなり”診断基準”に「生検」を持ち出して

    きたのか尋ねる--再発性多発性軟骨炎の生検は「タイミング」が必要(炎症のなれの果て(変形)をいくら生検しても意味がない)

    医科学者でありながら「病理」を”絶対視”しているのであろうが、「どの病気の病理検査も100%はない」---

    また、再三指摘しているように「CRP」は「信頼に欠く検査」である。

 

 

  東大・同科卒先輩たちの指摘どおり、「臨床が苦手な教授」が教えていた為(前任・山本)、日本の「膠原病内科のルールを

  作っている東大膠原病内科卒」たちは”臨床”を学んでいない(知らない)。

  そのため、自分達で下した診断でさえ自信を持てないのであろうが、日本のルールを作る立場にあるなら、実態をみよう

  ともせず、いつまでも「自分たちの都合のよいよう診断基準を書きかえて辻褄合わせを繰り返すこと」で、「全国の患者に

  迷惑をかける行為」は即刻やめ、最高学府”に関わる「臨床家」として、外科系医師達同様、「患者の役に立つこと」を

  死に物狂いで考えてほしい。

 

 

  ---現在”地位”のある東大膠原病内科卒の医者達は何のために医者をしているのか。

    「医者に都合のよいことをでっちあげるため」に医者をしているのか。これは氷山の一角である。

     「東大傘下」にある関東の膠原病内科医達は馬鹿げた事に振り回されないでほしい---

 

 

 


 

 

    <地方の医師たちへ:東大病院・膠原病内科の診断について>

    都内の有名大学病院膠原病内科で東大膠原病内科に振り回されているのは日大板橋だけである

    (東京に戻って親の発症中順天堂に入院したが診断は変わらず(2017)。東京女子医大(現・血管炎班長)でも診断は変わらず(2018))

    東大など「全く影響力のない」西日本・九州でも変わらず---

 

 


 

 

 

今後、あらゆる面で「延期する理由もない」

(2016年東京に戻った途端、内科医達による激しいストレスを受け急激に病状悪化。もはや「寿命」の域に達している)。

”医者”と付き合わざるをえないことが解っていて「その気もない」。

約40年”待った”。人間には体力的限界とともに「尊厳死」というものがある。

だらだら生きていればよいというものではない。ひたすら恩師との「約束」を果たす時間のあることを心より願う。

 

 

  全ては「終わった」

  ------手術は成功しても、些細な変化ではあるが、今後は、最も負担をかけてはいけない壊れっぷりの激しいところへの

  負担が増え、ますます自分の病気治療の時間は削らなければならない。日ごろの「無理」も避けられなくなり、自分の持ち

  時間を短縮させることになる。病人にとっては「些細な変化」が圧倒的に重くのしかかる。

  ひっきりなしに「声掛け」を必要とする散歩では(自分が骨折するほど)一切気が抜けない。「健康体」にとって何ということ

  のない負担であってもそれほど原疾患の具合が悪い。気の持ちよう云々の問題ではなく「現実」である----

 

 

  ひときわ元気そうに見えるであろう。子供の頃から千人規模の舞台で演奏し続けてきた人間は、医者を含め、会う人々

  すべてが「客」にしか見えておらず(少しでも楽しんで頂かないと)、病院で一人の時でもない限り、疲れた姿は見せない。

  3歳から叩き込まれた「職業病」で医者から非難されたくない。

 

 

    ・・・入院時はもっと元気そうに見える:上記「職業病」に加え、「検査に異常が出ない」という理由で患者を疑う医者に

    囲まれることとなり、「無事」退院するまでの恐怖とストレスたるや尋常ではない---慢性疲労症候群サポート・ボランティア

    仲間の友人達の中には、「入院中、医者が患者の訴えを無視した為に死亡した」患者達が多い。

    (「軽い検査入院」でも同様のことが起きて死亡した)

 

 

 


 

※覚えていてほしい。シドニー・モーニング・ヘラルド紙に掲載された「アリソン・ハンターさん もかつてそうであったように

慢性疲労症候群の「小児発症」は、「検査に異常が出ないから”気のせい”」「精神的なもの」と医者から言われ続ける。

慢性疲労症候群の子供は医者から非難されたくないので必死で「元気」を装う。(医者から「精神的云々」と言われるとき

医者は必ず「親」まで「育て方が悪い」と非難するので、子供は文字通り「必死」)

小児の段階から医者(大人)の目の前で「必死で元気に装う」習慣がある人間に対して、今になって(数十年後)

「病人らしくふるまえ」と言われても「無理な話」である。(医者・他人に対する警戒心は一生解けない)

「元気そうに”見せる”」ことを含め、すべては「医者」が土台になっていることを忘れないでほしい。

(検査結果に異常がないから)「熱があるなら南極へ行け」と言っていたではないか。覚えがないとは言わせない。

慢性疲労症候群の場合、特に子供は、どれだけ医者の無知・無理解のせいで犠牲になっているか

どの医者も”慢性疲労症候群”は「検査に異常がないから”気のせい”」と言い張る為、学校へ「具合が悪い」と伝えたら

「罰則」を課せられる、など。40年経過した”今”も「慢性疲労症候群は心療内科領域」だとか。全く同じことが続いている。

 

 

       ・慢性疲労症候群は、患者数も多く「誰でもかかりうる疾患」である。

       ・日本では「自己免疫疾患」(膠原病類縁疾患)に分類されている。

       ・多くの自己免疫疾患と同じく通常の血液検査では異常が出ない。

        日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

      小児発症の場合、「早期発見・早期治療」で、多くは、健常者と変わらぬ人生を送ることが出来る。

      手遅れの患者の多くは、ほかの自己免疫疾患をはじめとする「免疫性疾患」を多発することが多い。

      患者数が多く、誰でもかかるる病気であるため、大人も子供も「早期発見・早期治療」が必要である。

      「40年待った」。一日も早く「診療体制」を整えてほしい

 

 

 

 


 

 

 

  内耳出血を起こし飛行機が使えない以上、来日時、狭い拙宅に泊まって頂いた上述ご夫妻(未だ親交のある夫人・

  現在オランダ在住)や帰国後10年間「誰のために日本に来ていると思っているのか」と日本に教えにきてくださった

  米国時代の恩師・恩師夫人(いずれもヨーロッパ出身。今でも毎日連絡)、当時の共演者(バイオリニスト、バルトーク

  と同じ船で渡米した生粋のウィーンっ子。若い頃何度も「ソリスト」として来日したヨーロッパの古き良き時代の名人。

  年齢による身体の衰えなど平然と乗り切るタフな演奏家であったが数年前に”引退”)にも二度とお目にかかることはできない。

  ---先月亡くなった(Feb, 2019)。まったく笑える話ではない---

 

  ・・・演奏家には「身体的限界」がある。東大膠原病内科卒を中心とする関東の膠原病内科医達が「炎症反応(CRP)が

  上昇しないから認めない」といつまでも堂々巡りしている間に、あっという間に「時間切れ」となった。

 

 

  人間には「寿命」がある。時間が限られている。関東の膠原病内科医達の中には「まだ」同じことをやっている内科医達がいる。

  医者でありながら人間に”寿命”があることさえ知らないのか。米国から帰国後約30年間「炎症反応(CRP)が上昇しないから」

  という理由で「治療しなかった」だけではなく、西日本から東京に戻った”2年前〜”も同じことが起きた。炎症反応が上昇しない

  現象は膠原病内科疾患のような「免疫疾患」にはよくある。ましてや「炎症反応(CRP)」については2004年、結核予防会が

  「信頼性に欠く」と発表している(誰にでも起きている--- 肺結核における炎症反応の意義 --)。

  「炎症反応(CRP)が”上昇しなければならない根拠”」と「炎症反応(CRP)が”絶対でなければならない根拠”」を示してほしい

 

 

 個々驚くほど多彩な色彩で輝いていた沢山の友人達は皆亡くなり、あまりにも偉大な先生方亡きあとは「つまらなくなった」。

 ----恩師との約束は果たすが----、社会と共有したいものなども「ない」。もう一度会いたい人間など誰一人もいない。

 

 


 

 

   医学界でも、帰国後20年以上にわたり、普段は電報のような短い電話で報告・何もかも相談し、時には「先生の教育が

   悪いから医学界がおかしくなった」など”今”の医療現場に対するいら立ちを伝え喧嘩しながらも、(僕一所懸命育て

   たつもりやがなあ・・・)、「誰もあんたの言うことを本気にしとらんがな」と懸命に「東京の医者探し」のため御尽力

   下さった濱島義弘先生 (京大名誉教授・病理・免疫)も亡くなっている。

   (京都に戻られた後、亡くなる2013年までお世話になった。濱島先生ほど好奇心旺盛、かつ、真実探究に対して”気迫”を

   持った医科学者にはお目にかかったことはない。2000年前半には「トリガー」(個々患者によって異なる)まで正確に御指摘

   のあと亡くなられたが、「患者思い」で「真相を突き止めるまで絶対に緩まぬ好奇心」をもつ凄い先生であった)

   「軍医」も務められており立派な「臨床医」でもあった。御専門の医学だけではなく、日本の医学界には大変珍しい

   規模の大きな御存在であった。濱島先生と一緒に「真実」に迫った緊張感のある20数年は本当に面白かった。

   ※1990年代前半(帰国直後)、東京で「15歳からの長い病歴詳細について」、まるで尋問のような?、濱島先生の厳しい

   聴取が受けたことを特記しておく(母子から聴取。1.5時間)。普段、腰の低い大人しいお人柄が「医学に関わる話題」と

   なった途端「豹変」。その"迫力"に、母子、そしてその場にいた人と共に大変驚いたことをよく覚えている。

   聴取内容は、一切無駄のない見事なもので、非常に感激したことも、覚えている。

   (その時1回聴取で「何が起きたか」ほぼ把握しておられた)・・・・東京の内科医は40年間「堂々巡り」している

   専門分野の故・恩師がお元気な頃、話を聞いた恩師から頼まれ濱島先生を御紹介したこともを思い出される。

 

 

 

  救急を要する症状(呼吸器)を抱えるため、緊急時を考え、わざわざ「濱島先生がかつて教えていた日大板橋」の近くを選んで鹿児島から

  引越したが、(科は違うが前任の膠原病内科教授は濱島先生を大変尊敬する弟子)、現・膠原病内科教授・武井が「ガリウムシンチなど

  ”検査”で異常が出なければ炎症と”認めない”」「”臨床の先生”の言うことは全く”信じられない”」と診察室で言い切る医者とは考えもしなかった。

   また、2006年当時、東大膠原病内科が「どうせ私立は大したことができないから」と言って書いた”日大板橋・呼吸器内科宛の「情報提供」

  (入院中の詳細)に対し、前任の呼吸器内科・赤柴教授は「東大の言っていることは正しいですか」と一言一句、読み合わせを入れたほど

  しっかりした頼りになる病院だったが、膠原病内科・呼吸器内科ともに「今の日大板橋」からは全く考えられない。

   日大板橋の立地する板橋区医師会が「北里大学で全身のデータをとってからでないと”開業医を紹介してやらない”」と患者に伝えるなど

   呆れてものも言えないどころか、ただただ「非常にくだらない」。このストレスで自らは悪化・親は発病。なんだこれは。

  人の命より「炎症反応(CRP))」なのか。何が「炎症反応(CRP)]だ。  

 

 

 

 



 

   ・・・一緒に演奏したい人間もいない。「古き良き時代のヨーロッパの名人」と同じ演奏ができる演奏家などこの世にいない。

   まだ人並み以上に弾けるが、「アンサンブル」に関しては、(ごく簡単なもの以外)、治療の遅れと病気の進行、および、

   薬の副作用(手足ブラブラ後)で初見など大切な能力を失い、優秀な外科医同様、引く手あまた、いくらでも稼げた人間が

   「出来なくなった」・・・これを医者は「些細なこと」と呼ぶのか。

   友人たちは皆「検査に異常が出ないから」「病気と認めない」という”医者の都合”で亡くなった。

   医者仲間に同じことが起きたらどう感じるのか、答えろ。

 

 

 「楽しい」とか「楽しくない」など表面上の問題ではない。

 (楽しみなら持っている。一生到達しえない”有史以来”の先人達と比較し訓練する毎日は幼少からの習癖であり、

 「修行」という意味でとても”面白い”)

 


 なんでも「水に流す」日本ではどうだか知らないが、自分の専門分野だけでなく「医療(命)」という面からも

 ヨーロッパ精神を吸収してきた人間は、”命に関わる重要なこと”まで水に流すような「だらしない」ことは絶対にしない、

 と同時に、(患者の)「尊厳」というものを何より大切にする。人間には自分の命に対する「権利」がある。

 

 

 


 

 

 

世界中の”医者”が、患者の言葉を信じず「検査」ばかり振り回したことが原因で、おびただしい数の「犠牲者(死亡)」が出た

”慢性疲労症候群”の患者の一人として、このような馬鹿げた社会を二度と作らないでほしいと、ひたすら願うばかりである。

 

 

”医者の勝手”、「検査が正常だから」「信じない」という理由により、必要な治療も受けられず亡くなった彼・彼女らは、

生前と同じ輝きと死後の静けさをもって、世界中の「あなた」(医者)を見ていることを忘れないでほしい。

その後も犠牲者は増えている。静かに彼・彼女らの声に耳を傾けてほしい。 死亡者リスト(2003年) 

 

 

もう一度伝える。

「CRP(炎症反応)過信」最大の犠牲になっている「慢性疲労症候群」は深刻な免疫疾患である。

「誰でもかかる病気」で、非常にすそ野が広く、”社会として”無視できる疾患ではない。

---感染症ではない。多くは「他の自己免疫疾患と同じく」インフルエンザを含め何らかの感染症後発症することが多い--

"慢性疲労症候群"は、日本では「膠原病類似疾患=自己免疫疾患」に分類されており病名と裏腹に大変深刻な病態である

*日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

 

 

※"日本では"「慢性疲労症候群」だけではなく「ベーチェット病」や「再発性多発性軟骨炎」といった”国指定難病”

 でも「検査結果最優先」「患者無視」が臨床医療現場で起きており、全国の患者達が大変な迷惑を被っている。

 

 

 

※「CRP(炎症反応)」は、自治体の健診でも使われている「ごく一般的な血液検査の一つ」。

 ---CRPの値が上昇するか否か”だけ”で、「感染症」など「炎症性疾患の有無」を判断されてしまう---

 「全身性炎症疾患に罹っているにも関わらず"CRP(炎症反応)陰性"」は、上記「自己免疫疾患」だけの現象でなく、

 2004年、結核予防会が「CRP(炎症反応)は信頼性に欠く」と指摘している。-- 肺結核における炎症反応の意義 --

  「CRPが上昇しなければ全身性炎症疾患は存在しない」とする”医学界の常識”は、人類における極めて深刻な問題であり

 数えきれないほどの犠牲者を出している。

 

 

※海外は議論している時間があるのかもしれないが、日本では、医者が「CRP(炎症反応)」だけに頼って、

 患者を無視し、病気の見落としを続けている余裕はない(炎症物質はCRPだけではない)

 

 

 

医師・患者に関わらず「炎症反応」および「慢性疲労症候群」は、今このページを読んでいる「あなた」の問題である。

 


 

 

 

「外科手術を受ける患者・家族」と同じくらい、医者が患者を信用してくれれば、「慢性疲労症候群の犠牲者(死亡者)」は

出なかった。 患者の言葉を信じる”力”のない医者達はいつまでも患者を信じることが「出来ない」

(いつまでも検査結果と数値ばかり信じる)

 

 

 

「西日本医療はいい加減だから」と東大出の膠原病内科医(北里大名誉教授)は言った。

約40年関東内科医療に深く関わってきたが、「検査結果絶対」は、東京だけではなく”関東全域”の問題である。

西日本では、昨今の「患者を無視した極端なエビデントベースト医療」に対して疑問を持つ医師が非常に多いが、

関東は相変わらず 変わる気配もない。 日本のために「出来るところから」進めてほしい。

患者は「検査絶対」の医者に付き合っている暇はない。

 

 

 

  外科手術の場合、患者と家族は、”数値”より「執刀医の勘」を”命がけで”信じる。

  患者本人だけでなく「家族の命」”も”かかっている場合でさえ、家族は「自分の命を捨てて」執刀医の「勘」を信じる。

  「命」のかかった場面で、執刀医の”確率”を使った説明に多少疑問があっても、「数値より執刀医の勘」を、なお、

  「信じる」のは、とてつもない「精神力」を要する。

  患者と家族に「とてつもない精神力」を強いるのが「外科医」である。(だからこそ、患者・家族は「外科医を選ぶ」)

 

 

   内科医とて同じである。

   専門分野で経験豊かな医師が「検査の数値がどうであれ」、患者の訴えと所見(検査参考・診断基準は満たす)で診断を

  下した場合、 「その医師」しか解らない部分がある。検査結果がそろわなくとも「複数の”ベテラン専門医”」が診て

  (場所が変わっても) どうしても「同じ結論」が出るときは「それ」と考えなければならない。

  ---物理分野でいう「再現性あり」の逆さ版である---

   昨今では、外科に対しては「執刀医が現場で判断するときは、その先生しか解らないことがあるから」という理由で、

   2000例の経験を持つ外科医の判断に反対する内科医は、---たとえ脳神経内科医でも---「いない」。

  一方、内科では、日本を代表するベテラン専門医の診断に対して、いつまでも「生検が必要」とか「検査結果が全て

  揃わなければ”認めない”」云々。

   ”ベテランの内科医”の「経験と勘」は、外科医のものとは違うというのか。外科と内科の差別は一体何なのか。

   同じ「医者」のやっていることである。患者には全く理解出来ないほど矛盾している。

 

 

  また、「病気を経験している」のは「患者」であり医者ではない。(その病気を「経験」している”専門家”は「患者」)。

  手術経験の豊かな外科医の言うことは信じて、病気経験豊かな患者の言うことは信じられないというのは、まったく解せない

  特に希少疾患の場合、「医者にとって」”その病気を患う患者に当たる確率が低い”というだけの話で(単なる医者の問題)、

  その病気を患う患者にとっては「100%」である。「作り話をしている」などと言って「患者の報告を無視する行為」は、

  「臨床医として」、まったく危険極まりないものであることくらい、一般社会に生きる人間ならすぐ気付く。

  (どの病気の患者も、医者に「作り話」を伝えるために、交通費を払い貴重な時間(命)まで削って、通院や入院は「しない」)

   「臨床医の”患者無視”・”検査絶対主義”」は、医者の傲慢以外の何物でもない「大変危険な行為」である。

  「患者無視・検査絶対主義」は膠原病内科に限られた現象ではない。

  司法はいつまで「医者の危険行為」を放置するつもりなのか

 

 

  難しい病気の場合、たとえ内科でも「経験と勘」の働く医者を求めて、患者は医者を選ぶ。

  それを内科医(東京の膠原病内科医)は「患者があちこち行く」と非難する。

   患者を非難する「東京の膠原病内科医」に尋ねる。自分や家族に外科手術が必要なとき外科医を探さないのか。誰でもいいのか。

  膠原病内科系疾患のように「免疫抑制」が主となる専門医の治療は、患者にとって外科手術を受けると同じ位のものであることも

  解らないのか。(主治医のさじ加減。「免疫抑制」である限り、患者の「些細な報告」の聞き逃し・見落としにより、感染症や

  副作用で 患者は簡単に命を落とす。実際、原疾患より「治療薬による感染症合併での死亡数」が増加している。)  

  東京の膠原病内科医の中には「日本全国どこに行っても治療法は同じだから患者が医者を選ぶ必要はない」という医者までいる。

  「臨床」が得意な一部の医師以外、東京の膠原病内科がいかに「患者無視」で「検査」ばかりに頼って診察しているかよく解る。

  (注:「検査結果重視のあまり患者無視」は膠原病内科に限ったことではない)

 

 

 

   医療行為が「技術」である限り、ベテランとそうでない医者の違いは患者の目にも歴然としている。

   「技術的に下手」「才能なし」には、”一生見えない世界”が、厳然と「存在する」。

   学内でも「臨床下手」で有名な東大・膠原病内科(名誉)教授とその弟子たちが「理解」出来る世界では「ない」。

 

 

  ・・・・「膠原病内科医」を探すとき、その医者の患者に「追っかけ」がいるか調べてみるとよい。

  ”希少疾患”を持つ膠原病内科患者は、(世界中どこでも)、「ベテラン医の治療」を受けるため引越をすることが多い。

  あるいは遠距離(国を超えて)でも通う。それほど「難しい」。”既存の検査だけ”で「専門医の資格があれば、たとえ

  臨床下手や 誰にでも理解・治療できる」ような単純、かつ、なまやさしい病気「ではない」。

  (医者探しのための患者・家族の負担たるや想像を絶する。「世界共通」)

 

 

 

   そもそも「病気」とは、人間が永遠に解明出来ない複雑な自然界の出来事であり、人間ごときの作った限界ある機械

   「だけ」で全て解るもの「ではない」。医者の「勘違い」もいい加減にしてもらいたい。何十年繰り返すのか。

 

 

 

 

もう一度言う。「患者を信じられない医者に振り回された人生ほど、馬鹿げた人生はない」

(難しい内科の病気を抱えて、内科医のサポートなしの人生は「成立しない」)

全国の患者の皆様には、どうか、このような馬鹿げた人生を送ることのないよう『自分達の社会の医療』を死守してほしい。

「検査が全てではない」「医療は医者のものではない(患者のもの)」「狭い日本の医療に”西”も”東”もない」

 

 

最期に、医者のせいで「生きること」に馬鹿馬鹿しさを感じている患者さんへ。

「生きる」というのは、生きている間は「病院で名前を連呼され」、死んだら「その瞬間から誰も呼ばなくなる」。

それだけのことである。

頼んでこの世に生まれてきた人間など誰一人いないことを覚えていてほしい。

残念ながら、昨今の日本では、一部を除き、このように感じさせるのが「医者」である。

 

 

頼んだわけではないが一番必要としている人の役に立ったのなら大変幸せな人生であった。

 

 

 

余談であるが、ピアノ科に一言。

15歳から「人並みに練習したい」という気持ちばかりの人生であっただけに、芸高(東京芸大付属)ピアノ科同窓生達のように

学生時代は、実際に10時間も練習していながら「練習していない」と言い続け、今になって、結婚などの事情により

「練習時間がない」など”文句ばかり”言っている人間に対しては「最初からピアノをする資格はない」と言い切る。

そもそもピアノは、あらゆる楽器の中でもっとも練習時間を要するものであり、(通常3歳からスタート。一生のうちで

ほとんどの時間を「練習」に割かなければならず、その時間は他の楽器とはまったく「桁」が違う)、体力的にも

「他の楽器の面倒をみなければならない」など、楽器の中では最も過酷な職業であり、十分練習出来ないままの

人間にとっては「何をふざけているのか」「死ね」ともいいたくなる。

人生の中で「練習出来る時間」は「微妙なバランスを保つことができる奇跡的な”瞬間”」に限られている

・・・・自分の病気だけならナントカ続けられることもあるが、同居者の発病などで家族のサポートを失った途端に

「出来なくなる」。(もともと「介護者」を必要する病気を抱え乍ら、同居者の介助をして、練習をする、というのは、

健康体であっても、時間的・体力的に難しい)。それでもナントカしようと四苦八苦するが「現実」は非常に厳しい。

学生時代はそう感じないだろうが、「練習が出来る時は”奇跡”」と信じ、出来る時に、とにかく練習してほしい。

「長い練習時間を要するから能力がない」の”ではなく”「練習する能力と環境に恵まれていること」に気付いてほしい。

ピアノを離れて社会で働いている人たち(元ピアノ科)も、自分たちは「一にも二にも努力(練習)する種族」

(ピアノ科)であることにプライドを持ち、「最も気難しい」ピアノ科らしく、何ごとにも堂々と努力して突き進んでほしい。

----幼少時から「終始一人」で初めて成り立つピアノに対し、群れて成り立つ他の楽器奏者や"日本の医者"(「音楽が

「癒し」としか見えない)からは全く理解されない職業「それがどうした」。我々は客に対し「横」向きで許される

唯一の楽器である。ハタなどナンボモノモンか----

時間は限られている。「遅すぎる」は”ある”。医者の「検査に異常が出ないから気のせい」はまだ続いている。

時間は能力「以前」の問題。「誰にでも」”その時”は必ず来る。その「前に」死に物狂いで練習してほしい。

理由あってピアノから離れた人たちは、あの退屈な長時間練習に耐えられたことに自信を持って生きてほしい。

(誰もがピアノの練習に耐えられるものではない---キツイ時には「副科ピアノ」を思い出してニヤッとしていればよい)

 

 



”現在”は、どういうものであれ「現実」である以上ナントカしなければならない。

「次」の一歩のために回復しなければならない。まず、付き添い散歩後も寝込む状態をナントカしなければならない。

過去の経験(盗汗、髪の毛の状態など)から推測するに、これ以上PSLの増量で対応するのは避けたい(免疫力が低すぎる)。

病気をコントロールする策がない以上、一日も早く、足の散歩だけでなく「指の散歩」を再開し自分で体調を整えるしかない。

「人生とは、酸素ボンベなしで潜水し続けるようなもの」。15歳の発病で感じたことは約40年経過した今も全く変わらない。

・・・ますます厳しくなっている。体力的な疲労困憊により、ニュースなど見ても「自分が今生きている現実」とは思えないほど

大きな「乖離」を感じるようになっている。その”乖離”はますます大きくなるばかりである。

精神的なものではない。「体力」だけは「どうしようもない」。

骨格系の破壊が主の病気を持つだけに、遅かれ早かれ、いきなり「終わり」を覚悟しつつ、

(一旦悪化すると、自分で知りうるあらゆる手段を講じつつ、待つしかない。運が良ければ「次のゼロから立て直し」がある)

 

 

 ・・・・体調は立ち直るどころか「ますます崩れる」。腸管狭窄を抱えて非常に難しいが食餌療法は手を尽くしている。

 良策がないため見切り発車で”練習”してみるしかない。なんとかバランスを取り戻してくれることを祈る。

 この場を借りて、これまで色々な方法を教えて下さった方々に感謝を伝える。

 

 (ピアノは楽器の中でパイプオルガンに次ぎ最も酸素を消費する「有酸素運動」。「姿勢維持」(背筋・握力強化)にも役立つ。

 「音階」など基礎だけでよい。かつて本格的に訓練したことある人は健康な人も「体調維持」の為に”使う”ことをお勧めする)

  ---治療法がない病気の場合「ナンデモ」使う。(骨格系の病気の場合”楽器リハビリ”は「壊す」。上手く使ってほしい)

 「自分のための」有酸素運動が難しい場合(付き添い外出・通院で精いっぱい)、医者から見て「常識ハズレ」のリハビリであっても

 自分で工夫してナンデモ総動員して駆使する。(日常の何もかもが「リハビリ」以外の何ものでもない)。

 ただし何をやっても病気の進行は止まらない。「病気」を「羨ましい」と言った同僚がいたが病気とはそういうものである--

 

 

医者が変わらない限り患者の人生は変わりようがない。”今更”変わってもらっても「遅すぎる」ケースは数限りなく存在する。

「医者」なら、自分たちの都合「ではなく」、“患者のために”、いつまでも「根拠なく」ひとつのことに固執することはやめ、

さっさと変わってほしい。物理でも「変わる」。生物のような複雑な分野で何をやっているのか。

何故「患者の症状・訴え」より”検査結果”なのか (「検査に異常がないから何でもないですよ」とはどういうことだ)

医者は「検査会社の僕」か。いったい”何”(誰)のための医療なのか。

 

 

手術を受けた患者とその家族は、「転倒などで、執刀医の”芸術作品”を壊したら、揃って腹切りをすることになるぞ」

と 声をかけながら「血流改善」を第一に心がけ、どんな体調であっても日々欠かすことなく歩いている。

執刀医は「患者と家族の”覚悟”」と、何より「感謝」を知ってほしい。

物心ついたときから一生かけて鍛練してもなお完成することのありえない分野に生きる人間は「他人の”作品”」

を大切にする。「ちょっとしたこと」であっても、命がけで真剣に生きている患者や家族がいることも覚えていてほしい。

「手術後は一つ一つ”経過”と考えはどうか」とアドヴァイスをくれた薬剤師さんがいた。

(最悪のことが起きても)「仕方ない」という考えは現実的に許容できないものではあるが(2人分の命、これ以上

一歩も下がることは許されない)、この助言は有難かった。

 

今後、前述の「最もかけてはいけない部分への決定的な負担」(介護者の”病気の特質上”致命的となる負担)

を上回る「良いこと」が起きるかもしれない。「始まった」ことを祈る。

 

 

 

・・・・このように「終わった」のか「始まった」のかわからない複雑怪奇なものが「医療の最前線」である。

何が「”検査”絶対」か。医療現場に”絶対”(〜でなければならない)は「あり得ない」。

単純馬鹿も休み休みにしてほしい。

 

 

 

 

*「患者無視・検査重視の過ち」、「信頼性に欠く炎症反応(CRP)」、そして「慢性疲労症候群」については、

今すぐ、医者がしっかり認めて変えていかなければならない問題である。

子供の頃から医者の迷惑ばかり被り続け大変具合の悪い患者は、命を削って「伝えた」(“患者の責任”は果たしている)

「慢性疲労症候群の権威」とか言われている”倉常”は、かつて「具合が悪ければやめればいい」と言ったが、

生きている人間すべての「命」がかかっている問題を黙って見ているわけにいかず、見かねて伝えた。

いい加減「患者任せ」はやめてほしい。

(東京は「CRP一辺倒」「聞く耳持たぬ」を貫き"一切認めなかった"が、京大関係では10年以上前から「CRP」などアテにしていなかった)

----すべては「医者」の問題ではないか。いつまで患者に過剰な負担と迷惑を与え続けるつもりなのか。患者に頼らずナントカしろ----

 

 

 

   注:実態を知らない医師達は「慢性疲労症候群」のことを「ゴミ溜め」表現する医者も”沢山”存在するが(なんでもかんでも慢性疲労症候群)

   患者が実際に「慢性疲労症候群」の診断基準を満たすことは難しい。

   (以下、亡くなった「アリソン・ハンターさん」の記事より抜粋・・・シドニー・モーニング・ヘラルド紙)

 

 

   ・アメリカとイギリスの推定値によれば、慢性疲労症候群は200〜500人に1人の割合で、罹患する可能性がある。

    オーストラリアには10万人の患者がいる可能性がある。

   ・疲労という言葉が病名に含まれているので、慢性疲労症候群(CFS)が大したことのない病気に聞こえるかもしれないが、
    一方、診断基準は、実際には非常に厳しいものである。少なくとも6ケ月以上、説明不可能 な疲労が認められ、記憶力低下、
    集中力の欠如、のどの痛み、頸部リンパ腺の痛み、筋肉痛 と関節痛、頭痛、運動の不調が長引くなどの症状を伴わなくてはならない

  ・アリソンさんが亡くなる6週間前、新らたに関わった専門家は、彼女が複雑な免疫症候群であるベーチェット病にかかっている可能性を疑った。
   正当な病名とともに、権威ある医者たちもアリソンさんを受け入れ、親切に対応するようにすらなった。「彼女がこれまでずっと受けるべきだった

   対応を今になって受けるのを見るのは全く耐えがたいものだった」とアリソンさんの母親は述べた。
   しかし、アリソンさんはベーチェット病(※)と正式に認定されず、そのころにはすでに非常に衰弱していた。
   最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった。
 

  ・ローヤル・ノースショア・ホスピタルの血液学のトップであるジェームス・イスビスター医師は・・・・、「正直なところ、最期は、手の施しようがなかった。
   彼女に対する医療機関の対応には、非常に困惑してしまうことが多かった。彼女が体験した多くのとんでもないことは、医師自身の恐怖感と
   能力不足を投影したものである。なぜ、彼女が医学的に重病であると、いずれの医師も考えなかったのか私には分からない」と言い、
   彼女は、侮辱と残酷な扱いを受け、尋常でない身体的な苦痛を味わい、まるで、「強制収容所に入れられた人のようであった」と述べた。

  ・イスビスター医師は、理解できないことを認めることができない医療システムを嘆いた。
   一人の教育者でもある彼は、医学生に対し、「偏見を持たないことの重要性と、症状よりも患者に注意を傾ける必要性」を強調した。
   「病気の存在を信じなければ、決して診断できないのだから」と、彼は学生たちに教えた。

 


 

 

(※)「ベーチェット病」も特異的な検査は存在しないが”診断基準”を満たすことは非常に難しい病気。

日本ではベーチェット病の診断を持つからといって殆どの医者が親切に対応することはない。

----日本の医者の興味は「検査に異常が出るか出ないか」(検査)のみ----

従って、ベーチェット病や再発性多発性軟骨炎を始め、”難病”のカテゴリーに入っている”あらゆる病気”で、

「炎症反応(CRP)」を筆頭に「医師が望む血液検査結果」が揃わない限り(”教科書通り”でなければ)、

患者は「慢性疲労症候群」と全く扱い受け続けることになる。

(東京の大学病院では「死体が出たら信じる」と言い切る医師さえ出ており世界を見渡しても”医師”として「最低」レベルにある)

 

最大の問題は、”難病”だけ「ではない」点にある。

医者から「検査に異常が出てないから何もありません」と言われた経験を持たない人が「いない」ほど、日本では、

あまりにも医者が極端な「検査絶対主義」に傾いている。(臨床技術の低下。医師教育の悪さ)

声高に「臨床の先生達のいうことは解らない」と言い切る大学病院内科教授までおりそれが当たり前のようにまかり通っている。

 

 


 

現在「特定疾患」に認定されている病気を持つ患者さんへ

 特定疾患を扱う医院であっても開業医は「制度」をよく知らないことが多く、ワケのわからない対応に困ることが多々ある。

すぐ役所に電話して調べてくれる医院であれば問題はないが、患者が知っていることを伝えてもかたくなに「思いこみ」で対応されると

いくら優秀でも二度とその開業医には行けなくなる。

(初めてではない限り患者や家族は自ら関係する社会福祉システムをよく知っている)

---特定疾患制度に関する「患者・家族」の言葉を「信じない」ということは、一事が万事。その医院はあなたのことを信じていない---

どうしても仕方ない時は、役所からの「説明」や「大学病院の対応」(書面説明)などを大切に保管しておき、開業医の対応に困った時

受付に提示して説明を試みる

 

いずれにせよ、不愉快なことばかり経験するのが「特定疾患患者」ではあるが、一つ一つ、我慢して医者・病院対応を続ける以外、

方法がなく、どこまでいっても「忍耐力勝負」となるが、頑張ってほしい。

 

 

整形外科について:

整形外科医には、大まかに2通りある。「一般的な病気の対処が非常に得意な医者」「自己免疫(膠原病)関係の病気が強い医者」。

自己免疫疾患患者にとってはどちらも大切であるが、自己免疫関係の病気が比較的弱い医師に相談して「大したことない」と言われても

症状が一か所に留まらず(腫れや浮腫が足だけではなく手・指も、など)、「全身紫斑」など全身症状を伴う場合は、

必ず膠原病内科の主治医に報告する。(免疫抑制剤の増量など、その症状が全身コントロールに必要な指針となる場合がある)

 

 

 

Co-Cure-Japan, Administrator

・慢性疲労症候群:[どの診断基準であっても”すべて”満たす・重症]・・・(発症1979、診断1989・米国)

・再発性多発性軟骨炎:[重症]・・・(発症1995、診断2005)

・ベーチェット病:[Stage 4]・・・(発症2001、診断2011)

 

-----生命科学に関わる人たちのことがよくわからない。「量子の時代」になって「0か1か」で”生命”を説明しようとしていたり。理解に苦しむ。

・・・「検査絶対主義の内科医達」は、自分の所持する家電に異常が出てメーカーに修理に出したとき「(会社側の)検査で異常がありません」

「何もないです」「あなたの使い方が悪いから」と言われて黙っているのだろうか?(内科医達のやっていることは、まさに、そういうことである。

最近のメーカーは「技術者の技術力が落ちて原因探求や修理が出来なくなっている」という理由から、原因が見つからない場合「とりあえず

”部分”の全とっかえ」で対応している。人間の場合、--今のところ--、「全とっかえ」が出来ないのであるから、「検査に異常がありません」

「何でもないです」「気のせいです」ではなく「たとえ検査に異常がでなくとも”原因探求の技術を磨く”」のが「医者」の役割なのではないか。

(患者は言葉を尽くす。何のための「言葉」なのか。獣医達は「言葉」を使えない動物相手に「症状から治療法を導き出す技術」を持っている)

”診察室”(臨床の場)で「死体が出たら信じる」という言葉を医者から聞くことは「あり得ない」。(警察でも使えない)

昨今の”内科医”の「検査絶対信奉」は一般社会から完全にかけ離れており、まったく理解出来ない。

一体どうしたら「人間ごときが作った機械」を”絶対視”する人間になれるのか、知りたいものである。

単なる「科学」の一つである”生命科学”や”医科学”だけ「過剰に特別視」する日本社会の風潮が、このような医者を育てたのかもしれない。

何でも「平場」にしない、「現場無視の日本」にとって、単なる自業自得なのかもしれない。「日本の問題」といえば、それまでなのかもしれない。

「命にかかわる」という意味で伝えてきたが、日本社会では結局「現状が大好き」ということに。「いつまでもやってれば」でいいのでろう。

「日本の趣味」は別として、一患者として気になることがある。「手術のとき、どうしてくれるのか」

自己免疫疾患の患者だけではなく、結核予防会によると、結核でも「罹患しているにも関わらず炎症反応(CRP)陰性」はよくあることのこと。

(--肺結核における炎症反応の意義--「全身性炎症があるにもかかわらず炎症反応(CRP)陰性」は、医師が考えているより頻繁に起きている)

・・・患者が手術に臨むとき、内科医から「炎症反応(CRP)が陰性だから炎症性疾患はないです」と言われれば、手術に突入することになる。

くりかえすが、「全身性炎症があるにもかかわらず炎症反応(CRP)陰性」は頻繁に起きている。

”炎症反応との食い違い”(信頼性に欠くCRP)について。「手術のとき、どうしてくれるのか」

 

      「安全性」に関わる問題は、一般社会では些細な報告でも無視できない(検討しなければならない) 

      結核予防会による”炎症反応”(CRP)の指摘は「安全性」に関わる問題ではないのか。

      なぜ医学だけが「安全性」に関わる問題が指摘されていながら十数年も放置されているのか理解に苦しむ。

      「医療分野だから」「医者のやることだから」絶対に間違いはないというのか。

 

 

15歳から、直接日本社会に役立たない「よその文化の音楽の専門家」として税金で育てて頂いた社会還元の意味で伝えた。

東京の内科医には約40年近く我慢してきたが、相変わらずの堂々巡り。

あまりもの馬鹿馬鹿しさに、社会にも人間にも愛想が尽きた者の「置き土産」である。

医者・患者問わず、よく考えてほしい。

 

 

 


 

 

--「脳神経科」--

 

 

 

 

・「脳血管攣縮」・・・慢性疲労症候群やベーチェットにも共通する症状

(「脳血管攣縮」は「膠原病」--”自己免疫疾患”--に多い症状である。西日本ではよく知られている

 

 

*可逆性脳血管攣縮症候群

 

*可逆性全身性血管攣縮症候群 Reversible Systemic Vasoconstriction Syndrome 

 

 

*Reversible cerebral vasoconstriction syndrome(RCVS)による脳梗塞を
きたした全身性エリテマトーデス・抗リン脂質抗体陽性患者の 1 例

 

 

 

 

◆【慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)について】

  慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)では、脳神経内科の医師から「脳炎でも起こした

  ことがあるのか?」と尋ねられるほど強い症状が散発し、後遺症が残る。

  硝子体出血など「よく出血を起こす患者」の場合、脳炎というより「脳内出血」(血管の炎症)を指摘されるが、CRPはもとより、画像での変化は

  捉えられない。

  いつもと違う異変が起きたとき、小児発症で「気のせい」「”出来ない”だけは絶対許されない」環境で育った人間は、医者に行くよりも

  「症状を悪化させないこと」、および、「外見(健全な状態)に合わせられるように」と、「代替回路づくり・体の使い方の工夫」に、死に物狂いで

  集中する。一回一回、どれ一つとして同じことが起きないことから、「方法」(どうしたらよいか)は試行錯誤を続けるしかなくゼロから・ゼロ以下

  から訓練を日々繰り返すしかない。「代替回路づくり・体の使い方の工夫」、共に「”外見”に見合った回復」まで通常5年〜10年以上かかるが、

  いくら努力・工夫しても回復しないものは「たくさん」残る。自分で自分の「前」と比較せず「前はなかったこと」として「前に進む技術」を獲得して

  いる小児発症は現実に強いが、医師からも理解を得られないことは避けられず受け入れなければならない。(無医村に暮らしていると思え)

  日記をつけること等(できれば「3年日記」など)、「記録」が、体調管理・後遺症対策のカギとなる。

 

   
 
 
  

<慢性疲労症候群、及び、慢性疲労症候群関連疾患の脳神経症状とは(一例)> 

 

「可逆性に限らない脳血管攣縮」、あるいは、「血管の炎症」の可能性が原因の”症状”について

 

軽い症状では「道に迷う」(見慣れた近所の景色が見知らぬ土地に見える・わからなくなる)、ほか、もっと大きな記憶障害(子供の細胞

ですら発症前と比べ専門(得意)分野の記憶に「6倍時間がかかるようになる」、脳内の書庫が一瞬で(気づいたら)ほぼ壊滅)など、

多種多様の症状が出るが、殆どの場合「せっかくやり直しなら前の状態より良くしてやろう」とゴールを高く設定する習慣により(文字通り

ゼロから何百回・何万回の繰り返しにより)、「訓練」で「最低でも標準」に戻すことが出来る。

「やり直し」で前よりよくなることもあるが”年月日”や”消滅”など「後遺症が残る症状も多い」

 

※脳血管攣縮の症状に対してバイアスピリンは効果がなかったが「ミグシス」が効く(症状が緩和される、が、吐気の副作用が出る)。

夕方〜夜(モニターなど)「目が見えない・見えにくい」という症状は、「微小血管障害」に属する可能性がある。

 

 

     ※再発性多発性軟骨炎に伴う「可逆性脳血管攣縮」に最も良く効く薬は「免疫抑制剤」

     (脳血管攣縮に伴う”頭痛”の発症は抑えられないが、「近所の景色がわからなくなる」「道に迷う」などの症状は出なくなる)

     (一般に使われる「ミグシス」より効く。機序が違うのか?)

     自己免疫疾患に伴う可逆性脳血管攣縮の患者が「ホルモン剤」などを処方され、症状頻発・悪化させているのではないか・・・

 

 

   「年月日がわからなくなる」など「後遺症が残る」問題に関しては、脳血管攣縮ではないとのことであるが、

    血管攣縮なら「元に戻る」とのことであるが、”元に戻る病態”は「可逆性」という名称がついている血管攣縮に限るのではないのか。

   (「見慣れた景色解らなくなる」「迷う」などの症状)

   1.恩師紹介でプロに教えていた”専門家”が「できなくなった」ほどの「後遺症の残る症状」(画像では全く異常がない)についてどう説明するのか。

   全国の「膠原病内科医」および、「画像に出ないから信じない」と言い切った「脳神経内科医」に尋ねる。

   ・・・あまりにも「出来なくなったこと」が多すぎる(全滅・壊滅)。「血液検査や画像に出なければ信じない」というなら、専門的な内容につき、

   国内外の第一線で活躍する同窓生や当時数年前後した学年、まだ生きている当時の教官に証明して貰えば「血液検査・画像に出なくとも」納得して

   くれるのか ・・・・”ソルフェージュ”(3歳から書いている”楽譜の書き方・初見「ほか」”完全消滅” (「楽譜」は「5年かけて元レベル(オケ譜)

   までやり直し」、”初見”----初見移調を含めほぼ何でも初見で演奏した。(移調はショパンエチュードでも遊べた:昼食時「レッスン前”最後の練習”」に

   必死になっている専門学生のop.10-1に”半音あげて”同時・同スピードで合わせクラス全員から苦情が来たこともある)。この手の技術は「教わるもの

   ではない」が明らかに「日本の学校で磨いた技術」であり、学生時代から教授依頼が多く「人」と「社会」に最も貢献でき「もっとも食える技術」が

   「回復不可能」となった。----”音楽書庫ほぼ壊滅”(演奏したソロや”一部を除き”有名どころのオケなどは生き残ったようであるが--アイネクライネは

   1楽章以外「聞いたこともない曲」となりショスタコのボルト(荷馬車)が生き残った(性格か?)etc---、ほか「全く聞いたことも弾いたこともない曲」と信

   じ込んでいたら楽譜が出てきて「書き込みだらけだった」など。全回復不可能)。”固有音”を正確に使ってスケールが弾けるようになるまで「10年」

   かかった、等々々。

   何が起きたのか知りたいほど、ただただ壊滅状態だった・・・ステロイド筋炎の「手足首ブラブラ(紙一枚もてない、3センチの段差が上がれない)から

   やり直し」(10年かけてもまだ難しい:(まだ属七がつかめない)、萎縮した筋肉を広げる訓練および複数の免疫抑制剤に加えて中量以上のステロイ

   ド継続服用で新たな”筋炎”を繰り返し「漸減すれば炎症悪化、増量すれば筋炎発症」、”筋炎”とは非常にやっかいな病気である)とは全く別な、

   「再発性多発性軟骨炎を発症した1995年以降」、”専門分野”に「壊滅的な」脳神経症状が加わり、”総合的に”「全て」を失った。

 

 

   医者には意味がわからないだろうが、専門家には神経症状の「深刻度」「精神的ではないこと」はよくわかる                                        

   何でも疑う「画像に出ないと信じない医者」は、上記が「1学年に1クラスしかない学校」につき「同学年の”全員”が知る”レベル」                  

   については、全校学生および、直接実技指導をする大学側の教授・教官全員が知っていることを念頭に置いてほしい                 

   ---税金使用につき、1学年の学生数40名”以下”(年度により「入学者該当なし」の科がある)、総学生数120名”以下”---               

   医者に問う、「一体何が起きたのか」。「検査に異常がないから大したことない」とは「言わせない」・・・<「神経ベーチェットの症状」とのこと>・・・


                                                                                   

 

     ”5〜10年かけて”「再訓練」が利いた破壊(楽譜の書き方や音階)に関しては、あまりにも突飛なことで(半信半疑も手伝い)大笑いしたが、

     その後、回復不可能な破壊があまりにも増加(いずれも上述)。

     まだ「”MRIに映らないから”症状はなかった」という医者がいる。最近の話である。

     これでも「検査」が正しく「患者が間違っている」のか。いくら何でも笑えない。

 

     内耳出血を起こすために飛行機に乗れなくなっている。

     「CRP≪炎症反応≫が正常だから」という理由でここまで放置するとは一体どういうことなのか(発症から36年)

     ”患者の言葉”より、”内科医”にとってそれほど「検査」が大切なのか。検査は補助的なものではなのか。

     一人の患者に起きていることではない。世界中で起きている。沢山の人間が命を落としている。慢性疲労症候群の死亡者リスト

     医療・医学とは何なんだ。何のためのものなのか。

 

 

<慢性疲労症候群とは>・・・これでも「心因性」というのか

 

    中学3年(15歳)で発病以降、突然「本を読むこと」が不可能となり、”目的”を「税金」を使わせてもらっている特異性に絞り(演奏)、教科書は

    すべてロッカーに入れっぱなしで一切持ち帰らない決心をしたことも同クラス(同学年全員)が知っている------自分では理解できず混乱したが

    すぐに「生まれつき」「(発病より前は)”生きていなかったこと”」と片付けて前に進んだが、後年、同症状は(一部は回復不可能ではあるが)「ステ

    ロイド服用」によりかなり回復することがわかった。ステロイド開始までの何十年の苦労、実際に亡くなった多くの友人達のことを考えると言葉がない。

    ※「慢性疲労症候群」の脳神経症状は、「不可逆的な症状以外」、ステロイドだけではなく、「メトトレキセート単剤(十分量)」や、自己免疫

     疾患の治療薬に反応する症状が多い。

     中学が当時屈指の進学校だったこと、発病前の成績、勉強も面白く高校も最終的に当時屈指の進学校を狙っていたこと(-----当時の教諭や高校

    入試合格直後「十中八九白血病」とのことで長い病欠の間、授業のノートを届けてくれた中学3年の同級生、ご存命であれば”校長”が証言できる:

    上記付属は入学許可を得られる確率があまりにも低く入試は「1月」、落ちても「一般高校受験」に間に合うよう設定されている。入試期間は「1週間」

    日程はある程度まとめているが実質5次試験まであり、その間ほぼ毎日試験/貼り出し発表形式で受験者は落ちていく。最初の体調悪化が「10月」、

    11月には脳神経症状の症状一部が出た。不可解に感じたが一時的な症状で「単なる疲れだろう」と考えた。入試では熱っぽく「発熱」は解っていたが

    (大阪から受験のため)「体温をわざと測らず」真っ赤な顔で審査員に「元気そう」と言われた。合格後は大きく体調を崩し(十中八九白血病)「頚部

    リンパ節生検」(白血病は陰性)などで中学の卒業式も出席できず長期欠席となり校長にも心配をかけた----)、中学時代に担当教師を追い掛け

    回して質問・常に逃げられていた「理科」で後に著名な物理学者たちに強烈に誘われたことから、ようやく「ロッカーに教科書を入れっぱなし決意を

    した時点では既に”異常な健康状態”に陥っていた」「異変はそれ以前に起きていた」、「”極限状態”での自分の判断」(片方を捨てたこと・理由は

    解らないが両立は命に関わる)が正しかったこと」を、自分でもようやく理解できるようになった。

    自己免疫疾患特有の「筋肉・関節痛、微熱、リンパ節の腫れ、激しい疲労・倦怠感」など身体的な症状を伴い、「毎日嘔吐」をはじめ枚挙にいとまが

    ないほどの脳神経症状が中学3年(15歳)で出た。(全ては15歳、「慢性疲労症候群」から始まった。「人生とは酸素ボンベなしで潜水し続ける

    ようなもの」と感じていた)。

 

    その後の学校生活は激しい体調不良のため長期病欠が続き「出席日数との戦い」、長期欠席のため「ゼロからやり直しの繰り返し」となった。

    (高校ではギリギリ。エスカレーター式ではなく「大学受験」は一般と全く同じで心配された。大学でも体調が非常に悪く欠席が続き教授陣全員が真剣

    に心配するほど卒業が危ぶまれた。3年次に偶然若干体調が向上した時期があり、1年でほとんど全ての単位をとり卒業)。実技の成績が抜群だった

    ため「馬鹿にして学校に来ない」といわれた。

    同大学保健センター教授(東大医学部卒・解剖学「故・三木成夫氏」(名著「胎児の世界」の著者)の試験での小論文が好評でよく話しを聞いて下さった

    ことがきっかけとなり、同医師のみが大学時代唯一の理解者であった。

    脳神経症状も大変だったが、突然始まった「異様な疲労・倦怠感」(「朝目が覚めなければよかった」と思うほどのだるさ。慢性疲労症候群の疲労感は

    「重症筋無力症」の同症状との類似点が指摘され長年議論されてきた)、「筋肉痛や関節痛」「筋肉のコントロール」の対応が至難の業となり、すべて

    「自分の技術の問題」として必死で対応策を考え編み出し続けた。中学3年(15歳)から突然始まった激変であったが「気のせい」とのことで死に物狂

    いで現実対応をし続けた。原因不明で操縦不能に陥り、機体が乱高下するの飛行機を操縦するような感覚だった。

    子供のころの異変は本人が「どこがどう」という説明が出来ない。医者が気のせいと言う限り「発病前はなかったことにする」「自分が間違っている」と

    信じる以外に対応策がなく、健康時の記憶が全くないため”比較が出来ない”。医者の「気のせい」を前に「発病前は生きてていなかったことにしなけ

    れば生きていけなかった」という”現実”が「桁ハズレの異常さ」を示すのかもしれない----「3(6?)ヶ月間、毎日嘔吐」ひとつとっても「尋常ではない」。

    それを医者から「気のせい」といわれたら子供は「自分を殺すしかない」(”健康時の記憶”を殺す・自分の全人格を否定して生きる(自分が生きている

    こと全て間違っているとする)か、”命”を殺す(自殺)か)。

    結果、「病識のない大人」に育ち、また医者から非難されることになるが、「”慢性疲労症候群”の段階で医者が対応してくれれば、人並みに自分を大切

    に出来る人間に育つ」と確信をもって言う ------大人も子供も、沢山の慢性疲労症候群患者が医療関係者・福祉関係者・社会・家族から追い詰められ

    自殺している。医者が「慢性疲労症候群」をしっかり受け入れ「治療」してくれれば、「病気の悪化により」死亡したおびただしい数の友人達も死なずに

    済んだ(彼らは全員「生きていた」)。

    発病以降、何も言わずとも心配や負担ばかりかけた親には、「医者が気のせい」とする病気の症状について一切相談したことはないが、親である限り

    子供の異変には気づいていた。(親が付き添い通院で相談すると「親が神経質だから」「育て方が悪い」と医者から激しく非難されていた。あまりにも

    気の毒で、その後二度と付き添いや体調のことで親を煩わすことはなかった)

