認知症、および、アリセプトの副作用

 

目に見えない、検査に異常が出ない場合、「すべて脳のせい」ということになるが、

普段一緒にいる人が「いつもと違う」「体調がおかしい」と感じたら、いくら医者が「脳・気のせい・精神」と言おうが、直観は当たっている。

 

”身近に接している人たちは”誰よりも素晴らしく「正しく」よく感じている、本当に「とても有り難い」存在である。

『正しい』のは、”検査結果”でも”医師”でもなく、「日常を観察している身近な人々」である

”間隔をあけて”観察をする家族にはもっと正確に見えている。(本人のことだけでなく、医師に振り回されている介護者の様子)

ただでさえ恐ろしく忙しい介護側が、医師に振り回される様子は、見るに堪えない(悲しい・苦しい)

 

身近にいる人は、医師の言うことに左右されず、「自分の感覚」を信じ、「観察のプロ」として”自信を持って”「具体的対応策」

「あの手この手」を考えてほしい。医師の一言で「見え方」が180度変わる(すべて脳のせい)。非常に恐ろしいことである

・・・たとえ認知症でも、医師は「その時」しか見ていない。悪化してると医師が判断したとしても 

「その時の調子だけ」で判断したものであり「栄養状態」「体調」など総合的には全く考えていない。   

医師が神ではないように、脳がすべてを支配するわけではない。

脳ほど栄養状態や健康状態に左右されるものはない(体調のモニターである)。

医師の言葉を鵜呑みにせず「総合的に」考えてほしい。人間は動物。「まず体調ありき」(まず検査でも医師でもない)

 


たとえ認知症であっても、だからといって「”何もかも”脳のせい」は、あまりにも安易な判断である。

(脳は「最後」の手段。「すべて総合的にしっかり考える詰めることができてから」、そこから最後の手段である)

総合的な判断もせず証拠も示さず(示せず)「脳萎縮の悪化のせい」というのは藪医者を証明しているようなものである。

(医者の言葉から具体的・物理的対策は一切出てこない。ナントカしようもない。非常に無責任な対応である)

”臨床医”なら(栄養や体調など)「ナントカする方法」に結びつく方向性を同時に探さなければならない。

治らない病気に対し 「現存する薬だけ」に頼る医師がいたら、それはもはや臨床医ではない。(迷信か宗教の世界である)

現時点では、”殆どの場合”、個人差もあり、病気対策というのは「あの手この手」で決して一神教の世界ではありえない。

        1. 画像イコール証拠ではない。(脳の画像の状態が悪くとも認知機能を保つことは多々ある)

     他の臓器(整形外科的なケース)でも、「一体どうして、これだけ壊れているのに、機能を

     保っているのか?」医者が驚くケースは非常に多い。「機能」とはそういうものである。

        2. 医者が行う認知テストも、結果が悪化したからといって、それが証拠となるものでもない。

        3. 最も気を付けなければならないのは「両方が一致したから悪化した」という短絡的な判断である

      「認知機能」だけ見た場合、1.は医者が考えているほどアテにならない。(3.はアテにならないということである)

      ---「炎症反応(CRP, ESR)」と同じく、「症状との食い違いがみられる検査」は全て『参考』程度であり、

      ”参考”の検査は”絶対視”出来ない。「3」を主張する医師には警戒しなければならない---

※ 問題は「なぜ認知機能が落ちたか」である。(悪化する前の体調は?すべては本当に脳のせいなのか?)

  家族や介護者は可能な限り必死で「すべて」を医師に伝えている。

  素人では判断できない。だから専門医に相談する。専門医が「画像検査一辺倒」では困る。

  全ては医師の「状況判断力」(臨床医としての技術)である。

  臨床医とは「一にも二にも”状況把握力”、”判断力”」勝負であり、まず「状況把握」が正しく出来なければ困る。

          ・・・ほか、「どれだけ全身全霊集中して診察しているか」「誤診・見落としはないか」

         「一日の終わり・自分が死ぬ時、”後悔しない自分の医療スタイル”をしっかり確立しているか」

          「副作用は本当に出ていないか」・・・副作用は患者のその時の体調にも大きく左右される。

          「実際の副作用出現・影響」は製薬会社が医師に報告しているものよりはるかには大きい事が多い。

1.効果のハッキリしない「薬」については、利用者側(患者・介護側)は必ず信頼のおける薬剤師に尋ねる

  (できれば「認知症介護経験のある薬剤師」がよい。何事も「経験」に勝るものはない。

  「経験者」である「患者・家族組織」の方が、単なる「医者の横繋がり」より”実態”に強い。

  真剣に運営される患者会には必ず、「”患者が”信頼できる医師(達)」の存在がある。)

 

    アリセプトについてhttp://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/264130.html

                http://www.yakugai.gr.jp/attention/attention.php?id=382

 

