稀少疾患の医療

 

1) 患者は「医師・病院を選ぶ権利がある」

希少疾患だからという理由で、大学病院が談合・結託し、「患者の人生にとって不利な状況に追い込む行為」は法律違反に近い行為である。

       患者は「患者の人生」があり、大学病院通院ばかりに時間をとられるわけにはいかない。

       長年「希少疾患が何かの役にたてば」と”協力姿勢”でいたところ、最高学府付属病院の医師から「希少疾患なんて研究しても カネにならない」

       「この病院に入院していたいからウソをついている」と言われ、初めて「ああそうなのか」と気付き、考えを新たにさせられ、必死で生きている。

◎ 患者は、「希少疾患だから」という理由だけで、何もかも大学病院というわけにはいかない「現実」がある

      (大学病院に入院したからといって給料が出るわけでなし(支払う側で)、子育て、老病介護、病病介護など)

 

深刻な事情があり、「”今すぐ”紹介先の大学病院に行けない」と伝えると、次のような、おかしな経験する。

 

(1) 『東京都板橋区医師会』・・・稀少疾患では、”医師会などのオカシナ対応”で困惑する患者は多い。

 

(2) 『東京都の保健所

 


 

2)「稀少疾患に対する大学病院の膠原病リウマチ内科」 

   

      大学病院の膠原病リウマチ内科では、稀少疾患患者に対し、「いうことを聞かないと診てあげない」

      「いくらでも入院していてもいいです。治療する気はありません」などという。

      (患者数の多い病気では考えられないことばかり起きる

      海外では「日本の大学病院は、稀少疾患の患者を入院させ、治療せず観察ばかりしている」と有名である。

      (親を日本の大学病院に入院させている海外の患者の子供などは「怖い」とのこと。

       一体、日本の大学病院は何をやっているのか。海外の患者と交流が多いが恥ずかしい限りである)

      「医療をしない」医療機関は受診する必要はない。

 

   「病人のうっぷん晴らし」と勘違いされることが多いが、本当に「こういう医療で」日本に暮らす人々は満足しているのだろうか。

   満足していいのだろうか。自分の身に置き換えてよく考えて戴きたい。

   ある超有名な公立大学医学部の元教授が「良い医者探しは理想の旦那を探しているようなものでありえない」といったが

   素晴らしい医師は『本当に』存在する。そもそも、「旦那探し」と「医者探し」は根本から違う:医者は「仕事」である。

   「旦那探し」と「医者探し」をごっちゃにしているのが、よくわからない。

   また、大学医学部の教授たるもの(医者教育している張本人)が「理想」を持っていないことも、理解できない。

   (大学医学部の教育側が「ありえない」という限り、決して育たない。永遠に現状のまま」である)

 


3) 年月が経てば、その人の姿形だけでなく「取り巻く環境」が大きく変わってしまう。研究協力など過去できたことも二度と「出来ない」

    (一般社会では説明しなくとも解る)

  患者本人が「子供」でない限り、自分が具合の悪いことはわかっていても、身内・家族に病人が出た場合や家庭の事情で、

  大学病院(内科)や専門医、医院さえ受診する時間的余裕がないことが多々ある。 

  早く受診したいが「自分の役割」と「日常」に追われて必死・精一杯。

  (緊急対応の大学病院を手配するだけで精いっぱいである)

  どの患者も一般社会に生きる限り「みな」同じである。働いている患者など特にである。

  大学病院の内科医達は「患者が医療拒否をして嫌がらせをしている」というが「現実」を見てほしい。

  そんなことをする暇は患者には本当にない。何より体調を整え、遠距離通院に耐えるまで体力を回復しなければならない。

     

     呼吸器官に痛みが出、Saturationも少しづつ落ち(95)、声が嗄れてきている状態について。

     鹿児島日赤の若いリウマチ科医が「怖がり」といったが怖がっているわけではない。

     最高学府のリウマチ科医から「Saturation は”80”を切らなければ"大したことない"」

     と教育されており、断じて「怖がり」ではない。

     (ちなみに、Saturation は、健常者で98前後。高齢者や呼吸器に持病がある場合98を切ったら

     医師は心配し始める。80は酸素ボンベがいる。最高学府の膠原病リウマチ内科が「患者に伝えた内容」

     が、いかにデタラメかよくわかる)

