行きがかり上、同業者にも通知する必要性が起き(最下述・黒背景)、専門分野の内容が入るが、

「”慢性疲労症候群”という病名を持つこと」で起きる”現実”、および「慢性疲労症候群に関わる症状」であり、

よく読んでほしい(何が起きるのか)。

 

医者に「死んでもよい」「死体が出たら信じる」と言われ、おびただしい数の友人を医者のせいで失った人間が知る”実態”である。

医者が「エビデントベースト医療」をかかげ「検査」ばかり信じ「患者の訴え」(言葉)を聞かないことにより、日本のみならず、

世界中で同じことが延々と起きている。「医療は誰のものなのか」

 

   -----特に、日本は医者に「さま」をつけるほど特別扱いする社会風習があり、「検査に異常がありません」「ストレス」

   「気のせい」と医者から言われたことのない人はいないほどで、日本(特に東京)の”内科医”の臨床技術低下は目に余る。

   また、既に世界が経験したことのない超少子高齢化社会に突入しており、その弊害は、他の先進国のものとはレベルが違う----

 

 


 

 

 

 

--「脳神経科」--

 

 

 

・「脳血管攣縮」・・・慢性疲労症候群やベーチェットにも共通する症状

(「脳血管攣縮」は「膠原病」--”自己免疫疾患”--に多い症状である。西日本ではよく知られている

 

*可逆性脳血管攣縮症候群

 

*可逆性全身性血管攣縮症候群 Reversible Systemic Vasoconstriction Syndrome 

 

*Reversible cerebral vasoconstriction syndrome(RCVS)による脳梗塞を
きたした全身性エリテマトーデス・抗リン脂質抗体陽性患者の 1 例

 

 

◆【慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)について】

  慢性疲労症候群・ベーチェット病・再発性多発性軟骨炎の「目に見えない症状」(脳神経症状)では、脳神経内科の医師から「脳炎でも起こした

  ことがあるのか?」と尋ねられるほど強い症状が散発し、後遺症が残る。

  硝子体出血など「よく出血を起こす患者」の場合、脳炎というより「脳内出血」(血管の炎症)を指摘されるが、CRPはもとより、画像での変化は

  捉えられない。

  いつもと違う異変が起きたとき、小児発症で「気のせい」「”出来ない”だけは絶対許されない」環境で育った人間は、医者に行くよりも

  「症状を悪化させないこと」、および、「外見(健全な状態)に合わせられるように」と、「代替回路づくり・体の使い方の工夫」に、死に物狂いで

  集中する。一回一回、どれ一つとして同じことが起きないことから、「方法」(どうしたらよいか)は試行錯誤を続けるしかなくゼロから・ゼロ以下

  から訓練を日々繰り返すしかない。「代替回路づくり・体の使い方の工夫」、共に「”外見”に見合った回復」まで通常5年〜10年以上かかるが、

  いくら努力・工夫しても回復しないものは「たくさん」残る。自分で自分の「前」と比較せず「前はなかったこと」として「前に進む技術」を獲得して

  いる小児発症は現実に強いが、医師からも理解を得られないことは避けられず受け入れなければならない。(無医村に暮らしていると思え)

  日記をつけること等(できれば「3年日記」など)、「記録」が、体調管理・後遺症対策のカギとなる。

 

   
 
 

 

「可逆性に限らない脳血管攣縮」、あるいは、「血管の炎症」の可能性が原因の”症状”について

 

軽い症状では「道に迷う」(見慣れた近所の景色が見知らぬ土地に見える・わからなくなる)、ほか、もっと大きな記憶障害(子供の細胞

ですら発症前と比べ専門(得意)分野の記憶に「6倍時間がかかるようになる」、脳内の書庫が一瞬で(気づいたら)ほぼ壊滅)など、

多種多様の症状が出るが、殆どの場合「せっかくやり直しなら前の状態より良くしてやろう」とゴールを高く設定する習慣により(文字通り

ゼロから何百回・何万回の繰り返しにより)、「訓練」で「最低でも標準」に戻すことが出来る。

「やり直し」で前よりよくなることもあるが”年月日”や”消滅”など「後遺症が残る症状も多い」

 

※脳血管攣縮の症状に対してバイアスピリンは効果がなかったが「ミグシス」が効く(症状が緩和される、が、吐気の副作用が出る)。

夕方〜夜(モニターなど)「目が見えない・見えにくい」という症状は、「微小血管障害」に属する可能性がある。

 

 

     ※再発性多発性軟骨炎に伴う「可逆性脳血管攣縮」に最も良く効く薬は「免疫抑制剤」

     (脳血管攣縮に伴う”頭痛”の発症は抑えられないが、「近所の景色がわからなくなる」「道に迷う」などの症状は出なくなる)

     (一般に使われる「ミグシス」より効く。機序が違うのか?)

     自己免疫疾患に伴う可逆性脳血管攣縮の患者が「ホルモン剤」などを処方され、症状頻発・悪化させているのではないか・・・

 

 

   「年月日がわからなくなる」など「後遺症が残る」問題に関しては、脳血管攣縮ではないという意見がある。

    血管攣縮なら「元に戻る」とのことであるが、元に戻る病態は「可逆性」という名称がついている血管攣縮に限るのではないのか。

   (「見慣れた景色解らなくなる」「迷う」などの症状)

   1.プロに教えていた”専門家”が「できなくなった」ほどの「後遺症の残る症状」(画像では全く異常がない)については、どう説明するのか。

   全国の「膠原病内科医」および、「画像に出ないから信じない」と言い切った「脳神経内科医」に尋ねる。

   ・・・あまりにも「出来なくなったこと」が多すぎる(全滅・壊滅)。「血液検査や画像に出なければ信じない」というなら、専門的な内容につき、

   国内外の第一線で活躍する同窓生や当時数年前後した学年、まだ生きている当時の教官に証明して貰えば「血液検査・画像に出なくとも」納得して

   くれるのか ・・・・”ソルフェージュ”(3歳から書いている”楽譜の書き方・初見「ほか」”完全消滅” (「楽譜」は「5年かけて元レベル(オケ譜)

   までやり直し」、”初見”----初見移調を含めほぼ何でも初見で演奏した。(移調はショパンエチュードでも遊べた:昼食時「レッスン前”最後の練習”」に

   必死になっている専門学生のop.10-1に”半音あげて”同時・同スピードで合わせクラス全員から苦情が来たこともある)。この手の技術は「教わるもの

   ではない」が明らかに「日本の学校で磨いた技術」であり、学生時代から教授依頼が多く「人」と「社会」に最も貢献でき「もっとも食える技術」が

   「回復不可能」となった。----”音楽書庫ほぼ壊滅”(演奏したソロや”一部を除き”有名どころのオケなどは生き残ったようであるが--アイネクライネは

   1楽章以外「聞いたこともない曲」となりショスタコのボルト(荷馬車)が生き残った(性格か?)etc---、ほか「全く聞いたことも弾いたこともない曲」と信

   じ込んでいたら楽譜が出てきて「書き込みだらけだった」など。全回復不可能)。”固有音”を正確に使ってスケールが弾けるようになるまで「10年」

   かかった、等々々。

   何が起きたのか知りたいほど、ただただ壊滅状態だった・・・ステロイド筋炎の「手足首ブラブラ(紙一枚もてない、3センチの段差が上がれない)から

   やり直し」(10年かけてもまだ難しい:(まだ属七がつかめない)、萎縮した筋肉を広げる訓練および複数の免疫抑制剤に加えて中量以上のステロイ

   ド継続服用で新たな”筋炎”を繰り返し「漸減すれば炎症悪化、増量すれば筋炎発症」、”筋炎”とは非常にやっかいな病気である)とは全く別な、

   「再発性多発性軟骨炎を発症した1995年以降」、”専門分野”に「壊滅的な」脳神経症状が加わり、”総合的に”「全て」を失った。

 

 

   医者には意味がわからないだろうが、専門家には神経症状の「深刻度」「精神的ではないこと」はよくわかる                                        

   何でも疑う「画像に出ないと信じない医者」は、上記が「1学年に1クラスしかない学校」につき「同学年の”全員”が知る”レベル」                  

   については、全校学生および、直接実技指導をする大学側の教授・教官全員が知っていることを念頭に置いてほしい                 

   ---税金使用につき、1学年の学生数40名”以下”(年度により「入学者該当なし」の科がある)、総学生数120名”以下”---               

   医者に問う、「一体何が起きたのか」。「検査に異常がないから大したことない」とは「言わせ」                                

                                                                                   

 

     ”5〜10年かけて”「再訓練」が利いた破壊(楽譜の書き方や音階)に関しては、あまりにも突飛なことで(半信半疑も手伝い)大笑いしたが、

     その後、回復不可能な破壊があまりにも増加(いずれも上述)。

     まだ「”MRIに映らないから”症状はなかった」という医者がいる。最近の話である。

     これでも「検査」が正しく「患者が間違っている」のか。いくら何でも笑えない。

 

     内耳出血を起こすために飛行機に乗れなくなっている。

     「CRP≪炎症反応≫が正常だから」という理由でここまで放置するとは一体どういうことなのか(発症から36年)

     ”患者の言葉”より、”内科医”にとってそれほど「検査」が大切なのか。検査は補助的なものではなのか。

     一人の患者に起きていることではない。世界中で起きている。沢山の人間が命を落としている。慢性疲労症候群の死亡者リスト

     医療・医学とは何なんだ。何のためのものなのか。

 

 

    <そのほかの症状>

    中学3年(15歳)で発病以降、突然「本を読むこと」が不可能となり、”目的”を「税金」を使わせてもらっている特異性に絞り(演奏)、教科書は

    すべてロッカーに入れっぱなしで一切持ち帰らない決心をしたことも同クラス(同学年全員)が知っている------自分では理解できず混乱したが

    すぐに「生まれつき」「(発病より前は)”生きていなかったこと”」と片付けて前に進んだが、後年、同症状は(一部は回復不可能ではあるが)「ステ

    ロイド服用」によりかなり回復することがわかった。ステロイド開始までの何十年の苦労、実際に亡くなった多くの友人達のことを考えると言葉がない。

    ※「慢性疲労症候群」の脳神経症状は、「不可逆的な症状以外」、ステロイドだけではなく、「メトトレキセート単剤(十分量)」や、自己免疫

     疾患の治療薬に反応する症状が多い。

     中学が当時屈指の進学校だったこと、発病前の成績、勉強も面白く高校も最終的に当時屈指の進学校を狙っていたこと(-----当時の教諭や高校

    入試合格直後「十中八九白血病」とのことで長い病欠の間、授業のノートを届けてくれた中学3年の同級生、ご存命であれば”校長”が証言できる:

    上記付属は入学許可を得られる確率があまりにも低く入試は「1月」、落ちても「一般高校受験」に間に合うよう設定されている。入試期間は「1週間」

    日程はある程度まとめているが実質5次試験まであり、その間ほぼ毎日試験/貼り出し発表形式で受験者は落ちていく。最初の体調悪化が「10月」、

    11月には脳神経症状の症状一部が出た。不可解に感じたが一時的な症状で「単なる疲れだろう」と考えた。入試では熱っぽく「発熱」は解っていたが

    (大阪から受験のため)「体温をわざと測らず」真っ赤な顔で審査員に「元気そう」と言われた。合格後は大きく体調を崩し(十中八九白血病)「頚部

    リンパ節生検」(白血病は陰性)などで中学の卒業式も出席できず長期欠席となり校長にも心配をかけた----)、中学時代に担当教師を追い掛け

    回して質問・常に逃げられていた「理科」で後に著名な物理学者たちに強烈に誘われたことから、ようやく「ロッカーに教科書を入れっぱなし決意を

    した時点では既に”異常な健康状態”に陥っていた」「異変はそれ以前に起きていた」、「”極限状態”での自分の判断」(片方を捨てたこと・理由は

    解らないが両立は命に関わる)が正しかったこと」を、自分でもようやく理解できるようになった。

    自己免疫疾患特有の「筋肉・関節痛、微熱、リンパ節の腫れ、激しい疲労・倦怠感」など身体的な症状を伴い、「毎日嘔吐」をはじめ枚挙にいとまが

    ないほどの脳神経症状が中学3年(15歳)で出た。(全ては15歳、「慢性疲労症候群」から始まった。「人生とは酸素ボンベなしで潜水し続ける

    ようなもの」と感じていた)。

 

    その後の学校生活は激しい体調不良のため長期病欠が続き「出席日数との戦い」、長期欠席のため「ゼロからやり直しの繰り返し」となった。

    (高校ではギリギリ。エスカレーター式ではなく「大学受験」は一般と全く同じで心配された。大学でも体調が非常に悪く欠席が続き教授陣全員が真剣

    に心配するほど卒業が危ぶまれた。3年次に偶然若干体調が向上した時期があり、1年でほとんど全ての単位をとり卒業)。実技の成績が抜群だった

    ため「馬鹿にして学校に来ない」といわれた。

    同大学保健センター教授(東大医学部卒・解剖学「故・三木成夫氏」(名著「胎児の世界」の著者)の試験での小論文が好評でよく話しを聞いて下さった

    ことがきっかけとなり、同医師のみが大学時代唯一の理解者であった。

    脳神経症状も大変だったが、突然始まった「異様な疲労・倦怠感」(「朝目が覚めなければよかった」と思うほどのだるさ。慢性疲労症候群の疲労感は

    「重症筋無力症」の同症状との類似点が指摘され長年議論されてきた)、「筋肉痛や関節痛」「筋肉のコントロール」の対応が至難の業となり、すべて

    「自分の技術の問題」として必死で対応策を考え編み出し続けた。中学3年(15歳)から突然始まった激変であったが「気のせい」とのことで死に物狂

    いで現実対応をし続けた。原因不明で操縦不能に陥り、機体が乱高下するの飛行機を操縦するような感覚だった。

    子供のころの異変は本人が「どこがどう」という説明が出来ない。医者が気のせいと言う限り「発病前はなかったことにする」「自分が間違っている」と

    信じる以外に対応策がなく、健康時の記憶が全くないため”比較が出来ない”。医者の「気のせい」を前に「発病前は生きてていなかったことにしなけ

    れば生きていけなかった」という”現実”が「桁ハズレの異常さ」を示すのかもしれない----「3(6?)ヶ月間、毎日嘔吐」ひとつとっても「尋常ではない」。

    それを医者から「気のせい」といわれたら子供は「自分を殺すしかない」(”健康時の記憶”を殺す・自分の全人格を否定して生きる(自分が生きている

    こと全て間違っているとする)か、”命”を殺す(自殺)か)。

    結果、「病識のない大人」に育ち、また医者から非難されることになるが、「”慢性疲労症候群”の段階で医者が対応してくれれば、人並みに自分を大切

    に出来る人間に育つ」と確信をもって言う ------大人も子供も、沢山の慢性疲労症候群患者が医療関係者・福祉関係者・社会・家族から追い詰められ

    自殺している。医者が「慢性疲労症候群」をしっかり受け入れ「治療」してくれれば、「病気の悪化により」死亡したおびただしい数の友人達も死なずに

    済んだ(彼らは全員「生きていた」)。

    発病以降、何も言わずとも心配や負担ばかりかけた親には、「医者が気のせい」とする病気の症状について一切相談したことはないが、親である限り

    子供の異変には気づいていた。(親が付き添い通院で相談すると「親が神経質だから」「育て方が悪い」と医者から激しく非難されていた。あまりにも

    気の毒で、その後二度と付き添いや体調のことで親を煩わすことはなかった)