    「戦中派の親」(命を知る・「理不尽」を生き抜いた人間)を身近に見て育ったからこそ、「CRP(炎症反応)」という”宗教”にしがみつく”医者”に振り回

    され続けた見事に馬鹿馬鹿しい人生を生き抜いてきた。言葉で「何」ということを学んだわけではないが、恩師達を含め「戦争」という”最悪の理不尽”を

    生き抜いた人達は全く「違う」。(単なる年寄りではない)。子供の「慢性疲労症候群」や「CRP(炎症反応)が上昇しなければ炎症性疾患とは認めない」

    とする馬鹿げた医学に巻き込まれた親は「医者の被害者」の最たるもの(親の人生まで狂った)。医者は多少でも自責の念がわかないものなのか。

    「孫がいてもおかしくない年齢」になった”子供の人生”をなんとかすればよいというものではない(遅い)。「親本人の人生」も何とかしないと、という気に

    ならないのか。”親だから”「トシをとったら”死んだらよい”」のか。それが当たり前なのか。「その人の人生」を何だと考えているのか。何をしたと思って

    いるのか。「慢性疲労症候群」と「CRP」の問題・被害は本人だけに留まらないことを自覚してほしい(まず「家族の大きな犠牲」ありき)。

    もう一度言う。「一体何をしたと思っているのか」

    「高齢者医療」について。内科医達の執拗な「全ては”トシのせい”」は、どういうことなのか。「炎症反応が上昇しなければ炎症疾患ではない」と

    全くおなじではないか。「内科教育」は何をやっているのか。”CRP"などの「検査」や「トシ」の「当てはめ医療」のどこが「科学的医療」なのか。

    内科医の言葉の中でも「あなた死んでもいいじゃない」(当時聖路加・副院長、「慢性疲労症候群?信じないね。あなた、死んでもいいじゃない。あなたが

    死んでも何が変わるわけなし、誰が気にするわけなし」)は、明らかな誤り「気にするのは親くらい」以外の部分を、医者の「気のせい」と同じく”真”とし

    受け入れ、その後の人生における「軸」となり、ある条件以外全く興味のない”残り時間”を稼ぐために大変役立っている。(よくわかった。残り時間は

    自分で決め「そこまでは精一杯工夫して生きる」)。笑ってりゃ過ぎる」。「三つ子の魂百まで」。

    東大病院では「再発性多発性軟骨炎でなぜ笑っていられるのか不思議」だと言われたが、「笑っていないと生きていられない」

    「慢性疲労症候群」の”小児発症”は、医者の(検査に異常が出ないから)「気のせい」を信じ、”自責”の念から、異様に激しい倦怠感と深刻な症状が続く中、

    「対応力」を振り絞って必死で「現実」に対応し続けた。医者に問いたい。「3(6?)ヶ月間毎日嘔吐」のどこが「気のせい」なのか。以前と比較して暗譜に

    ”6倍”も時間がかかるようになってどこが「気のせい」なのか(発病以前は「半月に一回」大きなソナタを人前で発表した。発病後は「3ヶ月」かかるように

    なり「運動記憶」に頼るしか方法がなくなった)。「筋肉・関節痛・微熱・リンパ節の腫れ」のどこが「気のせい」なのか 。「十中八九白血病」で始まり

    「頚部リンパ節生検」を要とした病態のどこが「気のせい」なのか。これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか。

 

 

   ----能力ではなく「職業」の話をしている。「自分が食っていく手段」「家族を食わせる手段」の話をしている。「ソロ」の場合、いくら一級の

   国際コンクール要員として海外から招聘されても「国際コンクールを受けに行く体力」がない限りどうしようもない(当時の関係者は「どの

   レベルにあったか」全員知っている)。「ソロ」「室内楽」同等レベルを併せ持つ人材は世界でも非常に少なく一級の演奏家から大変重宝された。

   特に「後者」は「どこでも何があっても食っていける技術」であり「他科」(医者のように他の楽器)を助け「業界」(社会の一種)や、「一般社会

   そのもの」に最も貢献できる技術。”日本の”「国費」で築き上げた技術。「CRPが正常だから気のせい」という”医者”を信じて「50年+」の

   結果であり、決して笑える話ではない。”医者”というのは「食えなくなる手助け」をする職種か。----

   なぜ税金を使った本人の死に物狂いの訓練成果である「技術」が、医者の「検査」ごときに潰されなければならないのか。何度考えても解せない。

   東大病院では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)という言葉も聞いたが、「医者」が”職業”を差別していいのか。

 

   <15歳から税金で勉強してきた同級生達へ(1)>

   親の家が芸術筋で「厳しさ」をよく知るが故、「遠隔受験」も控えた最も忙しい・体力的にギリギリの受験生を「7時間待たせて平気」という一般

   では考えられない”感覚”を持つだけではなく、当時「自分の出世」(国立大学教授職獲得)に生徒をパイプ役として奔走していたことも露知らず

   (あとで「生徒に責任転嫁して自分が”逃げる”」くだりなど想像すら出来ず)、親子ともその専門家(担当)の強い薦めと紹介(自分が連れていく)

   を何の疑いもなくまっすぐ受け止め、その「専門家」にすべてを任せ、年に1〜2人しか生徒をとらない・学内でも非常に厳しいことで有名な担当

   教授から「是非欲しい人材」といわれ付属高校受験を決意。同科で入学許可を得られるのは「全国から15人」のところ断トツトップで合格。

   「税金を使って勉強する重み」を親から叩き込まれ、それをしっかり背負い、付属高校・大学担当教授(恩師)も「税金の重さ」を誰よりも熟知、

   戦争に行った「命がけ」そのままの勢いと責任で生徒を教育した。  

   ・・・人生の中でも最も体力的に厳しく忙しい受験期(中学3年生)に対して「自分の都合で」(隣の部屋にいるにも関わらずテレビを見て)何度も

   「7時間」待たせた人間(3〜5時間待たせるのは”当たり前”。「全く同じ時間で”数人”予約をとるのが常習。”7人”という日もあった」)に関して、

   「発病」の「トリガー」になったことは明白で、生きていれば、当然、問題になったが”東京の有名コクリツ大学の教授として”「物故者」。

   ------サポート役として隣の部屋で手伝っていた自分や他の生徒の親、同じように待たされていた”他の犠牲者”(生徒達)が証言できる

   この人物は、死ぬ前、病態悪化のため長期間(年単位?)学校に行くことができず授業が出来ないことがわかりきっている状態にありながら、

   「親」が金を使って「コクリツの教授職」を(欠席のまま死ぬまで)保持していたことで、東京のコクリツ大学教授陣から大顰蹙をかった------

   (「あってはならないこと」を「起こした」専門家親子であったことを覚えていてほしい)

 

   ※古いことを、いつまでもチャゴチャ言うのは結構であるが、これ以上「同業界の恥」を公開させないでほしい。元同級生達へ

   ”知識”の面ではいくら優秀でも「真偽を見抜く能力だけは”完全に欠落”している」ことで”同業者間”では有名な人物である限り、「最高額」の

   年金を支給される人間に見合った「社会奉仕」に余生を捧げたらどうか。

   下記は、当時の関係者はすぐ理解できる内容であり、当時の審査員が一部まだご存命のうちに伝える。

   --------受験したコクリツ附属入試の審査員の一人(当時最も権力を持っていた教授)から、全入試期間中を通して、「毎夜中」、審査員”全員”に

   「落とせ」と電話があり困った、と合格発表後に恩師から聞いて仰天、意味がわからずポカンしたした(恩師はすぐ全く無関係であることを見抜いた)

   幸い「断トツトップを落とすわけにいかない」と言い切るだけの「判断力」を持つ当時の教授たちを筆頭に(おかしなことをした退官間際の教授は論外)

   まっとうな審査員が合格させたので不問に付したが、迷惑を被ったのは「生徒」であったことを忘れないでほしい。

   (この学校は私費で成り立っているのではない。附属の入試妨害といい、奏楽堂演奏会の妨害といい、恥ずかしい限りである。 何をやっているのか)

   もし(入試)、いまだに生徒を疑い続ける「真偽を見抜く能力に欠く判断力のない人物」が当時教授として仕切っていたら、と考えるとぞっとする。

   「地位があって判断能力欠如」は非常に影響が大きい。人がよい悪いの問題ではない。誤った判断による犠牲者は沢山いる。

   ・「逆さ」に見えていることにまだ気づかないのか。受験期の生徒を7時間待たせて平気な感覚を持つ”専門家親子”(当時私立大教授とお茶の水

    女子大教授選真っ最中)が「自分達の保身のため3歳から通っていた生徒を売った」(自分達が強烈に薦めて生徒を連れて行きながら「生徒が

    勝手に行った」と主張。その後、これが生徒にとってどれだけの「迷惑」に発展したか)。

        子飼の生徒に責任転嫁してコクリツ大学教授の座を得た人物の恩恵を被る「地位のある生徒達」は結託して報復を企らみたいだろうが、

        この門下には激怒している元・生徒が「非常に」多いことを覚えていてほしい(同様の被害にあった生徒が一人ではない)

 

 

   1.「勉強の優秀な学校」を狙っていた生徒は「習い事”ごとき”」で自分勝手に指導者を探さない(子供の頃からの先生を信頼しきっている)。

   中学は受験校で猛烈に忙しくただでさえ時間がなかった。”習い事での受験”が「邪魔になる・・・」と案じていた。(演奏は些細なミスが命取りになる。

   本番は何が起きるかわからない。落ちる確率は高いと踏んでいた。勉強なら「消しゴムが使える」。勉強一本に絞ったほうが有利。「浪人と滑り止め

   受験」は許されなかったが、東京での入試で遅れた分を取り返す”ペース配分”は見当がついていたので受験した)

   ----そもそも大阪-東京の新幹線往復だけで何時間かかると思っているのか。誰が交通費を出すのか。不要不急で学校は休めない。「一日休むと二度と

   ついていけなくなる」といわれていた詰め込み教育時代の”追い込み授業”はどうするのか。同級生に確認したところ殆どの生徒が塾に通っておりその

   多くが「弁当を二つ持って」登校(学校の昼と塾用。帰りは皆ぞろぞろと夜の「11時頃」。1学年12クラスのマンモス校)。決して多くはないが一日4−5時間

   の練習時間で塾に行く時間はなく、勉強時間も最低限に限られ、自力でナントカしなければならない状況下、出来ることは、無心で、一つ一つ、目の前の

   ことををクリアするのみ。その”充実感”が大変爽快で楽しかった。自分で習い事の先生を探す、など余計なことを考える時間も余裕もない。

   生徒に責任転嫁した”専門家親子”は「母親が探して勝手に行った」とも主張したが、母親は専門職を持ち(京都の人間国宝の下で修行した染色作家

   ----後に東京で、全く違う分野で数年前まで活躍)、仕事には納期があり”非常に”忙しく、親の興味もない分野かつ学校に入れるだけで医者の3倍カネの

   かかる子供の習い事には迷惑千万。「早くやめて貰うために」子供の頃のコンクールやコクリツ付属受験を許可した(実力を知ればさっさとやめるだろう)。

   芸術畑の厳しさをよく知るだけに「やめさせることに全力をを尽くしても」自ら子供の習い事の先生を探しまくるなど考えられないどころか想像も出来ない

   「ありえない」話。(芸術畑に素人の親バカじゃあるまい馬鹿にするなと怒鳴りたい。「我慢ならない作り話」のためにどれだけ迷惑を被り不愉快な目に遭ったか)

 

 

   2.受験前年にはすでに体調を崩していた---- ”決定的な出来事”は受験直後(頚部リンパ節腫脹で生検に至った「十中八九白血病」と、その後カルテ

   がまわされ内容を読むなり小児科医が「何が起きてもおかしくない!」と激怒したほどのステロイド過剰投与・・近医から紹介された外科処方・・1970年

   当時の日本製のプレドニンは非常に質が悪かった・・・であったが、受験前年から症状が出ており、----ステロイド過剰投与後のように日常生活が出来

   なくなる程度ではなかったが----「症状」はそのとき疑われた病気(白血病)や後に発展した病気が語るよう尋常なものではなかった)

   偶然、入試の順番(全実技日程)が「午後」だったため、午前中はゆっくり休み(ギリギリまで睡眠をとり)試験では普段どおり演奏できたが、

   もし演奏順番が午前中だった場合は絶対に落ちていた(自信がある)。それほど体調を崩していた。

   その後、本来1年間かけて漸減するステロイドを、高校の入学式にあわせ「1ヶ月」(”記録”確認)で「漸減」(-->「ゼロmg/day」)のため入学式前日まで同小児科

   に通った。小児科医は必死だった。最後の診察で(腹部)「ここは痛くないか」と問われ(痛かったが)「痛くない」と答えた。(「痛い」というと上京できなくなるのでは

   と恐れた。「医者なら東京にもいる」と考えた----まさか東京の内科医療が日本で最も”遅れている”など最近まで知らなかった。超多忙な親は一足先に入学準備

   のために上京していた(親に迷惑をかけている)。小児科最後の診察後(入学式前日)その足で上京、翌日の入学式に間に合わせた。

   入学後の激しい体調不良は養護室の教諭が証明できる。

 

 

 

1)・・・・上述の、「頚部リンパ節腫脹で生検に至った”十中八九白血病”」(結果はネガティブ)、および、

     「ステロイド過剰投与」から始まった症状・病態が「慢性疲労症候群」である。

     発症の仕方は人それぞれだが、「慢性疲労症候群」がどういう病気であるか、見当をつけるために役立つことを願う。

     ------これでも「気のせい」というのか、「心療内科領域」というのか、「慢性疲労症候群は大したことない病気」というのか。答えろ----- 

 

 

2)・・・・故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しかったことになる。

     故・内田教授は「慢性疲労症候群研究班」の発足以来、亡くなるまで同研究班員で、当時(1991年〜1996年没)、海外の患者・医師や研究者達

     からも一目置かれていた。(次ページ「京大」参照:日本の研究

     内田教授が亡くなってからの「慢性疲労症候群研究班」は、倉常の研究に沿ったものばかりとなり、患者に多大なる迷惑をかけ続けたとともに、

     未だその悪影響と混乱を医学界・社会に与え続けている。「手遅れ」になった患者をどうしてくれるのか。

 

 

3)・・・・1994年当時から東京の膠原病内科では「京大の内田さん、人体実験やってるんだって」と患者に”勝手な憶測(噂)”を伝えていたが、

     現主治医のことではない。東京の膠原病内科医達は現在(2018年)も「東大を中心に」同じ事を続け(”地方の医師”を否定し「作り話(憶測・噂)」を

     広めて「潰す」)、体質を自らを是正する気配もない。日本の膠原病内科は、いい加減「患者第一医療」になれないものか。

     日本中の膠原病内科患者にとって、怒りどころのさわぎではない。

     膠原病内科から見えてくるものが他免疫疾患に与える影響は大きい。(”免疫不全”は、上記が示すよう、決して「少数派”ではない”」)

     学会は「社交界や仲良しクラブ”ではない”」。

     ”結核”や”癌”などと同じように「真剣に」議論し、各自現場に戻っても議論を続けるような「命に対して真剣な科」になってほしい。

 

     ただでさえ、日本の膠原病内科は欧米先進国に比べ「30年遅れている」といわれている。40年近く「東京の内科」に接してきたが、

     「東京の膠原病内科」に関しては我慢にも限界がある。下らない「東京体質」で全国の患者に迷惑をかけるのはいい加減やめてほしい。

     膠原病内科に関わらず、東京の医師達の”姿勢”は、地方の若い医師達に対して大きな影響力を持つ。

     地方にせっかく若い医師の手本となる立派な教官が存在しても、幼稚な「東京スタイル」(下らない「噂」で「世の中何とでもなる」と信じている)

     を真似る若い医師達が増え、地方の患者達はどれだけ迷惑を被っているか。

     膠原病学会に参加する他科の医師達も、呆れて見ているだけではなく、患者のために協力してほしい(「自分の科ならどうなるか」教えてほしい。

     膠原病内科は非常に狭い世界で「外」を見ない・見ようともしない。希少疾患だか何だか知らないが、患者も「外」の世界を全く知らず「医者擁護」

     ばかりに走る。専門医は、女性や高齢の患者が多いからか、ちやほやされることしか知らない。担当患者に対する対応は見事でも「科全体として」

     ”最低の医療”をしていることに気づかない。)

 

     他科の医師達から「膠原病内科の先生は変わった先生が多い」と呼ばれていることを知ってほしい。(2008年、慶応・患者相談室の医師(元教官))

 

      このHPで紹介したような、患者が不利益になる発言は同業者が内部告発すればよい。一体何のための医療をやっているのか。

     膠原病内科が扱う疾患は一般社会から理解されにくい「見かけ非常に元気な重症患者」が多く、患者達は社会的に非常に厳しい立場にいる。

     「大変難しい立場に置かれている患者を支える医師」であることを片時も忘れてほしくない。

     眼の不調でモニターを見るのが難しくなっている患者に、これ以上負担をかけないでほしい。

 

 

 

   ・”何もかも”逆さに見えている「本人」と「取り巻き」に伝える。”ここ”が「命」をかけた場であることさえわからないのか。

    判断力もないのに権威を振り回さないでほしい。(わからないやつは黙ってろ、ということである。沢山の人の命がかかっている) 

 

 

    ---------日本では15歳から8年間「気のせい」、米国大学院に留学するなり「病気発覚」、実力を試す間もなく「日本に研究班が出来た」ということで

    帰国した1991年以降は、医者が「慢性疲労症候群の実態」を全く見ようとしないため、まさか進行する大きな病気とは知らなかった日本側の故・恩師

    の方針「君ならいつでも復帰できる。まず体。十分休んで」に従い、「一患者」として生きてきた。

    日本の「慢性疲労症候群」およびそれを取り巻く日本の「内科」がこれほど馬鹿げたものとは露知らず、帰国してからの”日本の慢性疲労症候群”は、

    (研究班に関わる一部の医師以外)「気のせい」扱い。

    その後、1995年に再発性多発性軟骨炎、2001年に腸管ベーチェット発症、「炎症反応が上昇しない」という理由で、診断は、いずれも発症から

    「10年」かかった。治療も「炎症反応(CRP)が上昇しないから」という理由で「大したことない」とされ更に数年かかり、2011年、西日本(九州)に

    転居するまで治療をして貰えなかった。結局、治療の遅れからくる手遅れで「治療薬」(生物製剤)は使えなかった(1%未満の副作用続出)

    進行する病気であることから、「古い治療方法」を求めて東京に戻ったが、東京で、最も経験のある専門医の一人から「これだけ全身に広がった

    患者は診たことない」といわれたほど、東京の内科医達が「CRP陰性だから」と治療をせずに放置した(15歳発症から)36年間に重症化した。 

    東京では、1991年・米国から戻った時「アメリカはいい加減だから」と言い、2016年・西日本(九州)から東京に戻った時「西日本はいい加減だか

    ら」とのことで、(2006年、患者を入院させ)「再発性多発性軟骨炎」の診断をつけた”東大病院の担当医たち”までもが、西日本での「同じ診断」

    (再発性多発性軟骨炎)を「信じない」と言った。《どういうことだ》

 

 

    「東京の偉い先生方の診断を信じただけだろう」とも言った。(「西日本の医者は経験がなく無知だから自分で診断出来ない」という理由だった)

 

 

        ・・・・西日本で「再発性多発性軟骨炎」の診断を下したのは、1.「京大医学部・膠原病内科卒」(当時・鹿児島日赤院長・鹿児島大学医学部

        膠原病内科「前」臨床教授)、2.転居前、東京(日大板橋・前任教授)から紹介されていた「北九州産業医大・膠原病内科教授」(再発性多発

        性軟骨炎を日本で最も良く知る医師:この病気は白人に多く、年間を通じて海外が多い同教授は日本の誰よりよく知っている。

       「典型的な再発性多発性軟骨炎」とのことだった)、3.「鹿児島大学膠原病内科臨床教授」(クリニック・ほぼ毎年EURA出席)。

        ----主病院は「北九州産業医大」(新幹線通院および入院治療)、鹿児島の2人の医師は居住地での主治医・産業医大治療の引継病院----

        「ベーチェット」に関しては、上記3名の医師に加え、京大・消化器内科教授のコンサルが入った。

        いずれの医師も「東京の偉い先生方のおっしゃるとおり診断する」など天地がひっくりかえっても考えられない。

 

 

    西日本での2つの診断は、現・血管炎班長(東京女子医大)と全くたがわず。”東大・膠原病内科”を中心とした東京の「地方蔑視」を露呈した形となった。

    (たとえ診断が違ったとしても「遠方から、元主治医の紹介状を持参し(東京の大学医学部名誉教授の紹介。診察日の朝には紹介元の名誉教授から

    紹介された医者へ電話も入っていた)、藁をもすがる思いでわざわざ医者のために遠距離引越・相談に来た”具合の悪い患者とその付き添い家族”へ

    の対応」は「医者として」正しかったのか。どの患者も医者と遊ぶ暇のある患者はただの一人も存在しない。”医者”としての神経を疑う。)

 

 

 

     <15歳から税金で強してきた同級生達へ(2)>

 

     全く違う世界に生きて27年になる。顔を合わすことがあっても、もはや仲間ではないことを認識してほしい。

     世界中旅をする演奏畑は強靭な体を要求される。共通の話題がないからか、あまりにも体調が悪すぎたうえ、「ゼロ・ゼロ以下からのやりなおし」の

     ため「過去はなかったこと」をやりすぎたのか、同級・同期生たちの「自分が一番苦労している」「自分も子供の頃から体が弱い」を聞き過ぎたのか、

     馬鹿げた「入試」から始まり、不愉快な思い出しかない。それでも実力のある何人かの当時教授たち・同級・同期生は印象に残っている。

     幸い仲間を一切要求しない楽器柄。「断捨離」と考えてほしい。

 

 

 

    ”慢性疲労症候群”について。検査結果を振り回す前に「患者の言葉」を信じ、医者が病態を理解しようとし、その段階で医者が治療を試みていれば、

    このような人生にはならなかったのは誰が見ても明白である。子供の頃から病気と知っていれば「一にも二にも体力勝負」の演奏畑には絶対に足を

    踏み入れない(無駄。原則「先の予約」「代理は利かない」「些細なミスで次はない」。本人と家族の尋常ならざる努力により障害者には可能な場合も

    稀にあるが、「病人」には最も不向き・無理)。早い時期ならいくらでも方向転換がきいた(一つのことしか出来ない人間ではなかった)

 

 

    介護にしても、「病病介護」の中でも「介護側の”病気の実態”を知る医師が殆どいない希少疾患」、かつ「とても元気そうに見える」、かつ「介護を

    要求する人間は”生まれて初めての大きな病気”」(病人には当たり前の「独特の忍耐力」など全く持ち合わせていない。食欲のない、あるいは、

    全く食べられない状況下の介護者による「メニュー探し〜調理」(介護者の病状が絡み宅配外食は頼めない。かすんで見えない目で毎晩メニューと

    睨めっこ、食べられそうなものを選び、壊れた頭ではプリントアウトは調理時混乱するので毎日ノートに手書きで書き写すまでに「1時間」。

    翌日、「マニュアル」を見ながらの”実験”。包丁を持つ肩関節が痛み力が入らない。ものすごい「ふらつき」で立っていられない。それでも「やると

    決めたらやる」。「軍隊にいると思えばよい」)

    外出先で具合が悪くなることもあり付き添いは不可欠。介護側は15歳から39年間の病気人生でよく理解できることから常に「その場で休息をとるよう」

    アドヴァイスするが「絶対に」聞き入れてくれない(自分が元気なときの方法を強引に押し通す。親は子供のアドバイスは「絶対に」聞かない)。

    結果、介護側の病気が必ず悪化するほど介護側にものすごいストレスがかかる。本人はアドバイスも聞かず外出先での強行により後日も体調不良が

    続く。介護側は悪化した病態と更なる大きな負担を抱える。(介護経験者は全員知るとおり「親は子のいうことはきかない」)

    介護側は飲まず食わずでトイレに頻繁に出入りするような”病態”であっても相手に合わせて相手の予定・希望どおりに動かざるを得ない。

    (相手の通院の為の空路移動では「16時間飲まずのまず食わず」の対策をとってこなした。内耳出血を起こし介護側の病態はさらに「進行」した)

    外からも相手からも一切”見えない”限り、どれだけ具合が悪くとも「出来るだけ相手に良いよう」、苦情・文句が出ないよう「義務」と片付け一つ一つ

    「こなす」。それでも文句ばかり。苦情は尽きない。初めて大病をする「親」は病気の子供(成人)にとって凶器と化す。

    (親は子に甘える。逆は真に「ならない」=子供は常に気を使う)。

    相手に何かあった場合「もたない」のは自分がよく知っているが「死んでもいい人間」、文字通り「単なる死ぬための準備」として出来ることをする。

    (全力を尽くすには「ゴール」が決まっていた方がよい。ゴールを決めなければ「体力的に」難しい・・・ただの無理ではない、「命がけの無理」。

    人の世話が出来る体調ではない。)

 

 

 

       ・・・一日のうち夕食準備、ほか出来ることは全て自分でして貰う、というレベルは「元気」であれば「大したことない介護」であるが、手遅れのため

       副作用で治療薬がほぼ「ない」(症状・進行が抑えられない)”病人”が”介護者”になれば、ちょっとした行動一つ一つが「命がけ」となる。

       使える薬(3種)だけでも免疫力は落ちており(IgG400台)更に落ちてくる。(400をきったら入院・血液製剤治療が必要。暢気に入院などしていら

       れないのが多くの患者の「現実」-----”入院”というのは同居者が「元気」で始めて成り立つ。明らかに医者がかけたストレスで発病させられた場合

       「患者」はどうしようもない。「日本で最も経験豊かな専門医(複数)」から何度も入院を勧められるということは「外来での治療に限界がある」(重い)

       ということではあるが、医者が考えるほど(入院中どこかに預けろ)「現実」は簡単なものではない(施設・病院は少しでも歩行困難があると車椅子

       を使わせる、お遊戯やぬり絵けなど刺激のない生活など)。トシ相応の病気があっても、まだまだ”社会貢献的伸びしろ”豊かな「前途有望な高齢者」

       と「患者」の”その後”の不利益しか見えない。-------「家族(患者の介護者)を発病させた医者達」は「同僚の医師(担当医)」にも多大なる迷惑を与えて

       いることに自覚があるのか。2006年当時、東大病院「内科」には「躾」という張り紙があったが”遊び感覚”もいい加減にしろ)

       この免疫力で頻繁に外出・通院付き添いは、それこそ「命がけ」。昨年は運よく乗り切れたがインフルエンザの時期など「やけくそ」。

       どんなに暑くてもマスクは外せず、それも「気休め」(免疫抑制状態)。ゲラゲラ笑って凌ぐ。もはや”現実”は「笑える問題ではなくなっている」。

 

 

 

       自分が具合が悪いとき、それを自然に出す場がこの世に一箇所もなくなったことも、大病を抱える介護側にとっては、日々「非常事態」である。

       お世話になった主治医たちのことではないが、あまりにも多くの呆れ果てた内科医経験で、ほかに(場が)欲しいとは全く思わない

       (たかが自分の人生。クズはクズとして、死んでもよい人間としての人生がある。どーでもいい)。

       医者は「トシ寄りは先に死んで自然」と言いたいのかもしれないが、壊れっぷりの見事な脳神経症状を有する患者は、「自分より頼りに出来る脳」

       がないと生活が成り立たない。(「元・介護者」にとって不満はあるらしいが「トシ相応」「機能として介護者より遥かにマシ」どころか仰ぎ見るレベル)

       あたかも人の人生を知っているかのように勘違いしている医者が多いが、医者が安易に考えるような「年功序列」では成立しない人生もある。

       医者がかけたストレス原因による「同居人の発病」は明らかに患者(介護側)の寿命を縮めた。

       15歳から続けている「前進対策」で片付けた(「自分はこの世で最低の”不要な人間”」と解釈した)。この世の名残はキレイになくなった。

       今後も、これまでと同じように、余計なストレスなく前進出来ることは大変幸運で良いことである。

       ・・・発症(15歳)以来このように「上手く片付けて」生きてきた。。他の生き方は知らない。《出来るときに出来ることを出来るだけ》

       ------「片づけ方(コツ)」-----

 

 

 

    一般の”病病介護”とは全く違い、介護者側が希少難病を抱えている場合、想像を遙かに超えて非常に難しい。上辺だけ見てどうこう言うのが”人間”。

    「無医村・無人島に生きる」「人間一人で生きて一人で死ぬ」覚悟を要求され、「自分で”自分に”お前みたいなクズ早く死ね」と真剣に言い聞かせ続ける

    ことが出来、「”何もかも”一般的なものとは違う”現実”」と一生対峙するだけの「精神力」(脳天気さ)を必要とされるのが「希少疾患」を生きる人間である。

    (これが「当たり前」。出来なければ「死ねば」というのが希少疾患の世界。・・・・「人と違った生き方」のどこが悪い)

 

 

         附属の同級生達は(病気であることが)「うらやましい」「暇でいい」と言っていたが、病人というのは「生きていく」だけで健常者の想像を絶する

         ほどの努力と工夫を強いられ「もっとも時間のない」人種である。(1日がかりの通院を考えてもわかる。それに伴う体力消耗からの回復にも

         日数がかかる。一日の中でやりたいことはいっぱいあるが休養しないと死ぬ。ラクしているのではない。「時間がない」)

         医者・医療関係者との関わりも、マスコミが無責任に流す「お涙頂戴」を信じているのかもしれないが、「実態」はそういう甘いものではない。

         「病人の世界」というものは”こういうもの”。それでも病人の誰もが自分が一番苦労しているなどとは思わない。各患者「もっと大変な人たち

         だらけ」と信じており、それが「現実」である。”長患い”ほど「現実」を良く知っている。

         「トシをとる」と同じく「病気をする」というのはそういうことである。同僚達の「自己憐憫」と「自分が一番苦労している」感覚には”全く”ついていけない。

         「命のやりとり」である。医療現場は”戦場”と同じと考えてほしい。

 

 

 

    ----親が生まれて初めて緊急入院した東京都健康長寿医療センターでは退院後の患者社会生活に支障がでるほど、「まだ現役」の感覚を持っていた

    高齢患者を「施設並みの接し方」で甘やかせ、介護者は、退院後、頻繁に出る”長寿センター病”に本当に迷惑している。「やさしい」のは結構だが、

    あまりにも過剰に特別扱いされたら若い患者でも勘違いする。入院中の生活は社会生活ではない。社会復帰させるのが病院の役割だろう。高齢者が

    何故特別なのか。「あなたも私も誰でも」年をとり高齢化する。「普通」にできないのか。研究機関だからか「薬の変更は金曜しか出来ない」、循環器

    内科の医師は「薬の中和」を知らないなど不可解だらけで同区内(板橋)の医師達にはきわめて評判が悪い

    ※東京都健康長寿医療センターは「都立”ではない”」・・・かつては都立だったが、今は単なる民間病院である

    −−「東京」には高齢者を「普通に」扱える病院はないのか。大学病院は高齢者オンチ。地方では考えられない。何が「国民総活躍」か----

 

 

 

    親の発病も「医者」から始まった:子供の病気に対する全くの無知と「CRP(炎症反応)絶対」で筆舌に尽くせぬ対応をした北里・膠原病内科の廣畑、

    日大板橋・膠原病内科の武井、および板橋医師会対応「北里大学で全身のデータをとってからでないと開業医を紹介してやらない」による「ストレス」

    原因。これを黙ってみていた(煽った)のが、東大病院入院中、患者の報告「CRPが上昇しない」に対し、「一貫してCRP正常」に気づき指摘した担当医

    3人と当時の東大膠原病内科教授(上から山本・駒形・川畑・藤尾。北里の廣畑は東大膠原病内科卒の同僚で頻繁に会っていた。患者の「命に関わる

    深刻な不利益」が起きることを最もよく知りながら何故黙っていた。そのうち望みどおり揃って死んでやるから待ってろ。我々の寿命を縮めたのは

    お前達だ。忘れるな)

    ----順天堂大学名誉教授の紹介でもあり「わざわざ鹿児島からの遠距離引越直後」(鹿児島からの”転居”)、「疲れで腸管狭窄を起こし全く食べられ

    ない体調であること」を上記2人の医者と医師会には伝えた。医者なら「医者と医師会の対応」に「親」がどれだけショックを受け心配するか簡単に

    想像出来る。親は「医者とは残酷なものだな・・・」、毎日「どうしよう」(2011年以前の気骨のある日大板橋をを想定し、「呼吸器症状が出たときの非常

    時のため」”近く”を選んで転居したアト)。「15歳から知る医者は全員そんなもの。慣れろ」に対して「死のうか」「死ねということか」という言葉もあった。

    親は東京の医者の対応に慣れることはできなかった。外出先で発症(一人で元気に近所のスーパーへ買い物に行き、耳鼻科に立ち寄り「めまい治療」

    (耳石置換療法)を受け、帰りが命がけになった)

     ----右記、ベテラン耳鼻科医の名誉の為に記す:後日、本人の希望で報告・確認したところ、画像は「頭位発作性めまい」ものであった。誤診ではない---

    2011年、鹿児島転居京前は10年間板橋区に暮らしており、開業医は、個々素晴らしい人柄の医者が多い地域であることは知っているが、今回の

    一件は殺人行為に等しい。脳梗塞にしてもあと5ミリずれていたら右全麻痺だった。

 

 

 

    ”諸悪の根源”は「患者の言葉」より「検査を絶対」とする昨今の医療・医者にある。

    いずれの医師たち・医師会も「激しい炎症があればCRPは上昇するはず」とする”宗教的”ともいえる”根拠のない思い込み”の持ち主。

    「エビデントベースト」か何か知らないが、そんなものが、医者が殺人をしても良い言い訳にはならない。

    ”東京”を中心に「今」も同じこと(炎症があればCRPは上昇するはず)が延々と続いている。

    「炎症反応」(CRP)については、2004年、結核予防会が「CRPは信頼に欠く」と発表している。

    「東京を中心とした医者は、いつまで信頼性に欠く検査を盲目的に信じるのか」。

    (京大関連の病院では2008年の段階で、CRP陰性の患者に対して「SAA」(Serum Amyloid A protein)を測定していた。

    炎症物質は”CRP”や”SAA”「だけではない」) 

 

 

 

    このページが論じている内容は「あなたの問題」であることに気付いてほしい。

    「CRP」(炎症の有無を知る検査)は「自治体の健康診断」でも使わている。

    医者がCRPに頼り過ぎるあまり「見落とし」は沢山起きている 

    「全身性炎症があるにも関わらずCRP陰性」は自己免疫疾患患者にのみ起きる現象「ではない」ことに注目してほしい(下記)

     肺結核における炎症反応の意義 

 

 

 

 

※なんでもかんでも「大学病院」の日本であるが、今の日本の大学医学部には、結核を熟知する医師は「いない」 

日本では”結核撲滅”と考えられていた時期、医学部で結核を「教えてこなかった」”空白期”がある。

「結核予防会」は、大学病院のように「個人的なレベル」ではなく「人類の存亡に関わる病気」を専門に扱う世界規模の機関であることに気付いてほしい。

(そこから出た「CRPの評価」)

 

 

 

 

    <15歳から税金で勉強してきた同級生達へ(3)>

    病気の性格上「ゼロ、ゼロ以下からのやり直し」ばかり要求され、「前進」するには一瞬一瞬「過去はなかったこと」にする以外有効な手段はない人生に

    とって、学生時代の「先生」など”よほど印象に残る人物以外”は、記憶にあっても全く共通点のない「違う世界の単なるおっさん・おばはん」。

    その世界でいくら偉くとも「役立たず」であり「いつまでも先生面」など厚かましい。

    「社会問題として」”再発性多発性軟骨炎”の難病指定署名活動を相談したところ「皆の”気持ち”を考えて伝えないことにする」と判断するような同級生

    など「それ以下」 (・・・この一件では「一般社会」に生きる人たちから迅速な対応を頂き2500通以上集まった。本当に心から御礼を申し上げる) 

    税金で食っていながら君が代も歌えないような感覚を持つ(学生時代)「習ったこともない実技の先生」や、一般社会とかけ離れた感覚を持つ同僚(全科)

    など、(兵役で社会に貢献を果たした一般社会と感覚を共有できる故・恩師や同世代の先生方以外)、「邪魔はされても食わして貰った覚えはない存在

    であること」くらいよく覚えていてほしい。(学生時代あれだけ体調が悪いにも関わらず精一杯手伝った。伴奏依頼では通常の4倍担当した。ピアノ伴奏

    なしで演奏は成り立たないことが多く、伴奏・アンサンブル”も”得意なピアニストは、音楽界において「生かすも殺すも」という立場にある。医者のせいで

    「プロになってから」最も稼げる分野で稼げなくなったのは「怒り」どころのレベルではないが、そちらの世界には”既に”十分貢献している)

    目の不調が先にくるとは考えもしなかったが、「初見能力壊滅」云々より、楽譜が読めなくなってきているので悪しからず。「出来る時に出来る事を出来るだけ」

 

 

    「有史以来」という芸術家でもない限り、社会感覚の欠落した人間が仕事内容で社会に貢献することは難しい。自然災害の被災地に行って「音楽の力」

    とやらをやたら自画自賛しているが(一流オーケストラに属する同級生・同期生)、「本当の”力”」は「その気がなくとも人の心に割り込んで入ってくる」もの

    で、子供がおならをしても感激してくれそうな状況下で感激して貰っても、それは本来持つ「力」とはほど遠い。(歩けなくなっている兵隊をも死ぬまで歩か

    せるとか-----調子の良い音楽が鳴っていれば人間はいくらでも歩ける(盆踊りで音楽がなければスグばてる)----、戦意高揚で全国民を扇動した、など、

    「音楽の力」(怖さ)については、命に関わる状況下で、有史以来、既に世界中で証明されている)。

    金持ちや医者の”お趣味”ではあるまい。いくら芸術畑でも、「税金」で育った”本業”なら、派手なことは私費組に任せ、自画自賛以前に「勘違い」(過大

    評価)について少しは考えてはどうか。

 

 

       -----そろそろ「日本の医者」が一方的に社会に押し付けた「クラシック(西洋伝統音楽)の印象」(癒し)を返上してはどうか。

       日本(自国)の伝統音楽を考えてもクラシック(西洋の伝統音楽)が「癒し」だけであるはずがない(いやらしい)。カネが入るなら何でもいいが、

       「感情を素手で扱う」ような職業にいて腹が立たないのか。時に命より輝く「命の影のようなもの」は「癒し」なのか。

       ”命”はそれほど薄っぺらいものなのか-----

 

 

    ・・・簡単に感激して貰える場の演奏で「音楽の力」などと言っていると「下手になる」。過去の経験上、”力試し”をしたいのなら「酔っ払い相手」をお薦め

    する。(彼らは理性ではなく本能で聞く。必要ないと判断すると遠慮なく「いらね〜」と怒鳴る。ナンダカシランガ喜んでくれれば相当なものである) 

    弦楽器など音量の小さなものには不向きであるが、そのほか(ピアノ・管・打・歌)であれば、ある意味、どの国際コンクールより厳しい「力試し」になる・・・

    ※かつての旧友達(一流オケ・トップ)に送った言葉であり一般的なものではない。(酔っ払いは「音量」に反応するので常識的には”勧めない”)

    ちなみに「手足ブラブラ」「鍵盤幅に指を広げるだけで激痛・全身冷や汗」から10年リハビリでも「属七がつかめない」ようでは酔払と力比べは出来ない。

 

 

    個々「有史以来」に届くか否か、いなくてよいほど最低の才能しか持ちあわせていないか否かなど、マスコミの力など借りずとも本人が一番良く解る筈

   ----正確な自己評価が出来ないようなら必要ない。他人の評価など微塵も必要としない世界。「逆さ」に見えていることに気づかないのも「能力」(現実) 

       この世界は出世が全てのサラリーマンではない。気の毒だが自分の能力(現実)を受け止められないような精神的虚弱な人間は「邪魔」である。

       最高額の年金で食ってくなら”現実”を受け止めるだけの「力」をもって社会に接してほしい。遅すぎるは「ある」。方法は自分で考えろ----- 

 

 

 


 

現・聖マリアンナ「大学病院リウマチ・膠原病・アレルギー内科部長」「リウマチ・膠原病生涯治療センター長」----2006年当時東大病院アレルギー・

リウマチ科にいた「川畑 仁人」(患者に「”東大病院に入院していたから”作り話をしている」と言った張本人)-----に伝える。

「作り話」で被害にあった経験のある人間は作り話をしない。(「作り話」がどれだけ迷惑なものか、誰よりもよく知っている)。

ましてや、”CRP”の問題は自己免疫疾患だけではなく、結核でもおきており(CRPは信頼に欠く検査)、日本国民全員のみならず全人類に影響する問題。

愉快犯ではあるまい。よほどでなければと声をあげない。医者のくせに調査もせず「作り話をしている」などよく言えたものである。

「東大病院に入院していたいから」という憶測理由をあげていたが、ロケット工学の故・糸川英夫先生ほど面白い先生が東大病院にいるとでもいうのか?

結核予防会、2004年、「肺結核における炎症反応の意義」

 


 

 

 

   15年ほど前、母校・同科の別な名誉教授から「学生当時から学校が期待しており、(今も)期待している」と聞いた。その10年前に再発性多発性

   軟骨炎を発症していたが当時はまだ「慢性疲労症候群」しか診断がない時期だった。その2年後、再発性多発性軟骨炎で入・通院した東大病院

   では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)。 

   「医者」は「税金を使った早期教育許可」を与えた学校・専門家の評価ではなく、「マスコミ」をモノサシに「治療する・しない」を決めている。

   (「マスコミに出ていないから」(素人同然だろうという理由から)、診察室で自分や子供の”趣味”の話を1.5時間〜2時間も平気でする)-----

   京都では自分達の税金を使って育てている芸術畑の人材をとても大切にする。海外でも自分達の税金を使って育てた人間は社会が楽しみに

   育てる。どこの国でも”税金”と「その用途」には非常に敏感で真剣。日本の医者の「マスコミ志向」は「社会」に対してふざけているのか。

   体調は異様に悪く、医者の「気のせい」のおかげで体調の影響は免れなかったが(対処方法がわからない)、医者の言葉を信じ、国費を背負って

   必死で工夫・努力・勉強してきた人間のどこが「治療に値しない」のか。

   日本では「税金」を使ってタレント養成は「しない」。医者は「ナニサマ」なのか。

   

   「再発性多発性軟骨炎の患者がCRP陰性のまま激しい炎症を起こす」ことは海外では膠原病専門医ならよく知っている。実際に海外患者団体

   からも忠告を受けており、国内外恩師と連絡を取りながら、東京で「CRPが正常でも治療してくれる医者」を必死で探し、常に「前医の紹介状を

   得て」探したところ、東京の大学病院膠原病内科医たちは「くるくる病院を変える”患者が悪い”」と、つい最近まで患者非難を続けた。

   患者が治療・コントロール方法を求めてどこが悪いのか。癌患者なら当たり前のことではないか。

   東京の大学病院・膠原病内科では「他院の予約日時・時間まで他院の膠原病内科医が知っている」という「守秘義務違反」まで起き、「希少疾患

   だから」という理由で患者狩りのようなことも発生した。「慢性疲労症候群」のような世界的に巨大な組織に属する患者とは知らなかったのだろうが

   一体何をやっているのか、ほかの重大な問題に関しては警察に相談した(聴取)。         

   「生活がかかっている」と何度伝えても通じない。東京の膠原病内科医は馬鹿なのか。

   (通常、”寿命を縮めるほどの”深刻なしわ寄せが「どこ」にきたか一瞬で理解できるが、”内科医”や何でも自分のポッケに入れる人種には全く理解できない)

 

   

   その間、大きな脳神経症状が再燃(音楽書庫ほぼ壊滅)。

   指も、右小指「石灰沈着型関節炎」を起こし、同指の”全ての軟骨”が激しい炎症を起こして使えなくなり、「手の外科」(演奏家専門・Dr.中尾)から

   「手術」と言われたが、「連携する内科医がいない」という理由で手術できず。

   再発性多発性軟骨炎は大変破壊的な病気で再燃のスピードも”非常に”早い。(夜寝る時は何もなかったのに、朝起きたら激しい炎症が起きている

   ・・・6時間以内。インフルエンザより早い・・・・症状がコントロールできず「くすぶっている」からそうなる)。呼吸器にも大きな症状が何度も

   出ている。「もう本業復帰は無理」。2011年、自宅が震災の被害を受けたこともあり、音楽関係者には誰一人黙って東京を離れ親の郷里鹿児島へ移住。

   東京を出る直前、挨拶に行った日大板橋・膠原病内科・前任教授から紹介された北九州産業医大へ新幹線通院。胸鎖関節陥没や肋軟骨融解

   (リブバンド着用)など次々に症状が出て入院。もう一つの病気「腸管ベーチェット」も悪化。「生物製剤」(ヒュミラ、レミケード)の治療を受けたが

   どちらも1%未満の強い副作用のため中止(ギランバレー様脱力、腸管浮腫、狭心症。レミケードでは「事前にカロナール服用にも関わらず点滴中に

   インフュージョンリアクションで中止したが3つの副作用出現)。治療に行き詰まり阪大にも相談したところ阪大開発の「アクテムラ」では

   (ヒュミラ・レミケードでこれだけ副作用が出るのであれば)腸に穴をあける」「希少疾患なら人口比で東京」とのこと。

 

   ”生物製剤”など「最新の治療」が副作用で使えないことから「古い治療でなんとかならないか」期待をこめて東京に戻り、順天堂大学・膠原病内科・

   名誉教授から紹介された膠原病内科医(北里大・膠原病内科・廣畑)を受診したところ、九州の担当医の情報提供(患者の資料なし)を読みも

   せず「西日本医療はいい加減」だからと言い放ち、診察も検査もなく、患者の話も聞かず、自分の「趣味の音楽の話」を診察室で(親の目前で)

   「1.5時間」。近隣の日大板橋・武井も全く同じ(大学病院で2回とも診察せず「自分の子供の趣味のバイオリンの話」や「自分の話」ばかり2時間・

   3時間。東京の大学病院膠原病内科では「診察時間」に自分の話や趣味を2時間・3時間するのが流行っているのか・・・少なくとも順天堂、

   東京女子医大の膠原病内科では見たことがない)。板橋医師会は「北里大で”全身の”検査をしないと開業医は紹介してやらない」

 

   とうとう、ストレスから東京に戻った年の正月に親が脳梗塞発症。幸い軽度で後遺症は殆ど残らなかったが、その後、別な病気を発症。

   (別な病気に関して。大きな異変が出ているも関わらず”東京では”1年以上「トシのせい」。見かねて、ぶどう膜炎発症以降、眼症状悪化で読み書き

   が難しくなっているところ無理を押して必死で調べたところ、内科医は患者・家族の言葉を「聞かない」)

   -----プロなら、患者・家族から話を聞いて、見て、「おかしい」か「おかしくないか」くらい見当がつかないものか-----

   ただでさえ困難な家事負担増加に加え、人に頼めない「通院付き添い」、付き添い通院時の(親)転倒を支えた”その瞬間”(過度の心身的「ストレス」

   がかかった途端)、「軟骨炎」「ベーチェット」どちらの症状も激しく再燃。(どちらも”一瞬で”再燃する)、2017年10月、それまで出たことがなかっ

   た「ぶどう膜炎」発症。(腸管)ベーチェットは「完全型」となり、以降、眼の症状に日常は困難を極めている。親の歩行困難に気を取られ「踵腓靭

   帯損傷(引きちぎりの「骨折」を伴う)」。なんだこれは。ただでさえ疲労困憊の患者は何が起きてもおかしくない治療法のない病気を持つ患者の

   環境を悪化させてそんなに面白いのか。東京の大学病院・膠原病内科医たちは、真剣に生きている患者相手に遊んでいるのか。

   (現主治医に対するものではない。治療を求めて東京に戻ってからの上記2校でも、各前任教授の懸命な力添えなしでは、浮かれて「CRPが上昇しな

   ければならない」と永遠に騒いでいたかもしれない)。

 

全ては「炎症があれば必ずCRPが上昇しなければならない」とする東大を中心とした膠原病内科医達(”臨床下手”の東京のコクリツ)から始まった。

(東京だけ「文化が違う。”医学”(臨床)も”鉄道”も、「現実」に対してはコクリツなどより「私立」が圧倒的に強いことを地方はよく覚えていてほしい)

 

◆全ては、「炎症があれば必ずCRPが上昇する」という世界中の医者の”根拠のない”「信心」(迷信)から始まった---(誰も理由は説明できない)

・・・日本では2004年に結核予防会から「CRPは信頼に欠く」と発表があったにも関わらずいつまで盲信しているのか肺結核における炎症反応の意義

 

 

◆全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

 

 

     

 

   東大病院や東京医歯科大(東京のコクリツ)、および主な東京の私立大学病院、(当時の日本の主たる膠原病内科医全て)が「CRPが正常

   だから」という理由だけで治療をしてくれず30年以上放置され、手遅れ・症状悪化のため殆ど全てを失った。(ほぼ”全て”、「リハビリとして」、

   ”ゼロ以下からやり直し”をしている。病人の足を引っ張り、「保身」のため同僚を陥れる(守れない)下らない名誉教授や、具合の悪い子供に

   「山登り罰則」を与える付属高校を持つ看板ばかりの「コクリツ」母校など「全く」関係はない。「リハビリ道具」としての独自の世界を持っている

   (治療法がない。自分の病状コントロール道具)

   医者に邪魔され続けて40年弱。日本側、故・恩師の方針「君ならいつでも復帰できる」「健康第一」「まず十分休養」では”十分に待った”。

   (帰国後27年の「休養・待ち」では短いのか・・・その間「医療ボランティア」)

   この病気は全身の軟骨が崩壊するほどの激しい炎症起こし患者の多くは完全失聴する(耳は軟骨の塊、時間の問題)。右胸鎖関節陥没・持続

   炎症の右肩鎖関節・右肋軟骨融解もあり右手の不自由は既に半端ではない。病気の進行のほうが早い。もう待てない。海外の恩師の心配と

   助言は「病人は弾けるときに弾かせないと」「病気みたいなもの完璧に弾けない言い訳にならない」。”法科出身”の巨匠(恩師)が正しい。

   このHPと同じで、病気の特質上「リハビリ」でも、いつ出来なくなってもおかしくない。(医者による)「親の発病」もある・・・介護が始まっている)

   ・・・日本では「のだめ」だか何だか漫画(架空)の影響ばかり強く実態が全く知られていないが、音楽とて「一般社会の一部」(一般社会と全く

   同じ)。政治・経済中心に成り立っており「一つの職業」(職人)である。医者のように「直接世の中に役立つことのない分野」だけにあらゆる

   面で非常に厳しい。(食っていけるのはほんの一握り。上述にあるよう「音楽界」も人間社会の一部、政治から何から”いろいろ”あり難しい)

   誰もが「食いっぱぐれは”ありえない”」と(未だに)信じて疑わないレベルに早期からあり、国費(日米の税金)を使って鍛え上げた人間が「医者

   の検査」ごときに潰されたら、その怒りは尋常ではない。戦中戦後を経験している親(親の家は芸術畑:邦楽・日本画)ともども「長い人生、沢山

   選択肢のある中、一つのことに固執するのはもったいない」と「人間万事塞翁馬」を座右の銘として笑い飛ばして生きてきたが、演奏の場合「訓

   練期間」「費やした時間と金」は尋常ではなく「もの心ついたときから死ぬまで」(一生そのもの)。現実問題としてつぶしが利くものではない。

   ましてや強い脳神経症状がある限り一般職は勤まらない。自分の寿命はしっかり自分で決め、(条件付きで)、引き続き笑い飛ばし乍ら「日常生

   活のためのリハビリ」を続けるが、馬鹿馬鹿しい「お医者様絶対」の日本社会には心底辟易した。

 

 

    「リハビリ」について。「ゼロからやり直し」は慢性疲労症候群を発症した15歳から慣れているが(今に始まったことではないが)、1995年、

   再発性多発性軟骨炎発症以降の「ゼロ以下からのやり直し」は、それ以前とはあまりにも桁が違い「失ったものが多すぎる」「戻らない後遺症

   が殆ど・増える」、おまけに「画像検査に映らない」。なんだこれは。

   東大の膠原病内科なら、2006年、自ら「再発性多発性軟骨炎」を診断した病院でもあり、東大には不忍池を挟んだ向かい側に位置する学校

   のトップクラスが当時どういう教育と訓練を受けてきたか聞き知っている関係者や医者も多い。

   この神経症状について尋ねる。「一体どういうことなのか」「何が起きたのか」

 

   1)”再発性多発性軟骨炎”の延長線上にある「慢性疲労症候群」、および、血管炎の一種、2)「再発性多発性軟骨炎」、3)「ベーチェット病」。

   3つの病気がもたらす”画像に映らない壊滅的な脳神経症状”、「もの心ついたときから訓練に訓練を積み重ねた、職業に直結する、失った

   多くの技術」について説明してほしい。「精神的なもの」と馬鹿げたことを言う神経内科医がいたが、では、「年月日」の問題をどう説明するのか。

   「画像に出なければ信じない」とする神経内科医の見解は聞き飽きた。再発性多発性軟骨炎の脳神経症状は「血管炎」が原因で起きる---

   「CRP」(炎症反応)といい「画像」といい、医者は「見えなければ」わからないのか。話を聞いて「何が起きているか」察する能力もないのか

 

 

   ------2006年、東大膠原病内科では、慢性疲労症候群発症から”16年後”に「再発性多発性軟骨炎」を発症した患者の”慢性疲労症候群”

   (中学3年生・15歳発症)に対し「再発性多発性軟骨炎の前駆症状」と解釈した。”再発性多発性軟骨炎の神経症状”は下記阪大HPや海外の

   再発性多発性軟骨炎情報にあるよう「中枢神経や末梢神経の”血管炎”と関連したもの」である。

 

 

     再発性多発性軟骨炎もベーチェットも「血管炎」に属し、「神経ベーチェット」でも画像検査に映らないものが多い。

     少なくとも「再発性多発性軟骨炎」の「前駆症状」と解釈できる「慢性疲労症候群」の神経症状はどう説明するのか?

