[遺言]

 

 

患者の中には「条件付き」で生きている患者もいる。

全国の患者は、以下、”遺言”として、よく読んでほしい。

(「これ」が、”東京の”現役・大学病院の膠原病内科の「実態」である)

 

確実に言えることは、「炎症反応」の次は「生検が絶対に必要」という具合に、「常識」は変わるということである。

つまり「医者のいうことを真に受けないこと」である。(「人間みな死ぬ」と同様、「医者のいうこと」は変わる)

 

※「医者の人柄・親切・厚意」、と、「医者のいうこと」は、”違う”。

  前者には家族ともども”心から”感謝している。大変お世話になった。

  今後、徐々に、残りの人生「自分の時間確保」のため、医者に行くことも少なくなるであろう。

  ここに、改めて、御礼と感謝を申し上げる。苦言ばかり呈してきたが、大変お世話になった。

 

このような、生きたくもない人生を、忍耐に忍耐を重ねた末にようやく終えたあと

後世の医者達は二度と、自分のような馬鹿げた人生を送る人間をつくらないことを、硬く約束してほしい。

 
 

  
西日本の大学病院には本当にお世話になり、心より厚く御礼と感謝を申し上げる。
東京では、2009年、大量ステロイド副作用で「ステロイドミオパチー」を発症し、
紙一枚持てなくなり、3cmの段差も上がれない状態になった時も、膠原病内科医達は「気付かない」
(リハビリも入れない。京都の病院の入院〜退院まで「歩行器だった」と伝えても気にしない)
 
福岡県では、少し偏ってはいたが優秀な膠原病内科の「臨床医」に巡り合い、
どの一人をとっても辛抱強く人柄も大変よく明るく熱心なスタッフにも恵まれ
鹿児島県では、膠原病内科は鹿児島日赤(旧)院長(膠原病内科医・京大卒)以外は頓珍漢であったが、
鹿児島大学臨床教授は「東京志向」ゆえに難儀したが、「さすが」の推察力を発揮。
(2008年、京都宇多野病院で指摘されていた「SAA上昇」については東京のベテラン膠原病内科医も同様の考えを持つ)
鹿屋体育大を持つ鹿児島県の優秀なリハビリと整形外科医に恵まれ、
京都大学・大阪大学には貴重な助言を頂き
病気の進行は止められなかったが、
「何もしない」東京医療と比較して大変な進歩であった
とうきょうでは「妄想だ」と言っているが
「使える薬」「使えない薬」もはっきりした
 
今回、東京転居のため、西日本の医療関係者には大変迷惑をかけることになり本当に申し訳ない。
まさか、”東京”が「西日本医療を”完全否定”し、これほど”けなす”」とは「誰もが」考えていなかったと思う。
(誰もが「稀少疾患」の経験は東京が豊富だから「東京へ」)
 
 
「再発性多発性軟骨炎」について
診断基準を満たしており診断には「生検」は”不必要”ではあるが
”東京の”膠原病内科では「生検がないと信じない」とのことで「白紙に戻せ」と言われた。
”専門家”と相撲をとっても誤解されるばかり
(「患者が病気を創り上げている」と言われる)
あまりにも時間の無駄、馬鹿げているので、自分で全てを「気のせい(白紙)」に戻した。
(どうせ治療法は存在しない。子供のころから最も慣れた方法「無医村に暮らしている」と考えれば片付く)
家族の発病・付き添い通院で、自分の病気を振り返る時間も余裕もなくなった。
 
東京の膠原病内科では、「薬剤アレルギー」まで「自分の脳で作り出したもの」と言う。
消毒のアルコールで瞬時に赤くなったとき看護師から「アレルギーだから常に伝えるよう」と注意され、
別な病院の看護師に伝えたところ「誰でもなる血管の拡張でアレルギーではない」と毎回二度も言う。
こちらにしては「どうでもいい現象」であるが、
「体調が悪いとき」”瞬時に”赤くなる。
(体調のバロメーターになっている。体調が良い時は赤くならない。単なる血管拡張なら「いつも」赤くなるだろう)
大学病院の看護師というのはいつも医者から下らない説教を聞かされ鬱憤晴らしをしたい気持ちはわかるが
くるくる変わるいい加減な「医科学界の常識」の説教など聞きたくもない
 
 
ともかく、医者・医療関係者の言いたいことはよくわかった。
今後は、問診時、「診断名」も「薬剤アレルギー(咽頭浮腫など大きな問題が起きた薬」)も、
忘れず「すべて気のせい」と注釈を付けることにする
 