    「戦中派の親」(命を知る・「理不尽」を生き抜いた人間)を身近に見て育ったからこそ、「CRP(炎症反応)」という”宗教”にしがみつく”医者”に振り回

    され続けた見事に馬鹿馬鹿しい人生を生き抜いてきた。言葉で「何」ということを学んだわけではないが、恩師達を含め「戦争」という”最悪の理不尽”を

    生き抜いた人達は全く「違う」。(単なる年寄りではない)。子供の「慢性疲労症候群」や「CRP(炎症反応)が上昇しなければ炎症性疾患とは認めない」

    とする馬鹿げた医学に巻き込まれた親は「医者の被害者」の最たるもの(親の人生まで狂った)。医者は多少でも自責の念がわかないものなのか。

    「孫がいてもおかしくない年齢」になった”子供の人生”をなんとかすればよいというものではない(遅い)。「親本人の人生」も何とかしないと、という気に

    ならないのか。”親だから”「トシをとったら”死んだらよい”」のか。それが当たり前なのか。「その人の人生」を何だと考えているのか。何をしたと思って

    いるのか。「慢性疲労症候群」と「CRP」の問題・被害は本人だけに留まらないことを自覚してほしい(まず「家族の大きな犠牲」ありき)。

    もう一度言う。「一体何をしたと思っているのか」

    「高齢者医療」について。内科医達の執拗な「全ては”トシのせい”」は、どういうことなのか。「炎症反応が上昇しなければ炎症疾患ではない」と

    全くおなじではないか。「内科教育」は何をやっているのか。”CRP"などの「検査」や「トシ」の「当てはめ医療」のどこが「科学的医療」なのか。

    内科医の言葉の中でも「あなた死んでもいいじゃない」(当時聖路加・副院長、「慢性疲労症候群?信じないね。あなた、死んでもいいじゃない。あなたが

    死んでも何が変わるわけなし、誰が気にするわけなし」)は、明らかな誤り「気にするのは親くらい」以外の部分を、医者の「気のせい」と同じく”真”とし

    受け入れ、その後の人生における「軸」となり、ある条件以外全く興味のない”残り時間”を稼ぐために大変役立っている。(よくわかった。残り時間は

    自分で決め「そこまでは精一杯工夫して生きる」)。笑ってりゃ過ぎる」。「三つ子の魂百まで」。

    東大病院では「再発性多発性軟骨炎でなぜ笑っていられるのか不思議」だと言われたが、「笑っていないと生きていられない」

    「慢性疲労症候群」の”小児発症”は、医者の(検査に異常が出ないから)「気のせい」を信じ、”自責”の念から、異様に激しい倦怠感と深刻な症状が続く中、

    「対応力」を振り絞って必死で「現実」に対応し続けた。医者に問いたい。「3(6?)ヶ月間毎日嘔吐」のどこが「気のせい」なのか。以前と比較して暗譜に

    ”6倍”も時間がかかるようになってどこが「気のせい」なのか(発病以前は「半月に一回」大きなソナタを人前で発表した。発病後は「3ヶ月」かかるように

    なり「運動記憶」に頼るしか方法がなくなった)。「筋肉・関節痛・微熱・リンパ節の腫れ」のどこが「気のせい」なのか 。「十中八九白血病」で始まり

    「頚部リンパ節生検」を要とした病態のどこが「気のせい」なのか。これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか。

 

 

   ----能力ではなく「職業」の話をしている。「自分が食っていく手段」「家族を食わせる手段」の話をしている。「ソロ」の場合、いくら一級の

   国際コンクール要員として海外から招聘されても「国際コンクールを受けに行く体力」がない限りどうしようもない(当時の関係者は「どの

   レベルにあったか」全員知っている)。「ソロ」「室内楽」同等レベルを併せ持つ人材は世界でも非常に少なく一級の演奏家から大変重宝された。

   特に「後者」は「どこでも何があっても食っていける技術」であり「他科」(医者のように他の楽器)を助け「業界」(社会の一種)や、「一般社会

   そのもの」に最も貢献できる技術。”日本の”「国費」で築き上げた技術。「CRPが正常だから気のせい」という”医者”を信じて「50年+」の

   結果であり、決して笑える話ではない。”医者”というのは「食えなくなる手助け」をする職種か。----

   なぜ税金を使った本人の死に物狂いの訓練成果である「技術」が、医者の「検査」ごときに潰されなければならないのか。何度考えても解せない。

   東大病院では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)という言葉も聞いたが、「医者」が”職業”を差別していいのか。

   親の家が芸術筋で「厳しさ」をよく知るが故、「遠隔受験」も控えた最も忙しい・体力的にギリギリの受験生を「7時間待たせて平気」という一般

   では考えられない”感覚”を持つだけではなく、当時「自分の出世」(国立大学教授職獲得)に生徒をパイプ役として奔走していたことも露知らず

   (あとで「生徒に責任転嫁して自分が”逃げる”」くだりなど想像すら出来ず)、親子ともその専門家(担当)の強い薦めと紹介(自分が連れていく)

   を何の疑いもなくまっすぐ受け止め、その「専門家」にすべてを任せ、年に1〜2人しか生徒をとらない・学内でも非常に厳しいことで有名な担当

   教授から「是非欲しい人材」といわれ付属高校受験を決意。同科で入学許可を得られるのは「全国から15人」のところ断トツトップで合格。

   「税金を使って勉強する重み」を親から叩き込まれ、それをしっかり背負い、付属高校・大学担当教授(恩師)も「税金の重さ」を誰よりも熟知、

   戦争に行った「命がけ」そのままの勢いと責任で生徒を教育した。  

   ・・・人生の中でも最も体力的に厳しく忙しい受験期(中学3年生)に対して「自分の都合で」(隣の部屋にいるにも関わらずテレビを見て)何度も

   「7時間」待たせた人間(3〜5時間待たせるのは”当たり前”。「全く同じ時間で”数人”予約をとるのが常習。”7人”という日もあった」)に関して、

   「発病」の「トリガー」になったことは明白で、生きていれば、当然、問題になったが”東京の有名コクリツ大学の教授として”「物故者」。

   ------サポート役として隣の部屋で手伝っていた自分や他の生徒の親、同じように待たされていた”他の犠牲者”(生徒達)が証言できる

   この人物は、死ぬ前、病態悪化のため長期間(年単位?)学校に行くことができず授業が出来ないことがわかりきっている状態にありながら、

   「親」が金を使って「コクリツの教授職」を(欠席のまま死ぬまで)保持していたことで、東京のコクリツ大学教授陣から大顰蹙をかった------

   (「あってはならないこと」を「起こした」専門家親子であったことを覚えていてほしい)

   ※古いことを、いつまでもチャゴチャ言うのは結構であるが、これ以上「同業界の恥」を公開させないでほしい。

   ”知識”の面ではいくら優秀でも「真偽を見抜く能力だけは”完全に欠落”している」ことで”同業者間”では有名な人物である限り、「最高額」の

   年金を支給される人間に見合った「社会奉仕」に余生を捧げたらどうか。

   下記は、当時の関係者はすぐ理解できる内容であり、当時の審査員が一部まだご存命のうちに伝える。

   --------受験したコクリツ附属入試の審査員の一人(当時最も権力を持っていた教授)から、全入試期間中を通して、「毎夜中」、審査員”全員”に

   「落とせ」と電話があり困った、と合格発表後に恩師から聞いて仰天、意味がわからずポカンしたした(恩師はすぐ全く無関係であることを見抜いた)

   幸い「断トツトップを落とすわけにいかない」と言い切るだけの「判断力」を持つ当時の教授たちを筆頭に(おかしなことをした退官間際の教授は論外)

   まっとうな審査員が合格させたので不問に付したが、迷惑を被ったのは「生徒」であったことを忘れないでほしい。

   (この学校は私費で成り立っているのではない。附属の入試妨害といい、奏楽堂演奏会の妨害といい、恥ずかしい限りである。 何をやっているのか)

   もし(入試)、いまだに生徒を疑い続ける「真偽を見抜く能力に欠く判断力のない人物」が当時教授として仕切っていたら、と考えるとぞっとする。

   「地位があって判断能力欠如」は非常に影響が大きい。人がよい悪いの問題ではない。誤った判断による犠牲者は沢山いる。

   ・「逆さ」に見えていることにまだ気づかないのか。受験期の生徒を7時間待たせて平気な感覚を持つ”専門家親子”(当時私立大教授とお茶の水

    女子大教授選真っ最中)が「自分達の保身のため3歳から通っていた生徒を売った」(自分達が強烈に薦めて生徒を連れて行きながら「生徒が

    勝手に行った」と主張。その後、これが生徒にとってどれだけの「迷惑」に発展したか)。

        子飼の生徒に責任転嫁してコクリツ大学教授の座を得た人物の恩恵を被る「地位のある生徒達」は結託して報復を企らみたいだろうが、

        この門下には激怒している元・生徒が「非常に」多いことを覚えていてほしい(同様の被害にあった生徒が一人ではない)

 

   1.「勉強の優秀な学校」を狙っていた生徒は「習い事”ごとき”」で自分勝手に指導者を探さない(子供の頃からの先生を信頼しきっている)。

   中学は受験校で猛烈に忙しくただでさえ時間がなかった。”習い事での受験”が「邪魔になる・・・」と案じていた。(演奏は些細なミスが命取りになる。

   本番は何が起きるかわからない。落ちる確率は高いと踏んでいた。勉強なら「消しゴムが使える」。勉強一本に絞ったほうが有利。「浪人と滑り止め

   受験」は許されなかったが、東京での入試で遅れた分を取り返す”ペース配分”は見当がついていたので受験した)

   ----そもそも大阪-東京の新幹線往復だけで何時間かかると思っているのか。誰が交通費を出すのか。不要不急で学校は休めない。「一日休むと二度と

   ついていけなくなる」といわれていた詰め込み教育時代の”追い込み授業”はどうするのか。同級生に確認したところ殆どの生徒が塾に通っておりその

   多くが「弁当を二つ持って」登校(学校の昼と塾用。帰りは皆ぞろぞろと夜の「11時頃」。1学年12クラスのマンモス校)。決して多くはないが一日4−5時間

   の練習時間で塾に行く時間はなく、勉強時間も最低限に限られ、自力でナントカしなければならない状況下、出来ることは、無心で、一つ一つ、目の前の

   ことををクリアするのみ。その”充実感”が大変爽快で楽しかった。自分で習い事の先生を探す、など余計なことを考える時間も余裕もない。

   生徒に責任転嫁した”専門家親子”は「母親が探して勝手に行った」とも主張したが、母親は専門職を持ち(京都の人間国宝の下で修行した染色作家

   ----後に東京で、全く違う分野で数年前まで活躍)、仕事には納期があり”非常に”忙しく、親の興味もない分野かつ学校に入れるだけで医者の3倍カネの

   かかる子供の習い事には迷惑千万。「早くやめて貰うために」子供の頃のコンクールやコクリツ付属受験を許可した(実力を知ればさっさとやめるだろう)。

   芸術畑の厳しさをよく知るだけに「やめさせることに全力をを尽くしても」自ら子供の習い事の先生を探しまくるなど考えられないどころか想像も出来ない

   「ありえない」話。(芸術畑に素人の親バカじゃあるまい馬鹿にするなと怒鳴りたい。「我慢ならない作り話」のためにどれだけ迷惑を被り不愉快な目に遭ったか)

   2.受験前年にはすでに体調を崩していた---- ”決定的な出来事”は受験直後(頚部リンパ節腫脹で生検に至った「十中八九白血病」と、その後カルテ

   がまわされ内容を読むなり小児科医が「何が起きてもおかしくない!」と激怒したほどのステロイド過剰投与・・近医から紹介された外科処方・・1970年

   当時の日本製のプレドニンは非常に質が悪かった・・・であったが、受験前年から症状が出ており、----ステロイド過剰投与後のように日常生活が出来

   なくなる程度ではなかったが----「症状」はそのとき疑われた病気(白血病)や後に発展した病気が語るよう尋常なものではなかった)