     2006年、”慢性疲労症候群”は「再発性多発性軟骨炎」(血管炎)の延長線上にあるとした東大に尋ねる。

     ”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎」の”前駆症状”であるなら、この場合、「血管炎の一種」ということになり、

     ”慢性疲労症候群”の一部には「血管炎」の患者がいるということになる。「”慢性疲労症候群”は(CRPが上昇しないから)

     炎症性疾患ではないので診ない」とする膠原病内科(自治医大)もあるが、それは間違っているということになる。

 

 

 

 

 




1>
なぜ「慢性疲労症候群」を診察しないのか。「CRP」は関係ない

     ・・・1)”慢性疲労症候群”しか該当しない症状が「発症から16年間」続いた。(慢性疲労症候群という病気は「存在する」)

 

※「入院の有無に関わらず」、患者と一緒に作成する習慣のない日本の医者の情報提供書には事実ではないことが記載されていることが多い:最近(2018

年10月10日)クリニックで開封したものには「(2002年)、東京医療センターでPSL60mg/dayを3日間投与後、一週間で減量中止されている(本人のメモ

による)」とあったが、東京医療センターでの主治医は西海医師(元・慢性疲労症候群研究班員)で、「慢性疲労症候群患者」にPSLは投与しない。「本人の

メモ」もありえない。混乱を招くミスの原因は主に医師の多忙によるものであり、日本の医師も、「病歴は患者が一番よく知っている」という前提で患者の目通

しを習慣づけてほしい(今回の場合、明らかに医師の超多忙による米国時代の混同と思われる) 

注:まれに医師の悪意の場合もある:東大病院膠原病内科(当時)教授の「地方の医師」に宛てた紹介状には、明らかに「患者を陥れる不正確な記述」

があった(コピー入手)。東京の医師に宛てた紹介状には「なかった」出来事で、(東大膠原病内科の)「地方の医師」に対する態度を知ることとなり、

非常に驚いた。

 

 

◆「医者の情報提供内容」について。

患者は「紹介先の医師と一緒に読むこと」で確認することになるが(あるいは紹介元の医師と一緒に原文を読むか、お金を払って原文のコピーを入手する)

最も確かな方法は、日大板橋・呼吸器内科・赤柴(前任)教授の方法である−−2016年、東大病院を退院した足で、帰宅途中、呼吸器症状が出た時の

ために伺った際、「東大の情報提供に書かれている内容は本当に正しいですか」と、一言一句、患者と読み合わせが入った。

 

     ・・・2)その間CRPの上昇はない。(CRP上昇があれば「慢性疲労症候群」と診断されない)

 

     *下記死亡者リストの中にも「血管炎に該当する症状を持つ患者」がいるのではないか(素人目には「沢山」該当するように見える)

     慢性疲労症候群の死亡者リスト

 

 

 

<2> もう一つ尋ねる。”慢性疲労症候群の専門家”と称する”倉常”らは「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを

統計的に数値化した比較」の中で「慢性疲労症候群患者の脳神経に炎症が見つかったから神経の炎症が原因”」と、大々的に

宣伝していたが、(慢性疲労症候の一部には”神経炎症”が原因の患者も存在するのであろうが)、 「慢性疲労症候群の

脳神経症状」は本当に「神経の炎症」が原因なのか。”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎の前駆症状のような病態」

であれば「血管炎の一種」ということになり「中枢神経や抹消神経の血管炎と関連した脳神経症状」ではないのか。 

   

 

     「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを統計的に数値化した比較」

     http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140404_1/

      http://news.mynavi.jp/news/2014/04/07/382/

     http://www.genki-dou.net/fatigue_resilience/脳の炎症で起こる慢性疲労症候群!/

 

     ・・・・”患者を診ず”、なんでもかんでも「研究班・ガイドライン絶対」の日本では、「慢性疲労症候群は脳神経に炎症が見つからなければ

     ならない」など更に「患者」に迷惑をかけることにもなる。

     「画像」「血液検査」ともに「検査絶対信奉」はやめてほしい。「やめなければならない

 

 


 

 

医学界は、「検査に異常が出ない」だけで、いつまで「”慢性疲労症候群”の見てみぬふり」を続けるのか

医学界は、いつまで慢性疲労症候群の「差別」を続けるつもりなのか。   

                                                       

「検査」に限度がある以上、今の「エビデントベースト医療」には限界がある                    

 

このページに記したように「慢性疲労症候群」という病名を持つおかげで被る被害は医学界だけにとどまらない

一般に与える影響も考えるのが「医学界」の責務である。

患者救済」が医者の役割ではないのか。一体、何十年迷惑をかけ続けるつもりか。

 

 


 

もう一度伝える

 

◆「全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある)」

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

 

◆「慢性疲労症候群」は倉常らが扱える病態ではない。

 

◆オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

アリソン・ハンターさん・・・「シドニー・モーニング・ヘラルド紙、5月4−5日週末版」(ニュースレビュー37、医学ジャーナリスト、ジュリーロボサム氏)

 

 

 

    *「慢性疲労症候群」の中には”自己免疫疾患”としての「治療」が必要な患者が多数存在する。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     ・日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 

----これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか---- 

 

 


 

 

<医療関係者の無理解について>

 

多くの医療関係者には誤解しているようだが「免疫抑制剤次々に使ったから症状が悪化した」ということは「ありえない」。

 

   1979慢性疲労症候群発症

   1989慢性疲労症候群「診断」(米国州立ワシントン大学) 

   1995再発性多発性軟骨炎発症

   2001腸管ベーチェット発症

   2005再発性多発性軟骨炎「診断」 ・・・2005年までの診断は「慢性疲労症候群のみ」で「いかなる治療も受けられない」  

   2011腸管ベーチェット「診断」 

 

 

1.「慢性疲労症候群」の発症から診断まで10年かかっている(この間治療は受けられない)

 

 

2.「慢性疲労症候群」から「再発性多発性軟骨炎”発症”」まで16年、再発性多発性軟骨炎の「診断」まで「さらに10年」(この間も治療は受けられない)

・・・再発性多発性軟骨炎診断の「前」の”診断”は「慢性疲労症候群のみ」。慢性疲労症候群発症からの26年間は「治療を受けることが不可能」

 

 

3.”その間に”「ベーチェット病(腸管型)」も”発症” (これも診断までには「10年」かかっている)

・・・「慢性疲労症候群発症」から「ベーチェットの診断」までは32年かかっている・・・

 

 

*”再発性多発性軟骨炎の診断後”「CRP陰性だから」という理由で十分な治療を受けられなかった期間が「さらに5年」(計32年間)

・・・せいぜいプレドニン単剤(20mg)。速やかに漸減して「4mgで維持」・・・

 

*一時的にステロイドを20mg/day から増量し100mg/日服用の時期があったが「2ヶ月以内」

・・・(低IgG(200)などの重篤な副作用で京都にて5ヶ月入院、自然回復を待ち東京に戻って4mg/dayまで漸減)・・・

 

 

*「慢性疲労症候群発症」から「免疫抑制剤治療」(MTX単剤のみ)まで32年かかっている。

*「MTX単剤」では最高量(18mg/week)でも再発性多発性軟骨炎の再燃を押さえ込めず、

 入院して生物製剤2種に踏み切ったのが「慢性疲労症候群発症から”36年後”」 

*どの医師もステロイドを含め「単剤」から開始して慎重に効果を判断しており、誰も「次々」などという使い方はしていない。 

 

 

”全く治療を受けられない期間”(診断は慢性疲労症候群のみで免疫に関わる薬は一切使用していない期間)

「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症した。

・・・これでも「免疫抑制剤を次々使用したから症状が悪化した」というのか・・・

しっかり状況把握もせず勝手な憶測をするのはやめてほしい。

 

 

 

◆「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症させる『”慢性疲労症候群”とは一体何か』、と問うている。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

   *オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

 

 

発症から16年も経過して「再発性多発性軟骨炎」「ベーチェット病」を発症させた”ことの発端”「慢性疲労症候群」の正体は何なのか。

慢性疲労症候群だけの16年間は、慢性疲労症候群以外の診断基準には全く当てはまらず、また、多くの患者は「慢性疲労症候群のまま」(他の自己免疫

疾患を発症せず)亡くなっており、「慢性疲労症候群はxx病の前駆症状」とは言わせない。

(オーストラリアのアリソンハンターさんは「ベーチェット病に酷似した病態」で死亡した) 

アリソン・ハンターさん(シドニーモーニングヘラルドの記事、医療ジャーナリスト・ジュリーロボサム氏著)

誰でも罹患する、患者数の多いこの病気は、日本では2008年、日本内科学会により正式に「膠原病類縁疾患」に分類されている。

日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf 

 



 

 

 

以上、「慢性疲労症候群の成れの果て」の報告である。

「慢性疲労症候群の”実態”」について。上記おすそ分けにより、多少は医療関係者にも伝わっていることを祈る。

故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しいようである。

(次ページ「京大」参照:日本の研究

著者ような「馬鹿げた」人生を送る子供達を二度と出さないよう、「早期治療」のため、一刻も早く「正しい病名」と「診療体制」を整えてほしい。

同時に結核予防会の報告{CRP(炎症反応)は信頼性に欠く」について、深刻な問題につき、本当に「”東京の内科医達が盲信ほど”価値のある

検査なのか」、「免疫」に関わる科で真剣に検討してほしい。

患者はあなた方の「検査に異常はありません」に振り回され、人生を棒に振り、命を落としていることを忘れないで貰いたい。

 

 


 


 

   1.「血管攣縮」と「血管の炎症」の関連はどうなのか?(心臓の場合、攣縮は「血管内皮の炎症」という説が有力)

 

   2.ミグシスより、「免疫抑制剤」(アラバ)の方が遥かに、確実に、よく効く。

     ・・・心臓・脳の血管攣縮ともに一般的な「血管攣縮」とは機序が違う。自己免疫疾患の場合「生物製剤」使用に伴う「冠攣縮性狭心症」を

    考えて貰えればよくわかる:基本、古典的な冠攣粛性狭心症発作のように朝方発作が多いが、生物製剤に伴うものは発作が起きる時間帯

    も持続時間も「一日中」(いつでも。夜中に頻発もある)。心臓も脳も「攣縮症状」が出るとき点状出血を含め内出血の突然増加を伴うことが

    多い。”カルシウム・チャネル・ブロッカー”一つとっても「シルニジピン(アテレック)20mg/day服用」では血圧は変わらない(下がらない)。

    免疫調整剤などの「副作用」で出る攣縮症状はアラバでも防ぎようがない。(経験がないほど強い症状が出る)

    ”冠攣縮性狭心症”の診断が「地方の医者だから」(異常初見がない)という理由で信じないのは東京・関東の循環器内科医の勝手だが

    「ハートセンター」のベテラン医。(核医学・女性医学専門・・・更年期障害に関しても専門である。「核医学」の専門家が「映らない」と断言

    する症状は、いくら循環器内科医が「映るハズ」と主張しても「映らない」。「医者の検査絶対主義」はあまりにも現実を逸脱している。)

 

 

     ・・・微少血管攣縮性の狭心症は、東京では、東大卒の医師が中心になって「性差医療」とか言われ、地方にまで出かけて

       ”教育”しているようだが、「自己免疫疾患」に伴う「微少血管攣縮」の患者が沢山犠牲になっているのではないか。

       (「免疫抑制剤」でコントロール出来るところ、「自己免疫疾患患者の血管攣縮」まで「ホルモン剤」など処方され、

       治らないまま発症頻度も増し、困っている患者が多いのではないか)

 

 

 

  

      「再発性多発性軟骨炎」の脳神経症状について・・・阪大HPより(「神経症状」参照)   
      E神経障害
      神経症状は中枢神経や末梢神経の血管炎と関連し、頭痛、脳神経障害、痙攣、片麻痺、器質脳症候群、無菌性髄膜炎、
      髄膜脳炎、脳動脈瘤などが生じる(50、51)。視神経症は脳神経障害の中で最も多い。

                                 

                                                   

※1.「眼の症状」(硝子体出血、ブドウ膜炎)、内耳出血、紫斑が示すよう「よく出血する」。

(眼の場合「微少血管出血」のせいか体質か「”短時間で”跡形もなくなる」・・・・本当に微細な血管の出血の場合「跡」は本当に残る・映るだろうか・・・・

・・・2015年の”中耳炎を伴わない”内耳出血発症は「脱水・飛行機」という条件が入ったが、(以下、東京では信じなかったが)、当時受診した耳鼻科医から

「あなたの耳は中耳炎を起こす耳ではない。もし飛行機などの要因なく内耳出血を起こしたら”余命1年”ということだから原疾患をよくコントロールするよう」

との忠告があった(北野病院・Dr. 金丸、京大・耳鼻科臨床教授)。いずれにせよ頻繁に出血するようになっているのは良い傾向とは思えない 

 

     上記の”内出血”(紫斑)がやたら増加している中、胸部、および肋軟骨に、息を吸うだけで激痛が出るように(再発性多発性軟骨炎の強い再燃)。

     病状に関わらず、重い荷物は一手に引き受けなければならない身としては、親の発病(脳梗塞)「前」に、「入院精査・治療法検討」の時間が

     なかったことが本当に残念である。東京に戻った途端、言葉にするのも恥ずかしい、幼稚でふざけた東京の膠原病内科たちの対応には、

     はらわたが煮えくり返る。(医者が寄ってたかって一体何をしてくれたのか。まあまあでは「済まない」)

      親の「入院中」(東京に戻った6ヶ月後)には、あわただしかったが順天堂・膠原病内科に入院した(精査の結果いずれの診断も変わらず)

 

 

     胸鎖関節の軟骨が炎症のために陥没して以来、(テコの原理で)、右指の操作が至難の業になっており、骨格系の障害が多い多発性軟骨炎の

     強い炎症で更にあちこち壊されるとどうしようもない。

     2年前(2016)、はるばる鹿児島から、当時も「全身に」モノスゴイ紫斑が出ていた中(現在の主治医(血管炎研究班班長)が写真で確認-->”紫斑”)、

     「(親族の永代供養より)自分の戒名が欲しい」言っていたほど最悪の体調で「治療の為」東京に戻ってから2年経過(戻って6ヵ月目に東京の膠原

     病内科医達が与えた非常に強いストレス原因で親が発症)。

     未だに引越荷物を仕分ける時間・体力なく、ダンボール山積の中での生活に、いい加減にしろ、と本当に怒鳴りたい。

     ミスのないよう、一つ一つ片付けることに集中しているが、原疾患をコントロールする方法がない中、全く休養出来ない生活では、再燃は防ぎようが

     ない(15歳からの獲得技術を駆使して「これ以上対処方法はない」と言い切れるほどよくやってはいるが、患者として「本当にどうしようもない」)

     「紫斑(内出血)の急激な増加」が原疾患と関わりがあることだけはハッキリしてきた。

     「膠原病内科」という科に属する医者達は、「慢性疲労症候群の成れの果て」から「慢性疲労症候群の実態」を割り出す能力もないのか。

 

 

 

 

※2.脳神経の症状は「後遺症」が残る症状が多い

 

 

※3.過去「硝子体出血」や「細動脈瘤」が確認されている。(後者に関しては眼科医から「全身にあると思って下さい」と忠告があった)

----そもそも、引越しで無理をした昨年(2016)から急にひどくなった「突然、体中に起きる皮下出血(点状出血など)」

「非常に強い頭痛を伴うことが多い」「モノスゴイ”ふらつき”」は何だ?・・・「激しいふらつきや頭痛に伴って”増加する”皮下出血」であり、

プレドニンのせいではない。また、同居人の「転倒」などのストレスでは必ず胸部痛でニトロが必要となるが、これも一体何なのだ?

ハッキリ言って「制御不能」ではないか---- 

 

 

 

上記は「検査に異常が出ないから」「炎症反応が上がらないから」など”検査一辺倒医療”が招いた”事実”である。

これら全ては「慢性疲労症候群」から始まった。服用中止にいたる副作用続発のため原疾患をコントロールする手段はない。

「慢性疲労症候群を発症した時点で治療をしないから」、医者が「検査ばかりに頼るから」こういうことになった。

(37歳でいきなり薬の副作用を多発するようになった。それ以前なら治療が出来た。親しい重症の親しい友人達は全員死んだ。

これ以上、手遅れの患者を出さないでほしい) 

 

◆「検査結果」は「治療をしない言い訳にはならない」

繰り返しになるが、「慢性疲労症候群」(免疫不全)の全国規模での診察開始、および「信頼性に欠くCRP(炎症反応)について」、

早急に検討・実施を求める。(日本には時間がない)

 

                    


 

1.「後遺症との付き合い方」

 

「欠損部分」にピンポイントではっきり自覚があるため、全体の「記憶」はむしろ健常者より「細かく」「正確」である。

(もともとの性格によるのだろうが、「思考」は感情など一切絡めず、物理学者たちが熱心に誘ったように「論理だのみ」となるため、

----既に発症していても若い時(細胞が若い時)のように薬の名前を「薬品名」「商品名」どちらも覚えていてスラスラ出てくるという

わけにはいかないが---、”記録”なしでも、「記憶」は年表のように「細かく正確」で驚かれることが多い)。

・・・論理というのは一つ抜けると成り立たないため「年表のように正確であること」は、記憶する上で、どうしても必要となる。

 

 

 

2.それぞれが「非常に」狭い範囲ではあるが、いくら訓練を重ねても「出来ない部分」(後遺症)は残り日常生活に大きな支障をきたす。

---あちこちに非常に「深く鋭い穴」があいているようなものなのか、「う回路・代替路」でうまくカバーしているが、その部分の機能だけ見れば

他と比べて極端に劣る、あるいは、ピンポイントにそこだけ機能しない。本格的な認知テストでは、余程うまく代替回路を創っているのか

大きな欠損結果は出てこず「全て標準」の結果となる。(中学3年(15歳)から「症状対策」に長けていると「穴埋め」がよほど上手いらしい。

大人で発症した患者の方がテストでは「欠損部分」が見えやすい・解りやすいかもしれない)

”脳全体”としては「欠損部分の”再訓練”」に引きずられ、「働き」「使い方」はむしろ向上する。得意分野はより得意になる。

・・・この部分だけみて脳神経内科症状を「大したことない」と言った(認めない)東大の膠原病内科は何を考えていたのか。

・・・脳神経症状は「慢性疲労症候群」から始まったもので慢性疲労症候群を「大したことない病気」という医者達にも同じ言葉を伝える。

 

                                                                                                                                                                                         

3.「脳神経症状について」…・”脳血管攣縮”だけではなく、”血管の炎症”も一因となりうる。

(・・・再発性多発性軟骨炎は「血管の炎症」が原因で聴覚神経などの神経ダメージが起きる)

「頭痛」(軽度から重度)、「ひどいふらつき」、「嘔吐・吐き気」などを伴うことが多いが、「それらを伴わないこともある」。

   ・・・「慢性疲労症候群発症後」1〜2年以内は実際に頻回嘔吐、学校に行くのに「一駅毎」に降りてトイレで嘔吐:各駅、何両目、何番目の

   ドアが最も近いか把握しており、絶対迷惑をかけないよう必死だった・迷惑はかけなかった。3か月ほど”毎日”続いた

 

 

   東大膠原病内科では”慢性疲労症候群”を「再発性多発性軟骨炎の前兆」と解釈した。京大消化器内科でも同じ解釈だった。

   ただし「16年」(人により一生)「慢性疲労症候群」としか分類できない症状である限り、”慢性疲労症候群”を「単なる前兆」

       「存在しない病気」には出来ない。「治療」が必要

 

   【症状】:子供の細胞でさえ発病前と比較すると得意(専門)分野での記憶は「6倍」かかるようになった。前述の嘔吐や脳神経症状の

   後遺症ほか、ものすごい倦怠感は言うまでもない。膠原病・自己免疫疾患特有の「関節痛、筋肉痛、筋力低下、ほか」を伴う

   ・・・「慢性疲労症候群」診断基準参照。

   ------「”認められている既存の”膠原病・自己免疫疾患から各疾患特異的な症状を差っ引き、脳神経の症状が大変強いもの」が

      ”慢性疲労症候群”である。「慢性疲労症候群」は日本では既に「膠原病類縁疾患」に分類されている(2008年)------

 

 

これでも「慢性疲労症候群」を「大したことない」「気のせい」「心療内科領域」というのか。

これでも「倉恒弘彦率いる、偏った、”慢性疲労症候群の研究”」が「全て」だというのか。

 

 

   ・倉恒弘彦の”兄”は「疲労研究所」という会社まで立ち上げている。

    いくら「慢性疲労症候群研究の資金繰り(患者の為)」が動機でも、「偏ったままの研究」を推し進めたところで実態は永遠に見えてこない。

    (倉恒弘彦:https://medical.jiji.com/doctor/1874

    http://www.fatigue.co.jp/  http://www.fatigue.co.jp/intro.htm https://jgoodtech.jp/ja/web/jc0000000002557

          https://www.weeklybcn.com/journal/news/detail/20130221_19223.html

    https://twitter.com/murataseisakush/status/369141390195712000 

    http://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/column/15/317534/120800003/?ST=tomict&P=2 

     https://www.nikkei.com/article/DGXNZO58625240X10C13A8TJE000/

 

 

   ・「慢性疲労」と、Co-Cure-Japanで紹介している「慢性疲労症候群の実態」とはまったく異なるものである。

    このまま放置していれば、慢性疲労症候群の患者はますます「食い物」にされてしまう。

    「本当に」困っている「慢性疲労症候群」の”患者の為”に、膠原病内科はしっかり「実態」を直視してほしい。

    ------「慢性疲労症候群」は、誰でもかかりうる疾患である。

 

 

 

4.「症状」は攣縮を起こす、あるいは、炎症を起こす「血管の大きさ」と「場所」による

 

 

5.「年月日が解らない」という後遺症があっても「画像」では異常は全く映らない

 

 

6.「強い吐気」について(嘔吐回避術)---「指を動かし、ほかのことに集中する」。
   慢性疲労症候群では、「胃腸障害を伴わない激しい嘔吐」を伴うことがあるが、どういう吐き気であっても、強い吐気が出たら
   「指を動かして、ほかのことに集中する」ことで、回避出来ることが多い。(カギは「指を動かすこと」)。
   胃腸障害が原因の場合、「パソコン」などに集中している間に、腸が動いてくれれば、4時間くらいで、胃の内容物は異動し、嘔吐を回避出来る
   (このページは、「嘔吐回避対策」の賜物)


7.「全ての不愉快な出来事」、(自分が生きていること「そのもの」)を、「徹底的に笑い倒す」
   ---”完全に”、世の中と決別できていれば、「誰にでも」出来る--- 

 

8.「全く不条理な経験」---「公の機関にしっかり伝える」

   

 

 

 

 〜Administrator, Co-Cure-Japan (2018年、7月2日)

 

  

   

  


 

「脳神経は一旦破壊されると回復しない」とのことだが、上記が示すよう、”ダメージだらけ”でも、代替回路により「誰もがダメージを認めない状態」

「著名な物理学者複数から声がかかるほど人並み以上に出来てしまう状態」を創る・保つことが出来る(身体と同じく「工夫・使い方一つ」)。

頻回の「再燃」と後遺症があり、家族がいなければ日常生活・人生は成立しないが、「脳の使い方の工夫」は、”虫唾が走る”としか表現しようのない

”馬鹿げた人間社会”に興味のある人にとっては、試す価値があるかもしれない。

”工夫”の方法は百人百様(自力)。コツの一つは「瞬時に過去を”なかったこと”にする技術」(圧縮記憶技術:瞬時に「過去と比較せず代替回路作り」

に集中できる技術)。命がかかれば誰にでも出来る

※ ”副作用”は「自分が何をすべき人間かわからなくなってしまうこと」であるが、”現実対策”に追われて「どころの騒ぎではない」 

 

 

「脳神経細胞は一度壊れると回復しない」とか、「毛細血管は一度潰れると二度と生えてこない」とか、根拠があるようなないような

ワケのわかったようなことを言う「ワケのわからない医者」の言うことをあまり真に受けず、「自分で」、命がけで「工夫」することである。

・・・・毛細血管は、たとえ潰れて減っても何歳からでも増やす(残りをモリモリ、モサモサ元気する)ことは出来るではないか(下記)。

今の段階でこういう状態であれば、血流だけではなく微小環境を整えたら、とか言い出し、いつ何時また「新常識」。

この手の”医者の説明”は「飽きた」。「できない」「不可能」の”根拠”も完全でないときに「できない」「不可能」は患者にとって迷惑。

「くるくる変わる医学界の常識」にはいちいち付き合っていられない。とにかく人間の環境と同じく「細胞の環境をよくする」「よく使う」・・・・

https://www.amazon.co.jp/ハーバード・パリ大学・根来教授の特別授業・毛細血管は増やすが勝ち・根来/dp/4083331496  

・・・著者とは全く関係ない

 

 

脳神経の場合出来ないものは出来ないが−−−後遺症として戻らないものは戻らないが−−−「工夫しないよりマシ」という状態には自力で戻せる。

「代替回路」を発達させ「全体の機能」「働き」を少しでも向上させる。この手段は制限があるにせよ「出来る」「可能」。

そのうち「医学界の常識」は変わる。

・・・医者の言うことはいかにいい加減なものか。「寿命がある」以外は「ななめに聞く」程度で十分である。寿命は医者に言われなくてもわかってる・・・

 

「リハビリ」の部分は自分しか解らない。”ゼロから復帰”は、(壊れたなりに)、「せっかくだから前よりよくしてやろう精神」を軸にする。

自分でも仰天する症状が次々に出るが、「それがどうした」、いちいち驚かないで、まず笑う (ナンジャこれは)。対策は”そこから”始まっている)

---あまり「度の過ぎた壊れよう」と「馬鹿馬鹿しさ」に笑えなくなった。日本社会が、そこまで「お医者様絶対」でいてほしいなら、医者と心中すればいい。

 

 

 

※ 「薬の副作用」「感染症」と「恐怖心があがる症状」には気を付ける。

 

 

 


 

 

何度も伝えていることであるが・・・

「本人の病状を”全く”知らない」にも関わらず、学生時代の担当教授が亡くなっているのを良いことに、(どこからも文句は来ないと計算し)、鹿児島から関西・北海道まで

”地方”で巾をきかせる同業者(同科、当時助教授・現名誉教授)が、ナイコト・憶測を撒き散らしてることは知っているが、「命」に関わることだけは、「知らない人間」は

黙っていることである。あなたや、あなたの息子さんの「命」にも関わる問題(血液検査絶対信奉)。 

コクリツに勤めて税金でメシを食ってきた人間が「個人的な理由で国家斉唱が出来ない」までは許容するが、最高額の年金を貰いながら、日本に暮らす人々の「命」に

関わる問題を邪魔することだけは許せない。ましてや「慢性疲労症候群」は「誰にでもかかる病気」である。

(日本にとって迷惑な存在。「税金泥棒」「税金返せ」)

人の命より「自分」「学校」を守りたいなら、後述する「やり直し」が出来るのか(ぶれない軸をもっているか)自問してみることである。(5年10年単位)。

「保身」のために軸がぶれるにも関わらず税金を使ってきた人間は何も言う資格はない。

社会の役に立っている「つもり」(勘違い)で、「役にたないこと」を一生やって税金で食わせて貰ったからには、少しは「具体的に」社会に役立つことを考えてはどうか。

「自分の病気進行」「リハビリ」「親の介護」で多忙な中、「元学生」は医療ボランティアとして26年+。社会に少しでも還元できるよう命がけで生きてきた。

東京の医者に病気にさせられた親は入学のとき、「税金を使って役に立たないことを勉強させて貰うことに覚悟しろ」と叱咤した「まともな感覚」の持ち主。

画策やら根回しばかりに興ぜず、テニス合宿」の責任の取り方を、覚悟して真剣に考えてはどうか。

「もっとも”理屈”が通用しない学校」で「頭がよい」と称えられていても社会では通用しないことを覚えていることである。「頭」が自慢なら不忍池の向こうに行け。

こちらの担当教授(日本側の恩師)が亡くなった”途端”、この人物から直接「恩師を疑う言葉」を聞き耳を疑ったことが「異様な弱さ」を証明している

・・・・・この”弱さ”は「困っている同業者の殆ど全てが”精神病・精神的なもの”に見える」弱さではないのか。それでは苦しいのではないか。

  差し出がましいことだが少しでも役にたてばと願う・・・・・

亡き恩師は「全く理論・理屈の通用しない世界」の中で唯一100%信頼していた。生徒が東大医学部に行くほどズバ抜けた頭脳の持ち主であったが、裏切りや小細工が

嫌いで、まっすぐな性格の師であった。(信じると言ったら「信じる」。言葉どおり)。

教授会「全科満場一致」で日時まで決まっていた奏楽堂リサイタルも、「慢性疲労症候群」についての”余計な一言”を信用した(お陰で”流れた”)。

当時はこれだけ体が壊れてはいなかった。 

---その教授会には「故・姉弟子」(当時教授)がいた。最近まで副学長をしていた兄弟子がいる門下では耳を澄ませばいろいろ聞こえる。

後述の「決定的な症状」以来「教えることも出来なくなった」といっても「地元」には深い「情報網」がある----

いくら専門のことをよく知っていても「命」に関わることに口出し出来る人物ではないことを自らよく知ってほしい。”命”と”音楽”は「違う」。

(「命」は「ある」か「ない」かの”二択”。「生きている」か「死んでいるか」二つに一つ。人間ごときが介入できない非常に厳しいもの)

母校出身者(専門家)としての土台は、ほぼすべて「回復不可能な後遺症」となった。

今後「リハビリ部分」で、たとえ弾けるようになったとしても「専門家」としては通用するものではない。

帰国した1991年から27年間「やってきたこと」(専門)が違う。(「患者」という”専門家”として医者と闘ってきた)。

母校関係者は驚くことも多いだろうが、誰一人として「仲間ではない」ことも覚えていてほしい。(甘えないでほしい容赦できる立場にはない

なお、「一学年で1人(多くて2人)」しか生徒を取ることはなかった故・恩師は「第二次世界大戦」に召集されしっかり「社会奉仕」をしたことを明記しておく。
「特攻志願だったが”乗る飛行機がなかった”」。専門馬鹿ではなく、ご自宅には美智子妃殿下(上皇妃殿下)が遊びにいらした。

「ナチ・旧ソ連の死の粛清」を知る海外の恩師(巨匠)ともども、決して「社会(人間)」を忘れることのない素晴らしい「教育」を受けることが出来たのは、何より幸運であった。

 

 

 

 

文章と同じく、

“自然の一種”である人間の営みの一つ「音楽」は

どう解釈しようが個人の勝手ではあるが、

(「xxでなければならない」は「ありえない」)

”日本の”医者が押し付けている「癒し」(みたいなもん)だけ”ではない”ことは

戦時下、日本に限らず世界中で「戦意高揚」に悪用された”歴史”が証明している

CRPや検査の押し付けではないが「医者の押し付け」を鵜呑みにする前によく考えてほしい

(日本の医者のいうことが全てではない)

「生命」(自然)に対して「xxでなければならない」は「ありえない」

“教科書”に患者”(現場/自然現象)をあてはめないでほしい

(一般社会では「現場」を無視する会社はつぶれる)

 

 

昨10月(2017年)、付き添い通院時に起きた再燃に伴う「ぶどう膜炎」発症後、モニターの文字が殆ど見えず、読みにくさなどご容赦ください。

<乱視でもなく、白内障・後発白内障でもない、突然発症の「単眼複視」(両目)>

「波」はあるが、縦横のブレで五線紙が十線紙となり(何の音だか読めない)、月も2つ、足元もブレて危険、よく包丁で指を怪我する etc.etc. 

--通常の所見は一切出ない。まず「見よう」とする医師ありき+技術。教科書的な検査が全てではない--

 

 

 


 

再発性多発性軟骨炎

「ベーチェット病」を合併することが多い。多くの難病と同様この病気を診断する血液検査は存在しない。

骨格系や軟部組織だけでなく、血管の炎症により神経・感覚器官を含め「次々と体が物理的に壊れていく病気」と伝えても

「炎症反応(CRP)」しか信じない殆どの日本の内科医達は「患者が死体になるまで」信じない、という。

この病気を良く知る・理解を示してくれる(元・現)主治医には申し訳ないが「日本の医学・医療」には心底、辟易した。

---「再発性多発性軟骨炎」には完全失聴が多い。「耳鼻科」での難聴発覚が診断につながることが多い。

この病気の難聴は「感音性・伝音性」どちらもダメージを受けるため、骨伝導などの対策も含め、対応策はない---

 

 

誰もが知るよう、「介助」「介護」は介護される側より遥かに体力がいる。

病気知らずの人間ならまだしも「病気をよく知る人間にとって」気の遣いようは尋常ではない

自分に「介助・介護が必要な、難病を抱える”病人”」が、介助・介護を行うとき、確実に命を縮める

 

”日常の負担増加”

 

”ぶどう膜炎発症後の「単眼複視」”(両目・突然発症)

・・・血管炎に属する自己免疫疾患(ベーチェットや軟骨炎など)の患者さんで「診断つかない眼の不可解な症状」はありませんか?

単眼複視は所見が一切存在しない特殊な検査と問診が必要で、詳しい専門医しか診断出来ない

(縦でも横でもダブる。乱視ではない。対策方法は「ない」。片目でも両目でもダブルのは不便で疲れるどころか「危ない」)

--年月とともに進行する=「ぼける」から「ダブる巾」が大きくなり、比較的調子の良い午前中もダブるようになる--

文字(対象)が小さくても大きくても「読めない」、月でも人でもダブる。楽譜が読めなくなる(五線紙が「十線紙」に、何の音だかさっぱりわからない)

足元が非常に危ない。調理中、手指によく怪我をする、など

 

アンサンブル(伴奏・室内楽)程度の技巧であれば練習せずとも初見で何でも演奏出来たものであるが (所見移調では歌科に重宝がられ)

もしソルフェージュ能力を再訓練で戻せたとしても、たとえ練習して準備したとしても、アンサンブルはできなくなった。

--アンサンブル(伴奏・室内楽)ではピアノだけが総譜(時によりオケ譜)を読んでおり、全音域カバーしている。

メンバーの誰かが演奏中に事故を起こした時とっさにカバーしなければならないため暗譜というわけにはいかない--

(単眼複視は日(体調)により急激に悪化する。たとえ調子がよい日でも鍵盤に集中してふと楽譜を見えると「見えない」)

 「CRPが正常だから」という医者の勝手な理由で、よくもこれだけ片っぱしから人の職業をぶち壊してくれたものである

(実技に関しては他科にもいくらでも証人がいる)

 

・・・このアンサンブル技術に関しては、日本のために命を捨てる覚悟で戦争に行き(召集・大2次世界大戦・特攻志願)、

運良く生きて帰ってからは命がけで教育に専念した恩師、

および「日本の税金で」雇ったヨーロッパ一級の専門家らにより鍛えられた技術であり、

”支える側”(納税者)にとって「首都で医者に潰された」という結果は欧米先進諸国ではとうてい理解出来るものではない

(一人ひとりが税金の使い道にもっと厳しい)

--”医者でありながら「CRP]や「検査」しか勘な得られない東京の内科医の感覚は論外--

ここから先(技術)は海外の税金(米国:州立+奨学金)で育っている。「出来ない」では済まされない

 

自分ひとりで成り立っている人生ではない。「教えるのは大変なのよ」と奥様

恩師はヨーロッパ巨匠(ナチ・旧ソ連、死の粛清の生き残り)、

恩師の恩師は、誰も到達しえない「完璧」に若くして達し34歳で亡くなったヨーロッパの至宝 

凡人に近づけるところではないが「出来る間に」近づく努力を続ける”義務”がある

”手足ブラブラ”の報告をして恩師から「やめないでほしい」と言われたら「なんとかしなければいけない」

恩師の言葉「病気みたいなもん(技術的に)完璧に弾けない言い訳にならない」は”正しい”

「病気の性質」と「コントロール法がない」以上あまり時間がない。

 

全ては医者が「実態を知ろうともせず」”慢性疲労症候群”を受け入れない(認めない)ことから始まった

「慢性疲労症候群」を発症した15歳で早期診断・早期治療を開始していれば上述のような事態は避けられた

 

東京の”内科医”教育に関わる人間に問う。

命がけで七転八倒してきた人生を通じて聞きたいことがある

「あそんでいるのか」

日大板橋・膠原病内科・武井に問う。

これでも「自分の子供と同じ”音楽”をやっているから”神経質”」なのか

これでも「慢性疲労症候群」は「心療内科の領域」なのか

医者だから何でも知ってるなど、思い上がりもはなはだしい

 

 

「本人の気持ち」を心配していくれる人が多いが、そんなものは「ない」

小児発症で「健康な状態を覚えていない」上40年間も「CRPが正常だから気のせい」とする医者の「対応策」を”徹底して”生きていると、

全ては「自分にふさわしい状態」であり「つじつまがあう」「瞬時に”過去はなかったことに出来る”」ため、「全く”ワカラナイ”」

--全て、瞬時に「他人事」にする訓練を積み重ねた--

(本人は自分の感情や気持ちに邪魔されることなく「納得して」”対応策”に集中出来る=生き残るための獲得技術)

--自分に起きることはすべて自分ごととは感じられない(他人ごと)。そこまで徹底して自己訓練した

医者が変わらない限り、自分が変わるしか生きる方法はない。

(今も医者は変わろうとしない。現在でも「患者」は同じことが強いられている)--

ただ、「周囲の労力」を考えたとき”だけ”「それはあまりにもおかしいのではないか」と考え至ることが出来る

 

実際に激しい全身性炎症(重症の病気)があるにもかかわらず、

医者から「炎症反応(CRP)に異常がないから”気のせい”」とされ、その中で「人並みに」生きようとすると

そこまで”対応策”を徹底しなければ「生き残れない」ことをよく覚えていてほしい

--この方法は、中途半端は精神衛生上「悪い」ので気をつけてほしい--

 

自分の気持ちは本当に「ない」が(あるとすれば”義務感”と”集中”)、

最近、「自分の専門に専念させてほしい(時間がない)という記述をした」

ということは、余程「病状と日常が厳しくなっている」ということであろうと、自分で”正確に解釈”出来ている

「おおげさ」とか「怖がり」、「本当の気持ちはxx」など、”自分”を反映した「勝手な解釈」をする内科医が殆どであるが、

患者は「あんたではない」

医療的には、”医者の勝手な解釈を挟まず”「患者本人や家族の言葉をどれだけ真剣に聞くことが出来るか」。

そこ(医療者の真剣さ)に尽きるのではないか 

患者の言葉を「真剣」に聞くことが出来れば「検査」がどうであれ「おかしい」と感じることが出来るのではないか 

わざわざ医者をからかいに行く患者はいない 

 

ノーベル賞を目指すのも結構であるが「基礎研究」と「臨床」は”違う”。

もう一度「臨床とは」についてよく考えてほしい

”臨床”にとって非常に迷惑な「検査絶対主義」は即刻やめてほしい 

医療は「まず患者ありき」と同様「まず臨床(現場)ありき」であることを肝に銘じてほしい 

社会の中で医学だけ特別ということは「ありえない」

どの分野でも「新しい発見」は「現場から始まる」ことを覚えていてほしい

 

 

 

 

”普段でも荷物は持ってはいけない(更に壊れる)ところ「2人分」”

・・・リュックも背負えなくなっている

(「胸鎖関節陥没」や「定期的なステロイド関節腔注射で治らない肩関節炎症」、肋軟骨融解)

・・・2輪・4輪ともキャリーも引いてはいけない、が他に手段がない

(体がねじれる=壊れる。強い炎症が止まらず軟骨の強度が落ちている)

「踵、足首、足指・足関節の腱・筋膜・軟骨炎症」(むくみ腫れを伴う)のため吐き気がするほど痛い--歩行中「歌」を歌って誤魔化す

(ステロイド注射で、MAX10−>8)

 

その上”重い荷物”

(一旦症状が出ると食べられるようになるまで4カ月かかる腸管閉塞や、激しい炎症が起きた部分が破壊される多発性軟骨炎の症状を簡単に再燃させる) 

 

”外出頻度の増加”

(「2〜4週間に一回が限度」のところ、自分の通院は最小限(2か月に一回)でも”付き添い受診”が「連日」や「週3日以上」)

 

”ほか”

・疲労困憊で薬の服用指示を間違っていることに気づかず、薬剤師の確認があって初めて気付く

・ 歩行困難に付き添う必要上、常にエレベーターばかり探して乗り、歩くスピードも超遅く、

付き添い外出で時間・体力がなく、外出が多い割に超・超運動不足となり、血圧など問題が起きている

(代わりがいないのでどうしようもない)

 

--「心電図に異常が出たことがない」と東京の循環器内科は”まだ”診ようとしないが「エルゴ負荷テスト」では”狭心症の波形”が出る(必要時ニトロ使用)

朝夜の体重変化は2キロ以上(むくみ)+急に夜間高血圧(「急なパターン変化」150/99など)--- 

・・・これを東京・関東の医者は「トシのせい」や「心電図に異常がでないから気のせい」とのことで診察しない 

「理由」に注目してほしい(心電図に異常がでないから) 

マスコミなどでは「いつもと違うことがあったら医者に行け」といっているが、どうしようもない

 

 

注:15歳から起きていることは、上記”心電図”の「CRP(炎症反応)版」である。

---「炎症反応(CEP)が正常だから何もありません」「気のせいです」---

東京・関東では特に「検査結果重視・患者の報告無視」傾向が強い 

が、「炎症反応(CRP)」に関しては「日本全国の問題」である

 

 

・・・等々等々、主治医から「避けるよう」指示のある「やってはいけないこと」ばかりでは、悪化しない方が不思議 

(主治医には「病識がない」と叱られるがどうしようもない。東京の内科医によるストレス以降どう考えても「環境」が良い方向に向かっていない) 

 

たとえ健康体であっても、体に悪い生活を続けて長生きできるとは思えない、が、どうしようもない。

(東京に戻ったら「そうせざるを得なくなった。どれだけ生活が一変したと思っているのか)

 

 

 

 

<見かけとても元気そうな病人の実態(一例)>

 

「同居者によるちょっとしたストレス」でも過去経験したことのない再燃を起こす。「非常時」などのストレスでは「短期間は人並み以上に振る舞えても」、

”経験したことのない最悪レベルの再燃”はまぬがれない(生き残れるはずがない)

--「コントロール出来ている状態」(日ごろ再燃を起こさない状態)でも強いストレスや疲労で再燃する。

平時コントロール出来ず再燃を繰り返す状態では非常時「最悪の事態」は避けられない--

防災訓練などでも「置き土産」と考え、あとで必ず寝込むことになるが「その時出来ることを出来るだけ」必死で頑張る。

(15歳から「無医村・無人島に生きている」とする”対策”を必死で編み出してきた「自分にとって自然な自分」に従う)

---医者に「死ね」「信じない」と言われた人間は「死んで当たり前」。社会に少しでも役に立てばそれでよし。「三つ子の魂百まで」


実際、子供の頃から、”徹底して”「気のせい」「死んでも良い」と”医者に育てられた人間”は、自分が重病を発症していることは「頭」では解っていても、
受け入れることが出来ず、日ごろ、見事にキレイさっぱり「忘れて」生活している。
病態が悪くなればなるほど、環境が効き厳しくなればなるほど、
「もっと”出来なければ」「”出来て”当たり前」と自分を「非難」して生活する。(「恐怖心」から”誰でも”そうなる)
病気であっても、「病人であること」を”医者から許されたことがない人生”は、主治医に迷惑をかけることには変わりなくとも、「病識がない」とは全く違う。
同じ境遇の人たちは沢山いる。「医者が患者を追いつめた結果」であるにも関わらず「医者」から理解を得ることは一生ない。
(2年9か月前に脳梗塞を発症したばかりの、「高血圧」を患う親に、医者が面と向かって「親の育て方が悪い」と言い、高齢者の血圧を上げさせるのが
「東京医療」らしい---「時間が経過して落ち着いた頃、同医院処置室で測定した値」が「150台」。診察室での数字がどうであったか容易に推測出来る---
「殺人(未遂)医療」を続けながら「西日本医療はいい加減だから」など言える立場なのか。愛想が尽き果てた。よくわかった。)

 

 

高齢の親の目の前で、(CRPの件)、「ポリシーが違うからほかへ行け」と言ったり、「親の育て方が悪い」と”親”に直接言う医者達は、
「慢性疲労症候群の研究者と非常に近い関係を持つ医者」が
勤務する、「地元に対して非常に影響力の強い大学医学部」のお膝元
で開業しているというのは偶然だろうか。
いつ訪ねても、変わらぬ対応で本業に専念している、まっとうな先生方もいらっしゃるが、「日本の血管炎班長」の治療が始まっても、
「この地域」では、まだ!誰も「信じない」ことは、大変興味深い
。(都心部ではありえないことが延々と起きている)


 

 

 

    ※通常、「病気」というと、医者は職業柄「心配」するが、この界隈は違う。
     治療法のある病気ではない。治療法がない病気の場合、「今、症状緩和の為に使っている薬の効果が、
     いつ、消失してもおかしくない」。(ストレスや無理などで症状悪化、そのまま効かなくなるケースが多い)
     この界隈では、いくら「これ以上使える薬がない」「コントロールが出来ていない」(・・・と「トーキョーの」主治医が言っている)
     と伝えても伝わらない。”誰もが”本気にせず笑っている。



     患者は「医者ほど”具体的に”近未来が解らないため」非常に呑気だが、主治医は薄氷を踏む思いでいる。
     (出来れば、親の付き添いなど「余計な病院の出入り」や「外出」はやめてほしい(易感染)・・・この環境にしたのは誰だ)
     決して安全な薬を使っているわけではない。(何が起きてもおかしくない薬を大量に使っている)
     東京では「同業者が」同業者の邪魔をする。「命」がわからない医者が「医者」として成り立っている。




     ----「慢性的に進行するステージ」にいる場合、専門の主治医以外「病気の進行」の把握が難しいのかもしれないが・・・
        (いつの間にか、xxの症状が、以前より頻回起きるようになっている)----

     1.「使った方が命を落としそうな危険な薬を使うしか手がない病気」で、症状を重く報告しても、患者には何の利もない。

     2.「派手に症状が出ている時」は医者にとって「解りやすい」かと思いきや、東大の膠原病内科のように
       「検査に異常が出ない」という理由で否定。(その部分が「腫れて、熱を持っている」のだから
       「見て触れば解る状態」に対して「ガリウムシンチ」など高価な機械にかけることしか考えない。
       (血液検査だけではない。医者が診察して診断するのではなく「機械判定だけに頼る」) 
       「症状が解りにくかろうが・解りやすかろうが」箸にも棒にもかからない連中は実際に存在し、どうしようもない。
       (いつまでも勝手にやってくれ。15歳から「無医村に暮らしている」と考えており、慣れている)

     3.介護・介助をしている人間は、自分のことをよく観察する余裕がなくなっている。
       経験ある人は全員理解できる事であるが、相手のことに夢中で自分のことにかまっていられない
       (自分のことを軽視していないと「出来ない」。”自分の病態を良く知る相手”には特に気を使う。
       あちこちの腫れ・変形からくる自分の痛みを忘れていられないと「物理的に相手を支えること」は出来ない)
       主治医に対し、「自分の体調の報告が疎かになる」(忘れるなど)も、避けられない。
       たとえ、行政の仕組みを利用したとしても、結局、何もかも、一手に引き受けなければならない

       何十年続いた”医者の否定”で「もともと自分は”存在していない”」と割り切る習慣はとても役に立つ。
       医者の否定により「”出来ない言い訳”が絶対に出来なかった習慣」(何が何でもやらなければならない、
       ナントカしなければならない)も非常に役に立つ。
       医者にとって(子供の頃から)「生きていてほしくない人間であること」を考えると、自分の状況を納得できる。
       納得さえ出来れば何でも出来る。要は「集中力」。
       こんなふざけた奴らに命がけで生きてきた自分の人生をひっかきまわされたのかと思うと、
       がっかりして言葉もないが、目の前の現実をナントカしないと。ナントカすれば、それでよい。
       (邪魔するな。どけ)



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      ※日本では、消化器内科医には知られていないようだが、海外の「血管炎」患者の「腸症状」には
       「血液検査・画像検査(x-ray, scan)でまったく異常がなかったが、本人(息子)がどうしても納得せず、
       ”どんなリスクがあってもかまわない”とする承諾書にサインの上、開腹したところ、”腸の半分が
       壊死していた”(薬がマスキングしていたのかもしれないが・・・)」という例もある。
       「血管炎」は”非常に”難しい (「ベーチェット病」も「再発性多発性軟骨炎」も”血管炎に属する”)
       東京では「教科書的知識」だけで何でも「あり得ない!」と片づけることが多いが、もっと勉強してほしい。
       (筆者でさえ、東京で「大したことない」と言われ続けた”腸症状”について、京都の病院の単純CTでは
       「石灰化」(回盲部・腸壁)が見つかり--京大解析--「機械が違うのだろうか」と不思議に感じていることがある。
       あまりにも馬鹿バカしく「一切関わりたくない」と感じた出来ごとであった。人の命で遊んでいるのか)

 