東京に戻って「CRPが陰性だから白紙に戻す」(気のせい)となった現実は二度と忘れない
振り出しに戻って「一つ一つ辛抱強く」とも考えたが、もう面倒臭い。
何百回「医者」のご都合の為に「白紙」を繰り返さなければならないのか
人の一生の「時間」は決まっている
患者にとっては「何病」であるかなど、どうでもいい。
医者・医療関係者にしてみれば既存の検査に異常が出なければ全て「気のせい」
最初から最後まで全てが「気のせい」でキレイに片付く。生きているのも「気のせい」。15才からそうやって生きてきた。
 
 
もう、”とうきょうのゴタゴタ”に巻き込まれるのはご免である。
自分の人生に集中したい。
15歳から38年間辛抱した。
これでも忍耐が足りないというのか。
 
「紙一枚持てない状態」(お手手ブラブラ)からここまで戻すのにどれだけの年月と労力を要したか。
「胸鎖・胸肋関節陥没・肋軟骨の強度低下(肋軟骨融解)」は日常生活のみならず腕・指先の動きにどれほど深刻な影響を与えるか。
 
どれも「自分のために」行っている行為で他人は一切関係ない。
”自分の為に”「必要なとき、必要なことをする」
そこまで
 
「冠状縫合」の一部にも陥没が起きた(医師・看護師確認)
「どこでも」軟骨崩壊が起きているということである
あらゆる治療をしても病勢は止まらないことはよくわかった。
自助努力・工夫は発病時(15歳)から続けている。他人から努力が足りないなど非難される必要性はない。
呼吸器症状は、ほかの症状と同じく「6時間以内」に突然増悪する。(朝、目が覚めたら)
「再発性多発性軟骨炎」がどういう病気であるか、患者を「嘘つき」と呼んでも、医者は見当をつける気はない。
医者とは自分たちの「非常識な」常識を振り回す。そういうものである。
そもそも医者に見当をつけてもらって治る病気でもなし。
こちらは医者のおかげで発症した「家族の発病気対応」(次から次に問題が起きる)で疲労困憊・クタクタである
病院付き添いだけは代わりが聞かない。病人は2人分の通院は出来ない。
 
 
 
どこまで人の人生の邪魔をしたら気が済むのか
連日、家族の病気対策のための異様に難しい作業で、疲れている、忙しい
どけ
 
 
 
”医療”は「患者のやる気」によって成り立つ
一般社会からも受け入れられないような医学界の常識や
慢性疲労症候群研究者の関係者ら「ド素人」に振り回される頼りない”東京の”膠原病内科はもういい
好きなようにやりなはれ。「きばいやんせ」
  
 
「地方の膠原病内科医達」は
”あこがれの”「東京の」現役・大学病院・膠原病内科医の実態(このページ)をよく読み、
下らない「東京の」大学病院・膠原病内科医達の真似などは決してせず
「患者目線で」「患者のやる気・生きる気」を引き出し
「臨床力」でしっかり地方の患者に貢献してほしい。
東京の日大板橋という医学部の膠原病内科教授は「臨床医はまったく信用しない」と言い切った。
人口減少の激しい地方(日本)において絶対に必要な医師は「臨床医」である。
”東京の膠原病内科医”の評価などクソくらえ。
「医師も同じ人間」などと愚痴る映像を「病院で」「患者に」見せている暇があったら
必要とされ、選ばれた人間として、「人間離れした精神力」を発揮し力強く頑張ってほしい。
 

 

 

 



 

 

かつて、自分のような人間や、このような馬鹿げた人生があったことは「”完全に”忘れ去ってほしい」

今後「そう」なるよう、”東京の”膠原病内科医たちは「患者の憶測」など不真面目な行為にエネルギーを割く暇があったら

常に、「脳・気のせい」は「最後の手段」として、「症状」を「現実」として把握するために全力を尽くしてほしい。

”気のせい”、”脳のせい”、は「いつでも」「誰でも」「本人でも」できる。内科医なら「その前に」”内科医しかできない”技術

を見せてほしい) 

・・・”痛みの種類”も確認せず「繊維筋痛症による全身疼痛」など言語道断、恥以外何物でもない・・・

 

 

自分がこの世に生きていた証を完全に地球上から抹殺することを切望する

下らないことに巻き込まれた自分が、自分で許せない。

(自分だけではない。親も医者から非難され続けた。医者のおかげで親の人生もとんでもないことになった。

どうしてくれるのか)

「慢性疲労症候群」や関連疾患を持つ方々のためにこのWEBは維持するが、絶対に思いださないでほしい。

怒りで死んでも死にきれない。

 

今回、西日本から東京に戻ったことで「再現性」が証明されたよう、誰がどう見ても・考えても「すべては”東京の”医者のせい」である ナニガ「生検主義一辺倒」か、「死体が出たら信じる」か、「気のせい」か。「15才から”更年期障害”」か。

ある医者は「知恵熱」といったが、ふざけるな。人の一生を台無しにしやがって。

 