   偶然、入試の順番(全実技日程)が「午後」だったため、午前中はゆっくり休み(ギリギリまで睡眠をとり)試験では普段どおり演奏できたが、

   もし演奏順番が午前中だった場合は絶対に落ちていた(自信がある)。それほど体調を崩していた。

   その後、本来1年間かけて漸減するステロイドを、高校の入学式にあわせ「1ヶ月」(”記録”確認)で「漸減」(-->「ゼロmg/day」)のため入学式前日まで同小児科

   に通った。小児科医は必死だった。最後の診察で(腹部)「ここは痛くないか」と問われ(痛かったが)「痛くない」と答えた。(「痛い」というと上京できなくなるのでは

   と恐れた。「医者なら東京にもいる」と考えた----まさか東京の内科医療が日本で最も”遅れている”など最近まで知らなかった。超多忙な親は一足先に入学準備

   のために上京していた(親に迷惑をかけている)。小児科最後の診察後(入学式前日)その足で上京、翌日の入学式に間に合わせた。

   入学後の激しい体調不良は養護室の教諭が証明できる。

 

 

1)・・・・上述の、「頚部リンパ節腫脹で生検に至った”十中八九白血病”」(結果はネガティブ)、および、

     「ステロイド過剰投与」から始まった症状・病態が「慢性疲労症候群」である。

     発症の仕方は人それぞれだが、「慢性疲労症候群」がどういう病気であるか、見当をつけるために役立つことを願う。

     ------これでも「気のせい」というのか、「心療内科領域」というのか、「慢性疲労症候群は大したことない病気」というのか。答えろ----- 

 

2)・・・・故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しかったことになる。

     故・内田教授は「慢性疲労症候群研究班」の発足以来、亡くなるまで同研究班員で、当時(1991年〜1996年没)、海外の患者・医師や研究者達

     からも一目置かれていた。(次ページ「京大」参照:日本の研究

     内田教授が亡くなってからの「慢性疲労症候群研究班」は、倉常の研究に沿ったものばかりとなり、患者に多大なる迷惑をかけ続けたとともに、

     未だその悪影響と混乱を医学界・社会に与え続けている。「手遅れ」になった患者をどうしてくれるのか。

 

3)・・・・1994年当時から東京の膠原病内科では「京大の内田さん、人体実験やってるんだって」と患者に”勝手な憶測(噂)”を伝えていたが、

     現主治医のことではない。東京の膠原病内科医達は現在(2018年)も「東大を中心に」同じ事を続け(”地方の医師”を否定し「作り話(憶測・噂)」を

     広めて「潰す」)、体質を自らを是正する気配もない。日本の膠原病内科は、いい加減「患者第一医療」になれないものか。

     日本中の膠原病内科患者にとって、怒りどころのさわぎではない。

     膠原病内科から見えてくるものが他免疫疾患に与える影響は大きい。(”免疫不全”は、上記が示すよう、決して「少数派”ではない”」)

     学会は「社交界や仲良しクラブ”ではない”」。

     ”結核”や”癌”などと同じように「真剣に」議論し、各自現場に戻っても議論を続けるような「命に対して真剣な科」になってほしい。

     ただでさえ、日本の膠原病内科は欧米先進国に比べ「30年遅れている」といわれている。40年近く「東京の内科」に接してきたが、

     「東京の膠原病内科」に関しては我慢にも限界がある。下らない「東京体質」で全国の患者に迷惑をかけるのはいい加減やめてほしい。

     膠原病内科に関わらず、東京の医師達の”姿勢”は、地方の若い医師達に対して大きな影響力を持つ。

     地方にせっかく若い医師の手本となる立派な教官が存在しても、幼稚な「東京スタイル」(下らない「噂」で「世の中何とでもなる」と信じている)

     を真似る若い医師達が増え、地方の患者達はどれだけ迷惑を被っているか。

     膠原病学会に参加する他科の医師達も、呆れて見ているだけではなく、患者のために協力してほしい(「自分の科ならどうなるか」教えてほしい。

     膠原病内科は非常に狭い世界で「外」を見ない・見ようともしない。希少疾患だか何だか知らないが、患者も「外」の世界を全く知らず「医者擁護」

     ばかりに走る。専門医は、女性や高齢の患者が多いからか、ちやほやされることしか知らない。担当患者に対する対応は見事でも「科全体として」

     ”最低の医療”をしていることに気づかない。)

     他科の医師達から「膠原病内科の先生は変わった先生が多い」と呼ばれていることを知ってほしい。(2008年、慶応・患者相談室の医師(元教官))

      このHPで紹介したような、患者が不利益になる発言は同業者が内部告発すればよい。一体何のための医療をやっているのか。

     膠原病内科が扱う疾患は一般社会から理解されにくい「見かけ非常に元気な重症患者」が多く、患者達は社会的に非常に厳しい立場にいる。

     「大変難しい立場に置かれている患者を支える医師」であることを片時も忘れてほしくない。

     眼の不調でモニターを見るのが難しくなっている患者に、これ以上負担をかけないでほしい。

 

 

   ・”何もかも”逆さに見えている「本人」と「取り巻き」に伝える。”ここ”が「命」をかけた場であることさえわからないのか。

    判断力もないのに権威を振り回さないでほしい。(わからないやつは黙ってろ、ということである。沢山の人の命がかかっている) 

 

    ---------日本では15歳から8年間「気のせい」、米国大学院に留学するなり「病気発覚」、実力を試す間もなく「日本に研究班が出来た」ということで

    帰国した1991年以降は、医者が「慢性疲労症候群の実態」を全く見ようとしないため、まさか進行する大きな病気とは知らなかった日本側の故・恩師

    の方針「君ならいつでも復帰できる。まず体。十分休んで」に従い、「一患者」として生きてきた。

    日本の「慢性疲労症候群」およびそれを取り巻く日本の「内科」がこれほど馬鹿げたものとは露知らず、帰国してからの”日本の慢性疲労症候群”は、

    (研究班に関わる一部の医師以外)「気のせい」扱い。

    その後、1995年に再発性多発性軟骨炎、2001年に腸管ベーチェット発症、「炎症反応が上昇しない」という理由で、診断は、いずれも発症から

    「10年」かかった。治療も「炎症反応(CRP)が上昇しないから」という理由で「大したことない」とされ更に数年かかり、2011年、西日本(九州)に

    転居するまで治療をして貰えなかった。結局、治療の遅れからくる手遅れで「治療薬」(生物製剤)は使えなかった(1%未満の副作用続出)

    進行する病気であることから、「古い治療方法」を求めて東京に戻ったが、東京で、最も経験のある専門医の一人から「これだけ全身に広がった

    患者は診たことない」といわれたほど、東京の内科医達が「CRP陰性だから」と治療をせずに放置した(15歳発症から)36年間に重症化した。 

    東京では、1991年・米国から戻った時「アメリカはいい加減だから」と言い、2016年・西日本(九州)から東京に戻った時「西日本はいい加減だか

    ら」とのことで、(2006年、患者を入院させ)「再発性多発性軟骨炎」の診断をつけた”東大病院の担当医たち”までもが、西日本での「同じ診断」

    (再発性多発性軟骨炎)を「信じない」と言った。《どういうことだ》

 

    「東京の偉い先生方の診断を信じただけだろう」とも言った。(「西日本の医者は経験がなく無知だから自分で診断出来ない」という理由だった)

        ・・・・西日本で「再発性多発性軟骨炎」の診断を下したのは、1.「京大医学部・膠原病内科卒」(当時・鹿児島日赤院長・鹿児島大学医学部

        膠原病内科「前」臨床教授)、2.転居前、東京(日大板橋・前任教授)から紹介されていた「北九州産業医大・膠原病内科教授」(再発性多発

        性軟骨炎を日本で最も良く知る医師:この病気は白人に多く、年間を通じて海外が多い同教授は日本の誰よりよく知っている。

       「典型的な再発性多発性軟骨炎」とのことだった)、3.「鹿児島大学膠原病内科臨床教授」(クリニック・ほぼ毎年EURA出席)。

        ----主病院は「北九州産業医大」(新幹線通院および入院治療)、鹿児島の2人の医師は居住地での主治医・産業医大治療の引継病院----

        「ベーチェット」に関しては、上記3名の医師に加え、京大・消化器内科教授のコンサルが入った。

        いずれの医師も「東京の偉い先生方のおっしゃるとおり診断する」など天地がひっくりかえっても考えられない。

    西日本での2つの診断は、現・血管炎班長(東京女子医大)と全くたがわず。”東大・膠原病内科”を中心とした東京の「地方蔑視」を露呈した形となった。

    (たとえ診断が違ったとしても「遠方から、元主治医の紹介状を持参し(東京の大学医学部名誉教授の紹介。診察日の朝には紹介元の名誉教授から

    紹介された医者へ電話も入っていた)、藁をもすがる思いでわざわざ医者のために遠距離引越・相談に来た”具合の悪い患者とその付き添い家族”へ

    の対応」は「医者として」正しかったのか。どの患者も医者と遊ぶ暇のある患者はただの一人も存在しない。”医者”としての神経を疑う。)

 

 

    全く違う世界に生きて27年になる。顔を合わすことがあっても、もはや仲間ではないことを認識してほしい。

    世界中旅をする演奏畑は強靭な体を要求される。共通の話題がないからか、あまりにも体調が悪すぎたうえ、「ゼロ・ゼロ以下からのやりなおし」の

    ため「過去はなかったこと」をやりすぎたのか、同級・同期生たちの「自分が一番苦労している」「自分も子供の頃から体が弱い」を聞き過ぎたのか、

    馬鹿げた「入試」から始まり、不愉快な思い出しかない。それでも実力のある何人かの当時教授たち・同級・同期生は印象に残っている。

    幸い仲間を一切要求しない楽器柄。「断捨離」と考えてほしい。

    ”慢性疲労症候群”について。検査結果を振り回す前に「患者の言葉」を信じ、医者が病態を理解しようとし、その段階で医者が治療を試みていれば、

    このような人生にはならなかったのは誰が見ても明白である。子供の頃から病気と知っていれば「一にも二にも体力勝負」の演奏畑には絶対に足を

    踏み入れない(無駄。原則「先の予約」「代理は利かない」「些細なミスで次はない」。病人には最も不向き・無理)。早い時期ならいくらでも方向転換が

    きいた(一つのことしか出来ない人間ではなかった)

 

    介護にしても、「病病介護」の中でも「介護側の”病気の実態”を知る医師が殆どいない希少疾患」、かつ「とても元気そうに見える」、かつ「介護を

    要求する人間は”生まれて初めての大きな病気”」(病人には当たり前の「独特の忍耐力」など全く持ち合わせていない。食欲のない、あるいは、

    全く食べられない状況下の介護者による「メニュー探し〜調理」(介護者の病状が絡み宅配外食は頼めない。かすんで見えない目で毎晩メニューと

    睨めっこ、食べられそうなものを選び、壊れた頭ではプリントアウトは調理時混乱するので毎日ノートに手書きで書き写すまでに「1時間」。

    翌日、「マニュアル」を見ながらの”実験”。包丁を持つ肩関節が痛み力が入らない。ものすごい「ふらつき」で立っていられない。それでも「やると

    決めたらやる」。「軍隊にいると思えばよい」)

    外出先で具合が悪くなることもあり付き添いは不可欠。介護側は15歳から39年間の病気人生でよく理解できることから常に「その場で休息をとるよう」

    アドヴァイスするが「絶対に」聞き入れてくれない(自分が元気なときの方法を強引に押し通す。親は子供のアドバイスは「絶対に」聞かない)。

    結果、介護側の病気が必ず悪化するほど介護側にものすごいストレスがかかる。本人はアドバイスも聞かず外出先での強行により後日も体調不良が

    続く。介護側は悪化した病態と更なる大きな負担を抱える。(介護経験者は全員知るとおり「親は子のいうことはきかない」)

    介護側は飲まず食わずでトイレに頻繁に出入りするような”病態”であっても相手に合わせて相手の予定・希望どおりに動かざるを得ない。

    (相手の通院の為の空路移動では「16時間飲まずのまず食わず」の対策をとってこなした。内耳出血を起こし介護側の病態はさらに「進行」した)

    外からも相手からも一切”見えない”限り、どれだけ具合が悪くとも「出来るだけ相手に良いよう」、苦情・文句が出ないよう「義務」と片付け一つ一つ

    「こなす」。それでも文句ばかり。苦情は尽きない。初めて大病をする「親」は病気の子供(成人)にとって凶器と化す。

    (親は子に甘える。逆は真に「ならない」=子供は常に気を使う)。

    相手に何かあった場合「もたない」のは自分がよく知っているが「死んでもいい人間」、文字通り「単なる死ぬための準備」として出来ることをする。

    (全力を尽くすには「ゴール」が決まっていた方がよい。ゴールを決めなければ「体力的に」難しい・・・ただの無理ではない、「命がけの無理」。

    人の世話が出来る体調ではない。)

 

       ・・・一日のうち夕食準備、ほか出来ることは全て自分でして貰う、というレベルは「元気」であれば「大したことない介護」であるが、手遅れのため

       副作用で治療薬がほぼ「ない」(症状・進行が抑えられない)”病人”が”介護者”になれば、ちょっとした行動一つ一つが「命がけ」となる。

       使える薬(3種)だけでも免疫力は落ちており(IgG400台)更に落ちてくる。(400をきったら入院・血液製剤治療が必要。暢気に入院などしていら

       れないのが多くの患者の「現実」-----”入院”というのは同居者が「元気」で始めて成り立つ。明らかに医者がかけたストレスで発病させられた場合

       「患者」はどうしようもない。「日本で最も経験豊かな専門医(複数)」から何度も入院を勧められるということは「外来での治療に限界がある」(重い)

       ということではあるが、医者が考えるほど(入院中どこかに預けろ)「現実」は簡単なものではない(施設・病院は少しでも歩行困難があると車椅子

       を使わせる、お遊戯やぬり絵けなど刺激のない生活など)。トシ相応の病気があっても、まだまだ”社会貢献的伸びしろ”豊かな「前途有望な高齢者」

       と「患者」の”その後”の不利益しか見えない。-------「家族(患者の介護者)を発病させた医者達」は「同僚の医師(担当医)」にも多大なる迷惑を与えて

       いることに自覚があるのか。2006年当時、東大病院「内科」には「躾」という張り紙があったが”遊び感覚”もいい加減にしろ)