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     「患者数の多い疾患」の場合、教科書で習い「知っている」からか患者・患者の主治医には協力的であるが、
     「患者数が少ない病気」では協力的どころか「信じない」「笑う」「調べない」、”医者以前の問題”を持つ医者「だらけ」。
     (アメリカでは「What can I do for you?」という言葉は当たり前のように聞いたが、日本では滅多に聞けない)
     「元気そうだから」「病人に見えないから」。日本医者はド素人なのか。
     「お薬手帳」を見て”調べれば”(「誰の処方か」など)「病気の進行度」を含めほぼ全ての情報を得られる。
     笑える段階ではないことくらいプロなら解る。
     (腕のない医者は自分が「知らない」ことを自覚してほしい--同じ病気の中でも「教科書通り」に近い「解りやすい患者」
     しかいない医者は「腕がない」と考えて貰っていい。(本当に難しい病態で困っている患者は絶対に相談に行かない)
     同じ病気で「教科書的に重症の患者が比較的沢山いる(から知っている)」と豪語する臨床能力のない医者は、
     「留学中(ポスドク時代)に2人”見た”!(から知っている)」と同じくらい、本当に迷惑である。



  ----呼吸器科に「赤柴先生」(名誉教授)がいらした頃は、頼りになる、頼もしい大学病院(界隈)であった---

 

 

 

 

     ※「”慢性疲労症候群”として国の内外でよく知られていた患者」から(CRP陰性の)「再発性多発性軟骨炎」+
      「ベーチェット病」が出てきて困るのは誰(どこ)か、と尋ねている。
      それらが「CRP絶対信奉の医者達」と”共に”行動を起こしたら、どうなるか。
      考えすぎかもしれないが、”それほど”、「”日本の”慢性疲労症候群の分野」では「競争原理」が”働いていない”(非常に不健全)

 


      その責任は、「患者の報告」を無視し続けた「日本の医学界」(世界の医学界)にある
      「検査絶対・患者を無視した医療」のせいで
      ”実態を知らない患者達”がどれだけ「巻き込まれ」、”実態を知る患者達”がどれだけ「迷惑と実害」を被ったか 


        
----慢性疲労症候群の場合、「全身性炎症があるにも関わらず”CRP陰性”」を「特別な現象」と解釈した医者達が
        「非常に偏った研究を推し進め患者を翻弄してきた。

        ・「臨床技術」しっかりした身に付けた医者であれば、慢性疲労症候群に起きていること免疫から見て
        ごくありふれた現象」と見抜け(見抜いていた医者は沢山いたが、「CRP陰性のまま全身性炎症」というところで、
        ”検査しか信じない”、”確固とした臨床技術を持たない”「大多数の医者」が、”検証もせず”「あり得ない!」と
        大騒ぎを繰り返してきた。
        もし「大多数の医者」が、「患者の報告をしっかり分析・理解し」「検査だけを頼らない」「”臨床技術”を持つ医者」であれば、
        このような「本末転倒」は起き得ず、おびただしい数の犠牲者を出さずに済んだ。

        全ての責任は、「検査絶対・患者を無視する方向性」(安易な医療)を続けてきた「医学界」にある----
        (おびただしい数に至る「亡くなった友人たち」を全員返して貰いたい。周囲の人間を含め人生を返してほしい)






2016年、東京に戻り、「医者が、高齢の親と重症の患者にかけた、尋常ではないストレス」を経験した時、「東京の医者」
(東大の元主治医達:2006年に患者を入院させ「一貫してCRP陰性」を知っていた医者達)と、(無責任に騒ぎ立てた「慢性
疲労症候群研究者の”取り巻き”」)の意図はすぐわかった。

---特に前者は「知っていたこと」を故意に黙殺、「黙っていると患者はどうなるか」「ストレスと病気発症・悪化の関係を熟知する医師
  として」非常に悪質な行為。後者も「医者」である限り「ストレス」の怖さは知っている。
  どちらも「医者として」絶対に許される行為ではなく、この殺人行為に同調・振り回されていた医者全員、言い訳は一切きかない---



   [「被害届はいつでも出せる」。が、失ったものは戻ってこない
]

 


 

”そんなもん”。決して許せるものではないが、慢性疲労症候群を15歳から経験している人間にとっては「”医者”とはそういうもの」。
「生きたくて生きている人間など唯の一人もいない」という考えを軸に、「他人に迷惑をかけるわけにいかない」という責任感だけで、
これまで生きてきただけの話。

病気の特質上、「無理」をすれば、”医者が願う形”には、いつでもなる。安心して、ストレスをかけ続けていればよい。
こちらとしても「願うところ」でもある。「無理をする」のは慢性疲労症候群時代に「医者」に鍛え抜かれて「得意中の得意」。
「1日1日過ぎる」というのは素晴らしいことである。「楽しみに近づく」ということである。
決定的な「楽しみ」にしてくれたのは、やはり東京の医者達であり、これだけでも「殺人(未遂)医療」を充分証明している。


患者にどれだけ嫌がらせをしようが、ストレスをかけようが、何をしようが、「真実は変わらない」、ということだけは、
覚えていてほしいものである。(CRPが陰性でも全身性炎症は起きている)(慢性疲労症候群はステロイドで再現できる病態)


---

 


※鬱ではない。
・「自分だけ」が心から楽しめることはしっかり持っている。
・親に相談したことなど一度もないが(心配をかける)「自分の生き方」も15歳から確立している。
 (生きたくて生きている人間など誰一人いない。「人間」は15歳から充分観察させてもらった)
・あいつも、こいつも、見たくもないおまえも「人間皆死ぬ」。平等。

 

 

---

 

その時元気そうでも、人に会う・電話などちょっとしたことで一週間は寝込む。これも医者の言うとおり(15歳から)「単なるトシで誰にでも起きている現象」と信じて、

「恥ずかしい」と自分を叱り飛ばし、一貫して「自分の見かけと同じように、楽しそうに、元気そうに振る舞う」「ひたすら”自分の役割・義務”に徹する」

よく「病人は周囲に理解を求めるよう」などと言われているが、子供の頃から知っている「見かけ元気な病人の現実」は”他人に何かを期待するなど”「あり得ない」

---人が一生経験することのない病状であっても「”自分ごとき”がこれだけ大変なのだから、人は”もっと大変”」「何とか少しでも役に立たなければ」と必死になる--- 

医者の「”CRP(炎症反応)が正常だから気のせい”対策

 

せっかく関節腔内に注射してラクになったと喜んでも、その帰りに薬や買い物などで重い荷物が増え一手に引き受けている身では、帰宅前に激痛が再燃する。

「激痛でペットボトルを保持できない」ー>「スプーンを保持できない」等だけではなく、「激しく再燃していること」「これでは持たない」と解っていても、
「医者に対する恐怖」から「どうしようも出来ない」。(自殺でなくとも。「死ぬしかない」「死んで当たり前」と追いつめられている患者は、日本には多い。
「慢性疲労症候群」だけではない。特に、「患者数の少ない病気」に関しては、「”病気”を理解しようともせず」、「診察室でも自分(医者自身)のことばかり」、
「患者の流布を広めること」に全精力を傾け、「患者や家族を責める」、また、”科学者であるにも関わらず”、「”何が起きているのか”自分で確認・理解しようともせず、
ただただ、騒ぎに乗っかって大騒ぎする医者が”圧倒的多数”で、『”医者の質”が驚くほど低い、日本の患者』に多い)
患者数が多く、医者の「病気に対する理解」が進んでいる病気を持つ患者からは想像も理解出来ない「現実」が延々と続き、ますますエスカレートしている。
ごくごく稀に、「医者らしい医者」に出会うと、びっくりすると同時に、涙が出るほどうれしい。

 

 

 

 

 

*何万回でも言う。2016年、東京に戻った途端、東京の内科医が異様なストレスをかけるまでは、親は「医者が驚くほど」元気だった

(鹿児島の主治医「達」(複数)が証言出来る)

 

---トシのせいではない。次々と異変が起きる前に会った東京の某大学病院・ベテラン教授から「美しくトシを重ねられた」と言われていた

東京の医者から異常なストレスがかかる「前」は、医者から「若い」と言われても「トシ相応」などという言葉は聞いたことがないため、

本人も家族も「トシ相応」が何であるか全く知らない。

 

※1.「トシ」「寿命」であれば体調異変"連鎖"の「きっかけ」は「ない」 

(”突然”(何年・何月・何日)始まらない)

 

※2.問題は、1年半以上も前から家族が気づいている異変を、相談してもしても「トシのせい」と相手にしない「東京の内科医」にある

(15歳からの体調激変を「気のせい」と40年近く放置した”東京内科医療”が延々と続いている) 

 

※3.病気の一つや二つ抱えていても「寿命」とは言わない

(子供でも病気持ちはいくらでも存在する。子供でも”結果”「寿命」に響くことがある。病気(発病)に年齢は関係ない)

 

---年齢に関係なく、発病しても「日常生活や寿命に響かないよう」ナントカするのが”臨床医”の仕事---

 

 

何万回でも伝えるが、

生物製剤を含め殆どの治療薬にアレルギーや重篤な副作用が出て使えないことから治療に行き詰まり、

相談した阪大では「希少疾患治療は人口比から東京」のこと

 (ベーチェット病、再発性多発性軟骨炎)

順天堂大学医学部名誉教授より北里大学教授(当時)を紹介されたことから

治療の為に鹿児島から5年ぶりに東京へ戻り、(治療の為に2016年「遠距離引越」をして)、

九州での担当医(北九州産業医大膠原病内科教授、ほか)の情報提供を持って、当時北里大学教授を受診したところ、

「炎症反応(CRP)が正常だから)」という理由だけで

「西日本はいい加減だから」と九州・西日本の治療を全否定どころか、「東京の大学病院(複数)での診断まで否定」。

患者・家族から話も聞かず、紹介状も読まず、検査もせず、診察もなく、自分の趣味の話を1.5時間。

「どうしたらよいでしょうか」との親の問いに「さあ」。(患者・家族は紹介者を信じて「遠距離引越をした”後”」)

日大板橋教授は「北里大教授と同意見」とのことで、2回の診察とも、自分と子供の話を2時間、3時間。

板橋区医師会は「北里大で全身の検査をしなければ開業医を紹介してやらない」

---もし今現在、本当にトシ・寿命のせいに「見えるのであれば大変なことをしてくれたことになる(患者と家族に与えたストレス)---

 

 

いくら”外見”元気そうであっても「ベーチェット病」「再発性多発性軟骨炎」ともに”ステージIV”の病態は「介護者」が必要なレベルである

決して「介助・介護」が出来る体調ではないこと(事の深刻さ)を東京の内科医達は忘れないでほしい。

(プロのくせに何を考えているのか、病人を外見で判断するのか。何を理解している「つもり」なのか)

 

家族でなくとも”「進行する」歩行困難”は「誰にでも」わかる。患者の「前」を知らない医者にはどうこう言えない。家族からよく話を聞けばよい

静脈の弁で壊れているのは「一か所のみ」・・・診断:東大名誉教授・血管外科・・・(寿命・トシのせいであちこちの血管が潰れているわけではない)

--東京には15歳の子供に対して「更年期」と言う内科医ばかりだったが、「病気」と「トシ」は違う--

筋肉に炎症の出る病気があれば筋肉層は薄い。本人が怒ったら二度と行けない)

 

 



東京・関東では、今、「トシのせい」が流行っている。
大学病院教授も親しくもない有名クリニックの医者も”本人の目の前”で「トシのせい」「寿命」と言う。
本人が深く傷付くことくらい医者でなくともわかる。
(医者に行く度に”医者から”「寿命」「トシ」と言われ続けると「早く死んだ方がいい」となる)
---素人から聞く言葉ではない---

本人が本当に弱っているなら「本人・家族に気づかせる」という意図もあろうが 
東京の医者のストレスが原因で多少「年相応」に見えるようになったにしても
(誰のお陰かわかっているだろうな。よくも「傷」をつけてくれたものである)
まだまだ、複雑なタイプのスマホを片っぱしから開けまくり設定もする、windows, apple 問わずコンピューターも使いこなす/切り替えで使う
アレルギーも「全く」なく、傷の治りも驚くほど早い、食欲もある、
一般社会の人間「誰がどう見ても」、
”歩行困難およびその原因となる「病気」に付随する症状以外”、
「トシ相応より元気な人間」に対して、
診察室で”医者が”本人を目の前に「寿命」という 
---高齢者を専門に扱う医師達は無知さ加減に呆れて「笑う」、開業医の先生方も仰天する---


どこに目がついているのか?
「トシのせい」「寿命」という医者に限って「かかりけ医”ではない”」--その患者の何を知っているというのか
そもそも「医者のやること」なのか? 
「医者の無神経かつ不要な一言」により、患者と家族の生活がどれだけ困難になるか、同居人がどれだけ気を使うか医者はわかっているのか。
家族に与えるストレス)

同じ目に遭っている人は多い。
医者の「高齢者いじめ」にしか見えない
(そこまでして患者と家族をストレスで殺したいのか。人口を減らしたいのか)


高齢者の多い地方で、医者が本人相手に「トシのせい」「寿命」(かたづけてしまう)では医療が成り立たない--聞いたことがない
若者の多い関西の大都市圏でも、東京・関東ほど”失礼な”医療に遭遇したことはない
鹿児島在住の親戚の主治医から見事な報告を受けつつ「地方に学ぶ気」もない東京・関東の医者について考えさせられた。
 





高齢者だけの問題ではない。
東京・関東では、医者が診察室で具合の悪い患者に対して
「あなた死んでもいいじゃない。あなたが死んでも誰が気にするわけなし、何が変わるわけなし」
「死体が出たら信じる」「熱があるなら南極へ行け」、
15歳の子供に「更年期障害」、大人の熱に「知恵熱」等々等々
今に始まったことではない。
40年近く東京・関東医療に深く接しているが一向に変わらない(どうなっているのか)
--「一体どういう医師教育をしているのか」---
地方をよく知る人間にはさっぱり理解できない


※1.「ちょっとした負担」で「命がかかるほど体調悪化・進行する」のが「見かけ元気な病人」 

----通常の血液検査に異常が出ない、見かけ元気な病人は常日頃から無理を避けられない立場にある----

「一般社会からはとても信じられない(健常者と区別が全くつかない)」「医者は”実態”を知らなければならない
という理由からこのHPが存在することになった
(慢性疲労症候群、ベーチェット、再発性多発性軟骨炎、のように「炎症反応(CRP)が正常のまま全身性炎症を起こす病気」)

 

 

 
※上記いずれも、日本では「自己免疫疾患」に分類されている。
中でも「慢性疲労症候群」は、医師を含む、「誰でもかかる疾患」であり、
「病気そのものの深刻さ」「患者数の多さ」故、社会的に無視出来ない 

また、「CRP陰性のまま全身性炎症を起こす病気」は自己免疫性疾患だけではなく、結核や癌でも見られる

---要は結核予防会の発表が示すよう「CRPは信頼性に欠く」ということである---

肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 

 

---「慢性疲労症候群」が看護師さんによく知られた病気であることは、欧米では有名---

"ナイチンゲールは30歳代半ばにME/CFSに似た麻痺的疾病に罹り、生涯の最後の50年はほとんど寝たきりで過ごした"

 慢性疲労症候群の死亡者リスト」より

(第二パラグラフ、「5月12日、ME/CFSの日」(通称「May 12」, ME/CFS Awareness Day)」の説明)

---512日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日---

 

 

多くの同様の犠牲者の中、亡くなったアリソン・ハンターさんの例が示すよう、「慢性疲労症候群」と「ベーチェット病」は酷似している(自己免疫疾患である「慢性疲労症候群はベーチェット病を”含む”」。

患者数から考えても、ベーチェットだけではなく「再発性多発性軟骨炎」など希少疾患も含む。多くは「前駆症状」のようにみえるが「慢性疲労症候群「だけ」で死者が出ており、れっきとした「独立した疾患」)

---欧米、特にヨーロッパでは「ベーチェット病」の患者数が異様に少ないことから、医師たちは「ベーチェット病」の概念を全く知らず、慢性疲労症候群を正確にとらえること出来ないため、混乱を極めている。

一方、日本は、「ベーチェット病」の患者数が比較的多いことから、”慢性疲労症候群の実態”を正確にとらえている(「自己免疫疾患」--日本内科学会の分類)

せっかく、日本には「ベーチェット病」をよく知る医師が沢山存在するにも関わらず、ベーチェット病を知らない欧米の動きに何十年もひっかきまわされている「日本の慢性疲労症候群の専門家」には呆れかえる。

また、”慢性疲労症候群の実態”を知ろうともしない日本の膠原病内科医達には「いい加減にしてもらいたい」--慢性疲労症候群の早期発見段階で治療を開始すれば、特に子供の場合、

健常者と殆ど変わらぬ人生を送ることが出来る。

 

・・・日本で「慢性疲労症候群」を「CRPが上昇しないから」等理由から「心療内科領域」とする膠原病内科医は「ベーチェット病を診ることが出来ない」(知らない)

注:欧米と比較してベーチェット病患者の多い日本でさえ、膠原病内科医の殆どは「リウマチ専門医」であり、「ベーチェット病の”実態”」をよく知る医師が非常に少ないことが日本の混乱の一因となっている。

 

 


※2.「炎症反応(CRP)陰性のまま全身性炎症疾患を発症している」に関しては、
上記(自己免疫疾患)以外、結核でも同様の現象が起きており、
医師が考えるより遥かに頻繁に起きている 


※3.「炎症反応(CRP)」は自治体の検診で使われている検査で
CRPが異常値にならない限り(正常値であれば)「何もありません」「気のせいです」と片づけられる
---見落とし---



 

 

 

「火事場の馬鹿力」は長期間もたない

---通院付き添いで基礎トレの時間・体力もなくなっている。自分の為の大事な検査でさえ「さらに」延期せざるをえない状態にある---

経験のない規模の大きな再燃、怪我(靭帯断裂、骨折)はすべて「通院付き添い」で起きている。

自分の事とは気の遣い方が違う) 

 

怪我で手術になっても、”ベーチェットを持病にもつ患者の手術は非常に難しい”

(縫ったところ縫ったところ片っぱしから化膿する、糸が外れる)

 

 

・・・これが、「患者を信じず」、(CRP陰性に関して)「死体が出たら信じる」という考え方を「未だに」貫き

いつまでも「CRP」を振り回している殆どの「東京の内科医」の「実態」であり

上記は大多数の東京の膠原病内科医・内科医の「狙い通りの現実」である(死体になれ)

---その現実は着実に近づいている---

※ 医者である限り、治療法のない重病人に「医者が」異様に強いストレスをかけたらどうなるか解りきったことで、

東京の内科医達は「患者を殺す方向性」にいたとしか考えられない

(どうなるかわかりませんでした、患者の被害妄想、とは言わせない) 

自分たちを守るためには「東大傘下・関東一丸となって」犯罪まで犯すのが大部分の「東京の内科医」だと覚えていてほしい 

 

 

・「治療法のない病気」は「取り返しがつかない」ことを肝に銘じてほしい

(眼、耳、脳、軟骨、「体中」どこであっても、壊れたら壊れたまま二度と元に戻らない。治す手段はない)

 

「再発性多発性軟骨炎の診断」について

--日大板橋膠原病内科教授・武井のように--

1)いつまでも”疑う東京の内科医は「難聴の進行」を「大したことない」というのか 

2)いつまでも「生検が必要」という医者は「耳介軟骨の変形」では不十分というのか 

3)利き手側の右「胸鎖骨関節陥没」では、どれだけ腕・手・指の操作に難儀していると思っているのか

 

武井が誤診した”繊維筋痛症”は

「難聴」や「耳介軟骨の変形」「胸鎖骨関節陥没」「全身の”紫斑”」(盛上る・あがらない両タイプの皮下出血)などを伴う疾患ではない

(1989年から繊維筋痛症の情報をフォローしているが「聞いたことない」)

・・・Co-Cure-Japan では、日本にまだ繊維筋痛症の概念がなく情報が少ない時代に翻訳情報を提供している 

繊維筋痛症(FMS)に関する情報

 

 

 

・・・”教育”と同じで、患者は「医療者側の願い」(方向性)に自然と沿うことになる

---医療側が「死体になってほしい」と願えば、「環境」が整わず、その患者は死ぬ--- 

おびただしい数の慢性疲労症候群の友人たちは「医者」に無視され、「医者」を信じた行政・社会(環境)によって命を落とした)

医療者が「ナントカなってほしい」「治ってほしい」と心底思い・願えない限り、患者は快癒に向かわない・・・ 

(医療の最後は、”技術”を超え、患者/家族・医療者、双方の「祈り」になる)

 

 


 

本当に患者のことを考えていれば

いつまでもCRP「だけ」にとらわれることはなく

東京が、西日本で既に開業医でも使っている「SAA」(Serum Amyloid A蛋白、炎症物質。CRPの一種)を使わないどころか

医学部教授達(名誉を含む)が「知らない」(情報が入らない)という現象は「起きない」「起こさない」

(関東・東京の場合、どこが情報コントロールしているのか”誰もが”見当がつく。「炎症物質はCRPだけではない」)

命・医療は遊びではない

 

※SAA(血清アミロイド蛋白A)も「単なる検査の一つ」であるが、医師にとって「道具」は多い方がよい。

SAAは保険適応の検査で、測定に特別なキットは必要ない。

ただし「CRP」と同時に保険で測定出来ない。結果が出るまで1週間ほどかかる 

(当組織と検査会社とは全く関係ない。CRPと同じく、SAAが陰性でも全身性炎症が存在しないという証明には「ならない」)

 

 

「激しい全身性炎症があっても炎症反応(CRP)が上昇しない」について 

(自己免疫疾患だけではなく、感染症(細菌・ウィルスを問わず)、癌など)

”板橋医師会”は「大学病院で全身の検査をしないと開業医を紹介してやらない」と言ったが、

(「ポリシーが違うからほかに行け」と患者を追い出した開業医もいたが)

たとえ東京でも、「開業医」は、自分で考える能力を持つ、まっとうな医師が多い。

よく考えてほしい。

臨床において、この本末転倒がいつまでも続いてよいものかどうか

(患者の症状・訴え、医師の所見よりも、「検査重視」) 

 

 

※昨今の大学病院(紹介)は、「誰」というのがわからない限り、開業医の先生方のほうが臨床技術が高いことが多い

(すでに地方では顕著な現象だが、--現実は「玉石混交」ではあるが--、「腕に自信のある人材」が開業する時代になっている)

「誰」という具体的な目的なく大学病院を紹介されると患者は余計な混乱を経験することが多い・・・その程度の診立てなら開業医の先生は紹介しない・・・

--もはや、かつての「大学病院」ではないことを知ってほしい。難しいことを相談しても”検査結果に頼る”大学病院では「わからない」「勘が働くほどの経験もない」--

 

日本では、医者情報を収集出来ない人が殆どである。

たとえ、これまで人の為に情報収集をしていた人間であっても高齢や病気で出来なくなる

開業医の先生方には積極的な「情報収集」をお願いしたい

「この先生ならば」という医師がいれば面識がなくとも紹介して頂きたい

 

 

 


 

「社会」というのは医者が考えるほどやさしいものではない 

一人一人が苦境を抱えて余裕がないため、

慢性疲労症候群やその関連疾患患者のような「元気にみえる病人」など「死ね」と念じている場所だと思ってほしい 

(もし人間社会がなまやさしい場であれば、慢性疲労症候群に限らず「弱者に理解を求める運動」など有史以来世界中どこにも存在しない)

 

 

「今更」では”遅すぎる”

”現実”は「介助のため休養できない」「治療法がない」、結果「進行が止められない」

楽しそうに見える簡単な会話、気の抜けないちょっとした外出だけでも「体力」「気力」を振り絞っている。体力がない

次から次へ同居者が難しい健康上の問題を起こす度、経験したことのない再燃を起こし、「一気に悪化」を繰り返し始めた

同居者の健康上の異変が続いたら”もたない”

(病態がただごとではない介護者の方が先に命を落とす---主治医が知っている

---2016年、東京に戻ってから内科医達がかけた強烈なストレスにより、かろうじて保っていたバランスが崩れ「順番」が狂った---

(東京の内科医達が順番を狂わせたことが決定的となった。大変残念であった。残り時間が少ない) 

※生物的な本能から「順番が狂わない限り」(余程のことでない限り)、親子間の生死で危機感を持つことは「ない」

 

 

1) 医者には解らないが、3歳から同じことをほぼ毎日50年以上続けている人間には発病後の経年による「変化」が非常にハッキリ解る

 

2) 東京に戻ってからの体調の”激変”は「最近の”再燃の症状”」から「長患い」にはわかる 

「外出翌日からの体調悪化」も以前と全く違う」)

 

3) また「骨格系の病気」と「ステロイド筋炎」が重なった状態は、短期でも、「基礎指トレ」ブランクによるダメージも桁違いに大きい

(2〜3日でモノを取り落とすようになる) 

 

 

慢性疲労症候群時代(15歳から)培った「対応策・獲得技術」をフル活用して「日常生活の為に」工夫を続けているが

医療ボランティアとしてではなく

専門分野の為に税金を使って勉強することを許可された人間であり

演奏したい曲は数えきれないほどあった 

時間を返してほしい 

 

どの患者でも、真剣に生きていない患者は存在しない

赤ん坊の頃から知る親の友人は知っている。

親も子も真剣に生きてきた

”戦中派”の親からは「命がけで生きること」を学んできた 

同業者ばかり擁護し「患者を嘘つき呼ばわり・非難ばかりする」不真面目でふざけた医者とは違う 

 

理解できない医者は永遠に”炎症反応”(CRP)や”抗体”と遊んでろ

 

 

・・・・・・・・

 

「膠原病の抗体」について

「陽性になるタイプの人(低確率)の中」で精度を追及した結果「病種まで解るようになるほど精度が上がった」

と、昨今、急に膠原病内科医が振り回し始めた検査で、患者が大変迷惑している。

CRPと同じく一般社会にもってくると信じられないほど「偏った」検査である。

---いつまでも「xx病であれば絶対陽性にならなければならない」「xxのハズ」ありき

「病気を発症しているにも関わらず陰性」は最初からカウントされず永遠に無視される---

炎症反応(CRP)も抗体も高齢者では上昇しないことが多々あることは「よく」知られている

(どこまでいっても「参考程度」の検査であって「絶対ではない」)  

 

・・・・・・・・・

 

「抗体」について

一般では「ピロリ菌の抗体」の”抗体”が身近に知られている。

ピロリ菌検査のとき、「抗原」(検査)にしますか「抗体」(検査)にしますか?と聞かれることが多く、

違いを尋ねると「抗体は、人により、”体”が産生しない場合がある」と答えが返ってくる。

どういう場合でも「“抗原”と”抗体”の関係」は同じである。

つまり、同じ”抗体”でも、

「ピロリ菌の抗体」は、ピロリ菌に感染していても人により産生しない場合があり、

「膠原病の抗体」は、病気に罹患している人が「絶対全員が産生する」

と、医者が主張している、ということに。

(”感染症”よりも「遥かに免疫的に複雑でメカニズムも解明されていない膠原病”」発症に対する抗体産生を「絶対」と言い張る)

一体どういうことなのか? 

 

・・・・・・・・

 

※膠原病内科が関わると”検査”が「絶対」になるのはどういうことなのか? 

東京の内科の「偉い人たち」は、同僚の矛盾を指摘するどころか「気付かない」

怒る、ムキになって患者を非難する、カルテにありもしないことを書く、等々

アホ臭くて、誰も「日本の医学」なんぞに協力しようという気はなくなる (勝手にやってろ)

「命」にかかわる分野で”自浄作用”のない組織は社会に必要ない

 

医学は「まず患者ありき」

患者の報告・協力なしに医学は成り立たない

 

 


 

 

役に立たない職種に属する人間であり、見事に馬鹿げた人生であったが

Co-Cure-Japan の内容が少しでも社会の役に立ったならば幸せであった。

今後は、日本でこれまで延々と続いた「医学界の医療」ではなく「社会の医療」を創りあげられんことを心より祈り上げる。

---何があっても決して忘れないでほしい。「医療は一体誰のものなのか」---

 

 

40年も変わらなかった医療は「変わらない」。患者が賢くなって「検査」を振り回さない医者を探すしかない。

「”検査だけ”で判断する医者」が「間違っている」。

どんなに偉い医者でも「検査絶対」の医者に当たったら、そいつの言葉に振り回されず、

さっさと愛想をつかせ、”内心”「アホか」と唱えて「堂々と」医者を探す。

 

医者が理系の中の特別な存在「ではない」よう、一般社会における理系は特別な存在ではない

「理系の感覚」は、プログラミングみたいなものを習得せずとも、生き物であれば「ごく普通に持ち合わせている」 

---理系も文系も体育会系も「生き残る」為には”論理的思考”が不可欠---

(コレは食えるか食えないか。言語(音楽は典型)も論理。生きることすべての根底に「論理」がある) 

(上述の「抗体」で”平気”な日本の内科の偉い人達や膠原病内科医を理系と考える方がアタマがおかしくなる)

「医者だから正しいハズ」と「医者」を特別視し”考えることを放棄”する前に、「自信を持って」よく考えてほしい

(理にかなっているかどうか)

「日本」の場合、”あまりにも極端に”、社会が「医学」を特別視してきたことにも問題がある (お医者さま文化)

 

 

医療は「まず患者ありき」であることを覚えていてほしい。

ワケのわからない医者につきあうほど人生は長くない。

(検査を振り回さない”まともな”医者は必ずいる。本能的に「お願いします」と伝えている自分に気づく) 

「慢性疲労症候群」の段階で「早期発見・早期治療をしていれば、国の内外に関わらず、このHPに書かれている問題は起きなかった、

「次の犠牲者はあなた」であることも覚えていてほしい。(検査に異常がないから何もありません・気のせいです)

 

 


 

 

「慢性疲労症候群」について

 

◆ 実態を知らない医師達は「慢性疲労症候群」のことを「ゴミ溜め」(なんでもかんでも慢性疲労症候群)、と表現する医者も”沢山”存在するが

  患者が実際に「慢性疲労症候群」の診断基準を満たすことは難しい。

 

以下、もう一度、慢性疲労症候群で亡くなった「アリソン・ハンターさん」の記事より抜粋を紹介する(・・・シドニー・モーニング・ヘラルド紙)

 

 

 

   ・アメリカとイギリスの推定値によれば、慢性疲労症候群は200〜500人に1人の割合で、罹患する可能性がある。

    オーストラリアには10万人の患者がいる可能性がある。

 

   ・疲労という言葉が病名に含まれているので、慢性疲労症候群(CFS)が大したことのない病気に聞こえるかもしれないが、
    一方、診断基準は、実際には非常に厳しいものである。少なくとも6ケ月以上、説明不可能 な疲労が認められ、記憶力低下、
    集中力の欠如、のどの痛み、頸部リンパ腺の痛み、筋肉痛 と関節痛、頭痛、運動の不調が長引くなどの症状を伴わなくてはならない

 

  ・アリソンさんが亡くなる6週間前、新らたに関わった専門家は、彼女が複雑な免疫症候群であるベーチェット病にかかっている可能性を疑った。
   正当な病名とともに、権威ある医者たちもアリソンさんを受け入れ、親切に対応するようにすらなった。「彼女がこれまでずっと受けるべきだった

   対応を今になって受けるのを見るのは全く耐えがたいものだった」とアリソンさんの母親は述べた。
   しかし、アリソンさんはベーチェット病(※)と正式に認定されず、そのころにはすでに非常に衰弱していた
   最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった

・ローヤル・ノースショア・ホスピタルの血液学のトップであるジェームス・イスビスター医師は・・・・、「正直なところ、最期は、手の施しようがなかった。

彼女に対する医療機関の対応には、非常に困惑してしまうことが多かった。彼女が体験した多くのとんでもないことは、医師自身の恐怖感と

能力不足を投影したものである。なぜ、彼女が医学的に重病であると、いずれの医師も考えなかったのか私には解らないと言い

彼女は、侮辱と残酷な扱いを受け、尋常でない身体的な苦痛を味わい、まるで、「強制収容所に入れられた人のようであった」と述べた。

  ・イスビスター医師は、理解できないことを認めることができない医療システムを嘆いた
   一人の教育者でもある彼は、医学生に対し、「偏見を持たないことの重要性と、症状よりも患者に注意を傾ける必要性」を強調した。
   「病気の存在を信じなければ、決して診断できないのだから」と、彼は学生たちに教えた

 

原文

 

Co-Cure-Japan, Administrator

 

・慢性疲労症候群:[どの診断基準であっても”すべて”満たす・重症]・・・(発症1979、診断1989・米国:州立ワシントン大大学院)

  ほか、1994慈恵医大、2001年東京女子医大、2004年東京医療センター

・再発性多発性軟骨炎:[重症]・・・(発症1995、診断2005・東京医科歯科大)

 ほか、2005広尾日赤、2006東大(入院)、2008埼玉医大(入院)、2009京都宇多野病院(ステロイド事故の後始末のため5カ月入院−関東に信頼出来る病院が見つからず)

 2011鹿児島日赤&北九州産業医大(入院)、2017順天堂(入院)、2018東京女子医大(再三入院を勧められているが家族介助のため不可能となる)

・ベーチェット病:[Stage 4]・・・(発症2001、診断2011・鹿児島日赤 & 2013・北九州産業医大(入院)

  ほか、2017順天堂(入院)、2018東京女子医大(再三入院を勧められているが家族介助のため不可能となる)

 

※1.いずれも”発症から診断”まで「10年」かかっている(炎症反応(CRP)が正常のため)

※2.「再発性多発性軟骨炎とベーチェット病」の症状悪化のため治療を求めて、親および親の職場の上司ともども親しく最も信頼のおける医師(故)に逐一詳細報告・相談の上

『指示通り』東京で転院を繰り返すが(前院の紹介状を必ず持参)炎症反応(CRP)陰性」のため関東ではどこも治療をしてくれず結局、治療は、九州転居の2011年以降

(治療は「診断から更に6年」かかった---再発性多発性軟骨炎症から治療まで「16年」・・・珍しい病気で難しかったから”ではなく”「炎症反応(CRP) が陰性だから」)

 

  --日本で比較的患者数の多い「ベーチェット病」について。

  ”東京”では(一般に)「CRP上昇」がないと診断もつけなければ治療もしない

  「慢性疲労症候群」(ベーチェット病と酷似した症状)で亡くなった「アリソン・ハンターさん」と同じことが、東京(日本)では「ベーチェットの患者」でも起きる 

  全身性炎症があってもCRPが上昇しない患者は自己免疫疾患にとって珍しくないにも関わらず「ベーチェット病だけ」は「CRP陽性でなければならない」とする

  CRPが陰性のベーチェット病で”Stage4”の重症患者と家族が「どうしたらよいのですか」の尋ねたところ、”前”血管炎研究班長(廣畑)は「さぁ」

  (炎症反応(CRP)の数値”だけ”」で重症度を判定するのが「東京内科医療」。白血球が一万を超えても炎症反応(CRP)が上昇しない限り「扁桃炎」さえ見落とす) 

---2010年、東京医科歯科大で、「その日の血液検査では白血球が1万を超えており」「患者が風邪症状を懸命に訴えた」にも関わらず、担当の膠原病内科医が

「炎症反応(CRP)が陰性だから」という理由から「白血球増加はプレドニンのせい」と患者の訴えに全くとりあわず、患者が執念で同病院「耳鼻科」を受診したところ

「扁桃炎だった」ということが、実際に起きている--

 

※3.試した生物製剤は2種とも(ヒュミラとレミケード)「1%未満の副作用」(狭心症、ギランバレー様脱力、腸管浮腫)出現のため継続できず

   「手遅れ」のため最新治療法が重篤な副作用で使用出来ず、「希少疾患は人口比で東京」(阪大)とのことで、古い治療法を求めて東京へ戻る(2016)

   アラバ+PSL+MTXではコントロールが出来ず「手指の変形」(複数)。副作用のため他に打つ手がないため「副作用が少ない」という理由でオレンシアに

   希望を託したところ「狭心症、倦怠感・吐気・腹痛で寝込む」など上記生物製剤2種と同様の副作用が出るも軽度であり、(副作用)強い症状は4日以内、

   かつ、関節痛に効果が見られたため、継続となる(2019年2月末〜)。再発性多発性軟骨炎、および、ベーチェット病の再燃は防げない

 

 

*「炎症反応(CRP)は正常です」「検査に異常はありません」「何もありません」が、”患者”に何をもたらすのかよく知ってほしい  

 

『CRPは決して絶対ではない』 (自己免疫疾患だけではなく、結核でも「炎症反応(CRP)陰性」は起きている

 「結核予防会」のように「人類の存亡に関わる感染症の研究」という重責を担う専門家集団の報告が「東京の学校の先生たちに無視される」というのが

 理解できない。(嫌味や侮辱でも何でもなく、一般社会に出れば医学部の教授と言えども単なる「学校の先生」) 肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 日本の結核罹患率は先進国の中で最悪と聞く。「炎症反応(CRP)絶対」をふりかざす医学部に属する学校の先生たちは日本人を殲滅させる気なのか。

 ”先進欧米諸国に比較すれば30年程度の遅れがあり、日本において結核が公衆衛生上の問題でなくなるまでには、まだ半世紀以上かかると考えられます”

 ----結核予防会HPより http://www.jatahq.org/whats_jata/index3.html 上部タブより[結核予防会とは]->[基本方針]--- 

 

    ★何度も伝えているが、日本では「結核撲滅」と考えられていた時期に医学部で「結核を教えなかった空白期」が長く、「学校の先生たち」は結核の実態を「知らない」

    (習っていない。90歳を超える医学部名誉教授(免疫)は「教えなかった」)。医者も患者も「大学病院が全てではない」ことを肝に銘じてほしい。

 

*政府も知ってか知らずか中央の医者の言いなり。「東京内科医療」は”一億総活躍”と「真逆」の方向性を持つことに気づいてほしい

 

 

 

 

 

 

 

『病気”みたいなもん”、完璧に弾けない言い訳にならない』

 

「恩師の言葉」が示すよう、”芸術畑”は「常識外」のところに存在する

 

 

第一線で活躍する母校(附属)の同級生たちは彼らが信じる一級レベルに戻らない限り「許せない」 

病気を「羨ましい」とか「許せない」とか、難病指定の署名活動では「みんなの気持ちを考えて伝えないことにする」とか、

唖然とするばかりだが、そういう世界もある。

”病人”と見ればナンデモ「お涙ちょうだい」へ逃げる発想しかない医者から

厳しいプロの世界を理解されなくてもいい 

「税金で勉強せてもらったのはどの分野なのか」「試行錯誤すべきはどの分野か」

 

 

再発性多発性軟骨炎の症状か、関節リウマチ合併があるのか、既に「指の変形」は(急に)起き

炎症のため指が充分に開かない(一日休むとオクターブも厳しい)・ゾっとするほどの痛み・手指関節の不安定感など

「昨日出来たのに今日出来ない」。毎日の「変化」でさえ困難極まりないが、それでも15歳から全く変わらぬ「工夫」を続けている

(自分の専門を使った「リハビリ」がないと”日常生活が”「もっと痛い」・・・これでも「病気」は”羨ましい”のか

 

ステロイド筋炎(3センチの段差が上がれない・紙一枚もてない)からの復帰は「鍵盤幅に広げるだけで激痛・冷や汗」から開始、10年かかったが、

関節リウマチ症状が出てからの困難たるや、筆舌に尽くしがたい

手指の症状は-現在より軽度だったが-15歳から対策に四苦八苦しており訓練はナントカ続けてはいるが・・・

--以下、お世話になった元主治医や、現・主治医達のことではないが--

一般に、日本の医者(内科医)は同僚(外科医)には理解があるが、「他分野の技術者」(外科医に相当する立場)に対する理解はない

「2〜3歳からの訓練が必要で一生をかける“職業”」(芸術畑)は、医者より劣るのか。

職業が何であれ、患者がどれほど真剣に生きていても、命を直接扱う職業でなければ「劣る」といいたいのか

”医者には”「職業差別」がまかり通る言いたいのか

 

---社会は医者だけで成り立つものではない。

社会には様々な職業があり、関わる一人ひとりが異的な忍耐力を発揮し、絶妙に支えあって成り立っている。

医者が勝手に職業の優劣を決め、職業の有無で、医者の仕事内容を変える、などあってはならない。

(「マスコミに出ていないから」「トシだから」など)

原点に立ち戻って考えてほしい。「医者は何をするべき人間なのかろ

その人は、死ぬまで「その人らしく生きる」権利がある(人権)

検査の値に関わらず、”臨床医”として最善を尽くす義務がある---

 

「100%になりえない」血液検査ばかりに頼って「炎症反応”CRP"が陰性だから」と、何十年も患者を放ったらかしにせず

¼”臨床技術”+”五感”を磨き、さっさと診断をつけ、さっさと治療しろと怒鳴りたいのは当然のことである

 

 

*「関節症状」に於いて、”関節リウマチ”と”再発性多発性軟骨炎”の線引きは難しいといわれるが、

それなら、「再発性多発性軟骨炎」に「炎症反応(CRP)陰性」があってもおかしくない

(関節リウマチに耳や鼻軟骨の崩壊はない)

*”再発性多発性軟骨炎”に”ベーチェット病”の併発が多いなら

 「ベーチェット病」に炎症反応陰性があってもおかしくない

*”慢性疲労症候群””ベーチェット病”に酷似しているのなら

「慢性疲労症候群」の患者が炎症反応陰性を示してもおかしくない

 

 

---そもそも「炎症反応(CRP)」は本当に医者が“絶対”と信じるほど"信頼性”に根拠があるのか

「炎症反応(CRP)の信頼性について」真剣に考えたことがあるのか ---

***「症状に関係なく一貫してCRP陰性」「CRP陰性のままSAAは上昇」。”検査”とは(CRP、SAA、あるいはどちらも)「その程度」である***

(「xxの時には、”絶対に”検査値が「〜でなければならない」などという医者はもはや科学者ではなく「宗教家」に属する)

故・糸川英夫先生(東大・物理)は「科学が宗教であってはならない」とおっしゃっていたことを思い出す

 

 

「炎症反応(CRP)」を振り回したことにより、患者の病態を悪化させ、職業を潰し、患者の介護者に深刻な病気を発症させた東大医学部膠原病内科に尋ねる

『「患者の命・人生」と、「絶対に100%になりえない検査」、”医者として”どちらが大切なのか』

 

介護者の発症について、本人の症状自覚に至るまでには長い経過があったとしても「急激に悪化・顕著化するとき」には「何らかのきっかけ」(トリガー)が存在する。
「実際に患者を診察・検査(医者として仕事)もせず、話も聞かず、前医の紹介状も読まず、
西日本医療はいい加減」とまで言い切り、「全身性炎症には炎症反応(CRP)が”絶対に”上昇しなければならない」と主張し続け、
最高学府出身医として医学界に与え続けた影響、および、患者・介護者に与えた「ストレス」は”要因”として最も大きく、
患者が東大病院入院中「一貫して炎症反応(CRP)が陰性であること」を確認しながらそれを黙っていた東大医学部膠原病内科同僚を含め
患者の生活・病状に決定的なダメージを与えたことはとうてい許せるものではない

 

いくら精度を上げても決して100%になりえない「検査」のために患者の命と人生を犠牲にしてよいのか。医者として本末転倒ではないか、と尋ねている。

”我々”患者は機械ではない。医者は常に「大自然」(人体)を相手にしていることを忘れてほしくない。

 

 

 

「ベーチェット病」も「再発性多発性軟骨炎」も”一瞬”で破壊的な再燃を起こす「笑えない」病気 

(完全失聴や呼吸器炎症による窒息も含む) 

恩師や、恩師の恩師のような演奏は一生ありえないが

「決定的な事」が起きる前に(既に起きてしまったかもしれないが)

留学中・帰国後「続行不可能」を告げるまで10年間日本に教えに来て下さった

(誰のために日本に来ていると思っているのか)

恩師との約束を果たす為の「試行錯誤」と、時間と共に増していく”介助”に専念する。 

---廃止ではないので御安心下さい---

 

 


 

肩および全手指関節・腱に激痛を起こす過酷なタイピング作業に加え

単眼複視」出現後はモニターがよく見えず文字通り難儀したが、出来る限りのことは伝えた 

重度の「病人」が伝えたことである。

重く受けとめ即実行してほしい。命に関わることである

 

1)慢性疲労症候群の「正当な診療」(早期発見・早期治療)

2)「CRP陰性」は全身性炎症疾患の否定「ではない」

3)”極端な”「検査重視の医療」(エビデント・ベースト・医療)は医療そのものの”安全性”を脅かしているだけではなく「被害者を出している」

 

※「単眼複視」(斜視ではない)は”生物製剤”により症状が少し緩和される

 


 


[15歳から医者のいうことを黙って聞いて必死で生きていたら、もはや、「時間の問題」となっている]

何が「希少疾患」か、迷惑な。”1/50万(240-250)”程度で「希少」と聞いてあきれる。税金で自分の専門の勉強をさせても貰えない”数字”ではないか(多過ぎる):
・・・国は「社会に直接役に立たない分野」には税金を使わない。下記は”数字そのもの”あり比較ではない」が・・・
履修人口が一番多いピアノ科で、附属高校(15人x3/年)・大学(30人x4/年)、---「その年の"新入生"存在率」は総人口比率で1/800万、1/400万
本人にとっては”100%”であり「希少」などと考える人間は一人も「いない」。誰もが自分の能力を嘆きながら必死で練習に明け暮れている


世の中は、もっと小さな数字に満ちあふれている。
(宇宙開発事業を考えてほしい。一人一人でも1/70億)
どんな小さな数字でも本人にとっては「100%」

医学とは感覚が違うのかもしれないが、
「1/50万」は、上述(新入生)の例で、前者が約20年、後者が約10年かかる”数”であり

1.
「診断を下す」「治す」側(プロ)がひるむ数字ではない
 (いつまでも「認める・認めない」など「現実」から逃げないでほしい)

2.「”東京”の医者の診断しか信じない」とか
(1も2も、自分の”診断技術”に自信がないからそうなる)
・・・
地方では、患者数の少ない疾患の場合、”診断”は、飛行機や新幹線(フェリー)を乗り継いで、専門医のいる大都市部の病院に行く。
”治療”も、地元の医師・病院と連携をとりつつ、上記交通手段を用いて、定期的に通院となる。
東京しか知らない医師には見当がつかないほど患者の負担は大きく、
地方の医師達は、その責任を背負うべく必死で勉強している(直接海外など)。
「地方の先生たちは、”東京のエライ先生達の診断だから”という理由で(何もわからないまま)再診断を下したのではないか」
などと言う東京の専門医(膠原病内科・東大卒)がいたが、聞き捨てならない。
(東京でも、自分でしっかり診断出来る医師は、そういうことは言わない。
発想がおかしい。医療は東京だけで成り立っているものではない。)

 


ましてや、


3.
”診断”に「二枚舌」を使う言い訳にはならない(診断は診断)

・・・・(診断)「患者の負担を少なくする方法」で数々の提案(論文)を発表する同じ医者(現役膠原病内科教授・東大膠原病内科卒)

「再発性多発性軟骨炎」に関しては、「患者にとって負担の大きな検査を”求める”」と言った、どういうことだ (二枚舌)

---同じ膠原病(自己免疫疾患)、「診断」は「診断」---

医者はいろいろ言い訳をするだろうが、日本の膠原病内科では、「患者不在」があまりにも多い

 

 


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

 

希少疾患

・・・患者数が少ないことで、患者が社会的・医療的に、圧倒的不利な立場に陥る。中でも上記(「医者」に関わる問題)は大変深刻
---上記、医者の「逃げ」「二枚舌」のほか、「希少疾患みたいなもん研究してもカネにならない」発言(東大内科)など---


患者数が少ない場合、その病気の診察を経験した医者が殆どなく、病名を聞いて「どのような病気」と見当がつかないため
見かけ元気そうな病気の場合は、(主治医以外)、医者の理解を得ることは全くない
家族が病気の場合など、医者から過酷な条件を要求されたり、責めらることも少なくない

--明らかに「自分の患者をナントカしたい」という場合は、付き添い側にも伝わる。現実的に可能か否かは別として嬉しい・有難い

(”老病・老老・病病”など「双方が」介護者である場合「トシ」「順番」など一切関係ない。「治る・コントロール出来る病態」を最優先しないと確実に共倒れになる)
「病識がない」と主治医から叱られたほことがあるほど必死でサポートしている
ただただ「手伝いが足りない」と非難されるのには閉口する

--後に主治医からは理解を得たが、相手の体調悪化の度に、ストレスで、経験したことないほど激しい再燃を起こし、進行する。

相手の体調は「自分の命」に直結している--


---親のことを、医者は「トシ」というが、東京の内科医によるストレス(炎症反応が上昇しないから子の治療しない)で突然体調を崩すまで、医者が驚くほど元気で
「介護者」として重い荷物は常に一手に引き受け、文字通り「走り回っていた」ことは、
発症3か月〜半月前に会った元・勤務先の同僚・知人達が証明出来ることを忘れて貰っては困る
「その人」を知らずして、年齢(数字)だけ診て、十把一絡げに「トシのせい」は許しがたい(これも医者の「逃げ」であることを覚えていてほしい)
---

 

「慢性疲労症候群」発症後、50軒を超える東京の内科医探しを余儀なくされ、
多忙なため「数件」だけ付き添った親に、全員が、「親の育て方が悪い」と非難したケースと全く変わらない
付き添いを責めるのは、東京の「内科文化」なのかもしれないが
テレビなどから想像する「希少疾患」と現実全く違う
「病気の少数派は、想像を遥かに超えた不利な立場に生きている)

・・・「疲れで体調を崩し、今、妥協して試している生物製剤が効かなくなると”本当に”手がない」
「非常に確率の高いある種の感染症を起こしたら手がない(副作用で薬が服用出来ない)」
実態(現実)を目の当たりで経験している「前・現」主治医達が必死でナントカしようとしているのに、
マスコミなどから勝手に「キレイごとの希少疾患」をイメージしている同業者(医者)が足を引っ張っている。ふざけているのか・・・

 

・・・直近にお世話になっている医師達のことではない・・・

 

★「再発性多発性軟骨炎」という病名も実態が非常に分かりにくい。
関節部位だけではなく、「体中の軟骨」(耳・鼻・呼吸器など、”材料”が軟骨で出来ている「あらゆる器官」)が「崩壊するほどの激しい炎症を起こす」。
筆者の場合、関節や耳鼻科領域だけにとどまらず、呼吸器科医指摘による「甲状腺の腫れ」や、「甲状腺直上に紅斑」、「呼吸器の症状」が(呼吸困難)が出る
軟骨だけではなく、血管や目など「軟部組織」、「脳神経障害」も伴う、他の自己免疫疾患の合併もある(・・・「再発性多発性軟骨炎」は「血管炎」の一種・・・)
発症から診断まで10年かかり、診断がついてから更に数年「炎症反応(CRP)が上昇しないから治療しない」と東京の膠原病内科が放置した為、
”本当に”手遅れとなり、今では「これほど全身に広がった患者は診たことがない」と言われている。
(当たり前である。そうならない方がおかしい)

 

 

「再発」という名称も誤解を与える個人差はあるが、健康な状態と再発を繰り返すの”ではなく”、

重症の場合は、常に(「慢性的に」)「ステロイド中量以上でも抑え込めない全身性炎症(症状)」があり、

何かのきっかけで、非常に短時間に「更に大きな」「決定的・致命的な」炎症を起こす

---もし「健康な状態と再発を繰り返す」のであればストレスなど「一瞬で症状が増悪化する(再燃)」は”あり得ない”---

 

フランスでは、”polychondrite 「chronique」 atrophiante" (多発性「慢性」軟骨萎縮)や、

"dèsignèe polychondrite 「chronique」"(指定多発性「慢性」軟骨炎), "polychondrite rècidivante"(多発性軟骨炎)などと呼ばれていたこともあ


--「劇症再燃型慢性全身性(同時多発型)軟骨炎(神経・臓器障害を伴う)」-実体験の"一部"-.とでもすれば多少は伝わりやすく
「関節リウマチ」や普通の「関節痛」と間違われることはないかもしれない
--幹細胞移植でもたくさん死亡している

 

 

- - - - - - - - -

 

・幹細胞移植でもたくさん死亡している

 

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「再発性多発性軟骨炎の患者」は海外では「重症患者でも健常者より元気に見えること」がよく知られており、「専門医」にしか解らない
「再発性多発性軟骨炎」も”慢性疲労症候群”と同様、「医者の認知」を必要とする非常に深刻な疾患の一つである
・・・いくら確率は低くても、人間である限り、この病気にかかる確率は、「皆平等」・・・

 

ましてや、長年「慢性疲労症候群」を経験してきた患者(慢性疲労症候群出身者)は「現実」をたたきこまれている
(学校の体育合宿で体調不良を申告すれば、全校生徒の前で名前を公表され「仮病。罰則として山登り」を課されたり、
医者に行くと「気のせい」「あなた死んでもいいじゃない」「熱があるなら南極に行けば」「親の育て方が悪い」などと言われ続け、
『体調を正直に伝える・見せるともっと恐ろしい事態を招く』ことを熟知している。恐怖から「隠す」)

そもそも、医者から無視され続けた”小児慢性疲労症候群”出身の場合、「健康な感覚」が「全くない」
---この際の最も大きな問題は、病識云々ではなく、「いくらでも無理が出来てしまう」という点にある---

(本人に「健康な時の感覚がない」と、”本当に解らない”)
こんな人間を作る為に「医者」をしているのか

 

 


「慢性疲労症候群」の患者は、全員、同じ、トンデモナイ生活(子供であれば恐怖の・自殺してもおかしくない学校生活)を送っていることを忘れないでほしい

*医者・社会の無理解により、成人の慢性疲労症候群の患者には自殺者も多い: 死亡者リスト
---医者が深刻な病気であることを認めない限り、社会や学校は絶対に認められない---


 

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★「再発性多発性軟骨炎」にはゼロ歳児発症もいるが、「慢性疲労症候群」に”合併する”(派性する???)病態の一種

---医学界では「慢性疲労症候群」は「既存の自己免疫疾患の前駆症状」という見方が多いが、
「ゼロ歳児発症が存在する」ということは、既存の自己免疫疾患の前駆症状ではなく、
「慢性疲労症候群」が全く独立した別個の自己免疫疾患である可能性を示唆しているかもしれない

・・・厳密には、「慢性疲労症候群の診断基準」には「6か月以上続く」という文言があり、
ゼロ歳で再発性多発性軟骨炎を発症した乳児が「慢性疲労症候群を経過していなかった」とは言い切れないが、
赤ちゃんの場合「慢性疲労症候群」診断は難しく、もし「慢性疲労症候群様の症状が先に出ていた」としても
その後、非常に短い期間に「再発性多発性軟骨炎の症状」が出たことから、
このケースは「再発性多発性軟骨炎の前駆症状」(慢性疲労症候群の関与はなかった)と解釈出来る


何より、オーストラリアのアリソン・ハンターさんのように、「9歳で慢性疲労症候群を発症、亡くなるまでの10年間、”死の間際になっても”、
”ベーチェット病に酷似した病態であること”は認められても、”慢性疲労症候群以外分類が出来なかった”」という事実そのものが
「慢性疲労症候群が独立した自己免疫疾患(膠原病類縁疾患)であることを」をハッキリ示しているのではないか---

 

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「再発性多発性軟骨炎の患者会」(日本)では、以前から「完全失聴を起こす病気」であることが広く認知されていないことが問題になっている
「再発性多発性軟骨炎」には「完全失聴覚に至るケース」が多いことを特記しておく(少数派からの「声」は届かない)

(難聴発覚から診断に繋がる患者が非常に多い・耳鼻科が見つけることが多い疾患)

「完全失聴」に至る経過は、「病気の進行」に伴い「ゆるゆると」、あるいは、
この病気の特徴である、非常に短時間に起きる「激しい再燃」(サドン・デス・タイプ)により「突然」完全失聴に陥る

・・・呼吸器を含め、全身のどの軟骨も同じ事が起きる・・・

感音性・骨伝導、どちらもダメージを受けるため、「完全失聴」に対する打つ手は、残念ながら「ない」
・・・「誰も、どうしていいか解らない、こんな病気に、あなたは、なりたいですか?」・・・


1979年(15歳)で始まった慢性疲労症候群の後、再発性多発性軟骨炎の初発(1995年)から10年経過した2005〜2006年
東京の有名な耳鼻科専門病院での聴覚検査結果がきっかけとなり、自ら病名にたどり着き「東京で」診断がついた後、
--「弘法も筆の誤り」を心配し、念のため病院を変えても同じ診断 (東京医科歯科大、広尾日赤、東大)--
「音の方向性が解らない」「ティンパノのサイズが毎回変わる」「耳(耳介)が大きく赤く腫れる、ペラペラに薄くなる」を繰り返し、
「左右の位置が違いメガネが掛けられない(垂れ下がり)」など、”耳”に、激しい炎症を集中的に起こしていた時期、
・・・甲状腺直上に紅斑出現、呼吸器専門医からも「甲状腺の腫れ」を指摘され、呼吸器症状も出ていた頃・・・
必死で、「炎症反応(CRP)が陰性であっても治療をしてくれる膠原病内科医」を探した『音楽家』は、医者から激しく非難されるべき対象なのか

 

--一般に、「目の障害」は”ある程度”理解を得ているが、「耳の障害」の理解は、比較した場合、問題にならない

「音の方向性がわからなくなる」だけでも、日常生活(道を歩く、など)が、どれほど恐怖と化すものか---

 

症状は再燃を繰り返しており「どの症状も」繰り返すごとに悪くなる。
”ストレス”では「一瞬」で激悪化する。「どの症状」が「どの程度」(決定的・致命的まで)悪化するかは「運次第」
生物製剤でも「再燃」は止められない。


2011年に東京を離れ、2016年、日本を代表する膠原病内科医(北九州産業医大教授)の「紹介状を持って」(九州から)東京に戻った時、

・・・東京では「炎症反応(CRP)が陰性」というだけで「認めない!」と大騒動が起きていた時・・・
「2006年、患者を入院させ、自分たちが診断を下しました」と申し出ることもなく、騒ぎに
同調、あるいは、静観した結果、
重症患者の症状を更に悪化させ、患者の介護者に深刻な病気を発症させた
(脳梗塞・5ミリずれていたら全麻痺、幸い回復したがその後次々と起きる別な「体調不良」のトリガーになった)

”東大病院入院当時の担当医達”は、今では全員、東京で「教授職」にある。

「自分達が研究したかった」と言いたいのだろうが (当時の東大教授曰く「僕たちもっと難しいことをしているもん」)

『治療も出来ない医者に患者はいつまでも付き合わなければならないのか』

どの分野でも国際的に通用するレベルまで”技術”を磨くことは、本人の大変な努力と忍耐のほか、家族の協力を要し、容易なことではない

『自分の”職業”を守ろうとしたことは間違っているのか』

東京に戻ってからの医師達の態度は『医者以前の問題』ではないか

 

 

----また「希少疾患」はマーケットが小さすぎ(患者が少ない)、「少ない患者の為に」製薬会社が莫大な資金を投じて開発ることはあり得ず
希少疾患患者は、メカニズム全く異なる”患者数の多い別な病気の治療薬を使って試してみる以外方法はなく
「治ることはない」(全くメカニズムが違う病気のために開発された薬を使って治る
ことはない永遠に治療法は望めない)。
「希少疾患に属する病気になって良いことは
一つない」のが「現実(実態)」---
・・・繰り返すが、こんな病気になりたいですか?・・・

 


すべては「慢性疲労症候群」から始まった

 

・「炎症反応(CRP)が陰性のまま激しい全身性炎症を起こしている”慢性疲労症候群”」(自己免疫疾患)について、どう思いますか

 「慢性疲労症候群」になりたいですか?
「慢性疲労症候群」をこのまま放置していいいのですか?