 

     「血清アミロイドAタンパク高値が長期間続き、突然、発症時間不定の狭心症や過去経験した

     ことのない症状が出現(2月)、”ステロイド5mg/day”で、いきなり”全身の激しい浮腫”と激しい

     倦怠感(4月)、その2ヶ月後に全身紫斑(6月)、頭痛(7月)」は気持ち悪い(2016年) 

     ーーこれも「怖がり、てか?」-ー

 

・・・実際のところは、信頼のおける診療所・病院を2件受診したが、どちらも「片道3時間かかる大学病院で検査を受けるように」

  とのことで検査をしてくれなかった

  血小板の勘定など開業医でできる。血小板減少なら「自治体の定期検査」で発覚するとも多い病気である。

  それでも「開業医のデータではダメだ」という。つまり大学病院の検査でないと論文が書けないということか?

  これが、「患者のことを考えた医療」といえるのか?(患者は大学病院医師出世目的の「論文材料」)

  「かつて経験したことないほど体調が悪い」ところ「遠方の大学病院を受診しろ」というのは、

  「体力がないのに手術をしろ」と同じことである。

  「患者の立場に立たない日本の医療」は、このままでいいのだろうか・・・

 

      「怖がり」について。

      病気の症状みたいなものは、どういうものであれ、15歳から「気のせい」と医者から言われ続けたおかげで、

      「全て気のせい」と自分で片づけ自力で対応策を編み出す習慣を身につけており、殆どの症状は無視できる。

      「症状はすべて存在しないこと」「自分は存在しないこと」「死ぬまでの我慢」と考えれば、”誰でも”できる。

      (この方法で生きていく以外に生き抜く方法がなかった。三つ子の魂百まで。)

      このように「病気を無視する”技術”」は、子供の頃からしっかり医師から教育されている。

      ーー子供時代から続く立派な医師教育「気のせい」による「獲得技術」(”脳”力」)ーー

      若いリウマチ内科医から「怖がり」などと言われる筋合いはない。(じゃ、この「技術」を使って生きてみろ)

      医師として、「怖がらない医師」の方が、よほど怖い。(それでも医師か。どういう教育をしているのか)

 


 

膠原病リウマチ内科の対応と患者の現実

 

      1.地方では、大都市からは信じられないだろうが、「膠原病リウマチ内科」が殆ど教育されていないところが多い。

        (教える人材がいない)

        膠原病リウマチ内科の地域格差については、それを放ったらかしにしている日本リウマチ学会に責任があるが

        「地方の膠原病リウマチ科医」は、「自分が一番よく知っている」という態度で患者に接することが、大きな事故に

        つながり、患者の命にかかわる非常に危険な行為であることを自覚してほしい。(怖がり呼ばわりなど最たるもの)

        「自分たちの教育は十分ではない」「知らない」と患者に伝えることは決して恥ではない。

        自分たちの限界を患者に伝えたうえで、”患者の症状から学びながら”対応策を考えていくのが、本当の

        医療ではなかろうか。

 

      2.大都市圏であっても、”病気”という自然現象に対して「ありえない」は、ありえないことを念頭に、

        『患者の症状から学びながら』、対応策を考えてほしい。(基本、「同上」である)

 

      3.経験したことない症状にぶち当たった場合は、日本の教科書や論文・リウマチ学会に尋ねても解らないことが多い。

       「患者の症状を軸に」調べて戴かないと、何も見えてこない。(難しい病気を基礎に持つ患者の場合、症状から

       「一般的な病態」を引きだすことは誤診につながる。”まず”基礎疾患からくる病態を考えなければ、辿りつかない。

       決して”軸”を外さないでほしい。「軸を外さないための技術力」をつけてほしい。)

      


 

大学病院の内科医たちは患者の言葉を本当に信用できているのだろうか? 