       この免疫力で頻繁に外出・通院付き添いは、それこそ「命がけ」。昨年は運よく乗り切れたがインフルエンザの時期など「やけくそ」。

       どんなに暑くてもマスクは外せず、それも「気休め」(免疫抑制状態)。ゲラゲラ笑って凌ぐ。もはや”現実”は「笑える問題ではなくなっている」。

 

       自分が具合が悪いとき、それを自然に出す場がこの世に一箇所もなくなったことも、大病を抱える介護側にとっては、日々「非常事態」である。

       お世話になった主治医たちのことではないが、あまりにも多くの呆れ果てた内科医経験で、ほかに(場が)欲しいとは全く思わない

       (たかが自分の人生。クズはクズとして、死んでもよい人間としての人生がある。どーでもいい)。

       医者は「トシ寄りは先に死んで自然」と言いたいのかもしれないが、壊れっぷりの見事な脳神経症状を有する患者は、「自分より頼りに出来る脳」

       がないと生活が成り立たない。(「元・介護者」にとって不満はあるらしいが「トシ相応」「機能として介護者より遥かにマシ」どころか仰ぎ見るレベル)

       あたかも人の人生を知っているかのように勘違いしている医者が多いが、医者が安易に考えるような「年功序列」では成立しない人生もある。

       医者がかけたストレス原因による「同居人の発病」は明らかに患者(介護側)の寿命を縮めた。

       15歳から続けている「前進対策」で片付けた(「自分はこの世で最低の”不要な人間”」と解釈した)。この世の名残はキレイになくなった。

       今後も、これまでと同じように、余計なストレスなく前進出来ることは大変幸運で良いことである。

       ・・・発症(15歳)以来このように「上手く片付けて」生きてきた。。他の生き方は知らない。《出来るときに出来ることを出来るだけ》

       ------「片付け方」は後述-----

 

    一般の”病病介護”とは全く違い、介護者側が希少難病を抱えている場合、想像を遙かに超えて非常に難しい。上辺だけ見てどうこう言うのが”人間”。

    「無医村・無人島に生きる」「人間一人で生きて一人で死ぬ」覚悟を要求され、「自分で”自分に”お前みたいなクズ早く死ね」と真剣に言い聞かせ続ける

    ことが出来、「”何もかも”一般的なものとは違う”現実”」と一生対峙するだけの「精神力」(脳天気さ)を必要とされるのが「希少疾患」を生きる人間である。

    (これが「当たり前」。出来なければ「死ねば」というのが希少疾患の世界。・・・・「人と違った生き方」のどこが悪い)

 

         附属の同級生達は(病気であることが)「うらやましい」「暇でいい」と言っていたが、病人というのは「生きていく」だけで健常者の想像を絶する

         ほどの努力と工夫を強いられ「もっとも時間のない」人種である。(1日がかりの通院を考えてもわかる。それに伴う体力消耗からの回復にも

         日数がかかる。一日の中でやりたいことはいっぱいあるが休養しないと死ぬ。ラクしているのではない。「時間がない」)

         医者・医療関係者との関わりも、マスコミが無責任に流す「お涙頂戴」を信じているのかもしれないが、「実態」はそういう甘いものではない。

         「病人の世界」というものは”こういうもの”。それでも病人の誰もが自分が一番苦労しているなどとは思わない。各患者「もっと大変な人たち

         だらけ」と信じており、それが「現実」である。”長患い”ほど「現実」を良く知っている。

         「トシをとる」と同じく「病気をする」というのはそういうことである。同僚達の「自己憐憫」と「自分が一番苦労している」感覚には”全く”ついていけない。

         「命のやりとり」である。医療現場は”戦場”と同じと考えてほしい。

 

    ----生まれて初めて緊急入院した東京都健康長寿医療センターでは退院後の患者社会生活に支障がでるほど、「まだ現役」の感覚を持っていた

    高齢患者を「施設並みの接し方」で甘やかせ、介護者は、退院後、頻繁に出る”長寿センター病”に本当に迷惑している。「やさしい」のは結構だが、

    あまりにも過剰に特別扱いされたら若い患者でも勘違いする。入院中の生活は社会生活ではない。社会復帰させるのが病院の役割だろう。高齢者が

    何故特別なのか。「あなたも私も誰でも」年をとり高齢化する。「普通」にできないのか。研究機関だからか「薬の変更は金曜しか出来ない」、循環器

    内科の医師は「薬の中和」を知らないなど不可解だらけで同区内(板橋)の医師達にはきわめて評判が悪い

    ※東京都健康長寿医療センターは「都立”ではない”」・・・かつては都立だったが、今は単なる民間病院である

    −−「東京」には高齢者を「普通に」扱える病院はないのか。大学病院は高齢者オンチ。地方では考えられない。何が「国民総活躍」か----

 

    親の発病も「医者」から始まった:子供の病気に対する全くの無知と「CRP(炎症反応)絶対」で筆舌に尽くせぬ対応をした北里・膠原病内科の廣畑、

    日大板橋・膠原病内科の武井、および板橋医師会対応「北里大学で全身のデータをとってからでないと開業医を紹介してやらない」による「ストレス」

    原因。これを黙ってみていた(煽った)のが、東大病院入院中、患者の報告「CRPが上昇しない」に対し、「一貫してCRP正常」に気づき指摘した担当医

    3人と当時の東大膠原病内科教授(上から山本・駒形・川畑・藤尾。北里の廣畑は東大膠原病内科卒の同僚で頻繁に会っていた。患者の「命に関わる

    深刻な不利益」が起きることを最もよく知りながら何故黙っていた。そのうち望みどおり揃って死んでやるから待ってろ。我々の寿命を縮めたのは

    お前達だ。忘れるな)

    ----順天堂大学名誉教授の紹介でもあり「わざわざ鹿児島からの遠距離引越直後」(鹿児島からの”転居”)、「疲れで腸管狭窄を起こし全く食べられ

    ない体調であること」を上記2人の医者と医師会には伝えた。医者なら「医者と医師会の対応」に「親」がどれだけショックを受け心配するか簡単に

    想像出来る。親は「医者とは残酷なものだな・・・」、毎日「どうしよう」(2011年以前の気骨のある日大板橋をを想定し、「呼吸器症状が出たときの非常

    時のため」”近く”を選んで転居したアト)。「15歳から知る医者は全員そんなもの。慣れろ」に対して「死のうか」「死ねということか」という言葉もあった。

    親は東京の医者の対応に慣れることはできなかった。外出先で発症(一人で元気に近所のスーパーへ買い物に行き、帰りが命がけになった)。

    2011年、鹿児島転居京前は10年間板橋区に暮らしており、開業医は、個々素晴らしい人柄の医者が多い地域であることは知っているが、今回の

    一件は殺人行為に等しい。脳梗塞にしてもあと5ミリずれていたら右全麻痺だった。

 

    ”諸悪の根源”は「患者の言葉」より「検査を絶対」とする昨今の医療・医者にある。

    いずれの医師たち・医師会も「激しい炎症があればCRPは上昇するはず」とする”宗教的”ともいえる”根拠のない思い込み”の持ち主。

    「エビデントベースト」か何か知らないが、そんなものが、医者が殺人をしても良い言い訳にはならない。

    ”東京”を中心に「今」も同じこと(炎症があればCRPは上昇するはず)が延々と続いている。

    「炎症反応」(CRP)については、2004年、結核予防会が「CRPは信頼に欠く」と発表している。

    「東京を中心とした医者は、いつまで信頼性に欠く検査を盲目的に信じるのか」。

    (京大関連の病院では2008年の段階で、CRP陰性の患者に対して「SAA」(Serum Amyloid A protein)を測定していた。

    炎症物質は”CRP”や”SAA”「だけではない」) 

 

    このページが論じている内容は「あなたの問題」であることに気付いてほしい。

    「CRP」(炎症の有無を知る検査)は「自治体の健康診断」でも使わている。

    医者がCRPに頼り過ぎるあまり「見落とし」は沢山起きている 

    「全身性炎症があるにも関わらずCRP陰性」は自己免疫疾患患者にのみ起きる現象「ではない」ことに注目してほしい(下記)

     肺結核における炎症反応の意義 

 

※なんでもかんでも「大学病院」の日本であるが、今の日本の大学医学部には、結核を熟知する医師は「いない」 

日本では”結核撲滅”と考えられていた時期、医学部で結核を「教えてこなかった」”空白期”がある。

「結核予防会」は、大学病院のように「個人的なレベル」ではなく「人類の存亡に関わる病気」を専門に扱う世界規模の機関であることに気付いてほしい。

(そこから出た「CRPの評価」)

 

 

    病気の性格上「ゼロ・ゼロ以下からのやり直し」ばかり要求され、「前進」するには一瞬一瞬「過去はなかったこと」にする以外有効な手段はない人生に

    とって、学生時代の「先生」など”よほど印象に残る人物以外”は、記憶にあっても全く共通点のない「違う世界の単なるおっさん・おばはん」。

    その世界でいくら偉くとも「役立たず」であり「いつまでも先生面」など厚かましい。

    「社会問題として」”再発性多発性軟骨炎”の難病指定署名活動を相談したところ「皆の”気持ち”を考えて伝えないことにする」と判断するような同級生

    など「それ以下」 (・・・この一件では「一般社会」に生きる人たちから迅速な対応を頂き2500通以上集まった。本当に心から御礼を申し上げる)

    税金で食っていながら君が代も歌えないような感覚を持つ学生時代の「習ったこともない実技の先生」や、一般社会とかけ離れた感覚を持つ同僚(全科)

    など、(兵役で社会に貢献を果たした一般社会と感覚を共有できる故・恩師や同世代の先生方以外)、「邪魔はされても食わして貰った覚えはない存在

    であること」くらいよく覚えていてほしい。(学生時代、あれだけ体調が悪いにも関わらず精一杯手伝った。伴奏依頼は通常の4倍担当した。医者のせいで

    「プロになってから」最も稼げる分野で高額の伴奏料を稼げなくなったのは「怒り」どころのレベルではないが、そちらの世界には”既に”十分貢献している

    目の不調が先にくるとは考えもしなかったが、「初見能力壊滅」云々より、楽譜が読めなくなってきているので悪しからず。「出来る時に出来る事を出来るだけ」)

 

    「有史以来」という芸術家でもない限り、社会感覚の欠落した人間が仕事内容で社会に貢献することは難しい。自然災害の被災地に行って「音楽の力」

    とやらをやたら自画自賛しているが(一流オーケストラに属する同級生・同期生)、「本当の”力”」は「その気がなくとも人の心に割り込んで入ってくる」もの

    で、子供がおならをしても感激してくれそうな状況下で感激して貰っても、それは本来持つ「力」とはほど遠い。(歩けなくなっている兵隊をも死ぬまで歩か

    せるとか-----調子の良い音楽が鳴っていれば人間はいくらでも歩ける(盆踊りで音楽がなければスグばてる)----、戦意高揚で全国民を扇動した、など、

    「音楽の力」(怖さ)については、命に関わる状況下で、有史以来、既に世界中で証明されている)。

    金持ちや医者の”お趣味”ではあるまい。いくら芸術畑でも、「税金」で育った”本業”なら、派手なことは私費組に任せ、自画自賛以前に「勘違い」(過大

    評価)について少しは考えてはどうか。

 

       -----そろそろ「日本の医者」が一方的に社会に押し付けた「クラシック(西洋伝統音楽)の印象」(癒し)を返上してはどうか。

       日本(自国)の伝統音楽を考えてもクラシック(西洋の伝統音楽)が「癒し」だけであるはずがない(いやらしい)。カネが入るなら何でもいいが、

       「感情を素手で扱う」ような職業にいて腹が立たないのか。時に命より輝く「命の影のようなもの」は「癒し」なのか。

       ”命”はそれほど薄っぺらいものなのか-----

 

    ・・・簡単に感激して貰える場の演奏で「音楽の力」などと言っていると「下手になる」。過去の経験上、”力試し”をしたいのなら「酔っ払い相手」をお薦め

    する。(彼らは理性ではなく本能で聞く。必要ないと判断すると遠慮なく「いらね〜」と怒鳴る。ナンダカシランガ喜んでくれれば相当なものである) 

    弦楽器など音量の小さなものには不向きであるが、そのほか(ピアノ・管・打・歌)であれば、ある意味、どの国際コンクールより厳しい「力試し」になる・・・

    ※かつての旧友達(一流オケ・トップ)に送った言葉であり一般的なものではない。(酔っ払いは「音量」に反応するので常識的には”勧めない”)

    ちなみに「手足ブラブラ」「鍵盤幅に指を広げるだけで激痛・全身冷や汗」から10年リハビリでも「属七がつかめない」ようでは酔払と力比べは出来ない。

 

    個々「有史以来」に届くか否か、いなくてよいほど最低の才能しか持ちあわせていないか否かなど、マスコミの力など借りずとも本人が一番良く解る筈

    ------正確な自己評価が出来ないようなら必要ない。他人の評価など微塵も必要としない世界。「逆さ」に見えていることに気付かないのも「能力」(現実)。

       この世界は出世が全てのサラリーマンではない。気の毒だが自分の能力(現実)を受け止められないような精神的虚弱な人間は「邪魔」である。

       最高額の年金で食ってくなら”現実”を受け止めるだけの「力」をもって社会に接してほしい。遅すぎるは「ある」。方法は自分で考えろ----- 

 

 


 

現・聖マリアンナ「大学病院リウマチ・膠原病・アレルギー内科部長」「リウマチ・膠原病生涯治療センター長」----2006年当時東大病院アレルギー・

リウマチ科にいた「川畑 仁人」(患者に「”東大病院に入院していたから”作り話をしている」と言った張本人)-----に伝える。

「作り話」で被害にあった経験のある人間は作り話をしない。(「作り話」がどれだけ迷惑なものか、誰よりもよく知っている)。

ましてや、”CRP”の問題は自己免疫疾患だけではなく、結核でもおきており(CRPは信頼に欠く検査)、日本国民全員のみならず全人類に影響する問題。

愉快犯ではあるまい。よほどでなければと声をあげない。医者のくせに調査もせず「作り話をしている」などよく言えたものである。

「東大病院に入院していたいから」という憶測理由をあげていたが、ロケット工学の故・糸川英夫先生ほど面白い先生が東大病院にいるとでもいうのか?