「慢性疲労症候群は日本では自己免疫疾患に分類されており「誰でもかかりうる病気」(多くは何らかの感染症発症の「後」に発症)
たとえ、健康体からの発症率が低い自己免疫疾患でも、
一旦「自己免疫疾患」を発症すると、他の自己免疫疾患を併発・合併するケースが多く、発症率は高くなる。
(「慢性疲労症候群」は、日本内科学会により、2008年、正式に、「自己免疫疾患」として分類が出来ている)
未だに発症したら「(医者)どこに行ったらいいか解らない」「医者が(病気を)信じない」

 

 

何度も伝えるが、「慢性疲労症候群」は日本にいる「慢性疲労症候群専門医」と称する医師が扱えるような病気ではない

---患者は「臨床医」(治療)が必要---


「慢性疲労症候群」は、筋痛生脊髄炎(旧:良性筋痛性脳脊髄炎)」や「慢性免疫不全症候群」と呼ばれており、
あまりにも馬鹿げた病名(慢性疲労症候群)のため苦しんでいる患者達働きかけもあり
WHOは前者を採択しているが、いずれにせよ「別称」を見れば尋常な病態ではないことは理解頂けると思う
とかく難病系の病気は「病名」が問題になることが多い(もやもや病など)、
これを読んでいる医師達は、どうか「病名」に振り回され「実態」を見て「即、対策をとってほしい」。
慢性疲労症候群」発症の後、(医師から見て)珍しい自己免疫疾患を合併しているのは、国内でも、筆者一人ではないことを覚えていてほしい。


「日本は他国と条件が違う」(世界が経験したことのない超少子・高齢化社会及び人口減少を抱えている)、

どんな病気であれ”「早期発見・早期治療・対策が必然となる社会であること」を一瞬たりとも忘れてほしくない

膠原病リウマチ科が手いっぱいであることはよく解っている
(大学病院など重症患者であふれかえっている)
だからといって、自己免疫疾患である「慢性疲労症候群」を診ないというわけにはいかない。
重症患者も存在する。
早期発見・早期治療のための
何か良いシステムを考えてほしい。
子供の慢性疲労症候群は、「早期発見・早期治療」により、健常者と殆ど変わらぬ人生を送ることが出来る確率が高くなる

 

 

・・・現在、「前・現主治医」の懸命な働きにより、ナントカ、大崩落ギリギリ寸前の瀬戸際で踏みとどまっているが、
「これ以上の策はなく」「ある年齢を境に突然副作用が多発し症状緩和の為に使える薬が殆どない」「病気の特性」「年齢」、
何より『環境の激変』
が”決定的”となり(・・・介護者が「介助」を必要とするようになった)
---驚いたことに、つまづいた相手を支えた「その瞬間」に自分が抱えている病気”全て”に激しい再燃を起こす、など、非常に些細なストレスが引き金となる---
主治医も患者の経験を通じて患者の病態を知っているが、患者は「日々、忙しく自分の体調にかまっている暇はない」
「治る可能性のある者の病気(複数)を優先して通院する」(治療法のない自分の通院は一切後回し---生物製剤を使用中は
”原則、通院は月1回”のところ2カ月に1回にしてもらい、症状悪化時も診察に行けず、主治医も困っており、本人も怖い、親も辛い----
いくら患者が「気のせい」と笑い飛ばして現実対応しても、”医者”が重症と評価する病人が「2人分」の通院は「体力的」に無理。
「自分より治る可能性のあるものを優先」は自分の為でもある。「共倒れ」だけは避けなければならない。工夫しても「現実」は非常に厳しい。
---西洋人には若く見える日本人ではあるが、日本では、同様の家庭(老老・老病・病病)は非常に多く、どこも、筆舌に尽くせぬほど現実が厳しい
このぺージを翻訳して読んでいる人達は、「日本社会」が、”本当に”「非常事態」にあることを理解してほしい(超高齢・少子化、人口減少)---

「自分に没頭する時間を作る」(もはや大変な消耗を伴うようになっている)など、”自己対策”には最善を尽くしているが、
生物製剤により指の変形”速度”は落ちても「進行」は止まらず、体中同じことが起きており、どうにもならない 
---願わくば「環境の激変」(介護者に介助が必要となる)まで、せめて、「1年」欲しかった--- 
「自分の戒名が欲しい」と言い続けていたほど、引っ越し準備のために無理を重ね、かつて経験したことのないほどの最悪の体調を抱えて
「治療の為に」鹿児島から東京へ遠距離引っ越し「6か月目」、体調が落ち着く間もなく
医者から大きなストレスをかけられ(西日本医療はいい加減・信じない)、病態の更なる悪化+親の発病
・・・・(医者って、何?)・・・・
---何度でも伝えるが、医者は自分達がしたこと(ストレス)により、患者(病人)と家族がどうなるか、「医者」である限り解っていた---

出来る限りのことはしているが、もはや「現実」(自分の行く末)がハッキリ見えている自分のこと「ではない」
*誰でもかかる「慢性疲労症候群」に関しては、職種を問わず、医師・医療関係者を含め、「あなたのこと」を心配している
 
同僚が「慢性疲労症候群」と診断されたら、誤診でも何でもなく、
筋痛性脳脊髄炎(旧:良性筋痛性脳脊髄炎)・慢性免疫不全症候群」と頭の中で病名を置き替え、深刻に考え、
「積極的に」手を差し伸べてほしい  
 


「通常の血液検査に異常がないこと」が特徴で「目が覚めなければ良かった」というほど激しい倦怠感・激しい記憶力/集中力低下が主訴となる
ほか、「自己免疫疾患に共通する症状」(リンパ節の腫れ、発熱、体重減少(10キロ減)、関節痛、筋肉痛、嘔吐”など”)を伴うが、
外見は健常者とまったく変わらず大変元気そうで、とても病気には見えない
---そもそも「病気に見える病気」の方が少ない (たとえ癌患者でも外見からの判断は通常難しい)---

*「炎症反応(CRP)が全てではない」ことは何度も伝えた



*『
病名に関しては、患者は本当に困り果てており、(「疲労」は健常者でも困っている症状)
「ベーチェット病に酷似した病態」であるにも関わらず、イギリスで古くから呼ばれていた「筋痛性脳脊髄炎」がWHOでも採択されてはいるが、
ベーチェット病患者を多く抱える日本の医師には胡散臭く聞こえることは否めない
陪検で脳神経に炎症が見つかった患者もいるが、大多数の患者は「いわゆる脳脊髄炎」の証拠が”ない”)

「ステロイド過剰投与により再現できる病態である」ことから考えると、「慢性免疫不全症候群」の方が”日本の医師”の理解を得やすいかもしれない


---ベーチェット病患者がヨーロッパに比べ比較的多いアメリカでは「慢性免疫不全症候群」で医師の理解を得られる事が多いが
ヨーロッパではベーチェット病の患者が殆どいないことから、「ベーチェット病に酷似した病態」」といっても殆ど理解を得られない。
ベーチェット病患者の多い日本でさえ
「炎症反応(CRP)を」盲信する膠原病内科専門医が多いため、
「炎症反応陽性でなければならない」とかワケのわからないことがまかり通っている---

 

---「慢性疲労症候群」と口にするのが恥ずかしいなら
「筋痛性脳脊髄炎」でも「慢性免疫不全症候群」でも(どちらも同じ・・・前者は「症状(現象)」を、後者は「症状が起きる原因」を表現している)

「日本では自己免疫疾患に分類されていること」「病気の深刻さについて認知度が低すぎ未だに患者がどこを受診してよいかわからないこと」
(現状)を共有し、現場を動かしてほしい---

 


*『症状』は、「治療を必要としない軽度」から「悪化して死亡」、「他の免疫疾患を発症(合併)」や「合併症が原因で死亡」など、大変巾広く、
また「感染後症候群」(post virul syndrome)として、一部の医師間で知られているよう、「誰でもかかりうる病気」で、
裾野が広い

 

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医者の理解を得られず、社会や家庭の理解も得られず(家庭崩壊)、自殺者が多く見られるほど、患者は追いつめられている。
慢性疲労症候群の子供を持つ母親が、
見かねて子供を殺したケースもある(海外)
あなたの周囲で「言いだせなくて」困っている人はいませんか?
どうしてもさっぱり”理由のわからない”「不登校」「自殺」「いじめ」はありませんか?

そのお子さんは「慢性疲労症候群」ではありませんか? 

親が悪いのでも本人の性格や心の問題でもなく「深刻な身体の病気」ではないですか?
いつまでも医者が”慢性疲労症候群の実態”を知らない(認めない)」為に、本人も含め、誰も気づけない(かった)のではないですか?
下記のような事は起きていませんか?
・・・本人が体調不良を訴えたところ全校生徒のまえで「嘘つき呼ばわり」で名前を公表、「仮病につき罰則として山登りを課される」

(その後、大きく体調を崩し長期欠席を余儀なくされ、卒業のための出席日数も危うくなる、など)・・・
・・・こういう事態になっても学校ではまだ”誰もが”「医者の言うこと」(気のせい)を信じる。
筆者を含め、「親」(圧倒的に「母親」)が医者より”本人”を信じた幸運な場合「生き残る」が、もし親が医者・学校を信じた場合、その子供はどうなりますか
(必死で努力すればするほど体調は悪化する。「それでも」”医者”は「気のせい」--
検査に異常がないから--と言う
........「
.あなた死んでもいいじゃない」「熱があるなら南極に行けば」「親の育て方が悪い」「本人の性格の問題」、など.......
ただでさえ子供は「親に迷惑をかけている」と自分を責める。「医者」が更に追い打ちをかける。
物凄く具合の悪い「病気の子供」はどうしますか?

*「医者」と「本人」を天秤にかけたとき、本人を信用する学校などあり得ないですよ。
(『医者』が認めない限り学校は絶対に認めない)


 子供の慢性疲労症候群は、「早期発見・早期治療」により、健常者と殆ど変わらぬ人生を送ることが出来る確率が高くなる

 

 

 

「慢性疲労症候群」(小児・成人)

*「通常の血液検査に異常がないこと」が特徴で「目が覚めなければ良かった」というほど激しい倦怠感・激しい記憶力/集中力低下が主訴となるほか

「自己免疫疾患に共通する症状」(リンパ節の腫れ、発熱、体重減少(10キロ減)、関節痛、筋肉痛、嘔吐”など”)を伴う

外見は健常者とまったく変わらず大変元気そうで、とても病気には見えないないが、
多くは、別称の一つ「感染後症候群」のとおり「感染症を発症した”後”」に発症しており、
また、「精神的・心療内科的なもの」では上記の症状は出ない

(ステロイド過剰投与により再現できる病態である)

 

*『症状』は、「治療を必要としない軽度」から「悪化して死亡」、「他の免疫疾患を発症(合併)」や「合併症が原因で死亡」など、大変巾広い

 

*外見が全く「元気そのもの」に見えるため「怠けている」「気儘」「やる気がない」「馬鹿にしている」などと解釈され悪化させるか追いつめられ自殺する

 

 

---注:「慢性疲労症候群」や他の自己免疫疾患のように、通常の検査に異常が出ない病気の場合、
医者は、まず「親」(母親)を責める (「あなたが神経質だから」「育て方が悪い」云々)
やられたら「医者を変える」---

 



 

 

※ 成人の慢性疲労症候群にも同じことが起きている(会社、家族)

 

 

”医者の無視”により失われた「命」「健康」「時間」を返してほしい

 

 

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-----これら全ては、医者がいつまでも「慢性疲労症候群」を無視することから起きる社会問題であり、
「医者」の責任は言葉にならないほど「重い」
『炎症反応(CRP)』について、もう一度、「結核予防会」の報告を伝える。
「人の命より、炎症反応(CRP)の方が大切なのか」-----

肺結核における炎症反応の意義(2004)

 

 

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下記、「慢性疲労症候群について」記述の一部

「不明熱」(〜病気のプロフィル No. 35) -2000, 6,16-

柳瀬敏幸:九州大名誉教授、福岡逓信病院名誉院長、内科学

http://www.hospital.japanpost.jp/fukuoka/health/pdf/ProfileNo.35.pdf

 

・・抜粋・・・

.- 17 -

 さしあたり成人スティル病や慢性疲労症候群がそのような例である。そのほかに

早期診断がむずかしい発熱疾患として炎症性腸疾患、とくに若年発症の小腸型

クローン病、血球貪食症候群(「病気のプロフィル」No. 26)、サルコイドーシス、

一連の血管炎疾患群(「病気のプロフィル」No. 14と22)、アミロイドーシスなどが

挙げられよう。

 

 

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注:疑う医者が多いが、「慢性疲労症候群」を患った後に”癌”を発症するケースは(存命の友人達を含め)「実在する」 死亡者リスト参照
「慢性疲労症候群」は”免疫の病気”であり、『癌』には、どうか、くれぐれも気をつけてほしい
---「慢性疲労症候群だから」(大したことない)という”誤った認識”で医者が油断した結果、「癌が見つかった時は”手遅れ”」が多い---
自己免疫疾患の中では「皮膚筋炎」に癌が多く合併することがよく知られており、「自己免疫疾患」(免疫不全状態)と「癌」の関係は深い)

 

**************

 

ここはブログではない

「慢性疲労症候群の深刻な実態」について伝わ易いよう、

炎症反応(CRP)陰性」の件合併している希少疾患など個人的な経験をお裾分けしているが、

このHP「慢性疲労症候群」(と、その関連疾患に特化した情報提供専門のHPであることを覚えていてほしい

-- 「慢性疲労症候群」、別称「筋痛性脳脊髄炎(旧:良性筋痛性脳脊髄炎)」、「慢性免疫不全症候群」--

(Co-Cure-Japan の母体は米国。母体の”Co-Cure"はオーナーの死亡により閉鎖)

 

1)「インターネット」は(メール・HP共)「公道で拡声器を使って怒鳴っているようなもの」であり
2)当ホームページは「慢性疲労症候群の情報」として日本では最も古く、世界中の慢性疲労症候群の患者が読んでいること、
3)筆者自身、「病気」「本業」(学校)とも”非常に人数の少ない社会”に属しており
「誇張」や「不正確」は一切通用しないことを明記する (全ては「言葉通り」「真実」(現実)である)

 

ましてや、
「やり残していることを持つ人間」が
「”ない時間”を割き、既に損傷の大きな”胸鎖・肩鎖・全指関節の軟骨”ほか全てを削って伝え続けている」
という事実が「尋常なことではない」ことくらい、医者なら即理解出来ると思う (思いたい)
---「現実直視」が出来ないなら医者をやめろ---

 

 

”慢性疲労症候群の権威”とかいう医者(倉恒)は
「体調が悪いならボランティアしなければよい」と何度か言ったが

どの生物製剤を使ったところで進行が止まる病態ではなく、
そもそも、自分の体調など他人の知ったことではないが
(知って貰って治るものでなし)

一緒に活動をしていた"重症の友人達"は「全員亡くなった」---これのどこが放っておける問題なのか

--通常、"どの病気でも"「よく知られていない病気の情報」は、軽症患者に解らない部分が多く(経験がない)、

重症患者が見かねて行動を起こしている--

 

(患者にとって)「ストレス発散になっているから」とか。
いつまで「行動しない言い訳」を
続けるつもりなのか。
患者は言い訳せず必死で「現実」に対応している
筆者一人の問題ではない。「世界中の」生きとし生けるもの全員の問題である。
「ステロイド過剰投与」で再現出来るだけではなく、「被爆」でも再現出来る「免疫不全状態」
「日本」はこの病態をまだ放っておくつもりか。医者は「日本」をどうするつもりなのか。
生き物には「寿命」というものがある。

どの患者
「時間がない」。何十年待たせたら気が済むのか。

 

★(COVID-19)よく若い人たちについて「後遺症くらいで済む」と言われているが
その後遺症の”実態”(現実)は、「どころではなく深刻」である。
死亡者リスト

日本にも死亡者は存在する。これは対岸の火事ではない。
有望で前途ある貴重な人生を、医者から「あなた死んでもいいじゃない。あなたが死んでも誰が気にするわけなし、何が変わるわけなし」
「熱があれば南極に行けば?」「気のせい」「親の育て方が悪い」など、延々と、数限りなく非難され続け、
医者を信じる周囲との関係も破壊され、社会からは壮絶な嫌がらせと実害を受け、 仕事も家庭も何もかも失い、
言葉に尽くせぬほど「馬鹿馬鹿しい人生」 「さっさと死んでいればよかった人生」にさせないために、
若い人たち・子供たちは、どうか、COVID-19に罹患しないでほしい。
「そのためにどうしたらよいか」よく考えてほしい。

くり返す。 COVID-19で「後遺症」と呼ばれている多くは、「感染後症候群」(免疫不全状態)であり、
「後遺症くらいで済む」”どころではない”病態で、絶対に避けなければならない。(なりたいですか?)
COVID-19に絶対にかからないでほしい。

不運にも「後遺症」(と呼ばれる病態)に陥ってしまった場合は、周囲に自分を信じてくれる人がたった一人でもいることを心から願う。
 「自分は医者から死んでもいいと言われるほどのクズである」という考え方を徹底し、
その考え方を軸に生き抜くことも可能ではあるが、(どういう考え方も「徹底すれば」その人の哲学となり”支え”となるが)、
決してラクなものではない。 どう対策をとっても心身ともに過酷な人生になる。
よく「何でも人生の糧になる」といわれるが、バカげたことを経験する時間があったら、
自分の人生、自分がやりかけていることを充実させることにエネルギーと時間を割いてほしい。
「まず、COVID-19にかからないこと」。 真剣に考えてほしい

     いくら
精神的な対応法を自分で確立できても
「体」(健康)がついていかなければ、何も出来ない
 
     (”体調”だけは、 どうしようもできない

   
  「治療」が必要なほど重症であっても、治療はして貰えない、治療法もないよ。

         ベーチェット病に酷似した病態で死亡したアリソン・ハンターさん
        (オーストラリア・
2002
シドニー・モーニング・ヘラルド紙
       
 著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト)
原文

     違う病気を発症しても、(不調は全て「COVID-19でいう”後遺症”」として)見落とされ、手遅れになることが多い。
     長年経過した後、複数の癌を発症したにも関わらず医者が見落とし続け例もある)

 


「前進するための手段」であれば、『考え方』は、ネガティブでもポジティブでも、何でも良い=「効果は同じ」。
(死ぬまで「前進すること」を目的に生きている限り「考え方」はその為の”道具”であり、周囲のどんな不可解な対応にも「混乱することなく」
”自分が納得して”前に進めれば良い
(「医者から見て生きていては困るほど最低のクズ」と片付けて前進するのも最も効果的な一つの手段)。
『効率』を最優先に割り出し”徹底”させる)

そもそも、全身性炎症疾患の「現実」(病態)は非常に厳しく、”考え方”ごときで現実が変わるものではない」(出来ないものは出来ない)
−−西洋で暮らしていた年月や、あまりにも深く西洋に影響され帰国したため「西洋での経験は”なかったこと”」と片付けるまで
再び母国に馴染むことが出来なかった十数年も、「体調(病態)の変化」は全くなかった=悪化は食い止められなかった)
 「病気」という「厳しい現実」は、”考え方”に関係なく「体がついていかない」「容赦なく悪化する・広がる」。
もし「考え方」次第で病気がどうこうなるなら、宗教ごとに病気の治癒率が違う、ということになる。
そんな話は聞いたことがないーーー
(「考え方」はQOLの問題。病気であっても「前進すること」により、結果として ”病気そのもの”に対する影響は大きい。
従って「まず、前進すること」。”その為の”「考え方」(どうしたら前に進むことが出来るか)
何より、病気は一切言い訳にならない: 病人は、起きていられる時間が非常に少ないところ、健常者と同じだけのことを
こなさければならない。(学校を出れば、大黒柱は大黒柱の役割を果たさなければ ならない。その上、子育ても介護・介助もある)
「現実対策」(前に進むため)なら、考え方など、その人にとって「機能すれば」、愉快であろうがなかろうが、どうでもよい)
土にかえろうが、天に召されようが、「同じ」ことを意味する


 

・・・・「子供」の場合「学校」という”現実”は容赦ない (通学・授業・運動体育・合宿・試験・受験)
    下記のように多少の無理はあってもナントカつじつまを合わせ「前」に歩を進めてくれればよいが、
    この病気を抱えて立ち止まらざるを得ず、不登校や自殺に至る子供は多いのではないか。


  「15歳発症時」、ワケのわからい理不尽な現実にいきなり巻き込まれ、 あまりにも辛く・悲しく(出来なくなったこと、
  諦めなければならないことが多すぎる)
激しく混乱し、それでも、“怒涛の学校生活”相手に「ナントカせねば」。
  医者や周囲に非難されまくり、突然の理不尽に飲み込まれそうになりながらも必死で、強引かつ無理だらけの
  「”不可解な現実”とつじつまの合う”考え方”」
「瞬時に自分が納得して”に進める方法”」を本能的に探し続け
  大混乱の中、1カ月以内(最短)で行きついたところ”下人類最低のクズ)。
  それ以来、(-西洋で暮らした期間や、帰国後の重篤な「逆カルチャーショックの期間」以外-)、
  
ほかの考え方を全く知らず生きている。
 「自分の”考え方”」には「自分の命」がかかっている。
  他人から見て異様であろうことから、自ら精神科に相談してみたこともあるが (東大・故台弘教授)(女子医大・田中朱美教授)、
  「
精神には何の支障もきたしておらず、至って健康」とのことで安心して使用している

    ----自分のを支え続けてくれたこの考え方”(クズ)の「どこ」が悪い??? ---[徹底すれば”強靭な自信”に繋がる]
     「ゼロ・ゼロ以下からのリハビリ」を”何百何千回”必要とする病気人生(リハビリ人生)にとって、
     運動神経のごとく、瞬時に自分を切り変える「技術」が必要である。---[WHY ME?をやっている時間は一瞬たりともない]
     ましてや、”医者”が「あなた死んでもいいじゃない」と言う社会(現実)に対するには、それなりの「力」が必要---
     (日本文化にとって借り物の「西洋の考え方」では通用しなかった=自分の環境に対して「強度」が足りない)
     ・・・・
一生修行・訓練型職業」に属する人間は、上記考え方の「メリット」にすぐ気付くが・・・
       

   

    ちなみに、発症以降(現在も)、あまりひどい「医者の無理解」を経験する度その医院・病院を出てすぐ
    「どっかから飛び降りたい」という非常に切実で切迫した激しい衝動にかられるが、
    それに対しては必死「自分は生きていない」と片づけて生きてきた
    自分の「考え方」は、自分の命を支えても、それが自分に悪影響を及ぼすことはなかった。
    (本当は生きていない人間に対して、診察室医者がしのごの言っても。「アホか」で、「次」)

    ----15歳から延々と何万回続いており、呆れて見ているが今なお続く。
    (それだけ「慢性疲労症候群(別称:感染後症候群、ほか)とその関連疾患)」のことを知ろうとする医師は異様に少ない)
    年を取れば「先」が短くなる。最近は「いつでも出来る」と考えることで「その激しい衝動」を”乗り切っている”
    「聞く耳持たず全く理解しようとせず話も聞かず治療しようともしない医者に会わなければ決して湧かない激しい感情」であり、
    人間に心底嫌気がさしてはいても、本人には鬱の”う”の字も、自殺願望の欠片もない。
    自分に集中出来る時間は、大変厳しいがナントカかろうじて保っており、困難はあっても精神的ストレスは抱えていない。
    明らかに「医者が患者を追いつめて絶望させること」が原因であることから、
    よく知る医者以外、「医者を避けること」も、重要な「対策」の一つにしている----
    

 

    近所に内科の医者が一人もいない時は、「無医村に住んでいる」と考えればストレスなく片付く


    事情があって、どうしても手助けを受けられない時は「無人島に住んでいる」と考えればストレスはない。

    この病気(慢性疲労症候群とその関連疾患)を背負って「まだ」生きている人間は、多かれ少なかれ、このようなものである。



    ※数学の公式と違い、いずれも「感情」を伴う行為あり、実行するのは決して楽ではない。
    これらが「スイッチ」なるまで、どれだけ医者に訓練させられたか想像出来ると思う。
    誰にでも出来ることではなく、(出来るものならやってみろ)、医者にとって「非常にラッキー」だと正しく認識してほしい



    これが「たとえ薬がなくとも患者を癒す能力をもつ医者のやることなのか。
    
”この手の病気”(慢性疲労症候群-別称「感染後症候群」ほか-と、そこから始まった関連疾患)
    「重症になればなるほど」医者にまるで犯罪者のように扱われる。




    ★「COVID-19の後遺症を持つ人達にも、「後から出てくる症状」に対して、
    医者一定の期間を経過しているから(感染とは)関係ない」と言い放ち
    重症になればなるほど、患者の「精神力」「精神状態」「性格」、
持病のコントロールや、
    子供の患者に対しては「母親の育て方」を責めいつまでも疑い・延々と嘘つき呼ばわりし、
    
決して話も聞かず診察も治療もしようとせず強いストレスを与え続けて病態を悪化させ、
    挙句に、子供の発症以後一緒に医者に振り回され、巻き込まれて人生を潰された、
    
年老いた母親にまで激しいストレスを与えて早く殺そうとするのだろうか 
    ---患者本人(子供)は「”医者”に慣れている」が、(”医者”とは”そんなもん”)、
    ”耳を疑う非常識な医者の一言一言”を聞く、
医者に全く慣れていない人間のストレスは尋常ではない---

   
 
 
   これが「感染後症候群」の「実態」である。
 
   こんなもんに、かかるな。




よく「考え方がポジティブでなければ云々」言われるが、考え方がどうであれ、「自分のストレス対策」が出来上がっていればそれでよい。
(「考え方」に正解はない。たどり着ければそれでいい)

問題は「ストレス対策」(考え方)が出来上がっていても「現実」(病気)が変わるものではないということ。
自分で出来る策は全てとっているが(考え方=ストレス対策)、
唯一副作用が出ない生物製剤「アクテムラ」を使っても激しく再燃する「力の強い」病気を相手に、
この先何が起きるか解らない。

たった一回の人生。考え方みたいなもん、ネガティブでも
ポジティブでも、八百万の神を引っ張りだしても何でもいい。(ナンデモあり)
出来るだけ早く「ぶれない自分の軸」(ストレス対策・主に医者
対策)を確立する。
その上で、
自分の病気の実態を理解し、 興味を持って、患者と一緒に勉強してくれる医者探し筆頭に
死に物狂いで
「自分の為に」出来るだけ(それ以上)のことに命をかけてほしい。

人生は医者のものではない。人間は医者の為に生れてきたのではない。
---医者は「患者のために人生を捧げる」の尊い職業。厳しく長い訓練を率先して受け、西洋では神に誓う”職業”(Physician's Oath)---
日本の医者が患者に「あなたんでもいいじゃないと言おうが、延々と嫌がらせを何十年続けようが、患者にとってそれどこれではない。

どの患者(病人)にも「時間」がない。(
病人は、生きている殆どの時間を病気に取られてしまう
どうにかして、自分の人生を「そ
のように」全う出来るよう、命がけで自分に集中してほしい。


    ※再発性多発性軟骨炎の診断がリウマチ科だけで出来ると考えている医者が多いが、
    この病気の場合「耳鼻科」が決定的になることが多い。<McAdamsの診断基準を全部クリアするには、耳鼻科が必要>
    ほかの膠原病内科の病気でも「皮膚科」「整形外科」など外科系発見・カギになることが非常に多い。
    膠原病内科(自己免疫疾患・内科)に属する病気はリウマチ科が勝手に創り上げている病気ではないことも、覚えていてほしい。

   
★COVID-9の後遺症でもよく「自律神経失調症」と言われるようであるが、
  発症後間もない当時、
台(うてな)先生は、診察の後「自律神経失調”ではない”」とのことだった
  非常に明快な素晴らしい先生(医師)であったことをよく覚えている。


また、「慢性疲労症候群」(別称・感染後症候群、慢性免疫不全症候群など)が、”考え方”でどうこうなるものであれば、
あれだけの死亡者は出ていない。(多彩な死因
友人達は「どう工夫しても、自力ではどうしようもなく病状が悪化して亡くなった」
 (「治療」=医者の”物理的な手助け”が必要だった)

一刻もはやく「日本の慢性疲労症候群の診断基準」が、「”膠原病や膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)の予兆」のような
”全身性炎症疾患の症状”を含め、該当患者を全てすくい上げる診断基準」になることを願う。
しかし、現在の「”日本の”慢性疲労症候群」の診断基準は「筋痛性脳脊髄炎」のものであり「全身性炎症疾患は除外する」
とのこと(「全身性炎症疾患のない脳の病気」とのこと)。
従って、COVID-19を機に、同様疾患に対して(別な病名で)「別な診断基準」が出来ても「日本の場合」仕方ない。
(日本では、2008年、日本内科学会が「膠原病類縁疾患」に分類しており、診断基準から見ても「2種類」ある)

 「”慢性疲労症候群”(COVID-19で「後遺症」と呼ばれる”病態”)以外該当しない病態のまま死亡する患者」も多く存在する。
時間を経て「別な自己免疫疾患」や「癌」ほか、別な病気を発症する患者が多い。
「慢性疲労症候群」は日本内科学会が(2008)「膠原病類縁疾患」に分類したほど「そのもの」が異常であり、
「早期発見・早期治療」が必要な「深刻な病気」である(--血漿交換や幹細胞移植が必要な患者もいる--)

 

繰り返すが、慢性疲労症候群は、医師の間で「感染後症候群」とも呼ばれていることを覚えていてほしい

---慢性疲労症候群の”疲労”は、体を起こしていられないほどの”目が覚めなければ良かった”と感じるほどの
”すさまじい、激しい倦怠感・だるさ」ことで、微熱が続き、体重が10キロほど減少することもある
毎日激しい嘔吐が何カ月も続く場合もある。朝の関節のこわばり、日常に支障をきたす関節痛もあり、とてつもない「易疲労」
重度の集中力や記憶力低下や、などなど、症状は多岐にわたり、この病気の患者の体調は尋常ではなく、
「通学・学校生活」など、とんでもないことである (よく生きていたものである)
どれほど激しい症状を抱えていても「一般の血液検査に異常が出ない(特に”CRP陰性”)」ため、
医者からは、「気のせい」「精神的なもの」「病気ではない」(詐病)と扱われ、患者だけでなく、同居者までがボロクソ非難され、
『診療拒否』される (間違った医者の対応が原因で、「離婚」などの家庭崩壊が非常に多く、自殺も多い)


2013年改正された診断基準での「”血管炎のような病態”」や「膠原病類縁疾患の予兆」の”除外”は全く不可能であり
「全身性炎症疾患」も
慢性疲労症候群に含まれる。
原因は多々あるが、「何らかの感染症後」が圧倒的に多く、ウィルスだけではなく、結核のような「細菌」、マラリアなどの原虫感染でも起きる


「慢性疲労症候群」は、日本では、2008年、日本内科学会により 「膠原病類縁疾患」(自己免疫疾患・内科)に
  分類されていることも、覚えていてほしい

---「気候」(システム)同じく、「免疫」(システム)の問題(異常)は、簡単におさまらない。それどころか、
ある地点(年齢)を境に、急激に崩壊に向かっていくことを、忘れないで欲しい
---



治療法もない、医者の理解も周囲の理解も全く得られず、また医者の「認める・認めない」に巻き込まれて、
あっという間に「数十年」(人により死ぬまで)」の長い年月が経過してしまう。
----人間の一生にとって、「数十年(半世紀、あるいは死ぬまで)」の時間は短いのか?----
人知れず激しい病態に七転八倒し続けた挙句、何も出来ないまま、ふと後ろを振り返った時、「完全な“空白”」になっていることに気付く。取り返しのきかない長い年月は一瞬で過ぎ去り(年齢制限が大きく響く分野もある)、文字通り「人生(命)を失う」 (振り返ったら「ない」)


”慢性疲労症候群”の「現実」(実態)が”病気”(長期)だけに、理解しようとも治療しようともしない医者相手に、カネと時間だけ
ゴッソリむしり取られ続ける
---”慢性疲労症候群”を患う患者」は日常生活で「最悪の悪循環」が起きている。 治療が必要なのに治療してもらえないことから
働けなくなっているところに、交通手段一つとっても、あまりにも体調が悪いため、どこに行くにも通常の移動手段では行けなくなる
(タクシー利用
を余儀なくされる)。
また、藁をもすがる思いで必死で医者に行けば「信じない」「気のせい」、(精神科医でもないのに)「精神的に弱いから「性格が悪いから」
はたまた「周囲が悪い」「環境が悪い」「職業が合っていない」など(その職業を知りもしない”ド素人”が「勝手に判断する」。

 ---昨今はどうなっているのか。手の外科に行くと「弾き方を教えてあげましょう」、しかも「キーボード」を使ってである。
 (キーボードと本当の楽器は「違う」)
 ・・
外科で変わった経験したのは「手の外科」(中でも1人)くらいで
のぶれた外科医は経験したことはないが
 「内科の勘違い」(知ってるつもり)は甚だしい。医者が”知っているつもり”の「患者の職業」は「聞きかじりレベル」であることくらい
 自覚してほしい。(その患者の職業に対する適性」が判断や技術指導が出来るレベルではない

   ”病人”は「24時間365日、一瞬の休みもなくその病気を経験している専門家」だからこそ、
   患者は誰でも”「医者(治す専門家)に教えるものを持っているが、
   たとえ二足・三足のわらじを履いている医者の「一足」が、患者の職業と重なっていたとしても、
   「それ一本で命をかけている人間における職業」について、(通常、これが「患者の職業」)、
   「医者の聞きかじりと妄想」が通用するものではない。


「医者」とは、本来、患者一人一人の人生に「伴走」するものであろうが
知らない相手を非難すること”しか知らない」医者が殆ど
患者と一緒に、「何が起きたのか」「その対策」も考えようともせず、
全く役に立っていないにも関わらず診察料だけは当たり前にとられる。
医者が「実態を知ろうとしない」(知ってるつもりの)”慢性疲労症候群”である限り、それが何十年(一生)続く



”慢性疲労症候群”の場合、医者から一向に理解を得られない患者のせいで、一緒に暮らす家族も、何十年の間(一生涯)、
大変過酷な現実に振り回され、青息吐息。(「破滅」「家庭崩壊」も非常に多い)
長くなればなるほど現実に追いつめられ、
やっとのことで生きている
それらの
人間をターゲットに、なぜかだらしなく”群れる習癖を持つ医者
ありもしない(本当に「ないこと」)を
SNSやメールなどを使ってまき散らし
(流布)ターゲットを追いつめ(患者狩り)、「みんなで笑う」「おしおきをする」--
(慢性疲労症候群に関わると、「いい子にしないと親切にしてやらない」、現場で「悪意を持って注射針を乱暴にさす」等々、
命のかかった場面で嫌がらせをする。過去から現在まで、やった医者の実名を公表しなければならないのか。患者は一生忘れない。) 
+++間違っているのはどっちだ。医者が患者をまるで犯罪者のごとく疑い続け、嘘つき呼ばわりするが、
医者のやっていることこそ犯罪ではないか+++
※尋ねるが、東京での医者の「守秘義務」は一体どうなっているのか。
「北九州産業医大」では患者の個人情報は一切外部に漏れたことはない。東京ではズルズル漏れる。どういうことだ。



こんな病気に罹患して、こんな馬鹿げた目にあって、
あなたにしか出来ない、たった一回しかない貴重な人生を無駄にしたり、死なないでほしい


でもかかる「慢性疲労症候群」(別称「感染後症候群」・ほか)。
かかってみれば「医者でもわかる」が、絶対にお勧めしない。
最大の防御は
「巻き込まれないこと」=「かからないこと」 
医学界は何百年変わろうとしない。


★★★

今後も長く続く新型コロナの時代。医者もかかり、回復しても、年月を経過してひどい後遺症が続く医者も出てくるだろう。
一見「元気そう」に見えることから、同僚にしてみれば「少しでお手伝ってほしい」だろうが
その医者は「もはや手伝えない」(手伝いたくても「出来ない」、どころではない体調)であることを理解してほしい
重度の後遺症に苦しむ人達は(医者であれ何であれ/ウィルスは職種を選ばない)、何より「治療が必要」であることを解ってほしい

誰でもかかる。「病気は人間の職業を選ばない」
 いつまでも「知らない」「わからない」では済まされない



「新型コロナは特別だ」「慢性疲労症候群みたいなもんと一緒にしてくれるな」という患者もいるだろう。
日本では、「慢性疲労症候群の権威」と呼ばれる”倉恒”が自分の研究に沿った患者だけを対象にして
非常に偏った研究を続けた
挙句2013年、倉恒によって「診断基準」まで倉恒の研究に沿ったものに変えられ
全身性炎症疾患」を起こしている患者が無視され続けているが、「実態」は 下記のような患者も含まれていることを知ってほしい

        ベーチェット病に酷似した病態で死亡したアリソン・ハンターさん
        (オーストラリア・
2002
シドニー・モーニング・ヘラルド紙
       
 著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト)
原文


★★★

立ち停まること、関わることを良しとしない職業」に属する典型的な人間が、大変厳しい体調と、超多忙な中、
非常に限られた貴重の時間(文字通り「命」)を削って、
これだけ一つのことを伝え続けた「真意」をよく考えてほしい。
---非常に心配している---

以前、ある大学病院に勤務する内科医が誇らしげに言った。「医者は基本患者の言うことは信じない」
「論文と医者仲間の情報と検査値だけ信じて、(患者を無視して)、一体うやって治療をするつもりなのか。
それでも臨床医か。
本末転倒も甚だしい。
病気(症状)の出方は”人それぞれ”。
「”その人の”病気の情報」を最も沢山持っているのは、論文や医者仲間ではなく 患者である。

新型コロナの後遺症にしても、内科医が「慢性疲労症候群(別称:感染後症候群”ほか」=(患者の言葉・命がけの報告)対して
患者と同じだけ
真剣に向き合っていれば、 患者数の多い病態の一種だけに、社会の理解を得られず苦しむことはなかった。
(新型コロナの後遺症患者の中にも自殺者が多くいる・出るのではないかと非常に懸念される)

『慢性疲労症候群(別称;”感染症後症候群”ほか)』は、
筆者が経験した限りでも「40年以上
--
実際は大変古くから知られている病態で「遥かに長い年月」--
医者が無視してきた病気であることから、「医者」さえ真摯な対応をしていれば、
これまでに
、症状緩和や治療方法見つかっていた可能性もあり、
新型コロナの後遺症患者や、(患者数が多い疾患であることから)、他の免疫疾患患者にも役だっていた可能性が高い。

基本、医者は患者を信じない』とはどういうことか、「それは医療なのか」、「臨床医のあるべき姿なのか」
医者はよく考えてほしい

死亡者リスト・・・「慢性疲労症候群」(別称:”感染後症候群”ほか)

************

 

下記、「慢性疲労症候群について」記述の一部

「不明熱」(〜病気のプロフィル No. 35) -2000, 6,16-

柳瀬敏幸:九州大名誉教授、福岡逓信病院名誉院長、内科学

http://www.hospital.japanpost.jp/fukuoka/health/pdf/ProfileNo.35.pdf

 

・・抜粋・・・

.- 17 -

 さしあたり成人スティル病や慢性疲労症候群がそのような例である。そのほかに

早期診断がむずかしい発熱疾患として炎症性腸疾患、とくに若年発症の小腸型

クローン病、血球貪食症候群(「病気のプロフィル」No. 26)、サルコイドーシス、

一連の血管炎疾患群(「病気のプロフィル」No. 14と22)、アミロイドーシスなどが

挙げられよう。

 

 

**************




アメリカ日本では、事情が「全く」異なることを世界の研究者・患者ともに覚えていてほしい。
日本では、2008年の日本内科学会による正式な「慢性疲労症候群の位置付け」(膠原病類縁疾患)以外に、
「診断基準」が変わっている
(2013年改定版:日本内科学会の位置付けと相容れないMEの診断基準に変えた)
倉恒らが、自分の研究対象だけに偏らず「全体」を見てくれていれば、このような改定はしない(あり得なかった)

http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf


 

「慢性疲労症候群」(邦訳--海外の情報)

この翻訳プロジェクトに参加して下さった多くのボランティアの皆さまには、改めて、心から感謝を申し上げます

 

-----To the CFSers in the world----

"Keep barking at the trees".  This is our mission to the 'man-kind'.
We will never forget about that numberless fellows were passed away and that this tragedy is still going on.

The most unforgivable point is that these lives were "savable" by doctors if/as long as they accepted the CFS.
("If" the doctors "really" understood about "what the CFS is", majority of our fellows did not need to lose their
 lives with the right treatments "as long as" they had the CFS-diagnosis (the  ME of whatever).)
ONECE AGAIN, the same thing has been going on.  "KEEP BARKING AT THE TREES".