(検査だけではなく、患者から話を聞いだけで”専門家であれば”「何が起きているのか」見当がつかなければ困る)

たとえ大学病院に行ったとしても、「そのとき」検査に異常が出なければ、あるいは「教科書通りの状態」でなければ

「気のせい」「何もありません」となるだけである。

検査入院は家をあけなければならない。それが「どういうことか」一般社会なら理解できる。(家族にとって大変な迷惑)

 

      膠原病リウマチ内科の疾患は、高齢になると誰でも発症しやすい病気である。(今後患者数が増える病気)

      日本のリウマチ膠原病内科医は、上述したような医師がほとんど。

      (大学病院でも他科の内科医達から「膠原病内科は変わった医者が多い」と言われている)

      日本に暮らす人々は、こんな膠原病リウマチ科医ばかりで、いいのですか?

 


 

上記のように、医師が考えているほど、患者は、簡単に病院に行けない。

”受診”という行為は患者にとって「非常事態」である。

たとえ「血液検査や画像検査」と「症状」に食い違いがあってもわざわざ、時間を削って、

交通費・医療費を払ってまで、嘘を付きに医師に行く患者はいない。

医師には、”患者の受診”という行為をもっと”深刻に”受け止めてほしい。

稀少疾患の場合、実態を知る医師は少ないが、「すぐそこ」の医院でさえ、体調が悪くて受診が難しい状態にある。

(決してそのように「見えなくても」、病人を相手とする”プロ”ならわかるはずである)

ーー医師なら詐病と真実くらい見抜く技術くらい持ってほしい。「自分が知らない症状だから」「報告がないから」

というだけで話を聞こうともせず「嘘だ」と患者を疑う行為は、犯罪といってもおかしくない

(警察が同じ事をしたらどうなるか考えたらわかる)

 

大学病院への通院は、(働いていても、いなくても)、患者・家族にとって大変な負担である

いつまでも「大学病院が全て」ではなく「かかりつけの開業医」と連携できる体制を一刻も早く作ってほしい。

 


『かかりつけ認定医』

鹿児島県は、大学を含め”競争力のない医療・社会”のため、大病院の医師達は「尋常ではない勘違いの塊」が多いが、

東京に比べ医師会がしっかりしており、一部”では、すでに「かかりつけ認定医と大学病院/大病院との連携体制」が出来ている

(同県では、日本医師会が「かかりつけ認定医制度」を導入する1年前に、かかりつけ認定医制度を実施している)

東京都の医師会のように曖昧な位置づけではなく,「”かかりつけ認定医”がどういう特色を持つ医師であるか」、

認定書にも明記されており、認定資格を持つ医師達も自分たちの役割に誇りを持ち、しっかり把握した上で機能している

   「かかりつけ認定医になれば点数が上がる」。そういう面もあろうが、「認定書に書かれている文章」(理想)は

   決して無視できるものではない。(その自治体の”医療”に対する理解・理想の現れ)。

   たとえ個々の医師の腕に差はあっても「近づこう」とする「目標・理想」(会社でいう社訓)は「非常に大切である。

   (各自治体の医療が「どうありたいのか」)

 

『医師の休暇について』(地方と東京)

鹿児島では、普通、医師の休暇は「殆ど暦通り」であるが、東京では一律「1週間〜10日」。

一日に診る患者数が「東京と地方では桁が違う」という理由から「休暇の期間」はともかくとして、

“心ある医師以外”、休みの時期をずらすこともしない為、その地域は一時的に無医村状態になる。

「休日診療の案内」も十分ではない(鹿児島ではNHKのデータ放送「休日診療」の項目でいつでも見ることができる)

システム上、とても「患者のことを考えた医療とは思えない。

”医師の感覚”からして、「東京だから何もかも地方より優れている」わけでは、全く、ない。

医学の場合、「地方から学ぶこと(東京のおごり)は、想像より遙かに沢山存在する。

 

※『大学病院と開業医との連携について』

大学病院の場合、「患者相談室」に相談してみるとよい。

「地域連携室」で連携体制をとってくれることがある。

 


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