2..医師に対する遠慮は”一切”「持たない」(患者を守るのは介護側の「あなた」である。遠慮・気遣いは患者を殺す)     

         ・・・ 通常、医師は薬を「製薬製薬会社をある程度信用して」使用しており、製薬会社の受け売りが多く

          「製薬会社の示すデータ」しか知らない。”良い医師”は「薬」に対して「非常に」神経質である。

          (開業医の場合が殆どで、信頼できる薬剤師と密に連携をとり、”仕入れ”の段階で厳選している)

          --”勤務医”は余程「薬」に神経質な医師以外、自分が使っている薬について殆ど「知らない」と考えてよい。

          そこまで勉強せずとも給料は入る。そもそも病院経営に口は出せない。良い医師は”連携”を好む-- 

        良い医師は、患者から副作用報告を聞いたら、患者に謝り、即、製薬会社に報告する。

          医療現場とは「仲良しごっこ」ではなく、非常にシビアな世界である。

 


 

認知症で最も肝心な点は、

外科医たちが切々と患者に語るよう、治療する・しないに関わらず、「一にも二にも体力」

薬が絡めばまず「副作用」を考えなければならない。体力的に落ちているときほど副作用は出やすい。

治療法がなく進行性の病気の場合、”薬”は「ナントカなれば・・・」という程度であり、特に「副作用」は、

弱った体にとって、医者が考えるより影響が大きい。基本「薬なし」を土台に治療対策を組み立て

なければならない。(治療法のない病気はいずれも同じである。脳だけ特別はありえない)

脳”という「一臓器」が病気であれば普段よりエネルギーが必要である (脳はエネルギー消費が大きい)。

結局、病気の種類に関わらず「一にも二にも三にも”体力”」である (どうしたら体力がつくのか)。

  1.特に老人は「体力勝負」である。

     体力さえあれば、脳の萎縮が多少進んでも「脳機能」を保つ可能性が高くなる。

     体力さえあれば、体調が多少崩れて脳の調子が一時的に崩れても、元に戻る可能性が高くなる。

  2、老人だけではなく、「体力」は、”健常者にとっても”「生死」を分ける重大な要素である。

    認知症だけが特別「ではない」。

  3.”気分転換・脳活用”は、(脳だけのためではなく)、「体力をつける為の」有効な一手段である。

驚異的に気力を振り絞れば絞るほど体力”を使う。生き物は、体力を使い果たしたとき、死ぬ。

休養しすぎても体力は落ちる。やりすぎても体力は落ちる。

バランスとタイミングは難しいが、結局は「”健常者の日常生活”の延長線上」にある。

(人間は人間である。栄養やカロリー、笑い、生活リズム、運動と休養、など、「メリハリ」)

  認知症を含め「進行性の病気」の場合、

  目標は、”無理だからこそ”、目標は高く「日常復帰」に設定して丁度である(悪化のスピードが速い)。

  何の病気でも「闘病」は「生き残り術」であり「病に負けない体力づくり」でもあり、非常に”厳しい”

  病人は、24時間365日、一秒の休みなしに、アスリート並み・究極の「体力勝負」の世界にいる

  施設に暮らす認知症患者であっても、その一人一人(家族よりも「本人」)が”覚悟”を決めた結果であり、

  外科手術を受ける時と同レベルの”執念と覚悟”を一身に背負った「決死の覚悟の集合体」、

  意思表示ができようができまいが「自らナントカしたい人たち」の物凄いエネルギー集団である。

要は、認知症でも、”主な対策”は、普通の進行性の病気と変わらない

1.『体力作り』。(”脳活を含め”「どうやって体力をつけるか」---何かの折には外科手術を受けられた方がよい)

2.『副作用に注意する』 アリセプトは非常に副作用報告が多い---副作用を医者が「悪化」と捉えて薬を増量、さらに悪化)

 

*認知症を担当する医師は、薬の「副作用」にはくれぐれも気を付けて頂きたい。

*患者は、薬に対して「薬」のことは「薬剤師」に尋ねる

(大都市圏では「医薬分業」がしっかり機能しており、「薬」のことは医者ではなく「薬剤師」に尋ねるのが常識)

 

アリセプトについて http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/hotnews/archives/264130.html

                http://www.yakugai.gr.jp/attention/attention.php?id=382

 


      以下の質問には命がかかっている。

   一部の神経内科医達に尋ねたい

   認知症が「ターミナルケア」であることを忘れていないか?(これが癌の場合どうするか)

   自分の親が「増量と同時期に体調が”不安定”になった時」本当にアリセプトを使用・増量するのか?

   「自分は脳の”専門医”である」という無意識の強い自意識が「全体」を忘れさせていないか?(脳神経を過大評価していないか)

   その偏った”専門医意識”が、介護・家族側にとんでもないストレスと混乱を与えていないか?