結核予防会、2004年、「肺結核における炎症反応の意義」

 


 

 

   15年ほど前、母校・同科の別な名誉教授から「学生当時から学校が期待しており、(今も)期待している」と聞いた。その10年前に再発性多発性

   軟骨炎を発症していたが当時はまだ「慢性疲労症候群」しか診断がない時期だった。その2年後、再発性多発性軟骨炎で入・通院した東大病院

   では「マスコミに出ていないから」(積極的に治療するに値しない)。 

   「医者」は「税金を使った早期教育許可」を与えた学校・専門家の評価ではなく、「マスコミ」をモノサシに「治療する・しない」を決めている。

   (「マスコミに出ていないから」(素人同然だろうという理由から)、診察室で自分や子供の”趣味”の話を1.5時間〜2時間も平気でする)-----

   京都では自分達の税金を使って育てている芸術畑の人材をとても大切にする。海外でも自分達の税金を使って育てた人間は社会が楽しみに

   育てる。どこの国でも”税金”と「その用途」には非常に敏感で真剣。日本の医者の「マスコミ志向」は「社会」に対してふざけているのか。

   体調は異様に悪く、医者の「気のせい」のおかげで体調の影響は免れなかったが(対処方法がわからない)、医者の言葉を信じ、国費を背負って

   必死で工夫・努力・勉強してきた人間のどこが「治療に値しない」のか。

   日本では「税金」を使ってタレント養成は「しない」。医者は「ナニサマ」なのか。

   

   「再発性多発性軟骨炎の患者がCRP陰性のまま激しい炎症を起こす」ことは海外では膠原病専門医ならよく知っている。実際に海外患者団体

   からも忠告を受けており、国内外恩師と連絡を取りながら、東京で「CRPが正常でも治療してくれる医者」を必死で探し、常に「前医の紹介状を

   得て」探したところ、東京の大学病院膠原病内科医たちは「くるくる病院を変える”患者が悪い”」と、つい最近まで患者非難を続けた。

   患者が治療・コントロール方法を求めてどこが悪いのか。癌患者なら当たり前のことではないか。

   東京の大学病院・膠原病内科では「他院の予約日時・時間まで他院の膠原病内科医が知っている」という「守秘義務違反」まで起き、「希少疾患

   だから」という理由で患者狩りのようなことも発生した。「慢性疲労症候群」のような世界的に巨大な組織に属する患者とは知らなかったのだろうが

   一体何をやっているのか、ほかの重大な問題に関しては警察に相談した(聴取)。         

   「生活がかかっている」と何度伝えても通じない。東京の膠原病内科医は馬鹿なのか。

   (通常、”寿命を縮めるほどの”深刻なしわ寄せが「どこ」にきたか一瞬で理解できるが、”内科医”や何でも自分のポッケに入れる人種には全く理解できない)

   

   その間、大きな脳神経症状が再燃(音楽書庫ほぼ壊滅)。

   指も、右小指「石灰沈着型関節炎」を起こし、同指の”全ての軟骨”が激しい炎症を起こして使えなくなり、「手の外科」(演奏家専門・Dr.中尾)から

   「手術」と言われたが、「連携する内科医がいない」という理由で手術できず。

   再発性多発性軟骨炎は大変破壊的な病気で再燃のスピードも”非常に”早い。(夜寝る時は何もなかったのに、朝起きたら激しい炎症が起きている

   ・・・6時間以内。インフルエンザより早い・・・・症状がコントロールできず「くすぶっている」からそうなる)。呼吸器にも大きな症状が何度も

   出ている。「もう本業復帰は無理」。2011年、自宅が震災の被害を受けたこともあり、音楽関係者には誰一人黙って東京を離れ親の郷里鹿児島へ移住。

   東京を出る直前、挨拶に行った日大板橋・膠原病内科・前任教授から紹介された北九州産業医大へ新幹線通院。胸鎖関節陥没や肋軟骨融解

   (リブバンド着用)など次々に症状が出て入院。もう一つの病気「腸管ベーチェット」も悪化。「生物製剤」(ヒュミラ、レミケード)の治療を受けたが

   どちらも1%未満の強い副作用のため中止(ギランバレー様脱力、腸管浮腫、狭心症。レミケードでは「事前にカロナール服用にも関わらず点滴中に

   インフュージョンリアクションで中止したが3つの副作用出現)。治療に行き詰まり阪大にも相談したところ阪大開発の「アクテムラ」では

   (ヒュミラ・レミケードでこれだけ副作用が出るのであれば)腸に穴をあける」「希少疾患なら人口比で東京」とのこと。

   ”生物製剤”など「最新の治療」が副作用で使えないことから「古い治療でなんとかならないか」期待をこめて東京に戻り、順天堂大学・膠原病内科・

   名誉教授から紹介された膠原病内科医(北里大・膠原病内科・廣畑)を受診したところ、九州の担当医の情報提供(患者の資料なし)を読みも

   せず「西日本医療はいい加減」だからと言い放ち、診察も検査もなく、患者の話も聞かず、自分の「趣味の音楽の話」を診察室で(親の目前で)

   「1.5時間」。近隣の日大板橋・武井も全く同じ(大学病院で2回とも診察せず「自分の子供の趣味のバイオリンの話」や「自分の話」ばかり2時間・

   3時間。東京の大学病院膠原病内科では「診察時間」に自分の話や趣味を2時間・3時間するのが流行っているのか・・・少なくとも順天堂、

   東京女子医大の膠原病内科では見たことがない)。板橋医師会は「北里大で”全身の”検査をしないと開業医は紹介してやらない」

   とうとう、ストレスから東京に戻った年の正月に親が脳梗塞発症。幸い軽度で後遺症は殆ど残らなかったが、その後、別な病気を発症。

   (別な病気に関して。大きな異変が出ているも関わらず”東京では”1年以上「トシのせい」。見かねて、ぶどう膜炎発症以降、眼症状悪化で読み書き

   が難しくなっているところ無理を押して必死で調べたところ、内科医は患者・家族の言葉を「聞かない」)

   -----プロなら、患者・家族から話を聞いて、見て、「おかしい」か「おかしくないか」くらい見当がつかないものか-----

   ただでさえ困難な家事負担増加に加え、人に頼めない「通院付き添い」、付き添い通院時の(親)転倒を支えた”その瞬間”(過度の心身的「ストレス」

   がかかった途端)、「軟骨炎」「ベーチェット」どちらの症状も激しく再燃。(どちらも”一瞬で”再燃する)、2017年10月、それまで出たことがなかっ

   た「ぶどう膜炎」発症。(腸管)ベーチェットは「完全型」となり、以降、眼の症状に日常は困難を極めている。親の歩行困難に気を取られ「踵腓靭

   帯損傷(引きちぎりの「骨折」を伴う)」。なんだこれは。ただでさえ疲労困憊の患者は何が起きてもおかしくない治療法のない病気を持つ患者の

   環境を悪化させてそんなに面白いのか。東京の大学病院・膠原病内科医たちは、真剣に生きている患者相手に遊んでいるのか。

   (現主治医に対するものではない。治療を求めて東京に戻ってからの上記2校でも、各前任教授の懸命な力添えなしでは、浮かれて「CRPが上昇しな

   ければならない」と永遠に騒いでいたかもしれない)。

全ては「炎症があれば必ずCRPが上昇しなければならない」とする東大を中心とした膠原病内科医達(”臨床下手”の東京のコクリツ)から始まった。

(東京だけ「文化が違う。”医学”(臨床)も”鉄道”も、「現実」に対してはコクリツなどより「私立」が圧倒的に強いことを地方はよく覚えていてほしい)

◆全ては、「炎症があれば必ずCRPが上昇する」という世界中の医者の”根拠のない”「信心」(迷信)から始まった---(誰も理由は説明できない)

・・・日本では2004年に結核予防会から「CRPは信頼に欠く」と発表があったにも関わらずいつまで盲信しているのか肺結核における炎症反応の意義

◆全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

 

     

 

   東大病院や東京医歯科大(東京のコクリツ)、および主な東京の私立大学病院、(当時の日本の主たる膠原病内科医全て)が「CRPが正常

   だから」という理由だけで治療をしてくれず30年以上放置され、手遅れ・症状悪化のため殆ど全てを失った。(ほぼ”全て”、「リハビリとして」、

   ”ゼロ以下からやり直し”をしている。病人の足を引っ張り、「保身」のため同僚を陥れる(守れない)下らない名誉教授や、具合の悪い子供に

   「山登り罰則」を与える付属高校を持つ看板ばかりの「コクリツ」母校など「全く」関係はない。「リハビリ道具」としての独自の世界を持っている

   (治療法がない。自分の病状コントロール道具)

   医者に邪魔され続けて40年弱。日本側、故・恩師の方針「君ならいつでも復帰できる」「健康第一」「まず十分休養」では”十分に待った”。

   (帰国後27年の「休養・待ち」では短いのか・・・その間「医療ボランティア」)

   この病気は全身の軟骨が崩壊するほどの激しい炎症起こし患者の多くは完全失聴する(耳は軟骨の塊、時間の問題)。右胸鎖関節陥没・持続

   炎症の右肩鎖関節・右肋軟骨融解もあり右手の不自由は既に半端ではない。病気の進行のほうが早い。もう待てない。海外の恩師の心配と

   助言は「病人は弾けるときに弾かせないと」「病気みたいなもの完璧に弾けない言い訳にならない」。”法科出身”の巨匠(恩師)が正しい。

   このHPと同じで、病気の特質上「リハビリ」でも、いつ出来なくなってもおかしくない。(医者による)「親の発病」もある・・・介護が始まっている)

   ・・・日本では「のだめ」だか何だか漫画(架空)の影響ばかり強く実態が全く知られていないが、音楽とて「一般社会の一部」(一般社会と全く

   同じ)。政治・経済中心に成り立っており「一つの職業」(職人)である。医者のように「直接世の中に役立つことのない分野」だけにあらゆる

   面で非常に厳しい。(食っていけるのはほんの一握り。上述にあるよう「音楽界」も人間社会の一部、政治から何から”いろいろ”あり難しい)

   誰もが「食いっぱぐれは”ありえない”」と(未だに)信じて疑わないレベルに早期からあり、国費(日米の税金)を使って鍛え上げた人間が「医者

   の検査」ごときに潰されたら、その怒りは尋常ではない。戦中戦後を経験している親(親の家は芸術畑:邦楽・日本画)ともども「長い人生、沢山

   選択肢のある中、一つのことに固執するのはもったいない」と「人間万事塞翁馬」を座右の銘として笑い飛ばして生きてきたが、演奏の場合「訓

   練期間」「費やした時間と金」は尋常ではなく「もの心ついたときから死ぬまで」(一生そのもの)。現実問題としてつぶしが利くものではない。

   ましてや強い脳神経症状がある限り一般職は勤まらない。自分の寿命はしっかり自分で決め、(条件付きで)、引き続き笑い飛ばし乍ら「日常生

   活のためのリハビリ」を続けるが、馬鹿馬鹿しい「お医者様絶対」の日本社会には心底辟易した。

 

    「リハビリ」について。「ゼロからやり直し」は慢性疲労症候群を発症した15歳から慣れているが(今に始まったことではないが)、1995年、

   再発性多発性軟骨炎発症以降の「ゼロ以下からのやり直し」は、それ以前とはあまりにも桁が違い「失ったものが多すぎる」「戻らない後遺症

   が殆ど・増える」、おまけに「画像検査に映らない」。なんだこれは。

   東大の膠原病内科なら、2006年、自ら「再発性多発性軟骨炎」を診断した病院でもあり、東大には不忍池を挟んだ向かい側に位置する学校

   のトップクラスが当時どういう教育と訓練を受けてきたか聞き知っている関係者や医者も多い。

   この神経症状について尋ねる。「一体どういうことなのか」「何が起きたのか」

   1)”再発性多発性軟骨炎”の延長線上にある「慢性疲労症候群」、および、血管炎の一種、2)「再発性多発性軟骨炎」、3)「ベーチェット病」。

   3つの病気がもたらす”画像に映らない壊滅的な脳神経症状”、「もの心ついたときから訓練に訓練を積み重ねた、職業に直結する、失った

   多くの技術」について説明してほしい。「精神的なもの」と馬鹿げたことを言う神経内科医がいたが、では、「年月日」の問題をどう説明するのか。

   「画像に出なければ信じない」とする神経内科医の見解は聞き飽きた。再発性多発性軟骨炎の脳神経症状は「血管炎」が原因で起きる---

   「CRP」(炎症反応)といい「画像」といい、医者は「見えなければ」わからないのか。話を聞いて「何が起きているか」察する能力もないのか

 

   ------2006年、東大膠原病内科では、慢性疲労症候群発症から”16年後”に「再発性多発性軟骨炎」を発症した患者の”慢性疲労症候群”

   (中学3年生・15歳発症)に対し「再発性多発性軟骨炎の前駆症状」と解釈した。”再発性多発性軟骨炎の神経症状”は下記阪大HPや海外の

   再発性多発性軟骨炎情報にあるよう「中枢神経や末梢神経の”血管炎”と関連したもの」である。

 

     再発性多発性軟骨炎もベーチェットも「血管炎」に属し、「神経ベーチェット」でも画像検査に映らないものが多い。

     少なくとも「再発性多発性軟骨炎」の「前駆症状」と解釈できる「慢性疲労症候群」の神経症状はどう説明するのか?