 

 

 

・・・そもそも、
「慢性疲労症候群」(別称;筋痛性脳脊髄炎、慢性免疫不全症候群、感染後症候群、etc)を
いつまでも無視している「医者側のメリット」が全く見えてこない
いくら、とても元気そうで、外見から全く判断出来なくとも、(....このような病気は多い....)
「素人には解らない異変に気付き」、「病気を見つけ・原因を突き止め」、「治す」のが「医者」ではないか。
****「何かおかしい」と「異変に気付く」のは「人間」(患者・医者)****

(自覚症状のない段階で「機械によって」発見される病気はまだまだ”ごく一部”であることを忘れて貰っては困る)

「患者の訴え」から、第六感までをも働かせて異変を感じ取り、その原因を突き止めるのは、あくまでも「医者」あり
『医者』が「何もかも機械(検査)に頼り切る」など、全くの「本末転倒」「言語道断」であり、とうてい許しがたい。

 

「医者」は原点に立ち戻り、医療は「まず患者ありき」であることを肝に銘じてほしい
---患者は「いつもの自分」を知っているが、医者は「知らない」---

 

-----------------

 

 

慢性疲労症候群は、高血圧や糖尿病と同じく「医者が警戒しなければならない」「治療の必要な」病気である 

日本の「慢性疲労症候群」の場合、
既に、「自己免疫疾患」として分類されていることから、
「ステロイドの過剰投与で再現できる病態である」(免疫不全状態)という”認識”さえ
開業医を含め「内科医全員」が共有すれば
必要とされる「対応」(軽症には休養、中〜重症には治療)が即実現出来る段階にあり、
世界のどこの国も経験したことのない規模の「超少子・高齢化社会、人口減少」を抱える非常に厳しい状況下

”本来”「病気」の為に働けなくなっている人達や、自殺者を救済することが出来る。
「日本」という国を潰すも存続させるも、医者次第であることを覚えていてほしい
(免疫不全状態の患者を、いつまでも「心療内科の問題」で片づけていたら「どうなるか」)
「慢性疲労症候群」は、国(日本)の存亡に関わる問題であることに、医者は気付いて欲しい

 

患者数からも、内容の深刻さからも「Cランク」(#27)は理解出来ない
(「高血圧」や「糖尿病」並に、誰もが”実態”を知っていなければ「日本は」困る)
http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf


※「CRP」に関しては、
このまま絶対的に信頼していると「どうなるか」

肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 

 

 


 

 

「慢性疲労症候群」は”再発性多発性軟骨炎”の「前駆症状だった」慢性疲労症候群はなかったもの
する東大・膠原病内科の「誤った見解」に迎合していれば
(お医者様の言うとおり)、
これほど
までに、日本の医学界から、猛烈な嫌がらせは受けずに済んだ

 


----東大膠原病内科は「慢性疲労症候群の症状」を「免疫と解釈していたが、
単なる”前駆症状”「ではないこと」は、
オーストラリアの
アリソン・ハンターさんの死亡例が証明している-----

 

それでも
長年にわたる
米国インターネットでの患者ボランティア活動」を通じて
何千人
に及ぶ”世界中の”
慢性疲労症候群患者の「実態」を経験し
(.....1990年当時、インターネット上の患者団体は世界で一つしか存在せず、
文字通り「世界中の」患者・研究者が集結していた.....)
自分
の慢性疲労症候群経験おびただしい数の友人の死だけではなく、
「炎症反応(CRP)陰性の問題」
は、とうてい無視出来るものではない

 


---日本の医者は「患者団体」というと「患者の言うことだから」と本気にしないが、
大手のアメリカの患者団体は、患者だけではなく医者・研究者・弁護士
揃えている---

 

 

 

 

九州から東京に戻って3年、
東京の
医者のストレス(地方の医者の診断・治療は信じない)により介護者を病気にさせられ、
本人は未だに自治体の行う癌検診
受診する時間的余裕もない
---- 一日の殆どを休養に費やさなければならない
患者の日常生活には「優先順位」がある ----
(「再発性多発性軟骨炎」
の特質を考えてほしい。病気は進行している。環境も悪化している)

 

 

『慢性疲労症候群』は、日本の国民おろか世界中の人々の生死に関る「現実」であり
『CRP(炎症反応)』においては
、人類の存亡に関わる問題だけに、
出来ること、伝えられることは
「正確に」
伝えた
(「CRPに固執するあまり」、結核の見落としは、世界中に迷惑をかける)

 

 

慢性疲労症候群”誰でも”かかる「免疫の病気」(炎症性疾患)で、患者数が多い。
---他の自己免疫疾患同様、何らかの感染症発症後に発症するケースが多い---
(ステロイド過剰投与や大量被爆で再現できる症状)

 

 

”原発事故”の後「体調」が悪いにも関わらず「精神的なもの」(トラウマ)とされ
苦しんでいる子供はいませんか
「どの科に該当するか」という問題以前に、
その子は「慢性疲労症候群の診断基準」を満たしていませんか

 

 

-----「慢性疲労症候群」の原因は”不明”。
他の自己免疫疾患同様
「何らかのありふれた感染症発症後」に発症することが多く、
「ステロイドの過剰投与」「被爆」「ワクチン接種」「ストレス」等々でも再現出来る
『免疫』としては『ありふれた病態』であり
まず、医者がこの病気の「存在」を知らなければどうしようもない--------

 

 

 

これを読んでいる一人一人は、
「自分の身に降りかかる
生死に関わる問題
」として、
真剣に考え、行動を起こしてほしい。

 

 

もう一度伝える。
「治療法もなく、
どうしても進行を止められない病気」を抱え、
かつ、

自分のことどころではなくなってしまった人間(
介護者の発病・環境の激悪化)の「など
冷静に考えて、知れている。
この問題は「あなた」が進めてほしい

 

 

 

※ヨーロッパでは、”ベーチェット病”は「希少疾患中の希少疾患」であり、
いくら「ベーチェットに酷似した病態」と伝えても、ベーチェット病を知る医者が殆どいない

 

 

 

---日本は『免疫』のことを最もよく知る世界で唯一の国ではないのか
あれだけの犠牲者を「経験」しておきながら70年以上何をやってきたのか
実際に体験したことのない世界の医学界が何と言おうが、
経験した「日本」しか知らない・解らないことがある
”人類・生物の存亡に関わる経験”を持つ国の医学界だからこそ
「世界に貢献出来ること」があるのではないか
それ(免疫)こそが「日本の医学界の責務」なのではないのか---

 

 

 

狭い日本で「西」とか「東」とか馬鹿げたことをやっている場合ではない
自らの体験は無駄にしないでほしい
「免疫を制する技術は命を制す」
唯一無比の悲惨な体験をもとに人類に貢献してほしい

 

 

 

もう一度繰り返す
「慢性疲労症候群」は、
”ステロイドの過剰投与”や”被爆”、”ワクチン接種”、等々、でも再現出来る「免疫の病気」である
いつまでも「気のせい」「精神的なもの」「心療内科の領域」をやめ、
一刻も早く診療を開始してほしい

 

 

 

この『病態』に関して隠ぺいが非常に多い国にいくら頼っても答えが返ってこないことも覚えていて欲しい
湾岸戦争症候群患者

 

 

 

 

各国「事情」はあれど、”患者”は世界中「皆同じ」
日本(医学界)は、「本当に」出来ることはないのか

 

 

日本では、2008年、日本内科学会が正式に、慢性疲労症候群を「膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)」に分類している

晩年「慢性疲労症候群」に罹患したナイチンゲールでさえ、医者に理解されることなく亡くなった。
世界の医学界の”無理解”(無視)はそれより遥か「前」から続いており、
世界のどこかで、自分の病気が受け入れられ、実際に診療されていること」を知ることが、
長い長い年月、医学界と闘い続けている患者にとって、どれだけ励みになり、自殺を含め「失わなくてもよい命」を救うことか
http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

 



 

 

・・・「日本の医学界」は・・・
2011年、東日本大震災で起きた「原発事故」で、多量の放射性物質を浴びた人達の中に、
「慢性疲労症候群の診断基準を満たす子供たち」が存在する『現実』から目を背け続けることは出来ない。
『現実』に備え対応しなければならない”現実”を直視しなければならない。時間はない。
(「慢性疲労症候群って何?」「精神的なものなんでしょう?」はもう通用しない)

---「慢性疲労症候群」とは”ステロイドの過剰投与”や”被爆”、”ワクチン接種”、等々、で再現出来る「深刻な免疫の病気」である---

 

注:「慢性疲労症候群・診断基準」の中の「除外疾患」については、
(慢性疲労症候群は)『CRPが上昇しないから特別な病気と信じ込んでいた(いる)
世界中の「慢性疲労症候群の権威」と称する医者達が作り上げたもので慎重にならざるを得ない。
(「免疫」については、世界中が経験したことのない70+年前の被爆を含め、
経験豊富な
「日本を良く知る」日本の医師達の方が正確に判断出来る)


---いくら当時、充分研究が出来なかったにせよ、
”重度さ”や”人数”において「桁違いの」免疫不全状態を「経験している日本の医学界が、
なぜ未経験の国々
の医学界と同じようにいつまでも振り回されているのか、理解に苦しむ---

 


 

もう一度伝える。
「慢性疲労症候群」とは、
多くは「ありふれた感染症発症後」に発症する病態であり、
「日常生活に支障のない軽症」から「死亡に至る重症」まで幅広いレベルの患者を抱える病気であるが、
”ステロイドの過剰投与”や”被爆”、”ワクチン接種”、等々で再現できる
深刻な免疫の病気」である

 


-----症状は、病名の「慢性疲労」”ではなく”、
この病気の「倦怠感・だるさ」たるや、「尋常ではない」こと、
付随する他の症状も、病名が与える印象とは全く異なり深刻であることは、日本人なら容易に見当がつく
(それを医者は「気のせい」と言い、学校は「学校を馬鹿にしているから来ない」と言う)----

 


医者は「慢性疲労症候群」という”病態”を常に頭に置いて診察してほしい。
この病気は、「早期発見」「早期警戒」「早期対策」「早期治療」が必要な「本当に深刻な病気」である
患者は本当に困っている

 

特に、「子供」(小児慢性疲労症候群)の場合、
「早期発見、早期対応・治療」により、健常者と殆ど変らぬ人生を送る確率が高くなる
即刻、診療を開始してほしい



---「慢性疲労”症候群”」という”病態”を理解出来なくて、
どうやって、患者数の少ない、「再発性多発性軟骨炎」を始め”免疫不全の病態”(自己免疫疾患)を理解していくつもりなのか
日本にしか出来ない「貢献」は、ある---



日本の場合、患者団体は、殆どが「慢性疲労症候群の権威」と称する医者の患者であること非常に残念である。
患者達も、「CRPが絶対」と信じているところからは(スタートが間違っている限り)、
決して”真”には到達し得ないことに気付いてほしい

 

 

自己免疫疾患の中には、
既存の自己免疫疾患の特有症状が出る「前」に、
「慢性疲労症候群の診断基準を満たす症状」が「長年」続くことが”よくある”
その間、医者は「気のせい」と言い続け、診療もしないまま、

10年以上経過後
、別な病気の特有症状が出てから
「長年にわたる慢性疲労症候群症状の状態は前駆症状だった」と言われても
患者の人生は取り返しがつかない

 

 

一人の問題ではなく、「元」慢性疲労症候群患者で「ほかの自己免疫疾患を発症した患者間」で問題になっている(日本)

 

 

「慢性疲労症候群」が「自己免疫疾患」に分類されている以上、
医者が、「慢性疲労症候群」を受け入れ、警戒してくれれば
「次の症状」を発症する可能性も低くなり、
別な病気の発見、対応・治療も早くなる

 

 

*医者の早期対応により、「高価で危険な薬」を使わなければ生きていけない人口は減る

 

---特に、「子供」(小児慢性疲労症候群)の場合、
「早期発見、早期対応・治療」により、健常者と殆ど変らぬ人生を送る確率が高くなる---

 

 

 

 

 

おびただしい数の命・人生を返してほしい


「慢性疲労症候群」と呼ばれる“病態”の殆どは、「ありふれた感染症発症後」に発症しており、
年齢、性別、人種、職種(政治家、医者、看護師、一般職、etc.)、職業の有無に関わらず、
生きている人間全て「誰でもかかる病気」であり「みんなの問題」であることを忘れないでほしい。
世界が経験したことのない国難に突入している「日本の国」として、このままでいいのですか? 
「慢性疲労症候群はCRPが陰性だから炎症性疾患ではない」「気のせい・心療内科の領域」でいいのですか?
医者が認めない限り患者は休めない。学校・会社・社会からは「怠けもの、気儘、嘘つき扱い」される。
世界中、家族からも信じて貰えないケースが非常に多い(不登校に対する無理解や離婚)
患者の多くは軽症だが、「医者の無視」により無理を重ね
「慢性疲労症候群そのもの」を重症化させたり(死亡者もいる)
「ほかの自己免疫疾患や癌」を発症したり、追いつめられ「自殺」する患者も多い。
「慢性疲労症候群」と呼ばれる”病態”(現実)を延々と認めない「医学界」を、どう思いますか?

 

 

Co-Cure-Japan, Administrator::
*「慢性疲労症候群」
   ---発症1979(15歳)-診断1989(州立ワシントン大学)、 ほか慈恵医大(1992), 東京女子医大(2000), 目黒医療センタ(2004)ー --
*「再発性多発性軟骨炎」
   ---発症1995-診断2005(東京医科歯科大学)、ほか広尾日赤・東京大学, 日大板橋, 京都宇多野病院, 鹿児島日赤, 北九州産業医大, 順天堂大学, 東京女子医大---
*「ベーチェット病」(ぶどう膜炎アリ、完全型・特殊型)
   ---発症2001-診断2011(鹿児島日赤)、 ほか京大(消内), 北九州産業医大, 順天堂大学, 東京女子医大---

※一人に起きる現象なら「運が悪かった」で片づける。日本でも「元」慢性疲労症候群患者で「ほかの自己免疫疾患を発症した患者間」で問題になっている、「どういうことだ?」

 

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研究者が行う研究対象群の偏りによって、「あまりにも病気が重い患者は、慢性疲労症候群の枠から
外れてしまう。」「心理学的用語を好まない人々も漏れてしまう」と、ロブレイ博士は述べた。  
従って、症状が重度な為に家から出られない慢性疲労症候群の患者は、
今まで正式に研究されることもないまま今日に至っている。 

2002Sydney Morning Herald アリソン・ハンターさんの記事」より
原文

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「慢性疲労症候群」の問題は、ただの「認知度」だけではなく,
非常に重要な問題を抱えている。(下記)

1.「患者数が多いために、少数派である”重症患者”の声が、軽・中症患者達によってかき消され続けている」
2.「研究者が重症患者を知らない」(「実態」を知ろうとしない「慢性疲労症候群研究者」)

3.
「CRP陰性でも全身性炎症は起きている」(結核でも起きているように「CRPは絶対指標にならない)」

特に、他国と違い、「超少子化・人口減少」を抱える日本の医学界において
医療現場のプロ達がこの「現実」を直視し、
最優先で考え、即刻、全力で対策に取り組まなければならない、最も重要な課題の一つである。
(「CRP」は、全国民(全人類)共通の問題だけに、急ぐ)

「慢性疲労症候群」は、世界が経験したことのない超少子・高齢化・人口減少を抱える「日本」にとって
「国の存亡に関わる」深刻な問題といっても過言ではない

 

「少数派の声」というのは、非常に届きにくい。
 再発性多発性軟骨炎が良い例であるが、この病気が難病に指定されていなかった頃、理由を厚労省へ問い合わせたところ
患者数が少なすぎて声が届いていない」ということだった。「声が届かない」のが「少数派」の実態である。

慢性疲労症候群の場合、圧倒的多数の軽・中症患者が、「多数派の慢性疲労症候群患者しか診たことのない”慢性疲労症候群研究者”
とともに圧倒的な力で社会を動かし、残念ながら「少数派」である重症患者を潰しているのが「世界の現状」となっている
重症の慢性疲労症候群患者が医者に何を伝えても「慢性疲労症候群だからありえない」(死亡者が出るわけない)、慢性疲労症候群に
理解のある医師でも「L−カルニチンが効く病気」・・・重症の慢性疲労症候群患者は、L-カルニチンでナントカなる病態ではない

----多くの「重症の慢性疲労症候群患者」は、「慢性疲労症候群だから」という理由で、医師に何を訴えても症状を軽視され、
気付いた時には
手遅れの癌であったり、手遅れの自己免疫疾患であったり----

「患者活動」は、種類を問わず、個々、大変体調が悪い中、「人の為」を願い、命を削って起こす大変貴重な活動である。
ただただ社会認知目的ではなく、最も厳しい環境下に生きる「少数派の声」(現実・実態)が届く形であってほしい。
「実態」の伴わない活動は、決して「(現時点での)”正しい治療”」に結びつかない(ありえない)ことを覚えていて欲しい。
---(実態の有無は生死を分ける)---
誰にとっても限りある「命」。効率よく、大切に使ってほしい。

「CRP陰性のまま全身性炎症が起きる”現実”」を、いつまでも認めない”医学界”(内科)を許すわけにはいかない。
あまりにも大勢の犠牲者が出ている

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少数派の声が聞こえる社会であってほしい。
少数派の声が聞こえないようでは、研究にも発展にもつながらない。 医学界においては尚更である。

「CRP陰性」(全身性炎症時)の問題は、少数派の問題
でも何でもなく、「結核予防会」が発表している
「誰にでも起きている」問題であり、特に、厳しい状況下にある日本にとって、重大かつ深刻な問題である。
”教科書を重んじる医師”にとって突飛であっても、「患者」は、医師にデタラメを言い続ける余裕はない

「医者」は、患者、一人一人の声を、「もっともっと」真剣に聞いてほしい
患者に対して「もっと」真剣になってほしい。
患者は常に「命がけ」であることをよく覚えていてほしい。

「社会」は、常に、理由もわからないまま、面白がって・調子に乗って多数派に加担し、
実際に、少数派に属する沢山の患者を、追いつめ、殺してきたこと(自殺)、
大多数の一人一人が、殺人者の一端であることを忘れないでほしい。

それでも、
「CRP陰性」(全身性炎症時)の問題は、黙っていられる問題ではないことを、覚えていてほしい
---そこの「あなた」(医者)、大丈夫ですか?---


慢性疲労症候群は「症候群」である。
(「筋痛性脳脊髄炎」という”病名”は、「病気の重症度が伝わりやすい」ということから採択された病名であり、
脳脊髄炎でなければならない」ということではない

日本内科学会が2008年に「自己免疫疾患」と分類しているなら、「自己免疫疾患も含め」、
現場の臨床医達警戒心を持って、「慢性疲労症候群という病態を持つ患者」を診るようになれば、
「患者」としては大変有難い。
免疫の病気「患者数の多い病態」につき、とにかく早期発見により、「重症化を食い止める」)

日本の「自己免疫疾患」分類は、「患者の窮状を救いたい」という願いを持つ慢性疲労症候群研究者たちにとって
むしろ歓迎すべき現状ではないのか。
何故、慢性疲労症候群は、「脳」でなければならないのか。(くどいが、「症候群」である)



---この問題提起すると、「なぜ」、”必ず”、すさまじい嫌がらせや、まるで犯罪者扱いするような「動き」が出てくるのか。
 (どこから出てくるのか---早期対応による医療費削減は、政治家ならよく知っていることから、「政治家」ではなさそうである)
 「風邪や高血圧は万病の元、警戒しましょう!」と呼びかけたら、犯罪者扱いされる、と同じようなことである
  一体どういうことなのか。どうなっているのか。


  *東京に戻り”被害”に遭った2016年に明記しているが、「全身性炎症があってもCRP陰性」で最も
”困る”
人物は「誰」か。
   (東大関係者は-信じられないが-「知っていた」ことであり、煽る・黙殺した、ということはあっても困りはしない。
   普通に考えて、「同じ方向性を持つ(何が何でも研究を守りたい)同僚」が、”全国”(全世界)にいらっしゃるだろう)
 
---「あと5ミリずれていたら全麻痺だった」という事実、その後の「日常生活に大きく支障が出ている”別な不調”」を忘れて貰っては困る---

 素人なら仕方ないことかもしれないが、”自分が何をやっているか解らないまま”、ただただ、「医者だから
 医者の見方」をしている「医者」は最も理解出来ない (「考えもなしに多数派に乗っかる」、と同じ行為)

 もう一度問う。「何故、慢性疲労”症候群”の原因が”脳”でなければならないのか」
 日本内科学会では、10年以上前に
(2008年)、慢性疲労症候群を「自己免疫疾患」(免疫の病気)へ分類しているが、
 慢性疲労症候群の研究者たちは、それが不満ということか。どの患者の時間も限られている---

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出来る限り”正確にさらけ出した」(記憶”ではなく”「記録に基づく」このページの内容から、
「何が起きているのか」医師には見当がついたと思う。

巻き込まれた”「患者」、特に「慢性疲労症候群のまま重症
他の関連疾患を発症することがない)
長年適切な治療(必要時のステロイドなど)を受けられなかったため、
本当に時間がなくなっている。

たとえ軽症であっても「日常生活に支障をきたす症状」(慢性疲労症候群の診断基準を満たす)を抱え、
社会・家族の理解を得ることも出来ず、非常に苦しんでいる
(追いつめられ、自殺者も多いことは前述した)

どの病気でも「こじらせればどうなるか」、医師であれば、繰り返し説明せずとも理解して頂けると思う。

日本内科学会では、2008年、正式に、慢性疲労症候群を「自己免疫疾患」(免疫の病気)へ分類している
http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

慢性疲労症候群は誰にでもかかりうる病気であり、一刻も早く診療体制を整え、診察を開始してほしい。

 

 

患者数の多い慢性疲労症候群に対し「必要時ステロイド処方」というと、「易感染者が増える」ことが真っ先に懸念されるので
あろうが、実際のところ、慢性疲労症候群患者「QOLの為の治療を必要としない軽症者」も多く、 「免疫抑制患者が増える
かもしれない
からという理由は決して「診察しない言い訳」にならない

(手遅れや悪化をふせぐため医者が全力を尽くすべき問題)


 「免疫抑制=易感染は患者側も
大変で、夏の暑い時期もマスクを外すワケにいかず日常、マスク習慣のない欧米の患者達は
 「怪しい人」と疑われても
懸命に耐えており、仕方ないとはいえ、キツイ・コワイ
 実際、感染症で沢山亡くなっており「もっと効果のある安全な薬はないものか・・・」
 全世界の自己免疫疾患患者、共通の願いである


膠原病内科医の現状は、既存の患者を診るだけでいっぱいであり、全く余裕がないことは熟知しているが、誰でもかかりうる
裾野の広い「慢性疲労症候群」であるからこそ、膠原病内科医に限らず、「内科の病気として」、ナントカ、
「慢性疲労症候群を診る
体制」を整えて貰いたい。

「全員が全員、自己免疫疾患か」と問われると、違うケースも含まれているかもしれない。(「症候群」である)。
医師全員が「慢性疲労症候群を真剣に警戒する」。 まず、そこから始めてほしい。

 

 

[慢性疲労症候群]
別称「筋
性脳脊髄炎」「慢性免疫不全症候群」と呼ばれている病態で、「ステロイドの過剰投与」で再現出来る。

 

 

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「CRP」が信頼性に欠けることは、ある程度、医師の間で知られてきている。 臨床医側にとって困った問題ではあろうが、
「CRP絶対視なしに、どうしたら良いのか」という問題は、「全ての症例は、教科書通りにはいかない」と同じような問題で
それこそ、「臨床医」の「技術の問題」ではないのか。

長期間・広域にわたる自然災害の多い日本において、「検査しか信じられない医者」ばかり揃えて、どうするつもりか、
という深刻な課題にもつながる


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「出来る時に、出来ることを、出来るだけ」 
必要時には追記を繰り返す
予定ではあるが、ボランティア活動には限りがある。
日本に限らず、世界中の慢性疲労症候群患者の皆さまには、このページの内容も参考にして頂ければ幸いです。

Co-Cure-Japan
Administrator:Rika Kageyama


15歳(中学3年生)。抗生剤が全く効かない「頚部リンパ節腫脹」(どんどん大きくなる)。
「十中八九白血病」とのことで、「生検」(頸部リンパ節)に
至り、(白血病)「ネガティブ結果」後、外科がステロイド(プレドニン)投与。外科医の指示通り服用を続け、リンパ節腫脹が小さくなった事を確認後
小児科にカルテがまわされた。初診でカルテの内容を読むなり、小児科医が「子供の免疫にこんなに大量のステロイドを投与したら、何が起きても
おかしくない!」と激怒したほどの『ステロイド過剰投与』から「慢性疲労症候群」は始まった。
----1970年
当時の日本製のプレドニンは非常に質も悪かった----
日本では一貫して「気のせい」との事だったが、発症から10年目、アメリカ留学直後「慢性疲労症候群」の診断がついた(州立ワシントン大学・大学院)。
その後、日本でも同診断。


「慢性疲労症候群」しか分類の出来ない(該当しない)病態は、その後、1995年まで「約20年間」続き、1995年、最初の「再発性多発性軟骨炎」
の症状が出た(高熱を伴う耳介軟骨炎。CRP陰性のため内科医が緊急血液検査を2度繰り返したが2度ともCRPは「陰性」だった。有名な耳鼻科
専門病院にてステロイドで治療
)。その後、耳介軟骨炎は年に数回繰り返していたが医者も患者も「慢性疲労症候群」と信じていた。
「再発性多発性軟骨炎」の診断がついたのは、再発性多発性軟骨炎発症から10年後の2005年(軽度の聴力低下や耳介軟骨崩壊、ほか)
軟骨炎の診断より前に、「針反応」や「原因不明のにきび、ほか」、から「ベーチェット病を診断した経験のある医師」に「ベーチェット病」を疑われ
ていた (後に「完全型、特殊型」に発展)。
CRP陰性の為、ベーチェット病の診断も発症から10年かかった

※ 東京の医者は、二言目には「アメリカ医療はいい加減だから」と言うが、”州立ワシントン大”はノーベル賞学者を多く輩出する大学で、
   当時は「慢性疲労症候群のメッカ」と呼ばれていたほど研究が進んでおり、「診断の正確さ」から、世界中から患者が来ていた。
   また、「医師の質」も、残念ながら、日本とは比べものにならないほど高レベルの医師が揃っており、「誤診ではない」。

※ 上記と同じような道をたどる患者----長年「慢性疲労症候群」しか分類出来ない(該当しない)病態が続き、その後、ほかの自己免疫疾患や
   癌などを発症----は、日本にも多数存在しており、”慢性疲労症候群”は医師が「警戒すべき病気」「治療を必要とする”免疫疾患”」であり、

   決して、心療内科領域の病気や、単なる前駆症状ではない (「慢性疲労症候群のまま死亡する患者」が多数存在する)

※ 自己免疫疾患(膠原病内科)患者には「この”異様な倦怠感”は何?」という症状を持つ患者が多く、「慢性疲労症候群の症状を理解出来る」。 
   「症候群」であり、他の疾患にも共通する症状であろうが、医者は「出来ることから」行動に移してはどうか。
   「明らかな病気」(病人)を、いつまでも放置し続けるほど、日本には、時間はない。
   日本にとって、「患者数の多い疾患」は「社会問題」であることを忘れないでほしい----(「信頼性に欠くCRP」の問題も絡む)



「慢性疲労症候群」を”経験”している「患者達」は、何十年にわたり、「さまざまな形で」、
自分達の命を削り、必死で、「医者達自身やその家族にも及ぶ危険性」を伝えて続けている。
「患者達の声」は届き始めている。 『死ぬな』(自殺)

 

 

一向に届かない慢性疲労症候群の中でも「少数派」の声、日本にとって「切迫した社会問題」(患者数が
多い疾患の”実態”、CRP信頼性を欠くCRP)を伝えたところ、充分調査をすることもなく「そんなハズない」
とか、
およそ科学者とは思えない言葉とともに、医者から激しい嫌がらせを受け続ける。
(”CRP”に関しては「結核予防会」の報告があるのだから自分で確認すればよい) 

     ----「結核予防会」は「世界的機関」で「人類の存亡に関わる病気(結核)を専門に扱う」。
        ”同機関が担う責任”(各国)は、大学病院など個人レベルではない----

日本の「医者」はどうなっているのか。検査会社の「手先」なのか。何か特殊な宗教団体なのか。

「医者業」とは、「まず患者(患者の報告)ありき」であることを、未来永劫、絶対に忘れてほしくない

 

「医者のミス(過剰投与)」が原因で起きた病態でも、一部、まだ「気のせい」「信じない」「認めない」と
言い続ける”医者”が存在する「医学界」に何を伝えても無駄ではあるが、
”科学”の「考え方」を教えて下さった、故・糸川英夫先生(東大・ロケット工学)の言葉を再度お裾分けする。
科学が宗教であってはならない』 



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ナントカしてほしい。
世界が経験したことのない困難(超少子高齢社会+人口減少)を抱え、
広域・長期間にわたる自然災害の多い”日本”で、
これまでの「検査一辺倒」の臨床を続けていては、もたない


 *誰でも罹りうる 「慢性疲労症候群」の患者は他の”
自己免疫疾患など”と同様「免疫不全状態」にある
   (・・・ステロイド過剰投与で再現出来る--”病名”は別な話--)

 *「CRP」は「信頼性に欠く」

 *「臨床医」には「高い”臨床技術”」が必要 (検査読解術だけでは無理)

 

 

患者数の少ない患者さんへ。

患者数の多い病気から患者数の少ない病気は「わからない」。
(例えば、慢性疲労症候群を経過した自己免疫疾患患者には「慢性疲労症候群」を理解出来るが、
逆はあり得ない)。
ごくごく稀に、体調が良いと感じる時など”錯覚”を感じることがあっても、近隣の医者から全く理解を
得られない環境にいる患者は、常に「敵」に囲まれていると同じであることを覚悟し、”自分”に集中してほしい。
(病気を理解して貰ったからといって病気そのものが治るものではない)

医者から「認めない」と言われた患者は、”その瞬間から”、人生が変わる。
これだけは、患者数の問題ではない。
「検査しか信じない内科医」に病気を否定され人生が狂う(命を落とす)人間はごまんといる。


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<病名について>
特に”難病”の場合、医師がつけた馬鹿げた名称で患者が非常に迷惑を被ることが多い。
(「もやもや病」、後に「ウィリス動脈閉塞症」が有名)。
「慢性疲労症候群」もその一例で、医師がつけた病名は何も表していない(慢性?疲労??症候群???)
実際、慢性疲労症候群にはいくつもの「別称」があり(筋痛性脳脊髄炎、慢性免疫不全、ナイチンゲール病
などなど)、「患者の日常生活に最も貢献する名称」が多数決で選ばれた結果「筋痛性脳脊髄炎」が採択
されたが、現実は、陪検で脳神経に炎症が見つかった患者もいる一方(
イギリス・公式)、ベーチェット病や
ほかの自己免疫疾患同様「症状が全て揃っており重症患者にも関わらず一般検査に全く異常が見つからない
ケース」が大多数で、自己免疫疾患の分野から見れば、慢性疲労症候群特有の現象ではない。
感染症(結核)でも同様のことが起きている。 ”免疫”(自然)にとって、人間が作った検査など「それがどうした?」

*炎症物質とて、CRP一つではない。
(実際、CRPが一貫して陰性の間、「SAA」(血清アミロイド蛋白A)は治療に応じた形で上昇している。)
繰り返す、「炎症物質はCRP唯一ではない」。SAAが陰性でも他の炎症物質が存在する。「検査」とは、そういうもの。
そろそろ、迷惑な「CRP一辺倒・絶対信奉」はやめませんか?


  日本の慢性疲労症候群の研究者と、その取り巻き(共感者)たちは、「神経免疫学」という新たな分野を
  作っているが、「風邪は万病のもと」が全てを言い表しているように、”免疫不全状態”は、「感染・ステロイド
  過剰投与・ワクチン・被爆・ストレス」など様々原因で起きる「ごくありふれた現象」であり、神経が原因の
  病態でもない。
  「免疫と神経」の関係は「膠原病内科(自己免疫疾患=免疫不全)専門」の医師達がよく経験して知っている。

  
(一部の”神経ベーチェット”のように所見が全くないのに激しい深刻な症状が出る、時には死亡する)

  「神経免疫学」設立により「慢性疲労症候群から解ること」が「神経ベーチェットなど自己免疫疾患の神経症状
  にも役立つのでは」という発想に問題があるのではない。
  重大な問題は、”日本の”「慢性疲労症候群研究者」が「日本内科学会の分類(慢性疲労症候群=自己免疫
  疾患)を無視した」という点にある。(2008年、日本では”日本内科学会”が正式に「慢性疲労症候群」を
  ”自己免疫疾患”として分類したにも関わらず、2013年、慢性疲労症候群の診断基準改定時に、同研究者
  
達は、何故、「自己免疫疾患」を「鑑別疾患」にしたのか)

  ・・・[除外すべき主な気質的疾患・病態、#3.「リウマチ性、および、慢性炎症性疾患:(例SLE,RA,
    
Ö
gren症候群,炎症性腸疾患、慢性膵炎など」]・・・ 
  
    ※SLE,RA,S
Ögren症候群は自己免疫疾患の代表的な疾患
慢性疲労症候群の診断基準



  殆どの患者は「生活」がかかっている。(命がかかっている)。時間がない。
  いくら「CRP陰性」という問題があったにせよ、膠原病内科医の中には”CRP陰性”に対し理解を示す医者もいる。

  
患者は「2008年から診察・治療を受けるチャンスがあった」にも関わらず、「慢性疲労症候群の”専門”
  と称する医者達が、そのチャンスを潰した」(2013年に「自己免疫疾患を”鑑別疾患”」とした)。
  『どういうことだ』

  「膠原病内科(自己免疫疾患=免疫不全)専門医」の数が少なく、「少数派」の声が、医学界全体に充分届いて
  (聞こえて)いない。また、「膠原病内科(自己免疫疾患=免疫不全)専門医」の中でも「CRP絶対信奉」が大多数
  であり「聞く耳持たず」ということが大きな要因であろうが、「それでも」、日本の慢性疲労症候群の研究者たちは、
  「まったく患者の立場に立っていない」。(患者は研究者の出世道具ではない。本末転倒も甚だしい)




「慢性疲労症候群」という病名は「もやもや病」(ほか)より「もっと」ひどく社会に誤解を与えるため(「疲労」なら
「俺も私も疲れている!」)、死亡者が出るほど深刻な病気に対して全くふさわしくなく、”病名変更”は絶対に
必要であり、その病名は「筋痛性脳脊髄炎」でも「ナイチンゲール病」でも何でも、「治療に結びつく」「社会から
理解を得られる病名」であれば「医者にとって」何でもいい。(「医学的に突拍子もないもの以外」、かつ、
「患者の日常にとって都合が良い」のであれば、医者にとって”病名”はどうでもよい)

医者にとって最も大切なポイントは、(病名はどうであれ)、その病気の実態が「何であるか」(治療に直接結び
付く)。このページで懇々と述べていることは、「慢性疲労症候群」(あるいは筋痛性脳脊髄炎、慢性免疫不全、
ナイチンゲール病)は「”日本では”、自己免疫疾患に分類されている(2008)」。

強い権力を持つ「検査絶対信奉の内科医達」が、「自己免疫疾患であれば、炎症反応(CRP)が上昇しなけれ
ばならない」「xxの抗体が上昇しなければならない」(xxでなければならない。xxであるハズ)と主張し続ける
ため混乱が一向に収まらないのであろうが、『どの検査にも絶対はない』(CDC)。人間はロボットではない。
(機械でも”システム異常”の場合原因が解らないことが多い)

「炎症反応(CRP)」については、10年以上も前に、「感染症(結核)専門医達」(免疫の専門家)から「信頼性
に欠く」と指摘されているのにも関わらず、東京では延々と「全身性炎症や、炎症の度合いでCRPが上昇なけ
ればならない」と信じている医者が大多数(2008年以前から「CRP」を絶対視していなかった西日本に対して
「西日本医療はいい加減だから」など)。
「もはや、そういう時代ではない」と伝えると、患者や家族に(SNS経由で近隣周辺住民にとどまらず日本中・
海外の患者まで巻き込み)激しい嫌がらせを続ける。
狭い日本で「西」も「東」もない。

これが「世界で経験したことのない”超高齢・少子化・人口減少問題」と「広域・長期間にわたる自然災害を
頻繁に抱える日本」で実際に起きている「内科」医療現場の”実態”である。
海外からの読者はよく知ってほしい。


”日本の”「慢性疲労症候群」の研究者に関しては、日本に研究班が発足した1991年当時から見ているが
「一貫性がない」(その時々でブレる)。
「発足当初」(木谷照夫班長・阪大血液内科)は純粋なものであったが、
班長交代以降 (倉恒弘彦・関西福祉科学大etc,etc.)、そのうち「予算」、「患者が選んだ病名に合わせる」。
この次は何ですか。

 


              --------------------------------------------


「病名に変更について」

※1.実際、患者団体の要望で病名は変わることが多い:たとえば、かつて「分裂病」と医者が名付けた病気は
今では「統合失調」と呼ぶ、など、「病名変更」は、脳の病気に限らずある程度頻繁に起きている

 

※2.「医者が名付けた”迷惑な”病名の変更」については「患者数の多い病気」が圧倒的に有利。
どの分野・世界でも、「数」が圧倒的にものを言う社会では「患者数」は大きい。(患者数の少ない病気からの
声は「聞こえてこない」「患者数の多い”大多数”がかき消す」)
----過去「慢性疲労症候群」に関して「免疫不全状態」と気付いていた医者も沢山いたが、長年にわたる騒動
を見ていて「勝手にやってろ」「患者と研究者がお好きなように」と見放されたのも仕方ないように感じる。(何を
どう説明しても「慢性疲労症候群は”特別な現象”であり、免疫不全にとってごくありふれたもの、などではない!」
・・・まるで宗教のようになっている。)
環境・病状が切迫している患者には騒動に巻き込まれている時間がない。急いでほしい。
患者にとって「自分が免疫不全状態であること」を知ると知らないでは、「手術」の際、命に関わる


※3.この「免疫不全状態」(慢性疲労症候群)は、ちょっとしたきっかけ(感染・ステロイド・ワクチン接種・
被爆、ストレス、等々)で「誰にでも起きうる現象」(免疫にとってありふれた現象)であること、
血液・画像を含め、どの検査も「絶対ではないこと」を覚えていてほしい

 

日本内科学会は、2008年、正式に「自己免疫疾患」へ分類しているが、
現実問題として、「慢性疲労症候群」(免疫不全状態を抱える)患者は「どこ」(何科)を受診すれば良いのか。
「慢性疲労症候群の権威」と称される医師が治療出来ない、深刻な症状を抱えた患者が沢山いる。
患者は一体
どこへ行けば良いのですか』 
(厳密には治療法がなくとも、患者には「生活」がかかっている。
ナントカしなければならない


 
---2008年、日本内科学会により正式に「自己免疫疾患」へ分類されていたにも関わらず、倉恒ら「研究班」は、
    
「免疫不全の病態」に対して、2013年の診断基準改定時、(CRPが陰性だから)「自己免疫疾患」を
    「鑑別疾患」として患者に深刻な混乱を与え、誤った診断基準(2013)により特定の患者以外は「置き去り」
    となっている。そもそも、治療が必要な重症患者に対して、倉恒に「免疫抑制治療」は出来ない。
    (患者ではなく「研究者に合わせた」診断基準改定とも言える。いくら「膠原病リウマチ科(自己免疫疾患
    専門科)」が「CRP陰性」を理由に拒否しても、「患者のこと」を考える研究者なら、”日本内科学会の分類”
    を無視してまで、自己免疫疾患を「鑑別疾患(除外疾患)」にはしない---

    
※ 「発足当初の研究班」(木谷照夫班長時代)の研究員、故「内田温士」教授(京大・免疫)は、
    ”当時から”「免疫の病気」(免疫不全)として「治療」を試みていたことを忘れて貰っては困る
    1996年(頃)に内田教授が亡くなり、班長が倉恒に交代後、(2013年の「意味の解らない診断基準改定」を含め)
    現在(2019)までどれだけの年月をかけているのか。その間どれだけの数の患者が犠牲になってきたか。

    故・内田教授:「慢性疲労症候群研究」の一部・・・薄黄色の背景の部分(ページ中ほど)



「慢性疲労症候群」(免疫不全状態)は「感染・ステロイド過剰投与・ワクチン接種・被爆、
ストレス、等々、等々、等々」がきっかけとなって発症する
「誰でもかかりうる病態」。
世界が経験したことのない深刻な問題を抱える日本の場合、これ以上、労働力や人口を減らしている余裕がない。
ナントカして貰わないと。急ぐ。「患者はどこに行けばいいのですか
(特に「画像・血液検査すべて陰性」の患者)

---くり返すが、「免疫不全」という状態は、さほど特殊なものではない。
”誰でも手軽に使える”、”免疫を抑えない”(一見、免疫に直接関係のない、ホルモンのようなもので)
「免疫不全に対する治療薬」は出来ないものか。
免疫を強力に抑え込むことにより症状は「ある程度」抑えられるが、免疫抑制は「あまりにも危険」
(治療により、感染症で死ぬ方が多くなっている)。ナントカならないものか---

 


ここで扱っているテーマは、「病名」ではない。

このページの”免疫不全”は「状態」のことで、あなたがインフルエンザの予防注射の問診で「免疫不全と言われたことがある」
という箇所の「はい」に○をつけ、”主治医の許可なく予防注射を受けることが出来ない”「体の状態」のことである。
(自己免疫疾患の患者は全員「同じ」であり驚かないでほしい (免疫が「不全」状態にある))
---慢性疲労症候群が「免疫の病気」(免疫不全)ということは、免疫不全状態にある人は実は「多く」「誰でもなる」---

「全身性炎症疾患における炎症反応(CRP)陰性」は、「慢性疲労症候群が脳の病気だから特別」”ではなく”
「結核」でも起きている「ありふれた現象」 (信頼性に欠くCRP)・・・「現実」は教科書どおり「ではない」


   海外の「血管炎」患者には(激しい嘔吐症状で)
   「血液検査・画像検査(x-ray, scan)では「まったく」異常がなかったが、本人(息子)がどうしても納得せず、
   ”どんなリスクがあってもかまわない”とする承諾書にサインの上、「開腹」したところ、”腸の半分が
   壊死していた”(薬がマスキングしていたのかもしれないが・・・)」という例もある。<検査では解らない
   アリソン・ハンターさんが「ベーチェット病("血管炎"に属する病気)に酷似した病態で亡くなったこと」を忘れないでほしい
   
最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった)


 

 

 

+++++このページ(リンク)に名前のある亡くなった友人たちの症状は「脳の病気」だけで説明出来ないものが多い。

   (血管に炎症を起こすことにより、神経に症状が出たり炎症が起きることは、自己免疫疾患(膠原病内科)など
    "免疫不全"に属する病気を扱う医師の間では「当たり前」のこととしてよく知られている
   「脳だけに炎症を起こすタイプ」と「全身タイプ」の線引きは”難しい”(脳は臓器の一部))


 
友人たちや、自分・自分の家族のような犠牲者を出さないために、「何もかも検査任せにしない、
 検査に振り回されない、(検査を「使いこなす」)”高い臨床技術"を持つ内科医療」が、一日も早く
 実現することを切に願っています(高い臨床技術を持つ内科医は少数だが存在する。絶望しないでほしい)
+++++




 

  20年以上前に、同じ研究班員(京大・故内田博士)が「免疫不全」を指摘しており(当時、倉恒も同研究班員)、
  いくら、ある程度の証明に時間がかかったにせよ、「免疫の病気」(免疫不全)が「どういう病態であるか知っている医師」であれば、、
  ”膠原病内科医の態度がどうであれ”、2013年の診断基準改定で「自己免疫疾患を除外疾患(鑑別疾患)にする」など「あり得ない」。
  『免疫の病気を知らない医者』が率いる「日本の慢性疲労症候群」には”不安”しかない。



   20数年前に、「免疫の病気」と指摘されていたにも関わらず、自分たちの都合の良いように、
   診断基準改定時(2013)「自己免疫疾患」を"除外疾患"にしてみたり(都合の悪いものは排除しようとしてみたり)。
   慢性疲労症候群を取り巻く世界は「一体何をしているのか」というのが率直な印象である。
   「20年(以上)」という年月は、研究者にとってキャリアアップに充分な年月であっても、
   「患者」にとっては、文字通り「致命的」な年月である。


   「最初の指摘から”20数年経過して”、やっと、免疫の病気」。いずれにせよ「遅い」。
   患者さんには、「ちょっとおかしい」と感じたら「免疫」を専門とする医師に相談してほしい。
   ようやく知られつつあるが、”慢性疲労症候群”と呼ばれる病気は、いくつも存在する別称が示すよう、簡単な病気ではない
   (沢山亡くなった)。


   特に”子供の”場合、「自分ではどうしようもないレベルで体調に大きな異変が起きているのに、
   どうしても医者に伝わらない」(医者から叱られる、嘘つき扱いされる。子供の間は「生きること」が”恐怖”と化す)
   ---大人になってからの医者の「信じない」「嘘つき呼ばわり」は「あほか」「馬鹿ばっかり揃いやがって」
     で済むが子供はそうはいかない。ナントカしてほしい

                           ・・・・・・・・・・・・・

   Alisonは、強制収容所を体験しているようだったーそこで侮辱と残酷な扱いを受け、
   尋常でない身体的苦痛を味わっていた。」

   ---シドニー・モーニング・ヘラルド紙、545日週末版---
 
  ニュースレビュー37: 医学ジャーナリスト、 ジュリー・ロボサム氏

     >原文<    

 


 

<「診断基準」について>

通常、「慢性疲労症候群」は、”脳神経症状だけではなく”、「全身症状」を伴う(リンパ節腫脹、発熱、体重減少など)。
先日
「免疫の病気」と断言した小平の国立精神・神経医療研究センターの診断基準には「全身症状がない」
---「また」診断基準を書き換えたということか。同センターは「権威」だけに影響は大きい

全身症状を伴わない「脳の炎症」があるなら、「全身症状を伴わないケースがある」とすれば済む。
「原型」がわからないほど診断基準が「変わる」というのは、大きな混乱を招く。
膠原病内科が対応出来る状態であっても、同センターの診断基準では、膠原病内科医が診断できない。
「患者が」大変な不利益を被る

(「見て解る症状」を持つ患者なら良いが、現実問題として、自己免疫疾患の「脳神経症状」と「全身症状」の
線引きが難しい患者が多い
。脳神経内科だけでナントカなる病気とは思えない。診断アプローチは複数あってほしい)

どういうことなのか。『何の為の診断基準なのか』



日本の慢性疲労症候群は(初代研究班長から交代後)、くるくる診断基準を変「え」るリーダーが率いており(倉恒)、
「今現在、どの診断基準のことを指しているのか」「これからどう変えるのか」「既に変えたのか」知らないが
慢性疲労症候群が「免疫の病気」という事実は、1991年、日本の研究班発足当時から指摘されており、
2008年には、日本内科学会による「自己免疫疾患」への位置づけもある。
「日本」は欧米とは全く違う。日本は、欧米では非常に稀な病気「ベーチェット病」の患者が多く、その中の
”特殊型”の一つ「神経型」をよく知る(経験する)専門医が多い。一般内科医でも「知識」として知っている。
倉恒らは、「日本内科学会」の位置づけが間違っていると言いたいのか


  発足当初の慢性疲労症候群研究班員には「膠原病内科医」(自己免疫疾患専門医)もいたが、班長が倉恒に変わってから、
  「”膠原病内科的に”あまりにも議論が出尽くした古い話題」---例えば「マイコプラズマ」を---延々と
  議論している慢性疲労症候群研究班に業を煮やし、怒ってやめてしまった (マイコプラズマはもういい!)。
  その後、もう一人膠原病内科医が研究員として入ったが、やめた
 
  
また、慢性疲労症候群を説明する時、慢性疲労症候群の関連医は「免疫系異常、内分泌異常、自律神経系障害」
  という表現を使うが、これも、自己免疫疾患の分野では聞き飽きるほど古くから指摘・議論されてきた問題で、
  慢性疲労症候群だけに起きる「特別なもの”ではない”」


---班長があまりにも「聞き入れない」ため、膠原病内科からソッポを向かれた経緯がある---
(1)周囲がどれだけ手を差し伸べても聞き入れない--たとえば、2008年、日本内科学会による「自己免疫疾患」への
  分類に対し、2013年、診断基準改定時「”自己免疫疾患”を除外疾患とした」
(2)「免疫系異常、内分泌異常、自律神経系障害」と表現しながら、同じ問題を持つ「自己免疫疾患」は”除外疾患”だという。
(3)1991年、慢性疲労症候群研究班が発足した当初から「免疫の問題」(免疫不全=免疫の病気)と指摘していた
  ”故・内田博士”(京大)の見解は、亡くなったからか、意味がよく理解出来なかったからか「無視」 
(・・・”意味”がわかっていれば、後に「自己免疫疾患」を”除外疾患”とすることはない。


マスコミを通じた情報では、あたかも、倉恒らが、孤軍奮闘で、証明してきたような印象を与えるが、
日本」では、10年以上前(2008)に「日本内科学会」が「免疫の疾患」(自己免疫疾患、免疫不全の一種)と
位置付けている。
(「慢性疲労症候群」はベーチェット病ではないが、日本の専門医には見当がつく) 
倉恒らは、診断基準改定時(2013)、「自己免疫疾患」を”除外疾患”としたが、「日本内科学会(2008年)
の分類(自己免疫疾患)」は、間違っているのか。答えろ。
 「免疫の病気」に関しては、
1991年・慢性疲労症候群研究班発足当時の指摘から「28年」、
2008年・日本内科学会が「自己免疫疾患」に位置付けしてから「10年以上」経過している。
「患者の時間」(命)はとり返しがつかない。


2013年の診断基準改定は何なんだ。
改正内容は「日本ほど、ベーチェット病の経験がない国」の診断基準に準じている。


「日本は欧米とは違う」ということにも気付かなかったというわけか、わざと無視したというのか。
「日本」を信用していないのか、したくないのか、知らないのか、知ろうとしないのか、
日本の慢性疲労症候群は、内田博士が亡くなったあと、日本内科学会も無視し、「ヨーロッパ路線」を基盤に、
「独自の研究」に没頭した。(「日本内科学会」無視、ということは、「日本の患者」を無視したことになる)

”病名”ではない。
日本内科学会の位置づけを無視してまで、「診断基準」を
「日本ほどベーチェット病の経験のない国」のものに
変える必要性があったのか問うている
(論点は、「それが”日本の”患者の為になったのか」にある)

 

  死亡者リストの「その後」(2003年以降)も、海外では、慢性疲労症候群の死亡者は続いており、
   2008年、
日本内科学会の位置づけ「自己免疫疾患」があった時点で、すぐ、
   日本の慢性疲労症候群研究班が”自己免疫疾患”として「国内の診療体制」を整え、
   「自己免疫疾患であること」「日本では診療を開始したこと」を世界に知らせることが出来ていれば
   命を落とさずに済んだ人達も沢山いる。
   ---実際は、「日本でも」、診断基準を改定してまで、
”自己免疫疾患”を「除外疾患」に指定した---
   日本は、この病気の見当が全くつかない国ではない。
どういうことなのか。
   
   (
おびただしい数の亡くなった友人たちを返せ)  
 
  「診断基準の変遷」を見る限り、日本の慢性疲労症候群を牽引している研究者が「わかっている」とは思えない

 


 ・・・くり返すが、「”慢性疲労症候群”に限って」、欧米と日本の状況は「全く」違う。
  (欧米、特にヨーロッパーでは「ベーチェット病(血管炎の一種)」は”非常に”稀な病気で、専門医でも、
 
 殆ど経験がなく「知らない」。
  一方、「日本」では、専門医達は「ベーチェット病には”特殊型”が存在すること」(腸管、血管、神経)、
  慢性疲労症候群と症状が酷似している「神経ベーチェットがどういうものか」経験を有する医師が多い。
  「慢性疲労症候群」はベーチェット病ではないが、日本の専門医には「どういう病態か」見当がつく。
 
 (日本では欧米ほど死亡者を出していない)

 

 ※欧米が遅れている、という意味「ではない」。欧米(特にヨーロッパ)では、ベーチェット病の中でも、
   更に患者数の少ない「特殊型」まで経験のある医師は「非常に」少ない。
   「知らない医者」が大騒ぎしているところで(欧米)「超少数派の意見は聞こえない」

 

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病名のことではない。社会認知活動のことでもない。
このウェブサイトで一貫して問うているのは、
「”日本の医者”から見て、”日本と欧米は全く条件が異なる”にも関わらず、
「欧米に”同調”した診断基準の変遷」(自己免疫疾患除外)について、どういうことかと尋ねている。
---「ベーチェットを知らない欧米と同じようにゼロからやって、時間がかかりました」というわけか

  日本の研究班発足から「28年」経過している。その間、「日本では」、1991年(発足当初)に故内田博士の指摘
  (”免疫不全”=”
免疫の病気”の意=自己免疫疾患を含む)、2008年には日本内科学会の「自己免疫疾患」
  の位置づけがある。
  どこをどうすれば、診断基準(改定)にある「自己免疫疾患を除外疾患とする」という項目が生まれるのか。
  繰り返す。”最初の指摘”から「28年」たっている。2008年には、日本内科学会が「自己免疫疾患」へ正式に
  分類したにも関わらず、倉恒らは、2013年、診断基準の改定時「自己免疫疾患」を「除外疾患」にした。
  どういうことなのか。
  「”日本”の慢性疲労症候群」を、研究班発足当初から長年見てきたが、どうしても腑に落ちない。
  「終わり良ければ全て良し」という問題ではない。
  日本内科学会が「自己免疫疾患」へ正式に分類してから、先日(2019年11月)の「国立精神・神経医療研究
  センター」のコメントまで「10年以上」経過している。その間、「日本では」患者を救済できた
  『何の為の診断基準(改定)なのか』



※ 「子供の慢性疲労症候群」には、”膠原病内科”が対応出来る症例が多いので、気を付けてほしい。

  大人でも、脳神経科より、膠原病内科の方が適している患者もいる。
  2008年、日本内科学会は、「自己免疫疾患」に分類している。

  
CRPは全身性炎症の指標にはならない
  
脳神経科でしっくりこない患者さんは、根気よく、膠原病内科の医者を探してほしい



 

・・・・”研究者が行う研究対象群の偏りによって、「あまりにも病気が重い患者は、慢性疲労症候群の
枠から外れてしまう。」「心理学的用語を好まない人々も漏れてしまう」と、ロブレイ博士は述べた。
 
従って、症状が重度な為に家から出られない慢性疲労症候群の患者は、今まで正式に研究されることも
ないまま今日に至っている。”
 

---シドニー・モーニング・ヘラルド紙、545日週末版
ニュースレビュー
37: 医学ジャーナリスト、 ジュリー・ロボサム氏
より---

 

[日本の場合]
小児慢性疲労症候群が「小児膠原病内科」でお世話になることが多いように、大人でも、運よく、理解のある膠原病内科医(自己免疫疾患専門医)
に巡り合えた患者は、経過観察・何らかの治療を開始しており、二度と慢性疲労症候群関係には関わらない (正式に研究されることはない)
慢性疲労症候群発症・長年経過した後、ほかの自己免疫疾患を発症した患者も、二度と関わらない (正式に研究されることはない)
どちらものケースも、”慢性疲労症候群の診断”を「誤診」として非常に怒っている患者が多い
(診断基準で「自己免疫疾患は除外疾患」となっている限り、患者の誤解は避けられない。
神経ベーチェットが理解・治療出来る環境にある”日本の場合”、自己免疫疾患を除外疾患とする「診断基準」がいかに混乱をまねき、
患者に迷惑をかけているか、慢性疲労症候群の関係者はよく知ってほしい。「日本と欧米とは環境が違う」)

 

 

   慢性疲労症候群の死因は、「陪検で神経に炎症が見つかった患者(イギリス)・直接死因は脱水(尿生成不全)」だけではなく、
   「死亡者リスト」にも陪検を行ったケースがあるように、非常に「多彩」である
   この「脳神経症状を主訴とする”血管炎”のような病気」に対する「診断基準」をしっかりしてくれないと、医者も患者も対応出来ない。
   (血管炎が原因で、実際、神経に炎症が起きることは、自己免疫疾患を扱う医師にはよく知られている)

   国立精神神経医療研究センターのもの含め、「慢性疲労症候群」の「診断基準」について。
   (原型がわからないほど改定されている)
   これだけ、大きな変遷を見せる「診断基準」を相手に、患者はどうすればよいのか。

   1.日本では、日本内科学会が”10年以上前(2008)”に「自己免疫疾患」へ位置付けており、
     国立精神・神経医療研究センターでも「免疫の病気」としているなら、まず、さっさと「診療」を開始してほしい

   2.同時に、「誰でもかかりうる・患者数が多い病気」である限り、研究する側の”ひとりよがりな診断基準”ではなく、
     膠原病内科医(
自己免疫疾患専門)も含む、「医者なら誰でも理解・納得できる診断基準」を整えてほしい
     (患者が最初に相談する医師は「開業医」であることを忘れないで欲しい



   
日本の患者は10年以上待っている。いつまで待たせるつもりか
     ---少なくとも「脳神経症状を主訴とする血管炎のような病態」を持つ「日本の患者」は10年以上待たされている
---


     
(全身性炎症が絶対にないという証明はどうすれば良いのか。CRPは本当にアテにならない
     
「体重減少やリンパ節の腫れ、微熱など」は「全身症状」ではないのか。
     慢性疲労症候群に「全身症状」が伴ってはいけないのか。検査に出ないそれらの症状は「全身症状」とは言えないのか?
     ”
既存検査”で陽性ならなければ「存在しない」のか。本末転倒ではないのか(患者の症状より「検査」が全て

      再発性多発性軟骨炎右記CRPに関する記載は不十分//関節症状に関しては疑問RAではない破壊・変形のように
      
免疫が軟骨を主に攻撃する病気を持っている以上、免疫が脳神経を主に攻撃する」という表現は理解できるが、
     再発性多発性軟骨炎でもどの自己免疫疾患でも
免疫は「それだけ」を攻撃するわけではない。
     (再発性多発性軟骨炎の場合、「軟骨を材料として出来ている
     体中の臓器(呼吸器など)以外に、
「軟部組織」であればどこでも攻撃する

     
軟部組織の一種「血管」に炎症が起きた結果、聴覚神経や脳神経にも炎症が起きる血管炎に属するの場合、症状は非常に多彩)
     少なくとも、慢性疲労症候群の患者の多くは「全身症状」を伴っている。(脳神経は主訴だが、それだけが症状ではない)
     「”このタイプの患者”が患っている病気」に対して
「全身症状を除外した診断基準」とはどういうことなのか?