   その一部の神経内科医達には、”本人と家族の立場に立って”自問自答していただきたい:

   あなたは本当に”「本人と家族」の言葉を信じることが出来ているか?(検査ではなく・薬でもなく)

     介護側はあまりにも「医師の対応」に振り回され、その様子があからさま(露骨)で、本人から不信を買っていませんか?

    (認知症は馬鹿ではない。非常によく感じており、一部の脳機能を失っているだけに「感受性」の部分は天才的である)

        介護側は医師・家族の「間」(どちらを信用してよいか)で困ると思うが、どうか「本人+家族」の為に頑張ってほしい

    (医者では解らない「家族しか気づかない点」が殆どである。自分の子供の事を考えてほしい。学校の先生では

    気づかないことを「親」や「兄弟・姉妹」は「気づく」。その人の「子供のころから一生」を知っているのは”家族”である

   *「家族・介護側」と「医師」の立場は「同等」である。

    ・ たとえその病院が地方で「唯一」の存在であっても「まず患者(客)ありき」。

     患者・介護側の「病院・医師に対する遠慮」は一切無用であり、毅然とした態度が必要である。 

     (診るのが病院の仕事である。カネは払っており他に問題は一切ない限り診療拒否は「できない」)

     大切な命を預かっている施設側は医師・病院に対し「うちの職員を混乱させやがって」と怒鳴り込むくらいで丁度である。

     ---本当に「そう」である。処方薬に関しては「指示通り」動かないと施設しては怖い。当然、医者の指示を守ろうとする。

        混乱の原因は「医者が把握すべき」「医者しか把握できない」点ばかりで”混乱の元”は医師の勉強不足にある--

    ・ 簡単に診療拒否を口にするような病院・医師は、通常、訴えられる。首都圏では「ありえない」

    ・ もし高圧的な態度に出る病院があれば、いつまでもそれを市民が許してはいけない。

    

          脳神経内科が「難病すべてを扱う」と勘違いしている地方があるが、

          大都市圏・首都圏での脳神経内科は「単なる専門科の一つ」である

          (消化器内科、血管内科などと同じ、ただの「一つの専門科」であり

          脳神経科が「何もかも対応できる科である」など「誰一人」考えていない)

          その地方に間違った教育をしているのは「どこ」なのか?

          地方の患者は首都圏の患者に比べ情報が入らないことをよいことに一体何をやっているのか?

 

この通り「脳神経内科医」の役割は非常に重大である

(状況判断一つで周囲を振り回すことになり、意図的ではなく、”結果”、効果不明の薬を増量し、さらに悪化させることさえある)

・・・普通、成功率”不明”の手術を簡単に受けさせるか?体力の弱い高齢者にとって「内服薬」とて同じで余程の慎重さが必要になる・・・

日常の観察側は「医師に振り回されず」観察する”力”が必要となり (お医者様だのみではとても無理)、

”本人”は、たとえ外科手術ではなく内服治療であっても「体力勝負」となる。(結局「一にも二にも体力」)

 

     アリセプト増量のタイミングで”消化器症状”が出た場合、(認知症の症状か副作用か迷う場合)

     それが、具体的にどういう消化器症状なのか”、医師に説明すると、医師の判断に役立つかもしれない。

     (本来は「医師が」尋ねなければならない質問である:「具体的にどういう?」)

      内科的に何も問題がないのに吐き気・吐きそうな症状”を伴う場合」は「副作用」の可能性がある

     (これも、担当医が「薬の副作用を心配する医師である」という前提が絶対条件となる。

     何の薬でも副作用はつきものであり、副作用の心配をしない医師は、本来、医師とは呼べない。)

 


1.アリセプトは「ある一定に期間については認知症を遅らせる有効性が確認されている」が、それ以外は有効性は確認されていない

2.副作用が非常に多いことで有名な薬である。

3.日本の医療制度の場合、「アリセプト内服治療」には「税金」を使っている。

アリセプトの有効性が確認されていないケースに対してもアリセプトが処方され続け(税金を使い)、「副作用」が原因で体調を崩しても

「認知症の悪化」と解釈され増量される--(適正患者以外に税金を使って薬を処方し、その薬で症状を悪化させ更に増量で税金を使う。

最悪”副作用で死亡”)--という『負の連鎖』が”多々”起きているようであるが、政府は何の対策もとっていないのか? 

(税金を使って一体何をしているのか、どうなっているのか、いつまでこの混乱を放置しておくのか)

・・・アリセプトは「無効」「有効」の患者がはっきりしている。「認知症の患者」というだけで、一部の神経内科医達は処方前に

「無効・有効」の判断もせず「副作用」も気にせず、”認知症患者なら誰にでも”処方しているということになり、現時点で既に

相当な税金を使っていることになる。その上「副作用による被害者(最悪死亡者)がたくさん存在する」ということになる

この実態を政府は把握しているのだろうか。

 


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