     2006年、”慢性疲労症候群”は「再発性多発性軟骨炎」(血管炎)の延長線上にあるとした東大に尋ねる。

     ”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎」の”前駆症状”であるなら、この場合、「血管炎の一種」ということになり、

     ”慢性疲労症候群”の一部には「血管炎」の患者がいるということになる。「”慢性疲労症候群”は(CRPが上昇しないから)

     炎症性疾患ではないので診ない」とする膠原病内科(自治医大)もあるが、それは間違っているということになる。

 

 




1>
なぜ「慢性疲労症候群」を診察しないのか。「CRP」は関係ない

     ・・・1)”慢性疲労症候群”しか該当しない症状が「発症から16年間」続いた。(慢性疲労症候群という病気は「存在する」)

 

※患者と一緒に作成する習慣のない日本の医者の情報提供書には事実ではないことが記載されていることが多い:最近(2018年10月10日)クリニックで開封したものには「(2002年)、東京医療センターでPSL60mg/dを3日間投与後、一週間で減量中止されている(本人のメモによる)」とあったが、東京医療センターでの主治医は西海医師(元・慢性疲労症候群研究班員)で、「慢性疲労症候群患者」にPSLは投与しない。「本人のメモ」もありえない。

混乱を招くミスの原因は主に医師の多忙によるものであり(まれに医師の悪意の場合もある)日本の医師も、「病歴は患者が一番よく知っている」という前提で患者の目通しを習慣づけてほしい

 

     ・・・2)その間CRPの上昇はない。(CRP上昇があれば「慢性疲労症候群」と診断されない)

 

     *下記死亡者リストの中にも「血管炎に該当する症状を持つ患者」がいるのではないか(素人目には「沢山」該当するように見える)

     慢性疲労症候群の死亡者リスト

 

 

 

<2> もう一つ尋ねる。”慢性疲労症候群の専門家”と称する”倉常”らは「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを

統計的に数値化した比較」の中で「慢性疲労症候群患者の脳神経に炎症が見つかったから神経の炎症が原因”」と、大々的に

宣伝していたが、(慢性疲労症候の一部には”神経炎症”が原因の患者も存在するのであろうが)、 「慢性疲労症候群の

脳神経症状」は本当に「神経の炎症」が原因なのか。”慢性疲労症候群”が「再発性多発性軟骨炎の前駆症状のような病態」

であれば「血管炎の一種」ということになり「中枢神経や抹消神経の血管炎と関連した脳神経症状」ではないのか。 

   

 

     「健常者10人と慢性疲労症候群の患者9人のデータを統計的に数値化した比較」

     http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140404_1/

      http://news.mynavi.jp/news/2014/04/07/382/

     http://www.genki-dou.net/fatigue_resilience/脳の炎症で起こる慢性疲労症候群!/

 

     ・・・・”患者を診ず”、なんでもかんでも「研究班・ガイドライン絶対」の日本では、「慢性疲労症候群は脳神経に炎症が見つからなければ

     ならない」など更に「患者」に迷惑をかけることにもなる。

     「画像」「血液検査」ともに「検査絶対信奉」はやめてほしい。「やめなければならない

 

 


 

 

医学界は、「検査に異常が出ない」だけで、いつまで「”慢性疲労症候群”の見てみぬふり」を続けるのか

医学界は、いつまで慢性疲労症候群の「差別」を続けるつもりなのか。   

                                                       

「検査」に限度がある以上、今の「エビデントベースト医療」には限界がある                    

 

このページに記したように「慢性疲労症候群」という病名を持つおかげで被る被害は医学界だけにとどまらない

一般に与える影響も考えるのが「医学界」の責務である。

患者救済」が医者の役割ではないのか。一体、何十年迷惑をかけ続けるつもりか。

 

 


 

もう一度伝える

◆「全ては、検査に異常の出ない「慢性疲労症候群」(中学3年生・15才)から始まった (検査には限度がある)」

・・・多くの仲間が死亡している。友人達は皆「生きていた」。意味がわかるか?

◆「慢性疲労症候群」は倉常らが扱える病態ではない。

◆オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

アリソン・ハンターさん・・・「シドニー・モーニング・ヘラルド紙、5月4−5日週末版」(ニュースレビュー37、医学ジャーナリスト、ジュリーロボサム氏)

 

 

    *「慢性疲労症候群」の中には”自己免疫疾患”としての「治療」が必要な患者が多数存在する。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     ・日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

   *これでも「慢性疲労症候群」は大したことない病気、治療に値しない病気というのか。 

 

 


 

 

多くの医療関係者には誤解しているようだが「免疫抑制剤次々に使ったから症状が悪化した」ということは「ありえない」。

 

   1979慢性疲労症候群発症

   1989慢性疲労症候群「診断」(米国州立ワシントン大学) 

   1995再発性多発性軟骨炎発症

   2001腸管ベーチェット発症

   2005再発性多発性軟骨炎「診断」 ・・・2005年までの診断は「慢性疲労症候群のみ」で「いかなる治療も受けられない」  

   2011腸管ベーチェット「診断」 

 

 

1.「慢性疲労症候群」の発症から診断まで10年かかっている(この間治療は受けられない)

 

2.「慢性疲労症候群」から「再発性多発性軟骨炎”発症”」まで16年、再発性多発性軟骨炎の「診断」まで「さらに10年」(この間も治療は受けられない)

・・・再発性多発性軟骨炎診断の「前」の”診断”は「慢性疲労症候群のみ」。慢性疲労症候群発症からの26年間は「治療を受けることが不可能」

 

3.”その間に”「ベーチェット病(腸管型)」も”発症” (これも診断までには「10年」かかっている)

・・・「慢性疲労症候群発症」から「ベーチェットの診断」までは32年かかっている・・・

 

*”再発性多発性軟骨炎の診断後”「CRP陰性だから」という理由で十分な治療を受けられなかった期間が「さらに5年」(計32年間)

・・・せいぜいプレドニン単剤(20mg)。速やかに漸減して「4mgで維持」・・・

*一時的にステロイドを20mg/day から増量し100mg/日服用の時期があったが「2ヶ月以内」

・・・(低IgG(200)などの重篤な副作用で京都にて5ヶ月入院、自然回復を待ち東京に戻って4mg/dayまで漸減)・・・

 

*「慢性疲労症候群発症」から「免疫抑制剤治療」(MTX単剤のみ)まで32年かかっている。

*「MTX単剤」では最高量(18mg/week)でも再発性多発性軟骨炎の再燃を押さえ込めず、

 入院して生物製剤2種に踏み切ったのが「慢性疲労症候群発症から”36年後”」 

*どの医師もステロイドを含め「単剤」から開始して慎重に効果を判断しており、誰も「次々」などという使い方はしていない。 

 

 

”全く治療を受けられない期間”(診断は慢性疲労症候群のみで免疫に関わる薬は一切使用していない期間)

「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症した。

・・・これでも「免疫抑制剤を次々使用したから症状が悪化した」というのか・・・

しっかり状況把握もせず勝手な憶測をするのはやめてほしい。

 

 

◆「再発性多発性軟骨炎」と「ベーチェット病」を発症させる『”慢性疲労症候群”とは一体何か』、と問うている。

   *日本では”慢性疲労症候群”は、2008年、日本内科学会により、正式に「自己免疫疾患」に分類されている

     日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf

   *オーストラリアの”慢性疲労症候群”患者「アリソン・ハンターさん」は、「ベーチェットに酷似した病態で亡くなった」

 

発症から16年も経過して「再発性多発性軟骨炎」「ベーチェット病」を発症させた”ことの発端”「慢性疲労症候群」の正体は何なのか。

慢性疲労症候群だけの16年間は、慢性疲労症候群以外の診断基準には全く当てはまらず、また、多くの患者は「慢性疲労症候群のまま」(他の自己免疫

疾患を発症せず)亡くなっており、「慢性疲労症候群はxx病の前駆症状」とは言わせない。

(オーストラリアのアリソンハンターさんは「ベーチェット病に酷似した病態」で死亡した) 

アリソン・ハンターさん(シドニーモーニングヘラルドの記事、医療ジャーナリスト・ジュリーロボサム氏著)

誰でも罹患する、患者数の多いこの病気は、日本では2008年、日本内科学会により正式に「膠原病類縁疾患」に分類されている。

日本内科学会HP: http://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2015/05/cu_131.pdf 



 

以上、「慢性疲労症候群の成れの果て」の報告である。

「慢性疲労症候群の”実態”」について。上記おすそ分けにより、多少は医療関係者にも伝わっていることを祈る。

故・濱島義博名誉教授(京大・病理・免疫)の弟子、故・内田温士教授(京大・免疫)の「慢性疲労症候群」に対する見解は正しいようである。

(次ページ「京大」参照:日本の研究

著者ような「馬鹿げた」人生を送る子供達を二度と出さないよう、「早期治療」のため、一刻も早く「正しい病名」と「診療体制」を整えてほしい。

同時に結核予防会の報告{CRP(炎症反応)は信頼性に欠く」について、深刻な問題につき、本当に「”東京の内科医達が盲信ほど”価値のある

検査なのか」、「免疫」に関わる科で真剣に検討してほしい。

患者はあなた方の「検査に異常はありません」に振り回され、人生を棒に振り、命を落としていることを忘れないで貰いたい。

 

 


亡くなった友人達は”緊急入院して”「検査に異常が出ないから精神的なもの」「なんでもない」と医者から放置されて死亡した人たちも多い。

慢性疲労症候群の死亡者リスト

「通常の検査に異常が出ない病気」を持ち、付き添い通院などで遠方に出かける機会の多い場合は、出先の医療機関では「対応できない現実」

(気のせい・精神的扱いをされ「命を落とす」こと)を覚悟する。(検査に異常が出ない限り医者は”絶対に”信じることはない)

「主治医の手紙」を持ち歩くのも一つの手ではあるが”緊急時”に「日本の医療体制」で通用するかどうかは疑問である。

頻繁に行くような場所があれば、信頼のおけそうな病院を受診して「非常時」について相談するのも有効な手段であるが、検査に出ない病気を持つ患者は、

”基本”「この世に医者は存在しない」と考え「自分の病気をよく知らない医者には行かない」ことである(命を落とすことになる)

---主治医と相談して「自力で対応できるよう」出来るだけ準備しておく。心臓や呼吸器の場合「どうしようもない」---

 

医者の言葉「あなた死んでもいいじゃない」を軸に、「死んでもいい人間として」、この世に未練を残すような生き方をしない。 

日常の「コツ」は常に「考え方」にある:15歳から始まった激しい体調不良と「医者の”気のせい”」に必死でたどり着き自分を納得させた考え方

「生きていては困るほど社会のクズ」「世界で最低の人間のクズ」を再徹底して「前進する」「立ち止まらない」。

人生にネガティブもポジティブもない。軸がぶれるからストレスになる。「人間のクズにしか出来ないことがある」。「軸」は”ぶれなければ”何でもいい。

---中学3年(15歳)で発病後、過酷な試験を経てものすごい競争社会に突入(実技試験・コンクールなど)、特攻志願だった教授の弟子7年間や、

旧ソ連・ナチ「死の粛清」を知る教授の弟子10数年以上で学んだことは、病気であれ何であれ人生で感傷的になっている時間は「一瞬たりともない」。

目的”は何がなんでも「前進すること」。そのための「ぶれない軸」。「自分の人生」(医者の「気のせい」・繰り返す「ゼロ以下からのやり直し」)に耐え得る

”強度”があれば「動かさない」(無理やり”医学的によい”とされている方向性などに合わせる必要性はない。「まず強度」)----

 


 

◆延々と続く「検査に異常が出ないから気のせい」(エビデントベースト医療)対策:「考え方」

「まず”強度”ありき」 

*主治医が見つかるまでの”何十年”もの間、”何十回・何百回”と続く医師の「気のせい」を聞き、病院を出た途端に感じる”強い衝動”

 「どこからからか飛び降りたい」を撥ね退けるだけの”強度”がなければ困る

*「繰り返すゼロ以下からのやり直し」のため、一瞬にして「その前はなかったこと」に出来るだけの”強度”がないと困る

*「気のせい」である限り、親や兄弟姉妹、学校・社会・友人と関わらず「一人で」対処出来る”強度”がなければ困る (本当は生きていない) 

 

 

「前進するための”片付け方”」

----自分の生命」を守るため、上記「強度」を大前提に徹底して自分に「考え方」叩き込む(下記一例)----

 

 1.「人間のクズ・社会のクズである」 (この世で最低の人間)

 2.「死んでもいい人間」「死んでほしい人間」「生きていてほしくない人間」

   ・・・命に関わるような症状で受診・相談して「検査結果に異常がないから気のせい」「死体が出たら信じる」という医者”ばかり”で「そのもズバリ」

   そのまま受け止められるようになると、せいぜい医院・病院を出たとき「カネかえせ」の一言で”片付く”。

 3.「本当は生きていない」 

      ---上記3つは医者の”あらゆる”「検査に出ないから気のせい」に対して非常に有効に働く。

        何をどう伝えても「気のせい」「信じない」医者相手に自分を納得させる手段としてベストな方法。(悩んでいる暇がない。「次」に行く手段)

 

 4.「人間みな死ぬ」「こいつもあいつも、”みな死ぬ”」 

      ---医者の対応にあまりにも腹を立てたとき、ニコニコしながら内心唱えると良い

 

 5.「無人島・無医村に暮らしている」 

      ---元気そうに見え、一般の検査に異常が出ない病気を持つ患者はうかつに受診できない。「覚悟」が必要。

 

 6.「過去は”なかったこと”にする」(「年表のリスト」のように「一行」・「他人ごと」にする) 

   「生まれつき無能極まりない人類史上最低の人間」

      ----どちらも「ゼロからやり直し」にとてつもない威力を発揮する

      注:「記憶」というのは「不愉快な記憶」だけに圧縮をかけるわけにいかない。「楽しかったこと」も含め「その時期まるごと”単なる出来事リスト”」

        にする。副作用としては「人生に楽しいこと」は”一切”なくなる」が、そこは「前進する」「立ち止まらない」が優先されるので割り切る。

        (楽しいか楽しくないかなど”ふざけるな”というほど「二の次」の話。「命」がかかっている。腹膜炎であろうが腸閉塞であろうが、医者の

        「検査に出ないから気のせい」に耐えて生きなければいけない。

        すべてが何百回の反復により「一瞬で」出来るようになる。「それしか手がない」場合”感情”が入り込む余地がない。ゲラゲラ笑いながら

        出来るようになる。(自分の後ろにも前にも道はなし。「点々人生」。「その時」の積み重ねだけでも「前進」出来る)----

 