     
最大問題は、偏った研究に沿った患者のみ”が”慢性疲労症候群である”強引に結論付けようとしているところ」にある
     (全体を見ない・見えていない・見ることが出来ない「視野狭窄」の研究者たちには「唖然」とするともに「戦慄」すら感じる)
     
---診断基準の原型がわからなくなるほど「改定」する連中には何を伝えても「伝わらない」---
     「たった一つしかないかけがえのない命」「たった一回しかない患者の貴重な人生」を犠牲にしてまで、
     いつまでも何をするつもりか。(患者の何を見ているのか。気の毒だが「見えない者」には「一生見えない」)

     もともと「症候群」だけに巾は非常に広い。
     繰り返すが、「日本では」、2008年、日本内科学会が、正式に、「慢性疲労症候群」を「自己免疫疾患」に位置付けている。
     (「何らかの全身症状を伴う患者の方が多い。脳神経症状だけ」で全身症状を伴わない患者だけではない

      今の研究者たちの方向性は「現実離れ」も甚だしい。ナントカしてほしい。

 ----疑問を感じる診断基準には共通点がある。「患者無視・切り捨て」(研究者の都合の良い・ラクな方向性に書き換える。まったく現実的ではない
    日本はいとも簡単に診断基準を書き換えてしまうが、彼らは「現実」と、肝心な目的
患者救済を忘れていないだろうか----



---全身症状を伴う”「脳神経症状を主訴とする血管炎のような病態」を持つ「日本の患者」は10年以上待たされておりもう待てない---

 

   ”慢性疲労症候群”は、10年以上も前に、日本内科学会により「自己免疫疾患」へ分類された病気であり、
   最近、国立精神・神経医療研究センターでも「免疫の病気」という見解が発表されている。
   『全体を見ようとしない研究者に振り回されるのはもう十分。
   「誰でも罹りうる患者数の多い疾患」であることから、即刻”、開業医も含め、この病気の「現実」に即した診療体制を整えてほしい。
   患者は10年以上我慢した。これ以上「もっと待て」とは言わせない。


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非常に心配している。
「原型を留めないほど
診断基準を変えた」ということは、2008年当時、診断がついた患者でも、
今、診断がつかない
(治療対象から外れる) ということある。

・「脳神経だけ」で片付かない、”全身症状を伴う患者”は、「ステロイド過剰投与で再現可能な病態」を持つ。
---脳神経症状(神経の炎症を含む)、かつ、全身性炎症からくる激しい消耗・倦怠感は尋常な病態ではない---


そもそも、自己免疫疾患を除外疾患にする、など、ワケのわからない診断基準。(CRPが信頼性に欠く検査であるにも関わらず
全身性炎症よる脳神経症状”は認めず、何がなんでも「脳の病気」として分離したい。一貫して「聞く耳は持たない」)
”日本”(内科)は、日本内科学会が「自己免疫疾患」に分類した「2008年当時の診断基準」を元に、CRPの件もふまえ、
(内科の)「慢性疲労症候群の診断基準」を
洗練させることは出来ないのだろうか。

「明らかに脳神経症状だけの患者」はそれで良いのかもしれないが、長年経過後、芋蔓式にほかの自己免疫疾患を発症する患者が多く、
「脳神経科」「内科」の線引きが非常に難しい。
「”現在”可能な治療の有無」をチェックする意味でも、患者に選択肢を残すことには意味がある。
「脳神経内科が扱うことになるらしい」「じゃ知らない」”ではなく”、
「全身症状を持つ慢性疲労症候群患者の為に」
膠原病内科独自で診断基準を持っていてほしい

---多くの慢性疲労症候群患者が憧れを持つ「リツキシマブ」(ノルウェー・治験は、日本の神経内科で使われている薬ではあるが、
   患者の政治的な働きかけにより「最短」となっても「今すぐ」というわけにいかず、
   また、んな薬も「全員」にかない分子標的薬/生物製剤を含め「免疫抑制」そのものに限界がある。
   しかし、日本で長年「ベーチェット病に対して行われてきた膠原病内科の治療経験)を参考に出来る日本の患者の環境は、
   西洋のものとは違う。(日本では、西洋ほど、慢性疲労症候群の死亡者を出していない)---


ナントカしてほしい。
日本には、寄り道をしている時間がない)
これまで、慢性疲労症候群を診ようとしなかった内科には、責任がある。



患者の皆さまへ

”全身症状伴う慢性疲労症候群「だけ」の病態が長年続いた後、「新しい症状」が出ても、
ほかの自己免疫疾患を発症していることに”気づかないことがある”

...慢性疲労症候群発症後
15年目に、「再発性多発性軟骨炎」の初発症状出現(発熱+耳介軟骨が赤紫に
大きく腫れる、CRP陰性---内科医が驚いて緊急2回実施するも陰性)、耳鼻科専門病院にて(珍しい病気

ため診断には至らなかったが)「自己免疫疾患の可能性」ということでステロイド治療(PSL 30mg/day、1カ月
服用後漸減
、中止)。
その後、同症状は年に数回出たにも関わらずが
深く考えもせず気にもせず、
「慢性疲労症候群の症状の一部だろう」


慢性疲労症候群発症から
20年目、皮膚科にて「紫斑」(上前腕)--押しても消えない、体調によって増減するが
決して消滅することはない--を指摘されたが意味がわからず。
(当時の内科医も自分自身も「慢性疲労症候群の症状だから大したことない」
「慢性疲労症候群の症状の一部
だろう」
と考え、膠原病内科受診の発想は全くなかった)。

その後も、ベーチェット病を診断した経験のある近医から「注射時の針反応」からベーチェット病を疑われたが、
診断に必要な全症状が揃っておらず、その時も「慢性疲労症候群だからそんな深刻な病気であるハズない」
「慢性疲労症候群の症状の一部だろう」


「”全身症状を伴う”慢性疲労症候群」が「自己免疫疾患」であることを知っていれば、もっと早く膠原病内科を
受診できた。
日本の研究者によれば、
慢性疲労症候群は「脳の病気」
(自己免疫疾患は除外)とのことであるが、
患者の方々には、十分に気を付けて頂きたい。


>>
よく質問されるのが、上記患者(ステロイド過剰投与原因)は、”ME筋痛性脳脊髄炎)”の診断基準を
  満たすのか?」

>> 「慢性疲労症候群」の診断基準は、「筋痛性脳脊髄炎」であれ「どの年代」の「どこの国の診断基準」であれ
  「全ての項目」(すべてのこうもく)を満たす。 

「ベーチェット病」「再発性多発性軟骨炎(McAdams')」の診断基準も「すべての項目を満たす」(前者は特殊型)


 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

上記のように長年慢性疲労症候群だけ」の症状が続いた後、「自己免疫疾患」を発症する患者、
「癌」を発症する患者(日本でも「手遅れで死亡」)存在することを忘れてはならない。
---いずれのケースの患者も「医学界の対応」には非常に怒っている---

”前・現主治医”のような「患者第一主義」の権威もいるが、「医学界における権威の殆ど」は患者のことは二の次」。
(「患者を自分の枠にはめようとする」。マスコミ・医学界・政治・患者、何でも使い、自分の路線から外れるものは除外する)

 「患者数」が多く、誰でもかかりうる病気は、医師も例外ではなく、罹患確率は高い(実際に存在する)。
「慢性疲労症候群の患者」は、ひたすら、自分の命を守ることに集中し「自分に合った医師」を見つけてほしい。

 

研究班発足以来、長年にわたり何度も「現場が動いていない」と報告したが、一貫して「自分たちは”一生懸命やっている」(倉恒)
病気の研究が自己満足であっては困る。「免疫不全」の病態から「自己免疫疾患」を除外疾患としたら、本来動き出す現場も「動けない」
(脳だけではなく、自己免疫疾患、癌、など、幅広く、「免疫の病気」として研究してほしい病気。ナントカしてほしい)

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^   


繰り返す。
全ての混乱の根源は、「医者のCRP絶対信奉にある」と言っても過言ではない。(患者より「検査」)
医者の「CRP絶対信奉」のために、どれだけ患者が損害・被害をこうむっているか。
医者には、「慢性疲労症候群騒動」を通じて、よく知ってほしい。

※実際、CRPが一貫して陰性の間、「SAA」(血清アミロイド蛋白A)は治療に応じた形で上昇している。

 CRPは、「CRPだけとっても」(SAAとの比較なしでも)信頼に値しない
 ・・・「感染症の場合」、インフルエンザでは若干上昇したり、(ウィルスに反応するかと思いきや)、
 帯状疱疹には全く反応せず(陰性)、ほかの急性ウィルス感染では白血球だけ上昇して反応しない、
 細菌感染にも反応しない。何もないときに若干上昇している (最後は「タイミングの問題」としても)
 「一人の人間に対して」、殆どは上昇せず、ごく稀に、気儘に、”若干”上昇したり・しなかったり、
 規則性のない、この検査の「どこ」を「どう」信用しろというのか。
 ---「一貫して、上昇しない」というのなら、まだ信用出来る-----

 自己免疫疾患(免疫不全)だからか、と思いきや、
 結核予防会は2004年に「CRPは信頼性に欠く」と発表している。
 結核は「自己免疫疾患」でも「免疫の病気で脳の病気」でもない。



「炎症物質はCRP唯一ではない」。
もし、CRP、SAA共に
陰性でも他の炎症物質が存在する。
「検査」とはそういうもので、「病気」とは”検査ありき”「ではない」(まず「患者ありき)。
いつまで、迷惑な「CRP”一辺倒”・”絶対信奉”」を続けるのですか?

CRPは自治体の検診にも使われている。
素直に、医者のもくろみ通り反応する患者もいるが、結核で同じことが起きるのであれば、
「相当数の患者」が、全身性炎症に対して「偽陰性」を示していることになる。
そんな検査を「絶対視」していて日本を守れるのですか 
肺結核における炎症反応の意義」(2004)


 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


「西洋医学」(全般)として見た場合、日本は、(一部の外科手術以外)、西洋に比べて、2−30年遅れている。
ただ、「病気」は、「世界中同じではない」(地域性がある)
日本の内科はおかしい。「再発性多発性軟骨炎」のような「西洋が強い病気」に対して「日本の微々たる経験のみ」
で診断基準を変えてみたり、「慢性疲労症候群」のような「日本が強い病気」に対して、”日本”を見ずに「経験の
殆どない西洋」を”そのまま”輸入したり。
もっと冷静になってほしい。何の分野でも同じだと思うが、特に”病気そのもの”は、「何もかも西洋でもなければ
何もかも日本でもない




ただ、こと「免疫」に関しては、日本は世界で唯一、原爆被爆を経験した国であり、どの国も経験したことのない体験を持つ。
未経験の世界の医学界には受け入れられないことが多々あると思うが、日本には「筆舌に尽くせぬ悲惨な経験から学んだこと」
を世界に伝える「責務」がある。
(それが出来てこそ、「犠牲者達の無念・地獄のような体験」を、ようやく”平和と希望”につなげることが出来る)

道のりは大変厳しく険しいであろうが、何にもまして「免疫」
だけは、世界で唯一の犠牲者を「命がけで」背負い、
なり振りかまわず「命がけ」で
研究し、根気強く世界に伝え、
「命がけで」世界に貢献してほしい。
これ以外「史上最悪の殺人兵器」を「平和」にまで昇華させることが出来る手段はない。
犠牲になった方々は、何ものにも代えがたい、最も貴重で大切なことを数限りなく教えてくれている。
決して無駄にしないでほしい。


 

・『免疫の病態について、世界一豊かな経験を持つ「日本の内科学会」では、
008年、正式に「慢性疲労症候群」を「自己免疫疾患」として位置付けている。
(日本での受診科は「膠原病内科

「CRP」は信頼性に欠く検査である。
 「慢性疲労症候群は炎症性疾患ではないから診察しない」と言われたら、
それは間違った認識を持つ膠原病内科医であり、
「炎症性疾患である慢性疲労症候群」として診ることの出来る膠原病内科医を探す。

 


 

他の自己免疫疾患や、特に「癌の発症には、とにかく気を付けてほしい
(見つかった時は手遅れが非常に多い)
----ナンデモカンデモ「慢性疲労症候群の症状」”ではない”----


 ”脳にしか炎症が見つからない患者”は、「全身性炎症がないとは言い切れない」
ことから
(炎症反応=「CRP=C Reactive Protein」は信頼性に欠く。炎症反応は一つではない)
「自分がどういう症状
(刻々と変わる)を抱えているか」”患者自身が冷静に把握し”、
医者は患者の報告を真剣に受け止めること(医者の「あり得ない」など言語道断)


慢性疲労症候群患者
中程度以上は「治療」が必要
日本では今すぐ「リツキシマブ
というわけにいかない状況
であり、(研究も大切であるが)、
患者も医者も「どうすればなんらかの治療に結びつくのか」、現実を
よく考えてほしい。

   
---世界中の患者に考えてほしい
   のページに書かれていることは決して”日本ファースト・自国第一主義”「ではない
   むしろ「世界の風潮を大変憂慮している」
   世界中の「ME」患者は、「CRP(C Reactive Protein) を「絶対的基準」と考え、
   誤った方向「全身性炎症はない」信じ込んでいるのではないか?!??
   病名のことではない。
非常に心配している


  
あなたの国では、”全身性炎症が「明らかに」存在しない確認”をどのように行っていますか?

   「自己免疫疾患」の原因はEBウィルスやヘルペスだけではなく、明らかに細菌の場合もある。
   ”自己免疫疾患の抗体”など「教科書通り」ではない。(教科書通りの方が少ない)
   ”サイトカインとの関連”といっても「Low IgG (200台)」でさえ「症状とは何ら関係ない」

   「既存の、あるいは新しく発見される血液検査に出ないから」(データ)という理由で、
   ”自己免疫疾患”殆どが「脳の炎症が原因」なのですか


  *「ゼロ歳児の自己免疫疾患発症」(特異的な検査方法がない)はどう考えるのですか。
   (「胎児の段階で、あるいは、生まれて1年以内に、
全身症状関係なく”脳だけ炎症”」ですか)


   繰り返すが、”自己免疫疾患”は、「ウィルス」(latent viruses)だけではなく「細菌」や「ストレス」「怪我」でも
   「ステロイド過剰投与のような”薬剤”」でも、起きる。(免疫応答も様々)

     "
自己免疫疾患”の「大多数」は、(抗体とかなんとか言っているが)、
          「各病気に特異的な検査が存在しない」
---


      
......白血球ばかりターゲットにしても限界がある......




冷静なって
「もう一度」、”慢性疲労症候群で亡くなった友人たちの声”を聞いて欲しい
『これらは、本当に、「全身性炎症」(全身症状)を伴わず、”脳だけの炎症”で起きることなのか』
---医者としてどう見えますか?---
死亡者リスト

 

注:ここで取り扱っている「慢性疲労症候群」は、現在日本で研究されている「慢性疲労症候群」
 (「脳に炎症がある患者だけ」ピックアップした研究)と全く同じ病気であるが、日本の研究者たちは
 「全身性炎症」を”診断基準”で否定しており
 --(
ベーチェット病の経験が殆どない国々による
 性脳脊髄炎の診断基準に準じ「全身性炎症を除外)--
研究の恩恵を受けることが
 出来ない
患者が多い

 ---元々の研究は「全身症状を伴う病態(の調査)から始まっている---

  ・
神経ベーチェットがそうであるように、「画像検査に出る患者」「出ない患者」が存在する。
  「どちらも」存在するのであるが、
慢性疲労症候群の場合
、「解りやすい患者」しか研究されることなく、
  多くの患者が困っている。

  検査に出るタイプは「一目瞭然」(見りゃ解る)。「検査に出ない患者」の方を研究して貰いたいものである


 このHPで取り上げている「
慢性疲労症候群」(全身性炎症を伴い、脳神経症状(脳炎のような症状)を主訴とする病態)は、
 日本では、「10年以上前」(2008年)、「日本内科学会」が”自己免疫疾患”として位置付けており、
 日本の慢性疲労症候群研究者の路線から外れた患者でも、医者を見つけることは可能ではあるが、

 ベーチェット病が非常に稀な国々では、どうなるのか。

 --”争点”は、「倉恒らの研究は、研究を継続するにあたり、診断基準を変える必要性は全くなかった」ということにある。
    おびただしい数の犠牲者について

   くり返すが「病名変更」のことではない。 「診断基準」そのものを「ME」(繊維筋痛性脳脊髄炎)のものに変えてしまうことで、
   「もっとも困っている患者」(重症・自死・手遅れを含む)が無視されることとなり、研究そのものが核心から大きく外れる。
   (慢性疲労症候群の「ごく一部の解明のみ」となる
   後々、「mislead」という大きな問題に発展しないよう、「診断基準」に関しては、 各国(診断基準を変えていな国々)、
   政治活動を行っている患者も、慢性疲労症候群に関わる医師達も、よく考えてほしい

   
既存の検査に異常が出ない」というだけで「”慢性疲労症候群”から”全身性炎症”を排除する行為は医師として本当に正しいのか
   死亡者リスト


CRP(炎症反応)に関しては
未だに、自治体の検診で「全身性炎症の有無を判断する検査
として使われており、
医師側に「正しい認識」(信頼性に欠く)が、行きわたっていない
(CRPが正常だから全身性炎症はない。「何もないです」)
・・・鹿児島から東京に戻った2016年、何が起きたか、忘れて貰っては困る。

     「CRP(炎症反応)が上昇しない限り何も信じない」を貫いた日本で最も影響力の強い日本を代表する膠原病内科権威
     「CRPが陰性なら、大学病院で全身の検査を受けない限り開業医は紹介してやらないと言った医師会」
     
「CRP陰性」に関し大騒ぎになり患者が命を落としそうになっていることを知っていながら、「東大病院入院中一貫してCRP陰性だったこと」を
     一切
伝えなかった東大病院関係者(当時教授入院中の主治医3人----東大医学部を含めいずれも現・医学部教授」---
     ※彼らは、CRP、およびCRP陰性について研究しているわけではない。

     (CRPの件)「ポリシーが違うから他を探せ」と追い出した近隣の消化器内科などなど。
     おかげで、未だに内科の「かかりつけ医」(近医)がいない
     (主治医は、都内といえども、遠方の大学病院教授。慢性疾患の管理は、かかりつけ医の力が大きい)、
     何より、「医者達がかけた異様なストレスによる環境の激変(介護・介助者の必要な患者が「介護・介助する側」へ)
     結果「取り返しのつかない症状発現」「止まらない症状

 

全ては「患者の報告をしっかり聞かない」(医者の言うことしか信じない)「医師の姿勢」(日本医療の体質:患者不在医療)から起きている。
「世界に例のない厳しい社会を」抱える日本の「内科医療現場」がこのままで良いとは思えない



心配は尽きないが、ここにある情報が少しでも役立つことを願いつつ、
とにかく、理解のある良い医者に巡り合えることを心から祈る。

明年こそ、健康を取り戻せる年でありますように


令和元年12月27日
Co-Cure-Japan, Administrator

1979「ステロイド過剰投与」から慢性疲労症候群発症
---15歳、抗生物質が効かない、「高熱を伴う頸部リンパ節腫脹
    十中八白血病」で生検)「陰性」確認後、大量のステロイド投与(外科)。リンパ節腫脹が小さくなった後、回された
    小児科医がカルテを見るなり「子供の免疫に、こんなに大量のステロイドを使ったら、何が起きてもおかしくない!」
    
「外科と内科では薬の知識が違う!」と診察室(親子の目の前)で激怒1970年代の非常に質の悪い日本プレドニンであった---
1995:再発性多発性軟骨炎
2001:ベーチェット病 (特殊型)



 

<<日本医学・医療>>

日本では「西洋医学」を「完全に使いこなしている」と錯覚している傾向が強いようであるが(一見そのように見えるが)、
西洋医学』というものは「日本の文化」にとって非常に「遠い文化」(西洋文化=異文化)を基盤として成り立っており
その
「土台の部分」
を成す「宗教・哲学(死生感、ものごとの捉え方など)は、日本のものと比較した場合
真逆の方向性を持つものが多い

「土台」が全く異なるにも関わらず、 日本では、医学において「技術的に追いついてきた」、あるいは、「一部、(西洋より)
秀で
技術が存在する」ことから、マスコミなど「”日本”だけ見た”自画自賛報道”」も手伝い、あたかも全てが
西洋と全く
同レベルになったかのような勘違い」助長され、今、日本では、医者も患者も混乱しているように見える。

 

ここで取り上げているものは”制度”の問題「ではない」


決定的
に「違う」点は


1. 「医」は、何よりまず患者ありき分野であり、
2、「健全な医」は「患者」「医者」「研究者」の立場が”対等”でなければ成り立たない

   医学の世界も「人間の営み」の一つである以上「一般業種」と同じであり、   
   最も良く知っているのは”現場”
「病気を実際に経験している患者」、「患者の報告に対して真剣に対応している臨床医」)であり、
   
「現場の報告」により「研究者」が動く
   ---研究者だけで発見されることも多いが、そもそも、医学はまず研究者ありき「ではない」---   


  欧米社会では、上記考え方(「まず患者ありき」「患者・医者・研究者は対等」)
欧米人自身気付いていないほど
  「空気のように」当たり前として存在・機能しているが、異文化を土台に持つ「日本」は、常に意識してなければ
  「似て非なるもの」
(「まず、お医者様ありきの医療」や、「まず研究者ありきの医学」)と化してしまう
 

昨今では、研究畑にいる(研究が得意と自己評価している)医者から「XXは臨床医だから(信用出来ない)」というような
言葉をよく聞く。
現場無視・軽視)
一般から考えても「本末転倒」であること。このままでは永遠に「健全な医学」到達しないことは誰もが直感すると思う


「患者・臨床医・研究者の関係」は、その中の誰が偉いのでもなく(研究者が偉いのでも、医者が偉いのでもなく)、
「患者・臨床医・研究者」が”対等の立場に立って情報交換を行う、この「正しい循環」がない限り、
(一般業種と同じように)、医学」は成り立たないことに、日本の患者・医者・研究者気づいてほしい。   


『人間(自然の一部)は、人間が作ったもの(機械)ではない』
「臨床医」として、特に大学病院、現場に立つのであれば、「病気は”自然現象”であり、人間ごときが完全に
理解出来るレベルのものではない」ということも、肝に銘じてほしい。
メカニズム十分に解っていない病気に対して「xxでなければならな
・・・「CRPが上昇”しなければならない”」「抗体が陽性
でなければならない等々)
「自然現象」を少しでも理解するには「まず”よく知ろう”とすること」ではないのか。

以前、大学病院勤務の医者から実際に聞いた言葉であるが「医者は患者を信じない」そうである。
経験者である患者から学ぼうともせず、教科書や論文を振り回して「あり得ない」は、医者として「あり得ない」

また、日本では「難病患者」を、”治療もせず”「実験動物」のように長く入院させるが、これも「主客転倒」であり、
西洋では「理解出来ない」 (日本の大学病院での、難病患者の「実験動物扱い」は海外でも非常に悪評が高い。
筆者も過去に経験があるが大学側は「いつまでも入院していていいですよ。ただ治療はしません」と言う)
西洋では医者はまず「(患者の為に)治療しなければならない」「治療の為の(患者の為の)入院」。
難病患者は、研究の為の観察用モルモットではない


現在の(日本の)「本末転倒医療・医学」は論外中の論外。
異なる哲学を土台に持つ欧米先進国の医療・医学と比べ、まだまだ呆れるほどトンチンカンな「日本医療・医学」ではあるが、
今後の”日本医療
・医学”は、「世界が経験したことのない困難を抱えるからこそ」
世界で唯一の原爆被爆経験を持つ国であり、「全身性炎症や様々なトラブルの宝庫である高齢者」
世界が経験のないほど多く抱える社会だからこそ
その「強み」をいかして、「普遍的な技術レベル」に到達するほど発展してほしい。


  --”臨床”も「技術」の一種。「高齢者が教えてくれる”技術”」は若い世代にも有効に働く何より、人間誰しも平等に
  トシをとる。世界中、同じ問題を抱えている。なんでもかんでも
「トシのせい」で済ませている場合ではない
  「既存の検査に異常が出ないから、全身性炎症は存在せず全て脳の炎症が原因」で片づけている場合ではない--

  (世界が経験したことのない難しい時代に突入しているからこそ自分の能力に合わせた「片づけ医療」からは、
  ナニガナンデモ脱却してほしい



どの分野も「普遍的なレベル」に到達する為には「高い技術力」なくしてなしえない。

ノーベル賞分野だけでなく
”臨床分野”も、「学校レベル」や「技術の為の技術」で満足するのではなく、
「世界中どこにもない、ずば抜けたレベルの医療を創りあげる」べく、「臨床技術」を含め、”医学に関わる
一人一人「技術」“芸術レベル”にまで到達するよう一生き続けてほしい。

政府は「そのために、どうしたらよいか」考えてほしい技術を「単なる技術」のまま終わらせるのはもったいない)
---
余程、臨床技術レベルを向上させない限り、日本は難しい---


「CRP陰性」で大騒ぎするような、(二言目には「”今の検査は”昔のものと違って”わかる”」断言するような)
臨床医が「今のままの臨床技術」を続けている限り、日本には明日がない。
非常に難しい社会に直面しているからこそ、「今後の日本医学・医療」に期待したい

 

-------------

誰でもかかりうる”「慢性疲労症候群については、
筆者のように、「ステロイド過剰投与」により、「どの国、どの年代の診断基準でも
”全
項目満たす病態」を発症する(再現出来る)
「高い臨床技術を持つ医師
・免疫を熟知する医師にはハッキリ見えている病気である。
1991年、日本の研究班発足当初から、京大・内田温士博士を始め、欧米にも”見えていた”医師が多数存在する)
--故・内田教授:「慢性疲労症候群研究」の一部・・・薄黄色の背景の部分(ページ中ほど)

慢性疲労症候群の専門家でなくとも、(感染症の専門家でも)、慢性疲労症候群を正しく見ている医師は沢山いる。
気が正しく見えていない限り、正しいメカニズムの解明と正しい(根本的な)治療法には結びつかない。

脳の炎症よる疲労だけではなく、--インフルエンザや癌などから想像がつくよう--
全身性炎症疾患の”疲労”」(倦怠感と消耗)たるや、すさまじい
脳炎のような症状と疲労」に「全身性炎症疾患の疲労・消耗」が重なった病態は、筆舌に尽くしがたい
沢山の友人が命を落としたまず「診て」ほしい死亡者リスト

  --自己免疫疾患で「血管炎に属する病気」の「脳神経症状」を併発している患者達は同症状をよく知っている--
  (
一部誤診があるにせよ「死亡者リスト」が示すように、全身性炎症なしでは説明がつかない・あり得ない現象
起きている。日本の研究班発足時(1991年)当時世界的な免疫学者であった「故・内田温士博士(京大・教授)」は
  「こういう免疫では長生き出来ないのではないか」と日本の新聞にコメントしたほど深刻な病態である。
  現・慢性疲労症候群関係者で「笑う」人間は脇に置いて、「本当に困っている患者」が受診した時は、参考にしてほしい

        故・内田教授:「慢性疲労症候群研究」の一部・・・薄黄色の背景の部分(ページ中ほど)
        
慢性疲労症候群研究班発足当初からの研究員にであった内田博士が早く(1996年頃亡くなったのは、本当に残念であった。



        ※1. 
冷静に、医者としてどう見えますか?
        これら(下記)は、本当に、「全身性炎症」(全身症状)を伴わず、”脳だけの炎症”で起きることですか?
 
        死亡者リスト


        ※2. 
アリソン・ハンターさんが「ベーチェット病("血管炎"に属する病気)に酷似した病態で亡くなったこと」も忘れないでほしい


           「最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった
        ---
シドニー・モーニング・ヘラルド紙:アリソン・ハンターさん」の記事--- 原文
           著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト)


       

   
同じ病気でも患者を活用し研究者が派手に活躍している病態だけではなく、研究研究対象に合わない病態のために
   
取り残されている「本当に困っている患者」に注意を向けて診てほしい

  

日本では、2008年、正式に「膠原病類似疾患=自己免疫疾患」に分類されている 
(
「分類の正式年は同学会へ確認済み。2008年当時の主要な膠原病内科のメンバーに尋ねたい。
「いい加減な分類をしたのか?」)

日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

---西洋と比べて、”ベーチェット病”の経験がケタ違いに多い日本では、死亡者こそ少ないが
多くの患者が、「長年慢性疲労症候群だけの病態」から”ベーチェット病”を始め
治療法のない
他の自己免疫疾患」(難病)、及び「癌」を併発。取り返しのつかない人生を送っている患者が多く
「慢性疲労症候群の”診断基準”」から「全身性炎症疾患を除外疾患とした”日本の慢性疲労症候群研究者”
(倉恒ら)」に対し「大変」怒っている
一体どういうことなのか。どうしてくれるのか。まだ生きているからマシ黙ってろと言うつもりか
---


  *倉恒らは「世界で初めて”薬の開発”」と大々的に報じたが、全身性炎症を持つ慢性疲労症候群患者
  慢性疲労症候群」の診断を得ながら研究者に相手にして貰えない患者達)も「期待」している。
  日本内科学会が慢性疲労症候群を「自己免疫疾患(免疫系疾患)」に正式に指定したのは「2008年」。
  慢性疲労症候群研究班(倉恒ら)が慢性疲労症候群の診断基準を改定(全身性炎症疾患を除外)したのが「2013年」。
  ”日本の”慢性疲労症候群診断を持つ患者は、”当然”「一般の膠原病内科医(自己免疫疾患専門医)より、
  慢性疲労症候群専門家(倉恒ら)の方が良く知っている」と考え、倉恒らを信じた結果、他の自己免疫疾患や癌を
  発症したことを、(倉恒らは)片時も忘れて貰っては困る。
  我々は「自己免疫疾患だけではなく、癌も治療できる薬」が出来ることを「当たり前」と期待していることを覚えていてほしい


  *慢性疲労症候群」は、死なない病「ではない (たくさん死んでいる)

    日本では、「ベーチェット病」(圧倒的に患者が東洋に多い。シルクロード病とも呼ばれる病気)に対して
    豊富な経験を持つ膠原病内科医が多いため、「ベーチェット病に酷似した慢性疲労症候群」の”幸運な患者は、
    発症してからどこかの段階で膠原病内科が診る・受け入れることが多く、幸い沢山の死者を出していないが、
    ベーチェット病が非常に稀な西洋では沢山死者が出ている

    西洋の医学が劣っているからではなく、「患者数」(医者の経験)に関してはどうしようもないところで、
    東洋に患者が多い病気もあれば、同じ自己免疫疾患の中でも「再発性多発性軟骨炎」のように(発症率は同じでも)
    
西洋の方が相対的に患者数が多い病気もあり、「西洋が何もかも一番良く知っていなければならない問題」”ではなく”
    「お互い様」である。”病気”という「自然現象」に関して「患者数が多い現地の医者」が一番良く知っているのは
    当たり前のことで、誰にでも想像がつく

   ---ベーチェット病の場合、患者数に地域差がある理由について「遺伝子」という説が強いが、遺伝子だけで説明がつかず、  
    「環境要因」も非常に大きいとのことで、実際のところはよく解らない。
    ただただ「患者が沢山いる土地の医者は、患者数の少ない土地の医者より良く知っている」。それだけのことである---


   「慢性疲労症候群」の問題は、政治問題でも何でもなく、直接「命」に関わる非常に深刻な問題である。
   ”日本の患者”は、倉恒路線(全身性炎症疾患は除外」「脳だけの炎症が原因)に照らし合わせ
   自分の症状(病状)をよく観察し、少しでも「おかしい」と(違和感を)感じたら、積極的に膠原病内科医を探してほしい
   『命に関わる病気を放置する医者は、基本的に存在しない
   
(今になっても、慢性疲労症候群を真剣に診ない膠原病内科医がいたら、相手にする必要はない。さっさと医者を変える)




  *”日本内科学会”は、2008年「正式に」慢性疲労症候群を自己免疫疾患にカテゴライズし、その後も今日に至るまで
  病気の位置づけを動かしていない (途中でウロウロ全身性炎症を除外したりせず、一貫している)


  *「慢性疲労症候群」は「誰にでもかかりうる病気」であることだけは忘れないでほしい
  (地球上の人間「誰も」が警戒する必要性のある、悪化させると死に至る病気
  -死亡者リスト
  -シドニーモーニングヘラルド紙:アリソン・ハンターさんの記事


日本の場合、(非常に珍しいケースではあるが「慢性疲労症候群」では)、
欧米の患者とは違い、研究者が主張する路線以外に選択肢がある(膠原病内科)
---選択肢が多くなって文句が出るのは慢性疲労症候群くらいである---
研究者に一生を捧げて給料が出るわけでなし、患者は、医者や研究者に一切遠慮することなく
「自分必要な医療」を受け、一日も早く社会復帰してほしい。
どの患者も「生活」がかかっている。”医者の都合”に巻き込まれていると、あっという間に「終わってしまう」。
人の一生は非常に短、取り返しがつかないこと、医者や研究者の都合より「あなたの命・人生」が最優先であること
よく覚えていてほしい (手遅れになる「前」に、”臨床の上手い医者”を見つけて、一刻も早く治療を開始してほしい

  ※
慢性疲労症候群の研究者は「これから薬の開発(世界初!)
    ・・・”今すぐ”治療が必要な重症患者達」には間に合わない。日本では門戸が開かれている(膠原病内科)



『何の為の診断基準改定なのか』

 日本の研究班発足から「28年」経過している。
その間、「日本では」、1991年、発足当初、故内田博士の指摘(”免疫不全”=”免疫の病気”の意=自己免疫疾患を含む)、
加えて、2008年には日本内科学会の「自己免疫疾患」の位置づけ(患者の受け皿)がある。
日本では」”10年以上前”から患者を救済できた

日本内科学会が”世界で初めて”「自己免疫疾患」へ正式に分類した(正式に患者の受け皿を創った)、「その5年後」
倉恒らは、2013年、診断基準の改定時「自己免疫疾患(全身性炎症疾患)」を「除外疾患」にした。
---
検査(CRP)がどうであれ、明らかに全身性炎症疾患
土台に持つ患者が大多数---
どういうことなのか。

一般検査に異常が出ない、傍目にも解らない病気を持つ患者は、どこに行っても追いつめられてい
何十年も放置され続ける患者は、あらゆる面で疲弊している。
その患者を「さらに」追いつめる「その病気の研究者」とは一体ナニサマなのか
同じ病気でありながら自分の研究対象に合わない患者は「自殺しろ」ということか

   関節リウマチにも血検査に異常が出ないタイプがあるが(seronegative)、
   その患者に対して
   専門家達は
「全身性炎症はなく、関節にだけ炎症が起きる」と言ったり
   
「診断基準を書き換える
」(全身性炎症を除外)などということは行われない。

   --自己免疫疾患には炎症反応を含め血液検査に異常が出ない患者はよくいる検査が全てではない)
     自己免疫疾患だけではなく、感染症でも同じことが起きている(CRPが全てではない)--

   
”慢性疲労症候群”の場合、日本内科学会だけではなく、倉恒らも「自己免疫疾患」と言う。にもかかわらず、
   
慢性疲労症候群だけ「血液検査に異常が出ないから全身性炎症疾患は除外する」とはどういうことなのか。
   
患者救済の意味なら理解できる。が、「日本の場合」、”受け皿”は診断基準改定の5年前につくられている
   2013年の診断基準改定のために、「日本の患者更に苦しめられている)

   
何の為の診断基準改定なのか
   「全身性炎症が存在しないという根拠」は一体何なのか(CRPは全てではない)


***「研究者の研究から外れた「全身性炎症を持つ慢性疲労症候群の患者」は、
結局、
今後も医者からまともな対応を期待出来ず、現実は何十年前と全く変わらないかもしれない。
--倉恒らは、医学関係者に「自分が正しい」と猛烈にアピールし続け、
「医者しか信じない」「実態を見ない」医者は、相変わらず
、「医者しか」信じない--

ここまで至るにおいて、日本内科学会が、世界に先駆け、2008年に「自己免疫疾患」に位置付けてから
 「CRPが陰性だから」という(
実に下らない)理由で、慢性疲労症候群の患者を診ようとしなかった
「膠原病内科」にも責任がある。
--今や、”わけの解らない診断基準の改定”を行った「倉恒らが伝える慢性疲労症候群」が慢性疲労症候群
ということになり、”こうなる前”に「患者(実態)を診てこなかった
膠原病内科は混乱しており、
ほかの「炎症反応陰性の自己免疫疾患を持つ患者達」にまで迷惑をかけている
(かつて、ヨーロッパでも「ベーチェット患者団体」から苦情が来たことを思い出してほしい--

いずれにせよ、「炎症反応(CRP)」を「絶対視」していた
医者に責任があり、医者が変わらない限り、
「一人で生きて一人で死ぬ覚悟」を要する患者の
厳しい現実はどうしようもない。

”内科医”は「あなた、死んでもいいじゃない。あなたが死んでも、何が変わるわけなし、誰が気にするわけなし」
と診察室で
平然と言いきることが出来る生き物である、という現実を念頭に置きながらも、
ひたすら、良い医者に巡りあえることを、心から祈る。

医者が医者しか信じない”」(患者不在)医療では、健全な医療は決して望めないことを覚えていてほしい

 

もう一度問う。何万回でも問う。
何の為の診断基準
改定なのか
「全身性炎症が存在しないという根拠」は一体何なのか(CRPは全てではない)


----------


「CRP」(炎症反応)に関しては、『信頼性に欠く』

・・・こんなもん、いつまでも「絶対視」していると、結核どころか、重大な感染症の見落としで、世界中に迷惑をかける
肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 

検査は道具であ
道具は
「使うもの」であって、使われるものではない
ほとんどの内科医は「検査(道具)に使われている」
これ以上、「患者無視、検査絶対」(検査に患者をあてはめる)医療が続くと、
日本は、労働力も人口も減少する。政治家も気付いてほしい。
医者には「検査(道具)を使いこなす医療」をしてほしいと強く望む

天文学で解るよう「可視化などによる確認」は「非常に遅れる」ことを、医者も頭においてほしい
(医学だけ特別ではない。今の検査が完全ではない。いつの検査も完全ではない)


臨床医なら「患者の訴え」と「症状」で把握してもらわないと困る
それが出来ないなら現場をやめてほしい。(カネと時間を返せ)
何億回でも伝えるが、”検査”は「医者の補助道具」、検査ありき”ではない”
医療”はまず「患者ありき」で、検査ありき”ではない” 
--本末転倒の状態では、単に、「人の弱みに付け込んだ商売」であることを忘れて貰っては困る



医者の「認める」「認めな」により、沢山の人が命を落とした

患者の「遺言」をよく覚えていてほしい

”自分の立場や研究”ではなく、
「あなたとあなたの家族の人生を心から案じ一緒に模索してくれる医師」に「早い段階で」巡りあえることを祈っている


患者一人一人に、健常者と同じだけの人権と高いプライドが、当たり前に備わっていることを覚えていてほしい
(特に希少疾患・難病患者は、研究者の実験・出世材料など医療者の勝手な都合で翻弄される存在ではない:
旧・現主治医のことではない、「いい子にしていないと診てあげないよ〜」etc.は、なんだ。
患者数の多い疾患の患者にはあり得ないことが、希少疾患には起きてい


病気は誰にでも降りかかる

「あなた、治すのが仕事でしょう」


Co-Cure-Japan
「慢性疲労症候群」とその関連疾患に関する「情報提供」
--亡き友人達に捧ぐ--

慢性疲労症候群とは


「慢性疲労症候群の診断基準」はますます簡略化された形で医科学者広まる様相を見せており
「全身性炎症疾患を伴う患者が存在すること」は想像すら出来なくなっている。
--そもそも、多数の慢性疲労症候群患者に見られる典型的な「免疫疾患の症状を無視する現在の「慢性疲労症候群の診断基準」は、
”臨床現場”の混乱を解消するものなのか?
--


「慢性疲労症候群」発症後、いずれも診断基準を満たす
それ以外の病は一切当てはまらないどの診断基準でも”全項目該当する”ほどの強い症状を持つ患者もいる
何十年も経過したから、ほかの全身性炎症疾患の自己免疫疾患や癌を発症するタイプの患者が、どれほどの恐怖と絶望と困難の中、生きているか、命を落とすか、
あるいは、絶望して自ら命を絶っていく

「日本の」”一部の”「慢性疲労症候群」の”普及”は、慢性疲労症候群の専門家と称する医師の尽力もあり進んでいるようだが、
「その研究者の研究から取り残されている患者達」の実態は一向に伝わっていない。
(一向に変わらない現場に生きる患者から批判的に見られるのは、「責任者」として当たり前と考えてほしい。
「診断基準の改定」がなければ心から感謝したであろう
ことから改めて問う、「何のための診断基準改定(2013)」だったのか)

 
諸外国の事ではない。「日本の場合」、わざわざ「全身性炎症疾患を除外する必要性」がどこにあったのか。全く理解出来ない。
 
日本の医師一人一人には、人口減少・超少子高齢化社会に直面している「日本」にとって、「炎症反応(CRP)が陰性のまま
激しい全身性炎症を起こしている現実」を無視し続けることによる「デメリット」ついて、そして「どうしたらよいのか」を考え
個々「最善の対応策」を実践してほしい時間はない。

--諸外国の「慢性疲労症候群」も
のままでよいのですか?この病気は「免疫系疾患」(全身性炎症疾患)ではないのですか?--

筆者のように「小児の免疫にステロイドの過剰投与」や「ワクチン」などで発症する患者も少なくないが、
多くはウィルス、バクテリアを問わず「何らかの感染症のあと」(ひどい風邪症状のあと発症していること、
ウィルス感染後・疲労症候群」(post viral fatigue syndrome
感染後・疲労症候群」(post infectious fatigue syndrome
という別称も存在し、
大多数は"全身症状を伴い"、"ステロイド過剰投与やワクチン接種などでも再現出来る症状"であり
『疲労』は、細菌やウィルス感染など「全身性炎症疾患」でみられる「すさまじい倦怠感」を意味していること
感染症が治っても”「筆舌に尽くしがたい(自殺者が出るほど)ひどい症状」(激しい消耗と、脳神経ほか多種多様な症状)が続く・始まること、
この多彩な症状を持つやっかいな「免疫疾患」(慢性疲労症候群)は、医者も含め「誰にでもかかる病気」であること、を忘れないでほしい。

慢性疲労症候群(免疫疾患)の原因は一つではなく、
「子供の未発達の免疫にステロイドの過剰投与」や「ワクチン」などでも発症する「症候群」であるが
多くの自己免疫疾患のように、圧倒的に「何らかの感染症発症後・治療後」に発症することが多い(感染症ではない)

・「感染症」は、「はい、治りました」「もう丈夫」「何もありません」で単純に済まないことが多い(免疫のかく乱)。
せっかく助かった命を
大切にしてほしい。
慢性疲労症候群(慢性免疫不全状態)のような”深刻な免疫の問題”を「気のせい」で黙殺するような医療はなくならなければならない。

 


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感染症を防ぐには「3密を避ける」の”ではなく”、「3密を”つくらない”

「サイトカイン・ストーム」こすのは、COVID-19だけではない (ウィルスだけではなく、結核など細菌でも起きる)

感染症に貢献したナイチンゲールが「慢性疲労症候群」を患ったの偶然ではない


  患者の
多くは「何らかの感染症」(インフルエンザほか「誰でもかかる”風邪のような症状”」)の後に発症している
 ---感染症そのもの「ではない」---

 ステロイドの過剰投与」や「ワクチン」で症状が再現出来るのであるから「免疫」の病気であり、心因性のものではない

   日本では、2008年に、世界に先駆け「血管炎のような病態」と把握しており
  「日本内科学会」により「膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)」分類されている
  http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf


      「不明熱」(〜病気のプロフィル No. 35) -2000, 6,16-

      柳瀬敏幸:九州大名誉教授、福岡逓信病院名誉院長、内科学

      http://www.hospital.japanpost.jp/fukuoka/health/pdf/ProfileNo.35.pdf

 

      ・・抜粋・・・

.      - 17 -

      さしあたり成人スティル病や慢性疲労症候群がそのような例である。そのほかに

      早期診断がむずかしい発熱疾患として炎症性腸疾患、とくに若年発症の小腸型

      クローン病、血球貪食症候群(「病気のプロフィル」No. 26)、サルコイドーシス、

      一連の血管炎疾患群(「病気のプロフィル」No. 14と22)、アミロイドーシスなどが

      挙げられよう。


 

欧米の重症の慢性疲労症候群患者では、慢性疲労症候群そのものの増悪化や合併症で沢山の死亡者が出ている。

   日本では欧米ほどの死者は出ていない。

   日本の内科学会は、10年以上前に、慢性疲労症候群(と呼ばれる免疫疾患)を「自己免疫疾患」へ位置付けている。

   日本から出来ることはないのか。
   (COVID-19では「川崎病を発症・川崎病で死亡した患者」や、「後遺症に苦しむ患者」が沢山出ている)

洋の東西に関わらず、「慢性疲労症候群」(と呼ばれる免疫疾患)には、後にほかの自己免疫疾患を発症している患者が多い(併発)

 

   シドニーモーニングヘラルド紙:アリソン・ハンターさんの記事より・・・(ベーチェット病に酷似した病態で亡くなった)
   著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト:オーストラリア
    >原文    

   陪検で神経に炎症が見つかった患者(イギリス)

   死亡者リスト(米国)・・・2003年だけではあるが、これだけ多彩な死因が見られる



注: 上記、「アリソン・ハンターさんの記事」(オーストラリア、モーニング・ヘラルド社 医療ジャーナリストジュリー・ロボサム氏著)
にある
ベーチェット病』 (アリソンさんの死因)は、「血管炎の一種」である


「慢性疲労症候群」と呼ばれる”免疫疾患”は、一部の医療関係者から「感染後疲労症候群」とも呼ばれており
感染症そのもの「ではない」
(感染することはない)
ふざけた病名から、あたかも「詐病」のように扱われるが、実態は上記
通りである


日本では、2008年、「日本内科学会」が「自己免疫疾患」に指定しており、
世界に先駆けて、この病気
を見抜いていた日本医学からこそ、世界に貢献出来ることがあるのではないか。
 

まず、世界に先駆けて「慢性疲労症候群(感染後症候群・免疫不全状態)を自己免疫疾患に指定出来ている
「日本」から、
慢性疲労症候群の診療体制を整えていったらどうか。
医者が実際に”診察”しなければ解らないこと「だらけ」なのではないか。
そこからしか「世界に貢献出来るもの」は見えてこないのではないか。
このままでは非常にもったいないと同時に、世界に対してあまりにも無責任である。
医療は、日本だけのものではない。



[マスク]
長年免疫抑制剤を使用している患者は、体調
が年中「非常に」悪い。
過酷な夏場を含め1年を通してマスクを外すわけにはいかない立場だが
健常者のマスクのように「脱水」など、医者から心配して貰うことはない。

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まだ「慢性疲労症候群」を「気のせい」というのか。
医療と社会に対し、「自分は生きていないこと」として笑い飛ばす
こと40年以上。
この
ような「馬鹿げた」人生に耐えるだけの
人間を増やしてほしくない。
この「馬鹿げた」医療のお陰で命を失った友人達を返してほしい。


これでもまだ「全身性炎症疾患ではない」というのか
診断基準から「全身性症状」
(微熱、リンパ節腫脹、体重減少など)を排除しなければならないのか
倉恒、および、
"全世界の医師"に問う

 

    ”慢性疲労症候群”は別称(何らかの)「感染後症候群」とも呼ばれている病気
    (ウィルスだけでなく、結核などの細菌感染やマラリアでも起きており、
    また、ステロイドの過剰投与や、ワクチン、被爆でも起きる)
    患者多くは、長年経過して、既知の「血管炎に関わる自己免疫疾患を発症(併発)する

    日本では、慢性疲労症候群のまま悪化して死亡する患者より
    医学界・社会・友人・家族・周囲から全く理解を得られず「自殺」「引きこもり」
    子供の場合「不登校」の原因となること
が多い

    ---いくら、誤診が含まれていたとしても、この多彩な死因は、どういうことだ
    これでも「全身性炎症疾患ではない」というのか。答えろ--- 死亡者リスト(米国)・・・2003



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◎ 日本では、2008年に、世界に先駆け「血管炎のような病態」と把握しており
  「日本内科学会」により「膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)」に分類されている
  http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf




 
      「不明熱」(〜病気のプロフィル No. 35) -2000, 6,16-

      柳瀬敏幸:九州大名誉教授、福岡逓信病院名誉院長、内科学

      http://www.hospital.japanpost.jp/fukuoka/health/pdf/ProfileNo.35.pdf

 

      ・・抜粋・・・

.      - 17 -

      さしあたり成人スティル病や慢性疲労症候群がそのような例である。そのほかに

      早期診断がむずかしい発熱疾患として炎症性腸疾患、とくに若年発症の小腸型

      クローン病、血球貪食症候群(「病気のプロフィル」No. 26)、サルコイドーシス、

      一連の血管炎疾患群(「病気のプロフィル」No. 14と22)、アミロイドーシスなどが

      挙げられよう。


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「慢性疲労症候群」(別称:感染症後症候群など)について、医者がよく理解していれば、
 発生当時の
新型コロナ(COVID-19)への対応・対策も変わっていた。
 (少なくとも、「サイトカイン・ストームが起きる可能性は予見できた
 ・・・一部の感染症専門家は、”慢性疲労症候群の病態”について
 
「免疫から見て”特殊ではない”」と、20年
以上
前から指摘していた

 「慢性疲労症候群」は「人類の存亡」に関わる問題であることを覚えていてほしい。



◎ここに記載されている全ては、「患者不在」「検査絶対信奉医療」結果であること、忘れて貰っては困る


医者に「認められず」亡くなった、おびただしい数の友人たち全員の死が、 人類の危機役立つことを心から願う。

 

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<COVID-19の後遺症で苦しんでいる患者さんへ>

「感染症後疲労症候群」は、これまで医学界では「慢性疲労症候群」と呼ばれており
(別称感染症後疲労症候群、感染症後症候群、慢性免疫不全症候群など)、
高度な治療が必要で、深刻な病態を抱える患者が多く存在するにも関わらず
医者に全く相手にして貰えず(気のせい)、殆どが病状を悪化させ一生を完全に棒に振り、
病状悪化のため死亡した患者も多数あり、周囲から全く理解を得られないために自殺した者も多い。

