大学病院の医師達の感覚: 

[研究者]

 

  創薬の部分の”国際競争”などは熾烈どころの騒ぎではない。

  創薬の為には余程”確かな”「技術・研究」がないと創薬には結びつかない。

  この厳しい状況下、最も”近道”にいた筈のノーベル賞受研究者に「カネ集め・経営者」をさせるなど論外中の論外である

  (「研究の責任者」ならわかるが、本人が「経営者になる」という”感覚”に「させた」日本医学界の感覚が全くワカラナイ)

 

  カネ集めのやり方にしても、これまでが至難の技であったことは理解できるが、そこから先が厳しい場合、 一般社会では

  「”課題”を公にして」、「”誰々が責任者で”必死でやっている。(具体的で十分納得できる説明があり)必ず開発を成功させる

  自信があるから資金が必要」となる。「自画自賛だけ公表してカネの無心」など聞いたことない。

  一般社会では「研究だから」といって「責任者もわからない研究」にはカネは出せない。

  医学の場合「腕の悪い研究者」にカネが渡ったら、「命」がかかっている・時間がないだけに、とりかえしがつかない 

  (この問題は実際に起きている) 

  また、「免疫」の部分が解けていないということは、”自己免疫疾患”だけでなく、”癌””感染症など「誰でもかかる」

  最も大切な部分がすっぽ抜けて「まだまださっぱり目途がついていない状況」で、研究者達が自分たちの成果を

  ”自画自賛”するなど、一般社会から見ると厚かましい限りである。(この感覚も理解できない)

 


  以前、「アメリカの寄付社会と違って日本社会はカネを出さない」と非難した医科学研究者がいたが、アメリカ社会はノーベル生理学・

  医学賞受賞者などゴロゴロいる状態であり、十分「競争原理」が働いている。むやみにどんどん寄付しても競争原理が働いている限り、

  妙なことが起きる確率は「一社独占状態より低い」(内部告発などが正常に機能する)。

  一方、日本は「研究で一人」「臨床で一人」。研究では「一社独占状態」。それも、どんどん組織が巨大化している。

  巨大組織になればなるほど「不正」は大きくなる。(町工場ではありえないオカシナことが起きる)

  医科学研究者達は何を勘違いしているのか知らないが、日本社会を非難する前に「日本社会の現状」をよく知ることである。

  (「日本の社会」や「日本の医療現場」の十分な経験もなく、日本社会を非難するなど失礼な話である)

 

下記は別なページにも書いたが、

「日本の社会を非難する前に、”最高学府しかできないバックアップ”があったのではないか」

 


 

”西日本の臨床”に対して「信じない」「認めない」をするエネルギーがあったら

もっと政府に働きかけができなかったのだろうか。

もし最高学府の職員がノーベル賞を受賞していたら、その職員に「カネ集め」をさせただろうか。

京都大学のノーベル賞受賞者に対し、最高学府が「カネのことは東京でなんとかするから全力で

研究に専念して下さい」と自ら率先して旗を振り、バックアップ(自分たちができること)

に専念してくれていたら、こういうことにはならなかった。

 

「西日本臨床に対して”信じない””認めない”」

ノーベル医学賞受賞者に対する協力も中途半端」。

最高学府は、常日頃、「国」「全国の患者」のことが頭に入っているのだろうか?

少なくとも「医学」を見ていると、東京の医学部を持つ大学職員たちは、

”日本全国の患者”のことを考えず、自分たちのことばかり考えているように見える

(各大学で行われている研究は別として)

そう言うと東京の大学医学部の医師達は怒るだろうが「ノーベル賞受賞者にカネ集めをさせて平気」

という、”日本医学界(中央)の感覚”は、一般社会の人間には一切理解できない。

 

今からでも遅くない。(これからますますカネが必要になる)

全国の患者は「ノーベル賞を受賞するほどの技術力と能力を持つ研究者」に研究を続けてほしい。

(一般社会の人間は、ノーベル賞受賞者にカネ集めさせたい者など一人も存在しない)

研究も大切だが「最高学府しかできないバックアップ」で、全国の患者のために貢献してほしい。

 


 

大学病院関係者と一般社会との感覚のズレ、

なんとかなってもらわないと困る

 


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