何万回と訓練を積むうちに「人生は、楽しいものでも、面白いものでも、やりがいのあるものでも何でもない」「ただ死ぬまで時間をひたすら凌ぐだけ」

いう、「あたり前の”軸”」が出来上がる。(何事も「訓練」。考え方のコツは「”強度”最優先」)

----”自然”は、面白い/面白くないとか、勝手なことを一切言わずに「ただ生きることに」没頭して死ぬ。人間だけ恥ずかしい話である----

ネガティブとかポジティブとか”不自然”なことを考えている暇があったら「工夫」に集中する。医者の「検査に出ないから気のせい」の頻度は半端

ではなく、時間を割いてカネを払って医者に会いに行けば”毎回”聞くことになる。いちいち飛び降り自殺しているわけにはいかない。

ニコニコしながら「お前らに言われるまでもなく自分で”早く失せろ”と願っている」と内心言えるようなれば役に立つ。そこまで徹底的に叩き込む。

自分の解釈”は「上記以外出来ない」ほど子供のころから自然と訓練している「小児発症」のほうが有利となるが、一にも二にも「訓練」

目的は、「前進」「立ち止まらない」「次」(move)

昨今の「エビデントベースト医療」が続く限り、医者の「検査に異常が出ないから気のせい」は永遠に続く。

気を緩めず、ますます「強化」に全力を注ぐ以外に生き抜く方法はない。

安心することである。「人間みな死ぬ」「あいつもこいつも自分もみな死ぬ」。ゴールはすぐそこ、確実に見えている。期限付きならどうでも出来る。

病気は災害と違い、他人と分かち合えるものは殆ど「ない」(病気の種類・病態・生活・人生、何より「医者」が個々あまりにも違う)。

うっかり本音を語ると「患者の態度が悪いから」などと「”医者”を知らない一般人」からも非難されることになる。

患者は、「生き残り」のためにそれぞれ自分を鍛えあげるしかない。(いつもニコニコしながら「人間のツラなど見たくもない」を徹底する)

 

・・・こんな馬鹿げた話があるか。「医療は誰のものなのか」(医者のものではない)。本末転倒ではないか。

「検査に異常が出ないから気のせい」に対して「将来の患者」である”医者”はどう考えているのか。

医者自身が”科学者”として疑問を持ち、変えていかない限り、犠牲者は後を絶たない。

 

15歳で「慢性疲労症候群」を発症して以降、上記の「医者対策」(獲得技術)を必死で駆使して生きてきた。

その慢性疲労症候群が16年続いた後に「再発性多発性軟骨炎」、22年後に「腸管ベーチェット」を発症。(一貫して「CRPが正常」だったためそれぞれの”診断”は

26年後」および「32年後」)。”診断後”も延々と「CRPが正常だから」という理由で治療をして貰えず、36年後に西日本(北九州産業医大)でようやく治療開始とな

ったが治療薬に副作用が出て「治療が出来なかった」。東京に戻り大学病院・膠原病内科でもっとも経験のある専門医の一人(名誉教授)が「これだけ全身に広が

った患者は診たことない」というほどの重症患者である。(重症化の原因は「早い段階で治療をしなかったこと」。西日本が驚いて治療を試みようとしたのは当たり前

・・・くどいが、東京では「CRPが正常だから」という理由で治療をしてくれなかった)

相変わらず、殆どの東京の医者は延々と同じこと(検査に異常が出ないから気のせい。CRPが上昇しないから炎症はない・軽症)を繰り返している。

「検査に異常がないから”気のせい”・”更年期障害”・”トシのせい”」に関しては、経験のない人がいないほどで、多くの人たちが苦しんでいる。

上記おすそ分けした「医者対策」が、少しでも”参考”になればと願う 

(ほか、「”自分には”何がおきても驚かない」「心底面白がって笑う」は検査を振り回す医者相手に大切な対策である--”本当は生きていない”が役立つ--)

*何でも「ひとごと」にする習慣が出来あがると「笑っていられる」「問題が大きいほど”滑稽”で大笑いしてしまう」(心理的なダメージは一切受けない)

・・・心理、心理と煩い昨今であるが「自分のこと・予測できる出来事であれば”心理的なダメージ”」などいくらでも回避方法があることを覚えていてほしい。

 

注1:”心理”に「人間の言葉」など”大雑把”なものを使っている”心理学”関係者にはどうこう言われそうだが、「医者に全てを否定されて生きる」のは

そういうレベルではない。腹膜炎を起こしていても「CRPが正常だから気のせい」という世界で生き残るためには”心理操作”程度なら、何をしてもよい

・・・心理操作で記憶を圧縮しても「脳」は覚えているので、----決して愉快な作業ではないが----、さほど案ずることはない。

とにかく「生き残ること」「前進すること」「立ち止まらないこと」。そのためならネガティブでもポジティブでも、コツは「どちらかに決め”徹底的に”」

(医者の馬鹿げた「検査に出ないから気のせい」に対して「あらゆる面で強度」を持つ考え方は、ポジティブより「”徹底した”ネガティブ」)

中途半端な心理操作ではなく、その考え方が「自分」となるほど徹底しなければ「効果」はない。「一生貫く」(貫かざるをえない) 

<患者側に下らない心理操作を真剣に必要とすること”そのもの”が「医者の対応がいかに馬鹿げているか」を証明している> 

 

 

注2:「一生貫かざるをえない現実」に気づいてほしい。「検査に異常が出ないから気のせい」は決して過去のことではなく、「CRP」に関しては現在でも

続いており、「画像系」の検査では、具体的には2000年前半に起きた「腹膜炎」、現在でも「狭心症」で起きている(検査に異常がないから気のせい)。

一人の問題ではなく驚くほど多くの人たちが同じ目に遭っている。世界中の医者に問う。一体どれだけの患者を「検査に異常が出ないから気のせい」で

殺したら気が済むのか。人口減少問題を抱える日本では、海外の動向を待っている時間はない。

   *「腹膜炎」に関しては、ベテランの消化器内科医であれば「X線」だけでわかる。

    (立位・仰臥位、X線を2枚とって左右を確認。「ガスが動いていなければ」”そこ”--ガスが動いていない側の”その場所”--に”癒着”がある)。

    患者の話を聞いて(発症時期、症状など)「いつ」腹膜炎があったかくらい簡単にわかる。

    「狭心症」については「核医学」の専門家が「映らない」。

    要は「臨床技術」がないから「いつまでたってもわからない」 

 

◆医療者側も患者も「こんな医療でいいのか」

日本の医療は「税金」が支えている。「医療は誰のものなのか」。(医者のものではない)

いつまで「医者の都合、医者の勝手」(”検査”に異常が出ないから気のせい)を通用させるのか

税金で保険を支えている国の人たち(西洋)は「医者によく診させる」と表現する(診ていただくではない) 

参考にしてほしい

 

 

上記は「誰でも罹りうる”慢性疲労症候群”の実態」とその「関連疾患」の「ごく一部」である。

不幸にも、慢性疲労症候群発症以後、他の自己免疫疾患や免疫疾患を発症せず、「慢性疲労症候群」そのものを悪化させた患者は、死ぬまで上記が続く。

病態は「慢性疲労症候群」という病名から想像できない深刻なもので、進行し、死に至った友人だらけ。

医者はそこまでして「検査に出ないから気のせい」で患者を殺したいのか。

「慢性疲労症候群」(免疫不全)の診察開始、および、「信頼性に欠くCRP(炎症反応)、早急に検討・実施を求める。(日本には時間がない)


 


 

   1.「血管攣縮」と「血管の炎症」の関連はどうなのか?(心臓の場合、攣縮は「血管内皮の炎症」という説が有力)

   2.ミグシスより、「免疫抑制剤」(アラバ)の方が遥かに、確実に、よく効く。

     ・・・心臓・脳の血管攣縮ともに一般的な「血管攣縮」とは機序が違う。自己免疫疾患の場合「生物製剤」使用に伴う「冠攣縮性狭心症」を

    考えて貰えればよくわかる:基本、古典的な冠攣粛性狭心症発作のように朝方発作が多いが、生物製剤に伴うものは発作が起きる時間帯

    も持続時間も「一日中」(いつでも。夜中に頻発もある)。心臓も脳も「攣縮症状」が出るとき点状出血を含め内出血の突然増加を伴うことが

    多い。”カルシウム・チャネル・ブロッカー”一つとっても「シルニジピン(アテレック)20mg/day服用」では血圧は変わらない(下がらない)。

    免疫調整剤などの「副作用」で出る攣縮症状はアラバでも防ぎようがない。(経験がないほど強い症状が出る)

    ”冠攣縮性狭心症”の診断が「地方の医者だから」(異常初見がない)という理由で信じないのは東京・関東の循環器内科医の勝手だが

    「ハートセンター」のベテラン医。(核医学・女性医学専門・・・更年期障害に関しても専門である。「核医学」の専門家が「映らない」と断言

    する症状は、いくら循環器内科医が「映るハズ」と主張しても「映らない」。「医者の検査絶対主義」はあまりにも現実を逸脱している。)

 

     ・・・微少血管攣縮性の狭心症は、東京では、東大卒の医師が中心になって「性差医療」とか言われ、地方にまで出かけて

       ”教育”しているようだが、「自己免疫疾患」に伴う「微少血管攣縮」の患者が沢山犠牲になっているのではないか。

       (「免疫抑制剤」でコントロール出来るところ、「自己免疫疾患患者の血管攣縮」まで「ホルモン剤」など処方され、

       治らないまま発症頻度も増し、困っている患者が多いのではないか)

 

 

  

      「再発性多発性軟骨炎」の脳神経症状について・・・阪大HPより(「神経症状」参照)   
      E神経障害
      神経症状は中枢神経や末梢神経の血管炎と関連し、頭痛、脳神経障害、痙攣、片麻痺、器質脳症候群、無菌性髄膜炎、
      髄膜脳炎、脳動脈瘤などが生じる(50、51)。視神経症は脳神経障害の中で最も多い。

                                                                                    

※1.「眼の症状」(硝子体出血、ブドウ膜炎)、内耳出血、紫斑が示すよう「よく出血する」。

(眼の場合「微少血管出血」のせいか体質か「”短時間で”跡形もなくなる」・・・・本当に微細な血管の出血の場合「跡」は本当に残る・映るだろうか・・・・

・・・2015年の”中耳炎を伴わない”内耳出血発症は「脱水・飛行機」という条件が入ったが、(以下、東京では信じなかったが)、当時受診した耳鼻科医から

「あなたの耳は中耳炎を起こす耳ではない。もし飛行機などの要因なく内耳出血を起こしたら”余命1年”ということだから原疾患をよくコントロールするよう」

との忠告があった(北野病院・Dr. 金丸、京大・耳鼻科臨床教授)。いずれにせよ頻繁に出血するようになっているのは良い傾向とは思えない 

     上記の”内出血”(紫斑)がやたら増加している中、胸部、および肋軟骨に、息を吸うだけで激痛が出るように(再発性多発性軟骨炎の強い再燃)。

     病状に関わらず、重い荷物は一手に引き受けなければならない身としては、親の発病(脳梗塞)「前」に、「入院精査・治療法検討」の時間が

     なかったことが本当に残念である。東京に戻った途端、言葉にするのも恥ずかしい、幼稚でふざけた東京の膠原病内科たちの対応には、

     はらわたが煮えくり返る。(医者が寄ってたかって一体何をしてくれたのか。まあまあでは「済まない」)

     胸鎖関節の軟骨が炎症のために陥没して以来、(テコの原理で)、右指の操作が至難の業になっており、骨格系の障害が多い多発性軟骨炎の

     強い炎症で更にあちこち壊されるとどうしようもない。

     2年前(2016)、はるばる鹿児島から、当時も「全身に」モノスゴイ紫斑が出ていた中(現在の主治医(血管炎研究班班長)が写真で確認-->”紫斑”)、

     「(親族の永代供養より)自分の戒名が欲しい」言っていたほど最悪の体調で「治療の為」東京に戻ってから2年経過(戻って6ヵ月目に東京の膠原

     病内科医達が与えた非常に強いストレス原因で親が発症)。

     未だに引越荷物を仕分ける時間・体力なく、ダンボール山積の中での生活に、いい加減にしろ、と本当に怒鳴りたい。

     ミスのないよう、一つ一つ片付けることに集中しているが、原疾患をコントロールする方法がない中、全く休養出来ない生活では、再燃は防ぎようが

     ない(15歳からの獲得技術を駆使して「これ以上対処方法はない」と言い切れるほどよくやってはいるが、患者として「本当にどうしようもない」)

     「紫斑(内出血)の急激な増加」が原疾患と関わりがあることだけはハッキリしてきた。

 

 

※2.脳神経の症状は「後遺症」が残る症状が多い

 

※3.過去「硝子体出血」や「細動脈瘤」が確認されている。(後者に関しては眼科医から「全身にあると思って下さい」と忠告があった)

----そもそも、引越しで無理をした昨年(2016)から急にひどくなった「突然、体中に起きる皮下出血(点状出血など)」を伴う

「モノスゴイ”ふらつき”」は何だ?・・・「激しいふらつきに伴って”増加する”皮下出血」であり、プレドニンのせいではない。

また、同居人の「転倒」などのストレスでは必ずニトロが必要となるが、これも一体何なのだ?