この患者は数が非常に多い。(誰でもかかりうる病気)
情報としては古いが、Co-Cure-Japanが、過去、大勢のボランティアと共に邦訳した、
(患者による)「病気との共存情報」および(専門による)「医学情報」を下記に紹介する。
「医学情報」は古くなっても、「患者の経験」は古くなることはない。
医学界が本気でこの病気に向かい合う
日がくるまで、とにかく「死なないでほしい」

病気との共存術

医学情報(情報は古いがこれまでの経緯がわかり、参考になるものもある)

 

 

大変ご多忙のところ、沢山の方々がCo-Cure-Japanに関わって下さり、
多大なる熱意を持って真剣にお手伝い頂けましたこと、
心より厚く厚く感謝を申し上げます。

7月21日、2020年 Co-Cure-Japan Administrator: 陰山理香(Rika Kageyama)

 

繰り返す。
 「慢性疲労症候群」(別称:感染後症候群・感染後疲労症候群・慢性免疫不全症候群など)について、
日本では、「日本内科学会」が、「2008年」、正式に「自己免疫疾患」へ分類している。
にも関わらず、日本の慢性疲労症候群の代表的研究者・倉恒らは、日本内科学会の分類から5年後」(2013)
慢性疲労症候群の診断基準を「筋痛性脳脊髄炎」に準ずるものに書き換え、以降も、
「筋痛性脳脊髄炎と慢性疲労症候群は同一のもの」と主張してきた。
しかし、筋痛性脳脊髄炎の診断基準は「慢性炎症性疾患」は”除外疾患”になっている

※筋痛性脳脊髄炎の診断基準・注釈によれば、”慢性炎症性疾患”とは、関節リウマチ、全身性エリテマトーデスなど
(全身性の)「自己免疫疾患」を指す


---なぜ"日本では"、2008年「日本内科学会」による、正式「自己免疫疾患」へ分類があったにも関わらず
倉恒らは「大多数の患者の症状」を診断基準からたのか。
「慢性疲労症候群」(別称感染後症候群、感染後疲労症候群、慢性免疫不全、ほか)は、
「全身性のものであってはならない」というのか。

日本における」2013年の診断基準の改定は「本当に必要、かつ、正しいものであったのか


いずれにせよ、
その病気の研究者が、「患者の実態」を無視し、自分の研究に都合の良いように「診断基準を書き換える」
など、
絶対に
あってはならない。 



◎「慢性疲労症候群」は、ウィルス感染後だけではなく、
 マラリア(原虫)、結核(細菌)感染後や、ステロイド過剰投与やワクチン接種後、放射能でも発症する。

 

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「慢性疲労症候群」(感染後症候群、感染後疲労症候群、慢性免疫不全症候群、など)の患者で、
 後年、既知の自己免疫疾患の中でも「血管炎に属する自己免疫疾患」(膠原病および膠原病類縁疾患)を発症した患者達は、
 脳神経症状を伴わない増悪化・再燃の際「慢性疲労症候群当時の極度な倦怠感(疲労)」を経験する(血管炎に伴う倦怠感)

 「慢性疲労症候群」という病態は、「既知の自己免疫疾患(膠原病類縁疾患)を発病する何年(何十年)前」から
 「血管炎に伴う倦怠感」が兆のように先行することが多い。
 (多くは「脳神経症状」を伴い、神経症状の程度は軽度から重度まで幅広い)。

 慢性疲労症候群という症候群の中には、
 脳神経そのものが原因となる、いわゆる慢性疲労症候群とは異なる患者も含まれるのであろうが、
 通常、 「慢性疲労症候群の倦怠感」が、即ち「脳神経」”ではない”ことを明記しておく。
 (「血管炎に属する自己免疫疾患」に伴う激しい倦怠感、日常的な非常に強い倦怠感・疲労や易疲労は、
 「膠原病内科医が良く知っている)


一般に、 ”慢性疲労症候群”は
「血管炎の倦怠感」(微熱、体重減少、リンパ節の腫れなど全身症状が出る患者も多い)に
強い脳神経症状」を伴うものであり、
 中〜重症の患者は、医者の手助け(治療・コントロール)なしでは、とても生活できない
(生きていけない)
日本では、「日本内科学会」が、「2008年」、正式に「自己免疫疾患」へ分類している。
誰でも罹りうる病気であることから、一刻も早、「早期診断・早期治療」のための診療体制を整えて欲しい

  ※明らかに「脳神経」が原因の患者以外、後年ほかの自己免疫疾患が出てくる患者が多いことから
「他科」では発見が遅れる

  (
患者数が多いことから、開業の内科医で、「ある程度の治療」が可能であって欲しい
  その為にも、「慢性疲労症候群」に於ける疲労の意味するところ(血管炎症状と重複する「激しい”すさまじ”い倦怠感」)の周知を
  徹底してほしい


もう一度、亡くなった”慢性疲労症候群患者声」を聞いてほしい

死亡者リスト(米国)・・・2003

陪検で神経に炎症が見つかった患者(イギリス)


ベーチェット病に酷似した病態で亡くなったアリソン・ハンターさんの記事(
オーストラリア:シドニー・モーニングヘラルド紙
 著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト)原文

 

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「COVID-19の後遺症患者」の中でも、深刻な身体的な病気であるにも関わらず
「PTSD」や「鬱」で片づけられる患者が出るのだろうか。
「慢性疲労症候群の犠牲者」が物語るように、これ以上”馬鹿げた医療の連鎖を続けてはならない
(検査に異常がないですね。気のせい、精神的なものです)


また、メカニズムが全く解っていない病気ほど
「XX病は、▲▲”でなければならない”」「◎◎の症状から開始”しなければならない”」という言葉を医者から聞く。
("must"が多い、診断基準の条件を増やす、ほか)
余程研究し尽くされ、よく知られた病気以外、「メカニズムの解っていない病気」(大自然)は
「研究者の力量と経験」どおりに振る舞うことはない。
患者が直面している”現実”は、医者が考えているものより遥かに複雑である
困っている患者を救済すべき役割の医者である限り、自分の都合に合わせて病気を単純化することにより、
複雑で非常に難しい「実態」から逃げてはならない



医者は、「患者の現実」を知ろうと常に死に物狂いで努力し、
何があっても、
その現実から決して逃げないでほしい。

 

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「医者」であれば、「まず患者のことを考える」。

”慢性疲労症候群”においても医者がなすべき事はまず「患者優先」であり、”日本の”慢性疲労症候群の場合、

責任者としてなすべき事は、おおよそ下記のようなものであったと考える。

---「自分が研究の対象としている患者とは異なるが、膠原病類縁疾患に属する症状を発症している患者も多数いる。

幸い日本では、世界に先駆け、2008年、慢性疲労症候群を”膠原病類縁疾患”に分類しており、

一刻もはやく受診出来る体制を整えなければならない」と”事実”を受け止め、事実を患者に伝え、

「受診体制作り」に奔走する---

それを、”2013年”に、「わざわざ”診断基準を改定してまで”、自分の研究に沿った患者しか認めない」とは、

どういうことだ。「医者として」、真理の追究(科学)「以前」の問題である。

いくら優秀な研究だかなんだか知らないが、「患者を無視し続けたこと」に関して言えば「最低」である。

 

この医者に関しては、まだ集団訴訟が起きていないことを、最高の幸運として覚えていてほしい。

・・・慢性疲労症候群から既知の自己免疫疾患を発症した患者は手遅れが多く、自分を守るので精一杯でけようがないが、

どれだけの怒りをもって生きているか、慢性疲労症候群の患者活動をしている患者を含め、知ってもらいたい。

 

※日本の慢性疲労症候群の患者と、海外の患者では、立場が全く違う。

”日本の場合”、慢性疲労症候群は、2008年、正式に「自己免疫疾患(膠原病類縁疾患)」に位置付けされている。

 

※膠原病内科に属する病気の「神経症状」について

膠原病類縁疾患に伴う神経症状は、一般に殆ど知られていないが、

「可逆的なものから不可逆的で重度」まで幅広くあり、血管の炎症が原因とされている。

(糖尿病は膠原病類縁疾患ではないが「糖尿病」を考えれば理解頂けると思う。血管に深刻な炎症があれば

神経は深刻なダメージを受ける。膠原病類縁疾患の場合「大きな血管」にも炎症を起こす病気もあり、結果、

大きな神経障害が起きる)

「膠原病類縁疾患に分類されたら神経症状が軽視されるのではないか」と心配する患者が多いが、

「膠原病類縁疾患に分類されても」、脳神経症状が否定されることは”ない”

(むしろ膠原病専門医は神経症状の深刻さをよく知っている)

 

「慢性疲労症候群の原因について」

”症候群”であり、原因は「多数」と考えられている。

慢性疲労症候群患者の全員が「膠原病類縁疾患」に当てはまる必要はないが、

「膠原病類縁疾患として医者が対応した場合」、症状が改善される患者が多い。

(小児慢性疲労症候群は多くは小児膠原病科が診ており、小児の場合、「早期治療・早期対応」により、

健常者と変わらぬ人生を送ることが出来ることが多い)

 

「神経内科」について

一部の患者だけではなく医者までもが、「膠原病内科より神経内科の方が、重度の病気を扱っている

(プレドニンの量が多い)」などと誤った考えを持っているようだが、膠原病内科の病気には、

プレドニンで換算して「100mg/日」でも症状が全くコントロール出来ない病気が”多い”。

膠原病内科に属する病気は「傍目にわからない病気が多い」ということも周囲に重症感を全く与えない一因でもある。

「膠原病内科に属する病気」という理由で、「神経内科が扱う病気より軽症」ということはない。

そもそも、「病気」など、「どの科のものがより重症か」など単純に比較出来るものではない。

 

「ブレインフォグ」について。

膠原病内科に属する患者は「ブレインフォグ」も経験する。

ただ、膠原病内科で治療を受けている患者は何らかの治療薬を使っており(免疫抑制剤)、

通常、治療薬(免疫抑制)によりブレインフォグが改善されるため、患者は声高に主張しない。

そのために、外部によく知られていないだけのことである。

(患者は「増悪・再燃時」に”なつかしい症状”を経験することになる)

 

<病名について> 

  「筋痛性脳脊髄炎」という病名は、(慢性疲労症候群の原因)「脳脊髄炎」と主張する”一部”研究者の主張のほか、

  「慢性疲労症候群」という病名が、あまりにも医療関係者・社会に誤解を与え、かつ、深刻さが伝わらないため、

  「筋痛性脳脊髄炎の方が社会にも医学界にも伝わるのではないか」という、

  ”患者(素人)が抱く病気のイメージと希望”も手伝って改名されたものであり、

  専門家間の厳しい議論に打ち勝って残った病名ではない。 

  ・・・「慢性疲労症候群」の患者は、一般に、ほかの病気のことはあまり知らない。

  いきなり訳のわからない病態に陥り「慢性疲労症候群」という病名を与えられ、 

  医者のサポートも、周囲の理解も得られず、(海外)死亡者が出るほどの重症患者でさえ

  「検査に異常が出ないから気のせい」とされ、自殺者する者も非常に多く出ており、

  切羽詰まって「なんとかしてほしい」→「病名が悪い」→「病名の改名を希望」 

  患者数の多い疾患特有の、患者によるすさまじいロビー活動もあり「筋痛性脳脊髄炎」に改名された。

 

   「慢性疲労症候群」は、筋痛性脳脊髄炎、慢性免疫不全のほか、”医師”の間では:

    「ウィルス感染後疲労症候群」「ウィルス感染後症候群」などと呼ばれてきたことも覚えていてほしい

    (実際にはウィルスだけではなく「細菌感染後でも同じ症状が出る」)

 

    ”筋痛性脳脊髄炎”という病名は、「実際にイギリスで古くから使われてきた病名」ということも、

    改名の際、患者から支持を得た理由の一つだが、

   欧州には「慢性疲労症候群(別称:感染後症候群ほか)と非常によく似た、”ベーチェット病”(血管炎)」の患者が

   極端に少な(ベーチェット病はアジアに多い)

    その中でも”特殊型”の「神経ベーチェット」 (ベーチェット病に伴う神経症状:脳梗塞から麻痺まであらゆる症状が出る)

    に関して、 欧州の医師は殆ど「経験がない」(患者がいない)

   欧州では、改名と同時に、軒並み「慢性疲労症候群の診断基準」まで「筋痛性脳脊髄炎の診断基準」

   (「リウマチ性疾患のような全身性炎症疾患を除外する」もの)に変えたが、

   ”慢性疲労症候群に”非常によく似た「ベーチェット病」の患者が多く、 ベーチェット病(神経ベーチェットも含む)の実態を

   医師がよく知る”日本”、 慢性疲労症候群の診断基準を「筋痛性脳脊髄炎」に変えたことにも大きな疑問が残る。

    (「2013年に、わざわざ慢性疲労症候群の診断基準を筋痛性脳脊髄炎のものに変える必要性は本当にあったのか」。

   ベーチェット病をよく知る日本では、日本内科学会により、既に”2008年”、正式に、”慢性疲労症候群”を「膠原病類縁疾患」へ

   位置付けている)

 

 

1.現在の「日本の」慢性疲労症候群診断基準は「筋痛性脳脊髄炎の診断基準」であり、

リウマチ性疾患のような全身性炎症疾患(膠原病類縁疾患を含む)を除外している

膠原病類縁疾患は、既知の病気の特徴がはっきり出現する前に、”予兆”のような期間が長年続くことがある。

その予兆のような期間は、(2013年改訂版であれ)「世界中に存在する、どの慢性疲労症候群診断基準をも満たす」。

しかし、”筋痛性脳脊髄炎の診断基準”では、「膠原病類縁疾患(全身性炎症)」は除外されていることから

たとえ「予兆」の期間にいる患者が慢性疲労症候群と診断されても「治療を受けられない」ことになる。

---(その患者の慢性疲労症候群が「膠原病類縁疾患の予兆」である場合、

膠原病内科で治療を開始出来れば「早期治療」でコントロールできる可能性は大きくなるが、

既知の病気に発展するまでの年月(何十年間)医療的に何のサポートも得られない場合、

多くは手遅れとなり、死亡する患者もいる)---

 

2.『症候群』(しょうこうぐん)に対して「間口」(診断基準)を極端に狭めて良いのか

「リウマチ性疾患(膠原病類縁疾患全身性炎症疾患を除外する」とあるが、

そもそも、CRPが陰性だからといって全身性炎症は否定できない

  日本では、慢性疲労症候群は、2008年、「膠原病類縁疾患」に分類されている。

  慢性疲労症候群患者の全員が膠原病類縁疾患の患者でいにせよ少なくとも「救える患者から」救済を開始してほしい。

  (どうしても「脳の炎症がダイレクトに関わっている」(脳脊髄炎)ということなら、

  日本の場合、せっかく患者救済の道があることから、(2008年に「自己免疫疾患(膠原病類縁疾患)」と位置付てしている

  救済できる患者を救済する体制をとったあと」切り離せばよいのではないのか)

 

慢性疲労症候群の場合、あまりにも「研究優先」で、「救済できる患者」までが置いてきぼりになっていることが目に余る

 

患者はあと何十年「どっちのメカニズムが正しいか」に付き合わされ、治療の機会を逃すのか。

その間(海外ではあるが)亡くなったおびただしい数の友人達のことを考えてほしい(返せ)

決してよそ事ではなく、日本でも亡くなった友人はいる。

時間=カネ、「時間を返せ」

 

*****************

 

[神経内科医について]

東京には「神経内科」のことを「ほかの科がわからないことを”なんでも”考え、

すべてに正しい答えを出してくれる神のような存在」と信じる医者がおり、

最近、診察室でそのように説教されたことがあるが・・・

(一昔前、「精神科」が同じように考えられていたことを思い出す。

「脳」は骨と同じく単なる臓器の一部なのではないのか)

 

神経内科医は、地方に行けば(人数面から)「脳卒中〜”あらゆる”難病」を扱わざるをえないが、

大都市部では、神経内科の専門が細分化されており(「脳卒中」「神原性疾患」「筋原性疾患」などに分かれており)、

同じ「神経内科」といえども各専門家は他の専門分野の詳細を殆ど知らないほどである。

当然、「科」が違えば、細かい知識や経験はなく、いざという時に「診断が遅れる」「誤診」は当たり前のように起きる。

神経内科だけが(脳だから)「何もかも解る特別の分野」というもの「ではない」。

(人間ふぜいが集まって、そんなものは、この世に一切存在しない)

また、何科であっても、「考えるのが得意な医者」もいれば「他のことが得意な医者」もいる。

◎どこの科でも全く同じである。(神経内科医だから特別、は「ない」)

 

「慢性疲労症候群」を通して見た医者の世界は言葉に表現出来ないほどバカバカしく理解不能ではあるが、

「神経内科が何でもわかる特別な科」という考え方を持つ医者がロクでもないことだけは、患者でも解る。

 

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[医師探しについて]

「今更」という慢性疲労症候群患者もいると思う。

この「くだらない・馬鹿げた騒動」に何十年も巻き込まれ、人生をひっかき回され続けた人間には理解できる。

ある意味、戦争に巻き込まれるよりもバカげている(相手は”医者”である)。

覚えていてほしい。「患者の生きる気力を削ぐ医者」に遭遇したら、「言い訳にならない「医療として大失敗」。

単にそれだけのことであり、それは「その医師」の問題で、患者の預かり知るところではない。

(そう考えれば苦しむ必要もなく、相手にする必要もない)

 

ただ、「どーせ人間みな死ぬ」

”馬鹿げた人生になっていること”は別として、「今できること」について相談出来る医者を探してみてほしい。

医者が見つかったからといって、人生を取り戻すことは出来ないが(年月を経過すれば病態だけではなく「環境」も悪化する

自分が死ぬときの満足度の一つにでもなれば、多少とも浮かばれる

死ぬのは自分であって医者ではない。人の評価ではなく、「自分が評価できる人生」であってほしい。

(他人の評価が自分の病気を治すわけでなし)

一つの手段として、医者を探してみてほしい。

 

もう一度繰り返す。

”慢性疲労症候群の患者さんが、「検査や画像」に惑わされることなく

「患者の訴え」から正しい診断を導き出し、検査を正しく使いこなし、

「噂」に振り回されることのない、

「真の医師」に巡り会えることを、心より祈っている。

 

◎”慢性疲労症候群”の場合、「順序」が逆になっている。

「まず」”患者の現実”を受け入れ、「患者の受け皿」を整備し、一刻も早く具体的に救済してほしい。

 (日本では、2008年の段階で既に”膠原病類縁疾患”という「受け皿の一つ」が出来ている。

 膠原病類縁疾患には神経症状を持つ患者が多く、慢性疲労症候軍の脳神経症状が否定されることはない)

 

   ”2013年に改訂された”日本の「慢性疲労症候群診断基準」では

   「リウマチ性疾患などの全身性炎症疾患(膠原病類縁疾患など)」が除外されているが、

   長い年月を慢性疲労症候群を経過した後、既知の膠原病類縁疾患が出る患者の場合、

   (予兆のような病態が原因で慢性疲労症候群の診断を満たす患者の場合)

   2013年に改訂された日本の慢性疲労症候群診断基準では「早期に治療を受ける機会」を失う。

    

◎患者数が非常に多い疾患であることから、開業医が診断・診察出来ることが望ましいことを書き添えておく。

 

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★以上、新型コロナで「慢性疲労症候群のような症状を持つ患者」が増えていることから、追記した。

 「慢性疲労症候群」は、日本には受け皿が全くないわけではない

 (2008年、日本内科学会により「膠原病類縁疾患」に位置付けられている)。

 

症候群である限り「原因」は「多数ある」と考えられる(”症候群”)

順番として「まず、患者の現実を出来るところから救済してほしい」。”医学的な精密度”は「そのあと」の話である。

(ボートに引き上げる前に、溺れる姿を見てあれこれ言ったり、面白がって突き落としたりしているようなものである。

慢性疲労症候群は患者数が非常に多い。開業医の力も総動員して「まず全員をボートに引き上げてほしい」

 

 連日の新型コロナ報道を見て、自分たちが経験してきた「医者」とのあまりもの”違い”に

 「ああいう医師に巡り会っていれば、あれだけ沢山死者を出すことなく、

 自分もこれほど時間を無駄にせずに済んだのか」と複雑な思いを感じることが多いが

 長年「実際の救急救命の現場では”一般検査(特にCRP)”に異常が出ないと相手にされない”」と聞いており、

 「検査は一体何のためのものか」、むなしさを覚える。

 

   2016年、鹿児島から東京に戻ったとき、”東京”で起きたことを、忘れたとは言わせない

   (「CRPが正常だから(信じない)」「(だから)開業医を紹介してやらない」(板橋区医師会)

   「ポリシーが違うからほかを探せ」(近隣区の開業医)などなど数え切れない)

   九州の医学部教授達が真剣に書いた紹介状を持参したところ「紹介状が多い」

   「西日本医療はいい加減だから」と言って読まず「これら病気ではない」(CRPが正常だから)。

   付き添いが驚いて「では何なのでしょうか」「どうしたらよいのでしょうか」と尋ねると、

   「さあ〜〜〜〜♪」と答え、非常に具合の悪い患者と高齢の付き添い相手に、診察室で

   自分の趣味の話を1.5時間もした高名な(日本を代表する)大学教授は何だったのか。

   それに追随していた医者たちはどういうことなのか。

   殆どの医者は、患者の報告も医者(元主治医)の報告も、まったく信用することなく笑っていたが、

   「全身性炎症があるにも関わらず”CRP陰性」は、医者としてそれほど面白がる(笑える)出来事なのか。

   患者は自分の「命」がかかっている。

   命を命と思わない医者の対応を体験し、「要するに死ねということか」「医者というのは残酷なものだ・・・」

   連日”死ぬこと”を話すようになり、極度の絶望とすさまじいストレスが続いたせいで起きたことは

   再度記すまでもない。以来、患者は休養”する「環境を失った。

   患者にとって「環境」が最も大切なことは、医者なら知っていると思う。

 

コロナで、命を削って患者のために働いている医師もいる。

これを機会に、日本の医者(お医者さま)は考えてほしい。

 

慢性疲労症候群も、猛烈に活動を繰り広げる「多数派」が、まかり通るのであろう。

SNSなどで他人とつながるのもよいが、「一人で」よく考えてみてほしい。

「命に関わる問題」は決して「ノリ」で動いてほしくない。ファッションでも政治問題でもない。

命の問題とは何なのか」「何が起きているのか」(実態把握)「どうすればよいのか」

「よく考える」というのはどういうことか、よく考えてほしい。

医師を含め、全世界の人々の幸運と健康を心より祈る。 

 

日本は世界のどの国とも状況が違い、単に高齢者の比率が増加しているだけではなく、

 「総人口が著しく減少している」。

高齢者も「国力の一つ」として(あたま数)考えられなければ、この国は滅びる

(COVID-19で高齢者の犠牲者を出している場合ではない)

 

若い人たちがCOVID-19かかると、”慢性疲労症候群”のような症状を発症しやすいと聞く。

慢性疲労症候群に対する医療は「下らない・ろくでもない」以外の何ものでもなかった。

今後COVID-19から発症する患者は特別扱いされるかもしれないが、基本、どの病気であっても、

「はたから見えない病気」の場合「しなくてもいい不愉快な経験だらけ」となる(人間社会)

--「人間観察の絶好の機会」とも言えるが、面白いほど本性を見せてくれるが--

せっかくの限られた時間(人生)、医療に関わることで、下らないことに巻き込まれるほど馬鹿げたことはない。

「COVID-19には絶対にかからないよう」最大限気を付けてほしい。


「慢性疲労症候群」
 
別称「ウィルス感染後疲労症候群「ウィルス感染後症候群」
「慢性免疫不全症候群」「筋痛性脳脊髄炎」などなど

ウィルス感染だけではなく、
結核など細菌感染でも同症状が起きることから「感染後症候群」とも呼ばれている

   *「CRP (C Reactive Protein)について」 結核における炎症反応の意義(2004)


-- Dec, 2020, Co-Cure-Japan ----


「馬鹿げた人生」を全うするためには

喜んで生きている人間など、この世に一人もいない」

好んで生きている人間など誰一人いない。皆、必死で我慢している

という考えが強力な支えとなる。

15歳発症以来の「対応策」が誰かの役に立つことを祈る

 

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患者は自分の「現実」から逃げるわけにはいかない。患者は命がけで生きている。
患者は、自分の病気に「興味」が失せると医者の相手はしなくなる/出来なくなる

「最も難しい職種」に属する人間を相手に、治療法も知らない・解らない上、「検査絶対」を貫いていた「医者の自業自得」と考えてほしい

演奏は「先の予約」でしか動けない。指の動きそのものが難しくなっている。

「治療しなければ進行する病気」を40年近く放置し、介護者を病気にさせた東京の膠原病内科医達は、医者としてどう責任をとってくれるのか

治療を求めて必死で医者を探した患者を「医師の勝手な”憶測”」だけで激しく非難した(する)が、どういうことなのか 

 

 

「どの患者にも厳しい現実がある」
介護者の発病でストレスが激増、悪化する自らの病を抱えて過酷な”付き添い”通院スケジュールに疲れ切り、「一回でも通院回数を減らしたい」という切実な現実から

前任教授「退官時」の指示で
、前医(元国立大学教授)からの紹介状がある医師(紹介状の行き先)に相談したところ、
”憶測”をまき散らす東京某大学病院神経内科。
同病院・
同科・現教授は、患者に直接会う機会を有しながらも事情を聞こうともせず、ただただ「憶測」に振りまわされている。
「命」を守る分野の教授職(指導側)にあるなら、まず「本人から聞く姿勢」を教えてはどうか
(命がけで日本を守ってきた軍隊帰りの故・恩師(国立大学教授)は、「まず」本人から話を聞き、「二言三言」で真偽を見抜いたものである)
---小手先(言葉)に頼らず「全体」から”瞬時”に見抜いた。「誉の家」ご出身という背景だけではない。
昨今では同僚から酷評されるが、分野を問わず、当時の優秀な指導者や医師には、共通するもの(技術・能力)があった
「いずこも同じ」で、あまりにも幼稚で馬鹿馬鹿しい問題は不問に付し、内輪で話題になった---

信頼するしっかりした内科医の、”いつもと変わらぬ診察”を受けると、ほっとすると同時に「ほんまかいな・・・」と感じるほど
東京の大学病院・内科は、相変わらず「憶測」に振り回され、集中力に欠けている(ヒマなのか?)

※患者は「患者の真剣さと同程度か、それを上回るほど真摯に対応してくれる病院」にしか行かない。(患者を試すような病院」には行かない)



※直近(4/12/2019)の診察でお目にかかった医師に対する苦情ではない

 

★生物製剤には、「無理しないこと」という親切な注意書きがある。
「危険を伴う薬を作った側の願い」(現実)はそうであろうが、
製薬会社の注意書きが通用すると信じる医者が多くとても困ることが多い。
一体、どの世界に、無理せず生きられる人間がいるのか。
「日本人全員が鳩山ではないこと」は誰もが知っている。
たとえ健常者であっても、無理をせず食っていく・家族を養うということは「あり得ない」。

「生きる」ということは「下手すれば本当に死ぬほど無理をする」以外、何があるというのか。
(「運が良ければ生きている」「運が続くまで」。それだけのことではないのか)
「病人だからこそ、何をするにも、本当にちょっとしたことでも、ものすごく大変な無理を課せざるを得ない」
健常者であればラクで何でもないことに対してでも「命がけ」にならざるをえない

ーー自宅からたった1〜2分の外出で体調を悪化させ寝込むことが状態でも、
通常、子育て・配偶者の世話、子供や配偶者が病気であれば看病で自分の事どころではない
そのうち親の介助・介護に追われ、年々厳しくなる「現実」に命がけで対応し続ける
「現実」に病人も健常者もない
人との会話が一番きつい(集中力・息切れなどで疲れる)のであれば、自分でやるしかないーー

「病人=自分を大事にして生きる人達」という「幻想」はやめ、”現実”を見てほしい。
そして、特に医者は、どの患者も「職場復帰を目指していること」を覚えていてほしい。
(病人であれ何であれ「働かざるもの食うべからず」)

 


 

医者がいつまでも「認める」認めない」をやっている間に失われた時間は、二度と戻ってこない。

患者自身と、患者を取り巻く環境は刻々と悪化し、入院どころか、やがて通院も難しくなる。

 

「東京に戻ってからの症状悪化」(環境の悪化に伴う病状悪化)には自分でも驚いている
”専門”(音楽)を使った「音楽療法」や、”大阪人の特技”「笑い」を目一杯駆使しても、止めようがない
(「患者」として、死力を尽くし、出来ること・やるべきことは精いっぱいやっている)
「患者の寿命」を決定づける最大要因は「環境」

死に物狂いで応戦しているが、東京の内科医によって壊された”環境”(の悪化)は留まるところを知らず、途方に暮れることの連続。
ほとほと困り果て、もはや「覚悟」以外にない。


”当時”、「自分の専門を勉強するにはベスト」とのことで、日本に一校しかない附属高校進学のため
生まれ育った、歴史的古都のある地域の大都市を、わざわざ出ることで
始まった「新興都市・東京」での生活が、
「医者の無理解・無茶苦茶、”40年間”」で、こうなるとは。
(・・・「気のせい」、15歳に対して「更年期障害」「知恵熱」、「熱があるなら南極にいけば」
「あなた死んでもいいじゃない。あなたが死んでも何が変わるわけなし、誰が気にするわけナシ」、「死体が出たら信じる」
「炎症反応(CRP)が正常だから治療をしない」などなど・・・)

 

”首都”ということだけに「まさか」であった。


「現実から逃げて仕事をしない内科医達」、「数えきれないほどの暴言」と「実害」に、15歳から命がけで対応したが、

何も出来ないまま、あっという間に「40年」経過、

気づいたら、もう、「終活」の準備に入らざるを得ない「現実」と対峙している。
「人の人生」など、誰にとっても、こんなもん、であろうが、
母体の大学の教授から「是非欲しい人材」とのことで、当時「海外へ直接留学(モスクワ音楽院)」の話を、わざわざ断り、
西側の人間から見れば、古い文化も何もない、文化的に魅力もへったくれもない東京に来てやったらナンダこれは。
東京には、殆ど、上述のような下らない内科医しかいないのであれば、コクリツの附属高校など創るな、迷惑な

 

 

そもそも、医者が(病気を)「認める」「認めない」は”間違っている”。
病気は自然現象であり、医者が認める・認めない、に関わらず、厳然と存在する。
(まだ、どこにも分類されない、見つかっていない病気は沢山ある)
患者の報告から「何が起きているのか」(検査に異常が出ようが出まいが・患者数がどうであれ)正確に知るだけの専門知識と経験を持ち
病名が何であれ、正しい治療法を導き出し、患者を治療するのが医者の仕事。
「認める」「認めない」は、医者の仕事を放棄している。

 

 



 

 

----ナントカならないものだろうか----

西洋医療は「西洋文化」(「個々の違い」を最も尊重する文化)を土台に持つ。

”反対の性質を持つ”(個々の違いより「和」を尊ぶ=「人と同じ」を求める)文化を土台とする日本では

(内科)たとえ西洋と全く同じことをしていていも、西洋からは考えらえないほど「似ても似つかぬもの」になる

 

以下、外科の先生方にとっては「当たり前」の”現実”だが ・・・・

人間だから皆同じハズではなく

「人間社会は、ただ1人たりとも"同じ"のない、1/70億の集合体」と捉え、
目の前の患者は「唯一無比の1/70億」という見方が出来れば

昨今(内科)の「極端な・あまりにも乱暴な」、”現場(患者)無視”・”教科書当てはめ”・”切り捨て医療”は、
多少なりとも変わるのではないか。新しい発見もあるのではないか。

 

ナントカして貰わないと困る。


東京では、相変わらず、患者のことより、「プライド」やら「学校(大学)間の政治」やらでどうにもならないらしい

是非、地方の先生方に考えて頂きたい
(一日の大半、寝込んでいる病人に、これ以上は無理である)

---医者にかかっている人も、かかっていない人も、考えてほしい
”社会として”、「どういう医者であってほしいか」
(「大学病院の医者だから特別」などという言い訳は通用しない。
医者は医者
2006年の段階で、東大・膠原病内科教授は「学級崩壊」と言っていた
もはや「医学部だから立派な教育を受けているはず」という構図は当てはまらない。
2006年当時、東大病院には、すれ違って患者が反射的に最敬礼をする外科医(教官)はいても、思わず最敬礼をする内科医はいなかった)
一般社会では、人材は、学校を卒業した後「社会が育てる」。医者だけ特別、という時代ではない。

医療は「社会」の問題であり、(医者)「社会が、どうあってほしいか」、そこに尽きる。
忙しい患者は、
命を預かる「医学部」トップの、税金で飯を食い・最高額の年金を貰う人間の言い訳を聞きに来たのではない
(気持ちは解るが、患者にとって「それがどうした。愚痴って解決するのか。ナントカしろ)
教育側の責任は何より大きいが、
一人一人が「日本全体の問題」として、考えてほしい
現場(患者)無視」「教科書当てはめ」「検査絶対・切り捨て医療”」でいいのか
「どういう医者・病院であってほしいか」---

 

 


 

病気は、誰にでも降りかかる”現実”であり、避けられない。
医者である限り、”慢性疲労症候群”のような「実態が伝わらない病名振り回されることなく「実態」をしっかり把握し、
早期発見、早期治療で対応してほしい。
(医学界が「信じる・信じない」を続けている間に、大勢の友人たちが「医者の”無視”」で亡くなった)

 

再発性多発性軟骨炎のような「患者数」の少ない病気に対しても同様である。
(「患者数が少ない病気だから信じない」など言語道断。ド素人ではあるまい、専門医なら診断・治療出来る)
・・・
現実的に「治療法がなくどうしようもない」としても「ナントカしようとする」・・・

 

「現実」(臨床現場)は教科書とは異なる。
1/70(+)億患者は懸命に伝えている

唯一無比の患者、一人一人の貴重な報告から、しっかり学んで社会に役立ててほしい。

 

 


 


※診断の決め手となる検査が存在しない「
再発性多発性軟骨炎の診断」について。
「炎症反応(CRP)上昇を伴わなければ診断に自信のない・
診断出来ない」、”炎症反応(CRP)絶対信奉”の
「東大および東京医科歯科大(東京のコクリツ)膠原病内科」の影響力が非常に強い「
難病センター」では
診断基準に「基本、生検が必要」と”付け加えた”が、
日本より患者人口の多い(経験豊富な)西洋で「診断に”生検”を必要とする国」は聞いたことがない
--McAdam'sの診断基準を満たすことは非常に難しい--

「診断の決め手になる検査が存在しない病気」はほかにも沢山ある

(難病と呼ばれる病気の多くは診断の決め手となる検査が存在しない)
「再発性多発性軟骨炎」だけ不自然なまでに生検に固執するのは
あれこれ”理由”を並べているが、単に「慢性疲労症候群を認めたくないから」である
[再発性多発性軟骨炎の診断]

 

 

同「難病センター」では、ベーチェット病でも、
相変わらず、
「炎症反応(CRP)が全く上昇しない場合はベーチェット病ではない」としているが
”完全型”でも「炎症反応が全く上昇しない患者」が日本全国に”多々”存在しており患者達は大変な迷惑を被っている
(炎症反応(CRP)そのものが信頼性に欠くものである限り「当たり前の現象」であるにも関わらず)

”自己免疫疾患”の分野では
「慢性疲労症候群に関わる可能性が高い病気」に
片っぱしから「現実に即さない記述」を付け加え「変えない」ことからも
”医学界”がいかに「慢性疲労症候群を認めたくないか」よくわかる
---オーストラリアのアリソン・ハンターさん(9歳発症・享年19歳)は
「ベーチェットに酷似した病態」で亡くなったことを決して忘れてはならない---
(シドニー・モーニング・ヘラルド紙:アリソン・ハンターさん」の記事
原文

 



慢性疲労症候群の診断を持つ患者は、自分を含め、「医学界の犠牲者」と言える
慢性疲労症候群は「誰でも罹りうる」「患者数の多い」疾患。
このまま放置して労働力を更に減少させ最終的に国を潰し国民を殺す気か

 

 

 

 


 

 

医者が「炎症反応が正常だから気のせい」「大したことない」「信じない」「認める・認めない」、”言い訳”ばかり延々と続けて「現実から逃げまくった」約40年間、

患者は何も言い訳にせず、発症(15歳)以来、必死で考え付く限りの対応策を自力で編み出し、黙々と努力を続けて生きてきた。

(医者が「病気」と診断しない限り、患者は、どういう体調であっても、常に「自分の方法が悪いから」であり、

一切、”言い訳”(体調が悪い)など言える環境にない)。

どの病気であっても、「患者の現実(日常生活)」というものは、病気を言い訳には出来ない

患者側は一切言い訳せず必死で頑張っている。

内科医ばかり「言い訳」(炎症反応が陰性だから診察しない)がまかり通るのはどういうことか。

医者側が変わるべきではないのか。

 

医者自身を含め、”誰もが罹り得る”「慢性疲労症候群」について

あと何十年待てばよいのか

いつまで、どれだけ、患者に負担をかけ、犠牲者を出し続けるつもりなのか

 

----「慢性疲労症候群」に関しては、いくらアメリカの優秀な膠原病内科医達に尋ねても答えは返ってこない(解っていない)

たとえ専門が違っても「自分で考えることが出来る」日本の優秀な内科医達は

「血管炎のような病態」と気づいており、

癌や感染症を扱う”免疫専門医達”も「免疫から診てよくある病態」であることを知っている----

(日本は「血管炎の分野」が強いこと、”血管炎”に対して「炎症反応(CRP)を絶対とする膠原病内科医は論外」であることを覚えていてほしい)

 

特に、早期発見・早期治療(対応)により、健常者と殆ど変わらぬ人生を送る確率が上がる「子供の慢性疲労症候群」はどうしてくれるのか

大人でも子供でも、どの病態でも、「まず早期発見・早期治療」が医療の基本である

「慢性疲労症候群」だけいつまで放置するつもりなのか。いい加減にしろ

 

 

*****************

 

 

 

病気の存在を信じなければ、決して診断できない
血液学のトップ、ジェームス・イスビスター医師
(オーストラリア:ローヤル・ノースショア・ホスピタル)
--シドニーモーニングヘラルド紙:アリソン・ハンターさんの記事より---
著者「ジュリー・ロボサム氏」(Julie Robotham, 医療ジャーナリスト)

 

・・・アリソンさんが亡くなる6週間前、新らたに関わった専門家は、
彼女が複雑な免疫症候群であるベーチェット病にかかっている可能性を疑った。
正当な病名とともに、権威ある医者たちもアリソンさんを受け入れ、親切に対応するようにすらなった。
「彼女がこれまでずっと受けるべきだった対応を今になって受けるのを見るのは全く耐えがたいものだった」とアリソンさんの母親は述べた。
 
しかし、アリソンさんはベーチェット病と正式に認定されず、そのころにはすでに非常に衰弱していた。
最終的に、心臓がダメージを受け、咽頭部に大きな潰瘍ができ、胃腸障害、重篤な神経症状が併発し、彼女は亡くなった。

ローヤル・ノースショア・ホスピタルの血液学のトップであるジェームス・イスビスター医師は、
アリソンさんが子供の時と10代で病気が再発した時に彼女の治療にあたっていた。
(それ以外の時には彼女は別のシドニーの病院で治療を受けていた)。
彼は自分の娘がアリソンさんの学校友達ということで、個人的にも繋がりがあり、
彼女のことを才気にあふれる、知的で明るい女の子と表現していた。

イスビスター医師は、「正直なところ、最期は、手の施しようがなかった。
彼女に対する医療機関の対応には、非常に困惑してしまうことが多かった。
彼女が体験した多くのとんでもないことは、医師自身の恐怖感と能力不足を投影したものである。
なぜ、彼女が医学的に重病であると、いずれの医師も考えなかったのか私には分からない」と言い、
彼女は、侮辱と残酷な扱いを受け、尋常でない身体的な苦痛を味わい、まるで、「強制収容所に入れられた人のようであった」と述べた。

イスビスター医師は、理解できないことを認めることができない医療システムを嘆いた。
一人の教育者でもある彼は、医学生に対し、「偏見を持たないことの重要性と、症状よりも患者に注意を傾ける必要性」を強調した。

「病気の存在を信じなければ、決して診断できないのだから」と、彼は学生たちに教えた・・・

 

※ 診断が出来なければ「治療」は出来ない。
(「炎症反応(CRP)が上昇しないから治療しない」というような医者達は論外も論外、「医者ではない」)
「慢性疲労症候群」の”実態”(深刻さ)を医者が信じ、「診断・治療」していれば、
9歳で発症(10歳で再発)したアリソン・ハンターさんは若くして無残な死を遂げることはなかった。
アリソンさんのにも、おびただしい数の慢性疲労症候群の患者が「医者の”無視”により」亡くなっている
「医者により殺されている」と言っても過言ではない。


繰り返すが、
慢性疲労症候群は誰にでもかかる病気であり、
トリガーに心当たりがなくゆっくり発症したり、筆者
のように小児科医がカルテを見た途端「何が起きてもおかしくない!」と激怒するほど
「子供の免疫に対してステロイドの異様なほどの大量投与」医療ミスからも発症するが
・・・「
免疫に関わる薬剤が関与するケースもあるが・・・)、
患者の多くは「何らかの感染症」(インフルエンザほか「誰でもかかる”風邪のような症状”」)の後に発症している。
(心因性のものではなく「免疫異常」の状態であることは、アリソンさんのケース
だけではなく他の多くの患者が強く示唆している
---「ステロイドの過剰投与」で症状が再現出来るのであるから「免疫」の病気であり、心因性のものではない---

日本では、2008年に、世界に先駆け「血管炎のような病態」と把握しており
「日本内科学会」にて「膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)」に分類されている。

・・・日本内科学会の分類に対して、「慢性疲労症候群」の”実態”を知らない医師達の間で
「政治力が働いたのだろう」などという憶測が広がっていたが、とんでもない誤解である。
(アリソン・ハンターさんの記事を読んでも「政治力」などと言うのか?)
・・・

◆「慢性疲労症候群」に限らず、”患者を実際に診ず”、「”病名”から受ける印象」による「憶測だけ」で「止まってしまう」医者、
「実態・真実を知ろうとしない」”探究心のない””非科学的な”日本の「憶測医療」は何とかならないものか・・・

◆外科だけではなく、内科も、「実際に患者を診た医師にしか診断出来ない」にも関わらず、
診断に至った「その時」を含む患者の体調や、細かい背景・要因も知らずに、
他医の診断を安易に疑う日本の内科医の姿勢はどうにかならないものか・・・

◆診断に疑問があった時、「診断を下した医師」に”直接”尋ねる習慣のない、
不真面目な(職務に怠慢な)日本の内科医は、なんとかならないものか
--いくら多忙でも、問い合わせが必要なケースは、そう多くない--
(患者の命がかかっているのに、医者が「遠慮の塊」では、患者はたまったものではない)





 

殆どの「慢性疲労症候群」の”現実”は自然と治るものではなく、
アリソンさんや他の患者さんのように---死亡者リストの中にはたとえいくらかの誤診が混じっていたとしても---、多くの死亡者が出ている。
慢性疲労症候群が「名前とは裏腹に非常に深刻な免疫の病気であること」は明白であ
早期発見・早期治療が必要な病気である


「慢性疲労症候群」は軽症から重症まで巾が広く「患者数が多い」。
医療従事者における慢性疲労症候群の深刻な実態」の徹底した周知とともに、
即刻、患者が「慢性疲労症候群の診察」をどこでも受けらるよう診療体制を整え
「診察を開始すること」が喫緊の課題である。ナントカしてほしい
子供も大人も、これ以上犠牲者は出せない。出してはいけない。


慢性疲労症候群の生き残りである筆者は
15歳で
発症以後、「慢性疲労症候群の実態(深刻度と患者の窮地)」が”正確に”医師達に伝わり
「臨床・医療現場が変わること」を心から願い
「40年待った」。
同様の仲間(生き残り)の中には、子供の頃に発症して以来60年以上(もっと)待っている患者もいる。
いずれも「”慢性疲労症候群”そのものの悪化」や「別な免疫疾患併発=慢性疲労症候群の”合併症”」で悪化の一途を辿り
時間がなくなっている。
---特に「前者」は未だに「医者がいない」(「どこの科に行ったら良いか」さえ解らない)---

実際、「現場」が間に合わず、

「慢性疲労症候群そのものの悪化」や「慢性疲労症候群の”合併症”(別な免疫疾患)」でおびただしい数の患者が亡くなっている
医療はまず「患者ありき」。医者なら何がなんでも患者の立場に立ってほしい。
もう待てない。

繰り返す。
「慢性疲労症候群」は「風邪」のような症状から発症する「誰でも罹りうる深刻な免疫の病気」であり、

大量の死亡者も出ている
(・・・・
たとえ、お医者さんでも「ひどい風邪」にかかることはありますよね・・・) 

 

 

日本では、
せっかく世界に先駆け、
「慢性疲労症候群」を「自己免疫疾患(膠原病類縁疾患)」として正式なカテゴライズが出来ている
「慢性疲労症候群」は医学界からあまりにも長年拒否され続け、もはや時間がない。
『足元から』(時短)。
まず自国の「慢性疲労症候群」患者を真剣に受け入れ診察・治療・コントロールに全力を尽くすと同時に
文字通り命を削って数えきれないほど沢山の貴重な「現実」を伝え(教え)ながら亡くなっていった
世界中の多くの慢性疲労症候群・湾岸戦争症候群患者に対する深い感謝と、
彼・彼女ら自身の筆舌につくせぬ無念に応える為に、
「世界中の患者の救済」は当然、言うまでもなく、
「研究してもカネにならない」と言われる自己免疫分野の希少疾患患者、ほか、
あらゆる免疫疾患患者救済に関わる(共通する)「メカニズム」を見つけるべく、猛烈に徹底した研究を貫いてほしい
患者数が多いことは有利に働く。

これまで、単に、医者が「現実」を拒絶してきた(診なかった)だけで
「炎症反応に異常が出ず、激しい全身性炎症を起こしている患者」は、多い。
「慢性疲労症候群」は歴史的にも古い病態であり(有名な患者にナイチンゲールがいる)
人類が免疫疾患から逃げることが出来ない、と同様、慢性疲労症候群から逃げることは出来ない

{全ては慢性疲労症候群から始まった」

 

 

---Co-Cure-Japan---

 



 

 
何万回でも言う。15歳で発症した「慢性疲労症候群」で治療を開始していれば、こうはならなかった

 

---全ては「慢性疲労症候群」から始まった---

(「慢性疲労症候群」は誰にでもかかりうる病気。医者がこの病気の存在を認めない限り救済は出来ない)

 

 

 

*何万回でも言う。東京の内科医達が「炎症反応(CRP)」を”絶対視”する医療を延々と続けなかったら、

ここまで悪化させることなく、殆どの治療薬(免疫抑制剤)に副作用を起こす「前」に手を打つことが出来た。

---よく覚えていてほしい---

「炎症反応(CRP)」は「自治体の検診」に使われている一般的な検査であり

「あなたの問題である」ことを

(検査に異常がないから何もないです。気のせいです) 

 

 

ここに紹介したのは「わかりやすい例」である

これでもまだ「CRPは絶対だというのか

慢性疲労症候群は「大したことない病気だというのか

 

 

 

”慢性疲労症候群”は「誰にでもかかりうる病気」

”CRP”は「誰もが受ける検査」

病気は職種を選ばない

すべては、今これを読んでいる「あなた」(医者自身)と「あなたの家族」に降りかかる問題であることを、忘れないでほしい

 

全ては「慢性疲労症候群」から始まった

全ては「激しい全身性炎症があるにも関わらずCRP陰性」から始まった

 

 

 


 

 

これまで「慢性疲労症候群は炎症反応(CRP)が陰性だから炎症性疾患ではない」と決めつけ、医者は無視してきた。

「慢性疲労症候群」のことを口にすると医者は「慢性疲労症候群」を「なかったこと」「大したことない病気」にしようと執拗に激しく必死で攻撃してくるが、

”長年にわたり”「慢性疲労症候群としか説明・分類出来ない病態」は厳然と存在し、
ほかの病気に発展せず「慢性疲労症候群”だけ”の診断を持つ患者」にも死亡者が出ている。

慢性疲労症候群がわかってこない限り自己免疫疾患は見えてこない

(すべては「慢性疲労症候群」から始まった)

 

「炎症反応(CRP)について」(再発性多発性軟骨炎)
希少疾患で患者総数が非常に少ないことに変わりはないが、日本に比べ「再発性多発性軟骨炎」の患者数が比較的多い西洋では
「炎症反応が陰性のまま致命的な炎症を起こす患者」が多く存在する

再発性多発性軟骨炎の診断がつく前に「慢性疲労症候群」の診断を持つ患者も多く、同患者間でも「血液検査に異常が出ないこと」はよく話題になる

(家族が医者、ご主人が膠原病内科医という患者も存在し、「CRP陰性」は別にトップシークレットの内容でもない)

----日本の膠原病内科では「死体が出たら信じる」というレベル----

 

繰り返しになるが、炎症反応(CRP)に関しては、自己免疫疾患だけではなく、結核予防会でも「信頼性に欠く」と発表しており

自己免疫疾患や結核だけの問題ではなく、「ありふれた問題」である。

肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 

 

信頼性に欠く”炎症反応(CRP) ”で病気の人間を「差別」し続け、おびただしい数の犠牲者を出してきた医者には責任がある

「慢性疲労症候群」は人権問題でもあることを覚えていてほしい

 

 

時間は(命)は二度と戻ってこない

患者の皆さまには、「どんな時でも、”医師として正確な仕事”が出来る」「ブレない医者」にめぐりえ巡り会えることを切に願います

(厳しい「臨床教育」を受けた医師、および、医学界の中の自分ではなく「社会」を考えられる医師はぶれることはない)

 

 

もう一度伝える

・全ては「慢性疲労症候群」から始まった

・全ては「激しい全身性炎症があるにも関わらずCRP陰性」から始まった

・CRPについて、自己免疫疾患だけの問題ではなく、「社会」(人類の存亡)を扱う結核予防会では「信頼性に欠く」と発表している

肺結核における炎症反応の意義」(2004)

 

 

 




もう一度繰り返す。
中学3年(15歳)で「慢性疲労症候群」を発症し(後年他の自己免疫疾患を複数発症)「40年」経過したが、

医師達は「慢性疲労症候群の”実態”」を未だに理解しようとも診療しようともしない。

「一体どういうことなのか」

 

日本では、2008年、日本内科学会が正式に、慢性疲労症候群を「膠原病類縁疾患(自己免疫疾患)」に分類している

http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

”炎症反応(CRP)陰性のまま全身性炎症を起こす”(信頼性に欠くCRP)については再三説明した

---自己免疫疾患だけではなく、感染症の分野からも報告されている(結核予防会・上述)---

 

慢性疲労症候群や自己免疫疾患だけではない。

「癌」や「前癌症状」も含まれており、重篤な症状を抱えているにも関わらず、

炎症反応(CRP)陰性の為に「大したことない」「気のせい」と医師から無視される患者は数限りなく存在する

”権威や大御所・既存の考え・教科書・皆の見方”に捉われず、権威や大御所達は”自らのメンツやプライド”を脇に置き

「患者の為に」ひたすら純粋に職業人”医師”として

『雑音』を一切排除した状態で

亡くなった友人達、”一人一人の声”を、もう一度静かに聞いてほしい

「これは医師として放置してよい問題なのか」

慢性疲労症候群の死亡者リスト(2003) 

 

----「慢性疲労症候群の診断を得る為には「血液検査陰性」が条件の一つになっていることを忘れてもらっては困る----

 

 

死体が出たら信じる」とのことであるが犠牲者は既におびただしい数でている。

下記はどう説明するのか。これでも「慢性疲労症候群」は「大したことない病気」「心療内科領域の病気」というのか

アリソン・ハンターさん」の記事 (シドニー・モーニング・ヘラルド紙)

原文




免疫の病気と認めたのであれば、一刻も早く、診療体制を整え、「治療」してほしい
治療薬がないのなら、「正しい治療薬」を見つけ、「正しい方法」で、患者に届けてほしい。
諸悪の根源、「CRP絶対(信奉)」は、もうやめてほしい。

 

 

 

 

 



「慢性疲労症候群」と
その関連疾患に関する「情報提供」
亡き友人達に捧ぐ--

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Communicate for a Cure."

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