--この心境を、「抑うつ」「パニック」「(医者と)合わない」などと解釈する医師がいるが、

これは、”命”・”人生”をかけた「現実に対する怒り」であり、精神科領域の問題とは全く異なることもわからないようでは医者として失格である。--医療裁判を起こす患者のことを「精神病」と言っているのと同じことである

 

とにかく、患者は、診察室に入ったら、”医者を”「よく観察」することである。(こいつは本当に頼りになるのか)

◆ 患者・家族が、診察室で医者を「観察」していることを決して忘れないでほしい

 どの病気も同じであるが、特に『稀少疾患・難病』に関しては、”経験の少ない医者の診断・判断に対し”、

「患者が」”信じてやる”・”やらない”、の問題であり、医者が「診てあげる・あげない」など、医者の勘違い」

「本末転倒」も甚だしい・・・・患者数が少なくなると、途端に、患者に対して「診てやる・診てやらない」居丈高

になる医者というのは何なのか。何を考えているのか。この手の内科医はページ一杯使っても書ききれないほど

沢山いる(膠原病内科だけではなく消化器内科からどこから、「内科」という科に属する内科医殆ど全員。

「自分の身内」のことを知らず、患者を一方的に非難する内科医も含めてもよい。

「一度死んでから診察室(仕事部屋)に戻ってこい」。

 

 

 


 

世の中には「あなた」の知らない沢山の病気・病態がある。

あなたの大学で診ている「病態」だけが「その病気」ではない。(教科書に載っていない病態・症状が無限にある)

「大学病院が必要」とか「大学病院に行け」と言われるから患者は体調の悪い中、懸命に大学病院まで出かけ、

医師に「言葉で伝えている」。

そして、大勢の患者が、大学病院の医者の「気のせい」に耐えている。なんだこの現象は?

 

 


 

15才から「38年間」は短いのか。

何だか知らないが、もう十分である。

「”東京の”大学病院・膠原病内科」については、よくわかった。

「”東京の”大学病院向きの症状」を発症している患者だけ診て、「研究班のための」バイアス(偏り)だらけの研究を

していればよい。(単なる「研究班のための研究」であり、「日本国民・人類のための研究」でない限り、税金は返して

戴かないと。患者の医療費受給どころの騒ぎではない。国家予算を何と考えてるのか神経を疑う。)

 

 


 

政府に働きかけたり、あの手この手で「患者のためにならない策」を講ずる医学界を見ていると、

どうやら、日本には望みがなさそうである。

「何か力になれば」と長年、命がけで考え努力してきたが、ノーベル賞受賞者に金稼ぎをさせたり、

技術力の低下など、母国の医学界の「恥」しか見えてこなかったのは、非常に残念であった。

日本人に生まれて、それより、この世に生まれてきたことは、心より悔やまれる。

 

もう、「人間社会」は充分に「堪能」した。よくわかった。

2006〜2008年当時、最高学府に煽られ振り回されたマスコミのことも良く覚えている。

(気付いていない・簡単に忘れて貰えると思ったら大間違いである)。

すでに、放置しても、そう長くはない環境・年齢に到達している。

何より「共倒れ」の典型的ケースであることは現実を冷静に考えれば誰でもよくわかる。

自らどうこう不自然な行為はとらず自然消滅という手段をとるので、どうかご心配なく。

(それまでは「意地からでも”笑い倒す”」)

 

家族を病気にさせられ、患者の生きる気を削ぎ、人間を心底怒らせたら、どうなるか。

自殺のような問題では済まない。

日本の医者は患者をなめているようだが、「寿命」を決めるのは「患者自身」である(死ぬ権利・尊厳死)。

よく覚えていることである。

患者数が多かろうが少なかろうが、どれだけ年をとろうが、患者一人一人には人生をかけた「プライド」があることを

忘れてほしくない。

 

「すべては(医療過誤経由)”慢性疲労症候群”から始まった」

「CRP陰性は医者が考えている”以上”に頻繁に起きている」

 

”条件”が揃うことを楽しみに、そこまでは”社会の中で”「現実対策」に追われることになるが、それも

「必ず終わりのくる我慢」の一つ。毎日ニコニコ・ヘラヘラしていればあっという間に過ぎる。

Co-Cure-Japan でお裾分けした内容が、吐き気のする虫唾が走る人間社会にとって、お役に立つもの

であれば、役立てて下さい。

誰が見ても馬鹿げた人生ではあったが、ある意味、貴重な、大変おもしろい人生であり、楽しかった。

 

Co-Cure-Japan, Administrator, 陰山理香, Rika Kageyama, (1月1日、2017年, revised March, 2018)


 

 

Copyright © 2012 Co-Cure-Japan, All right reserved

 

inserted by FC2 system