ハッキリ言って「制御不能」ではないか---- 

 

 

上記は「検査に異常が出ないから」「炎症反応が上がらないから」など”検査一辺倒医療”が招いた”事実”である。

これら全ては「慢性疲労症候群」から始まった。服用中止にいたる副作用続発のため原疾患をコントロールする手段はない。

「慢性疲労症候群を発症した時点で治療をしないから」、医者が「検査ばかりに頼るから」こういうことになった。

(37歳でいきなり薬の副作用を多発するようになった。それ以前なら治療が出来た。親しい重症の親しい友人達は全員死んだ。

これ以上、手遅れの患者を出さないでほしい) 

◆「検査結果」は「治療をしない言い訳にはならない」

繰り返しになるが、「慢性疲労症候群」(免疫不全)の全国規模での診察開始、および「信頼性に欠くCRP(炎症反応)について」、

早急に検討・実施を求める。(日本には時間がない)

 

                    


 

1.「後遺症との付き合い方」

「欠損部分」にピンポイントではっきり自覚があるため、全体の「記憶」はむしろ健常者より「細かく」「正確」である。

(もともとの性格によるのだろうが、「思考」は感情など一切絡めず、物理学者たちが熱心に誘ったように「論理だのみ」となるため、

----既に発症していても若い時(細胞が若い時)のように薬の名前を「薬品名」「商品名」どちらも覚えていてスラスラ出てくるという

わけにはいかないが---、”記録”なしでも、「記憶」は年表のように「細かく正確」で驚かれることが多い)。

・・・論理というのは一つ抜けると成り立たないため「年表のように正確であること」は、記憶する上で、どうしても必要となる。

 

 

2.それぞれが「非常に」狭い範囲ではあるが、いくら訓練を重ねても「出来ない部分」(後遺症)は残り日常生活に大きな支障をきたす。

---あちこちに非常に「深く鋭い穴」があいているようなものなのか、「う回路・代替路」でうまくカバーしているが、その部分の機能だけ見れば

他と比べて極端に劣る、あるいは、ピンポイントにそこだけ機能しない。本格的な認知テストでは、余程うまく代替回路を創っているのか

大きな欠損結果は出てこず「全て標準」の結果となる。(中学3年(15歳)から「症状対策」に長けていると「穴埋め」がよほど上手いらしい。

大人で発症した患者の方がテストでは「欠損部分」が見えやすい・解りやすいかもしれない)

”脳全体”としては「欠損部分の”再訓練”」に引きずられ、「働き」「使い方」はむしろ向上する。得意分野はより得意になる。

・・・この部分だけみて脳神経内科症状を「大したことない」と言った(認めない)東大の膠原病内科は何を考えていたのか。

・・・脳神経症状は「慢性疲労症候群」から始まったもので慢性疲労症候群を「大したことない病気」という医者達にも同じ言葉を伝える。

                                                                                                                                                                                         

3.「脳神経症状について」…・”脳血管攣縮”だけではなく、”血管の炎症”も一因となりうる。

(・・・再発性多発性軟骨炎は「血管の炎症」が原因で聴覚神経などの神経ダメージが起きる)

「頭痛」(軽度から重度)、「ひどいふらつき」、「嘔吐・吐き気」などを伴うことが多いが、「それらを伴わないこともある」。

   ・・・「慢性疲労症候群発症後」1〜2年以内は実際に頻回嘔吐、学校に行くのに「一駅毎」に降りてトイレで嘔吐:各駅、何両目、何番目の

   ドアが最も近いか把握しており、絶対迷惑をかけないよう必死だった・迷惑はかけなかった。3か月ほど”毎日”続いた

 

   東大膠原病内科では”慢性疲労症候群”を「再発性多発性軟骨炎の前兆」と解釈した。京大消化器内科でも同じ解釈だった。

   ただし「16年」(人により一生)「慢性疲労症候群」としか分類できない症状である限り、”慢性疲労症候群”を「単なる前兆」

       「存在しない病気」には出来ない。「治療」が必要

   【症状】:子供の細胞でさえ発病前と比較すると得意(専門)分野での記憶は「6倍」かかるようになった。前述の嘔吐や脳神経症状の

   後遺症ほか、ものすごい倦怠感は言うまでもない。膠原病・自己免疫疾患特有の「関節痛、筋肉痛、筋力低下、ほか」を伴う

   ・・・「慢性疲労症候群」診断基準参照。

   ------「”認められている既存の”膠原病・自己免疫疾患から各疾患特異的な症状を差っ引き、脳神経の症状が大変強いもの」が

      ”慢性疲労症候群”である。「慢性疲労症候群」は日本では既に「膠原病類縁疾患」に分類されている(2008年)------

 

これでも「慢性疲労症候群」を「大したことない」「気のせい」「心療内科領域」というのか。

これでも「倉恒弘彦率いる、偏った、”慢性疲労症候群の研究”」が「全て」だというのか。

 

   ・倉恒弘彦の”兄”は「疲労研究所」という会社まで立ち上げている。

    いくら「慢性疲労症候群研究の資金繰り(患者の為)」が動機でも、「偏ったままの研究」を推し進めたところで実態は永遠に見えてこない。

    (倉恒弘彦:https://medical.jiji.com/doctor/1874

    http://www.fatigue.co.jp/  http://www.fatigue.co.jp/intro.htm https://jgoodtech.jp/ja/web/jc0000000002557

          https://www.weeklybcn.com/journal/news/detail/20130221_19223.html

    https://twitter.com/murataseisakush/status/369141390195712000 

    http://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/column/15/317534/120800003/?ST=tomict&P=2 

     https://www.nikkei.com/article/DGXNZO58625240X10C13A8TJE000/

 

   ・「慢性疲労」と、Co-Cure-Japanで紹介している「慢性疲労症候群の実態」とはまったく異なるものである。

    このまま放置していれば、慢性疲労症候群の患者はますます「食い物」にされてしまう。

    「本当に」困っている「慢性疲労症候群」の”患者の為”に、膠原病内科はしっかり「実態」を直視してほしい。

    ------「慢性疲労症候群」は、誰でもかかりうる疾患である。

 

 

4.「症状」は攣縮を起こす、あるいは、炎症を起こす「血管の大きさ」と「場所」による

 

5.「年月日が解らない」という後遺症があっても「画像」では異常は全く映らない

  〜Admnistrato, Co-Cure-Japan (2018年、7月2日)

  

   

 

 


 

「脳神経は一旦破壊されると回復しない」とのことだが、上記が示すよう、”ダメージだらけ”でも、代替回路により「誰もがダメージを認めない状態」

「著名な物理学者複数から声がかかるほど人並み以上に出来てしまう状態」を創る・保つことが出来る(身体と同じく「工夫・使い方一つ」)。

頻回の「再燃」と後遺症があり、家族がいなければ日常生活・人生は成立しないが、「脳の使い方の工夫」は、”虫唾が走る”としか表現しようのない

”馬鹿げた人間社会”に興味のある人にとっては、試す価値があるかもしれない。

”工夫”の方法は百人百様(自力)。コツの一つは「瞬時に過去を”なかったこと”にする技術」(圧縮記憶技術:瞬時に「過去と比較せず代替回路作り」

に集中できる技術)。命がかかれば誰にでも出来る

※ ”副作用”は「自分が何をすべき人間かわからなくなってしまうこと」であるが、”現実対策”に追われて「どころの騒ぎではない」 

 

「脳神経細胞は一度壊れると回復しない」とか、「毛細血管は一度潰れると二度と生えてこない」とか、根拠があるようなないような

ワケのわかったようなことを言う「ワケのわからない医者」の言うことをあまり真に受けず、「自分で」、命がけで「工夫」することである。

・・・・毛細血管は、たとえ潰れて減っても何歳からでも増やす(残りをモリモリ、モサモサ元気する)ことは出来るではないか(下記)。

今の段階でこういう状態であれば、血流だけではなく微小環境を整えたら、とか言い出し、いつ何時また「新常識」。

この手の”医者の説明”は「飽きた」。「できない」「不可能」の”根拠”も完全でないときに「できない」「不可能」は患者にとって迷惑。

「くるくる変わる医学界の常識」にはいちいち付き合っていられない。とにかく人間の環境と同じく「細胞の環境をよくする」「よく使う」・・・・

https://www.amazon.co.jp/ハーバード・パリ大学・根来教授の特別授業・毛細血管は増やすが勝ち・根来/dp/4083331496  

・・・著者とは全く関係ない:

 

脳神経の場合出来ないものは出来ないが−−−後遺症として戻らないものは戻らないが−−−「工夫しないよりマシ」という状態には自力で戻せる。

「代替回路」を発達させ「全体の機能」「働き」を少しでも向上させる。この手段は制限があるにせよ「出来る」「可能」。

そのうち「医学界の常識」は変わる。

・・・医者の言うことはいかにいい加減なものか。「寿命がある」以外は「ななめに聞く」程度で十分である。寿命は医者に言われなくてもわかってる・・・

「リハビリ」の部分は自分しか解らない。”ゼロから復帰”は、(壊れたなりに)、「せっかくだから前よりよくしてやろう精神」を軸にする。

自分でも仰天する症状が次々に出るが、「それがどうした」、いちいち驚かないで、まず笑う (ナンジャこれは)。対策は”そこから”始まっている)

---あまり度の過ぎる壊れようと馬鹿馬鹿しさに笑えなくなった。日本社会が、そこまで「お医者様絶対」でいてほしいなら、医者と心中すればいい。

 

 

※ 「薬の副作用」「感染症」と「恐怖心があがる症状」には気を付ける。

 

 


 

 

何度も伝えていることであるが・・・

「本人の病状を”全く”知らない」にも関わらず、学生時代の担当教授が亡くなっているのを良いことに、(どこからも文句は来ないと計算し)、鹿児島から関西・

北海道まで”地方”で巾をきかせる同業者(同科、当時助教授・現名誉教授)が、ナイコト・憶測を撒き散らしてることは知っているが、「命」に関わることだけは、

「知らない人間」は黙っていることである。あなたや、あなたの息子さんの「命」にも関わる(血液検査絶対信奉)。 

コクリツに勤めて税金でメシを食ってきた人間が「個人的な理由で国家斉唱が出来ない」までは許容するが、最高額の年金を貰いながら、日本に暮らす

人々の「命」に関わる問題を邪魔することだけは許せない。ましてや「慢性疲労症候群」は「誰にでもかかる病気」である。

(日本にとって迷惑な存在。「税金泥棒」「税金返せ」)

人の命より「自分」「学校」を守りたいなら、後述する「やり直し」が出来るのか(ぶれない軸をもっているか)自問してみることである。(5年10年単位)。

「保身」のために軸がぶれるにも関わらず税金を使ってきた人間は何も言う資格はない。

社会の役に立っている「つもり」(勘違い)で、「役にたないこと」を一生やって税金で食わせて貰ったからには、少しは「具体的に」社会に役立つことを考えては

どうか。「自分の病気進行」「リハビリ」「親の介護」で多忙な中、「元学生」は医療ボランティアとして26年+。社会に少しでも還元できるよう命がけで生きてきた。

東京の医者に病気にさせられた親は入学のとき、「税金を使って役に立たないことを勉強させて貰うことに覚悟しろ」と叱咤した「まともな感覚」の持ち主。

画策やら根回しばかりに興ぜず、テニス合宿」の責任の取り方を、覚悟して真剣に考えてはどうか。

「もっとも”理屈”が通用しない学校」で「頭がよい」と称えられていても社会では通用しないことを覚えていることである。「頭」が自慢なら池の向こうに行け。

こちらの担当教授(日本側の恩師)が亡くなった”途端”、この人物から直接「恩師を疑う言葉」を聞き耳を疑ったことが「異様な弱さ」を証明している

・・・・・この”弱さ”は「困っている同業者の殆ど全てが”精神病・精神的なもの”に見える」弱さではないのか。それでは苦しいのではないか。

差し出がましいことだが少しでも役にたてばと願う・・・・・

亡き恩師は「全く理論・理屈の通用しない世界」の中で唯一100%信頼していた。生徒が東大医学部に行くほどズバ抜けた頭脳の持ち主であったが、裏切り

や小細工が嫌いで、まっすぐな性格の師であった。(信じると言ったら「信じる」。言葉どおり)。

教授会「全科満場一致」で日時まで決まっていた奏楽堂リサイタルも、「慢性疲労症候群」についての”余計な一言”を信用した(お陰で流れた)。

当時はこれだけ体が壊れてはいなかった。 

---その教授会には「故・姉弟子」(当時教授)がいた。最近まで副学長をしていた兄弟子がいる門下では耳を澄ませばいろいろ聞こえる。

後述の「決定的な症状」以来「教えることも出来なくなった」といっても「地元」には深い「情報網」がある----

いくら専門のことをよく知っていても「命」に関わることに口出し出来る人物ではないことを自らよく知ってほしい。”命”と”音楽”は「違う」。

(「命」は「ある」か「ない」かの”二択”。「生きている」か「死んでいるか」二つに一つ。人間ごときが介入できない非常に厳しいもの)

母校出身者(専門家)としての土台は、ほぼすべて「回復不可能な後遺症」となった。

今後「リハビリ部分」で、たとえ弾けるようになったとしても「専門家」としては通用するものではない。

帰国した1991年から27年間「やってきたこと」(専門)が違う。(「患者」という”専門家”として医者と闘ってきた)。

母校関係者は驚くことも多いだろうが、誰一人として「仲間ではない」ことも覚えていてほしい。(甘えないでほしい容赦できる立場にはない

なお、故・恩師は「第二次世界大戦」に召集されしっかり「社会奉仕」をしたことを明記しておく。「特攻志願だったが”乗る飛行機がなかった”」。

専門馬鹿ではなく、ご自宅には美智子妃殿下が遊びにいらした。

「ナチ・旧ソ連の死の粛清」を知る海外の恩師とともに「社会」(人間)を知る素晴らしい師を持ったことが何より幸運であった。

 

 

 

文章と同じく、

”自然の一種”である人間の営みの一つ「音楽」は

どう解釈しようが個人の勝手ではあるが、

(「xxでなければならない」は「ありえない)

”日本の”医者が押し付けている「癒し」(みたいなもん)だけ”ではない”ことは

戦時下、日本の限らず世界中で「戦意高揚」に悪用された”歴史”が証明している

CRPや検査の押し付けではないが「医者の押し付け」を鵜呑みにする前によく考えてほしい

「生命」(自然)に対して「xxでなければならない」は「ありえない」

 

 

昨10月(2017年)、「ぶどう膜炎」発症後、モニターの文字が殆ど見えず、読み難さなどご容赦ください。


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